更新が滞りまして申し訳ございませんでした。ここ1週間ほど風邪をひいてしまい、体調を崩していたので、書くのはちょっとお休みして、読みたかった本などを手にとってちょっと充電していました。季節の変わりめ、皆様もどうぞお気をつけください。そこで、今日はそんな中から1冊の本のご紹介。前から取り上げようと思っていた”The Radio City Rockettes/A Dance Through Time”のご紹介です。12月の『ALL SHOOK UP』は、坂本昌行さん主演ですし、ちょっぴり懐かしいOZの話題もよろしいかもしれませんね。

2005年のOZ初演、そして、昨年の再演のときからずっと気になっていたのが、Rockettesのことでした。(Radio City Music HallとRockettes、日劇のことについて書いた記事はコチラです。)日本版OZでは、第2幕第4場で、青山さんたち男性アンサンブルの方々も華やかな衣裳に身を包み「女装」して、女性アンサンブルの皆さんと同様に、白い燕尾服姿のピーターを囲んで、華麗なロケットダンスで魅了してくれました。(BW版では鏡を多用して、女性ダンサーを多数に見せるという演出だったのですよね。)昨年OZ関連の記事を書くときにも、Radio City Music HallのHPで、Rockettesの歴史などについて読んでみたりしたのですが、もっと写真などが多く掲載されていて、詳しく書いてある本はないかな、とずっと探していたところ、この本を発見したというわけです。
歴史的な白黒写真の数々、そしてJames Portoというカメラマンによって撮影された現在のRockettesの写真が数多く掲載されていて、ヴィジュアル的にはかなり満足できる1冊でした。70年代後半から最近までの数々の舞台衣裳を着たRockettesの皆さんのポートレートが70数枚掲載されているのは、やはり圧巻。Rockettesの衣裳のスタイルブックのような出来上がりとなっています。Vincente Minnelli(つまりJudy Garlandの旦那様で、Liza Minnelliのお父上)は、Radio City Music Hallの最初の衣裳デザイナーであり、セットデザイナーであったということですが、その後も、このRockettesの衣裳デザインには、Bob Mackie(表紙の衣裳は彼のデザインです)やErtéというデザイナーたちが関わっているそうです。また、”A Dance Through Time”というサブタイトルがついているだけあって、20年代から現在まで、Rockettesがいかに激動する歴史のなかで時代に適応し、今日まで愛されてきたのかが、歴史的な写真とともに読み取れて、それも楽しかったです。 また舞台写真だけでなく、アール・デコ調のホールロビーでポーズをとるRockettesの写真も多くあって、そちらも素敵でした。
OZの日本版Rockettesの青山さんたちのダンスを思い出してみてもわかりますが、Rockettesのダンスのキーワードは、“a team of dancers moving as one”ということなのだそうです。Ziegfeld Folliesにインスパイアを受けていたRockettesの創始者、Russell Markertは、どんなに複雑なルーティーンをしようとも、そこに絶対的な精確さと一体感を求めたのだそうで、そこで大きな役割を果たすと考えられたのが華やかなお揃いの舞台衣裳だったそうです。そういえば、日本版OZで、Rockettesの皆さんが横一列に、赤と銀色のスパンコールの衣裳で、ステップを踏みながら、勢ぞろいするあのシーンも、圧倒的な華やかさを醸し出していました。ダンスに一体感を出すために欠かせないのが、お揃いの衣裳。でもその一体感を完成させるために、総勢36人のRockettes、そのひとりひとりに、3回ずつフィッティングが行われ、微調整が行われてゆくのだとか。次のショーのお稽古、上演中のショーへの出演の合間にスケジューリングされる舞台衣裳のフィッティング、これはRockettesにとって、欠かすことのできない仕事のひとつだそうです。
そして先ほども述べたとおり、Rockettesの舞台衣裳のデザインには、Vincent Minnelliをはじめとして、多くの著名なデザイナーが関わっているということですが、ブロードウェイの舞台衣裳デザイナーであるJames Morcom,John William Keck,Marco Montedoro,Frank Spencerなどの名前も挙げられていました。数々のデザイナーたちが作り上げてきたRockettesの舞台衣裳も、演目に沿って、デザイナーそれぞれの個性が表現される一方、時代の流れを受けて変化を遂げてきているようです。例えば、ヘムライン。OZの日本版Rockettesが着ていた衣裳のラインも、いわゆる「ロケットダンス」の衣裳の王道を行くようなものでした。今回ご紹介したこの本を読んでいても、掲載されている衣裳のヘムラインは、ほとんどが日本版Rockettesと同じようなもの。しかし、このような形が一般的になったのは、60年代に入ってからなのだそうです。30年代、40年代には、ダンサーの衣裳も、トラディショナルなボクサーショーツのようなものが多かったそうです。やがて、50年代を経て、60年代のビキニブームが席巻する頃になり、Rockettesもそんな時代の趨勢に合わせて、キックの高さとヘムラインを徐々に上げていったのだそうです。また同じく60年代の宇宙開発時代には、Rockettesの舞台衣裳にも、宇宙飛行士をテーマにしたものが登場したとか。その一方で、時代が変わっても30年代と変わらないのが、Christmas Spectacularの、おもちゃの兵隊さんのコスチューム。こちらはVincent Minnelliによるデザインを踏襲しているということで、1着制作するのに12時間かかるそう。観る側にとっては大変魅力的でも、かなり複雑な構造を持っているこの衣裳を着て、木で作られているような動きをするのは、かなり大変なことだそうです。
1925年に16人のダンサーがRussell Markertによって集められ、”Missouri Rockets”としてSt.LouisでスタートしたRockettes。同じ年に、ニューヨークに進出した彼らは、ブロードウェイのショー、”Rain or Shine”で好評を博し、観客の期待に応えるために、さらに二つのダンスグループが結成され、The Roxy Theaterで踊ることになったのだそうです。グループの名前も、彼女たちをニューヨークで発見したS.L.“Roxy”Rothafelにちなんで、“The Roxyettes”と改名、30~36人のダンサーによって構成されることになったそうです。そして、1932年12月27日、Radio City Music Hallのオープニングナイト。新しい劇場の歴史的な誕生とともに、彼女たちのショーも新たなデビューを飾ることとなりました。19のショーが5時間にもわたって繰り広げられたオープニングナイトには、Martha Grahamも出演したそうです。1934年には、いよいよ“The Radio City Rockettes”と改名。このホールで行われる新作ハリウッド映画のプレミアに合わせて、15分間のショーで踊る形式が出来上がっていったようです(1979年まで続いたそうです)。大戦中には、米軍基地も訪ね、50年代のテレビ時代の到来に合わせて、テレビデビューも果たしましたが、多忙を極める彼女たちに合わせて、Radio City Music Hallの裏手には、寮が完備されたのだとか。その後もRockettesは、各方面で活躍、1988年には、スーパー・ボールのハーフタイムショーにも登場したそうです。
アメリカの歴史とともに歩んできた、時代を感じさせるRockettesの数々の写真。そしてさきほどもふれたJames Portoによる現在のRockettesひとりひとりを撮影した舞台衣裳の写真。お揃いの舞台衣裳に身を包み、”a team of dancers moving as one”として踊ることを、常に厳しく求められるというRockettesですが、それらの写真の1枚1枚を眺めていると、 “dancers”としての彼女たちではなく、“a dancer”としての彼女、そのひとりひとりの夢の軌跡が無数に見えてくるかのようです。『ボーイ・フロム・オズ』では、Radio City Music HallでRockettesと歌って踊ることが、小さい頃からの夢であったということが、ピーターによって語られます。そのピーターを囲んでいたThe Radio City Rockettes、そんな彼女たちひとりひとりの夢が、語りかけてくるのが聞こえてくる気がする・・・、そんな1冊でした。


2005年のOZ初演、そして、昨年の再演のときからずっと気になっていたのが、Rockettesのことでした。(Radio City Music HallとRockettes、日劇のことについて書いた記事はコチラです。)日本版OZでは、第2幕第4場で、青山さんたち男性アンサンブルの方々も華やかな衣裳に身を包み「女装」して、女性アンサンブルの皆さんと同様に、白い燕尾服姿のピーターを囲んで、華麗なロケットダンスで魅了してくれました。(BW版では鏡を多用して、女性ダンサーを多数に見せるという演出だったのですよね。)昨年OZ関連の記事を書くときにも、Radio City Music HallのHPで、Rockettesの歴史などについて読んでみたりしたのですが、もっと写真などが多く掲載されていて、詳しく書いてある本はないかな、とずっと探していたところ、この本を発見したというわけです。
歴史的な白黒写真の数々、そしてJames Portoというカメラマンによって撮影された現在のRockettesの写真が数多く掲載されていて、ヴィジュアル的にはかなり満足できる1冊でした。70年代後半から最近までの数々の舞台衣裳を着たRockettesの皆さんのポートレートが70数枚掲載されているのは、やはり圧巻。Rockettesの衣裳のスタイルブックのような出来上がりとなっています。Vincente Minnelli(つまりJudy Garlandの旦那様で、Liza Minnelliのお父上)は、Radio City Music Hallの最初の衣裳デザイナーであり、セットデザイナーであったということですが、その後も、このRockettesの衣裳デザインには、Bob Mackie(表紙の衣裳は彼のデザインです)やErtéというデザイナーたちが関わっているそうです。また、”A Dance Through Time”というサブタイトルがついているだけあって、20年代から現在まで、Rockettesがいかに激動する歴史のなかで時代に適応し、今日まで愛されてきたのかが、歴史的な写真とともに読み取れて、それも楽しかったです。 また舞台写真だけでなく、アール・デコ調のホールロビーでポーズをとるRockettesの写真も多くあって、そちらも素敵でした。
OZの日本版Rockettesの青山さんたちのダンスを思い出してみてもわかりますが、Rockettesのダンスのキーワードは、“a team of dancers moving as one”ということなのだそうです。Ziegfeld Folliesにインスパイアを受けていたRockettesの創始者、Russell Markertは、どんなに複雑なルーティーンをしようとも、そこに絶対的な精確さと一体感を求めたのだそうで、そこで大きな役割を果たすと考えられたのが華やかなお揃いの舞台衣裳だったそうです。そういえば、日本版OZで、Rockettesの皆さんが横一列に、赤と銀色のスパンコールの衣裳で、ステップを踏みながら、勢ぞろいするあのシーンも、圧倒的な華やかさを醸し出していました。ダンスに一体感を出すために欠かせないのが、お揃いの衣裳。でもその一体感を完成させるために、総勢36人のRockettes、そのひとりひとりに、3回ずつフィッティングが行われ、微調整が行われてゆくのだとか。次のショーのお稽古、上演中のショーへの出演の合間にスケジューリングされる舞台衣裳のフィッティング、これはRockettesにとって、欠かすことのできない仕事のひとつだそうです。
そして先ほども述べたとおり、Rockettesの舞台衣裳のデザインには、Vincent Minnelliをはじめとして、多くの著名なデザイナーが関わっているということですが、ブロードウェイの舞台衣裳デザイナーであるJames Morcom,John William Keck,Marco Montedoro,Frank Spencerなどの名前も挙げられていました。数々のデザイナーたちが作り上げてきたRockettesの舞台衣裳も、演目に沿って、デザイナーそれぞれの個性が表現される一方、時代の流れを受けて変化を遂げてきているようです。例えば、ヘムライン。OZの日本版Rockettesが着ていた衣裳のラインも、いわゆる「ロケットダンス」の衣裳の王道を行くようなものでした。今回ご紹介したこの本を読んでいても、掲載されている衣裳のヘムラインは、ほとんどが日本版Rockettesと同じようなもの。しかし、このような形が一般的になったのは、60年代に入ってからなのだそうです。30年代、40年代には、ダンサーの衣裳も、トラディショナルなボクサーショーツのようなものが多かったそうです。やがて、50年代を経て、60年代のビキニブームが席巻する頃になり、Rockettesもそんな時代の趨勢に合わせて、キックの高さとヘムラインを徐々に上げていったのだそうです。また同じく60年代の宇宙開発時代には、Rockettesの舞台衣裳にも、宇宙飛行士をテーマにしたものが登場したとか。その一方で、時代が変わっても30年代と変わらないのが、Christmas Spectacularの、おもちゃの兵隊さんのコスチューム。こちらはVincent Minnelliによるデザインを踏襲しているということで、1着制作するのに12時間かかるそう。観る側にとっては大変魅力的でも、かなり複雑な構造を持っているこの衣裳を着て、木で作られているような動きをするのは、かなり大変なことだそうです。
1925年に16人のダンサーがRussell Markertによって集められ、”Missouri Rockets”としてSt.LouisでスタートしたRockettes。同じ年に、ニューヨークに進出した彼らは、ブロードウェイのショー、”Rain or Shine”で好評を博し、観客の期待に応えるために、さらに二つのダンスグループが結成され、The Roxy Theaterで踊ることになったのだそうです。グループの名前も、彼女たちをニューヨークで発見したS.L.“Roxy”Rothafelにちなんで、“The Roxyettes”と改名、30~36人のダンサーによって構成されることになったそうです。そして、1932年12月27日、Radio City Music Hallのオープニングナイト。新しい劇場の歴史的な誕生とともに、彼女たちのショーも新たなデビューを飾ることとなりました。19のショーが5時間にもわたって繰り広げられたオープニングナイトには、Martha Grahamも出演したそうです。1934年には、いよいよ“The Radio City Rockettes”と改名。このホールで行われる新作ハリウッド映画のプレミアに合わせて、15分間のショーで踊る形式が出来上がっていったようです(1979年まで続いたそうです)。大戦中には、米軍基地も訪ね、50年代のテレビ時代の到来に合わせて、テレビデビューも果たしましたが、多忙を極める彼女たちに合わせて、Radio City Music Hallの裏手には、寮が完備されたのだとか。その後もRockettesは、各方面で活躍、1988年には、スーパー・ボールのハーフタイムショーにも登場したそうです。
アメリカの歴史とともに歩んできた、時代を感じさせるRockettesの数々の写真。そしてさきほどもふれたJames Portoによる現在のRockettesひとりひとりを撮影した舞台衣裳の写真。お揃いの舞台衣裳に身を包み、”a team of dancers moving as one”として踊ることを、常に厳しく求められるというRockettesですが、それらの写真の1枚1枚を眺めていると、 “dancers”としての彼女たちではなく、“a dancer”としての彼女、そのひとりひとりの夢の軌跡が無数に見えてくるかのようです。『ボーイ・フロム・オズ』では、Radio City Music HallでRockettesと歌って踊ることが、小さい頃からの夢であったということが、ピーターによって語られます。そのピーターを囲んでいたThe Radio City Rockettes、そんな彼女たちひとりひとりの夢が、語りかけてくるのが聞こえてくる気がする・・・、そんな1冊でした。
