1週間ほど前に、ずっと気になっていた「”私・写・録(パーソナル・フォト・アーカイブス)”1970-2006」展を観に、国立新美術館へ行ってきました。展覧会の詳細に関しては、コチラです。7月に別の展覧会を観るために、同美術館へ行った際、この写真展の開催予告を見かけ、そのタイトルと展覧会の趣旨に非常に興味をひかれていました。「1970年から今日まで、東京を中心に現代美術の現場を撮影してきた」という安齋重男さんの、30数年間にわたる3000点にも及ぶ作品。どうしてこんな「夥しい数」の写真作品と「私(パーソナル)」という視点が結びつくのか?またひたすら「現場」というものを、「私」の視点にこだわって追い続けていて、それが時間の積み重ねのなかで「録(アーカイブス)」となりえているところも、スゴイ!とにかく、写真家ではなく「アート・ドキュメンタリスト」である安齋さんの写真のある空間を実際に体験してみたかったというわけです。


左は写真展カタログ。右はチラシです。
カタログ内、1枚1枚の写真に添えられた安斎さんによるメモが、好きです。
会場に入ると、まずは1970年代初頭(安齋さんが撮影を始めた頃)の写真作品(モノクロ)が、横の列を意識させる構成で整然と並んでいます。一つ一つの写真の大きさはそれほど大きくなくて、1枚1枚が白い壁に虫ピンでシンプルに留められているだけ。現像時に周辺部を露光させて創り出すという、写真の額縁のように見える独特な黒い枠も、ひとつひとつの写真が特別なものであるというイメージを与えてくれる感じがします。知っているアーティストや作品が写っていなくても、そこに写っている「人」と「空間」に、何故か心がざわめく・・・、冒頭からそんな感じがします。なんかスゴイことがあちらこちらで起き始めていた時代だったのかな、そんなことも頭の中をよぎる・・・。やがて視界が大きく開ける大展示場へと進むと、会場を取り囲む壁面に、1年毎に写真をタワーのように縦に配置して展示してある大空間に。その縦の写真の列がたくさん集まって、圧倒的な量感をもって迫ってくる写真作品群が、周囲の壁一面を覆いつくしています。一方、会場中央のスペースを取り囲むように配置してある、天井まで届くかのような高さのあるボードには、アーティスト個人を写した、大画面のポートレート写真の数々が、ダイナミックに展示されています。あの大会場の入り口から見渡す、そんな会場の光景には、軽く眩暈の感覚すら覚えます。正直なところ、入り口では、これ全部見られるのかなあ?とちょっと不安になったりもしました。しかし、1枚1枚の写真に封じ込められた「現場」や「人」の空気感に吸い込まれるように、いつの間にか壁に貼られた写真の数々を追っている自分がいました。
安齋さんの作品は、大きく二つに分けられるそうです。これは先ほど述べた会場の構成の仕方からもすぐわかることなのですが、ひとつは、「アーティストの個性を的確に捉えたポートレイト」作品群。もうひとつは、「今では存在しない作品や画廊、歴史的な展覧会の様子などを収めた史料的価値の高いドキュメント」としての作品群。これら二つの作品群を見比べると、安齋さんの被写体との関わり方の違いがよくわかり、非常に興味深いです。今回私は、最初に後者の作品群を、そして締めくくりとして前者の作品群を、という順路で観覧してみました。
まず周囲の壁に虫ピンで留められた、夥しい数の「現場」を撮った作品群、つまり、「ドキュメント」的な性格が強い作品群について。とにかくスゴイ数の写真で、写真をひとつひとつ追いかけながら、一瞬一瞬様々なことを感じていました。個人的には、水玉模様のモチーフで有名な草間弥生さんの写真、縞模様で空間の質感を変えるダニエル・ビュランさんの写真などが身近に感じられました。草間さんの作品は、学生時代のアルバイト先に入っていたギャラリーでよく個展が開催されていたので、そのときに観た感じと、写真から感じ取られるものがシンクロして、不思議な感覚に包まれました。ダニエル・ビュレンさんの作品は、以前縞模様に興味を持ったときに、本などでよく見ていたのですが、70年代に地下鉄銀座駅で行っていたという「ストライプ・ゲリラ」の写真を会場で発見して、こんなことをしていたアーティストだったのか、と新鮮な眼で見られたりしました。
安齋さんの追ってきた対象は、現代美術。インスタレーション、アクションペインティング、パフォーマンス・アート・・・。多様化する現代美術の状況を反映して、撮影場所も、美術館、画廊、ギャラリー、劇場に収まるはずはなく、公園、田園地帯、そして企画に関わる人たちのいる大学研究室にまで及びます。そして、そこに写っているのは、いわゆる「作品」だけでなく、それを作るアーティスト、作品を観に来たお客さん、アーティストを支える人たち、はたまたその作品のそばをたまたま通りかかった人だったりするわけです。その「人たち」や「もの」の撮り方も実に様々で、制作過程を撮ったもの、完成した作品だけを撮ったもの、その前でポーズをとるアーティスト、といった具合です。ただ安齋さんの写真を観ていて不思議なのは、30数年前の写真に写った人たちの服装や髪型は、いかにも70年代なのに、いつの間にか、そういうこと(「過去はこうだった」ということ)よりも、その現場に流れていた空気感に引き込まれてしまっていて、「過去の時代性」よりも、その現場に居合わせているような「リアルさ」の方が上回ってしまっているということでした。そして、もうひとつ安齋さんの写真を観ていて不思議だったのは、これだけ現場の空気感を写し取っているのに、被写体にべたぁ~っとくっついた撮り方をしていない感じがすることなんです。写真から現場の熱気、空気感はリアルに伝わってくる、でも、安齋さんの撮り方は熱くない(?)、というか、きっと安齋さんは熱いのでしょうが、敢えて、撮り方においては、その熱さを封じ込めている感じがする、と言ったらよいのでしょうか。また、これらのドキュメント作品に写されているアーティストたちは、固有名詞を持った、有名な(世間に名の知れている)誰々というアーティストというよりはむしろ、ものをつくるひとりの人間という性格を強く帯びている気がして、非常に愛おしく思えるような気がしたのです。「現代美術」というと、中には前衛的すぎて理解不能と考えてしまうことが多いような気がしますが、安齋さんの写真を観ていると、そういうことよりも、何かをつくることによって、誰かに何かを伝えようとしている人たちが確実にいたことが感じられて、温かい気持ちに包まれてくる気がしました。普段、ダンスを観ていて感じていることでもありますが、やはり、そこの場でしか成り立ち得ない空気というのがあると思います。ひとが関わって作品(もの)をつくるときに出来る場、そのものづくりの場における「一回性」、つまり同じものをつくろうと思っても二度と同じものはできない、そういうものに対する安齋さんのこだわりが強く感じられました。そして、そのものづくりをカメラ越しに追うことで、アーティストや作品と対話し、理解することによって、ものづくりに参加しようとしている、そんなことが感じられてくるような気がしたのです。
天井付近まであるボードにダイナミックに配置されてあるアーティストたちのポートレート写真の数々もまた印象的なものでした。これらの作品では、アーティストの上半身、顔のアップ、あるいはその一部が写し撮られています。オノ・ヨーコさん、ミヤケ・イッセイさん、バスキアに、デビッド・リンチなどがあったでしょうか。「ドキュメント」作品群を観てから、これらの個性豊かなアーティストたちの「ポートレート」作品を観ると、やはり、安齋さんの被写体との距離感の取りかたの違いが感じられますし、安齋さんのアーティストたちの個性を写し撮ろうとする気迫が、画面いっぱいに漲っている気がして、圧倒されます。
こうして、会場の写真を一通り観終わり、中央のスペースに置いてあるベンチに座って、今回の写真展の閲覧用カタログ、そして安齋さんの作品を特集した記事のファイルを読んでいました。安齋さんは、写真を撮るだけでなく、現代美術に関する文章も多く書かれているだけあり、記事のなかには私にとって印象深い言葉もあったので、ちょっとメモったりしていたのです。そんなことをしていたら、安齋さんが、「何か質問みたいなことはありますか?」と気さくに話しかけてくださいました。今回の展覧会では、安齋さんによるレクチャーやワークショップも数回行われているようですが、会期中はなるべく会場に来て、会場にいる人との交流を心がけておられるのだそうです。私も写真を観させていただいての感想などをお話させていただいたのですが、こちらの感じていることを瞬時に読み取られて、漠然と感じていたことが明確になるように、ピントを合わせてさっと光を当てるかのように答えてくださるお話に、すっかり時が経つのも忘れてしまうほどでした。
「現場」にある「視覚+α」のものを写し撮ることへのこだわり。最初に設定され決められた完成形を実現するためではなく、制作過程での試行錯誤と微調整によって、作品が変化してゆくことの楽しさと、その現場に立会い、作品制作に関わることのよろこび。安齋さんとのお話から、そのようなことがひしひしと伝わってきました。初めて観たときの「これ何だ!?」という感覚。ひとりのアーティストに関しても、前のを見ているからこそ見えてくる次の何か、それがあるから、どんどん追いかけていってしまう。愛情、愛着、好奇心。ひとりのアーティストのことを伝えるにも、そのアーティストのことをどれだけわかっているのか、責任を持たなくてはならない・・・。広い会場を埋め尽くすように配置された写真を観た後にうかがった安齋さんのお話。そのなかの重みのある言葉の数々と、私が感じたこと。安齋さんのお話をうかがっていると、会場で安齋さんの写真をひとつひとつ追いながら、少しずつ蓄積されていった私のなかの形にはならないものが、まとまりを持って束ねられていくような気がしました。
「私」という「パーソナル」な視点にこだわって、30数年にわたって「現場」と「人」を撮り続けた安齋さんのエネルギー、それがどんなものなのかを感じ取りたい。今回、私がこの展覧会へと足を運んだことの一番の動機は、これだったかもしれません。演奏者も、自分も、観客も毎回調子が違って、空気が変わる、それを1日1日追うことができる、そんな幸せなことはない。マイルス・デイビスのツアーに1週間ほどついて行かれた時のことをお話してくださる安齋さんの笑顔がとても印象的でした。そして、長い活動のなかで、やはり感じることは、ひとりではものはつくれない、こうやっていろんな人がいて、ものはつくれる・・・。そんな安齋さんのお話をうかがいながら、広い会場の中央にあるベンチから今一度眺めてみる安齋さんの撮った写真は、また特別なもののように思えたのです。
ところで、安齋さんが声をかけてくださったとき、私がちょうど読んでいたのが、草月会館の情報誌に掲載された安齋さんの記事、「草月という『確かな美術の現場』」でした。イサム・ノグチ、サム・フランシス、ジョン・ケージ・・・。国内外の多くのアーティストたちが活躍してきた草月という場に、カメラとともに居合わせることのできる安齋さんの喜びが綴られている文章で、1984年のナム・ジョン・バイクとヨーゼフ・ボイス(←会場にあった帽子を被ったボイスのポートレート写真はとても印象に残りました)のパフォーマンスを撮った写真とともに、興味深く読ませていただきました。記事の中に、「さまざまなアーティストたちとのすさまじいまでの純粋で熱気に満ちた現場」という言葉がありました。そんな言葉と写真を頼りにして、安齋さんが居合わせた、私の知らない草月という現場に思いを馳せていたのです。2002年10月2日の草月ホール。今からちょうど5年前の秋、青山航士さんが『森羅』を踊っていた、私の知っている「草月の現場」。私のなかのフィルムにくっきりと焼き付けてある「すさまじいまでの純粋で熱気に満ちた」現場を、私はまだ現像できずにいます。あの日の帰り道、急行電車から降りて、混雑した二子玉川の駅で各駅停車の電車待ちをしていたときの暑いような涼しいような感覚が、今でも残っているのですが、『森羅』に関しては、もしかしたら、あのときからずっと私は止まったままなのかもしれません。


左は写真展カタログ。右はチラシです。
カタログ内、1枚1枚の写真に添えられた安斎さんによるメモが、好きです。
会場に入ると、まずは1970年代初頭(安齋さんが撮影を始めた頃)の写真作品(モノクロ)が、横の列を意識させる構成で整然と並んでいます。一つ一つの写真の大きさはそれほど大きくなくて、1枚1枚が白い壁に虫ピンでシンプルに留められているだけ。現像時に周辺部を露光させて創り出すという、写真の額縁のように見える独特な黒い枠も、ひとつひとつの写真が特別なものであるというイメージを与えてくれる感じがします。知っているアーティストや作品が写っていなくても、そこに写っている「人」と「空間」に、何故か心がざわめく・・・、冒頭からそんな感じがします。なんかスゴイことがあちらこちらで起き始めていた時代だったのかな、そんなことも頭の中をよぎる・・・。やがて視界が大きく開ける大展示場へと進むと、会場を取り囲む壁面に、1年毎に写真をタワーのように縦に配置して展示してある大空間に。その縦の写真の列がたくさん集まって、圧倒的な量感をもって迫ってくる写真作品群が、周囲の壁一面を覆いつくしています。一方、会場中央のスペースを取り囲むように配置してある、天井まで届くかのような高さのあるボードには、アーティスト個人を写した、大画面のポートレート写真の数々が、ダイナミックに展示されています。あの大会場の入り口から見渡す、そんな会場の光景には、軽く眩暈の感覚すら覚えます。正直なところ、入り口では、これ全部見られるのかなあ?とちょっと不安になったりもしました。しかし、1枚1枚の写真に封じ込められた「現場」や「人」の空気感に吸い込まれるように、いつの間にか壁に貼られた写真の数々を追っている自分がいました。
安齋さんの作品は、大きく二つに分けられるそうです。これは先ほど述べた会場の構成の仕方からもすぐわかることなのですが、ひとつは、「アーティストの個性を的確に捉えたポートレイト」作品群。もうひとつは、「今では存在しない作品や画廊、歴史的な展覧会の様子などを収めた史料的価値の高いドキュメント」としての作品群。これら二つの作品群を見比べると、安齋さんの被写体との関わり方の違いがよくわかり、非常に興味深いです。今回私は、最初に後者の作品群を、そして締めくくりとして前者の作品群を、という順路で観覧してみました。
まず周囲の壁に虫ピンで留められた、夥しい数の「現場」を撮った作品群、つまり、「ドキュメント」的な性格が強い作品群について。とにかくスゴイ数の写真で、写真をひとつひとつ追いかけながら、一瞬一瞬様々なことを感じていました。個人的には、水玉模様のモチーフで有名な草間弥生さんの写真、縞模様で空間の質感を変えるダニエル・ビュランさんの写真などが身近に感じられました。草間さんの作品は、学生時代のアルバイト先に入っていたギャラリーでよく個展が開催されていたので、そのときに観た感じと、写真から感じ取られるものがシンクロして、不思議な感覚に包まれました。ダニエル・ビュレンさんの作品は、以前縞模様に興味を持ったときに、本などでよく見ていたのですが、70年代に地下鉄銀座駅で行っていたという「ストライプ・ゲリラ」の写真を会場で発見して、こんなことをしていたアーティストだったのか、と新鮮な眼で見られたりしました。
安齋さんの追ってきた対象は、現代美術。インスタレーション、アクションペインティング、パフォーマンス・アート・・・。多様化する現代美術の状況を反映して、撮影場所も、美術館、画廊、ギャラリー、劇場に収まるはずはなく、公園、田園地帯、そして企画に関わる人たちのいる大学研究室にまで及びます。そして、そこに写っているのは、いわゆる「作品」だけでなく、それを作るアーティスト、作品を観に来たお客さん、アーティストを支える人たち、はたまたその作品のそばをたまたま通りかかった人だったりするわけです。その「人たち」や「もの」の撮り方も実に様々で、制作過程を撮ったもの、完成した作品だけを撮ったもの、その前でポーズをとるアーティスト、といった具合です。ただ安齋さんの写真を観ていて不思議なのは、30数年前の写真に写った人たちの服装や髪型は、いかにも70年代なのに、いつの間にか、そういうこと(「過去はこうだった」ということ)よりも、その現場に流れていた空気感に引き込まれてしまっていて、「過去の時代性」よりも、その現場に居合わせているような「リアルさ」の方が上回ってしまっているということでした。そして、もうひとつ安齋さんの写真を観ていて不思議だったのは、これだけ現場の空気感を写し取っているのに、被写体にべたぁ~っとくっついた撮り方をしていない感じがすることなんです。写真から現場の熱気、空気感はリアルに伝わってくる、でも、安齋さんの撮り方は熱くない(?)、というか、きっと安齋さんは熱いのでしょうが、敢えて、撮り方においては、その熱さを封じ込めている感じがする、と言ったらよいのでしょうか。また、これらのドキュメント作品に写されているアーティストたちは、固有名詞を持った、有名な(世間に名の知れている)誰々というアーティストというよりはむしろ、ものをつくるひとりの人間という性格を強く帯びている気がして、非常に愛おしく思えるような気がしたのです。「現代美術」というと、中には前衛的すぎて理解不能と考えてしまうことが多いような気がしますが、安齋さんの写真を観ていると、そういうことよりも、何かをつくることによって、誰かに何かを伝えようとしている人たちが確実にいたことが感じられて、温かい気持ちに包まれてくる気がしました。普段、ダンスを観ていて感じていることでもありますが、やはり、そこの場でしか成り立ち得ない空気というのがあると思います。ひとが関わって作品(もの)をつくるときに出来る場、そのものづくりの場における「一回性」、つまり同じものをつくろうと思っても二度と同じものはできない、そういうものに対する安齋さんのこだわりが強く感じられました。そして、そのものづくりをカメラ越しに追うことで、アーティストや作品と対話し、理解することによって、ものづくりに参加しようとしている、そんなことが感じられてくるような気がしたのです。
天井付近まであるボードにダイナミックに配置されてあるアーティストたちのポートレート写真の数々もまた印象的なものでした。これらの作品では、アーティストの上半身、顔のアップ、あるいはその一部が写し撮られています。オノ・ヨーコさん、ミヤケ・イッセイさん、バスキアに、デビッド・リンチなどがあったでしょうか。「ドキュメント」作品群を観てから、これらの個性豊かなアーティストたちの「ポートレート」作品を観ると、やはり、安齋さんの被写体との距離感の取りかたの違いが感じられますし、安齋さんのアーティストたちの個性を写し撮ろうとする気迫が、画面いっぱいに漲っている気がして、圧倒されます。
こうして、会場の写真を一通り観終わり、中央のスペースに置いてあるベンチに座って、今回の写真展の閲覧用カタログ、そして安齋さんの作品を特集した記事のファイルを読んでいました。安齋さんは、写真を撮るだけでなく、現代美術に関する文章も多く書かれているだけあり、記事のなかには私にとって印象深い言葉もあったので、ちょっとメモったりしていたのです。そんなことをしていたら、安齋さんが、「何か質問みたいなことはありますか?」と気さくに話しかけてくださいました。今回の展覧会では、安齋さんによるレクチャーやワークショップも数回行われているようですが、会期中はなるべく会場に来て、会場にいる人との交流を心がけておられるのだそうです。私も写真を観させていただいての感想などをお話させていただいたのですが、こちらの感じていることを瞬時に読み取られて、漠然と感じていたことが明確になるように、ピントを合わせてさっと光を当てるかのように答えてくださるお話に、すっかり時が経つのも忘れてしまうほどでした。
「現場」にある「視覚+α」のものを写し撮ることへのこだわり。最初に設定され決められた完成形を実現するためではなく、制作過程での試行錯誤と微調整によって、作品が変化してゆくことの楽しさと、その現場に立会い、作品制作に関わることのよろこび。安齋さんとのお話から、そのようなことがひしひしと伝わってきました。初めて観たときの「これ何だ!?」という感覚。ひとりのアーティストに関しても、前のを見ているからこそ見えてくる次の何か、それがあるから、どんどん追いかけていってしまう。愛情、愛着、好奇心。ひとりのアーティストのことを伝えるにも、そのアーティストのことをどれだけわかっているのか、責任を持たなくてはならない・・・。広い会場を埋め尽くすように配置された写真を観た後にうかがった安齋さんのお話。そのなかの重みのある言葉の数々と、私が感じたこと。安齋さんのお話をうかがっていると、会場で安齋さんの写真をひとつひとつ追いながら、少しずつ蓄積されていった私のなかの形にはならないものが、まとまりを持って束ねられていくような気がしました。
「私」という「パーソナル」な視点にこだわって、30数年にわたって「現場」と「人」を撮り続けた安齋さんのエネルギー、それがどんなものなのかを感じ取りたい。今回、私がこの展覧会へと足を運んだことの一番の動機は、これだったかもしれません。演奏者も、自分も、観客も毎回調子が違って、空気が変わる、それを1日1日追うことができる、そんな幸せなことはない。マイルス・デイビスのツアーに1週間ほどついて行かれた時のことをお話してくださる安齋さんの笑顔がとても印象的でした。そして、長い活動のなかで、やはり感じることは、ひとりではものはつくれない、こうやっていろんな人がいて、ものはつくれる・・・。そんな安齋さんのお話をうかがいながら、広い会場の中央にあるベンチから今一度眺めてみる安齋さんの撮った写真は、また特別なもののように思えたのです。
ところで、安齋さんが声をかけてくださったとき、私がちょうど読んでいたのが、草月会館の情報誌に掲載された安齋さんの記事、「草月という『確かな美術の現場』」でした。イサム・ノグチ、サム・フランシス、ジョン・ケージ・・・。国内外の多くのアーティストたちが活躍してきた草月という場に、カメラとともに居合わせることのできる安齋さんの喜びが綴られている文章で、1984年のナム・ジョン・バイクとヨーゼフ・ボイス(←会場にあった帽子を被ったボイスのポートレート写真はとても印象に残りました)のパフォーマンスを撮った写真とともに、興味深く読ませていただきました。記事の中に、「さまざまなアーティストたちとのすさまじいまでの純粋で熱気に満ちた現場」という言葉がありました。そんな言葉と写真を頼りにして、安齋さんが居合わせた、私の知らない草月という現場に思いを馳せていたのです。2002年10月2日の草月ホール。今からちょうど5年前の秋、青山航士さんが『森羅』を踊っていた、私の知っている「草月の現場」。私のなかのフィルムにくっきりと焼き付けてある「すさまじいまでの純粋で熱気に満ちた」現場を、私はまだ現像できずにいます。あの日の帰り道、急行電車から降りて、混雑した二子玉川の駅で各駅停車の電車待ちをしていたときの暑いような涼しいような感覚が、今でも残っているのですが、『森羅』に関しては、もしかしたら、あのときからずっと私は止まったままなのかもしれません。