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路上の宝石

日々の道すがら拾い集めた「宝石たち」の採集記録。
青山さんのダンスを原動力に歩き続けています。

◆“私・写・録”Personal Photo Archives

2007-10-07 02:12:41 | ちょっと寄り道
1週間ほど前に、ずっと気になっていた「”私・写・録(パーソナル・フォト・アーカイブス)”1970-2006」展を観に、国立新美術館へ行ってきました。展覧会の詳細に関しては、コチラです。7月に別の展覧会を観るために、同美術館へ行った際、この写真展の開催予告を見かけ、そのタイトルと展覧会の趣旨に非常に興味をひかれていました。「1970年から今日まで、東京を中心に現代美術の現場を撮影してきた」という安齋重男さんの、30数年間にわたる3000点にも及ぶ作品。どうしてこんな「夥しい数」の写真作品と「私(パーソナル)」という視点が結びつくのか?またひたすら「現場」というものを、「私」の視点にこだわって追い続けていて、それが時間の積み重ねのなかで「録(アーカイブス)」となりえているところも、スゴイ!とにかく、写真家ではなく「アート・ドキュメンタリスト」である安齋さんの写真のある空間を実際に体験してみたかったというわけです。


左は写真展カタログ。右はチラシです。
カタログ内、1枚1枚の写真に添えられた安斎さんによるメモが、好きです。

会場に入ると、まずは1970年代初頭(安齋さんが撮影を始めた頃)の写真作品(モノクロ)が、横の列を意識させる構成で整然と並んでいます。一つ一つの写真の大きさはそれほど大きくなくて、1枚1枚が白い壁に虫ピンでシンプルに留められているだけ。現像時に周辺部を露光させて創り出すという、写真の額縁のように見える独特な黒い枠も、ひとつひとつの写真が特別なものであるというイメージを与えてくれる感じがします。知っているアーティストや作品が写っていなくても、そこに写っている「人」と「空間」に、何故か心がざわめく・・・、冒頭からそんな感じがします。なんかスゴイことがあちらこちらで起き始めていた時代だったのかな、そんなことも頭の中をよぎる・・・。やがて視界が大きく開ける大展示場へと進むと、会場を取り囲む壁面に、1年毎に写真をタワーのように縦に配置して展示してある大空間に。その縦の写真の列がたくさん集まって、圧倒的な量感をもって迫ってくる写真作品群が、周囲の壁一面を覆いつくしています。一方、会場中央のスペースを取り囲むように配置してある、天井まで届くかのような高さのあるボードには、アーティスト個人を写した、大画面のポートレート写真の数々が、ダイナミックに展示されています。あの大会場の入り口から見渡す、そんな会場の光景には、軽く眩暈の感覚すら覚えます。正直なところ、入り口では、これ全部見られるのかなあ?とちょっと不安になったりもしました。しかし、1枚1枚の写真に封じ込められた「現場」や「人」の空気感に吸い込まれるように、いつの間にか壁に貼られた写真の数々を追っている自分がいました。

安齋さんの作品は、大きく二つに分けられるそうです。これは先ほど述べた会場の構成の仕方からもすぐわかることなのですが、ひとつは、「アーティストの個性を的確に捉えたポートレイト」作品群。もうひとつは、「今では存在しない作品や画廊、歴史的な展覧会の様子などを収めた史料的価値の高いドキュメント」としての作品群。これら二つの作品群を見比べると、安齋さんの被写体との関わり方の違いがよくわかり、非常に興味深いです。今回私は、最初に後者の作品群を、そして締めくくりとして前者の作品群を、という順路で観覧してみました。

まず周囲の壁に虫ピンで留められた、夥しい数の「現場」を撮った作品群、つまり、「ドキュメント」的な性格が強い作品群について。とにかくスゴイ数の写真で、写真をひとつひとつ追いかけながら、一瞬一瞬様々なことを感じていました。個人的には、水玉模様のモチーフで有名な草間弥生さんの写真、縞模様で空間の質感を変えるダニエル・ビュランさんの写真などが身近に感じられました。草間さんの作品は、学生時代のアルバイト先に入っていたギャラリーでよく個展が開催されていたので、そのときに観た感じと、写真から感じ取られるものがシンクロして、不思議な感覚に包まれました。ダニエル・ビュレンさんの作品は、以前縞模様に興味を持ったときに、本などでよく見ていたのですが、70年代に地下鉄銀座駅で行っていたという「ストライプ・ゲリラ」の写真を会場で発見して、こんなことをしていたアーティストだったのか、と新鮮な眼で見られたりしました。

安齋さんの追ってきた対象は、現代美術。インスタレーション、アクションペインティング、パフォーマンス・アート・・・。多様化する現代美術の状況を反映して、撮影場所も、美術館、画廊、ギャラリー、劇場に収まるはずはなく、公園、田園地帯、そして企画に関わる人たちのいる大学研究室にまで及びます。そして、そこに写っているのは、いわゆる「作品」だけでなく、それを作るアーティスト、作品を観に来たお客さん、アーティストを支える人たち、はたまたその作品のそばをたまたま通りかかった人だったりするわけです。その「人たち」や「もの」の撮り方も実に様々で、制作過程を撮ったもの、完成した作品だけを撮ったもの、その前でポーズをとるアーティスト、といった具合です。ただ安齋さんの写真を観ていて不思議なのは、30数年前の写真に写った人たちの服装や髪型は、いかにも70年代なのに、いつの間にか、そういうこと(「過去はこうだった」ということ)よりも、その現場に流れていた空気感に引き込まれてしまっていて、「過去の時代性」よりも、その現場に居合わせているような「リアルさ」の方が上回ってしまっているということでした。そして、もうひとつ安齋さんの写真を観ていて不思議だったのは、これだけ現場の空気感を写し取っているのに、被写体にべたぁ~っとくっついた撮り方をしていない感じがすることなんです。写真から現場の熱気、空気感はリアルに伝わってくる、でも、安齋さんの撮り方は熱くない(?)、というか、きっと安齋さんは熱いのでしょうが、敢えて、撮り方においては、その熱さを封じ込めている感じがする、と言ったらよいのでしょうか。また、これらのドキュメント作品に写されているアーティストたちは、固有名詞を持った、有名な(世間に名の知れている)誰々というアーティストというよりはむしろ、ものをつくるひとりの人間という性格を強く帯びている気がして、非常に愛おしく思えるような気がしたのです。「現代美術」というと、中には前衛的すぎて理解不能と考えてしまうことが多いような気がしますが、安齋さんの写真を観ていると、そういうことよりも、何かをつくることによって、誰かに何かを伝えようとしている人たちが確実にいたことが感じられて、温かい気持ちに包まれてくる気がしました。普段、ダンスを観ていて感じていることでもありますが、やはり、そこの場でしか成り立ち得ない空気というのがあると思います。ひとが関わって作品(もの)をつくるときに出来る場、そのものづくりの場における「一回性」、つまり同じものをつくろうと思っても二度と同じものはできない、そういうものに対する安齋さんのこだわりが強く感じられました。そして、そのものづくりをカメラ越しに追うことで、アーティストや作品と対話し、理解することによって、ものづくりに参加しようとしている、そんなことが感じられてくるような気がしたのです。

天井付近まであるボードにダイナミックに配置されてあるアーティストたちのポートレート写真の数々もまた印象的なものでした。これらの作品では、アーティストの上半身、顔のアップ、あるいはその一部が写し撮られています。オノ・ヨーコさん、ミヤケ・イッセイさん、バスキアに、デビッド・リンチなどがあったでしょうか。「ドキュメント」作品群を観てから、これらの個性豊かなアーティストたちの「ポートレート」作品を観ると、やはり、安齋さんの被写体との距離感の取りかたの違いが感じられますし、安齋さんのアーティストたちの個性を写し撮ろうとする気迫が、画面いっぱいに漲っている気がして、圧倒されます。

こうして、会場の写真を一通り観終わり、中央のスペースに置いてあるベンチに座って、今回の写真展の閲覧用カタログ、そして安齋さんの作品を特集した記事のファイルを読んでいました。安齋さんは、写真を撮るだけでなく、現代美術に関する文章も多く書かれているだけあり、記事のなかには私にとって印象深い言葉もあったので、ちょっとメモったりしていたのです。そんなことをしていたら、安齋さんが、「何か質問みたいなことはありますか?」と気さくに話しかけてくださいました。今回の展覧会では、安齋さんによるレクチャーやワークショップも数回行われているようですが、会期中はなるべく会場に来て、会場にいる人との交流を心がけておられるのだそうです。私も写真を観させていただいての感想などをお話させていただいたのですが、こちらの感じていることを瞬時に読み取られて、漠然と感じていたことが明確になるように、ピントを合わせてさっと光を当てるかのように答えてくださるお話に、すっかり時が経つのも忘れてしまうほどでした。

「現場」にある「視覚+α」のものを写し撮ることへのこだわり。最初に設定され決められた完成形を実現するためではなく、制作過程での試行錯誤と微調整によって、作品が変化してゆくことの楽しさと、その現場に立会い、作品制作に関わることのよろこび。安齋さんとのお話から、そのようなことがひしひしと伝わってきました。初めて観たときの「これ何だ!?」という感覚。ひとりのアーティストに関しても、前のを見ているからこそ見えてくる次の何か、それがあるから、どんどん追いかけていってしまう。愛情、愛着、好奇心。ひとりのアーティストのことを伝えるにも、そのアーティストのことをどれだけわかっているのか、責任を持たなくてはならない・・・。広い会場を埋め尽くすように配置された写真を観た後にうかがった安齋さんのお話。そのなかの重みのある言葉の数々と、私が感じたこと。安齋さんのお話をうかがっていると、会場で安齋さんの写真をひとつひとつ追いながら、少しずつ蓄積されていった私のなかの形にはならないものが、まとまりを持って束ねられていくような気がしました。

「私」という「パーソナル」な視点にこだわって、30数年にわたって「現場」と「人」を撮り続けた安齋さんのエネルギー、それがどんなものなのかを感じ取りたい。今回、私がこの展覧会へと足を運んだことの一番の動機は、これだったかもしれません。演奏者も、自分も、観客も毎回調子が違って、空気が変わる、それを1日1日追うことができる、そんな幸せなことはない。マイルス・デイビスのツアーに1週間ほどついて行かれた時のことをお話してくださる安齋さんの笑顔がとても印象的でした。そして、長い活動のなかで、やはり感じることは、ひとりではものはつくれない、こうやっていろんな人がいて、ものはつくれる・・・。そんな安齋さんのお話をうかがいながら、広い会場の中央にあるベンチから今一度眺めてみる安齋さんの撮った写真は、また特別なもののように思えたのです。

ところで、安齋さんが声をかけてくださったとき、私がちょうど読んでいたのが、草月会館の情報誌に掲載された安齋さんの記事、「草月という『確かな美術の現場』」でした。イサム・ノグチ、サム・フランシス、ジョン・ケージ・・・。国内外の多くのアーティストたちが活躍してきた草月という場に、カメラとともに居合わせることのできる安齋さんの喜びが綴られている文章で、1984年のナム・ジョン・バイクとヨーゼフ・ボイス(←会場にあった帽子を被ったボイスのポートレート写真はとても印象に残りました)のパフォーマンスを撮った写真とともに、興味深く読ませていただきました。記事の中に、「さまざまなアーティストたちとのすさまじいまでの純粋で熱気に満ちた現場」という言葉がありました。そんな言葉と写真を頼りにして、安齋さんが居合わせた、私の知らない草月という現場に思いを馳せていたのです。2002年10月2日の草月ホール。今からちょうど5年前の秋、青山航士さんが『森羅』を踊っていた、私の知っている「草月の現場」。私のなかのフィルムにくっきりと焼き付けてある「すさまじいまでの純粋で熱気に満ちた」現場を、私はまだ現像できずにいます。あの日の帰り道、急行電車から降りて、混雑した二子玉川の駅で各駅停車の電車待ちをしていたときの暑いような涼しいような感覚が、今でも残っているのですが、『森羅』に関しては、もしかしたら、あのときからずっと私は止まったままなのかもしれません。

◆「舞台芸術の世界 ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン」展

2007-09-20 12:24:06 | ちょっと寄り道
『ALL SHOOK UP』のCDも届いて、こちらのことについても書きたいのですが、今日は「寄り道」ネタで失礼します。青山さんファンとしては懐かしい話題、「ニジンスキー」に関連して、展覧会のご紹介です。先週末は、東京都庭園美術館に、「舞台芸術の世界 ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン(A World of Stage:Russian Designs for Theater, Opera,and Dance)」展を観に行ってきました。まずこの展覧会の概要については、コチラ。行かれた方はおわかりになると思いますが、東京都心にもかかわらず、緑に囲まれた敷地内にひっそりと建つこの庭園美術館は、旧朝香宮邸を美術館として改築した建物。アール・デコ様式のなかに日本的なものが溶け込んでいて、落ち着きと懐かしさを感じさせてくれる佇まいが、周辺の緑に、そして「時」の刻まれた展示物に、特別な情趣を与えてくれているかのようです。緑の中で深呼吸しながら、建物のエクステリアを楽しみつつ、癒しのひとときを楽しむもよし、時代を駆け抜けた展示物をやさしく包み込むような建物内部/インテリアのなかで、展示物が生きてきた時間にそっと寄り添い、その物の語りかけに静かに沈潜してゆくのも、非常に心地がよい・・・、そんな場所です。



ところで、「ロシアバレエ団(バレエリュス)」といえば、以前にも話題になったニジンスキーが有名です。「踊る写真は残っているのに、映像は残されていない。」「ダンサーとして活躍したのは、たったの10年間だけであった。」「その跳躍は、空を飛んだまま戻ってこないようであった。」「引退後は、精神に異常をきたし、長い隠遁生活を送ることとなった。」こんな数々の伝説によって語られるニジンスキーの存在は、確かに、同時代を生きていない者にとってさえも、様々な想像を掻き立ててくれる、時代を超えた”ICON”なのかもしれません。私がそんな彼の存在に初めて興味を惹かれたのは、大学1年生の頃でした。当時の私も当然、そんな数々の「伝説」に惹きつけられたうちのひとり。『牧神の午後』でのポーズを取った彼の写真を見て、ただならぬ雰囲気にひきつけられた私は、早速彼に関する何冊かの本を読んだり、映画を観てみたりしたような気がします。そんなことをしていくうちに、ニジンスキーだけではなく、当然彼の周辺、つまり今回の展覧会のテーマにもなっている「ロシア・バレエ団とディアギレフ」というところに行き着きました。時代的にも非常に面白いし、ディアギレフを中心に様々な才能が集まって、多くの作品が生み出されていったという状況にも、興味をひかれました。それ以来、ニジンスキーとその周辺の事柄に関しては、機会があるたびに、本を読み返してみたりしています。そのたびごとに、あの時代を生きた人々の息づかいが聞こえてくるような気がするし、何よりもダンスを中心にした舞台芸術の世界にかけた人々の熱い想いに触れられる気がするのです。「舞台って不思議な場所だ・・・。」青山さんのダンスに出会ってからは特に、そんなことを考えながら過ごしている私にとっては、彼らの過ごした時間を追体験してみることは、とても魅力的なことのように思えるのです。私が機会に恵まれるたびに、ニジンスキーやディアギレフが生きた時代に彷徨ってしまうのは、そんな理由によるのかもしれません。

今回の展覧会では、これまで本やネット上で眼にしてきた版画や写真を実際に見られるということ、また当時のステージで実際に着用された衣裳が展示されるということが、私にとっては、大きな意味を持っていました。ジョルジュ・バルビエの版画集『ワツラフ・ニジンスキー』、そして、ロバート・モンテネグロの版画集『ワツラフ・ニジンスキー』の一部も、リトグラフという形で勿論展示されていましたが、眼の前で実際に眼にしてみると、本やネットで見ているのとは違う迫力が、当然ありました。特に、圧倒されたのが、金と黒と白の色彩のみで構成されたモンテネグロのニジンスキー像。妖艶さ、エロティシズム、魔性、悪魔的なもの・・・。ニジンスキーの踊りにモンテネグロが見出したものが、たった1枚の紙に見事に写し取られている気がして、その存在感にしばしの間、打ちのめされました。これまでも見たことがあったモンテネグロの版画。しかし、展覧会で実際に眼にしたそれは、バルビエのニジンスキー像とは異なり、明らかに「何か」においてバルビエによるそれとは一線を画している気がしました。『シェエラザード』の「金の奴隷」、そして『カルナヴァル』の「アルルカン」においては、特にその傾向が顕著に現れているようでした。身を捩じらせて宙に舞う「金の奴隷」を、画面左下で待ち受けているかのように描かれる鋭い短刀の刀先。死と隣り合わせの狂乱的な愛の官能性が見事に描かれていて、この版画が展示されている壁の前で、描かれたその姿に吸い込まれてしまうような感覚を覚えました。「金一色」で塗り込められた背景も、非常に印象的です。

そして、『カルナヴァル』の「アルルカン」。一口に「道化」と言っても、アルルカンやピエロなど、喜劇の発展史の中で様々な系譜があるのでしょうが、モンテネグロが描いたニジンスキーの「アルルカン」は、日常を非日常に、非日常を日常へと、祝祭的な雰囲気の中で転覆させ、撹拌していく、道化の特徴が、非常によく表現されている気がしました。そのことを観る者の眼に強烈に印象付けているのが、画面中央に、白と黒でダイナミックに描かれた「ダイヤ柄」のレギンスなのではないでしょうか。歴史的にも、こうした多色使いの柄は、縞模様とともに、道化の衣裳に特徴的なものであると思いますが、ニジンスキーの強靭な大腿部から膝、そしてつま先までを覆っているこの衣裳、目もとを覆っているマスクとともに、「ペトルーシュカ(こちらも同じくダイヤ柄のパンツを身につけ、道化的)」とはまた違う「アルルカン」の存在感を鮮烈に印象付けている気がしました。『カルナヴァル』の「アルルカン」の実際の「ダイヤ柄」の衣裳は、勿論版画に描かれたような「白黒」ではなく、「赤と水色」によるもので、カラフルなものです(さきほどご紹介したリンク先のページの画像でご確認ください)。「ダイヤ柄」の衣裳も鮮やかに、カーテンから右半身を覗かせて、不敵な笑みを浮かべるモンテネグロによるニジンスキーの「アルルカン」。エキゾティックな魅力に満ちた「金の奴隷」の版画と共に、今回の展覧会で、最も印象に残った作品であり、ニジンスキーの魅力とそれを捉えるモンテネグロのまなざしが濃厚に封じ込められた作品世界が非常に魅力的に感じられました。



また、お馴染みのこれらの版画や写真によって定着していた衣裳のイメージが、実際にステージで着用された実物の衣裳を見ることによって、当時の舞台を想像しやすくなった、というのも事実です。版画や写真に写し取られた人物像や衣裳は、当然モノクロか、せいぜい3~4色刷り。デザイン画なら衣裳の色や形状がかなり忠実に再現されていますが、やはり実際に当時のダンサーが着て踊っていた衣裳を見るというのは、特別な体験です。今回の展示で特に眼をひいたのは、展示室に入場してすぐに飾ってある、レオン・バクストによるミハイル・フォーキンのための「アムーン」の衣装(先ほどのリンク先の画像でご確認ください)。これは、1908年マリインスキー劇場で初演された『エジプトの夜』のために制作されたものだそうで、1909年バレエ・リュスによるパリ・シャトレ劇場の上演でも使用されたそうです。100年も前の舞台衣裳ですが、これを100年前に男性ダンサーが身につけて踊ったら、それはビジュアル的に非常にセンセーショナルなものだったのではないでしょうか。この衣裳、時を経て、細部にほころびのようなものが感じられますが、会場内でエキゾティクな芳香を一際放っているように思われました。この『エジプトの夜』は、後の『クレオパトラ』の土台となった作品だそうで、バクストのデザインに見出されるエキゾティックな視線は、『シェエラザード』へと受け継がれてゆくようです。

今回の展覧会では、パリ・オペラ座バレエ団の『薔薇の精』、『牧神の午後』、『ペトルーシュカ』の映像を見られたことも大きな収穫でした。『薔薇の精』と『牧神の午後』がセットで25分ほどの上映、『ペトルーシュカ』が単品で35分ほどの上映でした。東京会場では、家庭用の大型テレビに映し出される映像を、周囲に配置されたパイプイスに座って鑑賞するというシステム。この展覧会は、既に京都を巡回してきているようですが、他の会場ではどのような視聴システムだったのでしょう。せっかくの貴重な映像、もう少し大きく鮮明なスクリーンで鑑賞したかったなあ、というのは正直なところあります。一通り展示を見た後、映像によって実際にダンスを見ると、展示物との関連性が把握できてよろしいのではないでしょうか。また、『薔薇~』と『牧神~』をセットにして上映してくれたというのは、とても魅力的でした。どちらも「夢想」がテーマの一部分をなしている作品であると思いますが、『薔薇~』ラストにおける、薔薇の精の窓の外への跳躍、そして物議を醸したという『牧神~』ラストにおける、ニンフの残した飾り帯と戯れる牧神の姿。どちらのシーンも、ニジンスキーのダンスを伝説化している二つの重要なシーンだと思いますが、両作品を並べて観ることができて、本当によかったと思っています。

さらに、『ペトルーシュカ』を観ることができたのも、大きな収穫でした。部分でしか見たことのなかったこの作品でしたが、色彩豊かなロシアの民族性を感じられるお祭りのなか、ペトルーシュカ、ムーア人、バレリーナの人形芝居が始まるわけです。今回の展覧会では、「ロシアの民族性」ということに照明が当てられていたのですが、展示物を見た後、『ペトルーシュカ』の舞台映像を見て、その「ロシア的なもの」が見事に展開している舞台セットや衣裳に、眼を奪われました。アレクサンドル・ブノワによる『ペトルーシュカ』の衣裳デザインの水彩画も展示されていたのですが、そのうちバレリーナの衣裳は、当時の舞台衣裳が展示されていて、デザイン画と実際の衣裳、そしてステージでダンサーがその衣裳を着て踊る映像を確かめられて、非常に興味深かったです。

バレエ・リュスは、パリを拠点にヨーロッパ各地で活動したということですが、今回の展覧会では、その文化的な中心地から発信されたものだけではなく、そのバレエ・リュスの活動などに多くの影響を及ぼした、当時のロシアの舞台美術の世界が紹介されていることが、興味深かったです。当時のロシアは、「喜劇的な感受性」に支配されていた、ということですが、衣装のデザイン画やポスターを取り上げてみても、独特の色彩感覚で描かれた作品が目立ち、現代にこんな広告があってもおかしくない、と思えてしまうぐらいのキッチュな世界が展開していました。当時のサンクトペテルブルグやモスクワで盛んだったキャバレー文化は、20年代のベルリンのキャバレー文化へと受け継がれてゆくということです。ミュージカル・映画の『キャバレー』にもつながっていくような世界でしょうか。

また今回の展覧会の最終展示室は、「舞台を彩った人々」というコーナーでした。舞台で活躍するダンサー、俳優、プロデューサーの肖像画だけではなく、彼らを風刺したユーモア溢れるカリカチュアも出展されていて、当時のステージシーンに向けられた多角的なまなざしを理解するための一助となっています。様々なスタイルで描かれた作品群のなかで、特に美しかったのは、タマラ・カルサヴィーナとアンナ・パブロワをそれぞれ描いた肖像画でした。最終展示室の外の廊下の壁に掛けられたこの二つの作品を前にして、足を止め、じっと見つめている方が多く見受けられました。また、「劇場の中」と題された、セルジュ・スデイキンによる126センチ四方のキャンバス画もインパクトのある作品でした。そこには、白い手袋をはめた両手を組み、冷めたような視線を投げかける女性と、オペラグラスを片手に舞台へと熱いまなざしを向ける男性が描かれています。これだけ豊穣な舞台芸術の世界が花開いた時代、舞台人だけでなく、観客側のエネルギーというのも、ただならぬものがあったのではないか、と思われてなりませんでした。

1920年代後半、時代の流れに適応するために、バレエ・リュスの活動も既に多様化していたようですが、1929年、ディアギレフの死によって、バレエ・リュスは解散することとなります。バレエ・リュスは、パリを拠点に、ベルリンその他ヨーロッパ各地で活動していましたが、1929年のベルリンといえば、ミュージカル『グランドホテル』の時代と重なります。バレリーナのエリザベータのお取り巻きのひとりである劇場主サンダーの台詞に、「もうバレエは流行らない。これからはジャズだ、ヌードだ、ジョセフィン・ベイカーだ。」というものがありました。「褐色の女王」と言われたジョセフィン・ベイカーが踊り、20年代を席巻したチャールストンも、元は黒人文化を土台として発達したダンス・ミュージックでした。バレエ・リュスも、ロシアの民族的な要素、そしてアフリカや中東などの要素を異国趣味として、取り入れたことが成功の大きな要因だったということでしたが、バレエ・リュスの活動とチャールストンの流行、両者のあいだには、「異質なもの」を受け入れる度合いに違いこそあれ、「異質なもの」に対する憧憬があったことは確かなことのようです。

この展覧会は、17日で終了してしまいましたが、庭園美術館では、この後、10月6日から『世界を魅了したティファニー 1837-2007(The Jewels of TIFFANY)』展が行われるということです。宝石の世界にご興味がおありの方、庭園美術館周辺の木々も赤や黄色に色づき始める頃、秋を感じながら、散策がてらご覧になってみてはいかがでしょうか。



画像は、先週末から読んでいる3冊の本です。両サイドの2冊は、本棚の奥から探してきたもの。左は、リチャード・バックルによる『ディアギレフ ロシア・バレエ団とその時代』。右は、『ニジンスキーの手記 肉体と神』です。今から10数年前に、この『ニジンスキーの手記』を初めて読んだときは、「何じゃこりゃああ~」(by 「太陽にほえろ!」ジーパン刑事、ニジンスキーファンの方、表現がふさわしくなくても、どうか気を悪くされないでください)と叫びたくなるほどの衝撃を受けたものでした。でも、今回の展覧会を観て、久しぶりにニジンスキーのいたあの時代に浸ってみると、これらの本に書いてある言葉も、また新たな響きをもって、届くような気がします。

中央の1冊は、ご存知の方も多いと思いますが、最近発行された『ICON アイコン VASLAV NIJINSKY』です。写真や図版が多く掲載されており、文章も読みやすいです。

最後に、『ニジンスキーの手記』を編集したロモラ・ニジンスキーの言葉をご紹介しておきます。

「ニジンスキーは偉大な舞踏家として知られていた---舞踏の神として---だが、彼はそれ以上の人であった。彼は博愛主義者であり、真実の探究者であった。彼のただ一つの目的は、救済すること、共に分つこと、愛することであった。彼は全生涯と魂とその天才を人類のためにそそぎこみ、観客を高め、世界に芸術と美と喜びを与えようとした。彼の目的はひとを喜ばすことでも、自分の成功や栄光を得ることでもなく、自分自身の媒体---舞踏---を通じて神聖なるメッセージを与えることであった。」

ニジンスキーの妻、ロモラに関しては、様々な評判がありますが、ニジンスキーに対してのひとつの見方を示すものとして、彼女の言葉には、ひかれるものがあります。それにしても、深遠で崇高な世界・・・。「読書の秋」、そして「芸術の秋」ということで、あちらこちらに寄り道しておりますので、更新のペースが不規則になっておりますが、更新が滞っていたら、のん気に本を読んでいるか、どこか美術館にでも行ってるんだろう~、と思ってください。そのうち必ず更新します。


◆ブログを再開させていただきます。

2007-07-12 23:24:04 | ちょっと寄り道
4月末よりブログの更新を長らくお休みさせていただきましたが、「路上の宝石」としてブログを再オープンし、再び記事を書いてみることにしました。昨年の8月にブログを開設して以来、拙い文章にもかかわらず、多くの方々に読んでいただきましたこと、心より感謝しております。また、2ヶ月ちょっとのあいだ、急にお休みすることになってしまいまして、大変申し訳ございませんでした。今回、ブログを再開するにあたり、4月までの記事もそのままアップさせていただきました。(頂いたコメントも少しずつアップしてゆく予定ですので、もう少々お待ちください。)

お休みしていましたあいだ、あたたかく見守ってくださり、励ましてくださった皆様、本当にありがとうございます。心より感謝しております。もっと早くにブログも再開し、皆様に感謝の気持ちをお伝えしたかったのですが、なかなか時間の都合がつかずに、今日という日になってしまいましたことも、お詫びいたします。未熟者の私が書く文章で、至らない点も多々あるかとは思いますが、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。昨年の8月に自分のブログを開設するずっと前から、あのこともこのことも書きたい!と思っていたことがたくさんあったのですが、まだ記事にしていないこともたくさんあります。またお休みしていた間に見つけたこともあったりしますので、そんなひとつひとつのことを、私なりのしかたで大切に記録していけたら、と思っています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。



◆アクロバットエンターテインメント

2007-04-17 11:13:03 | ちょっと寄り道
残念ながら終了してしまった教育テレビの「うたっておどろんぱ!」にも、「おどろんファイター」や「三忍者」など、立ち回りを含めたアクロバティックな動きを取り入れた名作の数々がありました。青山さんたちが繰り広げる、ダイナミックな身体の動きに、一瞬にして心奪われ、眼が釘付けになったこと、数知れず・・・。ときには、身体の限界に挑戦したようなリフトなどもあり、子供番組とは思えない難易度の高い技に、ただひたすら「!」の状態、言葉も出なかったこともありました。「おどろんぱ!」の中でも、これらの作品は特に、子供も大人も分け隔てなく楽しめる作品だったように思います。

ところで、青山航士さんのブログで、シルク・ドゥ・ソレイユの「ドラリオン」が話題になっていましたが、少し前の新聞記事で、この「ドラリオン」に代表される「アクロバットエンターテインメント」が、日本のパフォーミングアーツの一大勢力に成長している、という記事を眼にしました。今回の「ドラリオン」は、難易度の高い中国雑技が軸となったパフォーマンスということですが、記事では、中国雑技でクラシックバレエの世界を表現した「アクロバティック白鳥の湖」(昨年来日)や、テコンドーなどの武術を活用しているという「JUMP」(5月にシアターアプルで上演)も、紹介されていました。その記事によると、これら「アクロバットエンターテインメント」の強さの要因として、「大人から子供まで誰でも楽しめる」という「言語の障壁のなさ」、そして、「身体能力の限界に挑戦する大技」に対する「率直な驚き」が挙げられるということでした。

また、その数日前には、中国・吉林省京劇院の「京劇西遊記 火焔山」の日本初演に関する記事を眼にしました。京劇には、流派によって様々な伝統があるようなのですが、この吉林省京劇院は、躍動感溢れる武戯(立ち回り演目)に秀でているのだそうで、この「火焔山」の舞台の魅力も、「登場人物が舞台を飛び回り、動きがとにかく速い」ところに多くを支えられているのだそうです。子供をはじめ、観客席がにわかにざわめき始めるのも、こうしたシーンにおいてなのだとか。なかでも、名優を輩出するのは、この役といわれている悟空役の役者さんのお話として、「人間ではなく超能力を持つ猿を演じるため、人間の立ち回りよりもすごくないといけない」という言葉が紹介されていました。「人間を超えた能力」を、激しいアクロバット的な動きで実現しようとしているということが、とても印象的です。また終盤の立ち回り場面では、登場人物のひとりが、投げられるたくさんの槍を体を使ってはね返すという難しい技もあり、「投げ手との息の合ったコンビネーションが必要で、毎日稽古が欠かせない」のだそうです。中国伝統の演劇においても、現代の観客に訴えるような新たな魅力を失わないために、「アクロバット」的ともいえる立ち回りに、力が注がれ、日々磨きがかけられているのかもしれません。

ところで、「アクロバット」には、「軽業・曲芸」という訳語があてられていますが、元々この言葉は、ギリシア語のAkros(高い)とbat(歩行)を意味する言葉から成ったそうです。即座に思い出されるのは、確かに「綱渡り」や「宙返り」などのサーカスで披露される技の各種ですが、広義には、「短時間に爆発的な動作を行う」スポーツという意味にも用いられるそうです。そんなことから、武術やジャグリング、そして様々なダンスと、このアクロバットが重なってくる部分も多いことにも頷けます。一方では、新たな舞台芸術の裾野を開拓するために、アクロバットが取り入れられ、他方では、伝統劇に新しさを確保し、現代の観客へのアピールする力を強化するために、アクロバット的動きにますます磨きがかけられる。やはり、身体表現のひとつとしての「アクロバット」は、様々なパフォーミング・アーツの「今」にとって、欠かせない要因なのかもしれません。

「立ち回り」などの武術系の動きの素晴らしさ、小道具などの「物」をダンスの動きに巧みに取り入れてしまうこと、そして跳躍や回転などのアクロバティックな動きを様々なジャンルの音楽に溶け込ませて魅せてしまうこと・・・。そんな青山さんのダンスの魅力を考えていると、青山さんの「孫悟空」なダンス、いつか観てみたくなります。

◆ナチョ・ドゥアト『バッハへのオマージュ』

2007-02-22 22:11:05 | ちょっと寄り道
2月の初めのことですが、横浜港を見渡せる神奈川県民ホールに、コンテンポラリーダンスの公演を観に行ってきました。その公演とは、「ナチョ・ドゥアト スペイン国立ダンスカンパニー バッハへのオマージュ ~マルティプリシティー・静けさと虚ろさのかたち~(Homage to J.S.Bach Multiplicity. Forms of Silence and Emptiness)」というものです。少し前まで東京都心から横浜まで出かけるときにはちょっと距離感を感じてしまうことも多かったのですが、みなとみらい線が開通してとてもアクセスしやすくなりました。そんな久しぶりの横浜の雰囲気を楽しみながら、以前から気になっていたドゥアトの作品も観ることができ、なかなか有意義な休日となりました。青山航士さんのダンスに出会ったことによって、「ライブなダンスの魅力」というものにとりつかれてしまった私は、青山さんが出演される作品までまだしばらく時間があるときは、興味のある公演に足を運ぶことが多いです。やはり劇場に行って、眼の前で時間を彩り、空間をかたどるようにして躍動する身体を体感することほど素晴らしいことはありません。このことを、私が頭でわかるのではなく、身体でわかるようになれたのは、間違いなく青山さんのダンスを観るようになってからのことです。

さて、御存知の方もおられるかとは思いますが、ナチョ・ドゥアト(Nacho Duato)は、スペイン生まれのダンサー兼振付家で、現在はスペイン国立ダンスカンパニーの芸術監督を務めています。ベジャールのムードラ、青山航士さんファンにはお馴染みのアルヴィン・エイリー・アメリカン・ダンス・センターなどを経て、ストックホルムのクルベリー・バレエ団にも入団していた経歴を持ちます。また、イリ・キリアンの招きでネザーランド・ダンス・シアターにも在籍していたそうです。

私にとっては、今回が初のドゥアト作品の鑑賞体験。途中20分の休憩を挟んで約1時間50分の公演、とても新鮮な刺激を受けられた印象に残るものとなりました。ドゥアトには以前から興味を持っていて、来日したら必ず観てみたい振付家だったのですが、気になっていた理由のひとつが「クルベリー・バレエ団」というキーワード。昨年観たネザーランド・ダンス・シアターⅠの来日公演で、このクルベリー・バレエ団の芸術監督を務めるヨハン・インガーの作品「ウォーキング・マッド」という作品が、個人的にとても肌にあう気がしたからなのです。そのときに観た「音楽的」といわれるキリアンの「トス・オブ・ア・ダイス」という作品も素晴らしかったのですが、ラヴェルの「ボレロ」に合わせて展開する「ウォーキン~」は、「演劇的」なストーリー性があり、随所にユーモアが溢れ、しかも奇想天外なアイデア(壁が倒れてその壁をフロアーにしてその上で踊りだすなど)が非常に面白くも、終盤では、深いテーマ性を感じさせてくれるような作品でした。ラヴェル作曲の同じ「ボレロ」で踊っても、ベジャール振付の「ボレロ」とは180度違う世界!こんな作品を生みだすヨハン・インガーが芸術監督を務めるクルベリー・バレエ団というものに興味を持ったというわけなんです。

そのクルベリー・バレエ団に在籍していたこともあり、スペイン国立ダンス・カンパニーの芸術監督を務めるドゥアトの今回の作品は、「バッハへのオマージュ」というだけあって、全編バッハの音楽で綴られるもの。”homage”という言葉のとおり、全編を通して、ドゥアトのバッハに対する並々ならぬ敬意が感じられ、その音楽をどのように解釈するかが、身体によって語られてゆきます。シンプルな舞台セットとドゥアト自身もデザインに関わっているという衣裳の持つ役割が、非常に効果的にダンスの振付に取り入れられていたような気がします。作品は、第1部の「マルティプリシティ」、第2部の「静けさと虚ろさのかたち」からなる二部構成です。プロローグは、「ゴルドベルク変奏曲」に合わせて、シンプルな黒の衣裳のドゥアトとバッハの扮装をしたアレハンドロ・アルヴァレスが踊り、「音楽」というものに「音のつくりて」としてのバッハが出会い、これからひとつの世界が展開してゆくかのようなイメージを与えてくれます。

やがて幕の外側に一人残されるバッハ。しばらくして再び幕が上がると、今度はオーケストラさながらに、黒いレオタード姿のダンサーたちが椅子に座り、バッハの指揮とともに音を奏でる「楽器」として踊り始めます。管楽器や弦楽器などを実際に奏でるときの「身振り」のようなものが、手や腕などの身体の一「部分」の動きに採用されているにもかかわらず、身体「全体」の動きが非常に滑らかで躍動感があるので、そのような楽器演奏時の「身振り」が、「何の楽器か」であるのかを示す説明的なものとしてだけで終わらないのです。「何の楽器であるのか」が示されると同時に、まさに「楽器」が「音」を生み出すその瞬間が示されているような感じです。音が楽器の中で共鳴し、楽器の中で音が響き渡り、楽器自体が震える感じ、そして空気をその音が振動させながら伝わってくるような感じが、ダンサーひとりひとりの身体から伝わってくる、そんな振付でした。また、バッハの「指揮」によって、「オーケストラ」の演奏さながらに、ダンサーたちがパートごとに順に踊っていき、やがて総勢20人弱のダンサーたちが身体で見事なアンサンブルを披露してゆくありさまは、「見るオーケストラ」といった様相で、圧巻でした。

そして「無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調」は、バッハとチェロに見立てられた女性が踊るシーンです。チラシにも写真が掲載されているように、この作品の見せ場ともいえるものでした。(映像が少し見られるスペイン国立ダンスカンパニーのHPを発見!コチラです。一番下の段の映像コーナー、左から8番目をクリック。他の作品も見られます。)チェロという楽器とその音色、そして「楽器を演奏する者」と「演奏者によって奏でられる楽器」の豊かな関係性というものが、官能的に示されるシーンでした。バッハの衣裳は、白いクルクルのかつらをつけた貴族的ないかにも「バッハ」なもの。そのバッハが手に弓を持ち、椅子に座り、非常にシンプルな黒いレオタード姿の女性を「チェロ」に見立てて、片脚に座らせ、「弾き」始めるわけです。バッハの衣裳は非常に「歴史的」、一方、女性の黒い衣裳は非常にシンプルで「現代的」。コントラストを感じさせる両者の衣裳が、エロティシズムを生み出し、演奏者と楽器の従属関係が意識されます。ところが、ダンスが進むにつれて、時に演奏者に楽器が、また楽器に演奏者が従属するというように、その両者の関係性が刻々と変化してゆくのです。そして演奏の盛り上がりと共に両者が一体化していく様子が、よどみのないダイナミックで官能性に満ちたダンスで示されます。演奏開始時には、「物」としてバッハの傍らに存在していたはずの女性ダンサー(チェロ)に、演奏が進むにつれて生気が充満してゆくのがわかるのです。

このシーンに続く、チェンバロの音色が印象的な「音楽の捧げもの」も、弾き手である男性ダンサーが、チェンバロである女性ダンサーの背中を弾くというシーンでした。「バッハへのオマージュ」は、1曲あたりの時間が4分から7分ぐらいの小品が連なっていく形式をとっていますが、一つのシーンの終わり方が印象に残るものが多かったです。特に印象に残ったのは、このチェンバロのシーン。ドラマティックな演奏が終わるや否や、男性ダンサーがチェンバロである女性ダンサーの身体を腰からパタンと二つに折って、ヒョイと抱えて袖に消えてゆきます。それが何ともあっけなく、直前までのダイナミックな演奏シーンとのギャップが激しくて、ユーモアが漂うわけなのです。チェンバロ役の女性ダンサーに、「物」である「楽器」としての存在感が急激に意識されて1シーンが終わる、まさにそんな感じです。そんなふうに1シーンが閉じられるときに、静謐さとユーモアが奇妙に同居して、なんともいえない余韻が生まれる気がしました。

またこの作品では、衣裳の使われ方も非常に効果的でした。「管弦楽組曲第2番 ロ短調」では、バッハと男性ダンサー二人が踊るシーンですが、この男性ダンサーが上半身には何も着けていない状態(だったと思う)に、何故か腰には「クリノリン(1850年代に流行った、鯨ひげや針金を輪状にして重ね、骨組みのようにフープの形をつくることによってスカートのシルエットを膨らませた下着)」をつけているのです。この下着のせいなのか、本来非常に「男性らしさ」を感じさせるはずの彼らの踊りに、どことなく「女性らしさ」が漂い、女性らしい身振りがそのダンスにも入り込んでいる感じなのです。「クリノリン」はバッハが生きた時代の下着ではないのですが、この下着を着けて踊ることにより「女性らしさ」と同時に、どこか「貴族的」な雰囲気が醸し出されます。

また、「ブランデンブルグ協奏曲」では、男女ともにバッハのようなクルクルヘアのオブジェのようなものを頭につけて、シンプルなミニ丈の衣裳を身につけているのですが、衣裳のディテールにやはり歴史的な要素が感じられ、そんなところがやはり振りにもニュアンスを与えている感じがしました。そのほか「4台のチェンバロのための協奏曲 イ短調」においても、女性ダンサーたちがスペインの民族調ドレスを着て踊るため、やはりどこかフラメンコ的なドレス捌きが振りに入り込み、スペインらしい土着的な何かを感じさせます。「2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調」では、ヴァイオリンの弓を「剣」に見立てて、6人ほどの男性ダンサーたちが、戦いあうような身振りで踊ります。彼らの着ているのは、シンプルなデザインのモダンな衣裳なのですが、なぜか片袖の部分だけが白いふんわりとしたブラウスの袖になっていて、歴史的なコスチュームのディテールが絶妙な感じでリミックスされており、このシーンにクラシカルな雰囲気を加えているように思えました。ヴァイオリンの弓を「剣」に見立てて、剣術の稽古をするように踊る男性ダンサーたちが、バッハの音楽の構造と躍動感をその動きで見せてくれるような感じです。

第1部最後の「ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第5番」は、20人弱のダンサーたちが舞台前方から奥に向かって縦に1列に並び、舞台を左から右に歩いてゆくのですが、途中2,3人ずつが列から飛び出て踊っては、その場でポーズをとってとまります。その様子を見ていると、バッハの音楽を聞きながら、その楽譜を目で追ってゆくような感覚に陥ります。この「バッハへのオマージュ」では全編を通して、楽譜の構造を視覚化するようなシーンが目立ちました。

第2部は、どこかで「死」をイメージさせる作品が多く、重厚感漂う作品が多かったです。「トッカータとフーガ ニ短調」では、修道士のような黒いロング丈の衣裳を着た男性ダンサーたちが踊りますが、この黒い衣裳の裏地が鮮やかなショッキングピンク色になっていて、ダンサーたちの動きのなかで時折見え隠れするこの裏地が非常に強いインパクトを与えます。また終盤一人のダンサーがこの黒い衣裳を脱ぎ捨て、黒いショートパンツだけの状態になるのですが、そんな彼がまるでキリストのように、他ダンサーたちによって担がれ、舞台下手に移動されます。黒い衣裳に身を包んだ修道士のような他のダンサーたちは、横一列に舞台の端から等間隔で並んでいますが、そんな彼らの前を、先ほどの裸に近い状態のひとりのダンサーが、片手を彼らに向けてかざしながら走り抜けるのです。すると、横一列に並んだダンサーたちは、まるで疾風のように走り去る彼になぎ倒されるかのように、バタバタと順番に倒れてゆきます。第2部の「静けさと虚ろさのかたち」というタイトルが感じ取れる瞬間でした。

この公演の小さいパンフレットに寄せられた三浦雅士さんの文章に、インタビュー時のドゥアトの言葉として次のようなものが紹介されていました。

「キリアンにとって重要なのは音楽と肉体と動きだけ、自分も基本的に同じように考えるが、それをさらに発展させ、演劇的な要素も取り入れようと思う、」

確かに昨年観たネザーランドダンスシアターのキリアンの作品は、非常に「音楽性」を重視しているように思われました。それと対をなすように、冒頭で紹介したヨハン・インガーの作品は、かなり「演劇性」を感じさせるものだったような気がします。そういうことをふまえて、今回のドゥアト作品を振り返ってみると、彼の作品においては、確かに「音楽性」と「演劇性」が心地のよいかたちでバランスよく共存していたような気がするのです。いろいろ観てみると、この「音楽性」と「演劇性」がバランスよく共存しているダンスって、なかなかないような気がします。個人的にかなり好きなコンテンポラリーの演目に出会えてよかったなと思っています。

それで、「音楽性」と「演劇性」の見事な共存、なんていう話になると、青山航士さんファンとしては、またまたたくさん語りたくなってしまいますが、長くなりすぎてしまいますので、またの機会に・・・。

◆皆で「初夢」を見よう!

2007-01-01 23:58:55 | ちょっと寄り道
新しい年になりましたね。あけましておめでとうございます。
皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

ところで、今日は1年の最初の日。やはり、青山航士さんのダンスを原動力にして毎日歩いている私としては、この1年の抱負を語らねばなりません!・・・と言っても、そんな大げさな話ではなく、皆さんに「初笑い」のネタにでもして笑っていただこうかと思っています。どんな話かというと、私のブログのタイトルを決めるときの裏話をしようかと思っています。

青山さんがご自分のブログを開設されたのが、昨年の11月22日。青山さんの「ブルーマウンテンCafe」を発見したときの驚きと嬉しさといったらもう!本当に最高の気分で飛び上がっちゃいました!以前にもコメント欄で、どなたかにお話したと思うのですが、いつもはバタバタと忙しくて朝ネットをゆっくりするほうではない私なのですが、たまたまあの日は水曜日、次男の幼稚園のおべんとうづくりがない日で、自分のブログのアクセス解析のアクセス元URLをゆったり見ていたのです。ブログやってると、来てくださる方がどんなところから来てくださっているのか気になりますので、時間があるときはそういうのちょっとチェックしたりするときもあるんです。それで、そのときに、皆さんもよくご覧になっているであろう「ヤフー」のブログ検索のページに偶然行き着きました。それでそのページの一番上段、「ブログとの一致」の上から3段目に見つけちゃったんです!いやあ~、ホントあのときの感動といったら、信じられない!というか、もう「血湧き肉躍る」という感じでしたね~♪

しかしですね、私の場合、もうひとつの意味で驚きがありました・・・。それは今だから話せるんですが、青山さんのブログのタイトルに「ブルーマウンテン」という言葉が入っていたこと。ここで恥ずかしげもなく、白状しちゃいますね。実は、私が自分のブログのタイトルを決めるときの第2候補というのが「あゆあゆのブルーマウンテン登頂記」というものだったんです・・・(笑)。コレ、嘘みたいだけれど、本当の話です。結局、カッコつけて「路上の宝石」なんていう、もったいぶったタイトルつけちゃったんですが、ネタバレしちゃうと、ものすごくどちらにしようか迷ったんです。「登頂記」と言っても、勿論、青山さんという、どんなにこちらが頑張って登ったとしても、決してその「頂」には到達することができない山のような表現者に対して、心からの尊敬というものを感じてのことなのですよ~。だって、青山航士さんという「山」は、表現者として、「休火山」みたいにじっとしていませんよね。「休火山」だったら、忘れたころに爆発すればいいだけで、標高もそんな変わることはないのでしょうけれど、私のイメージとしたら、「活火山」みたいにいつも地殻変動起こしながら、下からマグマがどんどんあふれ出ているイメージなんですもの。従いまして、その「頂」はどんどん高くなるばかり、どんなに頑張って登ったとしても、決してその「頂」には到達はできないのでありますよ!(実際のジャマイカのブルーマウンテン山が「火山」かどうかは知りません~、どなたか暇な方調べてくださいね・・・)でも自分のブログのタイトル決定するときには、結局悩みに悩んで「路上の宝石」に決めました。さすがにこんなふざけたタイトルつけたら、本家「ブルーマウンテン」青山さんに、そこの暴走族とまれ!って検挙されそうだわ~、と思いましたので(笑)。

・・・それで、今日は「初夢」を見る日ですね。ま、この「初夢」に関しては、諸説あるようで、元旦から2日にかけて、または2日から3日にかけて見る夢ということです。それで、江戸時代以来、この初夢に見ると縁起がよいものとされているのが、「一富士(ふじ)、二鷹(たか)、三茄子(なすび)」といわれているもの。どうして、富士山、鷹、茄子になったかということには、これまた諸説あるんだそうです。でも、私も含め、青山ファンの皆様、江戸時代の人じゃないんだし、いくら縁起がいいからって、こんな色気のないもの「初夢」に見る気がします?私絶対いやですわ!そこで、皆様に提案です。ちょっと語呂が悪い気もするんですが、「一ブルマウンテン、二鶴(つる)、三人参(にんじん)」っていうのはどうでしょう?「ブルマウンテン」は本来「ブルーマウンテン」なのですが、ちょっと言葉の響きをよくするために音を伸ばす記号「-」を除いています。「鶴」は勿論、「おどろんぱ!」のあの名作「鶴」です。そして青山さんに「なす」のコスプレはないので、「カレーなる世界」の「にんじん」でいかがでしょう?この三つ揃いが見られたら、今年もバッチリ!ということで。(←そんなの見られるわけなさそうですよね)もし、今晩この記事読まずに寝ちゃった方がいらしたら、明日トライしてみてください。(←そんなの誰もトライしないかな・・・?)

青山さんのブログの「ブルーマウンテン」の文字が眼に入ったときは、あまりにもそのまんますぎて笑い転げましたが、Cafeに関連して「最高級コーヒー豆の産地ブルーマウンテン」をイメージすれば、確かに青山さんは「最高級」だから非常に納得できちゃう気がするのは私だけかしら?非常に青山さんらしい洒落っけと気取りのなさが、とても魅力的な形で現れている素敵なタイトルだと思います。私も含め、ついつい皆さん気軽に立ち寄りたくなっちゃうのも、このタイトルのつけ方によっているところ結構あるんじゃないかと思っているんです。ファンにとってはちょっと気軽に立ち寄れる場所ができて、本当にうれしいですよね。本当に青山さん、ファン嬉し泣き状態を作ってくださって、どうもありがとうございます!今年もブログ、どうぞ無理せず頑張ってくださいね。

あっ、それで私の意気込みを語らねば!今年も足腰鍛えて「山登り」、いやいや「宝石採集」でした~、に邁進して、「オタク語り」で書きまくるつもりですので、どうぞ皆様、よろしくお願いいたします。さあ、「初夢」にあの三つ揃いを見て、今年もバッチリで行こう!


◆「病」とは何だろう・・・?

2006-12-15 01:41:56 | ちょっと寄り道
早いもので12月も気がついたら半ば・・・。今年のうちに今年観た作品のことをもっとたくさん書きたいと思っていたのに、まだ全然書ききっていません~。師走は何かと忙しいですねぇ~(スミマセン、更新滞っています~)。ま、青山さんのこと考えていれば、1年中「春」です、というのがファンですから、それもよしとしてしまおう!今年が終わっちゃう!と焦ることもないですね。今日は、今年観たいくつかの作品を通して、ちょっと気になっている「病」というキーワードをてがかりに、いくつかの作品を振り返っておきたいと思います。

◇『バレエ・フォー・ライフ』と『ボーイ・フロム・オズ』

今年6月に観に行ったのが、モーリス・ベジャール・バレエ団の『バレエ・フォー・ライフ』という公演。ブログを開設する前から、OZとこのベジャール作品とのあいだには自分なりに関連性を感じていて、いずれまとめようと思っていてところなんです。この作品は、1991年にエイズのために亡くなった、QUEENのフレディー・マーキュリー、そして翌年、同じくエイズのために亡くなったダンサーのジョルジュ・ドンにオマージュを捧げた作品で、全編がQUEENの曲(一部モーツァルトの曲)で綴られている作品でした。青山ファンの方の中にもご覧になった方がいらっしゃるかもしれませんが、どんな作品?という方のために、ダイジェスト版の映像が見られるページをご紹介しておきます。コチラ。特に”I Was Born to Love You”は後ほど話題にしますので、ちょっと気にして見て頂くとよいかもです。黒いキャミソールドレスの女性ダンサーが踊るシーンです。

OZのピーター・アレンが亡くなったのは、1992年6月。以前、記事でご紹介した、ライザの衣裳を多くデザインしたHalstonというデザイナーも1990年にエイズで亡くなっています。90年代初めの時期って、フレディーをはじめとして、「あの人も?」というひとたちがどんどんエイズで亡くなっていっていた頃だったような気がします。そしてその「病」と彼らの死の影に見え隠れする彼らのセクシュアリティーの問題。OZにも、グレッグがエイズで亡くなった後のピーターの台詞として、「80年代半ば、ニューヨークでは、周りを見回すと、誰かがいなくなっていた。昨日はアラン、今日はチャールズ、明日はフランコ、そしてグレッグ。」というのがありましたよね。このあたりのエイズという「病」をめぐる状況については、へーまさんも記事で取り上げておられます。日本では、やはり91年の11月に、元々日本ではすごく人気のあったバンドQUEENのあのボーカリスト、フレディー・マーキュリーが亡くなったという衝撃的なニュースにより、一気に「エイズ」という病気に対する関心が高まったという気がします。

ところで、昨年の初演版OZを観て、そして今年6月の『バレエ・フォー・ライフ』を観ると、やはりいろいろと感じるものがありました。OZはピーター・アレン、『バレエ~』はQUEENの曲を全編で使っていて、しかもどちらもエイズという病気で亡くなったアーティストたちの生というものをテーマとしているわけです。勿論、OZはミュージカルで、『バレエ~』はベジャールのバレエ作品ですけれど、「エイズ/病(戦い)やがて死」という影が「愛」というものに忍び寄っている、そういう世界の宿命みたいなものが描かれているわけなんです。「旅立つ前にもう一度」ですべてを受け入れた後、「リオ!」の掛け声が響くなかサンバのリズムで幕が下りるOZと、Show must go on!というフレディーの悲痛な歌い声が響くなか荘厳な雰囲気のなかで幕が下りる『バレエ~』とでは、見終わった後の後味は大分違いましたけれどもね・・・。でも後味は確かに違うのですが、どちらもそういう「生」を肯定し、称えているという点では、やはり心のなかに熱いものが残ります。

OZでは、自分の中に秘めていたものを全開したピーターが、やっと出会ったのがグレッグ。その彼と歩んでピーターは夢をつかむわけなんですが、その後まもなくグレッグが、そして自分がエイズという「病」に侵されていることを知り、命というものを落としてゆく。ピーターとグレッグの関係においては、そこにエイズという「病」が入り込むことで、ピーターがやっと手に入れた「愛」、つまりあの二人の関係というものがこの上もなくピュアではかない、でも運命的なものであったことがイメージされるような気がします。「ここいらあたりのやつとはわけがちがう」と歌っていたピーターが、グレッグに会った途端、「誰なんだ俺は?男さ、普通の男さ」って問い始めてしまうのですよね。グレッグだって、テキサス出身の一見強がってるふうの男の人なのに、内心はとてもナイーブでどこか傷つくのをすごく怖がっているところがある。そんな二人のピュアで運命的な出会いが、エイズという「病」によって決定されてしまった「時間」と競争するように戦い(「ただ時の流れが引き裂くだけ・・・」という歌詞ありましたね)、そして敗れてゆくんです。最後は「もしもどこか別のところでうまれていたとしたら・・・」なんて言いながら、「だけどこうなるしかなかった・・・」なんです。この「だけどこうなるしかなかった・・・」というのには、二重の意味が重ねられているから悲しいんですよ。「愛し合うしかなかった」、でも「(エイズという病によって)引き離されるしかなかった」んです。ここでも「愛」に「死」が寄り添ってるわけなんです。でも、グレッグはその後も歌い続けるのですよね、「I Love You、心を込めて・・・」って。でも、ピーターにとって、「病」によって区切られた時間の中でグレッグを愛さなければ見えなかったことがあったのでしょうね。

一方『バレエ・フォー・ライフ』では、「黒衣の花嫁」が「禁断の果実」を舌なめずりするマイムを織り交ぜて、背中合わせの「愛」と「戦い(やがて死)」を踊る”I Was Born to Love You”の場面が、一番象徴的なシーンでしょうか。『バレエ~』では、フレディーそのひと自身を思わせるダンサーが登場して、白い花嫁衣裳を着た女性ダンサーと並んで立つのですが、やがて「黒衣の花嫁」(衣裳的にはほとんど黒いキャミソールドレスのような下着)が登場すると、この白い花嫁衣裳のダンサーをフレディーが乱暴に抱きかかえるような振りをするんです。それと同時に、「黒衣の花嫁」(特に「禁断の果実」を一つむしりとって口に入れるマイムには、フレディーが選び取る本当の欲求、ある種の「タブー」的イメージが重ねられていると思う)が躍動的に踊りだして、愛の悦びのようなものを表現するわけなんですが、このシーンは作品中かなりインパクトの強い、展開を大きく変えるようなシーンだったような気がします。フレディー・マーキュリーという人の人生を知っていると、本当の自分に正直な「愛」というものを選んでしまったがゆえに、「エイズ」という「病」(あるいは自分・時間)との戦いを強いられるようになった彼の生のあり方というものが、このシーンを通して、あるいはこのシーンを境に胸に迫ってくるような気がしたんです。全シーンのなかで私個人的にはこの場面が一番印象に残りましたし、OZのピーターとグレッグのことを何となく重ねながら観ていたのを覚えています。「バイセクシュアル」というある種の「タブー」(←誤解のないように、私個人が「バイセクシュアル」を「タブー視」しているわけではありません)を選び取りながらも、フレディーにとってはそれが彼の人生だったわけですよね。そんなフレディーの壮絶な生のあり方というのが伝わってくるシーンでした。

◇『グランドホテル』のゲストたち

1月の『グランドホテル』では、不治の「病」を患い、余命幾ばくもないユダヤ人会計士、オットー・クリンゲラインが、死の影を背負いながらも人生最後のときを楽しもうとグランドホテルにやってきます。彼が歌う”At The Grand Hotel”には、「貝殻のなかから 飛び出せる気がする この瞬間を生きよう ここグランドホテルで」というものがありました。最後のほうの場面で、そんなオットーが、タイピストのフレムシェンと交わす会話に次のようなものがありました。パリに行くことにしたことをフレムシェンにオットーが告げると、彼女は「いいわね」と返します。オットーはそんな彼女に「御一緒にといいたいところだが、あいにくぼくは死にかけている」と告げます。それに対し、フレムシェンは、とっくにわかっていることのように、「あら、みんなそうよ(死にかけている)」と返すのです。死にかけているのは自分だけかと思っていたオットーは、フレムシェンに思いがけない答えを返され、何かに気づくような場面がありました。この後、オットーはフレムシェンにパリに一緒に行ってくれるように提案するのでしたよね。思えば、グランドホテルの回転ドアをくぐって登場してくるゲストたちは、オットーのみならず、皆こころのどこかに「病」を背負っているようなひとたちでした。そんな彼らが限られた時間と場所の象徴であるようなあのベルリンのグランドホテルで、さまざまなストーリーを紡ぎだしていました。


◇そして『TOMMY』の「病(Sickness)」

THE WHOの『TOMMY』deluxe editionのライナー・ノーツを開くと、目を押さえて苦しんでいるトミーのシルエットとともに、Amazing Journeyからの次のような歌詞の引用があります。

Sickness will surely take the mind
Where minds can’t usually go
Come on the amazing journey
And learn all you should know・・・

そして、それと呼応するように、ライナー・ノーツ最後のページには、両手を広げて何かを見ているトミーのシルエットとともに、See me Feel me/Listening to Youの歌詞からの抜粋が。

Listening to you I get the music
Gazing at you I get the heat
Following you I climb the mountain
I get excitement at your feet

トミーの人生において、この二つの曲はどういう意味を持ってくるのでしょう?トミーが「病」のなか手探りで行き着いた先で知ったことは何だったのか、まだまだ勉強不足でわからないことだらけですが、「病」を通ることでしか見えてこない「何か」があるのかもしれない、この歌詞を読んでいると、そう思えてきます。今年観たいくつかの作品を振り返ってみても、そのことは確信に変わる気がします。来年3月、トミーが「病」を越えてつかんだものを、舞台の上でどんなふうに見せてもらえるのか、今からとても楽しみです。

(この記事の「カテゴリー」ですが、『オズ』にしようか、『TOMMY』にしようか迷ったのですが、どちらにも決められなくて、「ちょっと寄り道」にしました。更新滞っていたと思ったら、いきなり「激長」で、「スンゴイ遠回り」みたいな文章ですが、「ちょっと寄り道」ということで御了承ください。

◆たまには本当に「路上」に出て「宝石」を見てみました。

2006-12-05 23:16:17 | ちょっと寄り道
このブログのタイトルは「路上の宝石」なのですけれど、でもたまには本当にお外に出て宝石を見てみるのもいいんじゃないかと思って、先週の木曜日にちょっとお出かけしてきました。あいにく外は小雨が降ったりやんだりしていたのですけれど、なかなか私にとっては意義深い寄り道になりましたので、今日はそのことを記事にしてみます。お出かけした先はある展覧会。東京・竹橋の東京国立近代美術館工芸館で開催中の「ジュエリーの今:変貌のオブジェ Transfiguration: Japanese Art Jewelry Today」という展覧会です。実は、この展覧会には以前から個人的にとても興味があって、OZが終わったら行こうと思っていたものなんです。気がついたら11月も終わっちゃうじゃない!こりゃ大変だあ~ということで行ってきました。私自身は、お高いジュエリーを身につけるほうではないんですが、自称「衣裳フェチ」な私としては、ちょっと「身体」の周辺で起こっていることというもの全般に、以前から興味がありまして、この展覧会のテーマはそんな私の好奇心を心地よく刺激してくれました。しかも、この展覧会のカタログで、モデルを務めておられるのが、なんと「おどろんぱ!」のじろーくんこと、森川次朗さんなんですよ!多分、森川さんファンの方は皆さん、もう御存知なんだと思います。きっとご覧になった方も多いですよね。

でも、この展覧会、「ジュエリー」をテーマにしているとはいえ、よくある老舗高級ブランドの宝飾品の歴史を、数々の名品を陳列して追うという、ありがちな展覧会ではありません。”Art Jewelry”ということだけあって、日常私たちが実際に身につけるようなジュエリーではなく、文字通り「アートなジュエリー(そのまんまだ~)」、つまり「芸術の一分野としてのジュエリー」の日本における変遷を追ったものなのです。(現代では、「芸術」ってつくと、「日常」からかけはなれてしまうところがあるというのが、ある意味悲しいのですけれどね・・・)第一印象からすると、「オブジェ」っていう感じでしょうか。まず一般の人たちが身につけられるようなものではない、でもやっぱり「アート」を追求している数々の作家たちによる作品群なわけで、確かに「同時代の思想や芸術の動向を吸収」している作品がたくさんあります。そういうものを時代の流れを追うように配置してくれているので、ジュエリーのコンセプトというものが時代と共にどう変遷していったのかということがよくわかります。同時に、その歴史は、作家たちのジュエリーをめぐる「格闘」の歴史であるなあ、と私は感じました。例えば、集めた「石」を、土台となる金属にどうやって組み合わせるべきなのか?とか、「宝石の美しさを如何に、生かしてデザインするか」とか・・・。また素材(宝石、貴金属)自体への反省から、テキスタイル、漆、紙といったさまざまな素材で、造形をいかに探求するのかとか・・・。

さらには90年代に入ると、「ジュエリーをジュエリーたらしめているものとは何か」、という問いになるのだそうです。そこで作家たちが注目したのが、「ジュエリーが人の身につけられるものであるという、身体との関係性であり、また身を『飾る』という行為にまつわる精神性」であったということです。そんな90年代の動向を示す作家として紹介されているのが、中村ミナトさんという作家と周防絵美子さんという作家なんですが、カタログでは、森川さんがこのお二人の作品を身につけた写真が掲載されています。展覧会に行く前から、森川さんがモデルを務めておられることは知っていたのですが、私が展覧会に行く前に、早とちりにも想像してしまったのは、雑誌VOGUE的な森川さんのポーズ写真。(ファッション雑誌VOGUEによくあるような、顔の周りで、手や腕で印象的な角度を作るようなポーズの取り方ってありますよね、ああいうの。昔マドンナの曲にズバリVOGUEっていう曲がありましたよね。あのPVではVoguingっていうダンスの動きが取り入れられていましたよね。ああいうポーズを想像しちゃったんです。まあ、おにいさんずのVoguingは確かに一度見てみたいですねぇ~♪)でもですね、カタログに掲載されている森川さんのお写真は、そんな私の想像とは全く違いました。どの写真においても、存在感のあるジュエリー部分はカラーになっているのですが、それを纏っている森川さんの身体はかなりトーンの暗いモノクロ写真になっているんです。上半身着衣なしの状態で、大ぶりで、ボディー・ラインを大きく変えてしまうような作品を身に纏っているんですが、本来は肌色の部分も、グレーな色調、一見、作品としてのジュエリーの「背景」に退いているように見えます。しかし、森川さんの身体の、そのマットな質感と静謐さが、作品としてのジュエリーの存在感と溶け合いながら、静かに主張する素敵な写真は、ファンの方なら必見だと思います。多分こういう魅力は、20代のルックスだけで売っている、そこらへんのおにいちゃんが出すのはまず無理ですね~。「おどろんぱ!」おにいさんずの皆様、それぞれよいお仕事されていて、番組のファンとして、とてもうれしくなりました。こんな番組絶対になくしちゃいけませんよ!(←またそれかあ~。なんだか最近記事書くたびにこのこと言ってる気がします!皆さんも声をあげて主張しましょう。だって私1週間に5分でもテレビで青山さんのお姿を拝見できないのは耐えられませんから~。劇場通いしていてもコレですから、どうぞNHK様お願いします!)

ところで、この展覧会は、年代ごとにいくつかの展示室に区切られ展示スペースが作られています。その最終展示室に入るちょっと前の壁に掛けられているひとつの作品が、今回私の心のなかに強く残りました。それは舟串盛雄さんの1994年の作品”For You”という作品です。大きさはどのぐらいだったか・・・、確か40cm×60cm四方ぐらいの、シンプルな茶色の木枠の鏡が壁にかかっているわけなんです。ただそれがただの「鏡」ではないんです。その鏡の真ん中あたりに、材質は何なのかはわからないのですが、指輪をかたどった金色のオブジェがはめこまれているのです。コレ何だろう?と思って、その鏡の前に立つと、ちょうど胸のあたりにこの指輪のオブジェがくるような形で、自分の姿がこの鏡に映るわけなんです。ジュエリーをつけた自分の姿というのを自分では普通、確認できませんよね。でも、この作品は、ジュエリーをつけた自分というものを、鏡の前に立てば映し出してくれるわけなんです。「ジュエリーとは何か」について思いをめぐらす機会となることをねらいとして企画されたというこの展覧会ですが、この舟串さんの作品を最終展示室のそばで展示するというこのプランは、非常に効果的ですね、キュレーターの方素晴らしいと思います。

それで、この作品、つまり胸のあたりに位置する、金色の指輪のオブジェとともに鏡に映っている自分を見ながら、ちょっと一青山ファンとして考えました。(スミマセン、ちょっとここから激イタファンはいりますので、スルーしたほうがよい方は通り抜けてください!)青山さんのダンスを見て、青山さんのファンをしているということとはどういうことか・・・?ちょっと、私自身の体験も含め、またファンの皆さんがあちらこちらでおっしゃっていることを振り返ってみたんです。「扉」、「できごと」・・・、皆さんご自分にとっての青山さんのダンスの意味、また青山さんのダンスに出会ったときの御自分の体験というものをここには挙げきれないぐらいの言葉で表現されていますよね。きっとネット上で語ったことがない方でも、青山さんのダンスという「宝石」に出会ってしまったひとたちは皆、その「宝石」を身につけた自分を鏡に映して眺めてみて、その「宝石」が一体自分にとってどんな意味を持つのか、常に問い続けられるという気がします。それは何故なのでしょうね?ちょっとその答えは簡単には見つけられそうにありませんが、青山さんがそのたびごとに見せてくれる輝きを放ち続ける限り、その「宝石」を纏った自分と常に対話をしながら、いつも進んでいける、変わっていける、そんなふうに思えます。こんなふうに常に自分との対話を可能にしてくれる踊り手というのもなかなかいない、私はそう思います。そういう意味においても、青山さんはきっと”only one”な表現者ですよね。皆さん一度青山さんのファンになると、そう簡単にファンをやめることができない、むしろますます深みにはまるばかりなのも頷けます。

・・・なんだか今日は久しぶりに語っちゃったけど、私の「激イタファン道」は今に始まったことではないので、どうぞその点御了承くださいませ。これまでの人生、気合を入れてどんなに立派な日記帳買ってきても自分の日記はいつも三日坊主、家計簿のつけ方もこの上なく大ざっぱ、自分の子供の育児日記もつけようとしたことのない鬼母な、およそ「記録」ということとは無縁の生活を送っている私なんです。でも青山さんみたいな、光を当てる角度によって、いかようにも放つ輝きを変えてくる表現者を前にして、どうしたって記録しておきたくなってしまうこの衝動は何なんでしょう。自分でもよくわからないのですが、これからも「激長・激イタ」当たり前で参りますので、どうぞ皆様引き続きおつきあいくださいませ。OZの詳細レポも年内どこまでいけるかわかりませんが、来週あたりからアップできればいいなと思っています。「ジュエリーの今:変貌のオブジェ」展は、12月10日(日)まで開催されています。カタログに掲載されている森川さんのお写真は必見ですし、明治40年代に建てられたという工芸館の建物も、「宝石の小箱」みたいで、とても素敵!今の季節、竹橋駅周辺のお堀や北の丸公園の紅葉もきれいに色づいてとてもきれい、はっぱ自体が宝石みたいに見えて、「おちば2006」な気分を味わえますよ。ちょっと寄り道におすすめです~♪


◆青山航士さんが「ブログ」開設されました!!!

2006-11-22 08:28:19 | ちょっと寄り道
きゃあ~っ、さきほど自分のブログのアクセス解析見ていて、ヤフーのブログ検索のページに行ってみて、みつけちゃいました!!!
青山航士さん、ついにブログを開設されましたよ!!!

青山航士★☆ブルーマウンテンCafe☆★


もうびっくり、うれしい!!!(大興奮&大感激)
ヤフーのブログ検索で、「青山航士」さんと入れると、出てくると思います。
青山さん、お忙しいのに、ありがとうございます!!!
取り急ぎ、皆様にお知らせしておきます~♪

◆『タイタニック』の件、こちらでもお詫びいたします。

2006-09-20 00:48:42 | ちょっと寄り道
先日、へーまさんのPlateaの「タイタニック、甦る」の記事コメント欄において、来年1月に上演されるミュージカル『タイタニック』に青山さんが出演されるのか、気になる、気になる!とお騒がせしてしまいました。その後私自身も正式な情報を求めて、主催テレビ局に電話連絡で確認を試みましたが、やはり正式情報は得られず、確認できたのは、某掲示板で「チラシからの転載」ということで掲載されていた、アンサンブルキャストの情報のみでした。そちらの某掲示板情報においては、青山航士さんのお名前はなく、『タイタニック』に青山航士さんは出演されない模様です、とへーまさんのPlateaコメント欄にもコメントしておりました。

そんな状況のなかで、正式情報確認された方がいらしたら、お願いします、という呼びかけに応じてくださった、心ある一ファンの方がいらして、情報をお寄せいただきました。『テネシー・ワルツ』関西ツアー中だった青山航士さん御自身に確認をしてくださったそうで、やはり『タイタニック』には、青山航士さんは出演はされない、ということですので、ここでもう一度お知らせしておきます。情報をお寄せくださった方に、心より感謝申し上げます。

今回の件では、大変お騒がせしまして申し訳ありませんでした。また青山さん、そして皆様には御迷惑をおかけしまして重ね重ね大変申し訳ございませんでした。