昨年、『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』初演版に、青山航士さんが出演されることを知って、私が購入したチエミさんのCDというのが、「SP原盤再録による江利チエミヒットアルバム」というシリーズでした。音質的に「レトロ」な感じはあるのだけれど、チエミさんの歌というのは、なんか古くない、それどころか、1曲1曲聴くごとに、「こんなふうにジャズを歌う人が、50年前の日本にいたんだ」という驚きとよろこびに包まれていったことを今でも覚えています。それまでも、エラ・フィッツジェラルドやジョー・スタッフォードの歌声が好きでジャズはよく聴いていたり、「テネシー・ワルツ」という曲だって、パティー・ペイジのものがお馴染みだったし、ホリー・コール・トリオの歌うその曲は、その昔結構お気に入りだったりしたのですが、「江利チエミ」という「歌手」の存在は、私のなかには何故かほとんどなかったような気がします。だから「こんなふうにジャズを歌う人」というのが、記憶の中の「麦茶のCMのおばさん(失礼な言い方ですが、小学生当時の私の記憶の中ではそうなのです)」と結びついたときには、ちょっとした衝撃でした。同時にそんなチエミさんをそれまで知らなかった自分に対してもちょっとショックでした。
それ以来、『テネシー・ワルツ』の公演期間中は勿論、期間外のときも、このCDをかけて江利チエミさんの歌声を楽しんでいます。「テネシー・ワルツ」、「家へおいでよ(カモンナ・マイ・ハウス)」、「サイド・バイ・サイド」など、舞台『テネシー・ワルツ』でもお馴染みの曲がたくさん入っているCD(vol.1)もよいのですが、私のイチオシは、vol.2のCD。こちらに収録されている曲は、ラテン・ナンバーが多く、vol.1とはまた違ったチエミさんの魅力を楽しめます。舞台『テネシー・ワルツ』でいづみさん(絵麻緒ゆうさん)が歌っている「スウィート・アンド・ジェントル」も、こちらのCDではラテンな編曲がなされた演奏で、またちょっと曲のイメージが変わります。そしてこのラテンなチエミさんの魅力を引き立てているのが、バックで演奏をしている「東京キューバンボーイズ」というバンドです。ラテンな曲をあんなふうに歌いこなすチエミさんも素敵なのですが、それと同じぐらい心ひかれるのが、この東京キューバンボーイズの演奏なのです。
江利チエミさんのバックバンドとしては、「原信夫とシャープス&フラッツ」(先日放映された「たけしの誰でもピカソ」にもリーダー原信夫さんがインタビュー映像で御登場でした)とこの「東京キューバンボーイズ」が双璧だったようです。見砂直照がリーダーとなって、1949年に結成されたこのバンドも、シャープス&フラッツと同様に、進駐軍クラブで演奏していたとのこと。当時のアメリカのポピュラーミュージック界では、ペレス・プラードによってマンボの旋風が吹き荒れていたそうです。このようなアメリカ文化の影響下にあった1950年代の日本でも、ラテン音楽が一般にかなり浸透、マンボ・ブームが席巻していたのだそうです(ペレス・プラード楽団も1956年に来日しているそうです)。この「マンボ」な流れに乗って、美空ひばりさんの「お祭りマンボ」(S27)、そして江利チエミさんの数々のラテンのカヴァー曲も誕生したのだとか。実際に、今回ご紹介したCDのvol.2に収録されているチエミさんのラテンナンバーも、東京キューバンボーイズの演奏をバックに、昭和30年代前半に発売されたものばかりです。(一説によると、ひばりさんの「お祭りマンボ」も東京キューバンボーイズの演奏なのだとか)そしてこの東京キューバンボーイズは、1950年代から、日本の民謡のラテン編曲というのも行っているようです。「サンバ・ソーラン」なんていうタイトル見ちゃうと、聴いてみたくなりますね、どんなノリなのでしょう。江利チエミさんのファンの方のページによると、そんな東京キューバンボーイズの存在が、どうやらチエミさんの民謡路線にも少なからず影響を及ぼしていたようです。
そしてこの東京キューバンボーイズのピアニストだった「内藤法美さん」という方こそが、「チエミさんの初恋の人」と伝えられる方だったのですね。以前からよくテレビなどで、越路吹雪さんのご主人のことなど取り上げられているのを、何度かそれとなく見たことがあったのですが、チエミさんとも関わりのある、この方のことだったのか、と今更ながらに自分のなかでつながりました。『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』の劇中でも、チエミさんの母親代わりのような存在だった清川虹子さん(弓恵子さん)の、当時を振り返る台詞に、その初恋の相手は、「コウちゃん、越路吹雪さん」と一緒になっちゃったけどね・・・、というところがありました。(第4場の「スウィート・アンド・ジェントル」の直後です。)原作本である藤原佑好さんの『江利チエミ物語』にも、そのあたりのエピソードがいくつか紹介されていて、興味深いです。チエミさんは、内藤さんに「なんでこの音がとれないんだ」と叱られると、涙をためながら、すぐにポーッと顔を赤らめた、のだそうです(115頁)。それから、チエミさんのショウには欠かせない存在だった中野ブラザーズを見初めたのは、東京キューバンボーイズのリーダーである見砂直照さんだったそうで、チエミさんと中野ブラザーズのステージでの共演はそれから始まった、という話もありました(126頁)。中野ブラザーズは、チエミさんの内藤さんに対するこの恋心を知っていたのだそうです。
『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』は、1950年代初頭から1980年代後半までの35,6年の歳月をチエミさんの生涯を中心に描く作品です。印象的な台詞やシーンの設定などを「作品」の一部として楽しむ、これこそ観劇の一番の楽しみと言えると思います。けれども、江利チエミさんに関しては全くの初心者である私のような者にとっては、藤原佑好さんの原作本や、チエミさんのファンの方々のサイトの記事などを読ませていただくことによって、そんな台詞の行間に隠れていることや、シーンの背景にあるもの、つまり舞台ではすくいきれなかった様々な事柄が見えてきて、チエミさんというひとの存在と彼女が生きた時代というものがより身近になる気がします。藤原佑好さんの原作本『江利チエミ物語 テネシー・ワルツが聴こえる』は、昨年の初演時には、検索しても在庫がないということが多かったのですが、今回の再演に合わせてなのか、再編集して発売されたようです。今回の公演の劇場でも、パンフレットのコーナーなどで本体価格1800円で販売されていました。
子供と一緒にテレビなど見ていると、ラテンな編曲を施した音楽にふれることも最近は多いです。青山航士さんがレギュラー出演されていた「うたっておどろんぱ!」(現在は「うたっておどろんぱ!プラス」として放送中)にも、サンバ的な「カレーなる世界」、それから「おどろんマンボⅡ」なんていう、ラテンなノリの名曲がありました。それからさきほど言及したペレス・プラードから、「たこやきなんぼマンボ」(「おかあさんといっしょ」の数年前の曲)の作曲者であるパラダイス山元さんは、かの有名な「ア~ッ、ウッ」のマンボ特有の掛け声を、直々に伝授してもらったのだそうです。子供たちが何だかああいうノリが好きなのも、決して昨今のワールドミュージックブームのせいだけなのではなくて、東京キューバンボーイズが演奏し、江利チエミさんが歌っていた「あの頃」の文化的な遺伝子というものが、どこかで受け継がれている結果ということなのかもしれません。ちなみに「たこやきなんぼマンボ」世代であり、昨年の夏「おどろんぱ!」で「カレーなる世界」に出会ったウチの二人の息子(7歳と6歳)は、チエミさんのCD、vol.2の「スコキアン」と「シシュ・カバブ(串カツソング)」が1年前からかなりのお気に入りです。
それ以来、『テネシー・ワルツ』の公演期間中は勿論、期間外のときも、このCDをかけて江利チエミさんの歌声を楽しんでいます。「テネシー・ワルツ」、「家へおいでよ(カモンナ・マイ・ハウス)」、「サイド・バイ・サイド」など、舞台『テネシー・ワルツ』でもお馴染みの曲がたくさん入っているCD(vol.1)もよいのですが、私のイチオシは、vol.2のCD。こちらに収録されている曲は、ラテン・ナンバーが多く、vol.1とはまた違ったチエミさんの魅力を楽しめます。舞台『テネシー・ワルツ』でいづみさん(絵麻緒ゆうさん)が歌っている「スウィート・アンド・ジェントル」も、こちらのCDではラテンな編曲がなされた演奏で、またちょっと曲のイメージが変わります。そしてこのラテンなチエミさんの魅力を引き立てているのが、バックで演奏をしている「東京キューバンボーイズ」というバンドです。ラテンな曲をあんなふうに歌いこなすチエミさんも素敵なのですが、それと同じぐらい心ひかれるのが、この東京キューバンボーイズの演奏なのです。
江利チエミさんのバックバンドとしては、「原信夫とシャープス&フラッツ」(先日放映された「たけしの誰でもピカソ」にもリーダー原信夫さんがインタビュー映像で御登場でした)とこの「東京キューバンボーイズ」が双璧だったようです。見砂直照がリーダーとなって、1949年に結成されたこのバンドも、シャープス&フラッツと同様に、進駐軍クラブで演奏していたとのこと。当時のアメリカのポピュラーミュージック界では、ペレス・プラードによってマンボの旋風が吹き荒れていたそうです。このようなアメリカ文化の影響下にあった1950年代の日本でも、ラテン音楽が一般にかなり浸透、マンボ・ブームが席巻していたのだそうです(ペレス・プラード楽団も1956年に来日しているそうです)。この「マンボ」な流れに乗って、美空ひばりさんの「お祭りマンボ」(S27)、そして江利チエミさんの数々のラテンのカヴァー曲も誕生したのだとか。実際に、今回ご紹介したCDのvol.2に収録されているチエミさんのラテンナンバーも、東京キューバンボーイズの演奏をバックに、昭和30年代前半に発売されたものばかりです。(一説によると、ひばりさんの「お祭りマンボ」も東京キューバンボーイズの演奏なのだとか)そしてこの東京キューバンボーイズは、1950年代から、日本の民謡のラテン編曲というのも行っているようです。「サンバ・ソーラン」なんていうタイトル見ちゃうと、聴いてみたくなりますね、どんなノリなのでしょう。江利チエミさんのファンの方のページによると、そんな東京キューバンボーイズの存在が、どうやらチエミさんの民謡路線にも少なからず影響を及ぼしていたようです。
そしてこの東京キューバンボーイズのピアニストだった「内藤法美さん」という方こそが、「チエミさんの初恋の人」と伝えられる方だったのですね。以前からよくテレビなどで、越路吹雪さんのご主人のことなど取り上げられているのを、何度かそれとなく見たことがあったのですが、チエミさんとも関わりのある、この方のことだったのか、と今更ながらに自分のなかでつながりました。『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』の劇中でも、チエミさんの母親代わりのような存在だった清川虹子さん(弓恵子さん)の、当時を振り返る台詞に、その初恋の相手は、「コウちゃん、越路吹雪さん」と一緒になっちゃったけどね・・・、というところがありました。(第4場の「スウィート・アンド・ジェントル」の直後です。)原作本である藤原佑好さんの『江利チエミ物語』にも、そのあたりのエピソードがいくつか紹介されていて、興味深いです。チエミさんは、内藤さんに「なんでこの音がとれないんだ」と叱られると、涙をためながら、すぐにポーッと顔を赤らめた、のだそうです(115頁)。それから、チエミさんのショウには欠かせない存在だった中野ブラザーズを見初めたのは、東京キューバンボーイズのリーダーである見砂直照さんだったそうで、チエミさんと中野ブラザーズのステージでの共演はそれから始まった、という話もありました(126頁)。中野ブラザーズは、チエミさんの内藤さんに対するこの恋心を知っていたのだそうです。
『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』は、1950年代初頭から1980年代後半までの35,6年の歳月をチエミさんの生涯を中心に描く作品です。印象的な台詞やシーンの設定などを「作品」の一部として楽しむ、これこそ観劇の一番の楽しみと言えると思います。けれども、江利チエミさんに関しては全くの初心者である私のような者にとっては、藤原佑好さんの原作本や、チエミさんのファンの方々のサイトの記事などを読ませていただくことによって、そんな台詞の行間に隠れていることや、シーンの背景にあるもの、つまり舞台ではすくいきれなかった様々な事柄が見えてきて、チエミさんというひとの存在と彼女が生きた時代というものがより身近になる気がします。藤原佑好さんの原作本『江利チエミ物語 テネシー・ワルツが聴こえる』は、昨年の初演時には、検索しても在庫がないということが多かったのですが、今回の再演に合わせてなのか、再編集して発売されたようです。今回の公演の劇場でも、パンフレットのコーナーなどで本体価格1800円で販売されていました。
子供と一緒にテレビなど見ていると、ラテンな編曲を施した音楽にふれることも最近は多いです。青山航士さんがレギュラー出演されていた「うたっておどろんぱ!」(現在は「うたっておどろんぱ!プラス」として放送中)にも、サンバ的な「カレーなる世界」、それから「おどろんマンボⅡ」なんていう、ラテンなノリの名曲がありました。それからさきほど言及したペレス・プラードから、「たこやきなんぼマンボ」(「おかあさんといっしょ」の数年前の曲)の作曲者であるパラダイス山元さんは、かの有名な「ア~ッ、ウッ」のマンボ特有の掛け声を、直々に伝授してもらったのだそうです。子供たちが何だかああいうノリが好きなのも、決して昨今のワールドミュージックブームのせいだけなのではなくて、東京キューバンボーイズが演奏し、江利チエミさんが歌っていた「あの頃」の文化的な遺伝子というものが、どこかで受け継がれている結果ということなのかもしれません。ちなみに「たこやきなんぼマンボ」世代であり、昨年の夏「おどろんぱ!」で「カレーなる世界」に出会ったウチの二人の息子(7歳と6歳)は、チエミさんのCD、vol.2の「スコキアン」と「シシュ・カバブ(串カツソング)」が1年前からかなりのお気に入りです。