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路上の宝石

日々の道すがら拾い集めた「宝石たち」の採集記録。
青山さんのダンスを原動力に歩き続けています。

◆『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』 詳細レポ Ⅶ [これにて完結]

2006-10-27 02:00:23 | テネシー・ワルツ 江利チエミ物語
第2幕第4場 さよなら日劇 (昭和55~56年 1980~1981年)

♪新妻に捧げる歌
♪サイド・バイ・サイド SIDE BY SIDE
♪エル・クンバンチェロ EL CUMBANCHERO

「新妻に捧げる歌」のピアノの音が聞こえてくると、チエミさんが通っていた三鷹第四小学校の同窓会の場面となります。同窓生たち(アンサンブルの方々)は、この歌を歌いながら、あちらこちらから次々と集まってきて、懐かしい友人との再会をよろこびあいます。そこへ眼の覚めるようなピンクのスーツを着たチエミさんもやってきて、友人たちひとりひとりの当時のエピソードを織り交ぜながら、懐かしいあのときを振り返り、今もこうして再会できるよろこびを分かち合うのでした。そして再度、皆で「新妻に捧げる歌」を歌います。しかし、歌の途中、まだ旧友たちがこの歌を歌い、当時を懐かしんでいるなかを、チエミさんはひとり何かに導かれるように歩みだし、上手袖へと吸い込まれるように消えてゆきます。このときのチエミさんからは、既にどこか現実離れしているような、あるいは自分の運命について何かをわかっているような、そんな雰囲気が全身から漂ってきます。同窓会の最中では、持ち前のユーモアと人情味溢れるトークで場を盛り上げていたチエミさんでしたが、この場を去っていくチエミさんからは、そんな人間味が薄れ、まるで「かげろう」のように、スッと消えていなくなってしまいそうな気配が漂っています。

同窓生たちの歌う「新妻に捧げる歌」の後、舞台は暗転。やがて同曲のインストゥルメンタル・バージョンが流れるなか、背景には「日劇の取り壊し」を説明するスライドが映し出されます。この部分は、初演版よりさらに説明的になり、わかりやすくなったのではないでしょうか。例えば、日劇ダンシングチームが緞帳を切り取って持ち帰るところを写した写真が新たに入っていたりしました。この後のチエミさんとお父さんの会話にもそのことについてふれた台詞があったような気がします。また、この頃の写真になると、「カラー写真」となり、劇中、背景に映し出されるスライド写真の多くを占めていた「白黒写真」の時代からは、かなり時が経過し、時代も変わったことを思わせます。第2幕第4場になると、「ダイアナ妃の来日時」の写真やいわゆる「なめ猫」の写真が登場し、時代も大分「現在」に近づいた感じを受けるのです。当時、つまり1980年頃は、今からは20数年も前のことなのですが、客席に座るひとのほとんどがリアルタイムで経験している時代ということもあって、あの頃、「江利チエミさん」というひとは確かに生きておられた、そのことを強く感じるシーンであるような気がします(あくまで私個人の感想ですが・・・)。私にとっては、自分自身のなかでかすかに残っている実際の「江利チエミさん」の記憶と向き合うような瞬間でもあったような気がします。今から20数年前、こんなこともあった、あんなこともあった・・・、と昨日のことのように感慨にふけっていると、客席の電気が明るくなります。客席前方上手側の扉から、取り壊し直前の日劇の警備員さん(青山さん)に導かれながら、客席の通路を通って、チエミさんとお父さんが入ってくるのです。チエミさんと同時代を過ごされた方々は、このシーンをどのように受け止められたのでしょう。私のような世代が感じるよりももっと鮮明に日劇が取り壊される頃、つまりチエミさんが亡くなられる当時のことが蘇ったのではないでしょうか。このとき客席からは毎回拍手が自然とわき起こっていましたが、この拍手は、「江利チエミさん」を見事に演じきっている島田歌穂さんに向けてのものでもあり、作品を通して立ちあがってくる「江利チエミ」というひとりのひとへのものでもあり、とても不思議な感覚に包まれたことを覚えています。「お足元にお気をつけください。」警備員さんは、チエミさんとお父さんにそう言いながら、二人を舞台へと案内します。既に舞台へと上がる数段の階段でさえ、上るときには注意が必要なほど年老いたお父さん。途中で転びそうになるお父さんは、チエミさんに手を引かれながら、また警備員さんに手助けをしてもらいながら、一段一段階段を上り、チエミさんと一緒に、思い出のたくさん詰まった日劇の舞台に立ちます。「お帰りのときは、お声をかけてください。」警備員さんはそう言って、敬礼し、その場を後にします。このシーンでは、さきほども書いたとおり、上手側の扉から入ってくるお三方に、自然とあたたかい拍手が起こるところで、客席の雰囲気もとても和やかな感じになるのですが、チエミさん、お父さんとともに、青山さんが演じておられる警備員さんが、親近感を持てるような、とてもよい雰囲気を醸し出しておられるのです。昨年の初演版のときよりも、さらに馴染んでおられる気がして、とても短いシーンなのですが、青山さんのお姿がふんわりと印象に残ります。

ところで、すっかり舞台上で繰り広げられる「江利チエミ物語」に入り込んでいた観客にとって、これはかなり驚きの演出で、ほんのわずかな時間なのですが、観客が「素の自分」に戻る機会を与えられるところでもあります。一瞬島田歌穂さんと「チエミさん」がちょっとだけ分離したような感じで、これまで舞台上で繰り広げられてきた『江利チエミ物語』の島田歌穂さんが演じる「江利チエミさん」と、記憶のなかの実物の「江利チエミさん」のイメージが、不思議な感じで二重に重なるという雰囲気でしょうか。そして、思いがけず客電がつき、一瞬「素」に戻った状態の観客のそばの通路を、意表をつく形で出演者の方が歩く、このことが、その後の展開において、もうひとつの効果を持ってくるような気がしました。日劇での最後のチエミさんのステージ、及びチエミさんの人生における最後のステージというものに観客を立ち会わせる際に、臨場感を作り出す気がしたのです。客電がついて、「素」の状態に戻っている観客たちが座って眺めているのと同じ空間を、キャストの方々が懐かしそうに眺めて歩くわけです。自分たちが座って普通に眺めている、客席も含めた劇場の風景が、何となく「取り壊し直前の日劇」に見えてくる気がします。作品の上演中は、本来明るくなるはずのない客席が急に明るくなり、逆にスポットライトがあたってめくるめく展開していたステージが、暗くなって誰もいなくなった殺風景なものとして見える・・・。こんなところから「取り壊し直前の日劇」の雰囲気がとてもリアルに伝わってくるのです。この言ってみれば思いがけない「仕切りなおし」のような演出は、自分が観客として座っている劇場の空間を、この物語のラストに向けて、特別なものとして変容させていく、そんなものであったように思われるのです。

警備員さんが去った後、チエミさんはステージを見回しながら、懐かしそうに日劇での数々の思い出をお父さんに語ります。すると、チエミさんは舞台袖にピアノを見つけます。「お父ちゃん弾いてみてよ!」チエミさんは、昔「ピアノ弾き」だったお父さんに、そのピアノを弾くことを勧めます。最初は少し戸惑いながらも、袖へとピアノを弾きに行くお父さん。チエミさんのお父さんは、今となっては少しばかり頼りなく、「テネシー・ワルツ」を弾き始めます。しかし、この頼りなげなピアノの音色が、とても懐かしく、あたたかいものに聞こえるのです。万感の思いを胸に、舞台袖から響いてくる「テネシー・ワルツ」の音色に聞き入るチエミさん。やがて、そのピアノの音色は、フルバンドのインストゥルメンタル・バージョンに変化してゆきます。チエミさんのこれまでを、ひとつひとつ大切に甦らせるかのような「テネシー・ワルツ」。チエミさんは、その音楽に包まれるように、また、たくさんの思い出を抱きしめるかのように、ステージを、両手をいっぱいに広げて歩きます。

すると、思い出に吸い込まれるようなチエミさんに導かれるように、音楽も変化してゆき、日劇ダンシングチームも登場してきて、夢のような幻想的な雰囲気でステージをいっぱいにしていきます。日劇ダンシングチームといえば、チエミさんが日劇で共演し、舞台を共に作り上げたダンサーたちです。このときの彼らは、男女でペアダンスをしたりしますが、両手を頭上で交差させ広げていったりと、振り自体もとてもやわらかな感じのするもので、夢の世界へと導きいれるような雰囲気を終始醸し出しています。青山さんの動き、そして表情も、この作品の中で、最もやわらかで優しいもののような気がします。ここからのステージは、取り壊しの決まった日劇で、チエミさん、中野ブラザーズも出演されて1981年2月5日に行われたという「さよなら日劇」のステージをイメージさせるものです。その一方で、時と場所を限定できないような雰囲気もあって、これまでのチエミさんのステージの記憶、チエミさんとともに時代を過ごした方々の想いというものが交錯し、出会うという、不思議な場面でもあるような気がします。この後に続く「サイド・バイ・サイド」、そして終盤の「エル・クンバンチェロ」まで一貫して漂う、第4場のステージングのこの雰囲気、つまり、どこか「夢」であるような雰囲気を最初に印象付けるのが、アンサンブルの方々によるこの場面の幻想的なダンスという気がします。
この短いダンスに引き続くのが、チエミさんの「サイド・バイ・サイド」です。ダンサーたちが、主役であるチエミさんの登場を盛り立てるように、中央に現れたチエミさんへと、腕を差し伸ばすと、「サイド・バイ・サイド」の洒落たイントロが聞こえてきて、ダンサーたちは袖へと静かに消えてゆきます。”Oh,we ain’t got a barrel of money,”というフレーズで始まるこの曲を、軽妙に歌い始めるチエミさんは、これまでの波乱の人生に微笑みでも返しているかのように見えるほど、その表情はやさしく、肩の力も抜けているように見えます。この曲の歌詞、そしてこれまでともにステージを作り上げてきた中野ブラザーズと、チエミさんが踊るタップダンスが、観る者の心を打ちます。「みんながなんと言ったとて ふたりはいつもほがらか 楽しい旅を Side by Side~♪」そんな歌詞に合わせてチエミさんと中野ブラザーズが息もぴったりに、タップの軽快なリズムを刻めば刻むほど、心の中に熱いものが込み上げてくる、そんなシーンです。(詳しくは、9月21日の記事、Side by Side/サイド・バイ・サイドをご覧ください。)この曲の終盤、3人は客席に背を向け、曲のフレーズごとに振り返りながら、舞台奥へとステップを踏んでいきます。最後にチエミさんが一度フィンガースナッピングをすると、それが合図であるかのように、音楽が止み、スポットライトも消えるのです。

そしていよいよ怒涛の「エル・クンバンチェロ」です。暗くなった舞台に、ラテンな打楽器の音(コンガの音?)が響き渡ります。冒頭、下手からはひとりの男性ダンサー(阿部裕さん)が登場し、中央奥にいるチエミさんを呼び覚ますかのように、熱いソロダンスを繰り広げます。すると、今度はいよいよ上手から、青山さんが飛び出してきます。暗闇のなか上手寄りの立ち位置で一度止まり、そこから一気に舞台中央へと助走していって、回転ジャンプです。両手を上方向に先細るように伸ばし、片方の爪先をもう一方の脚の膝のあたりに添えて、ものすごいスピード感と高さでもって、回転跳躍するのです。この回転跳躍は、わずか1秒ちょっとの出来事なのですが、その瞬間は、身体に電気が走ったのではないかと感じるほど、衝撃的なもので、この熱いラテンナンバーの冒頭で、観客のまなざしと心を一気にステージへと吸着させるものです。(この「エル・クンバンチェロ」の出の回転ジャンプにつきましては、へーまさんのPlatea、2006年5月10日の記事、「1秒のあいだに」をご覧ください。そのコメント欄でも語らせていただいております。)そしてこの回転ジャンプの後は、青山さんのエネルギーのうねりが感じられるような世界がめくるめく展開されていきます。熱いラテンの曲を踊る青山さんの魅力全開ともいえるダンスシーンで、信じがたいほどの動きの精巧さはそのままに、初演よりもさらに魅力的になったダンスの表情には、ファンならずともノックアウト状態でしょう。エネルギーを溜め込んで、一瞬のうちに発散させる・・・、強烈なラテンの曲に乗せて、そんなエネルギーの流れのようなものを青山さんの身体は放ち続け、観る者を陶酔と興奮の坩堝(るつぼ)へと引き込みます。そして空気と大地を揺さぶるようにたたき出されるリズムに、こちらの身体も共振せずにはいられません。獲物を捕らえるかのような鋭いまなざしがあるかと思えば、ひたすら音楽の快感に身を任せてゆくかのような恍惚の表情。そして音楽の律動に揺れる大気を制するかのような鋭い手・腕の動き、さらに大地のうねりを吸い上げるかのような素足の動きがあるかと思えば、熱い空気にその身を溶かしてゆくかのように見事なバランスを保ちつつ魅せる究極の動き。中央で踊るチエミさんの前で、客席に背を向けて膝をつき、後ろへと上体をそらせてゆき、再び元の状態へと起こしてゆく動きなどは、こちらの身体感覚も揺さぶられるようで、圧巻です。最後は、渾身の歌声を響かせる中央のチエミさんに向けて力強く差し伸ばされる腕が、彼女の運命を語りつくしているかのようです。そして最後、身体を風のように翻して回転跳躍しながら消えてゆくと、すべてが終わったということを観客は予感します。(「エル・クンバンチェロ」に関しては、8月29日の記事(「夢」って・・・)をご覧ください。またへーまさんがPlateaで素晴らしいイラストを書いておられます。)

ダンサーたちが袖へと引き上げると、それまでの舞台の熱気が嘘のように感じられ、すべてが終わったという感覚に包まれていきます。ステージ中央のチエミさんも、まるで電池が切れたかのように、ステージ衣裳を着たまま、力なく立ち尽くしています。そこへチエミさんのトレンチコートを持ったお父さんが、彼女のそばへ、そっと歩み寄り、肩にそのトレンチコートをかけてあげるのです。このときのお父さんは、終始無言のままなのですが、その姿からは、「よくやったね、チーちゃん。もう十分だよ。」とでも言っているかのような表情を読み取ることが出来るような気がしました。華やかなオレンジ色の「エル・クンバンチェロ」の舞台衣裳の上に、カーキ色のトレンチコートをかけて、今にも倒れそうな感じで、お父さんにもたれかかり、袖へと静かに引いていくチエミさん。観客も言いようのない寂しさに包まれます。


第2幕第5場 テネシー・ワルツが聴こえる(昭和56年 1981年)

♪ヴァイア・コン・ディオス VAYA CON DIOS
♪テネシー・ワルツ TENNESSEE WALTZ

「かげろう」を思わせるような、はかなげなバックミュージックが流れるなか、清川虹子さんとお父さんの最後の語りのシーンとなります。その時代時代の風に向かって回り続けた「かざぐるま」のようだったという、チエミさんについて語ったお父さんの言葉が印象に残ります。暗い舞台の下手側に虹子さん、上手側にお父さんが立ち、スポットライトがあたります。お二人は、チエミさんが亡くなる日に体験した、不思議な出来事について語ります。虹子さんは、その日、ある劇の上演中、「ちよこ」と言うべきところが、何故か「チーちゃん」になってしまったのだそうです。ああいうのって、なんなんだろうね・・・、と虹子さんは語ります。また、お父さんは、借金を返して取り戻した家で、庭を眺めていたら、朝の光に「かげろう」のようにゆらゆらと揺れるものが見えたのだそうです。あれは一体なんだろう、と眺めていたら、そのとき電話が鳴ってね・・・、と声を詰まらせます。

そして場面はチエミさんの自宅へと転換します。仕事を終え、その帰り道、マネージャーの園ちゃんと共に、お酒を飲んで少し酔っている様子のチエミさん。足元もかなりおぼつかない様子で、園ちゃんに送ってもらい、帰宅してきます。風邪薬と一緒にお酒なんか飲んで大丈夫?と園ちゃんも心配そうです。一方、チエミさんは「若いマネージャーもいいけれど、園ちゃん最高!」といって、ご機嫌なようです。園ちゃんは「僕も楽しかったよ。」とチエミさんに伝え、明日のスケジュールを確認して、チエミさんの家を後にします。別れた後、チエミさんの自宅の前で、ドアの向こうのチエミさんを案ずるような園ちゃんが非常に印象的です。

着替えることもせず、お風呂は明日の朝にしよう、と言って、ベッドに横になるチエミさん。枕元に変わらず置いてあるお母さんの写真を手にとったチエミさんは、「おやすみ、おかあちゃん・・・」と言って、眠りにつきます。静かな「ヴァイア・コン・ディオス」の曲とともに、舞台奥からスモークが立ち込めてきます。やがてそっと眠りについたチエミさんに、ひとりの少女の声が聞こえます。「久保さん、学校へ行きましょ~。」第1幕、デビューしたてのチエミさんが移動中の列車で見た夢のなかで聞いたあの声と同じです。進駐軍クラブで歌っていた頃、毎日学校へ行く前に自宅まで迎えに来てくれていたクラスメートの声でした。その声に目を覚ますチエミさん。「お仕事に行かなくちゃ・・・。あれっ、仕事って、何だっけ。進駐軍クラブ?日劇?何を歌えばいいんだろう、あっ、「テネシー・ワルツ」だ。でも、声が出ない・・・」そう言って、喉を押さえ慌てるチエミさん。舞台中央の階段で、歌えない自分に対して、「シンデレラの魔法が解けちゃったんだ・・・」と言って、幻滅し、途方に暮れるチエミさん。そんなチエミさんを階段の上、両サイドからやさしく見守るひばりさんといづみさんがいます。ふたりは、ひとびとの心のなかにその歌が生き続けている限り、あなたはシンデレラのままよ、とチエミさんにやさしく語りかけます。その言葉に、心から安らかな表情を浮かべるチエミさん。

そしてアンサンブルによる「テネシー・ワルツ」の美しいコーラスが聴こえてきます。「さりにし夢 あのテネシー・ワルツ なつかし愛の唄 面影しのんで 今宵もうたう うるわし テネシー・ワルツ」第1幕第2場、「初レコーディング」のシーンで登場した、戦後の混乱~復興期の人々が、あのときと同じ衣裳で歌いながら登場してきます。また、チエミさんのベッドの周囲には、お父さん、虹子さん、中野ブラザーズ、マネージャーが集まり、舞台奥、下手よりには、高倉健さんのシルエットも映し出されます。「テネシー・ワルツ」が響くなか、多くのひとびとに包まれるようにして、真白い光に溶け込んでいくように、チエミさんが安らかに微笑んでいます。幕。

(これにて『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』詳細レポは、完結となります。亀のような歩みの拙い長文にお付き合いいただきまして、どうもありがとうございました。)

◆『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』 詳細レポ Ⅵ

2006-10-22 01:11:04 | テネシー・ワルツ 江利チエミ物語
第2幕第2場 火事・そして別離(昭和45~46年 1970~1971年)

♪唐獅子牡丹
♪さのさ
♪トゥー・ヤング TOO YOUNG

チエミさんの楽屋へ、お父さんがひとりの女性を連れてやってきます。下を向きながらうつむき加減に歩いてきたその女性は、チエミさんの異父姉でした。チエミさんの母、谷崎歳子さんが、父久保益雄さんと結婚する前に産んだひとでした。生き別れになった母が、「江利チエミの母」であることに気づき、生活に困っていた彼女は、チエミさんの元をたずねてきたのでした。「つらかったでしょう・・・」チエミさんは義姉にそう言って、これからはそばにいられるように、身の回りのことを手伝ってくれるように頼みます。チエミさんは姉の手を取り、楽屋を後にして、下手袖へと消えてゆきます。「ミュージカルも成功し、何もかもがうまくいっていたはずだったのに、たった一つの出逢いが、人生を思わぬ方向に進めてゆくことがあります。そして一度進み始めたら、人生は元には戻りませんでした。」清川虹子さんは、チエミさんを取り巻く状況について語ります。

何かが変わり始めたことを告げるようなピアノの音とともに、背景には三島由紀夫の写真などが映し出され、時代も変わりつつあったことが伝わってきます。やがて背景の音楽も激しくなってきて、暗い舞台に赤い照明が差してきます。チエミさんの自宅がチエミさんの留守中に火事になったのです。あちらこちらから集まってくるやじうまたち(青山さんも下手から登場してきます)。チエミさんもやっと到着しますが、燃え盛る炎を前になす術もなく、ただ呆然と立ち尽くすしかありません。いつしか集まっていたはずのやじうまたちは消えてゆき、チエミさんが残ります。「二人の思い出がいっぱい詰まったものが、みんな燃えちゃった。また最初からやり直そうよ。」涙をこらえながら精一杯に笑顔をつくり、ゴウちゃんと再スタートをきろうとしているチエミさんの姿がとても印象的です。

舞台中央の階段に、若者たちが正面(客席の方向)を向いて座り、「健さん」の映画、『昭和残侠伝 血染の唐獅子』を見ている映画館でのシーンになります。若者の中には、「全共闘」と書かれたヘルメットをかぶって、棒を持っている者もいて、映画の健さんの一挙手一投足に注目し、共感している様子がうかがえます。青山さんも階段の左寄りの中段に、ヘルメット姿に棒を持ち腰掛けています。「街の映画館」という設定なので、「スクリーンが反射する光」でかろうじて客席が見えるような薄暗い照明なのですが、青山さんの動きを見ていると、スクリーンで何が起こっているのか、こちらにも伝わってくるようです。乱闘シーンの緊張感、健さんの決めぜりふに感動している様子などが、薄暗い照明のなかで刻一刻と変わる青山さんの姿から感じることが出来るのです。私達観客は、映像が映し出されているスクリーンを見ているわけではなく、映画の音のみを聞きながら、スクリーンに映し出される映画を見るために客席に座っている映画館のお客さんたち(=アンサンブルの人たち)の様子を見ているわけです。

客席には、「全共闘」の学生、カップル、そしてその中央にはサングラスとトレンチコートで正体を隠したチエミさんが、座っています。誰もが健さんの勇姿に惚れ惚れし、ストーリーに共感して感動し、映画によってもたらされる一体感を感じていることがわかります。映画が終わると、「全共闘」の学生たち4人ほど(このなかに青山さんもいます)が階段を下り、前方に出てきて、「我々も、映画の高倉健の姿に自らを重ね合わせ、一致団結して戦うことを誓う!」と力強く拳を振り上げます。それに対し、座席の中央に正体を隠して座るチエミさんも、「異議な~し!」と言って、拳を振り上げてみせます。こんなところで少しユーモアが漂ったりするのですが、健さんの映画を見て得られた一体感によってさらに「一致団結」した彼らは、口元をタオルで覆って正体を隠し、どこかへ行ってしまいます。健さんの映画を共に見て感動していたはずの彼らも所詮は他人。映画が終われば、どこかに行ってしまう存在です。

街の映画館にぽつんとひとり取り残されるチエミさんからは、孤独感が痛いほど伝わってきます。そして自分にとって一番近い存在であるはずの「ダーリン」が、スクリーンを通してしか会うことのできない存在となっているわけです。愛する人との距離が開いていくことに対する、チエミさんの寂しさ、焦り、哀しみが伝わってきます。トレンチコートをすがるように着て、サングラスをかけたまま、冷たい夜の街をたったひとりで歩き、「唐獅子牡丹」を歌うチエミさん。行き交う通行人はチエミさんのそばを通り過ぎてゆくだけです。仕事に没頭する「健さん」とのすれ違いの生活からくる孤独感、焦燥感・・・、そういったものに押し潰されそうになっているチエミさんの心情というものが、冷たく重いピアノ伴奏に重なってゆくチエミさんの歌声から痛いほど伝わってくるようです。曲も半ばを過ぎた頃、「チリリン」とどこからか聞こえる自転車のベルの音。チエミさんからは、誰か知っている人、もしかしてあの人が来たのかも?そんな表情さえ読み取ることができます。しかし、チエミさんの横を通り過ぎる自転車に乗ったその人は、赤の他人でした。チエミさんの横を何もなかったかのように通り過ぎてゆきます。この自転車に乗った男性を演じておられるのは、高倉健さんのシルエットを演じておられる阿部裕さんなのですが、この演出は、チエミさんと御主人のすれ違いの生活を視覚的にイメージさせようとしたものなのかもしれません。ちなみに原作本によれば、「唐獅子牡丹」は、『昭和残侠伝』の主題歌で、元々チエミさんと健さんのデュエットが企画されたそうですが、仁侠映画に「デュエット」はおかしいということでとりやめになったそうです。この曲を健さんがレコーディングするとき、チエミさんは健さんのそばに付き添ったのだそうです。

役作りのために帰ってこない「ダーリン」についてチエミさんは不安そうに清川虹子さんに電話で話していましたが、虹子さんの語りによれば、結局何事もなく無事に帰ってきたそうです。しかし、「もうひとつの苦しみ」がチエミさんを待っていた、ということが語られます。火事によって自宅が焼失してしまったチエミさんは、ホテル住まいをしていたそうですが、その支払いのための口座の引き落としができないという連絡が入ります。状況を把握できないでいるチエミさんのところに、お父さんとマネージャーがやってきます。金銭管理のすべてをまかせていた義姉が、チエミさんの知らないところで億という借金をつくっていたという事実をチエミさんに告げます。

舞台が暗転した後は、ある舞台の終演後に共演した中野ブラザーズとチエミさんが飲みに行くという場面になります。上手から登場した三人は、下手側にあるバーのテーブルへと談笑しながら歩いていき、腰掛けます。グラスに入ったウイスキーを一気に飲み干すチエミさん。その様子を傍で見ている中野ブラザースの二人は、尋常でない彼女の様子に驚きます。チエミさんのつらい気持ちを察して、そばで見守るふたりの姿が印象的です。そのうちバーの演奏で、「カモナ・マイ・ハウス」が聞こえてくると、チエミさんはバーで歌う気になり、「え~、久保智恵美さんのリクエストにお答えして、江利チエミが歌います」と自分で自分を紹介し、「さのさ」を歌い始めます。初演では歌われなかった曲で、再演で新たに加わった演出です。「なんだ なんだ なんだ ネ~♪」元々民謡調の歌を、いきなりユーモアのあるアナウンスをしてチエミさんが歌いだすと、客席からは笑いが起こることもありましたが、次第に愛する人への気持ちを隠せずに、歌いながら感情が高まっていくチエミさん。最後のフレーズの「この人は初めて あたしがほれた人」では、涙をこらえることができなくなります。歌の後、気を取り直すように、再び三人でお酒を飲み始めますが、チエミさんは、「シンデレラの魔法」が解けかかっているのかもしれないということ、愛があるうちに別れを決意したほうがいいのかもしれないこと、などその心情を吐露します。そして再び歌われる「トゥー・ヤング」。第1幕の結婚式のシーンで、二人の幸せな門出を祝福するように歌われた歌が、第2幕のこのシーンでは、愛しているのに別れを決意する歌として歌われます。変わらないはずの愛だったのに、そして御主人への想いが変わったわけではないのに、いつの間にかチエミさんと御主人を取り巻く状況は変わってしまっていました。たったひとりでチエミさんが歌うこの歌の歌詞も、かつてのようなものとしては聞こえません。チエミさんは、最後に「ごめんね、ダーリン・・・」と涙を流しながら、精一杯につぶやきます。

昭和46年、離婚成立。億という負債を背負って、あの子はたったひとりで再スタートをきります。お父さんは娘について語ります。そして、そんなチエミさんを支えてくれたのは、他でもない、同い年の友人たちだったのです。


第2幕第3場 ひとりの日々(昭和48年~51年 1973~1976年)

♪悲しい酒
♪青いカナリヤ BLUE CANARY
♪酒場にて
♪スワニー SWANEE
♪真っ赤な太陽
♪恋人よ我に帰れ LOVER COME BACK TO ME

ここからは「三人娘」のステージシーンが続き、それぞれに波乱のときを私生活において迎えていても、互いによき友、よきライバルとして、励ましあい、支えあっていくお三方の変わらぬ友情が描かれていきます。まずは、ひばりさんが着物を着て歌う「悲しい酒」。この頃、ひばりさんも私生活ではつらいときを過ごしていたようです。ステージの後、楽屋を訪れたチエミさんと談笑するひばりさん。チエミさんに「やっぱりお嬢には勝てない」と言われ、涙をこぼしそうになるひばりさん。「悲しくない酒」飲みに行こう、とひばりさんはチエミさんを誘います。

続いてチエミさんといづみさんがボクシングの格好をした姿の写真が背景に映し出され、「ミュージカル・タイトルマッチ」のシーンとなります。いづみさんがブルーのドレスを着て、「青いカナリヤ」を歌います。そしていづみさんは、自分はこの曲で何十年もやってきたけれども、この方はデビューから何十年目かにしてやっとオリジナルがヒットしました、と「酒場にて」を歌うチエミさんを紹介します。ピンクのドレスに身を包んでこの歌を歌うチエミさんですが、愛する人を失った女心を歌っていて、チエミさんの私生活を思わせる歌詞にもかかわらず、そのステージングからは「暗さ」や「悲しさ」というよりは、「潔さ」のようなものがむしろ感じられます。つらいことはいろいろあるけれど、ステージの上でこうやって歌ってさえいればやっていける、そんなチエミさんの姿が伝わってきます。そして次は、いづみさんとチエミさんのデュエット曲、迫力の「スワニー」です。お二人の奏でる美しいハーモニーがとても心地よく、いつまでも変わらない友情を物語っているようです。

舞台が暗転したかと思うと、真っ赤な照明がステージ側から客席にも強く差し込みます。ここからはひばりさんの「芸能生活30周年記念コンサート」のシーンになります。ブルーコメッツをバックに従えて、真っ赤なドレスでひばりさんが登場、「真っ赤な太陽」を歌います。そしてこの場面最後の曲は、「恋人よ我に帰れ」。この曲に入る前、ひばりさんは、自分にジャズを歌うよろこびを教えてくれたのが、「ミスター・ナット・キング・コール」と紹介し、冒頭のフレーズを歌い始めます。そして、もうひとりが「江利チエミ」と紹介すると、上手からチエミさんが黒いスーツで登場し、ひばりさんとチエミさんのデュエットが始まります。さらに曲の中盤からは「忘れてもらっちゃ困るわ」と、いづみさんも登場、「三人娘」による「恋人よ我に帰れ」がにぎやかに、そして華やかに歌われます。去ってしまった恋人について歌うこの曲ですが、酸いも甘いも経験した三人が歌い上げると、逆に爽快感がうまれ、デビューから30年近くが経過するのに、変わらぬ友情を結んでいる、お三方の絆のようなものが感じられます。

そして再び清川虹子さんの語りとなります。チエミさんは、借金を返済するために、あまり乗り気でなかった地方の仕事なども引き受け、必死になって働いたそうです。そしてようやく荷をおろす日がきます、と語られると、「借金完済」の場面になります。金融会社の人(神崎順さん)と向かい合って椅子に座るチエミさん。億という借金を完済したチエミさんは、証書を受け取り、金融会社の人に「ありがとうございました」と深々と頭を下げます。この金融会社の人は「お人柄のファンになりました」とチエミさんに伝えます。今度は御家族でショーを見に来てください、とチエミさんは告げます。その一部始終を傍から見ていた虹子さんですが、チエミさんに義姉から届いていた手紙があったということを告げ、その手紙を渡します。そこには、お姉さんのチエミさんに対する謝罪の気持ちが書かれていました。つらいこともたくさんあったけれど、そんなことは忘れて、楽しくやろうと、更なる再スタートへの決意の気持ちをチエミさんは表します。

そしてお父さんが再びチエミさんについて語ります。傘を杖のかわりにして、正面の階段から下りてくる白髪のお父さん。遠くを見つめるようにして、もしかしたら、あの子は借金を返し終わったら、もう一度「剛一くん」とやり直そうとしていたのかもしれない、そんなことを語ります。そしてあの子も、いつの間にか、亡くなった頃の母親の歳にさしかかろうとしていました・・・、という言葉が、心に深く刻み込まれます。

◆『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』 詳細レポ Ⅴ

2006-10-18 23:15:00 | テネシー・ワルツ 江利チエミ物語
第2幕第1場 ミュージカル・スター“チエミ” (昭和38~39年 1963~1964年)

♪すてきじゃない WOULDN’T IT BE LOVELY
♪踊り明かそう I COULD HAVE DANCED ALL NIGHT
♪ザ・スゥイーテスト・サウンド(甘き調べ) THE SWEETEST SOUND
♪魅惑のワルツ FASCINATION
♪ショウほどすてきな商売はない THERE’S NO BUSINESS LIKE SHOW BUSINESS

休憩が終わると、第2幕の開幕です。幕が上がると舞台奥に、ミュージカル『マイ・フェア・レディー』で、花売り娘イライザ役に扮した江利チエミさんが階段に腰掛けているところを写した、当時の舞台写真が映し出されます。そして音楽(「すてきじゃない」)が始まり、イントロ部分から歌に入とうとするとき、その写真がすっと消えると、写真と同じ衣裳で舞台下手寄りの階段に腰掛けているチエミさん(島田歌穂さん)が、花売り娘イライザとして歌を歌い始めます。この時点でのイライザは、まだ「変身前」のイライザのようで、チエミさんの歌い方にもお茶目な街の娘の感じがよく出ている感じです。そしてお次は、同じく『マイ・フェア・レディー』から「踊り明かそう」。この曲のイントロ部分で、イライザは着ていた外套を、女性アンサンブルの人たちに手伝ってもらいながら脱ぎ、舞台上で着替えをし、「変身」します。「変身後」のイライザが、「二人だけで踊りたいの 夜が明けるまで~♪」と伸びやかに、そして高らかに歌い上げ、第2幕の幕開きに華やかさを添え、「ミュージカル女優、江利チエミの誕生」を観客に印象付けます。

この『マイ・フェア・レディー』は、9月7日付けの記事でも書いたように、翻訳版ブロードウェイ・ミュージカルの日本初上演作です。ジャズを日本語と英語で歌ってデビューしたチエミさんは、本場ブロードウェイのミュージカル作品を日本語で上演するという新しいフィールドへと活躍の場を広げていきました。また同じ頃、「三人娘」の他の二人も、歌手として活躍の場を広げていきました。いづみさんも、チエミさんの『マイ・フェア~』の成功を受けて制作されたというミュージカル『ノー・ストリングス』に出演されたそうです。タキシードに身を包んだフルート奏者(阿部裕さん)が下手から登場、文字通り、フルートのソロの「甘き調べ」が響き渡り、舞台奥には、『ノー・ストリングス』のパンフレット(?)写真が映し出されます。第2幕第1場の3曲目であるこの曲は、いづみさんの「ザ・スゥイーテスト・サウンド」です。やがてファーの付いた雪のように白いドレスがとても眩しいいづみさんが登場し、しっとりと美しくこの曲を歌います。

そして4曲目は、ひばりさんの「魅惑のワルツ」。冒頭、舞台奥には「ナット・キング・コールを偲んで ひばりジャズを歌う」というような言葉が映し出されていたと思います(同タイトルのひばりさんのCDがあります)。このシーンは、ステージ風景の再現というのではなく、レコーディングシーンの再現という設定のようで、淡いピンク色のふんわりとした膝丈のワンピースを着たひばりさんが、ヘッドフォンを耳にあてながら、ロマンティックにこの曲を歌います。歌謡曲でスタートしたひばりさんでしたが、尊敬するナット・キング・コールの名曲、つまりジャズを歌うということを前面に押しだして、新たな挑戦を試みたわけです。ひばりさんがジャズを歌うようになったことには、当然ジャズを歌うチエミさんの影響がありました。この後の第2幕第3場、ひばりさんの芸能生活30周年記念のコンサートシーンでも、ひばりさんの台詞のなかに、ジャズを歌うよろこびを教えてくれたのが、ナット・キング・コールと江利チエミである、というところがあります。客席は、ひばりさんが歌う「魅惑のワルツ/Fascination」のロマンティックな雰囲気にすっかり魅了されています。

「魅惑のワルツ」が終わると、「ショウほど素敵な商売はない」のイントロが聞こえてきて、再びにぎやかで華やかなチエミさんのミュージカルシーンが始まります。5曲目は、チエミさんの代表作になったという、ミュージカル『アニーよ銃をとれ』からのシーンです。音楽が始まるとともに、ほの暗い舞台に、下手から一斉に勢いよく登場してくる青山さんたちアンサンブルのシルエットが浮かび上がります。音楽に合わせてリズムを取りながら、元気に身体を揺らすアンサンブルたち。青山さんは「ピエロ」役、赤い鼻をつけ、カラフルな縞模様の衣裳に身を包んでいます。その他にも、カウボーイ役、レスラー役などいろいろな役どころが揃っていて、歌詞にもある「カウボーイ」、「ライオン」、「ピエロ」という役に対して、それぞれ担当が決まっているようでした。青山さんは薄暗い照明のなか、ステージに登場してくるときから既に、身体の動きが「ピエロ」モードになっていて、このシーンが終わり、袖に引いていくときまで、一貫して「ピエロ」な動きが鮮やかに印象に残ります。躍動感溢れるダンスをするときの青山さんの身体とは打って変わって、このようなときの青山さんの身体には、これが同じひとの身体なのか、と思わず疑ってしまうほどの「華奢な感じ」が漂っていて、その変貌ぶりに驚かされます。いわゆる「ダンス」のなかでも、青山さんは「重さ」と「軽さ」のあいだを自由自在に行き来しますが、この青山さんの「ピエロ」を観ていると、それはなにも「ダンス」に限った話ではなく、踊らなくとも、舞台の上にいるただそのことにおいても、自由自在にその質感を変えられる表現者であるということに、改めて感動してしまうのです。

このように曲の冒頭は、舞台下手寄りに集合したアンサンブルによって、楽しくにぎやかな雰囲気のなかで歌い始められますが、やがて上手寄りの舞台端にアニー(チエミさん)が、「テントの中の恋も~♪」と歌いながら登場してくると、それまでの曲調がガラリと変わり、その包み込むような歌声に、観客の心はひきつけられます。下手側に集合しているアンサンブルたちも、それまでのにぎやかな部分が一旦静かになる、歌のフレーズの切れ目に合わせて、そろって視線を上手端に登場したアニーに向けて移動させますが、観客のまなざしも、アンサンブルたちのいる下手から、チエミさんのいる上手へと、チエミさんの歌声・アンサンブルの視線と身体の動きに導かれるようにして、ふんわりと移動するのです。ピエロ役の青山さんはとりわけ表情が豊かで、何かとっておきの素敵なものでも見つけたかのような表情を浮かべ、視線の先できれいなふんわりとした弧を宙に描くかのようにして上手側のアニーへとまなざしを向けます。ショー一座のテントのなかで芽生える恋のイメージが、アニー役のチエミさんの歌声とアンサンブルに身体の動きによって、広がってゆく感じがします。そして今度は、「テントの外の月も~♪」の歌詞に合わせて、再びアンサンブルたちのいる下手側へと引き戻されるかのように、観客の視線は導かれるのですが、このとき、歌詞の流れに対して絶妙な間合いで、青山さんが演ずるピエロのマイムが入るのです。この「テントの外の月も~♪」の歌詞に合わせて、昨年の初演版での青山さんのマイムは、一座のテントの高い壁をイメージさせるかのように、壁に手をつき、その壁の向こう側、つまり夜空を見るために、ふわりとジャンプをする、というものでした。今年は、昨年度のヴァージョンとは異なり、腰のあたりについている、服の左ポケットから、そおっと筒状の望遠鏡を取り出して、それを覗き込んで、夜空の星(あるいは月?)を見上げる、というものです(あれは果たして「望遠鏡」という名称でよいのでしょうか?イメージとしては、「望遠鏡」というよりも、古きよき時代の作品のよく登場するような、もっと細い筒状のものです)。望遠鏡を取り出し、筒を伸ばし、筒の状態を調節してピントを定める・・・、その一連の動作がとても繊細で、やわらかく、優しい感じがして、その青山さんの手の動きに導かれるようにして、観客のまなざしも、アニーから再びアンサンブル、さらに星の輝く夜空へといざなわれるかのようです。「テントの中の恋」がふわ~っと膨らむように、夜空の遥か遠くに光るはずの「テントの外の月」へと観客の想いも連れて行ってもらえる気さえしてきます。そんなロマンティックな雰囲気がいっぱいになるこの短いシーンは、この曲全体の中では本当にわずかな「部分」なのですが、アニーの登場を印象的なものとして切り取り、この後華やかに盛り上がっていく曲の序奏部分、あるいは、踏み切り板のようなところとして、とても大切なシーンのような気がします。

そして、この「テントの中の恋も~ テントの外の月も~♪」のシーンが過ぎると、再びにぎやかな曲調となり、アニーを囲んでの楽しいミュージカルシーンが繰り広げられます。歌詞とともに刻々と変化するピエロな青山さんの、いきいきとした表情や身体の動きがとても魅力的で、思わず微笑んでしまうようなシーンです。お隣のレスラーさん(阿部裕さん)の片腕に抱きついたり、かわいらしくお尻を振ったりするしぐさもありました。そして、こちらのミュージカルシーンでも曲の後、やはりフィナーレのお辞儀のシーンがあるのですが、赤い鼻を指でこすったりする細かいしぐさから、ピエロな感じのフィナーレの雰囲気がとてもよく伝わってきます。ミュージカルの幕が下り、「お疲れ様でした~」の声で、カウボーイさん(神崎順☆様)と一緒に舞台袖にひいていくときも、「俳優」ではなく、やはり「ピエロ」な動きがとても印象に残ります。さきほどもふれましたが、青山さんには、この身体をゆったりと覆うピエロの縞模様の衣裳が、とてもお似合いです。事実上青山さんの身体は、その身体のラインがほとんどわからない形でこの衣裳に覆われていて、場合によってはこの衣裳、動きというものを見えにくくする衣裳かもしれません。けれども、ピエロの「日常を非日常にひっくり返す」ような、どこか生身の人間らしさからは逸脱した感じ、つまり、動きのどこかに常にぎこちなさが漂う感じが、このゆるやかで多色使いのカラフルな衣裳に包まれた青山さんの身体から終始にじみ出ているのです。ピエロらしいカクカクとしたぎこちなさをそれとなく感じさせる動きであるのに、観る者のまなざしをそっと手のひらで包み込むような繊細さが漂う、その具合が何とも絶妙な感じなのです。『アニーよ銃をとれ』は旅芸人の一座のなかで芽生える恋を題材としているそうですが、観客の多くが『アニー~』という作品の前後の文脈がわからないなかで、この1曲のみが『テネシー』では披露されるわけです。それにもかかわらず青山さんを観ていると、このミュージカルに登場するという「ショーの一座」の雰囲気がとてもよく伝わってくる気がします。また、それが「劇中劇」であることを客席に座る者が忘れてしまうほどに、ひとりのアンサンブルとして、曲の世界を伝え、眼の前の舞台の空間へとひきつけてしまうのです。そして文字通り、このゆるやかな衣裳から出ている手のひらの雄弁さこそが、ピエロらしい「マイム」な空気感を最も醸し出していたような気がします。「青山航士さん」というと、まず思い浮かべてしまうのは「音楽そのものともいえる躍動感溢れるダンス」なのですが、このような「マイム」な表現力においても、観る者の想像力を喚起するような、並外れた力を持っておられる方なのだといつも思います。

アンサンブルとの息もぴったりに、「ショウほど素敵な商売はない」の曲を、アニーを演じながら歌ったチエミさんからは、「ミュージカル女優」としての充実ぶりがうかがえます。このステージシーンの後は、舞台裏の楽屋へと場面転換し、その楽屋にいるアニーの衣裳を着たままのチエミさんを、ひばりさんといづみさんが訪ねます。チエミさんといづみさんは、ひばりさんに、すっかり「ミュージカル女優」である、と評されます。また逆に、ひばりさんは、「お嬢は、ナット・キング・コールの歌をレコーディングしているんだって?」とチエミさんに尋ねられます。かつて「三人娘」として共演し、よき友であり、よきライバル同士でもある彼女たちは、それぞれに活躍の場を広げ、歌手として充実のときを迎えていたのです。しかし、その反面、私生活においては、各々が苦難のときを迎えつつありました。チエミさんは、そんな二人にまだ「無傷」なのはあなただけ、と言われます。表ではそんな二人を追い掛け回す報道陣がうろちょろしているので、早く帰ったほうがいいと、ひばりさんといづみさんは先に帰ってしまいます。楽屋にひとり残るチエミさん。そこへお父さんがひとりの女性を連れてやってきます・・・。


◆『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』 詳細レポ Ⅳ

2006-10-13 23:24:00 | テネシー・ワルツ 江利チエミ物語
第6場 ふたたびステージへ(昭和35年 1960年)

♪オープニング
♪キャリオカ CARIOCA

幸せな結婚式のシーンの後、舞台は暗転し、下手に移動した清川虹子さんの語りとなります。仕事と家庭を両立できない、というチエミさんは、芸能生活からは遠ざかり、家庭の主婦に専念したそうです。幸せな結婚生活が続いていたのですが、あるひとつの出来事によって、チエミさんの人生に変化が訪れ始めます。虹子さんの「あのことがあるまでは・・・」という言葉がこころのなかに強く響きます。

舞台奥上手寄りの階上、向かい合って配置してある椅子に座るチエミさんとお医者様(青山さん)。妊娠したチエミさんに、このお医者様は、妊娠中毒症のために中絶をおすすめします、と医師としての苦渋の選択を告げます。誰よりも家庭というものを大事にし、愛する人とのあいだに授かった新しい命を大切に育もうとした矢先に、チエミさんは自分の母親と同じ病によって、お腹のなかの赤ちゃんを諦めなければならなかったのです。医師からの宣告を聞き、口に手を当て、泣き崩れるチエミさん。崩れるようにしてやっとの思いで階段を下り、清川虹子さんにすがるように抱きつき、泣き続けます。やがて舞台上手よりの一角に、お父さんが現れ、愛する人との子供を失い、これからも新しい命を育むことができない運命を背負って生きる娘について語ります。心のなかにぽっかり開いた穴をうめるのは、歌以外にはなかった、という言葉がとても印象に残ります。

部屋に響く掃除機の音。授かった生命を失った悲しみと苦しみを抱えながらも、チエミさんは、家庭の主婦として家事をこなしています。せっせと掃除機をかけているチエミさんですが、何かが聞こえるような、そんな素振りを見せ、ふと掃除機のスイッチを切り、あたりを見回します。でも、何も聞こえない・・・。再び掃除機のスイッチをオンにして、掃除をし続けるチエミさん。何か聞こえてくるような気がする・・・。そんなことを二度三度繰り返し、やはり聞こえてくる、拍手と歓声。鳴りやまない拍手に応えるべく、自宅の部屋の真ん中で深々とお辞儀をするチエミさん。いつの間にか自分から選んで離れていたはずのステージが恋しくなっていたのです。身体に染み付いたステージの感覚に浸っているところへ、ピンポン~♪と玄関のチャイムの音が聞こえ、チエミさんは現実の世界に引き戻されます。現れたのは、ラス・ベガスから帰国した中野ブラザーズでした。かつてのステージ仲間の登場に、舞台に立つ夢を再び持ち始めるチエミさん。またいっしょにやろうよ、チエミさんは、中野ブラザーズに声をかけます。

暗転した舞台に、低音のベース音がテンポよく響き渡り、背景には「チエミ再び大いに歌う」の文字が浮かび上がります。日劇の白黒写真をバックに、腕を伸ばしてポーズをとる男性アンサンブル6人が登場、暗闇にほのかに浮かび上がる、ダンサーたちのシルエットが、ショーのオープニングにふさわしく、「いよいよステージが始まる!」という高揚感を盛り上げます。これより前、第5場での日劇のステージシーンでは、「フィナーレ」の再現でしたが、今回は「オープニング」。青山さんの表情(お顔と身体の)にも、さきほどのフィナーレシーンとは異なる「オープニング」らしさが漂い、ステージの雰囲気を盛り上げていきます。日劇ダンシングチームという役どころなので、衣裳は、前にも登場した白の上下姿からジャケットを脱いだ形式のものです(白のベストにパンツ、インナーは紫のシャツに蝶ネクタイ)。音楽は、チエミさんのCDに収録されている「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」の間奏部分に似ていました。この音楽に合わせて規則正しく、左右交互に腰から脚にかけての向きを変えながら、その場でステップを踏むダンサーたち。フィンガースナッピングしながらステップを踏み、階段を下りてゆき、階下に下りると、女性ダンサーたちと華麗なラインダンスを繰り広げます。このときもピンと伸びた上半身は、微動だにしません。上半身は固定されているかのようなのに、腰から下、脚の向きを左右交互に変える動きは、エッジが効いて非常に鮮やかです。音楽に合わせて脚を上げるシーンでは、最初は低く、そして序々に高く上げてゆくのですが、このときもぐらつかない上半身と、スピード感があるのだけれど、きれいに優雅に上がる脚がいつものように抜群の安定性があってとても綺麗です。また、中野ブラザーズも登場してきて、スピーディーなタップダンスでステージはさらに盛り上がります。日劇ダンシングチームと中野ブラザーズが交互にダンスシーンを繰り広げますが、そんな彼らのスリリングなダンスの掛け合いが見事です。やがて日劇のステージのオープニングシーンが終わると、ダンサーたちは一度袖にひきます。

そこでいよいよ第1幕最後の盛り上がりの場面、「キャリオカ」が始まります。ダンサーたちが袖へ引き、眼の前に空間が大きく広がるステージがあります。そこへチエミさんがひとり満を持して登場してくるのですが、このあたりの流れからは、まるで日劇のステージもチエミさんのカムバックを待ち望んでいたかのような雰囲気が伝わってきます。そこへチエミさんも「ここが私の居場所」とばかりに登場し、前方中央に立つ一本のマイクに向かって歩いてくるのです。チエミさんがステージに戻ってきた、そのことが、迫力ある”Hey, listen! Carioca~♪”の第一声で伝わってきて、ここから一気に観客はチエミさんの勢いのあるナンバーに引き込まれていきます。とにかくこの場面のチエミさんには、再びステージで歌うことができる、というよろこびが溢れています。曲の半分ぐらいまでは、ダンサーもいない状態で、たったひとりで歌うのですが、ステージの空間がそんな彼女のエネルギーでいっぱいに充満している感じで、こちらも思わず身震いしてしまうほどです。極め付けが、「ババル ババル バッバ ババル~♪(こんな感じで聞こえました)」のようなチエミさんのスキャット!エネルギッシュで迫力あるチエミさんの歌声に、観客のノリは完全にコントロールされた状態です。

ここまででも既にかなりの高揚状態にある観客ですが、ここでさらにダンサーたちが登場してきます。衣裳はさきほどのオープニングのシーンのものから、さらに白いベストと蝶ネクタイを外し、インナーだった紫の光沢のあるシャツの襟を開いたものです。この紫のシャツの青山さんの着こなしがまた素晴らしく、ダンスの魅力を大いに引き出しています。「キャリオカ」のダンスシーンは時間的にはかなり短いのですが、第1幕最後を見事に盛り上げたかたちで完成させます。このナンバーは、同じラテンナンバーでも、「エル・クンバンチェロ」とは雰囲気が若干違った感じの青山さんのラテン的セクシーさを、躍動感溢れる振付で味わうことができるという大変贅沢なものです。身体の奥から湧き起こるようなリズムが持つ「野性味」という意味でのワイルドさは、「エル・クンバンチェロ」なのですが、「キャリオカ」は都会的なワイルドさというのでしょうか、青山さんは危険なぐらいにセクシーなのに、とっても洗練されているのですよね(何だかわけわからない表現ですね~、ゴメンナサイ)。また、さきほどの第6場冒頭の「オープニング」のシーンでの、エレガントな印象からもガラリと変わります。

青山さんは上手から御登場ですが、この短いダンスシーンで観客の心に強烈に焼き付けられるのが、両腕を横に広げたかたちで、激しく肩をシェイクする振りです。「エル・クンバンチェロ」にも一部同様の振りがあったと思いますが、こういうときの青山さんは、もうリズムそのものという感じで、観客は完全にノックアウト状態になってしまいます。従いまして、このシーンに関しましては、昨年同様、記憶の回路がとんでおりまして、レポらしいレポとなっておりませんので、御了承ください。以前にも記事に書きましたが、どんなに激しく動こうが、少しもブレない青山さんの動きを堪能できるシーンです。それとともに、こういう洗練されたセクシーさという青山さんの持つテイストは、本当にどんどん魅力的になっているなあ、と感じるのでした。そして、この曲でも「スウィート・アンド・ジェントル」のときと同様に、フィニッシュポーズが完璧です。チエミさんを中央にして、男女のダンサーたちがその周りを取り囲むような形となりますが、青山さんは向かって右手で、中央のチエミさんに向けて左腕を差し伸ばし、最後に若干お顔を正面に向けるような形でポーズを取り、幕となります。歌を歌い終え、ダンサーたちに囲まれたなか中央で立つチエミさんには、再びステージに戻ってこられたよろこびが溢れています。このひとはやはりステージで生きるべきひとなのだ・・・。劇場に響き渡る鳴りやまない拍手を聞きながら、自分自身も観客として拍手を送り、また「キャリオカ」のステージで味わった興奮と感動に胸が高鳴るのを覚えながら、この第1幕最後を飾るフィニッシュの1枚の「絵」を見ていれば、観客の誰もがそのように思ったに違いありません。

◆『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』 詳細レポ Ⅲ

2006-10-06 23:45:21 | テネシー・ワルツ 江利チエミ物語
第5場 恋と結婚(昭和32~34年 1957~1959)

♪ガイ・イズ・ア・ガイ A GUY IS A GUY
♪ヴァイア・コン・ディオス VAYA CON DIOS
♪ウエディングベルが盗まれた SOMEBODY BAD STOLE DE WEDDING BELL
♪慕情 LOVE IS A MANY SPLENDORED THING
♪ばら色の人生 LA VIE EN ROSE
♪トゥー・ヤング TOO YOUNG

『テネシー・ワルツ』では、お父さん役の下條アトムさんと、清川虹子さん役の弓恵子さんの印象的な語りが、物語が進むなかで効果的に挿入されます。第4場の「スウィート・アンド・ジェントル」のシーンが終わると、ダンサーたちの「おつかれさまでした!」の声とともに、舞台は暗転。時は再び1987年、場所はチエミさんの母親代わりのような存在であった清川虹子さんの楽屋です。楽屋着を着た虹子さんは、鏡を前に舞台化粧をしながら、「こんな年寄りの話・・・」と語り始めます。チエミさんと自分が長いつきあいであったこと、チエミさんの初恋話などを、まるで昨日のことのように語ります。虹子さんとチエミさんの親交は長く、女優であったチエミさんのお母さんが舞台に立っていた頃から、まだ赤ちゃんだったチエミさんに楽屋で会っていたといいます。また、早くして母親を亡くしたチエミさんにとって虹子さんは、母親のような存在であり、そんな虹子さんは、チエミさんの青春時代の恋についても知り尽くした存在。チエミさんの初恋相手の方(東京キューバンボーイズのピアニスト、内藤法美さん)は、コウちゃん(越路吹雪さん)と一緒になってしまったのだそうです。でもそんななかチエミさんのことを大切に思ってくれる人がいた、という語りとともに舞台は暗転。「チエミ 新春に歌う」という文字が背景に浮かび上がり、心躍るような「ガイ・イズ・ア・ガイ」の冒頭部分が聞こえてくると、日劇の華やかなステージシーンの始まりとなります。

ピンク色の衣裳に身を包んだチエミさんが、「わたしのママが言いました 男はみんな狼よ だからおもてでは知らぬ人に お口をきいてはいけませんよ~♪」と、「ガイ・イズ・ア・ガイ」の歌を、とても表情豊かに歌い始めます。前の場面で清川虹子さんによってほのめかされた「恋の予感」が、この歌の印象的なはじめの1フレーズによって、グッと身近なものとなります。「いわれたとおりおとなしく わきめもふらずに歩いてみた だけどなんとなくつまらないの 素敵なお方がいないかしら」フレーズごとにいきいきと表情を変化させながら、この歌を軽やかに歌うチエミさんがとても輝いて見えます。そこへ加藤忠さん、松本晋一さん演ずる中野ブラザーズが軽快なリズムをタップで刻みながら登場してきます。「いつもの通りで チラリ見てみると うしろにあの人が ソラついてくる」という歌詞にあるような、恋のドキドキ感やときめきが、耳に心地のよいタップ音と印象的な振りによって、こちらにもいきいきと伝わってきて、胸が躍ります。このシーンは、日劇のステージの再現シーンなのですが、登場人物のそのときの心情が、ショーのシーンとして繰り広げれられる歌とダンスによって見事に観客に伝わってきます。『テネシー・ワルツ』におけるショーのシーンには、どのシーンにもそういうところがあって、お父さんや虹子さんの語りにつながれるような形で、そうしたステージシーンが次から次へと展開していくところがとても気持ちのよい部分でもあります。

そしてこの「ガイ・イズ・ア・ガイ」が終わると、日劇のショーのフィナーレのシーンへと移ります。「虹のかなたに」のインストゥルメンタル・ヴァージョンとともに、舞台左右の袖から、日劇ダンシングチームに扮した青山さんたちアンサンブルが登場してきます。男性は、白燕尾服の上下に、インナーは紫のシャツ、それに白い蝶ネクタイというお衣裳。女性は水色のドレスでした。青山さんは下手側からご登場、舞台中央を横切り、上手寄りの立ち位置となり、そこで女性とペアになって、やわらかなリフトも入ったエレガントでロマンティックな踊りを披露します。そして、短いダンスが終わると、チエミさん、ダンサーたちは客席に向かって三方礼、青山さんの視線の投げ方、表情、身のこなしにも、フィナーレらしさが漂います。ショー終了後、舞台中央でうれしそうにお互いをねぎらう、チエミさんと中野ブラザーズですが、日劇ダンシングチームのダンサーのなかには、中野ブラザーズの存在をこころよく思わない人もいます。ステージ裏へと引き上げてゆくとき、青山さん演ずる日劇のダンサーは、もうひとりのダンサー(神崎順様)とともに、中野ブラザーズに対して、冷たく厳しいまなざしを向け、気に入らないという気持ちをあらわにしながら、その場を立ち去ります。中野ブラザーズはチエミさんに、「ぼくたちをだしてくれて、ありがとう」というような言葉でお礼を言い、楽屋へと場面転換してゆきます。

楽屋では、チエミさんと中野ブラザーズとのあいだで交わされる、楽しいやりとりが印象的です。この会話から、観客はさきほどの清川虹子さんの語りにあった、チエミさんのことを大切に思ってくれる人、「豪ちゃん」の存在を知ります。そして、ついさきほどまではステージで大スターとして歌っていたチエミさんが、ここではひとりの女性としてのかわいらしさとユーモア溢れる魅力あるキャラクターをのぞかせます。こんなところから、「チエミさんらしさ」のようなものがとても伝わってきたような気がします。旅先ではお風呂にまで一緒に入っていたぐらいに仲がよいというチエミさんと中野ブラザーズは、文字通り「裸のつきあい」だったというわけです。そんな彼らは当然、チエミさんと豪ちゃんの間柄をよくわかっている様子です。豪ちゃんと一緒にボーリングに行くというチエミさんは、彼らのことも誘いますが、僕らは遠慮しておく、と彼らは気を利かせて帰ってしまいます。舞台は暗転、背景には当時のボーリング場でボールを投げる着物姿の女性を写した白黒写真が映し出されます。

場面は変わって、夜。辺りは暗闇に包まれたチエミさんの部屋。チエミさんはひとりで部屋に現れ(上手側)、楽譜を片手にテープレコーダーのそばに座り、「ヴァイア・コン・ディオス」の練習を始めます。ギターの調べが何とも甘く、せつない感じを醸し出しています。チエミさんは、その音楽に合わせて、最初はひとつひとつの言葉を確かめるように慎重に、やがて少しずつ感情が高まってくるように歌い上げていきます。恋人との別れ、と言っても、ここでは恋人同士の「つかの間の別れ」のせつなさのようなものが、むせるような恋の甘さとともに伝わってきます。この「ヴァイア・コン・ディオス」は、物語最後のチエミさんが天国へと召されるシーンでも、その趣を全く異にして、インストゥルメンタル・ヴァージョンで用いられます。一つの曲が、場面によって全く別の意味を託されたものとして聞こえてくることが、この作品では幾度となくありますが、そのたびごとに観客は、その印象のコントラストを感じ、チエミさんというひとの過ごした「とき」というものに想いを馳せ、胸が熱くなるのです。

そこへ清川虹子さんから電話が入ります。舞台は全体的に暗く、下手側の虹子さんと上手側のチエミさんが電話をしているという構図です。虹子さんも、チエミさんにとっての「豪ちゃん」の存在がわかっている様子です。さきほどまで会っていて、一緒に過ごしていたはずの「豪ちゃん」は、チエミさんに会うために、再び家のそばまで来てしまったようです(ダーリン「豪ちゃん」はシルエットでご登場です)。そのことを知った虹子さんは、チエミさんにそっと恋のアドバイス、そして、チエミさんは、そのアドバイスどおりに、おやすみのキスで豪ちゃんとしばしのお別れをします。暗闇に包まれたなかで、スポットライトがチエミさんの顔を照らし、その照明がスッと消え、暗転するしかたが、とても印象に残ります。

幸せそうな結婚式の音楽とともに、「ウエディングベルが盗まれた」が始まり、結婚式の準備であわただしい会場へと場面は移ります(実際のおふたりの結婚式が行われた式場は帝国ホテルだったそうです)。会場係に扮したアンサンブルが、次々と下手から上手、上手から下手へと、あわただしく歩いてゆきます。青山さんも、黒いベストに蝶ネクタイを結んだ白いシャツ姿で、腕時計を見て、時間を気にしながら、忙しそうに歩いていきます。そうかと思えば、今度はもうひとりの方と荷物を持って、さきほどとは逆方向に歩いていきます。やがて舞台下手寄りの場所に、司会者(神崎順様)を先頭に順に整列する会場係。中央ではお父さん、清川虹子さん、中野ブラザーズなど、チエミさんゆかりの人々が、新郎新婦の入場を待ち受けます。そこへ二人の門出を祝福するために、まず水色のドレス姿のいづみさんが、幸福感いっぱいに「慕情」を歌いながらご登場です。そしてお次は赤紫色のドレス姿のひばりさんが、しっとりと「ばら色の人生」を歌い上げます。どちらも愛の幸福感に溢れた、二人の門出を祝福するのにぴったりの素敵な曲です。会場係の人たちは、大スターたちが見事に歌う場に偶然居合わせることができ、とてもうれしそうです。この後、いづみさんとひばりさんは、順番にお祝いの言葉を述べ、乾杯の場面となり、アンサンブルによって「トゥー・ヤング」が歌われます。最初は、舞台中央奥に浮かぶ新郎新婦のシルエットの方向を向いて、アンサンブルは歌っていますが、やがて正面を向いて、ふたりの門出と輝かしい未来を祝福するかのように、この曲を美しいハーモニーで歌い上げてゆきます。ここでは「トゥー・ヤング」は、ふたりの永遠の変わらぬ愛を祝福する歌として歌われ、チエミさんを包む幸福感が、こちらにも伝わってくるかのようです。”And yet we’re not too young to know / This love will last the years may go / And then, someday they may recall / We were not too young at all” そして第1幕のこの場面で、「変わらぬ愛」の歌として歌われたこの歌が、第2幕で好きなのに別れなければならないという「別れを決意する歌」として歌われることになります。この第5場「恋と結婚」においては、チエミさんは愛する人と一緒になり、家庭を持つことになり、幸せの絶頂にあったのです。しかし、このどこも欠けているところがないような幸せもつかの間、この後、チエミさんの人生に少しずつ、暗い影がさし始めます。

◆『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』 詳細レポ Ⅱ

2006-09-30 01:37:07 | テネシー・ワルツ 江利チエミ物語
第4場 ジャンケン娘(昭和30年 1955年)
    
    ♪お祭りマンボ
    ♪ジャンケン娘
    ♪スウィート・アンド・ジェントル SWEET AND GENTLE

チエミさん、いづみさんより一足先にデビューし、大スターになっていた美空ひばりさんのヒット曲「お祭りマンボ」で、このシーンはスタートです。(チエミさんのデビューは、1952年4月、「お祭りマンボ」は同年8月にリリースだそうです。)青いはっぴ姿にねじりはちまき、白足袋姿のアンサンブルの威勢のよさがとても心地のよい、『テネシー・ワルツ』で最初のダンスシーンです。お馴染みのイントロとともに、アンサンブルの方たちが一斉に勢いよく登場してきて、青山航士さんと阿部裕さんもお神輿を担いで下手側から登場、青山さんは前の持ち手を担当です。そしてこのお神輿の後ろから、という意表を突く形で、剣幸さん演ずる美空ひばりさんが華やかに登場します。青山さんたちが担ぐお神輿が舞台中央で大きく回転し、曲の冒頭から、ステージをどんどん盛り上げます。

青山さんはお神輿の前の持ち手を担当、その二本の持ち手を両手でがっちりと握り、上半身の動きには制限がついた状態です。しかも、実際のお祭りのように、派手にお神輿本体を上下に揺さぶるように威勢よくワッショイとやる、「現実のお祭りでのお神輿の動き」とは違って、「ショー」という空間で、「お神輿を担ぐ」という「振り」として見せるわけです。青山さんは、小道具(かなり大きなものでしたが)としてのお神輿を、ステージングのアクセントとしてとてもきれいに見せていました。同時に「お祭り」のあのにぎやかな雰囲気、血気盛んな下町の若者の雰囲気、粋でいなせな感じというのを、お神輿を担いで身体の動きに制限が出ているなかで、青山さんは、お顔の表情、足捌きによって見事に漂わせていたのです。実際のお祭りのように、お神輿本体を威勢よくワッショイとやる、というのでは、「ショー」としては、リアルすぎて「興ざめ」ですよね。かと言って、単なる「背景」として大人しくお神輿を「運んでいる」だけでは、歌詞にもある「お祭りさわぎ」な雰囲気は盛り上がらない気がします。そのうえ「お祭りマンボ」は、この作品最初の「ショーのシーン」です。歌だけのシーンとはまた違う仕方で、観客も気持ちの盛り上がりを期待するシーンでもあります。このシーンでの「お神輿の担ぎ役」は、こうして色々と厳しい条件の付く難しい役どころのように私には思えましたが、「ショーのダンス」としての「お神輿を担ぐ」という「振り」を、青山さんは見事に「魅せて」いるように私にはみえました。

確かに、「お祭りマンボ」冒頭のこのシーンでは、他のアンサンブルの方たちのように、全身を自由自在に動かして「ダンス」をしているわけではないので、青山ファンとしては、「もっと踊って~」の虫が騒ぎ出すことはあります。私も初日観劇の際には、昨年の初演版と単純に比較してしまいました。しかし、あの表情と足元の動きが、本当に素晴らしかった。お神輿をワッショイとやるときの、あの独特の足運びを、見事に「踊り」のステップとして青山さんは見せて(魅せて)いたのです。床とはじけあうようにして刻まれるステップ、そして中央でお神輿を担ぎながら見せる表情には、血気盛んな「チャキチャキ江戸っ子」ぶりが感じられて、曲の最初から気分を盛り上げてくれます。(このシーンの関連記事はコチラです)

やがて一旦上手袖にお神輿を置きに行き、すぐに群舞に加わるために上手より登場、いよいよ本格的に「お祭りマンボ」の「ダンス」です。青山さんは下手側の中央付近の立ち位置ですが、周囲の空気をかき混ぜるように小気味よくなめらかに繰り返しひるがえされるてのひらの動き、それに伴う腕の動きが見ていて、本当に心地がよいのです。そして再び、床と弾けるように刻まれる軽やかなステップ。後ろ向きになり、背中を正面にして跳躍するところもあるのですが、この跳躍がまた曲のイメージにピッタリとあったもので、パリッと糊の効いているような、端正な感じなのだけれど、祭り好きの血気盛んな下町の若者をイメージさせる勢いのよさがあるのです。ハッピ姿で「音頭」的なダンスを踊るものは、「おどろんぱ!」にもありましたが、やはりこのシーンでの振りは、「おどろんぱ!」の「音頭」的なものとは雰囲気ががらりと違いました。全体的に「歯切れのよさ」がとても印象に残るのだけれど、手や腕の動きがとても滑らかで、ダンスの「語尾」のようなところが、やわらかな印象なのです(いつものことながら、言葉に置き換えると「矛盾」しているような感じになってしまう・・・)。そして「おどろんぱ!」の「音頭」的なダンスとは違って、下方向にずっしりと重心を落とすのではない、床と弾けあうような軽快な足の動きというのが、終始印象に残りました。当然なのかもしれませんが、同じ「お祭り」というイメージでも、振りと踊り方によって、こんなにも雰囲気が変わるものなのですね(『テネシー』の「お祭りマンボ」は真島茂樹先生が振付です)。そして、そういう「微妙な差」でさえも、青山さんはしっかりとダンスで演じわけていることにとても感じ入ってしまったのです。

しばらく群舞が続いた後、この曲の後半では、青山さんは再びお神輿を取りに袖に引き、お神輿の担ぎ役として再び登場、この曲をさらに盛り上げます。そしてやがて袖に引いていきます。「お祭りすんで日が暮れて 冷たい風の吹く夜は~」という歌詞にもあるように、お面を顔につけてにぎやかな雰囲気を盛り上げていた他のアンサンブルの方々も三々五々消えてゆき、お祭りの後の寂しさが漂います。そんななか、舞台中央にひとり佇むひばりさんは、「後の祭りよ~♪」とこの曲の最後のフレーズを情感豊かに歌い上げ、チエミさんと同年代でありながらも既に大スターであり、堂々とした風格のある「美空ひばり」の登場を観客のこころに刻むのです。

「お祭りマンボ」に引き続き、「ジャンケン娘」の撮影シーンとなります。「お祭りマンボ」は、18(17?)歳とは言え、とても大人っぽいひばりさんがしっとりと最後を歌い上げて終わる曲です。そこから、溌剌として弾むようなこの「ジャンケン娘」の曲のイントロとともに、映画の撮影シーンの準備風景へと変わり、撮影監督やカメラマン(青山さん)も登場してきます。眩しい赤いニットを着たチエミさん、青色担当のいづみさんに引き続き、黄色のひばりさんも登場してきて、中央の階段に腰掛けた眩しい3人が、仲良く歌うシーンです。歌詞にもある「おてんば娘が三人揃って♪」という、溌剌として若さ溢れる「元祖三人娘」の仲良しぶりが印象付けられるシーンです。そんな撮影現場の雰囲気を臨場感ある、いきいきとしたものにしているのが、青山さんたちアンサンブルの演技です。カメラマン役の青山さんが、監督と打ち合わせしながら、慌しく立ち回る様子や、撮影カメラをのぞきこむ後姿と横顔からは、3人の魅力的な姿をフィルムに収めようとする緊張感と意気込みのようなものが感じられます。台本を確認したりして準備にぬかりのない姿勢には、「大スター」相手の仕事での緊迫感が伝わってきたりもします。

「ジャンケン娘」の曲が終わると、いづみさんは次の曲のための着替えをしてくると言って、チエミさんとひばりさん二人を残して、行ってしまいます。二人きりになったチエミさんとひばりさん。ひばりさんは、自分たち二人がお互いにライバル意識を燃やしていると周囲が勘違いして、つまらない気を使っている、と言います。何も気にしていないのに、逆に気を使われると、疲れてしまうというのです。ひばりさんとチエミさんが二人きりで心を通わせるシーンはいくつかありますが、このシーンはその最初の印象的なシーンです。そこへ、とてもキュートなワンピースに着替えたいづみさんが、おやつのケーキを持って、再び現れます。私が撮影をしている間、ケーキを食べてしまわないように、と注意しますが、チエミさんとひばりさんは、トンコの分も食べちゃおう、と言いながら、行ってしまいます。お三方の無邪気な仲の良さが伝わってきます。

そして「スウィート・アンド・ジェントル」の曲が始まるとともに、スポットライトがあたり、正面の階段の一番上で、ポーズを取りながら踊り始めるいづみさんの鮮やかな姿が眼に入ります。昨年の黄色系から今年は赤色系の衣裳へと変わったいづみさん。そこへやわらかなシフォン地のブラウスに白いパンツ姿のアンサンブルの皆さんが、左右からひとりずつふわ~っと跳躍しながら飛び出してきます。青山さんも上手から三人目(最後)に飛び出してきます。ちなみにアンサンブルの皆さんが着ている、このシフォン地のブラウスは、薄緑、薄紫というふうに微妙に色違いになっています。青山さんは「薄緑」でした。このロマンティックなシフォン地のブラウスのように、シーン冒頭から青山さんの跳躍も、そよ風にふわりと乗るような感じで、先ほどの「お祭りマンボ」、「ジャンケン娘」の世界とはガラリと印象がかわります。この一連のシーン(「お祭り~」から「スウィート~」まで)では、おそらく舞台裏での「早替え」も大変なのでしょうが、ガラリと変化するダンスの感触の違いを楽しめるところで、変幻自在な青山さんならではの魅力を満喫できる場面です。

この場面では、はじめから終わりまで、「スウィート・アンド・ジェントル」度数が昨年の初演時よりもさらにアップした青山さんのダンスをこころゆくまで堪能できます。『テネシー・ワルツ』のダンスシーンでは、中央の歌い手に向けて、ダンサーが腕を差し伸ばす振りが多用されているのですが、この「スウィート~」でも、中央でチャーミングに歌って踊るいづみさんに向けて伸ばされる青山さんの腕が、包容力のあるまなざしをはじめとしたお顔の表情とともに、とても印象的です。男性ダンサーが順番にいづみさんと組んで踊るところがあるのですが、ここで、他のダンサーが踊っている間にポーズを取りながら待機し、やがて中央のいづみさんに歩み寄っていき、リフトする、という一連の流れを見ていても、青山さんはとてもエレガントで、包み込むような包容力があるのです。キュートないづみさんとの組み合わせがとても心地よく感じられました。

また、冒頭の登場シーンの跳躍のあと、中央のいづみさんの方を向いて、ポーズを取りながら、音楽に合わせて身体を軽くゆらすところや、曲の終盤のフィニッシュポーズの直前、両腕を身体のラインにピタリと沿わせるように下方向へ伸ばしながら、3回転(?)ほどターンするところがありました。こういう場面での肩から腕のライン、そして手のひらのそらせ方が、とても小粋で洗練された感じを醸し出していて印象的でした。ターン自体は、スピード感もあり、曲のフィニッシュに向けて、一気に盛り上がっていく感じですし、全体的にとても優雅な感じがあるのですけれど、この肩から腕、そして手のひらのラインのせいなのでしょうか、洗練されたダンスに、コケティッシュで愛らしい、そんな「大人のキュートさ」が加わり、とても素敵でした。

また曲の中盤、左右両方向に肩・腕を伸ばし、てのひらを手首で直角に立てたような状態で、身体の真ん中の軸を中心に、左右両側に身体をくねらせるようにしながら、両脚を交互に、小幅に前に出しステップを踏むところがあります(歌詞にもある「チャチャチャ」的なステップといえるでしょうか)。このときも青山さんの身体の中心にビシッと決まって揺らぐことのない軸と、それとは対照的に自由自在にしなやかに動く肩から手の指先にかけてのライン、そしてそれと呼応するように動く腰から脚にかけてのラインが、とてもスリリングです。(青山さんの身体の軸に関しては、コチラです)

スウィートでジェントルなのだけれど、ちょっとした一瞬の表情にドキリとさせられる、この感じはこの曲全体を通して青山さんのダンスに言えることです。極めつけは、最後のいづみさんを囲んでのフィニッシュポーズ。プログラムの写真など見てみると、昨年の初演版では、いづみさんを中心にして、青山さんは向かって右側の手前で両腕を左右に大きく開いてポーズを決めていたようなのです(あの写真はフィニッシュのシーンですよね、違うという方がいらしたら、教えてください)。今年は向かって左側の手前で片脚を伸ばして、しゃがんだような体勢でポーズを取り、フィニッシュをきめます。このフィニッシュポーズ、お顔の角度と視線の投げ方(最後のカウントのところで首の角度を変えていましたよね♪)、そして胸の前にある片腕の具合、その他諸々・・・、とにかく青山さんの身体全体のライン、雰囲気というのが、もう完璧で、素晴らしいのです。あのポーズは、「スウィート・アンド・ジェントル」という曲のまさに最後の一拍で完成するものなのですが、観る者としては、最後にああいう息を呑むような、完璧な終わり方をされると、毎回その場で立って、拍手したくなる衝動にかられて、もうたまりませんでした。

とにかくこの曲は「エル・クンバンチェロ」や「キャリオカ」のようにテンポの速い曲ではなく、全体的に「いづみさん」のキャラクターがにじみ出ているような、キュートでやわらかなイメージが漂っています。CDで聞くチエミさんの歌うこの曲は、もっとラテン色の強い曲なのですが、舞台でいづみさんが歌うこの曲には、もっとやわらかで甘い雰囲気が漂っている気がしました。この第4場は、「三人娘」の仲のよさ、そしてチエミさんを囲むひばりさんといづみさんの持つ個性というものを、観客にショーシーンによって印象付けるところです。チエミさんやひばりさんとはまた違った個性を持ついづみさんのキャラクターというものが、この曲によって印象付けられる気がしたのです。やわらかで甘くてキュート、それでいてチャチャを踊ること(=恋?)にある、胸がざわめくようなドキドキ感のようなものも伝わってくるわけです。「おしとやかで ちょっぴりセンチメンタル 昔の私は そんな娘でした それがチャチャを覚えた日から すっかり変わりました~♪」という歌詞がありましたよね(でも舞台版の訳詞はこれとはちょっと違った気もします)。そんなスウィートでジェントル、でもどこかとてもスリリングなこの曲の雰囲気を、青山さんのダンスは観客に見事に伝えていたと思います。また個性豊かな三人娘のキャラクターについては、台詞や演技から読み取ることができるものですが、この一連のダンスシーンによって、チエミさんを囲む「ひばりさん」と「いづみさん」というキャラクターを観客は直感的にイメージできるのではないでしょうか。仲のよい三人娘による「ジャンケン娘」を挟んで配置されている、ひばりさんの「お祭りマンボ」、いづみさんの「スウィート・アンド・ジェントル」の2曲。若さ溢れる10代という設定のひばりさんといづみさんのそれぞれの個性がひかるお姿と伸びやかな歌声がとても印象的でした。それとともに曲によってガラリと雰囲気の変わる青山さんのダンスは、両極ともいえるそんな二つの曲の世界を伝えるとともに、チエミさんの終生にわたる「よき友であり、よきライバルであった」ひばりさんといづみさんのキャラクターというものを、観る者に伝えていたような気がするのです。

そしてこの第4場の最後で歌われる「スウィート・アンド・ジェントル」に漂う恋のドキドキ感は、次の清川虹子さん(弓恵子さん)の語りにある、チエミさんの初恋、そして「豪ちゃん」との恋への伏線にもなっているような気がしました。


◆『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』 詳細レポ Ⅰ

2006-09-25 12:19:06 | テネシー・ワルツ 江利チエミ物語
第1幕

第1場 オープニング

開演5分前になると、オルゴールのような音色で奏でられる「テネシー・ワルツ」のワンフレーズが聞こえてきて、幕が上がるのがもうすぐであることが感じられます。やがて、開演時間になると、オープニングの音楽が聞こえてきます。序奏的な「テネシー・ワルツ」、そして一気に盛り上がりを感じさせる「ガイ・イズ・ア・ガイ」、そしていよいよ客席の明かりも暗くなり、幕の上がる「トゥー・ヤング」と、インストゥルメンタルバージョンのメドレー形式で続き、観客は江利チエミさんの生きた昭和の時代へといざなわれてゆきます。

スポットライトがあたる舞台上手の一角にあるテーブル、そこへひとりで座る白髪の老人がいます。1987年(昭和62年)、今は亡き娘「江利チエミ(本名は久保智恵美)」について、年老いた父、久保益雄(下條アトムさん)が、ある作家の取材を受けている場面です。取材をする作家に向かって話をするという設定で、父は語りかけるように話始めます。「いまだにあの子のことをこうやって思い出してくださる方がいる、ありがたいことだ・・・」と目頭を押さえる父。この父の語りによって、チエミさんのおいたちを観客は知ることが出来ます。

楽団のピアノ弾きであった自分と、浅草の軽演劇の女優であった母とのあいだに生まれたチエミは、小さい頃から歌うことが大好きで、家の天井からたわしをぶらさげて、歌を歌っていたといいます。年老いた父は、不自由そうな身体で精一杯に、「東京ブギウギ」を歌う当時の娘の様子を身振りでまねして、懐かしそうに振り返ります。自分がピアノ弾きの仕事をクビになってしまったことで、一家はチエミの歌によって生活していたことも語られます。進駐軍のトラックの荷台に揺られたり、満員の汽車に揺られたりしながら、あちらこちらのクラブで歌っていたといいます。そんな生活にチエミは文句の一つを言うどころか、GIたちの拍手がただうれしくて歌っていたというのです。そしてそんなふうに歌を歌うことが大好きだったというチエミの性格は、女優であった母の「血筋」であった、というくだりが印象に残ります。

当時はジャズを歌ってレコードデビューすることにOKを出してくれるレコード会社はほとんどなく、唯一契約してくれたのは、「キングレコードだけでした」という語りとともに、舞台は暗転。「講和条約調印(1952)」、「もく星号墜落(1952)」の白黒写真が背景に映し出されます。この「講和条約調印」の写真によって、日本の戦後における占領期の終焉が意識され、日本がいよいよ本格的な復興期へと踏み出していく時代に入っていくことが伝わってきます。


第2場 初レコーディング(昭和26年、1951)
    ♪家へおいでよ(カモナ・マイ・ハウス) COME ON A MY HOUSE
    ♪テネシー・ワルツ TENNESSEE WALTZ

歌謡曲全盛の時代にあって、「ジャズ」を歌うチエミと契約を結んでくれるレコード会社は、キングレコードしかありませんでした。その大事な初レコーディングのシーンです。佐々木誠さんが演じるキングレコードのディレクターさん(原作本に出てくる和田寿三さんという方のことでしょうか?)が、「それじゃあ、カモナ・マイ・ハウスからいこうか」とレコーディングの始まりを告げます。舞台中央にたつ1本のスタンドマイク。“Ah, an apricot and a plum and cakes and a candy a pork,lamb too / Ah, just for you”そのマイクを通して、まだ少女の面影を残しつつも、天性のものを感じさせる、迫力ある歌声が響き渡り、観客は類まれなる、ひとりの歌手の誕生を予感します。「カモナ・マイ・ハウス」を緊張しながらも、溌剌と、一語一語大切に確かめるかのように、歌い込んでいく14歳のチエミの姿が印象的です。

見事に「カモナ・マイ・ハウス」を歌いきったチエミをディレクターと父がねぎらいます。「お水飲んでくる」と休憩に出てゆくチエミ。このときのディレクターと父の会話から、実はチエミは、まだ実母の死後から10日しか経過していないということがわかります。しかしそのようなことを微塵も感じさせないようなチエミの見事な歌いっぷりに、関係者は驚くのです。髪に結ばれた「黒いリボン」には、天国のお母さんへの想いが託されているのですね、とディレクターは噛み締めるようにつぶやきます。水を飲み終えて、休憩から戻ってくるチエミ。そんなエピソードを聞いた観客は、戻ってきたチエミの髪に結ばれた「黒いリボン」へとまなざしを向け、この少女のこころのなかに生きる「母」の存在の大きさを思います。「これからは日本語でジャズを歌う時代が来る!」マネージャーはそう力説します。そして2曲目の歌のレコーディングのスタートです。チエミは「テネシーワルツ」を心を込めて大事に歌い始めます。(「テネシーワルツ」の曲は、この後も①夫との別離を決意するシーンの後にインストゥルメンタルバージョン。②「さよなら日劇」のシーンに入る前、父がピアノを弾くシーン。③さらに終盤、チエミが天に召されるシーンにおいて使われています。)

キングレコードのスタジオでデビュー曲「テネシーワルツ」が歌われますが、やがてレコーディングスタジオが、戦後の混乱期~復興期の街の様子を再現する場面へと転換してゆきます。カーキ色の国民服の男性に、もんぺ姿の女性。負傷して不自由になった身体で街を歩く人。制服姿の女学生や学生、酒の配達をする商人、そして作業服姿の肩にタオルをかけ、額の汗をぬぐう人(青山さん)・・・。彼らは行くあても定まらないかのように、それぞれ街中を歩き、いまだ戦争の傷のいえることのない、戦後の疲弊感が漂います。そんな街に14歳のチエミが歌う「テネシー・ワルツ」の歌声が響き、彼らを包み込んでいくかのようです。何かを見つけたかのように、それぞれが思い思いに空の彼方を見上げます。チエミの歌う「テネシーワルツ」に、癒えない傷を抱えながらも、明日の復興を夢見て、今日の生活を精一杯に生きようとしていた当時のひとびとが見出したもの、そんなものが感じられるシーンです。(このシーンの関連記事はコチラです)

「テネシー・ワルツ」を歌い終えると、舞台は暗転、場面は汽車で地方から地方へと移動して回るチエミと父のいる車中へと転換します。汽車に揺られながらも、隣に座る父の肩にもたれ、コートをかけて眠るチエミ。そこへ「久保さん、学校へいきましょ」というかつての級友の声が聞こえ、チエミは目を覚まします。進駐軍クラブで歌い始めた頃、「お仕事」で学校へ行けない日が多かった頃のことを夢で見ていたのです。「夢かあ~」とつぶやきながら、目を覚ますチエミ。私個人としては、ここからチエミさん自身が語る「物語」がスタートするという印象でした。日本中のあちらこちらへ行っても、行く先々で自分の歌う「テネシー・ワルツ」や「カモナ・マイ・ハウス」が聞こえてくるという状況に、チエミは嬉しさよりも驚きを隠せない様子です。チエミはそっとポケットから一枚の写真を取り出し、その写真に向かって「ありがとう」と声を掛けます。夢のようなデビューを果たした自分を天国から見守ってくれている母へ、感謝の気持ちを伝えるのでした。(このシーンの関連記事はコチラです)

やがて汽車は東京駅に到着。マネージャーの「園(その)ちゃん(上野聖太さん)」が駅で待ち受けます。デビューして、次々と仕事が入り、一躍売れっ子になっていくチエミを取り巻く状況が、刻々と変化していっていることが彼によって語られます。いつものように中央線に乗って家へ帰ろうとするチエミに、向こうで「ハイヤー」が待っていることを告げる園ちゃん。そんなびっくりするような待遇に飛び上がるほど嬉しくなってしまったチエミは、「ワァ~」と歓声を上げて、走って袖へと消えてゆきます。それを追いかけるようにしてマネージャーの園ちゃんも袖に。舞台に一人残った父は、そんなチエミの信じられないような幸せな気分を代弁するかのような語り口で、三等車から二等車へ、進駐軍のトラックの荷台からハイヤーへ、そしてデビューの翌年には、「テネシー・ワルツ」の生まれた国(アメリカ)へと飛び立ちます、と語ります。


第3場 シンデレラの魔法(昭和27~28年、1952~53)
    ♪虹のかなたに OVER THE RAINBOW

「テネシー・ワルツ」でデビューし、あっという間にスターへの階段を駆け上がってゆくチエミ。飛行機の音とともに、当時の旅客機を映した白黒写真が背景に映し出され、アメリカへと旅立つチエミさんが印象付けられます。すると「虹のかなたに(Over the Rainbow)」のロマンティックなイントロとともに、眩しい白い衣裳に身を包んだチエミさんが下手側より登場してきます。階段を上りながら曲のなかほどまでを歌うと、アメリカから帰国の途へとつく飛行機の機内での場面となります。父の隣で、日本にいる兄たちへの手紙を書きながら、彼女は自分の心情を父親に吐露します。スターへの階段を一歩一歩着実に上り始めた彼女は、とうとう「進駐軍クラブ」のなかでのみ体験していたアメリカ、運命のデビュー曲を生んだアメリカという国に足を踏み入れたのです。ケイ・スター、サミー・デイビス・ジュニア、エラ・フィッツジェラルドなどにも対面し、レコーディングをしてきたことなどが語られます。

そんな夢のような自分の境遇に、チエミはこの上ない幸福感を抱きながらも、こんな自分にシンデレラみたいな魔法をかけてくれたのは、一体誰なんだろう、といつかは解けてしまうであろう「魔法」の運命が、心の片隅で気になります。そんな娘に対して父親は、チーちゃんに魔法をかけてくれたのは、どこにでもいる「普通のひとびと」なんじゃないかな、と答えます。誰でも「夢や希望を持ち続けたい」、そんなふうに思っている「普通のひとびと」がチエミに魔法をかけてくれた、というのです。それを聞いたチエミは、勇気付けられたように再びこの曲を歌い始めます。夢の階段を一歩一歩上ってゆくことに対する、彼女の信じられないほどのよろこび、そして心の片隅で抱える、成功に対する戸惑いの気持ちが、この歌に託されているかのようです。この曲の歌詞にある、”Over the Rainbow(虹のむこう)”,"dream(夢)”,”happy little blue birds(幸せの小さな青い鳥たち)”などの歌声が聞こえてくるたびに、彼女の「夢」に対する想い、そして同時に当時のひとびとが江利チエミというひとに託した「夢」、そんなものが、交錯し、ピッタリと重なっていくようでした。この曲終盤では、背景に「虹」の光が映し出され、次の空港でのシーンのために、アンサンブルたちが下手に登場してきます。この曲の最後で島田歌穂さんの歌声に、アンサンブルのコーラスが重層的に重なってゆくのが、とても美しいシーンとなっていました。

アメリカから日本に帰国した「大スター」チエミを空港で待ち受ける多くの報道陣やファン。メモとペンを持って、勢いある声で猛烈な取材攻勢をかける記者(青山さん)や、カメラで写真を撮ろうとするカメラマンたちの様子からは、当時の熱狂ぶりをうかがい知ることができます。彼らは結局追い払われてしまいますが、帰国したチエミを好奇心溢れる笑顔で迎えるのは、雪村いづみさん(絵麻緒ゆうさん)です。「トンコ」って呼んで、「のに」と呼んで、とお互いのニックネームを交換しあう二人。報道陣の熱狂の合間に、これから共にスターになって、終生友情を育んでいくことになるチエミといづみの、二人の出会いが印象的です。そして舞台袖へと仲睦まじく消えてゆく二人。残った父は、「ライバルでもあり、親友でもあった」というチエミといづみの出会いについて語ったあと、「もうひとり」の友、美空ひばりを観客に紹介します。それと同時に舞台は暗転、にぎやかな「お祭りマンボ」の曲が始まります。

◆Side by Side /サイド・バイ・サイド

2006-09-21 00:39:18 | テネシー・ワルツ 江利チエミ物語
客席のあちらからこちらからかすかに聞こえてくる、鼻をすする音、そして舞台を観ていると視界の端にそれとなく入ってくる、ハンカチで涙をぬぐう影・・・。『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』上演中の客席でのお馴染みの風景です。チエミさんと同時代を過ごした方々の涙と、チエミさんをリアルタイムでは知らない私のような世代の涙の「色」は、少し違うのかもしれませんが、ストーリーの展開上、「ひとりの女性」としてのチエミさんの感情に触れるようなシーンでは、世代の別に関係なく、熱いものが込み上げてくるのではないでしょうか。斯く言う私も、その中のひとり。劇中、チエミさんを演ずる島田歌穂さんの歌声に、思わず涙が・・・、という場面が、いくつかあります。私の場合は、第2幕の「唐獅子牡丹」と「トゥー・ヤング」。そして、またちょっとこれらとは違う感じで、涙が溢れそうになるのが、「サイド・バイ・サイド」です。8月24日の「観劇3回目レポ」の中でもふれましたが、私にとっては、この曲が、今回の再演で「一番チエミさんらしい」と感じる場面であり、熱いものが込み上げる場面でもありました。

「サイド・バイ・サイド」は、『テネシー』劇中、第2幕第4場の「さよなら日劇」のシーンで、チエミさんが中野ブラザーズ(加藤忠さん、松本晋一さんが演じておられます)とともに息のピッタリとあった軽快なタップを踊りながら歌う曲。この場面は実際の「さよなら日劇」のステージとしてイメージすることも可能ですが、チエミさんが思い出に吸い込まれた先で起こっているような、あるいは「夢か幻」のなかで起こっているような雰囲気が漂っています。この少し前にチエミさんが借金を完済するシーンもあって、この曲冒頭の”Oh!We ain’t got a barrel of money,”という歌詞が身近に聞こえる気がします。CDを聞いていても次のような歌詞があります。「嵐になっても吹雪になっても あなたとならば 恐くはないよ みんながなんといったとて 二人はいつもほがらか 楽しい旅を Side by side・・・」こういう具合で、曲と歌詞だけ聴いていてもとても楽観的な感じを受けますが、実際の舞台でのパフォーマンスからも、どこか肩の力が抜けておどけているような、あるいはあれほどの苦難に満ちた自分の人生にも微笑を返しているような、そんな軽妙で小粋な印象を受けます。ステージの雰囲気も明るく、チエミさんと中野ブラザーズが刻むタップもこの上なく軽やかで息もピッタリです。・・・なのに何故なのでしょう、彼らが笑顔で軽やかにタップのリズムを刻めば刻むほど、客席に座る私は微笑みたいのに涙が溢れてくるのです。

それと同時に、このシーンと対をなすように配されていた第1幕第5場の「ガイ・イズ・ア・ガイ」が思い出され、それ以降、この「さよなら日劇」に至るまでのチエミさんの波乱に満ちた人生が思い出されます。あのシーンは、日劇時代の始まり、そして「豪ちゃん」との恋の始まり、そして中野ブラザーズとの親交の始まりを告げるシーンでもありました。島田さんの歌声とともに、加藤忠さんと松本晋一さんが演ずる中野ブラザーズの躍動感溢れるタップが、歌詞にもあるような「ふしぎに胸がトキメク」感じや「アヴァンチュール」を待ち焦がれる気持ちを、見事に伝えていて、とても印象的でした。こちらの曲では、タップのリズムが刻まれれば刻まれるほど、これからやってくる幸せなとき(「豪ちゃん」との恋)の足音が聞こえるようで、胸が躍るような感覚です。それ以降、チエミさんは輝かしいキャリアの陰で、私生活では波乱に満ちた生活が続くことになりますが、そんな彼女に公私ともにいつも「サイド・バイ・サイド」で寄り添って、彼女のそのときそのときを目撃してきたのが、中野ブラザーズです。そんな中野ブラザーズが終盤も近くなってチエミさんと踊る「サイド・バイ・サイド」を観ていると、チエミさんが「ひとりの女性」として生きた、そんな数々のときが走馬灯のようによみがえってくるような気もするのです。そしてあれほどの苦難を背負いながらもなお、笑顔で軽妙に歌ってみせるチエミさんの健気さとひたむきさが伝わってきて心が打たれます。

昭和56年(1981)に、建物の老朽化のために取り壊しの決まっていた「日本劇場(日劇)」。昭和という時代の娯楽がギッシリと詰まったような、この夢の殿堂の閉館にあわせて行われたという、「サヨナラ日劇フェスティバル」(その当時、テレビのニュースでこのことが取り上げられていたのを見た記憶があります)。数日間にわたって行われたというその公演に、江利チエミさんも、2月5日に出演されていたそうです。江利チエミさんのファンの方のサイトの記事を読ませていただくと、江利チエミさんは、雪村いづみさん、中野ブラザーズ、他の皆さんとともに、出演されたそうで、『テネシー』劇中の「サイド・バイ・サイド」もいづみさんによって歌われ、チエミさんはコーラスで参加されたのだとか。そんな「史実」とは、劇中の設定は若干異なるのかもしれませんが、「チエミさん最後のステージ」を飾る一曲として、「エル・クンバンチェロ」とともに、この「サイド・バイ・サイド」は、観る者に対して迫真性を持って訴えかけてくる1曲です。私には、この「サイド・バイ・サイド」が、哀しみだけを抱えて去っていったわけではないチエミさんからの、同時代を生きたひとたちへのメッセージのようにも聞こえ、また彼女の歌をとおして通じ合っていたチエミさんと彼女の歌を愛したひとたちとのラスト・ダンスのようにも見えるのです。中野ブラザーズとチエミさんが軽やかに刻むタップの音を聞き、その3人が織り成すダンスのフォルムを見ていると、もうすぐ天国へと旅立とうとするチエミさんが天国への階段を上り始めているような印象も受けますが、それ以上に、チエミさんと時をともに過ごしたひとたちとが、まるで微笑みながら「ゆびきりげんまん」でもしているかのようにも見えて、「さよなら」ではなく、「またね」とでも言いながら、微笑んでいるチエミさんの笑顔が心のなかに残る気がするのです。そろそろ「永遠の別れ」が来ることはわかっているけれど、涙とともにではなく、微笑みを浮かべて振り返り、「また会いましょう」とでも言われているような雰囲気が漂います。

先ほどもふれた借金完済の場面で、神崎順さん演じる債権者が、チエミさんに対してかける言葉が、「お人柄のファンになりました」というものでした。自分のせいではなく、義姉の裏切りにより抱えることになった多額の借金、それを返済した後に至っても、その債権者に対して、心から「ありがとうございました」と頭を下げるチエミさん。そして笑顔で今度は舞台を見に来てください、と債権者に対して提案します。島田歌穂さんの演じられたチエミさんは、どんなことがあろうとも、ありがとうの気持ちを忘れないような、ひとに対する情の深さを感じさせてくれたような気がします。そしてそこには「涙」ではなく、周囲を幸せにするような「笑顔」がいつもあったような気がするのです。一言では簡単に言えないけれど、私にしてみると、そんなチエミさんの「お人柄」のようなものが、「サイド・バイ・サイド」のシーンからは特に伝わってくるような気がして、微笑みながら涙が溢れる、そんなシーンでした。

◆読んでみました。『進駐軍クラブから歌謡曲へ』

2006-09-16 01:18:51 | テネシー・ワルツ 江利チエミ物語
1年前の初演のときも、ネット上のあちらこちらで、江利チエミさんについて書かれた記事などを読ませていただきました。そうしているうちに、チエミさんが一番最初に歌っていた「進駐軍クラブ」って、どういうところだったのだろう?ということが気になり始めたのですが、そんなとき1冊の本を見つけました。

◎『進駐軍クラブから歌謡曲へ 戦後日本ポピュラー音楽の黎明期』東谷護著 みすず書房 2005年発行

「進駐軍」と聞いても、私がイメージできるのは、祖父母などから聞いた、「ジープでやってきて、チョコレートを配ってね~」というぐらいのものでしかなく、これは何やらおもしろそう・・・、ということで、今年はちょっと読んでみることにしました。

『テネシー』劇中でも、初レコーディングの直前だったでしょうか、「講和条約調印(だったかな?)」のスライド写真が映し出されていましたが、あれは、つまり占領期の終焉、進駐軍の撤退ということを意味するのですよね。ちょうどその時期に、チエミさんも進駐軍クラブから卒業して、歌手としてのデビューを飾るわけです。占領期の終結前後には、進駐軍クラブで歌われていた曲が日本語に訳されてレコード発売された曲が多かったといいますが、江利チエミさんの「テネシー・ワルツ」は、まさに見事に成功した衝撃的な第一弾の曲ということなのでしょう。その後、ペギー葉山さん、雪村いづみさんと続いていくそうです。あの頃、つまり第2次大戦後の占領期の日本(1945~1952)というと、私のような世代にとっては、社会科の資料集などで見たことがあるだけの「白黒写真」の世界、近い時代ではあるのだけれど、ちょっと「今」とは途切れた時代のように感じられる気もします。あとは、祖父母の世代から聞くだけの世界で、頭のなかでイメージしてみるだけの、ちょっと自分とはあまり関係のない世界・・・。『テネシー』劇中でもこのあたりのスライド写真になると、やはりかなり世代的に断絶されている感じは否めませんでした。でも、この本を読んでみると、私たちが当たり前のように楽しんでいる今の日本のミュージック・シーンや、そういう音楽を楽しむときの感覚というものが、「あの時代」とつながっているものであるということを再認識させられます。また、当時実際に進駐軍クラブに出入りをしていた方々へのインタビューなども多く掲載されていて、『テネシー』劇中のさりげない1フレーズの背景にあるものがいきいきと身近に感じられたりすることもあって、なかなか面白い1冊でした。

例えば、冒頭のチエミさんのお父さんの語りで、「進駐軍のトラックの荷台に揺られて・・・」のような台詞があったと思います。当時は「ピックアップ」と言って、バンドマンや歌手などの出演者をクラブまで運ぶために、進駐軍クラブから迎えのトラックが来るというケースが多かったのだそうです。まだ10代だったチエミさんも、そんなトラックの荷台で揺られながら、移動していたということなのでしょうか。特に東京駅北口や新宿駅南口などは、集まってくるバンドマンを、仲介業者がその日ごとに振り分けて、クラブに斡旋するメッカのようなところだったとか。冬は寒さ、厚木や座間などへ向かうときは、道路が舗装されていなくて、砂埃で大変だった、という証言などもこの本では紹介されていました。そう言えば、昨年の『テネシー・ワルツ』の少し前に「徹子の部屋」に出演された島田歌穂さんのお話にも、島田さんのお祖母様が、戦後の混乱期に新宿駅の近くでジャズ喫茶のようなお店(記憶違いでないとよいのですが)を開いておられて、渡米前の穐吉敏子さんも出入りされていたというようなお話をされていた気がします。

その穐吉敏子さんも、元々はジャズではなく、クラシックピアノを習っていただけだったのだとか。しかし、当時はクラブが求めるバンド数に日本の実際のバンド数が足りていなくて、その需要と供給のバランスで供給が追いつかなかったのだそうです。進駐軍クラブで演奏するバンドには、軍楽隊出身者が敗戦とともに職を失い、ジャズに転向したケースが多かったようですが、この需要と供給のアンバランスから、アマチュアの参入が可能だったのだそうです。17歳の穐吉敏子さんも、ただ「クラシックピアノのレッスンを受けた経験があっただけで、ピアノが好きだから、弾けるから、という理由で、ダンスホールでのピアノ演奏の求人に応募した」のだそうです。その後仕事を継続的に得られたのかという話は別にして、こういうアルバイトのバンドマンもかなり多かったのだとか。江利チエミさんも、『テネシー』冒頭のお父さんのお話のなかで、小さいときより、天井からぶらさげたたわしをマイクがわりにして、家で東京ブギウギなどを歌っていた、というエピソードなどが紹介されていました。そして進駐軍クラブでピアノを弾いていた父の伝手で、GIのよく来る料亭で歌うことになった彼女。その歌の上手さが評判になったことが進駐軍クラブで歌うきっかけになったということです。そんな経験の浅い十代前半の彼女がクラブで歌手として歌うという状況を可能にしたのも、アマチュアに対して寛容な進駐軍クラブをめぐる状況によるものだったのかもしれません。

また冒頭のお父さんの語りの部分では、自分が職を失い、妻も病気がちで働けず、チエミの歌に一家の生活がかかっていた、というようなくだりがありました。戦後の混乱期においては、このオフリミット、つまり進駐軍クラブで歌ったり、演奏したりすることは、オフリミット外で働くよりもたくさん稼ぐことができるケースがあったようです。進駐軍クラブで演奏される曲は、ビッグ・バンドの演奏によるスウィング形式のジャズがほとんどで、スウィングは当時のアメリカのジャズの最先端ということではなかったようなのですが、GIたちの演奏に対する評価は厳しかったそうで、下手な演奏には容赦なく批判の声があがったのだとか。逆に素晴らしい演奏には、惜しみない拍手が送られ、チップをはずむ客もいて、さらにアンコールで時間延長になった場合は、オーバー・タイムで別料金になることもあったそうです。チエミさんも、家計を支えるために歌ったということがあったようですが、こんなクラブのお客さんのダイレクトなリアクションの中に、10代前半の頃からさらされることにより、プロ根性と歌うよろこびのようなものを養っていったのかもしれない、そんなことを思いました。劇中でも、GIたちのエリーという掛け声と拍手が忘れられない、というような内容の台詞がありましたよね。この本によると、当時の進駐軍クラブで演奏していたバンドマンたちには、敗戦による今後の生活の不安よりも、音楽ができることに大変魅力を感じた、ということを証言しておられる方が多いそうです。

1952年には講和条約発効、占領軍が撤退、それとともに進駐軍クラブも姿を消していき、そこに活動の場を見出していた人々(歌手、バンド、斡旋業者など)は、オフリミット外へと活動の場を移していきます。翌53年には、テレビの本放送も始まり、新たなメディアも登場した時代でした。チエミさんが英語と日本語で歌う「テネシー・ワルツ」でレコードデビューを果たし、新たな活躍の場を開拓していったように、バンドマンたちはテレビにおける歌謡曲を扱った歌番組のバックバンドとして、その活路を開拓していったといいます。つい最近まで(ごくたまに現在でも)テレビでお馴染みだった、バックバンドを背景にして、歌手が歌うという、あの風景のルーツは、そこまでさかのぼることができるのだそうです。占領期の終焉は、テレビの登場によるメディアの移行期にも重なり、進駐軍クラブで活躍していた人々は、その波に乗る形で、戦後日本のポピュラー・ミュージックの一翼を担っていくことになったといいます。

『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』で描かれる江利チエミさんは、昭和26年の初レコーディングのとき、つまり14歳のときの姿からです。それ以前の話は、冒頭でチエミさんのお父さん(下條アトムさん)が昔を振り返るように語るシーンやチエミさん(島田歌穂さん)の思い出話のなかで触れられるのみです。けれども、この「それ以前の話」、つまり「進駐軍クラブ」で歌っていた頃というのが、江利チエミさんというひとにとっては、すべてのはじまりともいえる「原点」のようなものだった、ということが、『テネシー・ワルツ』を観ていると伝わってくるような気がします。第2場でアンサンブルとともに「テネシー・ワルツ」を歌い終えた後、場面は、デビュー後に地方から地方へと汽車で移動するチエミさんとお父さんのいる車中へと転換します。座席に座り、お父さんの肩へ寄りかかりながら眠るチエミさん。そんなチエミさんは、「久保さん、学校へ行きましょう~」という毎朝の習慣であった、小学校時代の同級生の掛け声を、夢のなかで聞いたことにより、眼を覚まします。チエミさんが、作品の中で、この同級生の掛け声とともに思い出すもの、それは彼女が歌のよろこびを知り、「テネシー・ワルツ」という歌に出会った、「進駐軍クラブ」の時代だったのかもしれません。そして、その思い出は、チエミさんが常にポケットにそっと大切にしまう「お母さんの写真」とともに、どんなことがあっても彼女を歌うことへと向かわせた原動力のようなものだったのかもしれない、と思えてきます。そして劇中、汽車のなかでチエミさんがあの声で夢から覚めるあのシーンから、チエミさんのチエミさんによる物語というのが始まっていく、そんな気がしてならないのです。

◆ミュージカルの「本場」

2006-09-07 00:56:56 | テネシー・ワルツ 江利チエミ物語
『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』、第2幕はミュージカル女優、江利チエミの華やかな舞台の再現から始まります。まずはブロードウェイミュージカルの日本初上演作である『マイ・フェア・レディー』(S38)から、花売り娘イライザの「すてきじゃない(Wouldn’t It Be Lovely)」、そして「踊り明かそう(I Could Have Danced All Night)」。次にこのチエミさんの『マイ・フェア・レディー』の大成功を受けて制作されたという、雪村いづみさんの『ノー・ストリングス』から「ザ・スゥイーテスト・サウンド」。三番目には、元々歌謡曲からスタートした美空ひばりさんが、ナット・キング・コールの「ジャズ」をレコーディングする「魅惑のワルツ(Fascination)」へと続きます(ひばりさんは当然、「ジャズ」を歌う江利チエミを意識していたのですよね)。「チエミ、いづみ、ひばり」のお三方の素晴らしい歌唱によって、それぞれにジャンルを超えて活動の場を広げてゆく、彼女たちの華々しい活躍が印象付けられ、第2幕のスタートが盛り上がります。そしてこの第2幕第1場「ミュージカル・スター“チエミ”」のシーンの締めくくりが、『アニーよ銃をとれ』からのにぎやかで幸せなナンバー、「ショウほどすてきな商売はない」です。カウボーイ(アニーの相手役ということでしょうか)にレスラーなど個性派揃いのキャラクターのなかで、青山航士さんはピエロ役で御登場です。昨年の初演版とはまた一味違った、素敵なマイムが披露され、観客の視線とイマジネーションは、まさに青山さんの卓越したマイムな手の動きに導かれるようにして、しばし眼の前の夢の舞台空間から、月の光る星空への旅へといざなわれます。(詳細は楽日以降に。昨年の初演版の様子は、へーまさんのPlatea、2005年9月25日の記事、A Clockwork Bodyをご覧ください。)

この第2幕冒頭の華やかなステージシーンの再現シーンによって、歌手という枠を超えてミュージカルの世界へとはばたいていくチエミさんが、キャリアの頂点へと上り詰めていくように印象付けられるような気がします。それを観ている観客も、島田歌穂さんの素晴らしい歌唱と青山さんたちアンサンブルが作り出すミュージカルならではの華やかさによって、本当に幸せな世界にいざなわれます。ただ、こうして藤原佑好さんの原作本などを読ませていただいて改めて感じるのは、この華やかな舞台の裏で、江利チエミさんがミュージカルという舞台に臨む際に見せた「こだわり」というものです。チエミさんの代表作にもなったこの『アニーよ銃をとれ』の上演に際し、彼女は前の記事でも取り上げた「東京キューバンボーイズ」あるいは「原信夫とシャープス&フラッツ」など、お馴染みの数バンドをバックに歌いたいと主張したのだそうです。藤原さんの原作本によれば、その主張が通り、特別に17人編成の「東京ユニオン」というビッグバンドが編成されたのだとか。調べてみたら、この東京ユニオンのバンドリーダーは、東京キューバンボーイズでバンドマスターを務めていた野村良さんという方なのだそうです。またチエミさんは、『マイ・フェア~』のときも、『アニー~』のときも、その舞台の公演に先立ち、本場アメリカの舞台を観ているのだそうです。(ニューヨークで『マイ・フェア~』、ロスでベティー・ハットン主演の『アニー~』)こういうエピソードを聞くと、本場アメリカのミュージカルを、日本で初めて本格的に上演する、そのことに対してチエミさんが感じていた責任感はすごいものだったのだな、と改めて思います。当時の日本では映画を通して入ってくるというだけの世界だったアメリカのミュージカルというものを、チエミさんは日本人にとって身近なところへとグッと引き寄せた功労者だったのですね。今日いわゆるジャズのスタンダードといわれている曲の多くは、ミュージカルで歌われていた曲が多いので、ジャズでデビューしたチエミさんが、やがてミュージカルの世界にも飛び込んだという流れは、当然なのかもしれませんが、やはりその活動の幅の広さというものと先取り精神には、驚かされます。この後には、『テネシー』でのひばりさんとのやりとりにもあったと思うのですが、韓国の舞台劇『春光伝』にも挑戦しているのです。

今から40年ほど前のチエミさんのそんなエピソードを思い浮かべながら、現在2006年の日本のミュージカルシーンに眼を移してみれば、まさに来日もの、翻訳もの、日本オリジナルものと百花繚乱、観る方も選ぶのに困ってしまうほどの状況が広がっています。私もこの夏は、おかげさまで『ムーヴィン・アウト』→『テネシー・ワルツ』→『ウエスト・サイド・ストーリー』と観ることができました。しかし、これほどの目移りしてしまう状況のなかで、未だに観客の意識のなかに根深いのは、やはり「本場ブロードウェイ」という意識ではないでしょうか。特にダンスの割合が大きい作品においてはこの傾向が強いのではないかと思います。例えば、来日版『ウエスト・サイド・ストーリー』の感想などを探して、ネット検索などしてみると、「本場ブロードウェイミュージカルをこの眼でみることができて大満足」とか、「やっぱり欧米人ダンサーでなくっちゃね」というようなご感想を多く眼にします。それからやはり多いのは、「映画でしか観たことのなかったあの世界を実際にこの眼で一度観たかった」というものです。もしかしたら、こういう感想をお持ちの皆さんのなかでは、「本物=ブロードウェイあるいは映画版」という図式が完成されてしまっていて、最初から日本人が踊る『ウエスト・サイド・ストーリー』というものは眼中にないのかもしれません。・・・だとしたら、2年前のあの奇跡のような『ウエスト・サイド・ストーリー』を体験している者としては、本当に惜しいという気がしてなりません。私も青山航士さんというひとのダンスを知らなかったのなら、おそらく立派に胸を張って、そういう方々の一員であったことは間違いなかったと思います。しかし、2年前の夏と冬に上演された日本版『ウエスト・サイド・ストーリー』を、そしてそこで青山航士さんのタイガーを、私が観ているときには、「ブロードウェイが本物だ」とか、「やっぱりこの作品は映画版よね」とか、そういう「ホンモノ」をめぐる力学的議論のことは、はっきり言って頭の中から消えていました。そういうことはどうでもよくなっていたのです。今まさに眼の前で起こっているストーリーというものにただ引き込まれるばかりでした。日本のミュージカルの世界では、「ホンモノ=アメリカ、ロンドン」、こういう図式は根深いと思うし、かく言う私も、粒揃いで量感のあるダンサーたちが勢ぞろいしているところなどを見ると、オオッ~とたじろいだりしたりもするし、いわゆる「本場」のダンスというものにふれてすごく感動はして帰ってくるのも事実なのです。しかし、青山さんのダンスを日頃からこうやって観ていると、こういう「本場」のダンスを観ても、「何か違う、もっとあるはずじゃない?」ってどうしても思ってしまうんです。それは、青山さんという人が、そういう観る者のなかにある枠組みみたいなものを様々な形で、こちらも気づかないうちに取り除いてくれる表現者だからなのだ、といつも思います。江利チエミさんは、島田歌穂さんが歌い、青山航士さんが踊っていた、あの夏の『ウエスト・サイド・ストーリー』をご覧になったとしたら、一体どんな感想をお持ちになったでしょうか。そんなことを考えながら、チエミさんのミュージカルもこの眼で一度観てみたかった、そんなふうに思います。