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どんぽのばぶさん61~

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「戦いごっこやりたい」・・・今できることとできないことを伝える

2016-10-03 23:13:17 | 保育ネタ
保育園の中にある一時保育室です。毎回日々の保育の中で感じたささやかな感動をお伝えしています。

毎曜日登園してくる子どもさん方の顔触れが異なります。今年は登録しているお子さんの多くが女の子さんであるというのが特徴のようで、たいていの日は女の子が主流派で男の子がぽつんぽつんという曜日のほうが圧倒的に多いのです。
が、それでも月曜日だけは「マンデイボーイズデイ」で唯一男の子が大半で、女の子がぽつんぽつんという曜日なのです。今日は月曜日です。

いろいろなあそびがありますが、男の子はやはり『ヒーロー戦隊ごっこ』でそのキャラになり切って暴れあそびを好んで楽しむお子さんが圧倒的に多いです。湿度の高い日などはまるでサウナ室から出てきたのかと思わされるほどに汗ばんで嬉々とあそんでいます。

あそびとしての『戦いごっこ』に対しては保育界でも賛否両論百出の機運がありますが、私の立場・考え方の基本はこれを拒否するものではありません。
子犬や子猫やお山の熊の子も産まれ落ちたときの兄弟とレスリングあそびをしながら沢山のことどもを学んでいきます。自分の身体の使い方や身のこなし、相手に加える力加減の程、防御の受け身等々。その自然なあそびの姿の中に人間の子どもたちもお手本のように学べるものがあふれています。人間の子ども、とりわけ乳幼児期の子供たちはまだまだ「人間」になり切っていない人間以前の「野性を持った動物に近い段階」にあります。 

若い大学生のお兄さんがバイトで入ってくれている日はあらかた彼がその『戦いごっこ』の相手をしてくれていますが、何かの都合でそのシフトに変更や微調整がかかると子どもさん方は私にヒール役を求めてきます。やはり誰か悪者とか悪役とか怪獣とかお化けとかがいないとヒーロー伝説は華々しさを欠いて味気ないものになります。個々ひとりひとりの子どもさん方の「力量」や「好み」や「怖がり加減」「無鉄砲加減」などを総合的に考慮しつつ、彼らのリクエストに応じてどんなキャラにもなります。
時には「ちょっとだけこわいかいじゅうになって」だとか「うんとおっかないお化けになって」など遊びの途中で微調整を加味しつつ悪役を演じます。悪役は結構面白いのです。

保育キャリア42年ですからいぶし銀の『わるものさま』の登場です。

加減を知らないわけですし加減の調整が上手にできない段階ですからこれを実践的に伝えるにはそのあそびの渦の中に参加しつつ「あーぁ、今のキック痛かったぞ」「痛すぎるのやだ~ぁ」「もっとうそんこでやってよね」と力の加減を伝えたり、かなりリアルに痛がったりいろいろ表現の粋を尽くします。時には、やられたのとほぼ同じくらいのインパクトを相手のお子さんにやり返して「ね、痛いでしょ。わかった?やりすぎよ」と実践的に伝えます。一回限りではそう簡単にわかる力加減の世界ではありませんから、そこは「反復練習」の修練の世界です。

今日も朝から午前中の大半は『戦いごっこ』です。ところが今日はバイトのお兄さんは途中でほかのクラスの保育の助っ人にシフトとなりました。
急遽のオファーを受けていぶし銀のワルモノサマの登場です。いつもと一味違う戦いごっこです。その余韻を引いています。
お給食が済んで午睡に入る前のひと時に彼らは『たたかいごっこ・パートⅡ』をやりたいのです。食事が済んだ直後ですし、入眠前にあまり興奮させすぎてはその後の生活づくりの塩梅が宜しくありません。
彼らの欲求を頭ごなしに全面否定はしたくないので難易度の高い提案を持ちかけました。
「静かにあばれられる?」提案しつつも無理だろうなと思いましたが「できる」とへんじ。
「じゃあ約束よ、うるさくなり過ぎたらおしまいにするよ、わかった?」「うん、わかった」
なんとその直後の数分間、実に見事(?)に静かにあばれています。やればやれるもんです。
とはいえまだ2~3歳の子どもたちです。だんだんエスカレート、してきます。無理もないことですがとうとう閾値を超えるほどのレベルとなりました。ドクターストップ発令です。当然「やだ」「もっとやりたい」と反発です。
先程の念押しの約束事の中身をピンポイントで改めて伝え、そして新たに、『お昼寝から起きておやつ食べたらまたあばれあそび(戦いごっこ)いっぱいできるよ』
先の見通しとイメージが持てたのでしょう、見事に聞き分け午睡の態勢に入れました。その見事さに感動してしまいました。

甘えられること、もしくは甘えてもらえる関係

2016-10-01 08:17:43 | 保育ネタ

保育園の中にある一時保育室です。
毎日登園してくるお子さんの顔触れが変わります。
いろいろなお子さんがいます。
同じお子さんでも、毎日登園してくる保育園児とは違いますから、その時々で機嫌やら心持加減やらの「安定」と「不安定」の振れ幅が大きい子もいます。
このお子さんたちの場合の保育は多少厄介です。
けれども『その子なりに落ち着けるような条件やきっかけ』は何だろうかと思い描き、周囲も含めて整えて自然な流れで『その子の安定』へいざなえられると保育担当者としては仕事をしているという充実感となり思わず「やったぁー」なんて心の中でガッツポーズします。

押し並べてどんなお子さんが気がかりかというと、自分を出さない子、自分を出せない子です。
心を閉ざしているお子さんの心を開くのはその子自身ですから、そのお子さんにとって安心できる関係の大人としてあるいは安心できる空間(保育室)として認めてもらえるように保育しながら焦らずに待ちます。

強烈に「やだあ」と泣きわめいたり暴れたりするお子さんは実際手がかかり厄介ですが、それでもまだ救いがあります。
何がどのような功を奏するか早々には解りませんけれども、「いやだ」と拒否されているときには、その「いや」に対して「いや」の丸ごとを「そうなの、いやなんだね」と認め受け止めます。
だからといって「いや」をとりのぞけない場合も多々あるわけで、仕方ないですものね。
時にはその子の「やだやだ」をおちゃらけでなく一緒に「やだやだ」と言っちゃい共感します。

能面のように無表情でいる子、おとなしくしている子と心をつなげられるようになるのは相当時間がかかります。一見手がかからないのでついつい見落としがちです。見落とさないようにと自戒しつつ、心がけ、気にかけ、目をかけ、声をかけ、手をかけ、あと何をかけ…?複数で担任をしている場合には複眼で見ているのですからそれぞれが知り得た感じ得た情報を密に交流して、その子への理解を立体的に構築していきます。カチカチの氷の塊だって常温の空間においておけばだんだん溶けていきます。頑固な氷はなかなか解けませんがそれでもいつか溶けます。きっとそのお子さんとつながれる時が来ると希望を持ち続けて保育をします。なんくるないさぁの精神です。

自分を出せているけれど気がかりなお子さんというのもあります。
おもちゃやものや周囲の他のお子さんに八つ当たりする子、顔の表情がきつく言い方がきつい子、気持ちがとげとげしてたり、気持ちががさついていたり、自分でも自分の抱えているイライラを対処できずにいる子、こんがらがっている糸の塊は力技では解きほぐせませんから、焦らずじっくり付き合うしかありません。

あまったれちゃん、「ねえ、これどうやんの?」「わかんない」「やってぇ」etc。これまた厄介です。
ちっとは自分の脳みそで考えてごらんよといいたい気持ちも起こりますがこらえて一緒に考えます。

日頃はしっかりしている子が、妙に甘えたりしてくる場合があります。
まず、無条件に受け入れます。抱っこやおんぶのスキンシップは理屈抜きに癒し効果があります。
甘えることで、あるいは甘えながらエネルギーをためているのです。自動車はガソリンスタンドで給油します。小鳥は止まり木に留まって羽を休めます。船は港に停泊して次の準備をします。
エネルギーが溜まると自分から降りて遊びだします。実に明快です。
ここで見られる厄介なケースとしては、際限なく甘えるかのごとき(?)お子さんです。あまえがエネルギーになっているように思われない・・・う~む、難問といえば難問、さてここが思案のしどころです。
そのお子さんの背景に日頃甘えきれない条件がある場合はどうでしょう。
たとえば満3歳にならないうちに弟や妹が産まれたという家庭の場合、どうしたって下の子に手がかかりますから、お兄ちゃんお姉ちゃんにはついつい甘えを我慢してもらう場面が起こります。
そこがストレスやプレッシャーになっていることだって十分考えられます。
子どもは健気なのです。自分に期待されていることが何なのかと判ると、その期待に対して健気に答えようとするものです。ですからせめて保育室で補えるものならば…と条件が許す限り抱っこやおんぶで対応します。
が、一番甘えたい人の代用である限り満足度の点で十分には至れないのは仕方のないことです。
「おにいちゃん」「おねえちゃん」ということばかけを控え目にしてみたらどうなるでしょうか、より一層本物の「おにいちゃん」「おねえちゃん」に成長できるためのタイムラグ・・・模索してみようと思います。

おトイレで 「もういいかい?」「もうちょっと」 (前篇)

2016-07-12 23:51:17 | 保育ネタ


保育園の中の一時保育室のスタッフとして働いて居ての『今日の気づき&実感―――おむつ交換はコミュニケーションです』をご紹介したいのですが、その前に状況説明をあれやこれやしておきますね。



ここは保育園の中にある一時保育室です。

毎日登園在室しているメンバーがだいぶん入れ替わります。

この部屋は1歳児と2歳児が混在して成り立っています。

2歳児よりも1歳児のほうがやや多いクラスです。

排泄に関して大便小便含めてあらかた失敗なく済ませられている子はこの7月の時点ではごくごく一部のお子さんのみですが、それでも4月から記憶をたどりますと、週を追うごとに成功する確率の高まりつつある子が一人二人と増えてきつつあります。



排泄&おむつ交換はそのつど、その子その子の時系列のデータを頭に思い起こしながら気を抜かず丁寧に、対応しています。

排泄の分野の自律はその子の育ち丸ごと全体の中でも自尊心を深め広めていく象徴的な分野です。

自律加減によって『お姉ちゃんになったねぇ』『お兄ちゃんになったねぇ』という賞讃も集中します。

またこうしたやり取りが周囲の他の子のモチベーションを高めトイレに対しての意欲&関心となってきます。

やがては便の大小ともに自律して用を足していけるようになる分野ですから、排泄のおむつ交換やおむつの卒業に向けての援助も保育の中の重要な要素と心得ています。



私は基本的に、おむつ交換そのものはそのお子さんとの個別の大切なコミュニケーションの機会だと思って関わっています。

子どもさんのほうで、この大人におむつの世話をしてもらうことは不快ではないと感じてもらえるように精一杯対応しています。

いわゆる信頼関係や安心できる人付き合いの関係の基盤が養えるひと時なのです。



排泄に関して、決して事務的に関わったりせず、『処理する』的な態度で済ましたりではなく、ましてや不快を顔に出していやいや交換するといった保育態度は論外です。

手渡し「はいどうぞ」の贈り物

2016-07-08 06:20:36 | 保育ネタ
ここは保育園の中にある一時保育室です。1歳児と2歳児が同居している縦割り空間です。毎日登園してくる子どもさんの顔ぶれが変わります。一週間に一回登園のお子さんもいれば、週に3回登園しているお子さんもいます。保育室や保育担当者(職員)との慣れ具合もまちまちです。一泣きもせず、ワクワクと登園してくる子もいれば、大泣きする子もいれば、きょとんとしている子もいます。

子どもが、登園し母との別れで泣いているとき、ここはどこだろう(?)という感じでキョトンとしているとき、遊びを見つけ出す前の暇そうにぼうっとひているとき、おもちゃの取り合いで、おもちゃを取られてかなしい・くやしいと泣いているとき、いろいろな場面で私は「はいどうぞ」と何か見繕って手渡しします。そのことで気が紛れたり、ちょっとした気分転換になったり、狭くなっていた心持がちょっぴり広くなったりします。「さあ、あそぼっか」といざないます。

1歳の子どもさんが最近覚えた「どうぞ」で、私におもちゃを手渡してくれる時、気持ちを込めて『ありがとう』と受け取ります。そして、それをまたその子に「はいどうぞ」と手渡します。その子も「ありがとう」のしぐさをかえしてくれます。ささやかなやり取りですが実になごやかでいいもんです。

積み木の箱を前に、一つ一つ取り出しては、ポイ、ポイ、ぽいっ…とあそんでいます。みごとな散らかしっぷりです。箱の中はとうとうからっぽです。そうかと思うと、箱をひっくり返して中身を丸ごと一気にぶちまけるあそび方の子どもさんもいます。ちらかし界の横綱です。

「さあ、おもちゃを片付けておちゃ(水分補給)をのみましょう」とよびかけます。♪おかたづけ♪、の歌なんて歌いません。片づけた先に何が自分たちを待っているのかという見通しを示して子どもさんが納得してかたづけられる生活感覚を大事にしたいと思っています。
教育の最終目標が自己教育にあるのと同様に、『しつけ』を大人が子どもさんに押し付けるのではなくて、子供の心の内側に芽吹いてくる生活感覚こそが自分で自分をしつけていくのです。

片付けに興味を持ちだした子どもたちがそばに寄ってきます。丁寧に戻す子。大胆にポイ、ポイっとワイルドに入れる子。自分こそが入れたいと一つのおもちゃを二人で取り合いになるとき、形勢の不利な子のほうに、あるいは無理やりに取ろうとしている子のほうに「はいどうぞ」と同類の別のおもちゃを手渡します。

あいさつ代わりに「タッチ」といって手のひらと手のひらを合わせます。私は手のひらを大きく広げて待ち受けます。子どもさんが「タッチ」といいながら触れてきます。手を合わせられてにんまりと満足げに微笑みを返してくれます。これもまた「はいどうぞ」のすてきな贈り物です。ちょうちょうが花びらに触れるようなタッチもあれば、力強い目いっぱいのタッチもあれば、もっと高い位置にしてよとハイタッチをしたがるお子さんもいてタッチもいろいろです。

贈り物には贈り物効果というものがあるようで、人の心を和ませ、ちょっぴり幸せな心持にしてくれます。「はいどうぞ」は私の好きな贈り物(プレゼント)です。

「♪たまごがわれた♪」 むかし覚えた 手あそび歌ですが…

2016-06-26 07:30:57 | 保育ネタ

わたしの勤めている一時保育室でこの6月に入ってから歌って聞かせたら1~2歳児にずいぶんと気に入られて歌われ出した人気の手あそび歌があります。

この歌は私が今から37年前に再就職した二つ目の保育園で当時の一歳児クラスの子供たちが歌っていた手あそび歌です。

ふっと思い出し、給食の準備にかかるときに披露してみました。



歌ってみての反応は、殊に歌の好きな2歳児が当初から聴き耳頭巾状態でかなり関心をもって「もういっかい(歌って)」とアンコールを求められました。

半月の間 断続的に歌っていましたら1歳児も食いついてきました。このへんの普及&浸透ぶりが一時保育室ならではの縦割り保育の魅惑です。

今ではクラス全体に浸透して、この頃では職員が歌わなくても、子供たちがすすんで歌いだし5~7回くりかえしうたっています。

女の子が多いクラスで曜日によっては男の子一人女の子9人というような日もあります。この日はまるで女子会のような(?)ノリです。



歌いだしは「♪たまごがわれた…♪」という手あそびです。歌詞を紹介してみましょう。



♪たまごがわれた

ふたつにわれた ぱかっ

もういいかい・・・(しー)

もういいよ

ひよこが ひよこが おくびをだした~~~♪



さてこの「♪たまごがわれた♪」の動画ですがYou Tubeにアップされていないかと検索してみましたけれども、まことに残念なことに見当たりません。





さてさて、なぜこの歌が子供たちの人気を集めているのでしょう。

歌詞の言葉世界をひもといてみます。

「たまご」がぱかっとわれる・・・そして、「ひよこ」がかおおだす・・・というのはイメージしやすいすっきりとした起承転結ですね。

メロディーも単純明快。大変親しみやすいです。そして歌のテンポとリズムがおだやかです。

私の歌い方の場合、

うたいだしからもういいよ までをゆったりおだやかに表現し、もういいよを歌い切り、

豹変し、めいっぱいどはでなアクション手拍子、いないないばぁ~のアクションを挟んで、

そして、余韻をただよわせながらハッピーエンドのソフトランディング。   ・・・コントラストのきかしぐあいがポイントです。



うたのバリエーションは先ずは基本形の「ふつうのたまご」

基本形だけで満足を得ている場合には敢えて変化させず、その範囲にとどめておきます。

もっともっと楽しみたいという機運が高まり満ちて来たら「ちいさいたまご」「おおきいたまご」と変化します。

たまごも、やわらかいたまご、かたいたまご、ふにゃふにゃのたまご、つるっとしたたまごetc。

ここは言葉の表現、顔の表情などでいくらでも演出できます。

ふつうのたまごからはヒヨコが、ちいさいたまごからはアリンコやダンゴムシや・・・、おおきなたまごごからはカイジュウ・ライオン・ぞうさん・シンカンセン・オバケ・ミッキー・いちごのショートケーキetcがでてきます。

子どもたちの好きなものならなんでも出せる魔法の手あそびうたです。



37年の時が流れてもこれほどまでに人気を博すのですから『手あそび歌界の名曲』の一つといえると断言します。手元に資料が見当たらず、作者がどなたなのかわかりませんが、作者に心から敬意を表します。