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小説の「書き出し」

明治~昭和・平成の作家別書き出し
古典を追加致しました

蜻蛉日記 藤原道綱母

2013-08-26 01:21:14 | 古典
天禄元年「内裏の賭弓」
(本文)
 人は、めでたくも造りかかやかしつる所に、明日なむ、今宵なむと、ののしるなれど、われは思ひしもしるく、かくてもあれかしになりにたるなめり。されば、今はこりにしかばなど、思ひのべてあるほどに、三月十日のほどに、内裏の賭弓のことありて、いみじくいとなむなり。幼き人、しりへの方にとられて出でにたり。「方勝つものならば、その方の舞もすべし」とあれば、このごろは、よろづ忘れて、このことをいそぐ。舞ならすとて、日々に楽をしののしる。出居につきて、賭け物とりてまかでたり。いとゆゆしとぞうち見ゆ。
 十日の日になりぬ。今日ぞ、ここにて試楽のやうなることする。舞の師、多好茂、女房よりあまたの物かづく。男方もありとあるかぎり脱ぐ。「殿は御物忌みなり」とて、をのことどもはさながら来たり。事果てがたになる夕暮れに、好茂、胡蝶楽舞ひて出で来たるに、黄なる単衣脱ぎてかづけたる人あり。折にあひたるここちす。
 また十二日、「しりへの方人さながら集まりて舞はすべし。ここには弓場なくて悪しかりぬべし」とて、かしこにののしる、「殿上人数を多く尽くして集まりて、好茂埋もれてなむ」と聞く。
 われは「いかに、いかに」とうしろめたく思ふに、夜更けて、送り人あまたなどしてものしたり。さて、とばかりありて、人々あやしと思ふに、はひ入りて、「これがいとらうたく舞ひつること語りになむものしつる。みな人の泣きあはれがりつること。明日明後日、物忌み、いかにおぼつかなからむ。五日の日、まだしきに渡りて、事どもはすべし」など言ひて、帰られぬれば、常はゆかぬここちも、あはれにうれしうおぼゆることかぎりなし。
 その日になりて、まだしきにものして、舞の装束のことなど、人いと多く集まりて、し騒ぎ、出だし立てて、また弓のことを念ずるに、かねてよりいふやう、「しりへはさしての負けものぞ。射手いとあやしうとりたり」など言ふに、「舞をかひなくやなしてむ、いかならむいかならむ」と思ふに、夜に入りぬ。
 月いとあかければ、格子なども下ろさで、念じ思ふほどに、これかれ走り来つつ、まづこの物語をす。「いくつなむ射つる」「敵には右近衛中将なむある」「おほなおほな射伏せられぬ」とて、ささとの心に、うれしうかなしきこと、ものに似ず。「負けものと定めし方の、この矢どもにかかりてなむ、持になりぬる」と、また告げおこする人もあり。持になりにければ、まづ陵王舞ひけり。それも同じほどの童にて、わが甥なり。ならしつるほど、ここにて見、かしこにて見など、かたみにしつ。されば、次に舞ひて、おぼえによりてにや、御衣賜りたり。
 内裏よりはやがて車のしりに陵王も乗せてまかでられたり。ありつるやう語り、わが面をおこしつること、上達部どものみな泣きらうたがりつることなど、かへすがへすも泣く泣く語らる。弓の師呼びにやる。来て、またここにてなにくれとて、物かづくれば、憂き身かともおぼえず、うれしきことはものに似ず。
 その夜も、後の二三日まで、知りと知りたる人、法師にいたるまで、「若君の御よろこびきこえにきこえに」と、おこせ言ふを聞くにも、あやしきまでうれし。

天禄三年「養女を迎へる(1)」
(原文)
 かくはあれど、ただ今のごとくにては、行く末さへ心細きに、ただ一人男にてあれば、年ごろも、ここかしこに詣でなどするところには、このことを申しつくしつれば、今はましてかたかるべき年齢になりゆくを、いかで、いやしからざらむ人の女子ひとり取りて、後ろ見もせむ、一人ある人をもうち語らひて、わが命のはてにもあらせむと、この月ごろ思ひ立ちて、これかれにも言ひ合はすれば、「殿の通はせ給ひし源宰相兼忠とかきこえし人の御娘の腹にこそ、女君いとうつくしげにて、ものし給ふなれ。同じうは、それをやはさやうにも聞こえさせ給はぬ。今は志賀の麓になむ、かのせうとの禅師の君といふにつきて、ものし給ふなる」などいふ人ある時に、「そよや、さることありきかし。故陽成院の御後ぞかし。宰相なくなりてまだ服のうちに、例のさやうのこと聞き過ぐされぬ心にて、何くれとありしほどに、さありしことぞ。人はまづその心ばへにて、ことに今めかしうもあらぬうちに、齢なども、あうよりにたべければ、女はさらむとも思はずやありけむ。されど、返りごとなどすめりしほどに、みづから二度ばかりなどものして、いかでにかあらむ、単衣の限りなむ、取りてものしたりし。ことどもなどもありしかど、忘れにけり。さて、いかがありけむ、

 関越えて 旅寝なりつる 草枕 かりそめにはた 思ほえぬかな

とか、言ひやり給ふめりし、なほもありしかば、返り、ことごとしうもあらざりき。

 おぼつかな われにもあらぬ 草枕 まだこそ知らね かかる旅寝は

とぞありしを、「旅かさなりたるぞあやしき」などもろともにも笑ひてき。後々しるきこともなくてやありけむ、いかなる返りごとにか、かくあめりき。

 おきそふる 露に夜な夜な ぬれこしは 思ひのなかに かわく袖かは

などあめりしほどに、ましてはかなうなりはてにしを、後に聞きしかば、「ありしところに女子生みたなり。さぞとなむいふなる。さもあらむ。ここに取りてやはおきたらぬ」などのたまひし、それななり。させむかし」など言ひなりて、たよりを尋ねて聞けば、この人も知らぬ身に添へてなむ、かの志賀の東の麓に、湖を前に見、志賀の山を後方に見たるとろこの、いふかたなう心細げなるに、明かし暮らしてあなると聞きて、身をつめば、なにはのことを、さる住まひにて思ひ残し言ひ残すらむとぞ、まづ思ひやりける。


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「養女を迎へる(2)」

(原文)
 かくて、異腹のせうとも京にて法師にてあり、ここにかく言ひ出だしたる人、知りたればそれして呼び取らせて語らはするに、「なにかは。いとよきことなりとなむ、おんほれは思ふ。そもそも、かしこにまぼりてものせむ、世の中いとはかなければ、今はかたちをも異になしてむとてなむ、ささの所に月ごろはものせらるる」など言ひおきて、またの日といふばかりに、山越えにものしたりければ、異腹にてこまかになどしもあらぬ人のふりはへたるをあやしがる。
「なにごとによりて」などありければ、とばかりありて、このことを言ひ出だしたりければ、まづ、ともかくもあらで、いかに思ひけるにか、いといみじう泣き泣きて、とかうためらひて、「ここにも今は限りに思ふ身をばさるものにて、かかる所に、これをさへひきさげてあるを、いといみじと思へども、いかがはせむとてありつるを、さらば、ともかくも、そこに思ひ定めてものし給へ」とありければ、またの日帰りて、「ささなむ」と言ふ。うべなきことにてもありけるかな。宿世やありけむ。いとあはれなるに、「さらば、かしこに、まづ御文をものせさせ給へ」とものすれば、「いかがは」とて、「かく、年ごろはきこえぬばかりに、うけたまはりなれたれば、おぼつかなくは思されずやとてなむ。あやしと思されぬべきことなれど、この禅師の君に、心細き憂へをきこえしを、伝えきこえ給ひけるに、いとうれしくなむのたまはせしとうけたまはれば、喜びながらなむきこゆる。けしうつつましきことなれど、尼にとうけたまはるには、むつましきかたにても、思ひ放ち給ふやとてなむ」などものしたれば、またの日、返りごとあり。「喜びて」などありて、いと心よう許したり。かの語らひけることのすぢもぞ、この文にある。かつは思ひやるここちもいとあはれなり。よろづ書き書きて、「霞にたちこめられて、筆の立ちども知られねばあやし」とあるも、げにとおぼえたり。

「養女を迎へる(3)」

(原文)
 それより後も、二度ばかり文ものして、事定まり果てぬれば、この禅師たちいたりて、京に出だし立てけり。ただ一人出だし立てけむも、思へばはかなし。おぼろけにてかくあらむや、ただ親もし見給はばなどにこそはあらめ、さ思ひたらむに、わがもとにても同じごと見ること難からむこと、またさもなからむ時、なかなかいとほしうもあるべきかななど思ふ心添ひぬれど、いかがはせむ、かく言ひ契りつれば、思ひ返るべきにもあらず。「この十九日、よろしき日なるを」と定めてしかば、これ迎へのいものす。忍びて、ただ清げなる網代車に、馬に乗りたる男ども四人、下人はあまたあり。大夫やがてはひ乗りて、後に、この事口入れたる人と乗せてやりつ。
 今日、めづらしき消息ありつれば、「さもぞある。いきあひては悪しからむ。いと疾くものせよ。しばしは気色見せじ。すべてありやうに従はむ」など、定めつるかひもなく、先立たれにたれば、いふかひなくてあるほどに、とばかりありて来ぬ。
「大夫は、いづこに行きたりつるぞ」とあれば、とかう言ひ紛らはしてあり。日ごろもかく思ひまうけしかば、「身の心細さに、人の捨てたる子をなむ取りたる」などものしおきたれば、「いで見む。誰が子ぞ。われ、今は老いにたりとて、若人求めてわれを勘当し給へるならむ」とあるに、いとをかしうなりて、「さば、見せたてまつらむ。御子にし給はむや」とものすれば、「いとよかなり。させむ。なほなほ」とあれば、われも疾ういぶかしさに、呼び出でたり。
 聞きつる年よりもいと小さう、いふかひなく幼げなり。近う呼び寄せて、「立て」とて立てたれば、丈四尺ばかりにて、髪は落ちたるにやあらむ、裾そぎたるここちして、丈に四寸ばかりぞ足らぬ。いとらうたげにて、頭つきをかしげにて、様体いとあてはかなり。見て、「あはれ、いとらうたげなめり。たが子ぞ。なほ言へ言へ」とあれば、恥なかめるを、さはれ、あらはしてむと思ひて、「さは、らうたしと見給ふや。きこえてむ」と言へば、まして責めらる。
「あなかしがまし。御子ぞかし」と言ふに、驚きて、「いかにいかに。いづれぞ」とあれど、とみに言はねば、「もし、ささの所にありと聞きしか」とあれば、「さなめり」とものするに、「いといみじきことかな。今ははふれうせにけむとこそ見しか。かうなるまで見ざりけることよ」とてうち泣かれぬ。この子もいかに思ふにかあらむ。うちうつびして泣きゐたり。見る人も、あはれに昔物語のやうなれば、みな泣きぬ。単衣の袖、あまたたび引き出でつつ泣かれぬるれば、「いとうちつけにも、ありきには、今は来じとする所に、かくていましたること。われ率ていなむ」など、たばぶれて言ひつつ、夜更くるまで泣きみ笑ひみして、みな寝ぬ。
 つとめて、帰らむとて、呼び出して、見て、いとらうたがりけり。
「今、率ていなむ。車寄せばふと乗れよ」とうち笑ひて出でられぬ。それより後、文などあるには、かならず、「小さき人はいかにぞ」など、しばしばあり。