第2幕第4場 さよなら日劇 (昭和55~56年 1980~1981年)
♪新妻に捧げる歌
♪サイド・バイ・サイド SIDE BY SIDE
♪エル・クンバンチェロ EL CUMBANCHERO
「新妻に捧げる歌」のピアノの音が聞こえてくると、チエミさんが通っていた三鷹第四小学校の同窓会の場面となります。同窓生たち(アンサンブルの方々)は、この歌を歌いながら、あちらこちらから次々と集まってきて、懐かしい友人との再会をよろこびあいます。そこへ眼の覚めるようなピンクのスーツを着たチエミさんもやってきて、友人たちひとりひとりの当時のエピソードを織り交ぜながら、懐かしいあのときを振り返り、今もこうして再会できるよろこびを分かち合うのでした。そして再度、皆で「新妻に捧げる歌」を歌います。しかし、歌の途中、まだ旧友たちがこの歌を歌い、当時を懐かしんでいるなかを、チエミさんはひとり何かに導かれるように歩みだし、上手袖へと吸い込まれるように消えてゆきます。このときのチエミさんからは、既にどこか現実離れしているような、あるいは自分の運命について何かをわかっているような、そんな雰囲気が全身から漂ってきます。同窓会の最中では、持ち前のユーモアと人情味溢れるトークで場を盛り上げていたチエミさんでしたが、この場を去っていくチエミさんからは、そんな人間味が薄れ、まるで「かげろう」のように、スッと消えていなくなってしまいそうな気配が漂っています。
同窓生たちの歌う「新妻に捧げる歌」の後、舞台は暗転。やがて同曲のインストゥルメンタル・バージョンが流れるなか、背景には「日劇の取り壊し」を説明するスライドが映し出されます。この部分は、初演版よりさらに説明的になり、わかりやすくなったのではないでしょうか。例えば、日劇ダンシングチームが緞帳を切り取って持ち帰るところを写した写真が新たに入っていたりしました。この後のチエミさんとお父さんの会話にもそのことについてふれた台詞があったような気がします。また、この頃の写真になると、「カラー写真」となり、劇中、背景に映し出されるスライド写真の多くを占めていた「白黒写真」の時代からは、かなり時が経過し、時代も変わったことを思わせます。第2幕第4場になると、「ダイアナ妃の来日時」の写真やいわゆる「なめ猫」の写真が登場し、時代も大分「現在」に近づいた感じを受けるのです。当時、つまり1980年頃は、今からは20数年も前のことなのですが、客席に座るひとのほとんどがリアルタイムで経験している時代ということもあって、あの頃、「江利チエミさん」というひとは確かに生きておられた、そのことを強く感じるシーンであるような気がします(あくまで私個人の感想ですが・・・)。私にとっては、自分自身のなかでかすかに残っている実際の「江利チエミさん」の記憶と向き合うような瞬間でもあったような気がします。今から20数年前、こんなこともあった、あんなこともあった・・・、と昨日のことのように感慨にふけっていると、客席の電気が明るくなります。客席前方上手側の扉から、取り壊し直前の日劇の警備員さん(青山さん)に導かれながら、客席の通路を通って、チエミさんとお父さんが入ってくるのです。チエミさんと同時代を過ごされた方々は、このシーンをどのように受け止められたのでしょう。私のような世代が感じるよりももっと鮮明に日劇が取り壊される頃、つまりチエミさんが亡くなられる当時のことが蘇ったのではないでしょうか。このとき客席からは毎回拍手が自然とわき起こっていましたが、この拍手は、「江利チエミさん」を見事に演じきっている島田歌穂さんに向けてのものでもあり、作品を通して立ちあがってくる「江利チエミ」というひとりのひとへのものでもあり、とても不思議な感覚に包まれたことを覚えています。「お足元にお気をつけください。」警備員さんは、チエミさんとお父さんにそう言いながら、二人を舞台へと案内します。既に舞台へと上がる数段の階段でさえ、上るときには注意が必要なほど年老いたお父さん。途中で転びそうになるお父さんは、チエミさんに手を引かれながら、また警備員さんに手助けをしてもらいながら、一段一段階段を上り、チエミさんと一緒に、思い出のたくさん詰まった日劇の舞台に立ちます。「お帰りのときは、お声をかけてください。」警備員さんはそう言って、敬礼し、その場を後にします。このシーンでは、さきほども書いたとおり、上手側の扉から入ってくるお三方に、自然とあたたかい拍手が起こるところで、客席の雰囲気もとても和やかな感じになるのですが、チエミさん、お父さんとともに、青山さんが演じておられる警備員さんが、親近感を持てるような、とてもよい雰囲気を醸し出しておられるのです。昨年の初演版のときよりも、さらに馴染んでおられる気がして、とても短いシーンなのですが、青山さんのお姿がふんわりと印象に残ります。
ところで、すっかり舞台上で繰り広げられる「江利チエミ物語」に入り込んでいた観客にとって、これはかなり驚きの演出で、ほんのわずかな時間なのですが、観客が「素の自分」に戻る機会を与えられるところでもあります。一瞬島田歌穂さんと「チエミさん」がちょっとだけ分離したような感じで、これまで舞台上で繰り広げられてきた『江利チエミ物語』の島田歌穂さんが演じる「江利チエミさん」と、記憶のなかの実物の「江利チエミさん」のイメージが、不思議な感じで二重に重なるという雰囲気でしょうか。そして、思いがけず客電がつき、一瞬「素」に戻った状態の観客のそばの通路を、意表をつく形で出演者の方が歩く、このことが、その後の展開において、もうひとつの効果を持ってくるような気がしました。日劇での最後のチエミさんのステージ、及びチエミさんの人生における最後のステージというものに観客を立ち会わせる際に、臨場感を作り出す気がしたのです。客電がついて、「素」の状態に戻っている観客たちが座って眺めているのと同じ空間を、キャストの方々が懐かしそうに眺めて歩くわけです。自分たちが座って普通に眺めている、客席も含めた劇場の風景が、何となく「取り壊し直前の日劇」に見えてくる気がします。作品の上演中は、本来明るくなるはずのない客席が急に明るくなり、逆にスポットライトがあたってめくるめく展開していたステージが、暗くなって誰もいなくなった殺風景なものとして見える・・・。こんなところから「取り壊し直前の日劇」の雰囲気がとてもリアルに伝わってくるのです。この言ってみれば思いがけない「仕切りなおし」のような演出は、自分が観客として座っている劇場の空間を、この物語のラストに向けて、特別なものとして変容させていく、そんなものであったように思われるのです。
警備員さんが去った後、チエミさんはステージを見回しながら、懐かしそうに日劇での数々の思い出をお父さんに語ります。すると、チエミさんは舞台袖にピアノを見つけます。「お父ちゃん弾いてみてよ!」チエミさんは、昔「ピアノ弾き」だったお父さんに、そのピアノを弾くことを勧めます。最初は少し戸惑いながらも、袖へとピアノを弾きに行くお父さん。チエミさんのお父さんは、今となっては少しばかり頼りなく、「テネシー・ワルツ」を弾き始めます。しかし、この頼りなげなピアノの音色が、とても懐かしく、あたたかいものに聞こえるのです。万感の思いを胸に、舞台袖から響いてくる「テネシー・ワルツ」の音色に聞き入るチエミさん。やがて、そのピアノの音色は、フルバンドのインストゥルメンタル・バージョンに変化してゆきます。チエミさんのこれまでを、ひとつひとつ大切に甦らせるかのような「テネシー・ワルツ」。チエミさんは、その音楽に包まれるように、また、たくさんの思い出を抱きしめるかのように、ステージを、両手をいっぱいに広げて歩きます。
すると、思い出に吸い込まれるようなチエミさんに導かれるように、音楽も変化してゆき、日劇ダンシングチームも登場してきて、夢のような幻想的な雰囲気でステージをいっぱいにしていきます。日劇ダンシングチームといえば、チエミさんが日劇で共演し、舞台を共に作り上げたダンサーたちです。このときの彼らは、男女でペアダンスをしたりしますが、両手を頭上で交差させ広げていったりと、振り自体もとてもやわらかな感じのするもので、夢の世界へと導きいれるような雰囲気を終始醸し出しています。青山さんの動き、そして表情も、この作品の中で、最もやわらかで優しいもののような気がします。ここからのステージは、取り壊しの決まった日劇で、チエミさん、中野ブラザーズも出演されて1981年2月5日に行われたという「さよなら日劇」のステージをイメージさせるものです。その一方で、時と場所を限定できないような雰囲気もあって、これまでのチエミさんのステージの記憶、チエミさんとともに時代を過ごした方々の想いというものが交錯し、出会うという、不思議な場面でもあるような気がします。この後に続く「サイド・バイ・サイド」、そして終盤の「エル・クンバンチェロ」まで一貫して漂う、第4場のステージングのこの雰囲気、つまり、どこか「夢」であるような雰囲気を最初に印象付けるのが、アンサンブルの方々によるこの場面の幻想的なダンスという気がします。
この短いダンスに引き続くのが、チエミさんの「サイド・バイ・サイド」です。ダンサーたちが、主役であるチエミさんの登場を盛り立てるように、中央に現れたチエミさんへと、腕を差し伸ばすと、「サイド・バイ・サイド」の洒落たイントロが聞こえてきて、ダンサーたちは袖へと静かに消えてゆきます。”Oh,we ain’t got a barrel of money,”というフレーズで始まるこの曲を、軽妙に歌い始めるチエミさんは、これまでの波乱の人生に微笑みでも返しているかのように見えるほど、その表情はやさしく、肩の力も抜けているように見えます。この曲の歌詞、そしてこれまでともにステージを作り上げてきた中野ブラザーズと、チエミさんが踊るタップダンスが、観る者の心を打ちます。「みんながなんと言ったとて ふたりはいつもほがらか 楽しい旅を Side by Side~♪」そんな歌詞に合わせてチエミさんと中野ブラザーズが息もぴったりに、タップの軽快なリズムを刻めば刻むほど、心の中に熱いものが込み上げてくる、そんなシーンです。(詳しくは、9月21日の記事、Side by Side/サイド・バイ・サイドをご覧ください。)この曲の終盤、3人は客席に背を向け、曲のフレーズごとに振り返りながら、舞台奥へとステップを踏んでいきます。最後にチエミさんが一度フィンガースナッピングをすると、それが合図であるかのように、音楽が止み、スポットライトも消えるのです。
そしていよいよ怒涛の「エル・クンバンチェロ」です。暗くなった舞台に、ラテンな打楽器の音(コンガの音?)が響き渡ります。冒頭、下手からはひとりの男性ダンサー(阿部裕さん)が登場し、中央奥にいるチエミさんを呼び覚ますかのように、熱いソロダンスを繰り広げます。すると、今度はいよいよ上手から、青山さんが飛び出してきます。暗闇のなか上手寄りの立ち位置で一度止まり、そこから一気に舞台中央へと助走していって、回転ジャンプです。両手を上方向に先細るように伸ばし、片方の爪先をもう一方の脚の膝のあたりに添えて、ものすごいスピード感と高さでもって、回転跳躍するのです。この回転跳躍は、わずか1秒ちょっとの出来事なのですが、その瞬間は、身体に電気が走ったのではないかと感じるほど、衝撃的なもので、この熱いラテンナンバーの冒頭で、観客のまなざしと心を一気にステージへと吸着させるものです。(この「エル・クンバンチェロ」の出の回転ジャンプにつきましては、へーまさんのPlatea、2006年5月10日の記事、「1秒のあいだに」をご覧ください。そのコメント欄でも語らせていただいております。)そしてこの回転ジャンプの後は、青山さんのエネルギーのうねりが感じられるような世界がめくるめく展開されていきます。熱いラテンの曲を踊る青山さんの魅力全開ともいえるダンスシーンで、信じがたいほどの動きの精巧さはそのままに、初演よりもさらに魅力的になったダンスの表情には、ファンならずともノックアウト状態でしょう。エネルギーを溜め込んで、一瞬のうちに発散させる・・・、強烈なラテンの曲に乗せて、そんなエネルギーの流れのようなものを青山さんの身体は放ち続け、観る者を陶酔と興奮の坩堝(るつぼ)へと引き込みます。そして空気と大地を揺さぶるようにたたき出されるリズムに、こちらの身体も共振せずにはいられません。獲物を捕らえるかのような鋭いまなざしがあるかと思えば、ひたすら音楽の快感に身を任せてゆくかのような恍惚の表情。そして音楽の律動に揺れる大気を制するかのような鋭い手・腕の動き、さらに大地のうねりを吸い上げるかのような素足の動きがあるかと思えば、熱い空気にその身を溶かしてゆくかのように見事なバランスを保ちつつ魅せる究極の動き。中央で踊るチエミさんの前で、客席に背を向けて膝をつき、後ろへと上体をそらせてゆき、再び元の状態へと起こしてゆく動きなどは、こちらの身体感覚も揺さぶられるようで、圧巻です。最後は、渾身の歌声を響かせる中央のチエミさんに向けて力強く差し伸ばされる腕が、彼女の運命を語りつくしているかのようです。そして最後、身体を風のように翻して回転跳躍しながら消えてゆくと、すべてが終わったということを観客は予感します。(「エル・クンバンチェロ」に関しては、8月29日の記事(「夢」って・・・)をご覧ください。またへーまさんがPlateaで素晴らしいイラストを書いておられます。)
ダンサーたちが袖へと引き上げると、それまでの舞台の熱気が嘘のように感じられ、すべてが終わったという感覚に包まれていきます。ステージ中央のチエミさんも、まるで電池が切れたかのように、ステージ衣裳を着たまま、力なく立ち尽くしています。そこへチエミさんのトレンチコートを持ったお父さんが、彼女のそばへ、そっと歩み寄り、肩にそのトレンチコートをかけてあげるのです。このときのお父さんは、終始無言のままなのですが、その姿からは、「よくやったね、チーちゃん。もう十分だよ。」とでも言っているかのような表情を読み取ることが出来るような気がしました。華やかなオレンジ色の「エル・クンバンチェロ」の舞台衣裳の上に、カーキ色のトレンチコートをかけて、今にも倒れそうな感じで、お父さんにもたれかかり、袖へと静かに引いていくチエミさん。観客も言いようのない寂しさに包まれます。
第2幕第5場 テネシー・ワルツが聴こえる(昭和56年 1981年)
♪ヴァイア・コン・ディオス VAYA CON DIOS
♪テネシー・ワルツ TENNESSEE WALTZ
「かげろう」を思わせるような、はかなげなバックミュージックが流れるなか、清川虹子さんとお父さんの最後の語りのシーンとなります。その時代時代の風に向かって回り続けた「かざぐるま」のようだったという、チエミさんについて語ったお父さんの言葉が印象に残ります。暗い舞台の下手側に虹子さん、上手側にお父さんが立ち、スポットライトがあたります。お二人は、チエミさんが亡くなる日に体験した、不思議な出来事について語ります。虹子さんは、その日、ある劇の上演中、「ちよこ」と言うべきところが、何故か「チーちゃん」になってしまったのだそうです。ああいうのって、なんなんだろうね・・・、と虹子さんは語ります。また、お父さんは、借金を返して取り戻した家で、庭を眺めていたら、朝の光に「かげろう」のようにゆらゆらと揺れるものが見えたのだそうです。あれは一体なんだろう、と眺めていたら、そのとき電話が鳴ってね・・・、と声を詰まらせます。
そして場面はチエミさんの自宅へと転換します。仕事を終え、その帰り道、マネージャーの園ちゃんと共に、お酒を飲んで少し酔っている様子のチエミさん。足元もかなりおぼつかない様子で、園ちゃんに送ってもらい、帰宅してきます。風邪薬と一緒にお酒なんか飲んで大丈夫?と園ちゃんも心配そうです。一方、チエミさんは「若いマネージャーもいいけれど、園ちゃん最高!」といって、ご機嫌なようです。園ちゃんは「僕も楽しかったよ。」とチエミさんに伝え、明日のスケジュールを確認して、チエミさんの家を後にします。別れた後、チエミさんの自宅の前で、ドアの向こうのチエミさんを案ずるような園ちゃんが非常に印象的です。
着替えることもせず、お風呂は明日の朝にしよう、と言って、ベッドに横になるチエミさん。枕元に変わらず置いてあるお母さんの写真を手にとったチエミさんは、「おやすみ、おかあちゃん・・・」と言って、眠りにつきます。静かな「ヴァイア・コン・ディオス」の曲とともに、舞台奥からスモークが立ち込めてきます。やがてそっと眠りについたチエミさんに、ひとりの少女の声が聞こえます。「久保さん、学校へ行きましょ~。」第1幕、デビューしたてのチエミさんが移動中の列車で見た夢のなかで聞いたあの声と同じです。進駐軍クラブで歌っていた頃、毎日学校へ行く前に自宅まで迎えに来てくれていたクラスメートの声でした。その声に目を覚ますチエミさん。「お仕事に行かなくちゃ・・・。あれっ、仕事って、何だっけ。進駐軍クラブ?日劇?何を歌えばいいんだろう、あっ、「テネシー・ワルツ」だ。でも、声が出ない・・・」そう言って、喉を押さえ慌てるチエミさん。舞台中央の階段で、歌えない自分に対して、「シンデレラの魔法が解けちゃったんだ・・・」と言って、幻滅し、途方に暮れるチエミさん。そんなチエミさんを階段の上、両サイドからやさしく見守るひばりさんといづみさんがいます。ふたりは、ひとびとの心のなかにその歌が生き続けている限り、あなたはシンデレラのままよ、とチエミさんにやさしく語りかけます。その言葉に、心から安らかな表情を浮かべるチエミさん。
そしてアンサンブルによる「テネシー・ワルツ」の美しいコーラスが聴こえてきます。「さりにし夢 あのテネシー・ワルツ なつかし愛の唄 面影しのんで 今宵もうたう うるわし テネシー・ワルツ」第1幕第2場、「初レコーディング」のシーンで登場した、戦後の混乱~復興期の人々が、あのときと同じ衣裳で歌いながら登場してきます。また、チエミさんのベッドの周囲には、お父さん、虹子さん、中野ブラザーズ、マネージャーが集まり、舞台奥、下手よりには、高倉健さんのシルエットも映し出されます。「テネシー・ワルツ」が響くなか、多くのひとびとに包まれるようにして、真白い光に溶け込んでいくように、チエミさんが安らかに微笑んでいます。幕。
(これにて『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』詳細レポは、完結となります。亀のような歩みの拙い長文にお付き合いいただきまして、どうもありがとうございました。)
♪新妻に捧げる歌
♪サイド・バイ・サイド SIDE BY SIDE
♪エル・クンバンチェロ EL CUMBANCHERO
「新妻に捧げる歌」のピアノの音が聞こえてくると、チエミさんが通っていた三鷹第四小学校の同窓会の場面となります。同窓生たち(アンサンブルの方々)は、この歌を歌いながら、あちらこちらから次々と集まってきて、懐かしい友人との再会をよろこびあいます。そこへ眼の覚めるようなピンクのスーツを着たチエミさんもやってきて、友人たちひとりひとりの当時のエピソードを織り交ぜながら、懐かしいあのときを振り返り、今もこうして再会できるよろこびを分かち合うのでした。そして再度、皆で「新妻に捧げる歌」を歌います。しかし、歌の途中、まだ旧友たちがこの歌を歌い、当時を懐かしんでいるなかを、チエミさんはひとり何かに導かれるように歩みだし、上手袖へと吸い込まれるように消えてゆきます。このときのチエミさんからは、既にどこか現実離れしているような、あるいは自分の運命について何かをわかっているような、そんな雰囲気が全身から漂ってきます。同窓会の最中では、持ち前のユーモアと人情味溢れるトークで場を盛り上げていたチエミさんでしたが、この場を去っていくチエミさんからは、そんな人間味が薄れ、まるで「かげろう」のように、スッと消えていなくなってしまいそうな気配が漂っています。
同窓生たちの歌う「新妻に捧げる歌」の後、舞台は暗転。やがて同曲のインストゥルメンタル・バージョンが流れるなか、背景には「日劇の取り壊し」を説明するスライドが映し出されます。この部分は、初演版よりさらに説明的になり、わかりやすくなったのではないでしょうか。例えば、日劇ダンシングチームが緞帳を切り取って持ち帰るところを写した写真が新たに入っていたりしました。この後のチエミさんとお父さんの会話にもそのことについてふれた台詞があったような気がします。また、この頃の写真になると、「カラー写真」となり、劇中、背景に映し出されるスライド写真の多くを占めていた「白黒写真」の時代からは、かなり時が経過し、時代も変わったことを思わせます。第2幕第4場になると、「ダイアナ妃の来日時」の写真やいわゆる「なめ猫」の写真が登場し、時代も大分「現在」に近づいた感じを受けるのです。当時、つまり1980年頃は、今からは20数年も前のことなのですが、客席に座るひとのほとんどがリアルタイムで経験している時代ということもあって、あの頃、「江利チエミさん」というひとは確かに生きておられた、そのことを強く感じるシーンであるような気がします(あくまで私個人の感想ですが・・・)。私にとっては、自分自身のなかでかすかに残っている実際の「江利チエミさん」の記憶と向き合うような瞬間でもあったような気がします。今から20数年前、こんなこともあった、あんなこともあった・・・、と昨日のことのように感慨にふけっていると、客席の電気が明るくなります。客席前方上手側の扉から、取り壊し直前の日劇の警備員さん(青山さん)に導かれながら、客席の通路を通って、チエミさんとお父さんが入ってくるのです。チエミさんと同時代を過ごされた方々は、このシーンをどのように受け止められたのでしょう。私のような世代が感じるよりももっと鮮明に日劇が取り壊される頃、つまりチエミさんが亡くなられる当時のことが蘇ったのではないでしょうか。このとき客席からは毎回拍手が自然とわき起こっていましたが、この拍手は、「江利チエミさん」を見事に演じきっている島田歌穂さんに向けてのものでもあり、作品を通して立ちあがってくる「江利チエミ」というひとりのひとへのものでもあり、とても不思議な感覚に包まれたことを覚えています。「お足元にお気をつけください。」警備員さんは、チエミさんとお父さんにそう言いながら、二人を舞台へと案内します。既に舞台へと上がる数段の階段でさえ、上るときには注意が必要なほど年老いたお父さん。途中で転びそうになるお父さんは、チエミさんに手を引かれながら、また警備員さんに手助けをしてもらいながら、一段一段階段を上り、チエミさんと一緒に、思い出のたくさん詰まった日劇の舞台に立ちます。「お帰りのときは、お声をかけてください。」警備員さんはそう言って、敬礼し、その場を後にします。このシーンでは、さきほども書いたとおり、上手側の扉から入ってくるお三方に、自然とあたたかい拍手が起こるところで、客席の雰囲気もとても和やかな感じになるのですが、チエミさん、お父さんとともに、青山さんが演じておられる警備員さんが、親近感を持てるような、とてもよい雰囲気を醸し出しておられるのです。昨年の初演版のときよりも、さらに馴染んでおられる気がして、とても短いシーンなのですが、青山さんのお姿がふんわりと印象に残ります。
ところで、すっかり舞台上で繰り広げられる「江利チエミ物語」に入り込んでいた観客にとって、これはかなり驚きの演出で、ほんのわずかな時間なのですが、観客が「素の自分」に戻る機会を与えられるところでもあります。一瞬島田歌穂さんと「チエミさん」がちょっとだけ分離したような感じで、これまで舞台上で繰り広げられてきた『江利チエミ物語』の島田歌穂さんが演じる「江利チエミさん」と、記憶のなかの実物の「江利チエミさん」のイメージが、不思議な感じで二重に重なるという雰囲気でしょうか。そして、思いがけず客電がつき、一瞬「素」に戻った状態の観客のそばの通路を、意表をつく形で出演者の方が歩く、このことが、その後の展開において、もうひとつの効果を持ってくるような気がしました。日劇での最後のチエミさんのステージ、及びチエミさんの人生における最後のステージというものに観客を立ち会わせる際に、臨場感を作り出す気がしたのです。客電がついて、「素」の状態に戻っている観客たちが座って眺めているのと同じ空間を、キャストの方々が懐かしそうに眺めて歩くわけです。自分たちが座って普通に眺めている、客席も含めた劇場の風景が、何となく「取り壊し直前の日劇」に見えてくる気がします。作品の上演中は、本来明るくなるはずのない客席が急に明るくなり、逆にスポットライトがあたってめくるめく展開していたステージが、暗くなって誰もいなくなった殺風景なものとして見える・・・。こんなところから「取り壊し直前の日劇」の雰囲気がとてもリアルに伝わってくるのです。この言ってみれば思いがけない「仕切りなおし」のような演出は、自分が観客として座っている劇場の空間を、この物語のラストに向けて、特別なものとして変容させていく、そんなものであったように思われるのです。
警備員さんが去った後、チエミさんはステージを見回しながら、懐かしそうに日劇での数々の思い出をお父さんに語ります。すると、チエミさんは舞台袖にピアノを見つけます。「お父ちゃん弾いてみてよ!」チエミさんは、昔「ピアノ弾き」だったお父さんに、そのピアノを弾くことを勧めます。最初は少し戸惑いながらも、袖へとピアノを弾きに行くお父さん。チエミさんのお父さんは、今となっては少しばかり頼りなく、「テネシー・ワルツ」を弾き始めます。しかし、この頼りなげなピアノの音色が、とても懐かしく、あたたかいものに聞こえるのです。万感の思いを胸に、舞台袖から響いてくる「テネシー・ワルツ」の音色に聞き入るチエミさん。やがて、そのピアノの音色は、フルバンドのインストゥルメンタル・バージョンに変化してゆきます。チエミさんのこれまでを、ひとつひとつ大切に甦らせるかのような「テネシー・ワルツ」。チエミさんは、その音楽に包まれるように、また、たくさんの思い出を抱きしめるかのように、ステージを、両手をいっぱいに広げて歩きます。
すると、思い出に吸い込まれるようなチエミさんに導かれるように、音楽も変化してゆき、日劇ダンシングチームも登場してきて、夢のような幻想的な雰囲気でステージをいっぱいにしていきます。日劇ダンシングチームといえば、チエミさんが日劇で共演し、舞台を共に作り上げたダンサーたちです。このときの彼らは、男女でペアダンスをしたりしますが、両手を頭上で交差させ広げていったりと、振り自体もとてもやわらかな感じのするもので、夢の世界へと導きいれるような雰囲気を終始醸し出しています。青山さんの動き、そして表情も、この作品の中で、最もやわらかで優しいもののような気がします。ここからのステージは、取り壊しの決まった日劇で、チエミさん、中野ブラザーズも出演されて1981年2月5日に行われたという「さよなら日劇」のステージをイメージさせるものです。その一方で、時と場所を限定できないような雰囲気もあって、これまでのチエミさんのステージの記憶、チエミさんとともに時代を過ごした方々の想いというものが交錯し、出会うという、不思議な場面でもあるような気がします。この後に続く「サイド・バイ・サイド」、そして終盤の「エル・クンバンチェロ」まで一貫して漂う、第4場のステージングのこの雰囲気、つまり、どこか「夢」であるような雰囲気を最初に印象付けるのが、アンサンブルの方々によるこの場面の幻想的なダンスという気がします。
この短いダンスに引き続くのが、チエミさんの「サイド・バイ・サイド」です。ダンサーたちが、主役であるチエミさんの登場を盛り立てるように、中央に現れたチエミさんへと、腕を差し伸ばすと、「サイド・バイ・サイド」の洒落たイントロが聞こえてきて、ダンサーたちは袖へと静かに消えてゆきます。”Oh,we ain’t got a barrel of money,”というフレーズで始まるこの曲を、軽妙に歌い始めるチエミさんは、これまでの波乱の人生に微笑みでも返しているかのように見えるほど、その表情はやさしく、肩の力も抜けているように見えます。この曲の歌詞、そしてこれまでともにステージを作り上げてきた中野ブラザーズと、チエミさんが踊るタップダンスが、観る者の心を打ちます。「みんながなんと言ったとて ふたりはいつもほがらか 楽しい旅を Side by Side~♪」そんな歌詞に合わせてチエミさんと中野ブラザーズが息もぴったりに、タップの軽快なリズムを刻めば刻むほど、心の中に熱いものが込み上げてくる、そんなシーンです。(詳しくは、9月21日の記事、Side by Side/サイド・バイ・サイドをご覧ください。)この曲の終盤、3人は客席に背を向け、曲のフレーズごとに振り返りながら、舞台奥へとステップを踏んでいきます。最後にチエミさんが一度フィンガースナッピングをすると、それが合図であるかのように、音楽が止み、スポットライトも消えるのです。
そしていよいよ怒涛の「エル・クンバンチェロ」です。暗くなった舞台に、ラテンな打楽器の音(コンガの音?)が響き渡ります。冒頭、下手からはひとりの男性ダンサー(阿部裕さん)が登場し、中央奥にいるチエミさんを呼び覚ますかのように、熱いソロダンスを繰り広げます。すると、今度はいよいよ上手から、青山さんが飛び出してきます。暗闇のなか上手寄りの立ち位置で一度止まり、そこから一気に舞台中央へと助走していって、回転ジャンプです。両手を上方向に先細るように伸ばし、片方の爪先をもう一方の脚の膝のあたりに添えて、ものすごいスピード感と高さでもって、回転跳躍するのです。この回転跳躍は、わずか1秒ちょっとの出来事なのですが、その瞬間は、身体に電気が走ったのではないかと感じるほど、衝撃的なもので、この熱いラテンナンバーの冒頭で、観客のまなざしと心を一気にステージへと吸着させるものです。(この「エル・クンバンチェロ」の出の回転ジャンプにつきましては、へーまさんのPlatea、2006年5月10日の記事、「1秒のあいだに」をご覧ください。そのコメント欄でも語らせていただいております。)そしてこの回転ジャンプの後は、青山さんのエネルギーのうねりが感じられるような世界がめくるめく展開されていきます。熱いラテンの曲を踊る青山さんの魅力全開ともいえるダンスシーンで、信じがたいほどの動きの精巧さはそのままに、初演よりもさらに魅力的になったダンスの表情には、ファンならずともノックアウト状態でしょう。エネルギーを溜め込んで、一瞬のうちに発散させる・・・、強烈なラテンの曲に乗せて、そんなエネルギーの流れのようなものを青山さんの身体は放ち続け、観る者を陶酔と興奮の坩堝(るつぼ)へと引き込みます。そして空気と大地を揺さぶるようにたたき出されるリズムに、こちらの身体も共振せずにはいられません。獲物を捕らえるかのような鋭いまなざしがあるかと思えば、ひたすら音楽の快感に身を任せてゆくかのような恍惚の表情。そして音楽の律動に揺れる大気を制するかのような鋭い手・腕の動き、さらに大地のうねりを吸い上げるかのような素足の動きがあるかと思えば、熱い空気にその身を溶かしてゆくかのように見事なバランスを保ちつつ魅せる究極の動き。中央で踊るチエミさんの前で、客席に背を向けて膝をつき、後ろへと上体をそらせてゆき、再び元の状態へと起こしてゆく動きなどは、こちらの身体感覚も揺さぶられるようで、圧巻です。最後は、渾身の歌声を響かせる中央のチエミさんに向けて力強く差し伸ばされる腕が、彼女の運命を語りつくしているかのようです。そして最後、身体を風のように翻して回転跳躍しながら消えてゆくと、すべてが終わったということを観客は予感します。(「エル・クンバンチェロ」に関しては、8月29日の記事(「夢」って・・・)をご覧ください。またへーまさんがPlateaで素晴らしいイラストを書いておられます。)
ダンサーたちが袖へと引き上げると、それまでの舞台の熱気が嘘のように感じられ、すべてが終わったという感覚に包まれていきます。ステージ中央のチエミさんも、まるで電池が切れたかのように、ステージ衣裳を着たまま、力なく立ち尽くしています。そこへチエミさんのトレンチコートを持ったお父さんが、彼女のそばへ、そっと歩み寄り、肩にそのトレンチコートをかけてあげるのです。このときのお父さんは、終始無言のままなのですが、その姿からは、「よくやったね、チーちゃん。もう十分だよ。」とでも言っているかのような表情を読み取ることが出来るような気がしました。華やかなオレンジ色の「エル・クンバンチェロ」の舞台衣裳の上に、カーキ色のトレンチコートをかけて、今にも倒れそうな感じで、お父さんにもたれかかり、袖へと静かに引いていくチエミさん。観客も言いようのない寂しさに包まれます。
第2幕第5場 テネシー・ワルツが聴こえる(昭和56年 1981年)
♪ヴァイア・コン・ディオス VAYA CON DIOS
♪テネシー・ワルツ TENNESSEE WALTZ
「かげろう」を思わせるような、はかなげなバックミュージックが流れるなか、清川虹子さんとお父さんの最後の語りのシーンとなります。その時代時代の風に向かって回り続けた「かざぐるま」のようだったという、チエミさんについて語ったお父さんの言葉が印象に残ります。暗い舞台の下手側に虹子さん、上手側にお父さんが立ち、スポットライトがあたります。お二人は、チエミさんが亡くなる日に体験した、不思議な出来事について語ります。虹子さんは、その日、ある劇の上演中、「ちよこ」と言うべきところが、何故か「チーちゃん」になってしまったのだそうです。ああいうのって、なんなんだろうね・・・、と虹子さんは語ります。また、お父さんは、借金を返して取り戻した家で、庭を眺めていたら、朝の光に「かげろう」のようにゆらゆらと揺れるものが見えたのだそうです。あれは一体なんだろう、と眺めていたら、そのとき電話が鳴ってね・・・、と声を詰まらせます。
そして場面はチエミさんの自宅へと転換します。仕事を終え、その帰り道、マネージャーの園ちゃんと共に、お酒を飲んで少し酔っている様子のチエミさん。足元もかなりおぼつかない様子で、園ちゃんに送ってもらい、帰宅してきます。風邪薬と一緒にお酒なんか飲んで大丈夫?と園ちゃんも心配そうです。一方、チエミさんは「若いマネージャーもいいけれど、園ちゃん最高!」といって、ご機嫌なようです。園ちゃんは「僕も楽しかったよ。」とチエミさんに伝え、明日のスケジュールを確認して、チエミさんの家を後にします。別れた後、チエミさんの自宅の前で、ドアの向こうのチエミさんを案ずるような園ちゃんが非常に印象的です。
着替えることもせず、お風呂は明日の朝にしよう、と言って、ベッドに横になるチエミさん。枕元に変わらず置いてあるお母さんの写真を手にとったチエミさんは、「おやすみ、おかあちゃん・・・」と言って、眠りにつきます。静かな「ヴァイア・コン・ディオス」の曲とともに、舞台奥からスモークが立ち込めてきます。やがてそっと眠りについたチエミさんに、ひとりの少女の声が聞こえます。「久保さん、学校へ行きましょ~。」第1幕、デビューしたてのチエミさんが移動中の列車で見た夢のなかで聞いたあの声と同じです。進駐軍クラブで歌っていた頃、毎日学校へ行く前に自宅まで迎えに来てくれていたクラスメートの声でした。その声に目を覚ますチエミさん。「お仕事に行かなくちゃ・・・。あれっ、仕事って、何だっけ。進駐軍クラブ?日劇?何を歌えばいいんだろう、あっ、「テネシー・ワルツ」だ。でも、声が出ない・・・」そう言って、喉を押さえ慌てるチエミさん。舞台中央の階段で、歌えない自分に対して、「シンデレラの魔法が解けちゃったんだ・・・」と言って、幻滅し、途方に暮れるチエミさん。そんなチエミさんを階段の上、両サイドからやさしく見守るひばりさんといづみさんがいます。ふたりは、ひとびとの心のなかにその歌が生き続けている限り、あなたはシンデレラのままよ、とチエミさんにやさしく語りかけます。その言葉に、心から安らかな表情を浮かべるチエミさん。
そしてアンサンブルによる「テネシー・ワルツ」の美しいコーラスが聴こえてきます。「さりにし夢 あのテネシー・ワルツ なつかし愛の唄 面影しのんで 今宵もうたう うるわし テネシー・ワルツ」第1幕第2場、「初レコーディング」のシーンで登場した、戦後の混乱~復興期の人々が、あのときと同じ衣裳で歌いながら登場してきます。また、チエミさんのベッドの周囲には、お父さん、虹子さん、中野ブラザーズ、マネージャーが集まり、舞台奥、下手よりには、高倉健さんのシルエットも映し出されます。「テネシー・ワルツ」が響くなか、多くのひとびとに包まれるようにして、真白い光に溶け込んでいくように、チエミさんが安らかに微笑んでいます。幕。
(これにて『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』詳細レポは、完結となります。亀のような歩みの拙い長文にお付き合いいただきまして、どうもありがとうございました。)