世の中驚くことばかり! 記事保管倉庫

右も左もあるものか
僕らが見るのは常に上

単純じゃないわけです

2008-07-24 | 国際的なこと
政局LIVEアナリティクス 上久保誠人

2008年07月22日 DIAMOND ON LINE

官僚の「御用聞き外交」がそのまま国の外交政策となる日本の悲劇

「洞爺湖サミット」が終了して2週間が経った。議長国として、地球温暖化問題などで、懸命にリーダーシップを発揮しようとした福田首相は、得意の外交で地に落ちた支持率回復を図ろうとしているようだ。

 福田首相の外交手法は、近隣諸国との関係を悪化させた小泉元首相とは対照的で、「対話と協調」を重視するものである。それには高い評価がある反面、伝統的な日本の弱腰な外交政策や外国に媚びた態度、いわゆる「土下座外交」への回帰ではないかという批判もある。今日は、そんな福田外交について、サミットでも重要課題であった「アフリカ外交」を中心に考えてみたいと思う。

バラマキ援助では
アフリカは動かない
 福田首相は、5月末に横浜で開催された「第4回アフリカ開発会議」(TICAD)で、今後5年間に日本の対アフリカODAを年間約2000億円に倍増することを表明した。この、いかにも日本的な、アフリカへの「バラマキ」には、日本の国連安保理常任理事国入りにアフリカ諸国の支持を得たいという思惑があるのは言うまでもない。 

 しかし、私は「バラマキ」でアフリカは動かないと思う。なぜなら、「援助」が強い外交カードとなるのは、それを与える直前までであって、「援助」は与えてしまったその瞬間に、カードとしての力を失うからである。

 例えば、日本が援助した国に対して「日本への支持」を求めた時、「まだまだ援助が足りないので」と渋られたらどうだろう。それに日本が怒っても、その国は困らない。既にお金を貰っているからだ。逆に日本は、その国の支持は得られず、与えたお金も返ってこないわけだ。「援助」は与える側より、貰った方が強いのだ。

 その上、「アフリカ人」は実にしたたかである。私は7年間の英国滞在中、いろいろなアフリカ諸国のエリートたちに会った。彼らには「貰えるものは遠慮なく貰うけど、それで相手の影響下に入ることは敏感に避ける」という共通な特徴があった。

おそらく植民地支配された時代の記憶が民族的な習性として染みついているのか、この人たちはとにかく生きるためにはしたたかなのである。アフリカ諸国は、日本からの援助は遠慮なく頂くだろう。しかし、「日本への支持」に応じるかといったら、「もっと援助してくれたらねえ」「中国さんとのお付き合いもあるので」と、ノラリクラリとかわしてくるのは間違いない。

官僚の「土下座外交」は
日本の専売特許ではない
 私は、外務省の官僚がアフリカでせっせと「御用伺い」を行なって、そのニーズを汲み取っていること自体はいいことだと思う。よく、官僚のこのような「御用伺い」を「土下座外交」として批判することがあるが、それは間違いである。官僚が担当する国に対して「土下座外交」をするのは当たり前である。

 官僚にとって、担当する国の重要度が増すことは、外務省内での自らの出世につながる。だから官僚は皆、競ってアメリカやロシアや中国に一生懸命「御用伺い」をして、先方の無理難題を聞いてきて、いかに日本との間に様々な懸案事項があるかを外務省内でアピールしてきたのである。

 官僚が担当する国から信頼を得て人脈を築き、情報ソースを確保することは、外交を成功させるために最も大事な基本だ。だから、外務省の官僚にはどんどん担当する国に食い込んでもらわないといけない。「あいつは愛い奴じゃ」と相手国に思ってもらってこそ、的確な情報を掴めるというものだ。

「土下座外交」は日本だけに特有な現象ではない。アメリカでもロシアでも中国でもイギリスでも、外務官僚たちは担当国に食い込んで御用聞きをやっている。それが官僚としての出世につながるのは、大して日本と変わらない。実際、これらの国々には、それぞれ「日本派」「日本通」の官僚たちがたくさんいらっしゃるのだ。

 問題は、日本では伝統的に、官僚が「御用聞き」してきた相手国の意向が、そのまま政府の外交政策となることが多かったことである。「アメリカ・スクール」「チャイナ・スクール」「ロシア・スクール」などの外務省内での派閥争いばかりが目立ち、指導者の顔が見えないのが日本外交の特徴であり、それは厳しく批判されてきた。

外国では、首脳間の外交では、官僚の御用聞きとは正反対の、丁々発止のやりとりが行われることが多い。つまり、官僚は、外交交渉においてあくまで露払いの役割でしかなく、その後の最終的な意思決定を指導者が譲ることはないということだ。

 日本でも、小泉内閣が北朝鮮問題で、外務官僚・田中均氏が築いた北朝鮮人脈を散々使うだけ使って、最後に彼を使い捨てた事例がある。小泉首相は北朝鮮との取り決めを破って、一時帰国だったはずの拉致被害者を北朝鮮に返さなかった。「私はもう北と話ができない。私の立場はどうなるのか」と、田中氏がいくら訴えようと、小泉首相はそれを無視した。しかし、その後小泉首相は田中氏を窓際に追いやることはなかった。これこそが、指導者による官僚の正しい使い方なのではないだろうか。

見返りを求めない援助は
日本の国益となるのか
「アフリカ外交」に話を戻したい。繰り返すが、外務官僚が「御用聞き」をしてアフリカのニーズを汲み取ってくることは悪くない。大事なのは、そのニーズにどう対応すれば、日本の国益に合致する形になるか、必ず指導者が判断することが重要だということだ。

 日本がアフリカを動かしたかったら、アフリカ諸国が実際に国連安保理で常任理事国を選ぶ際、日本に賛成票を投じたのを確認してから、初めて「援助」を行う、というくらいシビアにやらないといけない。

 一方で、それではあまりに下品だという考え方もあるだろう。日本はなんの見返りも求めず、純粋にアフリカの開発に貢献し、日本が架けた橋の下に「日本のODAで建設されました」と感謝のプレートを作ってもらったら満足すべきだというなら、それはそれで1つの見識である。アフリカ諸国も、日本を「いい国」だと尊敬はしてくれるだろう。

 いずれにしても、なにが日本の「国益」なのかは、外務省ではなく、福田首相が判断することが重要なのである。
・・・・・・・・・・・
>福田首相が判断することが重要なのである

無理かな?


>なにが日本の「国益」なのかは、外務省ではなく、福田首相が判断することが重要なのである

もっと無理かな?


北方領土問題だって、今がチャンスかもなのに。

なんでこうかな。


本当に外交は弱い。

戦略が無いから?

理念が無いから?

カルトに汚染されてるから。

省益のみ考えてるから?

出世主義だから?



政治家がダメだから?





国民が・・・・


最新の画像もっと見る