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2007-02-13 | 世の中のこと
漂流74時間、奇跡の生還 水かき出し続ける 漁船救助
2007年2月13日 ASAHI.COM

 「寒くて死にそうだった」――。宮崎県・都井岬沖。救命ボートで冬の海を3日間漂流していた3人が12日、無事救助された。日向市漁協所属のマグロはえ縄漁船幸吉(ゆきよし)丸。3人は体を寄せ合い、眠らずに水をかき出しながら助けを待った。無事を祈り続けていた家族らは、「地獄から天国に昇る気持ち」と喜んだ。ベテラン漁師の漁船に当て逃げしたという「白い大型船」はどこに消えたのか。
 「ドーン」。幸吉丸に衝撃が走ったのは9日午前10時ごろ。はえ縄を海に入れ、朝食を済ませた後で、是沢幸広船長(48)は船橋に、山中道夫甲板員(56)は食事の片付け、カメラマンの林洋平さん(29)は船内の部屋でカメラの手入れ中だった。それから3日、救命ボートで海を漂い、12日午後0時半すぎ救助された。
 3人が収容された宮崎大付属病院では寺井親則救急部長らが12日、記者会見。同部長は「寒さにもよるが、食べ物もなく救助が2、3日遅ければ危険な状態だったのでは」と話した。
 是沢船長らから聞いた話では、右舷の中央付近に大きな船が衝突。すぐに船内に大量の海水が入ってきた。是沢船長と山中甲板員が救命ボートを準備し、3人で飛び乗った。その間、約5分。大型船はそのまま北東に去っていったという。
 ボートは6人乗りだが中は狭く、3人とも正座のようにひざを曲げて過ごした。そのうえ9日夜に底に10円玉大の穴が二つ開き、漂流中ずっと水をかき出し続け、ほとんど眠れなかったという。この作業で両手の指がはれた。
 食料は、6切れあった乾パンを分け合った。飲み水のペットボトルが2本あったが、「寒くてほとんど飲まなかった」。
 幸吉丸が所属する日向市漁協は、昨年7月末に海難防止講習会を開催。海に救命ボートを浮かべ、海中で乗り込む練習もしていた。是沢船長も参加していたという。寺井救急部長は「3人とも冷静な対応をしていたと思う」と語った。
 種子島測候所などによると、種子島での9~12日の気温は10.0度~19.4度で推移。平年よりやや暖かかったが、海域では秒速8~10メートルの風が吹いており、体感温度は数度下がるという。
 生還した1人は医師の診察に、「12日の朝は寒くて死にそうだった」と答えた。救助された巡視船では、おかゆを食べ、風呂に入って体を温めたという。
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えらい!!!

これぞ大和魂だ。

絶対生きて帰る。

どんなに辛くても頑張る。

えらい!!!


頑張るって尊いよ。

生きてるって、それだけで有り難いよ。



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