気になりますね~、来年度の番組続行・・・。
楽しみにしていた2007年第1回目の「うたっておどろんぱ!プラス」の放送、津波関連のニュースのために、2週連続で中止になってしまいました。残念ですね~。「おどろんぱ!」のない生活って、こんなにも寂しいものだったのかぁ・・・。たくさんの前向きなチカラをもらえるこんな番組、やはり他にはありません。毎年この季節になると、番組の続行・出演者の方々の続投が気になってしまいますが、以前にも書いたとおり、子供と大人の心の両方にたくさんの素敵な「種」を蒔いてくれるこの素敵な番組の意義というものを、ご理解いただき、NHK様には是非来年度の番組続行をお願いしたいです。
◇夢のような雪のお城の仮面舞踏会
今日は、前回(昨年末)の「プラス」の感想です。ファンの「脳内忘年会」と「脳内新年会」にはぴったりな「YMOP」、そして新バージョン「ゆきのくに」がとても印象的な回でした。今日は、旧バージョンからさらに素敵になったひとみちゃんの演技と、おどるくんスーツを外した明羽美姫さんのダンスがとても素敵だった「ゆきのくに」を見ていて、感じたことをちょっと書いてみたいと思います。
今回の新バージョンは、「ゆきのくに」という絵本を開いたひとみちゃんが、いつのまにかその絵本の世界に引き込まれ、雪の精に導かれるように、雪と氷でできたお城での舞踏会に招待されていく、というような設定。冒頭から途中までは、かわいいイラストの雪の精がひとみちゃんをお城へと誘いいれます。そして、このイラストの雪の精も、途中から現れる明羽さんが踊るこの雪の精も、目元に「仮面」のような白い「アイマスク(?)」をされています。この正体を隠した雪の精がどこから来たのかを知りたくて、まるでひとみちゃんは、雪と氷の「ぎんいろのせかい」で行われていた「仮面舞踏会」に迷い込んだような印象でした。そして、氷の柱のそばで、追いかけごっこのようなことをしていると(このときまでは、イラストの雪の精)、氷の柱の陰から、本物の雪の精(つまり明羽さん)がとび出てきます。お城で雪の精とひとみちゃんはしばらくのあいだ戯れ、踊った後、この雪の精はあっという間に消えてゆくのです。ひとみちゃんはそんな雪の精の行方をどこに行ってしまうのだろう、と眼で追いつつも、微笑みのなかで見送ります。雪の精を見送るときの、最後のひとみちゃんの優しさに満ちた表情が、とても印象的です。そして、画面は、冬の暖かい部屋にいつの間にか変わり、雪のお城が描かれた絵本が置かれた椅子の上で眠るひとみちゃんが視界に入ってきます。そう、「ゆきのくに」の絵本を読んでいるうちに、いつの間にか眠ってしまい、「夢」を見ていたという設定が視聴者に示されるのです。暖かい部屋で、冷たく透き通るような美しい世界の夢を見る・・・、これ、夢をみるときのひとつの理想のかたちかもしれませんね。雪の精を見送るひとみちゃんの笑顔と、この暖かい部屋で透き通った氷のお城での美しい夢を見ているひとみちゃんの寝顔がとても素敵でした。また、こうしたストーリー性が感じられる今回の新バージョン、旧バージョンにはない新しい魅力に溢れていました。(旧バージョンは、ひとみちゃんが実際の大雪原の冷たい空気をいっぱいに吸い込みながら、歩くような設定でした。あちらも素敵でしたよね。DVD第1弾に収録されています。)
それで、今回は旧バージョンよりもさらに素敵になったひとみちゃんのとても肌理の細かい優しい感じのにじみ出た演技、そして、とても身体能力が高いとうかがう明羽さんの確かな技術に裏打ちされた軽やかなダンスがとても印象に残りました。「BSおかあさんといっしょ」のコンサートなどで、今までにも何度か明羽さんのダンスを拝見したことがありましたが、素敵な方だなと思っていたんです。それで、以前からおどるくんスーツを外して踊られる明羽さんのダンスを是非見たいと思っていましたので、「ゆきのくに」でのご登場はとてもうれしいものでした。今回のふんわりとした柔らかな生地でできた青色の衣裳、明羽さんが軽やかに優雅に踊られるたびに、冷たく透き通った空気をはらんで揺れて、とても素敵でした。これからも可能であるなら、おどるくんスーツを外した明羽さんのダンスを番組内でたくさん拝見したいと思います。おにいさんずとの共演(競演)、5人で華やかに踊られるところなども見てみたい~、そんなふうに思ってしまいます。その一方で、今回のようにおどるくんスーツを外した明羽さんのダンスを見ていると、「おどるくん」としてのダンスや演技が、いかに計算しつくされているものなのかということがよくわかりました。
それで、いつもは「おどるくん」のなかに入っているはずの明羽さんが、今回は、その「スーツ」を外し、「アイマスク」で目元を隠しながらの、初めてのご登場の回でした。でも「おどろんぱ!」を振り返ってみると、結構「アイマスク」登場してますね~♪「おどるくん」の声優さんである渡辺久美子さんが「ブラックオドレーヌ」としてご登場のときも、正体を全て明かさないように仮面舞踏会で使われるような黒い「アイマスク」を装着してご登場です。オドレーヌ様の場合には、ちょっと背徳的な香りが漂いますが・・・。「わたしはブラックオドレーヌ」にご登場のおにいさんずにも、このアイマスクとスケスケのメッシュシャツにより、教育テレビにはあるまじき、相当危険な香りが漂っていましたね。(いつか「プラス」で、新バージョン「わたしはブラックオドレーヌ」、見てみたいです♪)
やはり「おどろんぱ!」は、長く続いている番組。視聴者のあいだではキャラクターが定着しているので、見慣れている番組内に見たことのない新たなキャラクターが正体全開でいきなり登場してきたら、視聴者は驚いてしまうところがあるのでしょうか。「アイマスク」によって、多少なりとも「人格」というものを希薄にさせて、なんとなく正体不明のまま「雪の精」として登場することは必要だったのかもしれませんね。人間の表情は、目とその周辺によってかなり出来上がるところがあるので、「アイマスク(仮面)」によってそのあたりを隠すことは、表情がある程度固定されることになり、正体がわかりにくくなる、という話を前に聞いたことがあります。もし明羽さんが、「アイマスク」をせずにその正体を全開にして、急に見たことのないキャラクターとしてご登場ということでしたら、逆に視聴者は戸惑いを感じてしまい、あの歌の世界に浸りきることができなかったかもしれません。このことは、きっとブラックオドレーヌ様にも当てはまることでしょう。「アイマスク(仮面)」で正体を隠しておくことが、自由に「遊ぶ」ための一つの重要な要素であったのかもしれませんね。ひとみちゃんが初対面の雪の精と「てとてつないでも はずかしくないね」の状態で、一緒にダンスをして戯れることができたことには、もしかしたら、明羽さんがつけていた、あの白い「アイマスク(仮面)」が一役買っていたのかもしれません。
ところで、「仮面」なんていう言葉を聞くと、なあ~んだか背徳的な悪いイメージがつきまといます。「仮面」という言葉があまりよい意味で使われない場合、「仮面=嘘」ということなのでしょうが、この図式って、いつもあてはまることでしょうか?「仮面をかぶること=嘘をつくこと」という図式はいつもあてはまるわけではない、私はそんなふうに思います。隠してある状態の隙間から、相手の思ってもみなかった姿、本当の姿が見えたりすることがあって、これが案外楽しいことだったりする気がします。すべてを曝け出すことだけが、「ありのまま」を見せることではありませんよね。それもいいのかもしれませんが、やはり隠してある状態のなかで、ちらっと見える「ありのまま」が楽しいときもあるのかもしれません。趣向を凝らした華やかなデザインの「アイマスク(仮面)」をつけて、正体を明かさず、見知らぬ男女が踊る「仮面舞踏会」の魅力って、確かにそんなところにあるような気がするわけです。そういえば、ひとみちゃんも歌ってましたね、「てとてつないでも~ はずかしくないね~ It’s winter time ゆきのくに~♪」って。仮面をつけて、正体を全部明かさないからこそ、その世界に入り込んで、正体を隠した相手の存在に意識を集中させることができたり、駆け引きを楽しんだり、逆に日常レベルでは成り立ち得ない対話が成り立つこともあるのかもしれません。そんなことを考えながら、今回の「ゆきのくに」を振り返ってみると、なんだか「雪と氷のお城での仮面舞踏会」という感じもしました。
「隠すこと」によって「顕われてしまう」部分、「隠す」からこそ見える部分があって、全てを曝け出さずに、仮面で正体を隠しておくことにより、逆に「対話」が成り立つことってありますよね。一見正反対に見えるけれども、実は表裏一体の「隠すこと」と「顕わすこと」の関係・・・、う~ん、なんだか奥深い気がします。「隠せば見えない、顕わせば見える」、そんなお決まりの図式があてはまらないところに、ひととひととのつながりの面白さがあるような気がします。そして、明羽さんが踊っていた雪の精が消えてしまったから、あのお城で起こっていたことは、消えてなくなってしまったのでしょうか?ひとみちゃんの、雪の精を笑顔で見送った表情と、その後の眠りながら夢を見ている表情を見ている限り、消えてなくなってしまったようには思えません。氷と雪が解けてなくなってしまうように、「夢」というものは、見終わるものではありますが、そこに確かにあったという感覚は残るものです。この確かにあったという「夢」にまつわる身体感覚があるからこそ、ひとはまた再び夢というものを見たくなってしまうのではないでしょうか。この曲の終盤で見せてくれる、ひとみちゃんの二つの素敵な表情を見ていると、あの「ぎんいろのせかい」は確かにあった、そんなことを感じてしまいます。
◇「惜しむ」こころと「待つ」こころ
ところで、今回の新バージョン「ゆきのくに」、日本人特有の季節感のようなものを感じさせてくれるものでもあったような気がします。日本の季節は、春・夏・秋・冬の四季からなっています。国によっては、「二季」の場合もありますよね。よく「四季のうつろい」なんていう言葉を聞きますが、日本ほど、その季節のうつりかわりを感じられる国、またそれを楽しんでいる国もないと思います。でも、私たちが季節を楽しむとき、その季節の真っ只中、真っ最中みたいなものだけを、ただ純粋に楽しんでいるのでしょうか?案外、すごーく寒い時期(例えば1月の今)にあるときに限って、凍りつくような、身を切るような寒さを感じながらも、これからやってくる春の暖かさに思いを馳せたり、逆にその寒さの中にほのかな春の気配を感じながら、やがて終わる冬に一抹の寂しさを感じたり・・・。日本人って、季節にまつわるこういう微妙な感情の機微みたいなものを、結構日常生活のなかで楽しんでいるような気がします。
日本人の季節感には、「惜しむ」こころと「待つ」こころというものが息づいている、そんなことを以前、何かの本で読んだことがあります。今回の「ゆきのくに」、時間にしたらわずか2分程度の曲でしたが、そんな日本人の持つ季節感が感じられるところも、個人的に非常に魅力に感じた部分でした。最後の場面、つまりひとみちゃんが消えてゆく雪の精を笑顔で見送るところ、そしてカメラが引いていって、絵本の置かれた椅子の上でひとみちゃんが眠るところ、この二つのひとみちゃんの表情から、「季節のはざま」にあるときの二つの感情というものが感じられたからです。その二つの感情とは、さきほども書いたとおり、過ぎ行く季節が行ってしまうのを「惜しむ」こころと、これから来る季節を少し先取りしながら楽しむという「待つ」こころだったのではないでしょうか。雪の精を笑顔で見送るひとみちゃんの表情からは、楽しく一緒に踊った雪の精が行ってしまうのが何となく寂しく、その別れを「惜しむ」気持ちが読み取れるようでした。一方、椅子の上で眠るひとみちゃんの表情からは、過ぎ行く冬の楽しかった思い出を胸に春を「待つ」気持ちが読み取れる気がします。実際に「ゆきのくに」の歌詞には、「ゆきをだきしめて はるをまっている (中略) It’s winter time ゆきのくに」という歌詞があります。この歌の歌詞にある”winter time”には、雪と氷によって象徴されるような「冬」そのものがはらむ二つの感情、つまり、いつかは終わるものを「惜しむ」気持ち、そしてやがて来るであろうものを「待つ」気持ち、が重ねられているように思えました。
「待つ」こころと「惜しむ」こころ・・・。こんな豊かな季節と季節のはざまの感覚を味わえる日本人って、贅沢なんだあ~、としみじみ思います。そしてわずか2分ほどの子供のため(大人のため)の歌に、このような日本人特有の季節感をギュッと詰め込んで、素敵な歌詞の世界を魅せてしまう「おどろんぱ!プラス」という番組、恐るべし!やっぱり他のどこを探してみても、こんな素敵な番組はありませんね。「おどろんぱ!」には、季節感いっぱいの素晴らしい曲がたくさんありますが、今回の「ゆきのくに」を見ていると、「春」の名曲、「はなさかジージかぜ」の新バージョンも期待してしまいます。こちらの曲はDVD第1弾に収録されているもので、「ほんとうの春がくるまでに、花を咲かせに24回吹くという東からの風」について歌った歌です。季節感に溢れた、とても素敵な歌詞の世界が広がっている曲なので、現在の出演者の皆様だったら、またとても素晴らしいものをみせてくださるのではないか、と密かに期待してしまいますね~♪
楽しみにしていた2007年第1回目の「うたっておどろんぱ!プラス」の放送、津波関連のニュースのために、2週連続で中止になってしまいました。残念ですね~。「おどろんぱ!」のない生活って、こんなにも寂しいものだったのかぁ・・・。たくさんの前向きなチカラをもらえるこんな番組、やはり他にはありません。毎年この季節になると、番組の続行・出演者の方々の続投が気になってしまいますが、以前にも書いたとおり、子供と大人の心の両方にたくさんの素敵な「種」を蒔いてくれるこの素敵な番組の意義というものを、ご理解いただき、NHK様には是非来年度の番組続行をお願いしたいです。
◇夢のような雪のお城の仮面舞踏会
今日は、前回(昨年末)の「プラス」の感想です。ファンの「脳内忘年会」と「脳内新年会」にはぴったりな「YMOP」、そして新バージョン「ゆきのくに」がとても印象的な回でした。今日は、旧バージョンからさらに素敵になったひとみちゃんの演技と、おどるくんスーツを外した明羽美姫さんのダンスがとても素敵だった「ゆきのくに」を見ていて、感じたことをちょっと書いてみたいと思います。
今回の新バージョンは、「ゆきのくに」という絵本を開いたひとみちゃんが、いつのまにかその絵本の世界に引き込まれ、雪の精に導かれるように、雪と氷でできたお城での舞踏会に招待されていく、というような設定。冒頭から途中までは、かわいいイラストの雪の精がひとみちゃんをお城へと誘いいれます。そして、このイラストの雪の精も、途中から現れる明羽さんが踊るこの雪の精も、目元に「仮面」のような白い「アイマスク(?)」をされています。この正体を隠した雪の精がどこから来たのかを知りたくて、まるでひとみちゃんは、雪と氷の「ぎんいろのせかい」で行われていた「仮面舞踏会」に迷い込んだような印象でした。そして、氷の柱のそばで、追いかけごっこのようなことをしていると(このときまでは、イラストの雪の精)、氷の柱の陰から、本物の雪の精(つまり明羽さん)がとび出てきます。お城で雪の精とひとみちゃんはしばらくのあいだ戯れ、踊った後、この雪の精はあっという間に消えてゆくのです。ひとみちゃんはそんな雪の精の行方をどこに行ってしまうのだろう、と眼で追いつつも、微笑みのなかで見送ります。雪の精を見送るときの、最後のひとみちゃんの優しさに満ちた表情が、とても印象的です。そして、画面は、冬の暖かい部屋にいつの間にか変わり、雪のお城が描かれた絵本が置かれた椅子の上で眠るひとみちゃんが視界に入ってきます。そう、「ゆきのくに」の絵本を読んでいるうちに、いつの間にか眠ってしまい、「夢」を見ていたという設定が視聴者に示されるのです。暖かい部屋で、冷たく透き通るような美しい世界の夢を見る・・・、これ、夢をみるときのひとつの理想のかたちかもしれませんね。雪の精を見送るひとみちゃんの笑顔と、この暖かい部屋で透き通った氷のお城での美しい夢を見ているひとみちゃんの寝顔がとても素敵でした。また、こうしたストーリー性が感じられる今回の新バージョン、旧バージョンにはない新しい魅力に溢れていました。(旧バージョンは、ひとみちゃんが実際の大雪原の冷たい空気をいっぱいに吸い込みながら、歩くような設定でした。あちらも素敵でしたよね。DVD第1弾に収録されています。)
それで、今回は旧バージョンよりもさらに素敵になったひとみちゃんのとても肌理の細かい優しい感じのにじみ出た演技、そして、とても身体能力が高いとうかがう明羽さんの確かな技術に裏打ちされた軽やかなダンスがとても印象に残りました。「BSおかあさんといっしょ」のコンサートなどで、今までにも何度か明羽さんのダンスを拝見したことがありましたが、素敵な方だなと思っていたんです。それで、以前からおどるくんスーツを外して踊られる明羽さんのダンスを是非見たいと思っていましたので、「ゆきのくに」でのご登場はとてもうれしいものでした。今回のふんわりとした柔らかな生地でできた青色の衣裳、明羽さんが軽やかに優雅に踊られるたびに、冷たく透き通った空気をはらんで揺れて、とても素敵でした。これからも可能であるなら、おどるくんスーツを外した明羽さんのダンスを番組内でたくさん拝見したいと思います。おにいさんずとの共演(競演)、5人で華やかに踊られるところなども見てみたい~、そんなふうに思ってしまいます。その一方で、今回のようにおどるくんスーツを外した明羽さんのダンスを見ていると、「おどるくん」としてのダンスや演技が、いかに計算しつくされているものなのかということがよくわかりました。
それで、いつもは「おどるくん」のなかに入っているはずの明羽さんが、今回は、その「スーツ」を外し、「アイマスク」で目元を隠しながらの、初めてのご登場の回でした。でも「おどろんぱ!」を振り返ってみると、結構「アイマスク」登場してますね~♪「おどるくん」の声優さんである渡辺久美子さんが「ブラックオドレーヌ」としてご登場のときも、正体を全て明かさないように仮面舞踏会で使われるような黒い「アイマスク」を装着してご登場です。オドレーヌ様の場合には、ちょっと背徳的な香りが漂いますが・・・。「わたしはブラックオドレーヌ」にご登場のおにいさんずにも、このアイマスクとスケスケのメッシュシャツにより、教育テレビにはあるまじき、相当危険な香りが漂っていましたね。(いつか「プラス」で、新バージョン「わたしはブラックオドレーヌ」、見てみたいです♪)
やはり「おどろんぱ!」は、長く続いている番組。視聴者のあいだではキャラクターが定着しているので、見慣れている番組内に見たことのない新たなキャラクターが正体全開でいきなり登場してきたら、視聴者は驚いてしまうところがあるのでしょうか。「アイマスク」によって、多少なりとも「人格」というものを希薄にさせて、なんとなく正体不明のまま「雪の精」として登場することは必要だったのかもしれませんね。人間の表情は、目とその周辺によってかなり出来上がるところがあるので、「アイマスク(仮面)」によってそのあたりを隠すことは、表情がある程度固定されることになり、正体がわかりにくくなる、という話を前に聞いたことがあります。もし明羽さんが、「アイマスク」をせずにその正体を全開にして、急に見たことのないキャラクターとしてご登場ということでしたら、逆に視聴者は戸惑いを感じてしまい、あの歌の世界に浸りきることができなかったかもしれません。このことは、きっとブラックオドレーヌ様にも当てはまることでしょう。「アイマスク(仮面)」で正体を隠しておくことが、自由に「遊ぶ」ための一つの重要な要素であったのかもしれませんね。ひとみちゃんが初対面の雪の精と「てとてつないでも はずかしくないね」の状態で、一緒にダンスをして戯れることができたことには、もしかしたら、明羽さんがつけていた、あの白い「アイマスク(仮面)」が一役買っていたのかもしれません。
ところで、「仮面」なんていう言葉を聞くと、なあ~んだか背徳的な悪いイメージがつきまといます。「仮面」という言葉があまりよい意味で使われない場合、「仮面=嘘」ということなのでしょうが、この図式って、いつもあてはまることでしょうか?「仮面をかぶること=嘘をつくこと」という図式はいつもあてはまるわけではない、私はそんなふうに思います。隠してある状態の隙間から、相手の思ってもみなかった姿、本当の姿が見えたりすることがあって、これが案外楽しいことだったりする気がします。すべてを曝け出すことだけが、「ありのまま」を見せることではありませんよね。それもいいのかもしれませんが、やはり隠してある状態のなかで、ちらっと見える「ありのまま」が楽しいときもあるのかもしれません。趣向を凝らした華やかなデザインの「アイマスク(仮面)」をつけて、正体を明かさず、見知らぬ男女が踊る「仮面舞踏会」の魅力って、確かにそんなところにあるような気がするわけです。そういえば、ひとみちゃんも歌ってましたね、「てとてつないでも~ はずかしくないね~ It’s winter time ゆきのくに~♪」って。仮面をつけて、正体を全部明かさないからこそ、その世界に入り込んで、正体を隠した相手の存在に意識を集中させることができたり、駆け引きを楽しんだり、逆に日常レベルでは成り立ち得ない対話が成り立つこともあるのかもしれません。そんなことを考えながら、今回の「ゆきのくに」を振り返ってみると、なんだか「雪と氷のお城での仮面舞踏会」という感じもしました。
「隠すこと」によって「顕われてしまう」部分、「隠す」からこそ見える部分があって、全てを曝け出さずに、仮面で正体を隠しておくことにより、逆に「対話」が成り立つことってありますよね。一見正反対に見えるけれども、実は表裏一体の「隠すこと」と「顕わすこと」の関係・・・、う~ん、なんだか奥深い気がします。「隠せば見えない、顕わせば見える」、そんなお決まりの図式があてはまらないところに、ひととひととのつながりの面白さがあるような気がします。そして、明羽さんが踊っていた雪の精が消えてしまったから、あのお城で起こっていたことは、消えてなくなってしまったのでしょうか?ひとみちゃんの、雪の精を笑顔で見送った表情と、その後の眠りながら夢を見ている表情を見ている限り、消えてなくなってしまったようには思えません。氷と雪が解けてなくなってしまうように、「夢」というものは、見終わるものではありますが、そこに確かにあったという感覚は残るものです。この確かにあったという「夢」にまつわる身体感覚があるからこそ、ひとはまた再び夢というものを見たくなってしまうのではないでしょうか。この曲の終盤で見せてくれる、ひとみちゃんの二つの素敵な表情を見ていると、あの「ぎんいろのせかい」は確かにあった、そんなことを感じてしまいます。
◇「惜しむ」こころと「待つ」こころ
ところで、今回の新バージョン「ゆきのくに」、日本人特有の季節感のようなものを感じさせてくれるものでもあったような気がします。日本の季節は、春・夏・秋・冬の四季からなっています。国によっては、「二季」の場合もありますよね。よく「四季のうつろい」なんていう言葉を聞きますが、日本ほど、その季節のうつりかわりを感じられる国、またそれを楽しんでいる国もないと思います。でも、私たちが季節を楽しむとき、その季節の真っ只中、真っ最中みたいなものだけを、ただ純粋に楽しんでいるのでしょうか?案外、すごーく寒い時期(例えば1月の今)にあるときに限って、凍りつくような、身を切るような寒さを感じながらも、これからやってくる春の暖かさに思いを馳せたり、逆にその寒さの中にほのかな春の気配を感じながら、やがて終わる冬に一抹の寂しさを感じたり・・・。日本人って、季節にまつわるこういう微妙な感情の機微みたいなものを、結構日常生活のなかで楽しんでいるような気がします。
日本人の季節感には、「惜しむ」こころと「待つ」こころというものが息づいている、そんなことを以前、何かの本で読んだことがあります。今回の「ゆきのくに」、時間にしたらわずか2分程度の曲でしたが、そんな日本人の持つ季節感が感じられるところも、個人的に非常に魅力に感じた部分でした。最後の場面、つまりひとみちゃんが消えてゆく雪の精を笑顔で見送るところ、そしてカメラが引いていって、絵本の置かれた椅子の上でひとみちゃんが眠るところ、この二つのひとみちゃんの表情から、「季節のはざま」にあるときの二つの感情というものが感じられたからです。その二つの感情とは、さきほども書いたとおり、過ぎ行く季節が行ってしまうのを「惜しむ」こころと、これから来る季節を少し先取りしながら楽しむという「待つ」こころだったのではないでしょうか。雪の精を笑顔で見送るひとみちゃんの表情からは、楽しく一緒に踊った雪の精が行ってしまうのが何となく寂しく、その別れを「惜しむ」気持ちが読み取れるようでした。一方、椅子の上で眠るひとみちゃんの表情からは、過ぎ行く冬の楽しかった思い出を胸に春を「待つ」気持ちが読み取れる気がします。実際に「ゆきのくに」の歌詞には、「ゆきをだきしめて はるをまっている (中略) It’s winter time ゆきのくに」という歌詞があります。この歌の歌詞にある”winter time”には、雪と氷によって象徴されるような「冬」そのものがはらむ二つの感情、つまり、いつかは終わるものを「惜しむ」気持ち、そしてやがて来るであろうものを「待つ」気持ち、が重ねられているように思えました。
「待つ」こころと「惜しむ」こころ・・・。こんな豊かな季節と季節のはざまの感覚を味わえる日本人って、贅沢なんだあ~、としみじみ思います。そしてわずか2分ほどの子供のため(大人のため)の歌に、このような日本人特有の季節感をギュッと詰め込んで、素敵な歌詞の世界を魅せてしまう「おどろんぱ!プラス」という番組、恐るべし!やっぱり他のどこを探してみても、こんな素敵な番組はありませんね。「おどろんぱ!」には、季節感いっぱいの素晴らしい曲がたくさんありますが、今回の「ゆきのくに」を見ていると、「春」の名曲、「はなさかジージかぜ」の新バージョンも期待してしまいます。こちらの曲はDVD第1弾に収録されているもので、「ほんとうの春がくるまでに、花を咲かせに24回吹くという東からの風」について歌った歌です。季節感に溢れた、とても素敵な歌詞の世界が広がっている曲なので、現在の出演者の皆様だったら、またとても素晴らしいものをみせてくださるのではないか、と密かに期待してしまいますね~♪