世の中驚くことばかり! 記事保管倉庫

右も左もあるものか
僕らが見るのは常に上

改めて考える「チャイナリスク」 中国の体制は崩壊する? 欧州危機を救うナイトになる?

2012-02-19 | 国際的なこと
『脱中国論』も残すところあと4回となった。限られた時間とページ数のなかで何を語ったらよいのか、悩みに悩んだ。筆者はテクニカルな問題を要領よく考え、分かりやすく伝えるのが苦手だし、あまり好きではない。それよりも、比較的マクロで大きな課題を、自らの体験を通じて考察し、発信していくのが好きだ。

 これからの4回は、基本に立ち返って、以下の4つのテーマを、読者の皆さんと「今一度考える」作業をしたい。チャイナリスク、中国共産党との付き合い方、中国ビジネスにおける「留学」の必要性と意義、中国人との付き合い方だ。この4つは中国人と付き合う際に、中国社会を理解しようとする際に、そして中国でビジネスをする際に、おそらく死活的に重要である。最後までお付き合いいただければ幸いである。

 第1回目である今回のテーマは「チャイナリスク」だ。

 筆者が見るところ、私たち日本人が直面するチャイナリスクは大きく分けて3つある。1)中国の体制崩壊リスク、2)日本に特有のリスク、3)誤認リスクだ。

 1つずつ見ていこう。

 1)はいわゆる「中国崩壊論」である。速すぎる経済成長。成長が輸出と公共投資に頼りすぎていて、内需が伸びないゆがんだ経済構造。格差。福祉の欠如など、増殖する社会不安。非民主的な政治体制。はびこる共産党員(約8000万人)――為政者に対して苛立つ人民。これらの不安要素が相互に影響しあい、「中国社会はいずれ崩壊するんじゃないか」という感情を煽る。

 さらに、中国社会には言論・情報統制が効いており、真実を知るための情報やデータがなかなか出てこない。仮に出てきたとしても、共産党政権による検閲を経た産物だけに、どうしても「にわかには信じられない」という感覚に陥ってしまう。

 現場に足を突っ込んでウォッチしてきた筆者から見ても、中国という巨人はいまだ不透明で、何が真実で、何が虚構なのかよく分からない。

中国の体制は崩壊するか?

 「崩壊」をめぐる3つの問題を考えてみよう。

 第1に、「中国が崩壊する」とは、何を指すのだろうか。ここでは、前回コラムにおける一節を引いて、以下のように定義したい。

 「民衆が暴力による政権転覆に走って、社会全体がカオス化し、無力化すること」

 共産党政権が定める原理原則(共産党の利益に貢献するものは政策的に歓迎し、そうでないものは暴力的に排除するというルール)によって運営されている中国社会において、8000万人から成り、中央集権的な共産党による統治が機能しなくなることを意味する。

 第2に、中国が崩壊した――共産党政権が機能しなくなった――場合、その先に何が待っているのか。

 筆者にも分からない。中国の国家リーダーにも、世界最強のインテリジェンス集団にも分からないだろう。歴史を振り返れば、その先に待っているのは「群雄割拠による内戦」と言えるかもしれない。だが、時代が異なるだけに何とも判断しかねる。

シナリオを描いてみよう。

 仮に、筆者が定義した崩壊が起こりそうになった時、共産党政権はほぼ間違いなく力による抑圧を試みる。それ以外に手段はないからだ。 “その時”がもたらすインパクトは、1989年6月、物価が高騰し、社会不安が高まる中で、「中国民主化の星」と称された胡耀邦氏の死去をきっかけに起きた天安門事件を上回るに違いない。

 中国共産党が最大の「核心的利益」に挙げる国家の統一も脅威にさらされるだろう。台湾、チベット、ウイグルなど、共産党政権による統治に不満を持つ地域が、利害関係を同じくする外国勢力と結びつき、独立に走るかもしれない。

 しかし、当時、小平氏が実行したような、力による抑圧をもう一度天安門広場で実行すれば、中国に対する国際社会からの信頼は地に落ちる。海外からのヒト、モノ、情報、カネ――経済を構成するすべての要素が中国から逃げていく。国内が混沌とする中で、中国は国際社会から見放される。悠久の歴史、豊富な経験値、膨大な思想体系を持つ「中華帝国」はそれでも生き続けるのだろうが、その先に待っているのは孤立以外の何物でもない。

 第3の問題は、中国の崩壊はあり得るのだろうか、だ。筆者は以下のようにだけ答える。

 あり得る。

反日感情に由来する日本に特有のリスク

 次に、2)の日本に特有のリスクについて考えよう。中国市場におけるジャパンリスクである。1つ目として取り上げた「崩壊リスク」が、国際社会が全体として向き合うリスクであるのに対し、こちらは日本企業・日本人だからこそ抱えるチャイナリスクである。

 筆者はこの問題に対して、当事者意識を持っている。筆者自身が、日本人として中国社会で勝負してきたからだ。「加藤嘉一」という海のものとも山のものとも分からない“商品”を、広大で不透明な中国市場に売り込み、ブランドを確立するのに、それなりに苦労した。

 得体の知れない巨人と勝負するために、筆者は以下の力を育成すべく、己をいじめ続けてきた。人間力、突破力、体力、スピード、決断力、知識・教養力、語学力、コミュニケーション力、バランス感覚、情報収集力(インテリジェンス)、政治洞察力、国際的視野、市場予測力、中国人理解、メディアとの関係、共産党当局との距離感、リスクを取る勇気。そして、両親から授けられ、筆者が唯一自信を持っている才覚――気合、である。

 日本人だからこそバッシングされる。日本人だからこそ槍玉に挙げられる。日本人だからこそ排除される。この10年を振り返っただけでも、日本人が、日本企業が、日本政府が中国国内で幾度となく直面してきた問題だ。

 いわゆる「反日感情」がその根底にあるのは間違いない。共産党政権による教育環境――愛国心強化を目的としており、結果的に反日になる――はいまだ続いている。2007年末に起きた中国冷凍毒ギョーザ事件や、2010年9月に尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事件など、昨今の日中関係を巡って、中国の国民感情は複雑なものになっている。突発的な事件がひとたび起きれば、中国人民の「反日的ナショナリズム」は一気に高まり、対日世論は硬化する。健全な政策を実行するための環境が失われてしまう。感情的になったヒト・情報の荒波の中、日本人が、日本企業がどのように行動すべきかを考えるのはとても難しい。

 「そんなバカなことがあるか。中国となんか付き合っていられない」と思うのなら、今すぐ撤退すればいい。すべての人間に「中国撤退」を決断し、実行する権利がある。ただ、実際に現場で中国人と付き合ってきた筆者から見ると、中国経済はまだまだ未成熟で、あらゆる投資と改革を必要とする。その市場における需要は「未完の大器」とでも言うべき存在だ。沿岸部から内陸部、東西から南北、都市部から農村部まで、お金を使いたくてたまらない人たちがゴマンといる。

 中国人の消費欲はアメリカ人のそれに勝るとも劣らないと筆者は考えている。人民たちは使わないのではない。使えないのである。なぜなら、お金がないからだ。将来が不安だからだ。国家の富が国民に対して公平に再分配されない。社会保障体制が極めて貧しい。不満が鬱積しても、それを政策に反映させる手段が欠落している。これらの制度的背景が徐々にでも改善していけば、中国人の消費欲は断然向上すると筆者は確信している。

 ただし、前提がある。国民の収入を増大させる、社会保障を充実させる、言論の自由を確保する、などといった社会的改革が実施されることである。これらについて、筆者は慎重にだが、楽観視している。

国家資本主義は、経済危機を生き抜く術か

 3つめの誤認リスクとは、中国の台頭をどう認識するかというリスクである。筆者がここで考えたいのは、チャイナリスクをきちんと、正確に認識できていないと、中国市場との付き合い方を誤ってしまうのではないか、という問題だ。筆者はこれを「中国問題における誤認リスク」と名づけている。

 チャイナリスクは、私たち日本人にとって他人事ではない。現在、中国では約3万社の日本企業がビジネスをしている。毎年約350万人の日本人が中国大陸へ渡航している。日本の対外貿易における対中依存(香港、台湾、マカオ含まない)は20%を超える。中国と日本は、多くの思想や文化を共有する隣人であり、最大の貿易パートナーである。日中貿易額は年間で3000億ドルを超えている。

 グローバリゼーションが叫ばれて久しい。日系アメリカ人学者のフランシス・フクヤマは、冷戦の崩壊を「The End of History」と形容したが、歴史は終焉しなかった。ソ連は解体したが、社会主義は崩壊しなかった。それどころか、アメリカ発の金融危機や欧州発の財政危機が短い周期で発生する“危機の時代”において、社会主義市場経済を掲げる「中国モデル」が、一定の支持を得るようになった。特に、新興国からの支持は強い者がある。フクヤマ氏自身も、当初の見解に若干の修正を加えたようだ。中国の発展とそれを支えるモデルに対し、かつてより大きな理解と敬意を示している。

 英エコノミスト誌は2012.1.21-1.27号において、「The Rise of State Capitalism―The Emerging World’s New Model」という特集を掲載した。「国家資本主義の台頭」に注目したものだ。中国、ロシア、ブラジル、アラブ諸国においては、政府が市場に密に干渉する。あるいは、官・民が連携して、国家の発展に深く関与する。国営の「戦略的産業」(エネルギー、通信など)が経済成長を引っ張る。エコノミスト誌が、国家資本主義体制に批判的であるものの、一定の評価を与えていた点が、筆者にとって印象的だった。

 国家資本主義体制においては、国営企業が市場を独占する。政府からの政策的支援や銀行からの融資も独占的に享受する。他方、経済・社会の長期的発展に必要な、民間によるイノベーションは著しく抑制される。国家資本主義は、欧米諸国がソブリン危機に直面するなか、新たに台頭する成長モデルとして注目を集めている。

 21世紀前半の国際政治経済を象徴する1つの側面が「中国に依存する世界と、世界に依存する中国」ではないだろうか。「両者」にとって、お互いが不可欠な存在、すなわち、運命共同体だということだ。先進国である欧米が危機を創りだし、途上国である中国に助けを求める「曲がった時代」に世界は突入している。

アリとキリギリス

 1月下旬から2月上旬にかけて、筆者は財政危機の“総本山”で、豪雪に覆われたギリシャを視察してきた。国家経済がデフォルト寸前にある。世界同時恐慌の原因にすらなり得ると、世界中でこれだけ騒がれているのに、アテネ市民は平日・週末を問わず、昼間から暢気にビールやワインを飲んでおしゃべりしていた。

 ある日の夜、レストランで知り合った男性と夜中の1時まで飲んだ。陽気な彼は帰り際に「バイバイ、ジャポニカ!!」と笑顔を振りまいてくれた。1分後、彼はお気に入りだという車に乗りこみ、かなりのスピードで狭い道を闇の中へと消えて行った。「ホテルまで送ってあげようか」と提案されたが、丁重に断った。

 アテネで過ごした数日の間、人々の暮らしから危機感は微塵も感じられなかった。

 一方、危機を打開するホワイトナイトとしての役割が期待される途上国・中国の国民は、平日・週末、昼・夜構わず、必死に働いている。明日が見えない中、今日という日を死にもの狂いで生きている。そういう人たちの納税によって成り立つ中国政府が、暢気で豊かに暮らすギリシャを、そして欧州を救うだろうか。

 2月14日から北京で開催が予定されているEU(欧州連合)・中国首脳会議において、胡錦濤・温家宝両氏はどのような決断を下すのであろうか。注意深くウォッチしたい。

チャイナリスクに答えはない

 チャイナリスクの議論をしてきた。

 仮に中国が崩壊した場合、「中国と世界の相互依存」という基本的構造が根本的に変わる。さて、私たちは未来をどう予想し、行動すべきなのだろうか。チャイナリスクを時代や環境の変化に即した形で認識するための努力を怠ってはいないだろうか。ただ感情的に反応する――という非生産的な悪循環に陥ってはいないだろうか。仮に陥っているとすれば、それ自体が、私たちが中国と向き合い、付き合っていくうえでのリスクになる。

 準備はできているだろうか。自分たちに反省すべき点はないのだろうか。ここから先は、読者1人ひとりが考えるべきテーマである。筆者は多くを語らない。

 1つだけ言えることは、唯一の解は存在しないということだ。今日の理解は、明日には誤解に変わるかもしれない。今日の誤解が明日の理解につながるかもしれない。

 現状が行動を生むのではない。現状に対する認識こそが行動を生むのだ。

最新の画像もっと見る