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路上の宝石

日々の道すがら拾い集めた「宝石たち」の採集記録。
青山さんのダンスを原動力に歩き続けています。

◆”I FEEL PRETTY” in the summer of 2007

2007-08-16 22:18:44 | ウエスト・サイド・ストーリー
明日いよいよ開幕するROCKIN’ Broadway、どんな演出で、どんな曲を見せてもらえるのでしょうか?8月22日号の『婦人公論』には、和央さんと萩尾望都さんの対談記事が掲載されています。「宝塚のゴージャスさとは違うけれども、宝塚のときにはやりたくてもできなかったスペクタクルなものをやろう、と。宝塚と同じことをやるなら、宝塚でやったほうがよっぽどきれいだと思うんで。」こんなコメントをうかがうと、とても期待が高まります。ブロードウェイミュージカル作品の音楽を、ROCKなアレンジで(でもワイルドホーンさんの曲もあるということは、ROCK調ということだけではなさそう、と解釈しておいたほうがよいのでしょうか?)、しかも、それを「スペクタクル」なものとして、あれだけの大会場で見せてもらえる・・・。どんなノリのライブ・コンサートになるのか、本当に楽しみです。和央さんや花總さんのファンの方々に負けないように、楽しんでこよう!今からそんなことを考えたりしています。

「ブロードウェイ」ということで、これまで青山さんが出演された作品、およびその周辺の作品からの曲が使われたら、ファンとして、それはとてもうれしいことですが、でもそのこと以上にブロードウェイ・ミュージカルの曲をROCKなアレンジで見せるという、ちょっと想像しにくい状況が、やはり何よりも楽しみです。ミュージカル作品を観たりしていると、ダンスシーンのための音楽でなくても、「あっ、これで踊っている青山さんを観られたら・・・」と思うこともあります。そんな曲や、クラシックで、オーソドックスなミュージカル作品の名曲でも、ROCKなアレンジを施せば、ダンス満載な曲になるのではないか?非常に単純な発想ですが、「おどろんぱ!」時代から踊りまくる青山さんをできるだけ多く観たい!とやかましく言い続けてきたファンとしては、ついついそんな期待をしてしまうわけです。しかも、今回は未だかつてないほどの規模の大会場でのライブ・コンサート。和央さんをはじめとして、バックダンサーの方々の動きは、2階最後部席の人までをノリノリにしてくれるような、かなりハードなものになるのではないか、と内心かなり期待しています。

そんなことを思いながら、これまでのご出演作品のCDなどを聴いていたのですが、この暑さのなかですと、ついつい繰り返し手にとってしまうのは、やはりWSS(『ウエスト・サイド・ストーリー』)のCDです。青山さんのタイガーを脳内再生するときの私のBGMは、以前から書いているようにBW版CD、とりわけその後半に収録されているSymphonic Dancesなわけですが、こうしてこの作品の音楽を聴いて改めて思うのは、WSSというのは、本当に「聴きどころ」満載の贅沢な作品なのだなということです。それで、そんな名曲すぎる「聴きどころ」を「見どころ」として観客の心に鮮やかすぎるぐらいに焼き付けたうえに、なおかつ「聴きどころ」として有名な数々の名シーンに劣らぬインパクトをダンスシーンに与えていた青山さんたちの仕事は、本当に素晴らしかったなあ、としみじみ思うわけです。3年経った今でも、タイガーが踊っていたPrologueからJet Song、The Dance at the Gym、Cool、QuintetからRumble、Somewhere、Gee,Officer Krupke・・・、と珠玉の名場面を少し思い出しただけでも、この夏の暑さを、心の中に沸き起こる熱さで制することができるぐらいかもしれません。

それで、そんな青山さんのタイガーを語り始めると、またいくらでも暴走できるので、それはまた別の機会にすることとして、今日は「聴きどころ」名シーンの中で、私がついつい繰り返し聴いてしまう曲、”I Feel Pretty”について書いてみたいと思います。2004年夏の少年隊版では、マリア役は島田歌穂さん、冬の嵐版では、宝塚の和音美桜さんでした。舞台をご覧になった方は、WSS第2幕冒頭、客電が消えて、オーケストラがこの曲を奏でる始めるときの、あの何ともいえない素敵な感じを覚えていらっしゃることと思います。第1幕最後は、Rumbleのシーンで、この緊迫感溢れる決闘の結果、JetsとSharksそれぞれのリーダーが死んでしまい、重苦しい空気に包まれて休憩時間に入っているために、第2幕のあの始まり方は、ちょっと一息つかせてくれるというか、沈んだ気持ちを一気に引き上げてくれるというか、そんな感じです。

しかし、Sharksのリーダー、ベルナルドを刺してしまったのは、マリアの愛するトニー。悲劇の結末へと一気に向かい始めることになる第2幕ですが、2幕冒頭のこのシーンで、トニーに会うために自分の寝室で心弾ませながら準備をするマリアは、愛する人が自分の兄を刺殺してしまったという恐ろしい事実を、まだ知らされていません。ただ愛する人との再会を心待ちにする16歳の少女の気持ちが、無邪気に歌い上げられていきますが、WSSの楽曲のなかで最も屈託のない明るい曲ではないでしょうか。映画版CDでは、ナタリー・ウッドの歌は、マーニ・ニクソンが吹き替えているそうですが、マリアの声は「16歳」であることを求められたそうで、その要求にすべて応えられそうでないナタリー・ウッドの代わりに、彼女が起用されたそうです。そんなエピソードを読んで、この曲”I Feel Pretty”を聞くと、もしかしてこれは一番「16歳らしさ」が求められている曲なのではないか、という気がしてきます。島田さん、和音さんお二人の歌唱はとても素晴らしく、またマリアとSharks女性陣が掛け合うようにして楽しい身振りをまじえて賑やかに歌い上げるのがとても魅力的だったこのシーン。非常に高さのある、文字通り「宙に浮いているような」2階寝室のセット上で歌い踊る様子が、悲劇を知らずにただ恋に歓喜するマリアと、そこに漂う一抹の危うさを視覚的にも印象付けているようでした。(昨年夏に観た来日版West Side Storyでは、このシーンは、1階の寝室セットの上で歌い踊るということになっていました。)

WSSでは、映画版と舞台版で、曲順が異なっている部分が数箇所ありますが、この”I Feel Pretty”もそのひとつ。BW版と映画版のCDを聴いただけでも、印象が異なりますし、シーンが帯びる意味も多少違ってきます。ただ、3年前にこの曲をじっくり聴くようになってから、私がずっと思っていたのは、この曲のジャズバージョンが聴きたい、ということでした。それ以来、まずOscar Peterson TrioのWest Side Storyに収録されているもの、Sarah Vauhnの名演などを聴いてきましたが、満足はするものの、やはり「コレ!」という決め手に欠けているような気がしていました。やはりあれだけのWSSです。ミュージカルの世界で感じたあの感動を上回るような、また違う感動を与えてくれる”I Feel Pretty”はないのかな~、と半ばあきらめていたのです。そんななか、ちょっと前に出会ってしまったのが、ソフィー・ミルマン(Sophie Milman)の”I Feel Pretty”。彼女の歌声を初めて聴いたのは、別の曲においてだったのですが、一声聴いて虜になった私は、早速他の曲も物色、彼女の”I Feel Pretty”にたどり着いたというわけです。つい先日も来日公演があって、そのライブに行ってみたのですが、外見は24歳なのに、歌い出せばとてもそうは聞こえない貫禄。”I Feel Pretty”自体は、ジャンルにこだわらなければ、いろいろなシンガーが歌っていますが、女性ジャズボーカリストがこの曲を歌っているのを見つけるのは結構難しい気がします。けれどもソフィーが歌うこの曲は、ミュージカル・映画版CDや、Sarah Vauhnのものとは一味も二味も違う魅力があると思いました。まず、豪快に歌い上げたり、たたみかけるように一気に盛り上がるところもなく、肩の力の抜けた軽快さがあり、それでいてとても深みのあるメローな感じに惹かれました。さらに、この曲には本来あるはずのないアンニュイな感じがひとつまみぐらい漂っているところが、明らかに新しいという気がしたんです。ミュージカルの中で歌われているわけではないのですが、原作とは違うストーリーを感じさせてしまう歌い方にもかなり感動しました。舞台版や映画版では、1人称でどっぷりはまって歌い上げるマリアと、おもしろおかしく、でもちょっぴり冷静にきれいにコーラスしながら、3人称的に突っ込みを入れるようなSharks女性陣との掛け合いが、非常に楽しいシーンとなっているのですが、このソフィー・ミルマンによるものは、一人で歌っているのに、なんとなーく2・5人称的な歌い方のような感じがして、結構好きだったりします。この歌の歌詞には、主語の「I/私」が繰り返し出てきますが、わずか4分50秒ほどの時間の流れのなかで、歌っているソフィーがこの「I」に語らせる感情に、とても豊かな起伏が感じられる気がして、ドラマが感じられます。また“See the pretty girl in the mirror there~”あたりの、ちょっと突き放した感じの歌い方も、個人的には結構好きだったりします。

彼女は学生時代に語学を勉強していて、また小さいときからロシア→イスラエル→カナダと移住を繰り返してきたので、多言語を操るマルチリンガルなのですが、そんなことによって、歌の「ことば」を伝えることに対して他のシンガーよりも敏感なところがあるのでしょうか。ライブのときも、Bein' Green(セサミストリートの歌)に関して、kids'songだけれど、(移住を繰り返してきた)自分にとっては、especially special songで、personal connectionのある歌だと言っていました。ミュージカル・映画版で慣れ親しんでいた、バーンスタインとソンドハイムによる”I Feel Pretty”という曲に、新しい世界を感じさせてくれたソフィー・ミルマン。この曲だけでなく、他の曲もおススメですので、よろしかったら、皆さんも是非聞いてみてください。ひとつの曲に関しても、聞く人それぞれの感じ方があって、それだからこそ面白いのだと思いますが、自分の探していたものがみつかるときって、やはりとてもうれしいですよね。ソフィーの歌う”I Feel Pretty”は、私にとっては、まさに「コレ!」という1曲でした。今回のライブでは残念ながら、”I Feel Pretty”は歌ってくれなかったのですが、眼の前のステージで歌うソフィーを見ながら、あんなふうに歌えたら素敵だろうなあ~、そんなことを感じたりして。勿論、私は歌など歌えませんけれども。ちなみにソフィーは、さきほどふれたOscar Petersonのライブで初めてジャズに開眼したのだとか。”I Feel Pretty”をファースト・アルバムで歌っているのには、もしかしてそんなことも関係しているのでしょうか。

ソフィーも数多くのジャズ・スタンダードを得意としていて、それ以外にもボサ・ノヴァ、シャンソン系の曲、故郷ロシアの曲、そしてさきほどもふれたセサミストリートの曲(It’s Not Easy Bein’ Green)まで何でも見事に歌いこなしてしまうシンガーで、本当に驚くのですが、「ジャズ・スタンダード」といわれている曲は、元はミュージカル作品で歌われていたものが多いです。そうした曲の数々が、ジャズのアーティストたちによって演奏されていくなか、元の作品から離れて、スタンダードとして定着し、いまだに進化をし続け、新たなストーリーを紡ぎながら歌い継がれ、演奏されてゆく・・・。現代のミュージカル界とジャズの世界の間の関係性には、かつてのような活発な行き来というのはないのかもしれませんが、ミュージカル作品の音楽をROCKなアレンジで見せることにより、ミュージカル界の素晴らしい名曲の数々が、新たな魅力で観客を魅了する、そんな機会が増えていったらよいな、と思います。すべてを一概に語ることはできないかもしれませんが、『TOMMY』を考えてもROCKと舞台芸術の世界の融合があったり、『ボーイ・フロム・オズ』、『ムーヴィン・アウト』、『マンマ・ミーア』などは、既存のポップスやRockの曲をミュージカル作品のなかで再構成したものです。今回のROCKIN’ Broadwayは、そうしたミュージカル界に見られる動きとは反対の方向性を持つ、つまり、ミュージカルの楽曲をROCKなアレンジで解体してみせるような、そんな試みなのかもしれませんが、ポップスやROCKの世界と接近していっているミュージカルの世界を考えてみれば、観客は潜在的に、今回のROCKIN’ Broadwayのような企画、待っていたのではないか、そんな気がするのは私だけでしょうか?

「ブロードウェイ・ミュージカル」と言えば、どうしても3年前の夏、クラシックな大作『ウエスト・サイド・ストーリー』を、「今・ここ」でしか見られない作品として魅せてくれた青山さんのタイガーを思い出します。これまでの宝塚の世界とは違うものを追求する和央さんと、ストーリーのあるミュージカルの世界で活躍してきた青山さんたちが、ROCKIN’ Broadwayという新たなステージで、何を見せてくれるのか。「コレ!」という嬉しい驚きに満ちたダンスや音楽とのたくさんの出逢いを予感させてくれるROCKIN’ Broadway、とても楽しみです。もうすぐ開幕。劇場に向かう日を指折り数えて心待ちにする毎日です。


ところで、気がついたらブログを開設してから1年が経過していました。カメのような歩き方で、マイペースに綴っている拙いブログですが、読んでくださる方がいるのだなあと思うと、励みになります。途中でお休みすることもありましたが、こうして寄り道しながら書き続けていられるのも、読んでくださる皆さんのおかげです。いつもありがとうございます。心から感謝しております。あちらこちらに寄り道しながらのブログですが、2年目も初心を忘れずに、「宝石採集」の記録をしてゆきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。


◆来日版『ウエスト・サイド・ストーリー』観てみました。

2006-09-10 01:07:39 | ウエスト・サイド・ストーリー
『テネシー・ワルツ』My楽日の翌週、結局来日版『ウエスト・サイド・ストーリー』を渋谷のオーチャードホールで観てきました。まず全体的な感想としては、同じ作品で、同じマクニーリーさんによる演出・振付でも、こんなにも違った感じの作品になるのか・・・、ということです。振付の変更はほとんど許されないので変わっていないのでしょうが、演出はジャニーズ版とかなり異なっていました。

まず舞台装置、少年隊版・嵐版のものとはかなり違いました。あの鉄パイプのようなもので組んだアパートの1階・2階部分のような装置が、終始舞台の両脇に配置してあって、体育館のシーンでも置いてあるのです。・・・だもんで、左右にワッ~とJetsとSharksが走って行くところとか、狭くて物足りない、臨場感が全く違いました・・・。ただでさえ、量感のある(私にしてみると「ちと重すぎ!」、あ~言ってしまったぁ~~)なダンサーたちがひしめいているのに、どうしていつもそのセットあそこに置いてあるの?状態でした。挙句の果てに、Somewhereに至っても、その装置がど~んと置いてあって、ん・・・???少年隊版、嵐版をご覧になった方は、劇場全体が舞台と客席とが分け隔てなく、あの美しい「どこか・Somewhere」を共有した時空間を覚えていらっしゃると思いますが、少なくとも私にとって、今回のアレは申し訳ないけれど”Somewhere”ではありませんでした・・・。

それから、今回は舞台の奥に、ニューヨークの町並み(白黒の写真)が背景として映し出されることがありました。4月の『ビューティフルゲーム』(マクニーリーさん演出・振付、青山航士さんご出演)でもこんな演出がありましたよね。WSSでは、ちょっとコレ余計な感じがしました・・・。装置はできるだけシンプルにして、ダンサーたちの身体によって当時のニューヨークの空気に想いを馳せたい・・・、私なんかはそういうことを望んでしまいます。何てったってせっかくヴィジュアル的に「欧米人ダンサー」が踊るわけですから・・・。

冒頭のプロローグでも、日本版では最初から幕が上がった状態で、開演時間になると、照明が暗くなって、音楽とともに舞台ギリギリまではりだしているレンガの壁の隙間から、男の子たちが出てきて・・・、みたいな感じで、最初からとてもスリルがあり、あの始まり方大好きだったのです。ハイウェイの高架下でのランブルのシーン、今回は先ほどのセットが前の方に出てきて、その陰で取っ組み合いが見えるというような感じでした、確かに「高架下の感じ」はリアルと言えば、リアルなんだけれど、あそこまでしてリアルさを出す必要はあるのかな、お客さんの想像力はもっとたくましいんじゃない?という気はしました。そしてそういうお客さんのイマジネーションを膨らませていくのが、ダンスの役目ではないですか?2幕最初のI Feel Prettyも今回は2階部分のマリアの部屋ではなくて、1階部分で行われていました。(個人的に日本版のあのI Feel Prettyの感じ好きだったのです・・・、宙に舞い上がっているようなマリアの気持ちの高揚感と一抹の危うさがとてもよく出ていた感じがした・・・)

女性陣の衣裳は、JetsもSharksもイイ感じでしたが、男性陣のものは・・・。体育館のシーンのジャンパーには、今回もJetsのロゴが入っていましたが、日本版のJetsの男性陣の衣裳は、故意に「50年代のアメリカらしさ」から「現代の日本寄り」にうまく逸脱していて、かなりよかったのではないでしょうか。確かにあのプロダクションの衣裳は、「50年代のアメリカのニューヨークの片隅」というそれらしさは、あまり感じさせないものだったのだけれど、逆にそのことがよかったのだと思います。特にタイガーの「青いタンクトップとジーンズ」、あれは青山さんのタイガーの魅力を最大限引き出していましたよね!!!他のアンサンブルの方々の衣裳も、日本版のものは個性があってわかりやすかったと思います。今回、私はパンフレットで事前にお顔は確認してみたものの、あの衣裳のせいか、あまりキャラクターというものの感じられないダンスのせいなのか、「タイガー」がどなたなのか、結局判別できませんでした。勿論、青山さんが踊っていらしたパートの部分は終始、チェックしていましたが・・・。その部分が果たしてタイガーによって踊られているのかがわからなかったんです。青山さんがソロで踊っていた部分は、映画版では、ActionやARabが踊っていたりして、そのシーンの見せ場のようなところでした。青山さんだからこそ、そういうパートを、マクニーリーさんはまかせたのだと思います。以前かのかさんの掲示板にも書かせていただきましたが、ああいう重要なパートでの青山さんは特に、シーン全体にはスパイスとして効き、それだけ観ているとWSSのエッセンスがギュッと凝縮されている、そんな表現をみせてくれていたのです。

ああだこうだ文句ばかりですみません~。もうそんなこと言うなら、観に行かなければよかったのに、と自分でも思うのです。私は、青山さんの幻影を観に行った、それははっきり自分でもわかっているのですが、それでもこの新しいプロダクションに対して何の期待もしていなかった、と言ったら嘘になります。それなりの期待はしていったのです。小言はもう充分な感じもしますが、これからが一番言いたいことです。「ダンス」!!!私にとって、「ダンス」さえよかったのなら、きっと上に述べたような細かいことはどうでもよくなっていたのかもしれません。あくまで印象ですけれど、オーケストラの音楽も全体的に勇み足な感じがして、う~ん、言ってしまってよいのかわかりませんが、ダンスとの一体感がなくて疲れた、というのが正直な印象です。このオーケストラの音楽とも関係があるのかもしれませんが、一触即発、破裂寸前の張り詰めたギリギリの緊張感、ダンスが語ることによって、ストーリーを先へ先へと動かしていく疾走感・スピード感、これがWSSだと思っていたもの、いつまで経ってもそれを感じることが、今回の私が観た回においては難しかったのです・・・、かなしいけれど。そして逆にもっと時間がゆったりと流れていたはずのシーンが、あっけらかんと終わってしまった。(体育館のシーンでトニーとマリアの出会いのシーンに移っていく幻想的なところ。Somewhereの「悪夢」に襲われるちょっと前に、皆が揃って正面を向いて一歩一歩歩いてくるところ。そして一番最後のシーン。)舞台の上でおこっていることに、いつになっても同調できずに、舞台との温度差を感じたまま時間が過ぎてゆきました・・・。

パンフレットのマクニーリーさんのコメントによると、パフォーマーは25歳以下しか雇わないようにしていて、ツアー中でもコンスタントにキャスト変更しているそうなのですが、ダンサーたちの動きは、やはり最初から最後まで重たかったです・・・。緊張感や疾走感がなかったのは、やはりそのあたりが原因かと思います。またパンフレットに寄せられたケンジ中尾さん(ジャニーズ版の振付助手をされていた方です)の言葉に、次のようなものがありました。「どんなにダンスが上手くても、ただきれいにターンしたり、美しい型を見せるだけではダメ、というのがこの作品の難しさなのです。なぜなら、彼の振り付けでは、すべての体の動きの隅々にまで、役者としての表現力が要求されるからです。」この「役者としての表現力」という点においても、終始物足りなさを感じてしまいました。もう、このあたりのことについては、青山さんのタイガーを観てしまっていたら、誰が出てきても物足りなさを感じてしまうでしょうから、仕方がないのでしょうね。青山さんのタイガーには、それまで持っていた先入見のような思考の枠組みを軽やかに取り払ってしまう力がありました。(コレが前の記事で述べた、「ホンモノ」をめぐる力学的議論ということです。)そして同時にこうして改めていくつかのプロダクションをあえて比較しながら見渡してみると、あのタイガーには、容易に古めかしさを漂わせ得る、50年も前のこの作品のリアリティーというものを、「これだ」という「今」の感覚で観客にみせる力があったということです。

今回のプロダクションの主催は、ジャニーズ版とは異なるテレビ局なので、パンフレットのマクニーリーさんのプロフィールのところに、あの夏と冬の素晴らしいプロダクションのことが触れられていなくても、それは当然だと思います。(でも秋の『ボーイ・フロム・オズ』の再演については書かれていました。)そのことを非難しようなんて、少しも思っていないのですが、でも万が一、ちょっと前にこの日本であの素晴らしい舞台が、同じ演出・振付家の手により、日本人キャストによって上演されていたことすら知らずに、WSSはこういうものと思われている方がいらっしゃるとしたら、それは確かに残念なことであると思うのです。青山航士さんというひとがタイガーを踊っていたあのプロダクションの存在すら知らずに、『ウエスト・サイド・ストーリー』って、こういう作品である、と思われている方がいらっしゃるのだとするならば・・・。控えめに、「ここ日本における」としておきますが、この作品のこの国における上演史において、青山さんがあのようにこの作品を踊っていたというのは、本当にスゴイことだったのだな、と改めて思います。とにかく観る者をひきつけるあの吸引力が普通じゃなかったし、観た後ではいわゆるクラシックとも言える「映画版」がかすんで見えました。観終わった後に(特に少年隊版の後は)、振りなどを確認したりするために、映画版DVDを観たりすることも結構ありましたが、タイガーのいた舞台を生で体験してしまった後では、あれほど素晴らしいはずだった映画版の映像すら邪魔に思えるほどでした。そんなわけで嵐版以降現在に至るまで、私のWSS脳内再生時のバックミュージックは、Original Broadway Cast Recordingのバーンスタイン指揮によるSymphonic Dancesです。そして今度は、この作品の生まれた国のキャストによって上演されている今回のプロダクション。青山さんのタイガーを思い出す限り、この作品を踊るのに「欧米人ダンサー」である必要は全くない、と言い切れることを改めて痛感しました。そしてこの『ウエスト・サイド・ストーリー』という作品が、単に「トゥナイト」などの素晴らしい楽曲、冒頭のベルナルドたちの有名なダンスだけが一番の見どころである作品では決してない、ということをあの青山さんのタイガーは、間違いなく示してくれたのです。

2年前と1年8ヶ月前に私が観た青山さんのタイガーがどんなものであったのか、話始めるとどうしようもなく長くなりそうです。昨年2月、舞台の興奮も冷めやらぬ状態のときに(「WSS祭りの後症候群」真っ最中のときに)へーまさんのブログPlatea、2005年2月11日のWSSKoji Aoyama plays it coolの記事のコメント欄に投稿した文章をこちらにコピ&ペーストで掲載させていただきます。思えばこの投稿が、記念すべき(?)私の劇長コメント第1号でした。

☆Platea/プラテア 2005年2月11日 WSSKoji Aoyama plays it coolの記事のコメント欄から(一部文章の意味がわかりやすくなるように言葉を補いました)。抽象的な表現が多いです。来日版『ウエスト・サイド・ストーリー』のブログ検索などで万が一お越しいただいた方で「よくわかんないよ~」という方は、是非是非へーまさんのプラテアに行かれて、記事自体をお読みください。こちらのBookmarkから飛べます。

 WSSのCDを聞きながら、ライナー・ノーツ(Original Broadway Cast Recording版と映画版 )を読んでいたら、こんなエピソードが載っていました。「J.RobbinsとP.Gennaro(共同振付)は、ほんのわずかなスカートの翻し方、小指の曲げ方のようなものまでを探求し続けた。それらが舞台上で、彼らがまさに求めているその表現になるまで。」 また、Rita Moreno(映画版アニータ役)の談として、「J.Robbinsに独特なことは、彼が役(character)のために振付けるということ。つまり、アニータが踏むひとつのステップが、まさにアニータ以外の誰によるものでもないということがわかるような仕方で・・・」こんな二つの逸話を聞くと、即座に舞台での青山さんの姿に合点が行く気持ちになるし、逆に舞台での青山さんの姿を思い起こすと、これらの文言も単なる「逸話」以上の響きを持ってきますよね。 WSSという大作が世に送り出される過程で、「振付の細部へのこだわり」、「人物の性格、感情のようなものを、振りで伝えることへのこだわり」がいかなるものであったかが窺われます。まさに細部にまで精緻を尽くした表現が散りばめられている作品なのですね。そのうえ、へーまさんが素晴らしい解説をされているように、「厳格なバレエの技術」の上に立脚し、「変更がほとんど許されない」という振付。へーまさんが書かれているように、表現者は多くの厳しい要求を突きつけられるのでしょう。
 
しかし、青山さんはそのような数々の表現を、単なる「模写」というレベルでなく、作品の世界が顕現するような、言葉の厳密な意味における「再現」のレベルにまで、高めていたように思います。すでに偉大なる古典として立ちはだかるWSSの世界を忠実に「再現」するべく、その世界に迫ろうとする気迫、予在する世界を自らの内なるものとするための飽くなき追求が、青山さんの動きのひとつひとつにみなぎっていました。一方で、青山さん演ずるタイガーが、私達の眼前に、ひとりの人物として輪郭鮮やかに、「生」を持つ者として生きていたことも事実です。まるで、「果実から果汁をしぼりだした(express)」かのような、「内なるものの表出(express)」を、随所でみることができました。タイガーという役柄は、主要人物のような、わかりやすいタイプ分けをできるような性格を持っているわけでなく、JETSのひとりの若者です。(そうはいうものの、タイガーという名が語っているように、文字通り、立っているだけで「精悍、しなやかさの極み」でしたが・・・)しかし、青山さんのタイガーには、「内なる感情」、「現代の都会に生きる若者のエネルギー」、いわば「このストーリーを動かしてゆくような力」が、確かに息づいていました。そして、それらが私たち観る者に向けて、具体的なひとつの動きとなって、内から外へと表出されていたのです。
 
このように相反するベクトルを持つ表現契機(再現と表出)が、青山さんのなかで、「タイガー」という形となって、融合していくのを目の当たりにするたびに、私達観客はWSSという作品世界と、重なっていくのを感じました。その「ひとつの細部/断片」ともいえる表現が、観る者の感性に深く入り込んでくるとき、まさにタイガーを通して、WSSの世界が顕現してくるように思えたのです。
 
Quintet、その場面自体、舞台の構成が立体的で、オペラティックにTonightを歌い上げる、大迫力の「見せ場」ともいえるシーンです。このシーンのタイガー、いわゆる「ダンス」という動きのある「振り」をみせるわけでもなく、舞台左手JETS一団の前列左に膝をついてしゃがんでいます。このとき舞台でTonightを歌い上げるタイガーは、私達観る者と対峙しているはずですが、タイガーのまなざしの先に広がるものを、一緒の方向を向いてみているような錯覚に捕らわれると同時に、逆にタイガーのまなざしの奥にあるものまでみえたような気もするという、不思議な場面でした。それは、あの場面自体の大迫力のせいもあったかもしれませんが、「ことばのやりとりなし」でダンスによって語られるPrologue、さらにThe Dance at the Gym、Coolというシーンを経て、重層的に厚みを増していった、タイガーのキャラクターというものが、あの場面で一気に結実して、一本の軌跡としてつながり、タイガーのまなざしに顕現した瞬間だったということかもしれません。「神は細部に宿る」、そんな言葉が、私のなかで、にわかに現実味を帯びた瞬間でもありました。
by あゆあゆ (2005.02/26 23:46)