赤座は年中裸で磧(かわら)で暮らした。
人夫頭である関係から冬でも川場に出張っていて、小屋掛けの中で秩父の山が見えなくなるまで仕事をした。まん中に石でへり取った炉をこしらえ、焚火で、寒の内は旨い鮒の味噌汁をつくった。春になると、からだに朱の線をひいた石班魚(うぐい)をひと網打って、それを蛇籠じゃ(かご)の残り竹の串に刺してじいじい炙った。お腹は子を持って揆ちきれそうな奴を、赤座は骨ごと舐(しゃぶ)っていた。人夫たちは滅多に分けて貰えなかったが、そんなに食いたかったらてめいだちも一網打ったらどうだと、投網をあごで掬って見せるきりだった。
人夫頭である関係から冬でも川場に出張っていて、小屋掛けの中で秩父の山が見えなくなるまで仕事をした。まん中に石でへり取った炉をこしらえ、焚火で、寒の内は旨い鮒の味噌汁をつくった。春になると、からだに朱の線をひいた石班魚(うぐい)をひと網打って、それを蛇籠じゃ(かご)の残り竹の串に刺してじいじい炙った。お腹は子を持って揆ちきれそうな奴を、赤座は骨ごと舐(しゃぶ)っていた。人夫たちは滅多に分けて貰えなかったが、そんなに食いたかったらてめいだちも一網打ったらどうだと、投網をあごで掬って見せるきりだった。