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路上の宝石

日々の道すがら拾い集めた「宝石たち」の採集記録。
青山さんのダンスを原動力に歩き続けています。

◆東京キューバンボーイズ

2006-09-04 22:30:51 | テネシー・ワルツ 江利チエミ物語
昨年、『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』初演版に、青山航士さんが出演されることを知って、私が購入したチエミさんのCDというのが、「SP原盤再録による江利チエミヒットアルバム」というシリーズでした。音質的に「レトロ」な感じはあるのだけれど、チエミさんの歌というのは、なんか古くない、それどころか、1曲1曲聴くごとに、「こんなふうにジャズを歌う人が、50年前の日本にいたんだ」という驚きとよろこびに包まれていったことを今でも覚えています。それまでも、エラ・フィッツジェラルドやジョー・スタッフォードの歌声が好きでジャズはよく聴いていたり、「テネシー・ワルツ」という曲だって、パティー・ペイジのものがお馴染みだったし、ホリー・コール・トリオの歌うその曲は、その昔結構お気に入りだったりしたのですが、「江利チエミ」という「歌手」の存在は、私のなかには何故かほとんどなかったような気がします。だから「こんなふうにジャズを歌う人」というのが、記憶の中の「麦茶のCMのおばさん(失礼な言い方ですが、小学生当時の私の記憶の中ではそうなのです)」と結びついたときには、ちょっとした衝撃でした。同時にそんなチエミさんをそれまで知らなかった自分に対してもちょっとショックでした。

それ以来、『テネシー・ワルツ』の公演期間中は勿論、期間外のときも、このCDをかけて江利チエミさんの歌声を楽しんでいます。「テネシー・ワルツ」、「家へおいでよ(カモンナ・マイ・ハウス)」、「サイド・バイ・サイド」など、舞台『テネシー・ワルツ』でもお馴染みの曲がたくさん入っているCD(vol.1)もよいのですが、私のイチオシは、vol.2のCD。こちらに収録されている曲は、ラテン・ナンバーが多く、vol.1とはまた違ったチエミさんの魅力を楽しめます。舞台『テネシー・ワルツ』でいづみさん(絵麻緒ゆうさん)が歌っている「スウィート・アンド・ジェントル」も、こちらのCDではラテンな編曲がなされた演奏で、またちょっと曲のイメージが変わります。そしてこのラテンなチエミさんの魅力を引き立てているのが、バックで演奏をしている「東京キューバンボーイズ」というバンドです。ラテンな曲をあんなふうに歌いこなすチエミさんも素敵なのですが、それと同じぐらい心ひかれるのが、この東京キューバンボーイズの演奏なのです。

江利チエミさんのバックバンドとしては、「原信夫とシャープス&フラッツ」(先日放映された「たけしの誰でもピカソ」にもリーダー原信夫さんがインタビュー映像で御登場でした)とこの「東京キューバンボーイズ」が双璧だったようです。見砂直照がリーダーとなって、1949年に結成されたこのバンドも、シャープス&フラッツと同様に、進駐軍クラブで演奏していたとのこと。当時のアメリカのポピュラーミュージック界では、ペレス・プラードによってマンボの旋風が吹き荒れていたそうです。このようなアメリカ文化の影響下にあった1950年代の日本でも、ラテン音楽が一般にかなり浸透、マンボ・ブームが席巻していたのだそうです(ペレス・プラード楽団も1956年に来日しているそうです)。この「マンボ」な流れに乗って、美空ひばりさんの「お祭りマンボ」(S27)、そして江利チエミさんの数々のラテンのカヴァー曲も誕生したのだとか。実際に、今回ご紹介したCDのvol.2に収録されているチエミさんのラテンナンバーも、東京キューバンボーイズの演奏をバックに、昭和30年代前半に発売されたものばかりです。(一説によると、ひばりさんの「お祭りマンボ」も東京キューバンボーイズの演奏なのだとか)そしてこの東京キューバンボーイズは、1950年代から、日本の民謡のラテン編曲というのも行っているようです。「サンバ・ソーラン」なんていうタイトル見ちゃうと、聴いてみたくなりますね、どんなノリなのでしょう。江利チエミさんのファンの方のページによると、そんな東京キューバンボーイズの存在が、どうやらチエミさんの民謡路線にも少なからず影響を及ぼしていたようです。

そしてこの東京キューバンボーイズのピアニストだった「内藤法美さん」という方こそが、「チエミさんの初恋の人」と伝えられる方だったのですね。以前からよくテレビなどで、越路吹雪さんのご主人のことなど取り上げられているのを、何度かそれとなく見たことがあったのですが、チエミさんとも関わりのある、この方のことだったのか、と今更ながらに自分のなかでつながりました。『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』の劇中でも、チエミさんの母親代わりのような存在だった清川虹子さん(弓恵子さん)の、当時を振り返る台詞に、その初恋の相手は、「コウちゃん、越路吹雪さん」と一緒になっちゃったけどね・・・、というところがありました。(第4場の「スウィート・アンド・ジェントル」の直後です。)原作本である藤原佑好さんの『江利チエミ物語』にも、そのあたりのエピソードがいくつか紹介されていて、興味深いです。チエミさんは、内藤さんに「なんでこの音がとれないんだ」と叱られると、涙をためながら、すぐにポーッと顔を赤らめた、のだそうです(115頁)。それから、チエミさんのショウには欠かせない存在だった中野ブラザーズを見初めたのは、東京キューバンボーイズのリーダーである見砂直照さんだったそうで、チエミさんと中野ブラザーズのステージでの共演はそれから始まった、という話もありました(126頁)。中野ブラザーズは、チエミさんの内藤さんに対するこの恋心を知っていたのだそうです。

『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』は、1950年代初頭から1980年代後半までの35,6年の歳月をチエミさんの生涯を中心に描く作品です。印象的な台詞やシーンの設定などを「作品」の一部として楽しむ、これこそ観劇の一番の楽しみと言えると思います。けれども、江利チエミさんに関しては全くの初心者である私のような者にとっては、藤原佑好さんの原作本や、チエミさんのファンの方々のサイトの記事などを読ませていただくことによって、そんな台詞の行間に隠れていることや、シーンの背景にあるもの、つまり舞台ではすくいきれなかった様々な事柄が見えてきて、チエミさんというひとの存在と彼女が生きた時代というものがより身近になる気がします。藤原佑好さんの原作本『江利チエミ物語 テネシー・ワルツが聴こえる』は、昨年の初演時には、検索しても在庫がないということが多かったのですが、今回の再演に合わせてなのか、再編集して発売されたようです。今回の公演の劇場でも、パンフレットのコーナーなどで本体価格1800円で販売されていました。

子供と一緒にテレビなど見ていると、ラテンな編曲を施した音楽にふれることも最近は多いです。青山航士さんがレギュラー出演されていた「うたっておどろんぱ!」(現在は「うたっておどろんぱ!プラス」として放送中)にも、サンバ的な「カレーなる世界」、それから「おどろんマンボⅡ」なんていう、ラテンなノリの名曲がありました。それからさきほど言及したペレス・プラードから、「たこやきなんぼマンボ」(「おかあさんといっしょ」の数年前の曲)の作曲者であるパラダイス山元さんは、かの有名な「ア~ッ、ウッ」のマンボ特有の掛け声を、直々に伝授してもらったのだそうです。子供たちが何だかああいうノリが好きなのも、決して昨今のワールドミュージックブームのせいだけなのではなくて、東京キューバンボーイズが演奏し、江利チエミさんが歌っていた「あの頃」の文化的な遺伝子というものが、どこかで受け継がれている結果ということなのかもしれません。ちなみに「たこやきなんぼマンボ」世代であり、昨年の夏「おどろんぱ!」で「カレーなる世界」に出会ったウチの二人の息子(7歳と6歳)は、チエミさんのCD、vol.2の「スコキアン」と「シシュ・カバブ(串カツソング)」が1年前からかなりのお気に入りです。

◆「お祭りマンボ」!!!

2006-08-30 22:50:14 | テネシー・ワルツ 江利チエミ物語
『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』、最初のダンスシーンは、第1幕第4場、ひばりさんを演じる剣幸さんが歌う「お祭りマンボ」のシーンです。この曲の冒頭、お馴染みのイントロが始まると同時に、青山航士さんは、阿部裕さんと二人でお神輿を担ぎながら下手より登場します(前の持ち手担当)。昨年の演出では、曲の最初からお神輿は登場しなかったように記憶していますが、今年は曲のはじめと、終わりに近づいたところで、このお神輿が登場します。青山ファンとしてはどうしても、時間が許す限りビシバシと動きまわって踊る青山さんを期待してしまうところがありまして、お神輿を担いで動きに制限が出てしまっている、この状態が昨年よりも長い、ただそれだけのことで、「ダンスの分量が少なくなった!」と子供のように駄々をこねてしまうところがあるのです。(自分で自分のことをしょーがないなーと思っています~)でも、このお神輿を担いで登場してくる青山さんがまた素晴らしいのです!以下とてもオタク的見解ですので、ご容赦を・・・。

実際あのお神輿にどれぐらいの重さがあるのか、私にはわかりませんが、前の持ち手2本を肩に乗せて掌でしっかりと握っているために、上半身の動きには「制限」がつき、上体はほとんど動いていません。一見すると、まわりで踊っている他の方々のようにいわゆる「ダンス」をしているという印象はなく、お神輿の運び役のように見えてしまいます。しかし、そこは青山さんです。私は思わず青山さんの足元とお顔の表情に眼を奪われました。以前よりファンの間では、青山さんの足元、とりわけ爪先、甲、足首からふくらはぎの美しさと、その表情の豊かさは話題になっているところですが、ここではまさにその足元の表情というものが本当に素敵です。お神輿をワッショイ!とやるときのステップ、皆様も何となくイメージとして、頭の中にあると思いますが、あのときの足元の動きを、見事にこの曲のリズムに乗せて、「踊りのステップ」としてみせているのです。「おどろんぱ!」の「三忍者 誕生」でも「忍び足」の接地感覚を見事に舞にまで昇華していたり、同じく「三忍者 疾走」でも疾風(はやて)のような走りを、見事にあのロック調ギター音がうなるバックミュージックに乗せていました。最近では、「おどろんぱ!プラス」で「だれかがよんでるよ」の「みずたまり」を表現するステップなど、とても素敵でしたよね。それから『グランドホテル』の「共にグラスを」のシーン、音楽が流れるなか、青山さんはトレーを持ってホールを歩きまわります。ホールを歩き回るだけなのだけれど、そこには「音楽」があるんです。なんだかトレーを持って歩き回る青山さんが、シーン全体の調子を整える指揮者のように見えたのを覚えています。「歩く」だけなんだけれど、「共にグラスを」のあのシーン全体の調子を整えるような感じに、「お祭りマンボ」のお神輿を担ぐ青山さんの感じは重なります。お神輿を担ぎながら中央でステップを踏むだけなのだけれど、その足元が床から小気味よく跳ねる様子、そして中央のひばりさんのそばでお神輿を担いでいるあのお顔の表情が、冒頭からもう「水もしたたるいい男!(昨年もへーまさんと話題になりました)」なのです。血気盛んな「チャキチャキ江戸っ子」ぶりが、場面を盛り上げています。

こういう例からもわかると思うのですが、もともと日常生活のなかにある「歩く」、「走る」といった動作を、踊りとして、あるいはそこまでいかなくても振りとして音楽にのせてみせる場合、ダンスの動きとしては地味な動きに見える、あるいはダンスに見えないということもあるのかもしれません。しかし、青山さんが「歩く」、「走る」という日常的な動作を前提としている振りを見せてくれるとき、それは床と足元との非常に豊かな関係性を堪能できる絶好の機会でもあります。青山さんはどんな音楽にも見事にのることができる、このことはもうファンの間では常識ですけれど、床との関係性もああやって表情豊かに無数のバリエーションで魅せてくれる青山さんは本当にスゴイ!私自身は踊る人ではないので、ただ想像してみるだけなのですが、ダンサーにとっては、音楽と同じぐらい、床との関係の持ち方って、奥深いものなのでしょうね。「変幻自在」、この言葉、青山さんを語るときに私はよく使う言葉なのですが、床と足元、その部分だけを切り取ってみても青山さんは変幻自在です。

この「お祭りマンボ」での青山さん、歌詞にもある「ねじりはちまき そろいの浴衣~♪(ここでは「ハッピ」です)」じゃないですけれど、はちまきにハッピ、半股引(でも実際は白のピタピタスパッツ)、足元は白い地下足袋というお衣裳。イメージ的には、「おどろんぱ!」の「オーレオーレオーレ」の音頭シーンを思い出していただければいいのではないかと思います。お神輿を置きに行って、いよいよ本格的に群舞の輪に加わりますが、ここでも足元、そして手・腕の動きに注目です。衣裳のイメージとしては「オーレ×3」でよいと思うのですが、同じハッピ姿でも「オーレ×3」と「お祭りマンボ」とでは、動きの雰囲気は全く違います。「オーレ×3」や「チャレンジダンス」の「音頭篇」では、ぐっと重心を下に落としたような蟹股(へーまさんおっしゃるところの「プリエ」)の端正さが印象的ですが、こちらの「お祭りマンボ」では終始床とはじけあっているような軽やかさが印象に残ります。それに合わせて頭上でテンポよく繰り返しひるがえされる掌の動きの鮮やかでなめらかなこと!先日の「踊り隊」のギャグの中でも、笑いをとりながら「佐渡おけさ」のところで掌の動きが入りましたよね。ああいう和のテイストの動きも、青山さんの本領の発揮されるところでもあります。

・・・と今回は、「歩く」、「走る」という動作にこだわって書いてみましたが、これらの動作に限らなければ、青山さんのダンスにある床との豊かな関係性は、曲の数だけ、いやフレーズの数だけ無限に広がっていくような気がします。「おどろんぱ!」だけでも、風にひらひらと舞う「おちば」を繊細な片足先の動きだけで表現したり、「鶴」の生命感あふれる一瞬の跳躍を見事に写し取ったり・・・、と枚挙に遑がありません。青山さんが魅せてくれる足元の豊かな表情といったら・・・。だからこそっ、「おどろんぱ!プラス」の「行進曲風ステップ」が定番になりつつある昨今、ファンとしては、どうしても・・・。青山さんが魅せてくれる、足元と床の豊かな関係性、これが恋しくなります。言ってるそばからもう「駄々こね」が始まってしまう、まったくもってしょうがない私です・・・。

◆「夢」って・・・

2006-08-29 03:34:08 | テネシー・ワルツ 江利チエミ物語
My楽日から2日経って、まだまだ「夢」を見ているような状態ですが、昨年の初演に引き続き、今回の再演版『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』からも、熱い感動と夢のような時間を、たくさんいただいてきました。昨年の初演から1年経っての今回の再演、細かい演出の変更などあり、印象など変わった部分もありましたが、「再演」っていいな、そんなことを今確かに感じています。公演パンフレットに寄せられた脚本の山川啓介さんのお言葉に、「多くの人たちの目に、耳に触れることで作品は磨かれ、成熟してゆきます」とあります。つくりて側に流れた時間を感じると同時に、観る側においてもそれなりに作品を受け止めるための時間が熟していき、ひとつの作品というものも膨らんでいくものなのだなあと感じています。

作品に関しても、素晴らしいキャストの方々に関しても言いたいことはたくさんあるのですが、まず青山航士さんのファンとしては、なんと言っても終盤の「エル・クンバンチェロ」!演出は昨年の初演から若干変化した部分があり、最初は戸惑いましたが、非常に密度の高い、青山さんならではの筋力と技術、そして表現力が結集したようなダンスが観られることには何ら変わりはありません。「キャリオカ」とはまた違うラテン的なセクシーさのなかで展開する完璧なダンスを心ゆくまで堪能することができました。冒頭の「出の回転ジャンプ」、「(通称)イナバウアー」などなど、思わず息を呑むような動きには、ファンでなくとも心奪われること必至ではないでしょうか。初日の「明治座公演」では、私の耳にどよめきが聞こえました。このシーン、やはりこのミュージカルの最高の見せ場であることは確かですし、「今の青山さん」がこの曲をこんなふうに踊っているのを観られることは、ファンとして本当に幸せなことだとしみじみ思います。初めてご覧になるファンの方は、どうぞ心と身体の準備を!やはりこういう曲を踊る青山さんが、ますます魅力的になっていることは間違いなしです♪昨年の初演版『テネシー・ワルツ』以降、『グランドホテル』、『ビューティフルゲーム』と舞台をこなされている青山さんですが、ダンスのクオリティーは勿論、その素晴らしいダンスに加えられる表情(お顔のだけではなく、身体全体の)というものが、やはり昨年の初演時に増して、圧倒的な魅力を放っているように見えました。エネルギーを溜め込んで、一瞬のうちに発散させる・・・、強烈なラテンの曲に乗せて、そんなエネルギーの流れのようなものを青山さんの身体は放ち続け、観る者を陶酔と興奮の坩堝(るつぼ)へと引き込みます。そして空気と大地を揺さぶるようにたたき出されるリズムに、こちらの身体も共振せずにはいられません。獲物を捕らえるかのような鋭いまなざしがあるかと思えば、ひたすら音楽の快感に身を任せてゆくかのような恍惚の表情。そして音楽の律動に揺れる大気を制するかのような鋭い手・腕の動き、さらに大地のうねりを吸い上げるかのような素足の動きがあるかと思えば、熱い空気にその身を溶かしてゆくかのように見事なバランスを保ちつつ魅せる究極の動き。最後は、渾身の歌声を響かせる中央のチエミさんに向けて力強く差し伸ばされる腕が、彼女の運命を語りつくしているかのようです。身体を風のように翻して回転跳躍しながら消えてゆくと、そこにはすべてが終わったことを予感させる何かが残る・・・。この他挙げたらキリがありませんが、どれをとっても完璧すぎます。

「エル・クンバンチェロ」は、あれほどの波乱に富んだ人生を、常に自分の足で一歩一歩踏みしめるようにして生きながらも、スゥーッと「陽炎(かげろう)」のように姿を消してしまった江利チエミさんという人の生のあり方を象徴するものとして、観る者の心を揺さぶるシーンでもあります。このシーンも含む「さよなら日劇」のダンスシーンは、実際の「日劇のサヨナラ公演」をイメージさせるものでもありますが、どこか「夢」のなかでの出来事のような雰囲気が漂います(実際の「日劇のサヨナラ公演」では、チエミさんはいづみさんの歌う「サイド・バイ・サイド」のコーラスをしているのだとか)。このシーン冒頭、青山さんたちが演じる日劇ダンシングチームのダンスも、それまでの他のダンスシーンと比べて、夢のなかへと導きいれるような雰囲気をかもし出しています。そして「サイド・バイ・サイド」を経て、青山さんが踊るこの怒涛の「エル・クンバンチェロ」によって、チエミさんが生きた「証」のようなものが、「確かにそこにあったもの」として観客の心に焼き付けられるような気がするのです。その一方で、このシーンの激しさゆえに、ダンサーたちが跡形もなく消えていった後では、「確かにそこにあったもの」、つまりチエミさんと同時代の人々が共有した何かが、夢から覚めるように、ふと消えてしまうような感覚にとらわれます。「夢の跡」のような風景が観客の心に刻み込まれるのです。そしてこれに続く最後のシーンで、チエミさんを自宅まで送りに来た、白髪の混ざったマネージャー「園ちゃん(上野聖太さん)」の、「わたしも楽しかったよ」の一言とチエミさんの背中に向けられるまなざし・・・。彼のこの台詞とまなざしには、長年付き添った一個人としてのマネージャーの気持ちが重ねられているだけではなく、チエミさんとともに生きた人々の想いが重なるような気がするのは私だけでしょうか。

「夢」が去った後、残るものは、「陽炎(かげろう)のようなはかなさ」だけなのでしょうか。青山さんがその身体で強烈に観客の心に刻み付けた「確かにここにある」という感覚。あの場で眼の前にいた踊り手が身体によって、そこにいる者に伝えたあの感覚は、「江利チエミ」という歌手が確かにいたこと、そして「江利チエミとともに生きたという確かな記憶」というものを、時空を超えて観客の心に呼び覚まし、焼き付けている、そんなふうに思います。「夢」って、どんなものだろう?『テネシー・ワルツ』を観ていると、考えます。歌詞にも台詞にもキーワードのように出てくる「夢」という言葉ですが、その言葉の意味するところ、私にはやはりダンスで伝わってくるような気がするのです。「はかない」、「今もうここにはない」けれど「確かにあった」というこの感覚、江利チエミさんが最後、自分のなかにある思い出に吸い込まれるようにして始まる、一連のあのシーンを通して、観客の心の中に湧き起こるような気がします。「チエミにとって舞台の中で自分を燃焼することが生きがいだった」、藤原佑好さんの『江利チエミ物語 ~テネシー・ワルツが聴こえる~』にある一節です。私にとっては、「夢」の時空間である劇場という磁場の醍醐味を気づかせてくれたのが、青山さんです。劇場を後にしたあとの「今はもうここにはない」けれど、「確かにあった」という感覚、チエミさんとともに時を過ごした方々の想いと完全に重なるわけではないのは十分わかっているけれど、青山さんのダンスを観ていると、そんな方々の想いになんとなく近づけるような気がしました。

◆『テネシー・ワルツ』観劇4回目レポ(埼玉公演 彩の国さいたま芸術劇場にて)

2006-08-27 02:53:08 | テネシー・ワルツ 江利チエミ物語
本日18時開演の『テネシー・ワルツ』、埼京線に乗って行って参りました!彩の国さいたま芸術劇場に行くのは、今回が初めてだったのですが、776席と座席数も少なめで、舞台との距離もとても近く感じられました。しかもとても現代的な建築で、ホールの雰囲気もよかったです。ダンス公演がよく行われるみたいですが、確かにここでコンテンポラリーの作品など観てみたいと思いました。舞台の端から端までの距離も、「明治座」などと比べるとそれほど長くもない、しかし幕が開くと奥行きが感じられる、そんな感じでした。客席は、明治座、町田市民ホールに引き続き、満席、熱気に溢れていました!私にとっては、今日の公演がとうとう最後の鑑賞だったのですが、江利チエミさんという人の、そして彼女と同時代に生きた人々の物語に、そして全力疾走の青山航士さんのダンスに完全燃焼してきました。たくさん言いたいことがあって、何からお話したらよいのか、収拾がつかない状態です。

もうかれこれ2時間ほどPCの前に向かって、あれやこれや、カチカチとキーボードを叩いているのですが、あまりにも収拾がつきそうにないので、しばらく(約1日ほど)漂って、また戻ってまいります~。19日の明治座公演から始まり、たくさんの素敵な「夢」を見せていただきました。この「夢」のなかで少し漂わせてください・・・。青山さんは今日も素敵でした~、もう今日はこれ以上、言葉が続きません・・・。
完全に「祭りの後」症候群です。(レポになっていなくて、申し訳ありません~)

◆『テネシー・ワルツ』観劇3回目レポ(町田公演 町田市民ホールにて)

2006-08-24 02:37:49 | テネシー・ワルツ 江利チエミ物語
本日18時30分開演の部、小田急線に乗って行って参りました~♪今日の「町田市民ホール」ですが、「明治座」とはまた劇場の雰囲気も異なり、リラックスした感じで、「笑うところで笑う」お客様がかなり多く、なんだかほんわりとしてとてもよい雰囲気でした。出演者の皆様、スタッフの皆様は、公演ごとに異なる劇場での上演準備、環境も異なって、きっと様々なご苦労もおありかと思いますが、観客としては、そんな会場による客席の雰囲気の違いも結構楽しんでいたりします。話は戻って、『テネシー・ワルツ』では、東京の下町育ちのチエミさんのキャラクターを島田歌穂さんが、とても温かい感じで演じておられますが、そのこととも関連して、劇中にはユーモアに富んだ、客席の笑いを誘うくだりがかなりあるのです。登場人物の演技だけではなく、時代背景を映し出すスライドの写真などにも、ユーモアが感じられるところがあって、このことが、特にチエミさんの苦悩の人生を描く第2部などにおいては、「懐かしさ」の演出とともに、観客の感情の緩衝材的役割を果たしているのかもしれません。また今年の再演に新たに出演されている阿部裕さんの演じられる、「豪ちゃん(高倉健さん)」のシルエットからは、とても人間味が感じられ、チエミさんが「ひとりの女性」として過ごした時間が、昨年よりももっと身近に感じられるような気がします。「唐獅子牡丹」の昨年とは違う演出も、健さんとのすれ違いの生活から来る孤独感というチエミさんの心象風景を、象徴的に見せるひとつの仕方としては、納得がいきます。そして今回さらに印象に残るのが、「ひとりの歌手」としての江利チエミに、また様々な苦難のなかで懸命に生きる「ひとりの女性」としてのチエミさんに、折にふれてさりげなく寄り添っていた、中野ブラザーズの存在です。チエミさんが本音を漏らすようなときに、いつもさりげなく現れる彼ら。そんな彼らとチエミさんが、最後に歌って踊る「サイド・バイ・サイド」は、今回の再演で、私が個人的に一番「チエミさんらしいのではないか」と感じるシーンで、しかも一番熱いものが込み上げるシーンでもあります。

さて、今日の青山さん、・・・何と言ったらよいのでしょうか。(今PCの前でかなり困っている私・・・)困ったときは、へーまさんのお言葉をお借りすることにして、最初から最後まで「黄金比」のようなダンスでした~♪私なりに「黄金比」を拡大解釈して、「これしか(これ以外は)ありえない」っていう動きです。へーまさんの「黄金比」についてわからない方は、こちらの左下のBookmarkからへーまさんのPlateaに行かれて、出演作イラストの「エル・クンバンチェロ」をご覧ください。勿論、初見も2回目も素晴らしくて、毎回感動して帰ってきているのですが、青山さんの舞台は、いつも言っているように観るたび毎に「最高が更新されてゆく感じ」なのです。ゆえに、どうしても「劇場通い」がやめられなくなってしまいます。「これしかありえない」という精緻さを極めた動きなのに、そこにはエネルギーがこぼれ落ちんばかりに充満している、とにかくそんな動きでした。「アクセル踏みながらブレーキを踏む、ブレーキを踏みながらアクセルを踏む」そんな相反する方向に働く力がギュッと一点に集中して、1コマ1コマを連続させてゆくような、そんな感じです。各シーンについて話し出したらキリがないので、これぐらいにしておきますが、とりあえず「エル・クンバンチェロ」は、私がああだこうだ書くより、じかに体験していただくしかない、ということです。昨年の初演を観ていたとしても、やはりこうやって「今の青山さん」があの曲をああやって踊っているのを観てきてしまうと、あの体験を言葉に置き換えるには、かなり時間がかかりそうです。ちなみに今日の「町田市民ホール」は、「エル・クンバンチェロ」の冒頭、青山さんの「出の回転ジャンプ」での照明が、「明治座」に比べてよいな~、と思いました。初見のときの私の「ダンスの分量少ないかも」発言は、回転跳躍する青山さんの全身を照らしきれていなかった(あの鋭い爪先を照らしきれていなかった)「明治座」の照明への不満に30パーセント位を負っているのかもしれません。しかし、今日はあの完璧なフォルムをこころゆくまで堪能できて大満足でした。

ところで余談ですが、今日劇場に行って、舞台に現れた青山さんのお顔を拝見し、いつもに増してさらに麗しい~、明治座のときとちょっと違うメイクかしら?という疑問が一瞬私の心の中をよぎりました。帰宅して、神崎順☆様のdiaryにお邪魔したところ・・・、やはり神崎順☆様マジックによるものだったのですね、スバラシイ~。20日付けのお帽子・サングラス・神崎順☆様ジャケット姿といい、今年もファンは心弾む楽しい日々を送らせていただいております。(ああいう帽子を被った青山さんを見てしまうと、私などはますます「フォッシーを踊る青山さん」妄想をふくらませてしまいますが・・・)

興奮気味の乱文ですが、今日はこれぐらいに・・・。この興奮をとりあえず、送信・・・。

◆『テネシー・ワルツ』観劇2回目レポ(東京公演 明治座にて)

2006-08-21 03:12:21 | テネシー・ワルツ 江利チエミ物語
本日16時開演の部を鑑賞するために、再び明治座に、2回目の観劇に行って参りました~♪昨日の初日レポでは、重箱の隅をつつくようなことばかり言って、ある意味時間切れになってしまい、一番お伝えしたかった「熱き感動!」がどの程度伝わったか、とても心配だったのですが、今日も今日のこの感動を、今日のうちに、記録したいと思います。

まず、昨日書いたことに、ひとつ訂正があります。それは、『キャリオカ』のシーンについて。昨日の記事では、青山さんたちの「出のタイミング」について、「昨年は出のタイミングがもっと早かった」なんて書いたのですが、昨日よりは少し落ち着いて、今日の2回目の観劇に臨んだところ、「やはり昨年と変わりはなかったのではないか」、という私なりの結論にたどりつきました(・・・と言っても、確証はないのですが)。このシーンのダンス、元々短いのですが、第一幕最後で、青山さんのとても迫力のあるラテンなノリを堪能できるもの。紫のシャツの胸元を開けて、青山さんならではのリズム感を堪能しながら、ラテン的なセクシーさを満喫できる、というとても贅沢なナンバーなのです。昨年のレポなどでも、「もっと長くこの曲を踊る青山さんを観ていたい」的な発言をしていた私ですが、昨日の「思い込み」は、どうやらその願望が私の脳に幽霊のように1年間住み続けたことの産物のようです・・・。元々この部分に関しては、カッコイイ青山さんに思考回路がとんで、記憶が途切れ途切れなのです。もし、私の書いたことを気に留めながら、今日観劇された方がいらしたら、ゴメンナサイ~。昨年『テネシー』の「詳細レポ」は、今年の再演を見込んで、あえてしなかったのですが、「再演」があるからこそ、やっておくべきだった~、後悔している私です。今年はやりますよ~。

さて、今日の青山さんですが、昨日に引き続き、本当に素敵でした~。このミュージカルのダンスシーンは、すべて舞台のショーの再現(ほとんどは日劇の)なのですが、当然曲ごとにダンスの雰囲気もガラリと変わります。そのあたりの変化のつけ方が、青山さんなら当然のことなのですが、やはりスゴイ。変幻自在ですね、「感触」が変わるのがわかるのです。例えば、「お祭りマンボ」なら、「パリッと糊の効いた木綿」の感じ、一転してその後の「スウィート・アンド・ジェントル」では、あの衣裳さながらの「風に揺れるやさしいシフォン地」、というふうに。また、白の上下に紫のシャツで踊る、日劇ダンシングチームのダンスひとつとっても、このことはあてはまります。日劇ダンシングチームのダンスシーンは、どれも短いシーンなのですが、いくつかあるシーンごとに微妙に雰囲気が変わっていて、そのあたりも観ていて楽しいです。ダンスとともに刻々と変わるお顔の表情もとても素敵ですので、これから観に行かれる方には、そのあたりも十分に満喫していただきたいです。それから、ダンスではない演技の部分も、要注目です。台詞のある役どころは、「お医者さま」と「取り壊される日劇の警備員さん」ですが、その他の部分でも、青山さんはそのシーンの設定がグッと身近になるような、肌理の細かい演技をされています。昨年の初演から1年経っての今回の再演、その1年の間に私達ファンも青山さんご出演の作品をいくつか経験しました。「再演」っていいなあ、まだ2回しか観ていませんが、昨日と今日、青山さんを観ていて、私がつくづく感じていることです。

そしてこの『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』というミュージカル、日本ではまだ珍しい、「特定の一アーティストの曲を使って新たなストーリーを紡ぎだす」というタイプのミュージカルの見事な成功例と言えるのではないでしょうか。欧米では、「ジュークボックス・ミュージカル(カタログ・ミュージカル)」というのは、かなり流行していて、現在来日中の『ムーヴィン・アウト』などもその類。『テネシー・ワルツ』は、青山ファンにはお馴染み、この秋に再演・ご出演も決まった『ボーイ・フロム・オズ』とも、つくりは似ていますが、既成の曲を用いながらも、その楽曲にシーン毎の登場人物の心情や場の雰囲気を、台詞以上に雄弁に語らせるという、巧みなシーン毎の選曲と構成の妙には驚かされます。私はシンガーとしての江利チエミさんをリアルタイムで知る世代ではなく(当初は小学生になるかならないかのときに見たテレビの「麦茶のCM」の印象しかありませんでした)、またこのミュージカルを鑑賞する際にも、チエミさんと同世代の方が持つ、激動の昭和という時代に対しての思い入れのようなものに対して、ただただ想像して想いを馳せてみる、というだけの世代です。そんな私のような観客でも、リアリティーを感じつつ、ストーリーの中に安心して入っていけるというのは、さきほども述べたとおり、まさに「シーン毎の選曲と構成の妙」によるところが大きいと思うのです。そしてそのことを実現させているのは、間違いなく、島田歌穂さんをはじめとする三人娘の方々の見事な歌唱力であり、ひとつひとつのシーンを印象的な一枚の絵として完成させる出演者の方々の力量であると思うのです。

9月20日まで全国ツアーが予定されているこの公演、私は関東地区であと2回ほど鑑賞する予定ですが、公演を重ねるごとに進化してゆくこの作品を見ていると、叶わぬ夢であるとは承知しながらも、カンパニーの皆さんにくっついて、全国ツアーがしたくなります。あと予定している2回の観劇を通して、私のなかでこの作品がどんなふうに発酵してゆくのか、とても楽しみです。

◆『テネシー・ワルツ』初日観劇レポ(東京公演 明治座にて)

2006-08-20 01:39:37 | テネシー・ワルツ 江利チエミ物語
本日19日、初日を迎えた『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』、13時開演の公演に行って参りました。あくまでも以下の感想は、再演版の初日の公演をたまたま1回観たという私の、「個人的な」感想であり、これから観劇の回数を重ねるにつれて印象も変わるという可能性があることをご了承ください。

まず、青山さんですが、御登場のシーンは昨年よりも1シーン増えました(「ジャンケン娘」の撮影シーンでの撮影カメラマンの役)。またダンスシーンの「数」に変化はないと思うのですが、「量」には変化があったのでは・・・、というのが第一印象です。青山さん個人に関して申し上げれば、ダンスのクオリティー、及び雰囲気・表情など、すべてにおいてヴァージョンアップであるのは間違いなし、なのですが、ダンスシーンの細かい演出が変わったせいでしょうか、何となく、「ダンスの分量」が少ないような気がしました。

おそらく青山ファンなら、一目で「あれが青山さん!」とすぐお分かりになるとは思いますが、念のために、青山さん御登場のシーンについて記録しておきます。私も昨年あんなに観たはずなのに、今日実際に観劇してみて、どちらの袖から御登場か、興奮のために、一瞬わからなくなったときがありましたので・・・。「ネタバレ」でもありますので、その点もご了承ください。

青山さん御登場のシーンについて

第1幕
第2場 初レコーディング(昭和26年)
「カモナ・マイ・ハウス」の後で歌われる「テネシー・ワルツ」の途中から、戦後復興期の街の人々のひとりとして、上手より、作業着姿で肩にタオルをかけ御登場。途中から(だった?)眼鏡をかけます。細かい演技などが若干変わっていたような気がします。今回はアンサンブルの多くが正面を向いていた(?)ということでしょうか。

第3場 シンデレラの魔法(昭和27年~28年)
「虹の彼方に」の後、帰国したチエミさんを空港で待ち受けるカメラマンのひとりとして。(下手側)

第4場 ジャンケン娘(昭和30年)
「お祭りマンボ」では、曲の最初からお神輿の担ぎ役として登場します(初演版では、お神輿は途中からだったような・・・)。途中で勿論お神輿は置きに行きます。今回このシーンでは、お面などの小道具が使われていました。青山さんがお神輿を担がずに、ダンスをしている時間が短くなったような気がするのは、気のせいでしょうか?時間にしてみたら短い(?)ながらも、軽快なステップとしなやかな腕と掌の動きに、「いなせな」青山さんを堪能できます。そして曲のイメージにぴったりとあった端正な跳躍!

「ジャンケン娘」では、撮影カメラマンとして御登場。

「スウィート・アンド・ジェントル」では、下手、上手両方からひとりずつ3回に分かれて、男性ダンサーが飛び出してきますが、青山さんは、上手よりから3人目(最後に)飛び出してきます。昨年同様、薄緑色のシフォン地のようなロマンティックなシャツに、白のパンツというお衣裳です。「スウィート・アンド・ジェントル度数」がさらにアップで、素敵です~♪このシーンだけではないのですが、ちょっとした表情に、ドキリとさせられます。

第5場 恋と結婚(昭和32年~34年)
日劇の舞台「チエミ新春に歌う」のシーン。中野ブラザースのタップが披露される「ガイ・イズ・ア・ガイ」の後、「虹の彼方に」のインストゥルメンタル・バージョンに乗せて、白いタキシードに紫のシャツという姿で、下手より御登場。上手寄りの立ち位置になります。

結婚式のシーン。「ウエディングベルが盗まれた」がアンサンブルによって歌われるなか、結婚式場の給仕係として、下手より御登場。結婚式が始まった後は、終始下手側におられます。

妊娠したチエミさんが、妊娠中毒症のために中絶することを医師に勧められるシーン。青山さんはこのお医者さまです。

第6場 ふたたびステージへ(昭和35年)
結婚後ステージから遠のいていたチエミさんが、再びステージへと戻るシーン。日劇のレビューシーンで、舞台奥、日劇のビルを写した白黒のスライド写真をバックに男性アンサンブルのシルエットが浮かび上がります。一列に並んだ6人(?)のうち一番右側が青山さんです。このオープニング部分が終わって一度袖に引き、その後「キャリオカ」が始まりますが、曲の途中、上手から御登場です。このシーン、昨年は出てくるのがもっと早かった、というか、チエミさんの「ババルババル~」のスキャットの部分を青山さんたちが踊っていた(いなかったか?どっち?)と思うのですが・・・、気のせい?かなり記憶が曖昧になっているので、何とも言えないのですが・・・、私の思い込みという気がしないでもないです。ただ、もう少し長く踊っていたような気がするのですが・・・。


第2幕
第1場 ミュージカル・スター“チエミ”(昭和38年~39年)
「ショウほどすてきな商売はない」では、昨年同様「ピエロ役」です。青山さんには、いつも言っているように、ホントに「道化」的な動きがお似合いです。「テントの外の月も(だったかな)」の歌詞の部分、マイムが昨年とは違いますので、ご注目。ああいう細かい部分は、どなたの発案なのでしょう?気になる・・・。アンサンブルの皆さんが引き上げていくときの設定がちょっと変化していたような気がします。(「お疲れ様でした~」的な感じに)

第2場 火事・そして別離(昭和45年~46年)
チエミさんの家が火事になったときの「やじうま」のひとりとして。下手より御登場で、終始下手側におられます。
その後、チエミさんのご主人の「健さん」の映画(「昭和残侠伝・血染めの唐獅子」)が上映される映画館のシーンとなりますが、ヘルメット姿に棒を持って、左手中段におられます。(かなり照明が暗いシーン)

第4場 さよなら日劇(昭和55年~56年)
同窓会のシーンの後、取り壊しの決まった日劇を、チエミさんとお父さんが訪れます。案内役のガードマンとして御登場です。

そして、怒涛の「エル・クンバンチェロ」!今日は「出の回転ジャンプ」だけでなく、シーン最後にも「回転ジャンプ」が入りました!「イナバウアー」には客席がどよめき、片脚を高く上げ、身体を傾斜させていく、あの「黄金比(へーまさんがブログのイラストコーナーで書かれたお言葉です)」がまさに眼の前で行われるという、この快感・・・。やはりこのミュージカルの「見せ場」です。しかし、今年はこのダンスシーン、昨年と若干演出が違う部分がありました。私個人的には、昨年度の方が、緊張感があって好きです。消えてゆく日劇とともに、チエミさんの人生の灯も今まさに消えようとしている・・・、そんな運命を感じ取っていたのかとさえ感じられるほどの、渾身のパフォーマンスなのです。シーン全体の印象として、その激烈さの中に、どうも散漫な感じを受けてしまった、というのが正直なところです。

第5場 テネシー・ワルツが聴こえる(昭和56年)
再び「テネシー・ワルツ」が歌われます。作品冒頭のお衣裳でコーラスをされます。

全体的なストーリー展開に勿論大きな変化はないのですが、細かい演出等においては、かなり変更が加えられていたような気がします。ストーリーの印象としては、初演版を知っている者としては、今年の再演では、チエミさんとご主人の関係、それに伴うチエミさんの感情面がより前面に出て、三人娘の方々の関係というのが少し背景に退いたという印象を受けました。チエミさんのご主人の存在が、常に「本物の人間によるシルエット」によって示されるようになったために、チエミさんとご主人の感情のやりとりが感じられやすくなったということがあるからでしょうか。今回はかなり、「シルエット」に人格というものが感じられます。また、第2幕第2場の「唐獅子牡丹」の後、中野ブラザースとお酒を飲むチエミさんが、「さのさ」を歌うシーンが挿入されるようになりました。「さのさ」の歌詞を通して、チエミさんのご主人に対する心情が、感じられるようになったということもあったと思います。ただ「唐獅子牡丹」に関しては、チエミさんが夜の都会の風景をバックに、たったひとりで歌う、昨年の演出の方が、私個人としては好きです。孤独感が冷たい氷のように突き刺さってくるあの感じが、舞台の真ん中でぽつんとたった一人で歌う絵とともに、とても印象的だったのですよね。その他、小道具やスライドの使い方によって、シーンの設定が具体的になって、わかりやすくなったというのは確かだと思います。チエミさんの存在を深くは知らない世代の人が見ても、わかり易くなっていたと思うし、時代背景の流れもつかみやすかったのではないでしょうか。ただ説明的な部分として付け加えられた部分が、プラスに働く場合もあり、またその逆もあるな、と感じることがありました。

色々と思いつくままに書いてしまいましたが、明日観劇したら、また印象も変わるかもしれません。それが舞台のよいところ、ということで。とりあえず、初日の印象を、思いきって送信・・・。舞台をご覧になった皆様はどのように思われましたでしょうか。

ちなみに終演までの時間は、約3時間10分。途中30分の休憩が入りました。お知らせまで。

◆明日は『テネシー・ワルツ』初日!

2006-08-18 21:20:52 | テネシー・ワルツ 江利チエミ物語
明日はいよいよ待ちに待った『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』の再演初日です。神崎順☆様のブログ、8月13日付の日記に、『テネシー・ワルツ』にご出演の男性キャスト陣の皆様が、「討ち入り会」に浴衣姿でご参加された際のお写真も掲載され、気分は盛り上がる一方。そのお写真では、黒地の浴衣をお召しになった、粋な青山さんのお姿も拝見することができました。立秋を過ぎたとはいえ、日中はまだまだ蒸し暑さに悩まされる今日この頃ですが、青山さんの涼やかな浴衣姿を見ていたら、風鈴をちりちりりんと鳴らす、夏の夜風が吹いたような気がいたしました~♪「情趣溢れる日本の夏」、そんな季節感が漂う素晴らしい企画、本当にありがとうございます!青山さんの浴衣姿を拝見できるなんて、思ってもみませんでした。青山さんをはじめ、あれだけの男前揃いが、浴衣を着て、夏の宵、街を闊歩していたら・・・、道行く人も思わず振り返ったのでしょうね~♪ああ~、「道行く人」がうらやましい~~。

ところで、「男性が日常的に浴衣を着て、夏の街を歩く」、そんなことが当たり前という生活は一体いつ頃まで、この日本に残っていたのでしょう?勿論、家の中というプライベートな空間での男性の浴衣姿というのは、特にご年配の世代には、きっとごく最近まで残っていた(いる)のだとは思いますが・・・、事実、温泉などにいけば、いまだに「浴衣」が用意してありますものね。男性の洋装化は、女性のそれと比べ、何段階も早かったといわれています。江利チエミさんが生まれたのは、1937年(昭和12年)ですが、この年には、日中戦争が勃発し、翌年38年には国家総動員法が制定され、日本は戦時色を強めていきます。この頃には、男性の和服姿というのも実質かなり少なくなっていたようですし、少なくとも男性が浴衣を着て夏の夜を歩くなんていうことは、許されない空気が漂っていたのかもしれません。女性の浴衣姿はまだ見られたようですが、柄もモダンなものが多くなっていたようで、この頃の女性の浴衣地には、戦闘機が飛ぶ様子をデフォルメした模様などさえあって売り出されていた、なんていうことも聞いたことがあります(おそらく戦争への気分を高める風潮に便乗したんでしょうね)。そして東京では、昔ながらの江戸の下町情緒を残す「粋な」浴衣姿など、とっくに見られなくなっていたようで、多くの作家が、「失われゆく古きよき時代」を惜しむ文章を残しています。やがて1940年(昭和15年)には、男性の国民服(軍服に似たデザインのカーキ色の服、脚には靴下のようなゲートルという姿→『テネシー』の冒頭にもそれらしき衣裳がありましたね)が制定され、同じ頃から女性には、和服に「もんぺ」と割烹着という、戦時色の強い服装が定着していったようです。「同じ服装をさせる」ことを法律で定める、このことは戦争遂行という目標のもとに、国民の意識と行動を統制するための手段であったといいます。

しかし、この自国を勝利へと導き、敵国から自国を守るための服であるはずたった「国民服」が、皮肉にも、敗戦を経た日本人に、洋服の動きやすさという機能性を実感させることになり、戦後の急速な洋装化の普及への礎を築いたというのです。「国民服」も、「もんぺ」も、「お国のための」衣服とはいえ、その形式は、あくまで「洋服」を手本にしたもの。しかし、洋服に縁遠くて、和服ばかり着ていた人も、戦時の必要に迫られて、この洋服形式の「国民服」や「もんぺ」を着てみたら、案外着やすくて、着心地がよかった、ということかもしれません。いづれにせよ、日本人の生活において、日本古来の和装(きもの)の生活の影を薄くしていったのが、戦時中に人々が体験した「洋装体験=国民服・もんぺ」だったといいます。終戦後まもなくの戦後の混乱期においても、物資が著しく不足するなかでは、男性はこの国民服、女性はもんぺという姿だったのでしょうが、戦中に引き続く敗戦という体験から、この衣服には新たに、戦争という容易には癒えない痛みの記憶が刻み込まれることになったことは、想像に難くありません。同時に、この衣服には、物資がない中でも、今日一日を生きるために、また復興を夢見ながら、明日のより豊かな生活のために必死になって働いた人々の汗や涙が染み込んでいるということにもなるのでしょう。そして当時の日本、つまり占領期の日本には、そのすぐそばに豊かさの象徴のようなアメリカの文化が、隣り合わせにあったということです。

明日初日を迎える『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』の冒頭、15歳(厳密には「レコーディング」のときだから14歳?)のチエミさんが、「カモンナ・マイ・ハウス」の次に、デビュー曲「テネシー・ワルツ」(1952)を歌うときにも、青山さんをはじめ、アンサンブルの方々が登場し、戦後の混乱~復興期の時代の街の様子を再現します。青山さんも、昨年と同じ衣装であるなら、地味な色の作業着のような、あるいは事務服のような服装に、眼鏡をかけ、タオルを肩にかけたお姿です。その他にも、戦争から負傷して帰還した人、今回言及した国民服を思わせる軍服姿にリュックを背負った人(神崎順様)、それからもんぺのようなズボンをはいた女性・・・、彼らは行くあても定まらないかのように街なかを歩きます。彼らの耳に、ふとチエミさんが英語と日本語で歌う「テネシー・ワルツ」が入ったとき、彼らの眼に、頭上に広がる空はどんなふうに映ったのでしょう。「浴衣」から「あの舞台衣装」へと着替えた青山さんたちが、今年もチエミさんと彼らの物語をどのように見せてくださるのか・・・。いざ、劇場へ出かけることにします。