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小説の「書き出し」

明治~昭和・平成の作家別書き出し
古典を追加致しました

堤中納言物語 著者・詳細

2013-09-06 01:42:28 | 古典
 花桜折る少将  このついで  虫愛づる姫君  ほどほどの懸想  逢坂越えぬ権中納言
 かひあはせ  思はぬかたにとまりする少将  はなだの女御  はいずみ  よしなしごと

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花櫻折る少將

月にはかられて、夜深く(*よぶかく)起きにけるも、思ふらむ所いとほしけれど(*今逢った女の上を思い遣った表現)、立ち歸らむも遠きほどなれば、やう\/行くに、小家などに例音なふものも聞えず。隈なき月に、所々の花の木どもも、偏に混まがひぬべく霞みたり。今少し過ぎて、見つる所よりもおもしろく、過ぎ難き心地して、

そなたへと行きもやられず花櫻匂ふ木陰に立ちよられつゝ

そなたへと ゆきもやられず はなざくら にほふこかげに たちよられつつ

とうち誦じて、「早くこゝにもの言ひし人あり。」と、思ひ出でて立ち休らふに、築地の崩れより、白き物の、いたう咳しはぶきつゝ出づめり。哀れげに荒れ、人氣ひとげなき處なれば、此所彼所こゝかしこ覗けど咎むる人なし。このありつる者の返る喚びて、

「此所に住み給ひし人はいまだ(*原文「未だ」)おはすや。『山人に物聞えむといふ人あり。』とものせよ。」

といへば、

「その御方おんかたは、此所にもおはしまさず。何とかいふ處になむ住ませ給ふ。」

と聞えつれば、「哀れの事や。尼などにやなりたるらむ。」と後めたくて、

「かのみつとをに逢はじや。」

など、微笑みて宣ふ程に、妻戸をやはら掻放かいはなつ音すなり。

男をのこども少しやりて(*先に行かせて)、透垣のつらなる群薄むらすゝきの繁き下に隱れて見れば、

「少納言の君こそ。明け(*原文「開け」)やしぬらむ。出でて見給へ。」

といふ。よき程なる童(*女の童)の、容態をかしげなる(*が)、いたう萎え過ぎて、宿直姿なる、蘇芳にやあらむ、艷やかなる袙に、うちすきたる髪の裾(*髪の末端)、小袿に映えてなまめかし。月の明き方に、扇をさし隱して、

「月と花とを(*原注「後撰卷二、源信明「あたら夜の月と花とを同じくは心知れらむ人に見せばや」の歌を引く。」)。」

と口誦ずさみて、花の方へ歩み來るに、驚かさまほしけれど、暫し見れば、おとなしき人の、

「すゑみつはなどか今まで起きぬぞ。辨の君こそ、此所なりつる。參り給へ。」

といふは、物へ詣づるなるべし。ありつる童(*今の女の童は)は留るなるべし。

「侘しくこそ覺ゆれ。さはれ、唯御供に參りて、近からむ所に居て、御社みやしろへは參らじ。」

などいへば、

「物ぐるほしや。」

などいふ。皆仕立てて、五六人ぞある。下るゝ程もいと惱しげに、「これぞ主しうなるらむ。」と見ゆるを、よく見れば、衣脱ぎかけたる容態、さゝやかにいみじう子めいたり。物言ひたるも、らうたきものの、優々いう\/しく聞ゆ。「嬉しくも見つるかな。」と思ふに、やう\/明くれば歸り給ひぬ。

日ざしあがるほどに起き給ひて、昨夜よべの所に(*昨晩泊まった女の許に)文書き給ふ。

「いみじう深う(*夜深く)侍りつるも、道理ことわりなるべき御おん氣色に出で侍りぬるは、辛さも如何ばかり。」

など、青き薄樣に柳につけて、

さらざりし古よりも青柳のいとゞぞ今朝はおもひみだるゝ

さらざりし いにしへよりも あをやぎの いとどぞけさは おもひみだるる

とて遣り給へり。

返り事めやすく見ゆ。

かけざりしかたにぞはひし絲なれば解くと見し間にまた亂れつゝ

かけざりし かたにぞはひし いとなれば とくとみしまに またみだれつつ

とあるを見給ふほどに、源中將・兵衞佐、小弓持たせておはしたり。

「昨夜よべは何所いづくに隱れ給へりしぞ。内裏に御おん遊びありて召ししかども、見つけ奉らでこそ。」

と宣へば、

「此所にこそ侍りしか。怪しかりけることかな。」

と宣ふ。花の木どもの咲き亂れたる、いと多く散るを見て、

飽かで散る花見る折はひたみちに

あかでちる はなみるをりは ひたみちに

とあれば、佐、

我が身に(*「我が身も」か。)かつはよわりにしかな

わがみにかつは よわりにしかな

とのたまふ。中將の君、

「さらば甲斐なくや。」

とて、

散る花を惜しみ留めても(*風葉集(1271)〔春下〕詞書「花のちるころ、人のまうできたりけるに」)君なくば誰にか見せむ宿の櫻を

ちるはなを をしみとめても きみなくば たれにかみせむ やどのさくらを

とのたまふ。戲たはぶれつゝ諸共に出づ。「かの見つる處尋ねばや。」とおぼす。

夕方、殿(*父大臣の邸)にまうで給ひて、暮れ行くほどの空、いたう霞み罩こめて、花のいとおもしろく散り亂るゝ夕ばえを、御簾捲き上げて眺め出で給へる御おん容貌、言はむかたなく光滿ちて、花の匂ひも無下にけおさるゝ心地ぞする。琵琶を黄鐘調わうしきてうに調べて、いとのどやかに、をかしく彈き給ふ御手つきなど、限りなき女も斯くはえあらじと見ゆ。この方の人々召し出でて、さま\〃/うち合せつゝ遊び給ふ。みつすゑ(*前出「すゑみつ」。中将の腹心か。)、

「いかゞ女のめで奉らざらむ。近衞の御門わたりにてこそ、めでたくひく人あれ、(*わが御方は)何事にもいとゆゑづきてぞ見ゆる。」

と、おのがどち言ふを聞き給ひて、

「いづれ、この櫻多くて、荒れたる宿(*原文「やと」。近衛の御門=皇居東面の陽明門の付近の邸宅を指すか)、わらは(*「われは」か。)いかでか見し。我に聞かせよ。」

と宣へば、

「猶便りありて、罷りたりしになむ。」

と申せば、

「さる所は見しぞ。細かに語れ。」

とのたまふ。(*「みつすゑ」は)かの見し童に物いふなりけり。

「故源中納言の女になむ。實にをかしげにぞ侍るなる。かの御おん伯父の大將なむ、『迎へて内裏に奉らむ。』と申すなる。」

と申せば、

「さらば、さらぬ先に。猶誑たばかれ。」

と宣ふ。

「さ思ひ侍はんべれど、いかでか。」

とて立ちぬ。

夕さり、かの童は、ものいと能くいふものにて、ことよくかたらふ。

「大將殿の常に煩はしく聞え給へば、人の御文傳ふる事だに、伯母上(*原文ルビなし。「おばうへ」か。祖母上。後出。)いみじく宣ふものを。」

と(*「語らふ」ことが続くうち)、同じ處にて、めでたからむ事など宣ふ頃、(*みつすゑが女の童を)殊に責むれば、若き人の思ひ遣り少きにや、

「心(*「ここら」か。)よき折あらば、今。」

といふ。御文は「殊更に、氣色見せじ。」とて傳へず。みつすゑ參りて、

「言ひ趣けて侍る。今宵ぞよく侍るべき。」

と申せば、喜び給ひて、少し夜更けておはす。みつすゑが車にておはしぬ。わらは(*諸本「はなは」)、けしき見ありきて入れ奉りつ。火は物の後うしろへ取りやりたれば、ほのかなるに、母屋もやにいとちひさやかにてうつ臥し給へるを、かき抱きて乘せ奉り給ひて、車を急ぎて遣るに、

「こは何ぞ、\/。」

とて、心得ず、あさましう思さる。中將の乳母聞き給ひて、

「伯母上(*祖母上。前出。)の後めたがり給ひて、臥したまへるになむ。もとより小さくおはしけるを、老い給ひて、法師にさへなり給へば、頭寒くて、御衣おんぞを引き被きて臥し給へるなむ、それと覺えけるも道理なり。」

車寄するほどに、古びたる聲にて、

「いなや、こは誰たれぞ。」

と宣ふ。

その後いかが。をこがましうこそ。(*祖母の尼上の)御容貌はかぎりなかりけれど(*「法師にさへなりたまひぬれば、今はいかがせむ。」などを補う)。