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どんぽのばぶさん61~

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『同学年』というキーワード

2016-02-18 22:09:42 | 日記
人の一生という時の流れの中で『同年齢集団』という人付き合いは、12年間の学齢期を除けばそのほかは圧倒的に縦割りの人間社会(異年齢集団)なのです。

出会った人それぞれに問いかけリサーチすると、面白いもので、その人の出会いと人付き合いは、次の4つに分類できます。(何故なのかその理由は解りません。)
①もっぱら同学年の人との出会いと人間関係で成り立っている
②もっぱら目上の人との出会いと人間関係で成り立っている
③もっぱら、自分が『長老』で自分より年下の人との出会いと人間関係で成り立っている
④全く類型化できないバラバラの出会いで構成されている
有り難いことにこのブログに目を通してくださっているあなたはどうでしょうか?
私の場合、いわゆる「社会人」となって42年間生きてきたわけですが、『出会い』というキーワードで自分自身のひと関係を洗い出してみると、見事に②のパターンの出会いとひと関係です。
ですから、ないものねだりもあるのでしょうが、例えば或るグループの集まりに参加して、初対面であなたのわたしが「ためどし」あるいは「同学年」・「同級生」と判ると妙に親近感が沸きます。
今日SNSでお近づきになった方の関わっておられるサークル(湘南エッセイクラブといいます)の月例会に参加させていただきました。このサークルは発足してから既に20年以上の活動を歩まれてこられているのだそうです。皆さんの和気あいあいとした雰囲気を堪能してきました。自己紹介の中で同じ年の生まれの方が二人もおられたので妙に嬉しくなってしましました。

今感じている「幸いなもの」・・・近況報告に替えて

2014-09-16 22:02:49 | 日記
いま私は辛さや痛みで苦しいです。

24年間付き合ってきた持病に対して今年24年目にして初めて出合った治療法とお薬の効果で様々な項目の症状のデータが少しずつ順調に『正常値』に変化しつつある事実は快適です。
けれども、その一方その為に生じてくる月々に支払うべき高額な医療費は経済的に大変辛いです。
これに加えて、身体的には左鼠径部ヘルニアの断続的な痛み(かつて右鼠径ヘルニアの手術を受けています)。

私はマゾヒストではありませんが、可笑しなものでこの苦しさに『幸いなもの』を感じています。 

「ああ、これだな。いつかラジオで宮本亜門さんが言っていた『人生は途中で何度も(人生から)試される』っていうのは。」私は今人生の大いなるものから試されているのだ。だから、この苦しさに対して「言い訳をしなければよい」のだ。妙に肝が据わった思いに『幸いなもの』を感じます。

私はものづくりです。
木のおもちゃを創作して歩み続けている23年間です。
『ものづくり』は私にとっての「ブレない軸足」の一本なんだという確信がありこれに対して『幸いなもの』を感じます。

しかしながらロボットのような精度で加工しきれるような職人的技量はもともと持ち合わせていませんので私の場合、加工するときに『誤差』が生じます。

天然素材を相手にしますから同じ材木であってもその丸太の部位や産地によって切削する材料の堅さ柔らかさ粘り加減、もろさ加減に幅があります。
同じ製品を創り出そうとしても、当然ながらその加工の過程で生ずる誤差には振れ幅が生じます。
ほとんど場合結果オーライの世界なのですが、それでも加工してみないとその『誤差の程度が自分の感性の許容範囲の内側なのか外側なのか』果たしてどっちに収まるかわかりません。

どん詰まりの製作の過程で、あろうことか納得のいかない誤差を含んだ加工を体験したりすると、気持ちはへこみかけます。

極めて稀にしか・・・ですが自分で納得のいく精度の高い加工で仕上げられるときと、これ以上の誤差は商品にできないという分かれ目(閾値)がおのずとあるからです。

『江戸の敵を長崎で』という言葉がありますね、木工の加工でへこんだ気持ちは木工の分野でほかの作品の製作でリカバーしつつ、根本的は問題解決の糸口(切り口)を探すしかありません。手間暇かかる世界では手間暇をかけるしかないのです。そんなわけで今手間暇かけつつ希少なオーダーと向かい合っています。

猫ふんじゃった・・・元い・・・猫の糞ふんじゃったの想いで

2014-09-15 13:39:42 | 日記
できるだけ下ネタ話は控えようと心していますが、今回はその禁を破ります。

あれは数年前の9月です。間違いないです。誕生日を迎えて半月くらい経った頃でしたでしょうか。

糞害に憤慨した経験があります。
なにしろ私の工房の周辺には外猫が20匹ちかくいますから。
多い時は30匹近い数がカウントできる程でした。(当時は猫は12~14匹くらいの数でした。)

ある夜のこと、進入路の暗い坂道を歩いている時『むんにゅ』っとそいつを踏みました。ひり落として数日経っていたもののようで外側は半乾きで中核は半生みたいなもののようでした。
踏んづけたその感触で一体何を踏んづけたのかすぐ理解しました。道の真ん中です。糞なんて言うものは道端に遠慮がちにするものだという先入観がありましたから、もろに踏みつけてしまった時には『猫の悪意』さえ感じました。
「♪ふんでくやしいはないちもんめ♪」とそいつの周りを土やコジャリと一緒に蹴飛ばしました。踏んだり蹴ったりっていうのはここから生まれたのでもあるまいにと洒落の独り言を言いながら悔しさを紛らわした夜でした。

そして踏んだことそのものも忘れて一週間以上後のこと。

その日は朝から雨が降っていました。
雨でぬれた道を少し歩き駐車場に止めておいた愛車に乗ってしばらく運転していましたら、どうにも車内に糞のにおいが漂います。
最初気のせいかと思ってそのまま暫く運転してたのですが、間違いなく糞のにおいです。ブレーキペダルを踏んで理解しました。
『あ、あの時のナニだ。・・・フンフンなるほど。・・・靴底にへばりついて乾いていたナニが今日の雨で水分を吸収して復活したんだ。』
どうやら一度『完全に乾いた糞でも水分を吸収すると臭いの鮮度が戻る』ようです。

事の次第を理解してあらためて憤慨しました。

ブログ始めました  ――母と過ごした今年の誕生日――

2014-09-13 17:16:32 | 日記
新参者です。
一昨日61歳になったので、それを記念に何か一つ新しいことを始めようと思いめぐらしていました。
そこで思い至ったのがこちらにブログを開設することでした。
あれやこれやをゆるゆると綴ってまいります。
宜しくお願いいたします。

誕生日

私が48歳になった時、世間ではは私の誕生日のことを「テロの日」などと改名しました。
私の誕生日と半年経過した日に東日本大震災(2011/3/11)が起きました。


母と過ごした今年の誕生日

信濃町のK大学病院でCTの撮影を受けました。
その帰り京橋で彫刻家の友人が2年ぶりの個展を開いているので見てきました。
その足で東京駅から東海道線に乗り実家のある平塚に往きました。
母親に『生んでくれてありがとう』というためです。

ベッドでうたた寝していた母はぽわ~っと目覚め「なんだい今日はどうしたんだい?」「やあ今日は僕の誕生日だから顔を見に来た」と声をかけるとしっかり目覚め、起き抜けに息子から手を握られて『お母さん産んでくれてありがとう』と聴かされて、ちょっと照れながらも「どういたしまして」と答えました。
久しぶりに会った母としばし談笑しました。

「お産は軽かったよ」兄の時も妹の時もお産は軽かったとのことでした。
家系的にお産の軽い血筋のようです。
母の話はやがて私が小学校1年生の時の担任の先生が家庭訪問に来られた時のことを話し出しました。
それこそ400字詰め原稿用紙一枚くらいの内容の話なのですが6分近くかかって話します。
話ししていて人の名前を思い出そうとしたり経緯を思い出そうとしたりして、しばしばエンドレスのように話の始まりに戻るからです。
ボケているというのではないのですが、言葉を探しながら話そうとするたびに枕詞のように話の始まりへと戻るのです。
そのたびに私は、まるで今初めてその話の糸口を聴いているかのように「ふんふんそれで…」と聴き続けました。
話題は私より2歳年上の兄の思い出が混ざり込みまた本題に戻り・・・話し終えると「話が長くなってスイマセン」と笑いながら締めくくりました。
私は内心苦笑をこらえながらも「ふう~~ん、そんなことがあったんだぁ」と応じました。

母は来年米寿を迎えます。実家へは大概とんぼ返りで忙しなく帰省しては即帰るというパターンが多かったのでこの日は一泊しました。その日の夜は母の部屋で一緒に寝ました。
母は毎晩NHKの「ラジオ深夜便」の3時台の昭和歌謡を聴くことを何よりも楽しみにしています。
ポケットラジオはベッドの枕元に置かれ就寝時から朝までつけっぱなしにしています。

この部屋の電波の受信状況はポケットラジオを東西方向に向けておくとクリアーな音を受信できるのですが、彼女は今までの習慣で南北方向に向けて、枕元に起きます。ラジオの放送音には「シャーシャー」と微かですが雨降り音のような雑音が混入しています。アナログのポケットラジオです。ダイヤル調整の仕方によってはかなり繊細なところまで絞り込めるのですが、年寄りの指先はピンポイントのベストチューンの周辺を彷徨します。

夜中の2時ころ私がトイレに起き再び布団に入り、暫くうつらうつらしていると母はやおら起きてきて私の掛布団を調整してくれていました。「大丈夫だよ(だからもう寝てくださいの意)」と声がけしましたが、気の済むようにやっていました。それからまたうつらうつらしている私の耳にラジオの音量が上がったり下がったり聞こえてきます。音量が大きすぎて息子の安眠の邪魔になってやしないかとおそらく気遣っているのでしょうが、思い通りの音量が定まらないものなのかボリュームは小さくなったかと思うとまた大きく戻ったりまた小さくなって、うん、このくらいの音量が私にはちょうどいいぞと内心喜んでいますと、再び音量が上がったりを繰り返しています。まあ気が済むまでやってもらいましょうと思っているうちに私は爆睡しました。