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路上の宝石

日々の道すがら拾い集めた「宝石たち」の採集記録。
青山さんのダンスを原動力に歩き続けています。

◆ROCKIN’ Broadway観劇レポ Part 2

2007-08-29 22:32:02 | ROCKIN' Broadway
さて、ROCKIN' Broadwayの観劇レポの続きです。
このあたりから、かなり記憶が断片的になっていますので、その点ご了承ください。

Seasons of Loveの次は、和央さんが雨に打たれながら歌われる迫力のあるシーンでした。ステージの上に実際に雨を降らせるなんていう演出、ライブコンサートではなかなか見られないような気がしますが、かなり大量の水が使用されていたような気がします。音楽を聴いた瞬間、「あっ、宝塚の曲・・・」と思ったのですが、どうやら『ファントム』の曲だったようです。冒頭では、ダンスシーンも少々入っていたように思います。途中から和央さんのソロだったような気がします。

そして、この次からがラテン・メドレー。まずは、Gloria EstefanのCongaに乗せて、華やかなダンスシーンが繰り広げられます。花總さんと女性ダンサーの皆さんが踊られるのですが、とにかくこのシーン、花總さんのキュートで非常に華のあるダンスが印象に残りました。Dancing Queenの花總さんも、とてもお綺麗で、遠くから拝見していても、「娘役の理想像」のようなオーラを感じて、ひたすら素敵だなあ、と思っていたのですが、このシーンでは、スカートの裾を翻しながら、動きのあるダンスで客席を魅了しておられました。客席はこの前半部分のダンスシーンで、既にかなり盛り上がっていたのですが、途中からは、なんと和央さんが、パイレーツ・オブ・カリビアン!?な感じの海賊ルックでご登場。さらにラテンなノリで大盛り上がりです。ただ、雰囲気的には、金髪のロングヘアーでしたので、ジャック・スパロウというよりは・・・、何と説明したらよいでしょう。和央さんの中性的で、ワイルドなムードが印象的で、花總さんとのダンスも素敵でした。Congaに続くラテン・メドレーの後半では、男性ダンサー陣も登場していましたので、青山さんファンとしては、この曲をカリビアンなムードで踊りまくる青山さんは是非観てみたかった、というのは正直なところあります。残念ながら、Congaのシーンでは、男性ダンサーの方々のダンスシーンはほとんどありませんでしたので。

続いては、Ricky MartinのLivin’ La Vida Loca。このあたりから、センターの和央さんを囲むようにして、待ってました!青山さんたち男性ダンサーの方々のご登場です。かなり動きのあるラテンなダンスを楽しめるシーンです。青山さんたち男性ダンサーの方々の衣裳もとても素敵です。やはり海賊の衣裳は、あれでないと!という衣裳だったと思います。同時にここは、パイレーツな和央さんがサーフィンをするという、あり得ない、でも何故かとても楽しい演出に、会場が和むシーンです。ステージ上のブルースクリーンの前に、ラテンなダンスを踊っていた青山さんたちが、突然サーフボードなどをセットし始める様子が、笑えます。このサーフボードにひょいと和央さんが飛び乗り、ポーズをとり始めると・・・。バックの大スクリーンに、「ビッグ・ウェンズデー」さながらの大波に乗るパイレーツな和央さんが映し出されるというしかけです。このシーンのあまりの唐突さに、笑ってしまったために、すみません、このあたりの記憶がかなりあやふやです。DVDの映像を楽しみにしたいと思います。それからこのあたり、またはこの曲のちょっと前のあたりで、和央さんがカメラマンの方を連れて、高さのあるところに上がられて、バーにつかまったと思ったら、その「台」がかなりのスピードで回転しだすというスゴイ演出もありました。スクリーンに映し出される映像を見ていると、客席に座っていながらも、和央さんの感じておられるであろう「遠心力」を感じてしまうという、非常に迫力のあるシーンでした。

お次は、フランク・ワイルドホーンさん作曲によるVIVA!。今回のコンサートのパンフレットには、曲目が掲載されていなかったのですが、唯一、この曲の歌詞だけは、掲載されていました。開演前にパンフレットを眺めていたところ、“Lyrics by Yoka Wao”の文字が眼に飛び込んできて、どんなメロディーの曲なのか、非常に楽しみにしていました。勝手に、ワイルドホーンさんの楽曲は、オーソドックスなバラードであろう、と決め込んでいたので、スパニッシュなアコースティックギターの音色が非常に美しいイントロが流れ始めたときは、一瞬意表を突かれたかたちでした。けれども、ラテン調に展開するワイルドホーンさんによる美しいメロディーラインと、ファンの皆さんに向けて書いた、という和央さんの熱い気持ちが込められたことばが、とても心地よく響き渡りました。また心のこもった振りとともに、会場が一体感に包まれるという素敵なシーンでした。

そして、この後はいよいよ「たかこの部屋」へと突入です。「笑点」のテーマソングをロック調にアレンジしてみたら、妙にはまってしまったのだそうで、和央さんは海賊ルックのまま、イスに腰掛け、トークがスタートです。遠くから拝見していても、和央さんは確かに「男前!」なオーラを発しておられ、ステージも中盤に差し掛かったこの頃には、私も思わず「和央さん」ではなく、「たかこさん」とお呼びしたいくらいでした。私が観た日は初日だったのですが、この日の質問は、「初日のステージの幕が開いたときは、どんな気分ですか?」というようなものだったと思います。それに対して、たかこさんは、「やるっきゃない」というようなお答えをされていたと思います。また、コンサートグッズの企画の裏話も非常に楽しく、たかこさんに親近感を持ってしまいました。

それで、この後は、再びステージです(多分こんな展開だったと思います・・・)。白を基調にしたステンドグラスのような豪華なセットが登場したと思ったら、その前で、一組の男女のペアが登場し、ダンスが始まります。仮面舞踏会のようなマスクをつけていて、衣裳も白を基調にしたものです。幻想的で素敵なダンス!と思ったら、右側で踊っておられるのが、青山さんでした。ここの部分、時間にしたら短かったと思いますが、まるでオルゴールのお人形のようなダンスでとても素敵でした。次々とステンドグラスの扉が開いていくと、最後に和央さんと花總さんがご登場です。おふたりのデュエットダンスに会場は、溜息の連続といった感じでした。そして、このあたりで再びワイルドホーンさん作曲による、和央さんと花總さんのデュエットソングMy Only Prayerが入ったと思います。VIVA!とはまた雰囲気がガラリと変わるこちらも、ロマンティックで素敵な曲でした。「ゴールデンコンビ」のおふたりの素晴らしさをしみじみと感じました。

この後、ステージは暗転。All That Jazzの、あの悩ましげなイントロが聞こえたかと思うと、暗闇に包まれた会場を、紫色のライトが照らし始めます。本当にAll That Jazz!?いよいよFosseな青山さんを観られる!?と期待と興奮は最高潮に達し・・・。そして、本格的に曲が始まると、もうあとはただただステージに引き込まれるだけでした。ヴェルマな和央さんに、Cell Block Tangoをイメージさせる女性ダンサー陣、そして一際艶やかな青山さんたち男性ダンサー陣。そのなかでも青山さんがとにかく光っていました。青山さんの何がどうだったか、それをどう説明しようか、と本当に悩んでしまうわけですが、例えば、両腕を顔の高さぐらいで外向きに、カクンと折り曲げたときの、肩から肘、そして手首のあたりの、何ともいえない艶っぽさ。某サイトで見られるBig Dealのダンスシーン冒頭部分で、手首をカクンと折り曲げてポーズとるところがありますが、ああいう振りをするときの、青山さんのカッコよさと言ったら、もうただ「見てください」としか言えません。とにかく、このシーンは、「あ、私は今日これを観るために劇場に来たんだわ」と思ってしまう、そういう至福の瞬間が連続してゆくシーンでした。今回は、ライブ・コンサートということで、CHICAGOからの1シーンと言っても、もしかしたら、多少さっぱりめの振り付けだったのかもしれませんが、それでも、青山さんのダンスから漲るAll That Jazzなオーラは、やはり素晴らしかったです。いつの日か、FOSSEの世界を本格的に踊る青山さんを、この眼で観たい!心の底からそう思ったシーンでした。それから、勿論このシーンの和央さんも素晴らしかったです。今回のコンサートでは、色々なジャンルの曲を歌われていますが、やはりこうしたミュージカル・ソングを歌うときの和央さんの歌声は、素敵ですね。女性役としての圧倒的な存在感を示しながら、All That Jazz~♪と歌い上げるところなどを聞いていると、どうしたってミュージカルファンとして、あの曲も聴きたい、観たい~、と欲が出てしまいます。そして話題になっているこのシーンのラスト。ガウンを脱ぎ捨てたヴェルマを観ることができたのは、ほんの一瞬でしたが、和央さんのあの長い手足を生かした、女役としてのダイナミックなダンスを観てみたい、そんなことを思いました。

そしてこのあたりで、ABBAのDancing Queenであったように思います。パンフレットに掲載されている花總さんのお写真も、ストレートなヘアスタイルで、エキゾチックな雰囲気が醸し出されていて、とても素敵なのですが、ピンクの衣裳に身を包んだ、クレオパトラのような雰囲気の花總さんの美しさが際立っていたのが、このシーンでした。話題になっているように、青山さんたち男性ダンサー4人が担ぐお輿に、花總さんが乗って、会場右手のドアからご登場、客席の間を通り、ステージまで行かれるのですが、遠くから見ていても、本当に神々しいぐらいの美しさ。さらに、Dancing Queenを歌い上げる美声に、しばしのあいだ酔いしれました。Congaのときや、ジーンズをはいて歌われるときの愛らしさやかわいらしさとは違う、花總さんの魅力が満開のシーンでした。

この後は、バックに控えているバンドの方々も登場して、賑やかなROCKコンサートのノリで盛り上がりました。タオルを首にかけて、和央さんもマイクスタンドを握り締め、バンドのギターの方とノリノリで盛り上がります。ROCKな感じの曲が2曲ぐらいあったでしょうか。そのうちの1曲は、おそらくRENTだったと思います。ロックン・ロールな歌は、日本語で歌うとかなり印象が変わるので、ライブ中は、聴いたことあるけど、この曲なんだっけ・・・、な感じでした。バックコーラスのお三方の迫力ある歌声が非常に印象に残りました。そして、このあたりになると、曲順がかなりあやふやなのですが、Boys Town GangのCan’t Take My Eyes Off You(「君の瞳に恋してる」)が入ったと思います。和央さんと花總さんに、ダンサーの方々も加わり、歌にダンスで盛り上がります。巨大なミラーボールのようなものも飛び出して、これを青山さんたちが客席に投げ、お客さんたちとコミュニケーション。3月の『TOMMY』のPinball Wizardのようなノリに近かったでしょうか。ダンサーの方々も客席に降りてきてくださって、皆さんノリノリでした。

そして、ここからは和央さんの代表曲メドレーということで、しっとりと落ち着いた雰囲気になっていきました。Never Say Goodbyeと、もう1曲(One Heartという曲だそうです)が披露されていました。実際に劇場で聴く和央さんのNever Say Goodbyeは、やはり素晴らしかったです。歌の途中、ステージ上へと高くセリ上がっていくところがあるのですが、このセリの幅が非常に狭いもので、まるで和央さんが、天高く昇っていくように見えるんです。曲の盛り上がりとともに、高く高く昇っていく様子が、とてもドラマティックでした。また、和央さんが、2階客席を歩きながら歌われるという演出もあり、会場は非常に沸いていました。このとき、楽屋を出て会場に登場するまでの様子が、スクリーンに映し出されるのですが、この映像がとても楽しいものでした。この映像のあたりから、裾を膝下ぐらいまでロールアップしているジーンズを和央さんははかれているのですが、とにかく和央さんはジーンズ姿がよくお似合いになるんです。まさに「永遠の少年」。青山さんたちダンサーの皆さんもステージに大集合し、WINGとVIVA!を歌って踊って、フィナーレという流れだったと思います。

最後は、出演者の方々勢ぞろいのカーテンコール。和央さんと青山さんの絡みは、会場の笑いを誘っていました。とても楽しそうだったので、全回見てみたかったなあ~。とにかく、いろいろなジャンルの曲を踊っている青山さんを観られたことが、今回はとてもうれしかったですし、オープニングからフィナーレまでエンターテインメントな雰囲気が溢れていて、楽しいライブでした。「ゴールデンコンビ」といわれる和央さんと花總さんのステージも劇場で初めて体験することができ、宝塚時代のおふたりのご出演作もじっくりと観てみたい、そんなふうに思いました。同時に、これからのお二人のご活躍が、一ミュージカルファンとしてとても楽しみになったことも事実です。

DVDが発売されるかも?という安心感と、純粋にライブな空間を楽しんでしまった、ということがあり、かなり頼りない記憶を元にして書いたレポで申し訳ありませんが、どうぞご了承ください。衣裳やセット、曲順、そして青山さんのダンスの雰囲気など、どなたかファンの方でご覧になった方がいらっしゃいましたら、どこかでレポしていただけると、とてもうれしいです。いつも「詳細レポ」を書きながら、ステージをご覧になった方々は、それぞれどんなふうにご覧になっているのかなあ、と思っております。

◆ROCKIN' Broadway観劇レポ Part 1

2007-08-23 01:02:44 | ROCKIN' Broadway
さて、NEW YOKA 2007 ROCKIN’ Broadway、まさに「真夏の祭典」ともいうべきライブ・コンサートで、大いに盛り上がって楽しませていただきました。これまで、青山さんのダンスに出会ったことがきっかけとなり、ミュージカルを観ることが多かった私でしたが、今回はライブ・コンサートということで、新たな刺激とパワーをたくさん与えてもらえたような気がしています。新しい魅力で輝く青山さんにもたくさん出会うことができ、また青山さんがこれからどんなふうに活躍されていくのか、スポットライトのあたるステージでいきいきと踊られている青山さんを客席から観るたびに、そんなうれしい想いが湧いてくるのを感じるライブ・コンサートでした。

オープニングは、ステージ両側に設置してある大スクリーンに、どこかへ向かってゆっくりと歩き始める和央さんの映像が映し出されます(←和央さんもまさにスタンバイ完了!といった感じで、この映像を見ながら観客のボルテージも上がっていきます)。皆さんおっしゃるように、ここからしばらくはまさに「マトリックス」な近未来的イメージでしょうか。この映像の展開と、ステージ上のオープニングが、うまくリンクして、実際に舞台中央奥に和央さんが現れる頃には、観客の期待と興奮も最高潮。いよいよ登場した和央さんを、青山さんたち4人のダンサーが迎えに行くというような始まり方だったと思います。

舞台前方には、金属のバーのように見えるキラキラ光るメタリックなテープのようなものが、等間隔で垂れ下がっていて、1曲目は、このストライプの間からダンスを垣間見るという感じです。このテープのようなものが照明を反射して、ちょっと舞台に雨が降っているようにも見えたりして、とてもドラマティックな幕開けです。この1曲目は、聞いたことがあるものでしたが、タイトルはわからず(←Love Stonedという曲だそうです、皆様のブログをあちらこちら拝見しましたら、わかりました。ありがとうございます)。でも、このストライプの向こうに見えるダンサーの動きが生み出すシルエットが、とてもきれいです。モノトーンでまとめられた衣裳が余計にそのことを感じさせるのでしょうが、中でもセンターの和央さんのすぐ横で踊られている青山さん、最初から抜群の存在感。別にこれは目立ちすぎているということではなくて、リーディング・ダンサーとして、ダンサー全体の動きに流れをつけているように見える感じがするんです。センターの和央さんと、そのそばで踊っている青山さんを、ひとつの視界の中で観られれば、この上なくカッコいい素敵な絵となります。これは、この曲に限ったことではないのですが、青山さんのダンスには、キレと、よい意味での崩しのようなものが見事に同居しているような気がして、動きのなかのちょっとした細部から、余裕というか、風格というか、洒落た遊び心というか、そういうものが、遠くから見ていても伝わってくる気がしました。このシーンでは、このストライプの幕のせいで、ステージパフォーマンスの全貌がはっきりと見えるわけではないのですが、ビートを刻むこの曲の雰囲気と合わせると、コクーンの中で何かが鼓動しているようなイメージで、何かが始まろうとしているオープニングの雰囲気が伝わってきました。

2曲目、こちらも聞いたことがあるのに、タイトル思い出せず・・・。(←Larger Than Lifeという曲だそうです。)今回は、聞いたことがる!のに、タイトルを思い出せない曲がこんなふうに少しありました。また、多くの曲がかなり意訳してあるもののような気がしたので、ちょっと原曲とイメージが違ったり、メロディーはわかるのだけれど、歌詞が日本語なので、「・・・なんだっけ、この曲?」と咄嗟に思ってしまう曲があったかもしれません。でもステージ上の熱いダンスと歌に、すっかりそんなことは忘れて、楽しんでしまっている自分がいました。それで、この2曲目(のはじめあたり?)からは、さきほどのストライプの幕が開いて、内側からいよいよ和央さん、そして青山さんたちダンサーの皆さんが一気にブレイク!という感じで飛び出してきます。1曲目に比べて動きのあるダンスで、和央さんはところ狭しとダンサー陣を従えて歌って踊ります。オープニングからこのシーンでは、男性・女性ダンサーの皆さんが同じ衣裳を身に着けています。全身黒一色の衣裳に身を包み、非常に長身でスタイルのよい和央さんを、バックダンサーの皆さんが囲んで踊るわけですが、やはり群舞でダイナミックな振りで魅せてくれるこうしたシーンは、ライブコンサートのダンスシーンならではの迫力があって、客席も非常に盛り上がっていたように思います。オープニングからこのあたりまでの一連の流れを見ていると、MTVのPVのような雰囲気だなあ、なんて思ったりすることもありました。個人的には、Janet JacksonのRhythm Nationとか、あのあたりのものを思い出しました。でも、ダンスはあれほどカクカクしたものではなく、もっと滑らかというか、そういう感じなのですけれど。どういうふうに説明したらよいですかね~。

それから、このあたりから曲の順番があやふやなのですが、Billy JoelのMovin’ Outもありました。和央さんがソロで歌われるシーンだったのですが、背景のスクリーンには、Broadway(?)をハーレーのようなバイクで突っ走る和央さんの映像が映し出されます。映像の和央さんは、黒いサングラスに、さきほどの黒い衣裳を身に着けておられるお姿で、ビジュアル的に、ROCKな印象です。コンサートの後半では、ロックな曲も披露されましたが、冒頭のこの曲、個人的には、今回のライブ・コンサートのROCKIN’ Broadwayなイメージを音的にも、ビジュアル的にも伝えてくれるものだったような気がしました。実際にステージ中央で歌われる和央さんと、映像の中の和央さんのイメージが重なって、”NEW YOKA”な感じが醸し出されていて、素敵だなあ、と思いました。このシーンも含めて、映像と実際の舞台での動きが、DVDでどんなふうに編集されるのか、とても楽しみです。

そして、印象深かったのが、RENTのSeasons of Loveです。和央さん、青山さんたちアンサンブルの皆さんに、花總さんも加わって、名曲を歌い上げます。まさか、この名曲を歌って踊る青山さんを、劇場で拝見できるとは思っていなかったので、ファンとしてとてもうれしかったです。「ダンス」ということでも、「男性」ダンサーが入ることで、宝塚時代とは一味も二味も違うステージの雰囲気が生まれるのだと思いますが、「歌」ということでも、きっとそのことはあてはまるのではないでしょうか。皆さんのハーモニーがとても美しく、シンプルな歌詞の世界が、青山さんをはじめとして、皆さんそれぞれの振りとともに、伝わってきました。ダンスする青山さんの魅力は、これまでもたくさん書いてきましたが、歌を歌われるときの青山さんも、昨年から数多く拝見してきましたが、本当に輝いていて素敵だなあ、と心から思います。そして、このシーンで感動したのが、花總さんの美しい歌声と華やかな存在感でした。和央さんのステージでの存在感も素晴らしいですが、「ゴールデンコンビ」といわれるおふたりの素晴らしさというものを、劇場で実際に感じることができて、本当によかったなあ、と思いました。


今回のライブ・コンサートでは、幅広いジャンルから選曲されていましたが、やはりミュージカル作品からのものが多かったですね。
ひとつの作品としてミュージカルを楽しむのもよいですが、今回のように、様々な名曲を集めて聞かせてもらえるだけでなく、「見せて」もらえるようなエンターテイメントショーも素敵だなあ、と思います。
・・・ということで、名曲揃いのこれらのアルバムを、只今リピートしながら、DVD発売を楽しみにしているところです。




◆ROCKIN’ Broadway DVD発売日について

2007-08-20 20:19:50 | ROCKIN' Broadway
遅くなりましたが、ROCKIN’ Broadway千穐楽おめでとうございます。観劇レポの前に、まず、ROCKIN’ Broadway DVD発売日のお知らせです。前回の記事で、DVD発売の件についてふれましたが、帰宅後急いで記事を書き始めたために、会場で配布されていたチラシに掲載されていた情報を見落としておりました。大変申し訳ございません。
もうどこかで情報をキャッチされている方もおられるかもしれませんが・・・、

今回のNEW YOKA 2007 ROCKIN’ BroadwayのDVDは、11月7日(水)に発売されるということです。

チラシ掲載の情報によりますと、

定価8400円(税込)
発売・販売元 キョードー東京(お問い合わせは、03-3498-9999)
収録時間 約120分

東京国際フォーラム・ホールAの3日間4回公演、記録的な動員のスーパーステージをハイビジョンカメラ収録による迫力ある映像でDVD化!!
更に、コンサートの完全再体験を深める為に、「メイキング映像集」「全公演トーク集」などを映像特典として収録、何度でも見返せるDVDコレクションとなります。
(著作権上の理由で場合によっては収録できない楽曲もございます。予めご了承ください。)

とのことです。(チラシより引用)

『SHOW店街組曲』に引き続き、青山さんご出演のステージのDVD化、ファンにとっては、うれしい秋の特大プレゼントになりそうです。
ライブで演出上使用された映像もかなり凝ったものでしたし、リアルタイムでスクリーンに映し出された映像もとても素敵でしたので、どんなふうに編集されるのか、とても楽しみです。
満員のフォーラムAの熱気と感動がよみがえるかと思うと、今から発売日が待ち遠しいです。

ROCKIN' Broadway観劇レポは、またのちほど・・・、もう少々お待ちください。

◆ROCKIN’ Broadway初日おめでとうございます。

2007-08-18 01:37:10 | ROCKIN' Broadway
さて、いよいよ本日(もう既に昨日のことになっていますが)、待ちに待ったROCKIN’ Broadwayが開幕ということで、早速、東京国際フォーラムホールAに初日のステージを観に行ってまいりました。ホールCは、昨年1月の『グランドホテル』で体験していますが、ホールAは初めて。座席数5012席の大ホールは一体どんなものなのか!?と、ちょっとドキドキしながら会場へ・・・。確かに幅も広くて大きいし、最後部席からステージへの距離も、これまでのミュージカル公演では体験したことのない遠さ。しかし、ライブコンサートならこれぐらいは当たり前だし、大きい会場でないと生まれないノリもあるし・・・、などと思いながら会場に入っていきました。その瞬間に眼に飛び込んできた、見るからにスケールの大きそうな舞台装置に、これは盛り上がるコンサート、と言うよりライブになるのではないか、という非常にイイ予感に包まれました。

舞台前方には薄い幕(専門的に何という名前なのかわかりません~)が下りていて、開演前には、そこに映像が映し出されています。勿論、ステージの両サイドには、ライブコンサートには必須の超大型スクリーン。オペラグラスを持参しましたが、このスクリーンのおかげで、オペラグラスを使う必要はあまりありませんでした。開演前の会場の雰囲気は、3月の『TOMMY』にちょっと似ていたような気もします。開演後の舞台装置のスケールからすると、『TOMMY』のときよりももっと動きのスケールの大きいもので、確かに「スペクタクル」な感じがします。1階および2階後方席でも十分楽しめるものだったように思います。まだ初日なので、あまりネタバレできませんが、「ああいう感じ」のステージで踊る青山さんを観るのは、やはり今回が初めてであるように思います。

またライブコンサートということで、開演前には音楽も流れていて、その音楽の雰囲気からすると、開演後のステージの音楽も、いわゆるROCKという狭いジャンルではなさそう?なんて思っていたら、やはり幅広いジャンルの音楽が選曲されていました。しかも音楽もライブなものなので、とても盛りあがっていました。(バンドの皆さんが後方にスタンバイしていて、シーンによってこのステージ後方のバンドスペースが見えるようになります。)ちなみに、今日の開演直前最後の曲は、Michael Jacksonの”You’re Not Alone”のハウス系にアレンジされた曲でした。一応、大昔マイケルファンでした(笑)。それで、青山さんファンとして気になっていたのが、「音楽」です。どんなミュージカルから、どんな曲が選曲されているのか、そして、どんなアレンジで・・・?さらに、一番気になる「ダンス」はどんな感じ?こちらもたくさんお話してしまいたいですが、やはりまだ初日。ちょっとネタバレはできません。やはり、アッと驚くあの曲が、驚きの演出で!というのが、今回のROCKIN’Broadwayだと思いますので・・・。ミュージカルソング(イントロ聞いた瞬間に、ほらほら来た来た来た~♪と思ったあの曲も!)、ポップス、ロック、ラテン、ストリート系、宝塚時代の和央さんの曲、そしてワイルドホーンさん作曲の2曲など、とにかく色々なジャンルから選曲されています。

そして、オープニングから、青山さん、とても素敵に踊られています!和央さんのすぐ横の位置ですのでご注目!今回の私の席は、おそらく青山さんの舞台を観劇したなかで、最もステージからは遠い席だったと思いますが、やはり青山さんは、遠くからでも、舞台にご登場した瞬間に肉眼で見ていてすぐわかります。これは、私の眼がいいとか、全くそういうことではなくて、青山さんのステージでの独特の存在感のゆえなんですよね。そのことは、今回のステージ・パフォーマンスを観ていて、つくづく感じました。動きのある振りの激しいダンスを踊られていなくても、逆にゆったりとした動きをされたときなど、本当に何気ないちょっとした動きなのですけれど、何と言うか、本当に遠くからでも「表情」がにじみ出ているのがわかって、こちらに伝わってくるものがあるんです。例えば、ダンサーの方々が舞台全体に散らばっていて、その後クルリと客席に背を向けて、皆さんが中心にギュッと集まっていくときとかの後姿。ダンスの振りの中で、客席に背中を向けて、目標の立ち位置にただ歩いていくだけなんですけれど、ひたすらカッコいいんです。

他にも、曲によっては、あまり激しく踊らないで、ダンサーの方々がそれぞれに歌いながら、身振りで魅せるところもあるのですが、私にとっては初めて聞く曲もありましたが、やっぱりストーリーを感じさせてくれるんです。和央さんの素晴らしい歌声とともに、「歌の世界」が伝わってきました。結構、ライブコンサートで、初めて聞いた曲とかですと、私の場合、あまり曲に浸れないことが多いのですが、今回は、そんなこともなく、青山さんの姿を追いながら、聞き入ってしまいましたし、歌詞のことばが心地よく耳に入ってくる気がしました。「おどろんぱ!」は子供番組でしたが、2,3分で1曲のイメージを見事に伝えるというスゴイお仕事をされてきた青山さんの魅力を、至る所で感じてしまいました。

それで、青山さんファン的な今回のステージの見どころといったら、やはり様々なジャンルの音楽で踊る青山さんを観られるということに尽きると思います。そして、和央さんもMCで、男性ダンサーと踊ることについて若干お話されていましたが、和央さんのそばで踊る男性ダンサーとしての魅力が、やはりシーンごとにステージパフォーマンス全体を引き締めているように感じました。和央さんのイメージもシーンや曲調によって、衣裳とともにめまぐるしく変わります。それとともに青山さんたち男性ダンサーの方々の、男性らしさのアピールのしかたも変化していて、それぞれに素敵でした。ダンサーの方々の衣裳は、黒を基調にしたものが2パターンほど(?)、それからラテンのシーンのものも素敵でしたし、他にもいろいろとあります・・・。でもコチラに関しても千穐楽が過ぎてからにしたいと思います。

音響の機材、そしてカメラも入っていたので、DVD化すごく期待してしまいます。『TOMMY』のときも感じましたが、映像が演出に非常に効果的に取り入れられていて、楽しめました。コンサート全体の雰囲気も、ゴールデンコンビである和央さんと花總さんの魅力が溢れていて、宝塚時代のお姿を劇場で拝見したことがない、という私のような者でも、十分すぎるぐらいに楽しめるものでしたし、ミュージカルファンとして、今後のお二人のご活躍が非常に楽しみになりました。ダンスや歌ということだけでなく、ところどころに和央さんの気さくなお人柄の感じられるMCが入るのですが、これがとてもおもしろい内容で、素敵でした。また、ダンスシーンにもたまに「お笑い」とまではいかないのですが、楽しい演出があり、コンサート全体の展開に緩急があって飽きさせず、2時間があっという間に過ぎてしまいました。そしてあれだけの大会場であるのに、客席後方部分へのサービスもあって、オープニングからフィナーレまで非常に盛り上がっていました。まだまだおしゃべりしたいことがたくさんありますが、ネタバレしてしまうのはよくないと思いますので、今日はこのあたりで失礼いたします。

◆”I FEEL PRETTY” in the summer of 2007

2007-08-16 22:18:44 | ウエスト・サイド・ストーリー
明日いよいよ開幕するROCKIN’ Broadway、どんな演出で、どんな曲を見せてもらえるのでしょうか?8月22日号の『婦人公論』には、和央さんと萩尾望都さんの対談記事が掲載されています。「宝塚のゴージャスさとは違うけれども、宝塚のときにはやりたくてもできなかったスペクタクルなものをやろう、と。宝塚と同じことをやるなら、宝塚でやったほうがよっぽどきれいだと思うんで。」こんなコメントをうかがうと、とても期待が高まります。ブロードウェイミュージカル作品の音楽を、ROCKなアレンジで(でもワイルドホーンさんの曲もあるということは、ROCK調ということだけではなさそう、と解釈しておいたほうがよいのでしょうか?)、しかも、それを「スペクタクル」なものとして、あれだけの大会場で見せてもらえる・・・。どんなノリのライブ・コンサートになるのか、本当に楽しみです。和央さんや花總さんのファンの方々に負けないように、楽しんでこよう!今からそんなことを考えたりしています。

「ブロードウェイ」ということで、これまで青山さんが出演された作品、およびその周辺の作品からの曲が使われたら、ファンとして、それはとてもうれしいことですが、でもそのこと以上にブロードウェイ・ミュージカルの曲をROCKなアレンジで見せるという、ちょっと想像しにくい状況が、やはり何よりも楽しみです。ミュージカル作品を観たりしていると、ダンスシーンのための音楽でなくても、「あっ、これで踊っている青山さんを観られたら・・・」と思うこともあります。そんな曲や、クラシックで、オーソドックスなミュージカル作品の名曲でも、ROCKなアレンジを施せば、ダンス満載な曲になるのではないか?非常に単純な発想ですが、「おどろんぱ!」時代から踊りまくる青山さんをできるだけ多く観たい!とやかましく言い続けてきたファンとしては、ついついそんな期待をしてしまうわけです。しかも、今回は未だかつてないほどの規模の大会場でのライブ・コンサート。和央さんをはじめとして、バックダンサーの方々の動きは、2階最後部席の人までをノリノリにしてくれるような、かなりハードなものになるのではないか、と内心かなり期待しています。

そんなことを思いながら、これまでのご出演作品のCDなどを聴いていたのですが、この暑さのなかですと、ついつい繰り返し手にとってしまうのは、やはりWSS(『ウエスト・サイド・ストーリー』)のCDです。青山さんのタイガーを脳内再生するときの私のBGMは、以前から書いているようにBW版CD、とりわけその後半に収録されているSymphonic Dancesなわけですが、こうしてこの作品の音楽を聴いて改めて思うのは、WSSというのは、本当に「聴きどころ」満載の贅沢な作品なのだなということです。それで、そんな名曲すぎる「聴きどころ」を「見どころ」として観客の心に鮮やかすぎるぐらいに焼き付けたうえに、なおかつ「聴きどころ」として有名な数々の名シーンに劣らぬインパクトをダンスシーンに与えていた青山さんたちの仕事は、本当に素晴らしかったなあ、としみじみ思うわけです。3年経った今でも、タイガーが踊っていたPrologueからJet Song、The Dance at the Gym、Cool、QuintetからRumble、Somewhere、Gee,Officer Krupke・・・、と珠玉の名場面を少し思い出しただけでも、この夏の暑さを、心の中に沸き起こる熱さで制することができるぐらいかもしれません。

それで、そんな青山さんのタイガーを語り始めると、またいくらでも暴走できるので、それはまた別の機会にすることとして、今日は「聴きどころ」名シーンの中で、私がついつい繰り返し聴いてしまう曲、”I Feel Pretty”について書いてみたいと思います。2004年夏の少年隊版では、マリア役は島田歌穂さん、冬の嵐版では、宝塚の和音美桜さんでした。舞台をご覧になった方は、WSS第2幕冒頭、客電が消えて、オーケストラがこの曲を奏でる始めるときの、あの何ともいえない素敵な感じを覚えていらっしゃることと思います。第1幕最後は、Rumbleのシーンで、この緊迫感溢れる決闘の結果、JetsとSharksそれぞれのリーダーが死んでしまい、重苦しい空気に包まれて休憩時間に入っているために、第2幕のあの始まり方は、ちょっと一息つかせてくれるというか、沈んだ気持ちを一気に引き上げてくれるというか、そんな感じです。

しかし、Sharksのリーダー、ベルナルドを刺してしまったのは、マリアの愛するトニー。悲劇の結末へと一気に向かい始めることになる第2幕ですが、2幕冒頭のこのシーンで、トニーに会うために自分の寝室で心弾ませながら準備をするマリアは、愛する人が自分の兄を刺殺してしまったという恐ろしい事実を、まだ知らされていません。ただ愛する人との再会を心待ちにする16歳の少女の気持ちが、無邪気に歌い上げられていきますが、WSSの楽曲のなかで最も屈託のない明るい曲ではないでしょうか。映画版CDでは、ナタリー・ウッドの歌は、マーニ・ニクソンが吹き替えているそうですが、マリアの声は「16歳」であることを求められたそうで、その要求にすべて応えられそうでないナタリー・ウッドの代わりに、彼女が起用されたそうです。そんなエピソードを読んで、この曲”I Feel Pretty”を聞くと、もしかしてこれは一番「16歳らしさ」が求められている曲なのではないか、という気がしてきます。島田さん、和音さんお二人の歌唱はとても素晴らしく、またマリアとSharks女性陣が掛け合うようにして楽しい身振りをまじえて賑やかに歌い上げるのがとても魅力的だったこのシーン。非常に高さのある、文字通り「宙に浮いているような」2階寝室のセット上で歌い踊る様子が、悲劇を知らずにただ恋に歓喜するマリアと、そこに漂う一抹の危うさを視覚的にも印象付けているようでした。(昨年夏に観た来日版West Side Storyでは、このシーンは、1階の寝室セットの上で歌い踊るということになっていました。)

WSSでは、映画版と舞台版で、曲順が異なっている部分が数箇所ありますが、この”I Feel Pretty”もそのひとつ。BW版と映画版のCDを聴いただけでも、印象が異なりますし、シーンが帯びる意味も多少違ってきます。ただ、3年前にこの曲をじっくり聴くようになってから、私がずっと思っていたのは、この曲のジャズバージョンが聴きたい、ということでした。それ以来、まずOscar Peterson TrioのWest Side Storyに収録されているもの、Sarah Vauhnの名演などを聴いてきましたが、満足はするものの、やはり「コレ!」という決め手に欠けているような気がしていました。やはりあれだけのWSSです。ミュージカルの世界で感じたあの感動を上回るような、また違う感動を与えてくれる”I Feel Pretty”はないのかな~、と半ばあきらめていたのです。そんななか、ちょっと前に出会ってしまったのが、ソフィー・ミルマン(Sophie Milman)の”I Feel Pretty”。彼女の歌声を初めて聴いたのは、別の曲においてだったのですが、一声聴いて虜になった私は、早速他の曲も物色、彼女の”I Feel Pretty”にたどり着いたというわけです。つい先日も来日公演があって、そのライブに行ってみたのですが、外見は24歳なのに、歌い出せばとてもそうは聞こえない貫禄。”I Feel Pretty”自体は、ジャンルにこだわらなければ、いろいろなシンガーが歌っていますが、女性ジャズボーカリストがこの曲を歌っているのを見つけるのは結構難しい気がします。けれどもソフィーが歌うこの曲は、ミュージカル・映画版CDや、Sarah Vauhnのものとは一味も二味も違う魅力があると思いました。まず、豪快に歌い上げたり、たたみかけるように一気に盛り上がるところもなく、肩の力の抜けた軽快さがあり、それでいてとても深みのあるメローな感じに惹かれました。さらに、この曲には本来あるはずのないアンニュイな感じがひとつまみぐらい漂っているところが、明らかに新しいという気がしたんです。ミュージカルの中で歌われているわけではないのですが、原作とは違うストーリーを感じさせてしまう歌い方にもかなり感動しました。舞台版や映画版では、1人称でどっぷりはまって歌い上げるマリアと、おもしろおかしく、でもちょっぴり冷静にきれいにコーラスしながら、3人称的に突っ込みを入れるようなSharks女性陣との掛け合いが、非常に楽しいシーンとなっているのですが、このソフィー・ミルマンによるものは、一人で歌っているのに、なんとなーく2・5人称的な歌い方のような感じがして、結構好きだったりします。この歌の歌詞には、主語の「I/私」が繰り返し出てきますが、わずか4分50秒ほどの時間の流れのなかで、歌っているソフィーがこの「I」に語らせる感情に、とても豊かな起伏が感じられる気がして、ドラマが感じられます。また“See the pretty girl in the mirror there~”あたりの、ちょっと突き放した感じの歌い方も、個人的には結構好きだったりします。

彼女は学生時代に語学を勉強していて、また小さいときからロシア→イスラエル→カナダと移住を繰り返してきたので、多言語を操るマルチリンガルなのですが、そんなことによって、歌の「ことば」を伝えることに対して他のシンガーよりも敏感なところがあるのでしょうか。ライブのときも、Bein' Green(セサミストリートの歌)に関して、kids'songだけれど、(移住を繰り返してきた)自分にとっては、especially special songで、personal connectionのある歌だと言っていました。ミュージカル・映画版で慣れ親しんでいた、バーンスタインとソンドハイムによる”I Feel Pretty”という曲に、新しい世界を感じさせてくれたソフィー・ミルマン。この曲だけでなく、他の曲もおススメですので、よろしかったら、皆さんも是非聞いてみてください。ひとつの曲に関しても、聞く人それぞれの感じ方があって、それだからこそ面白いのだと思いますが、自分の探していたものがみつかるときって、やはりとてもうれしいですよね。ソフィーの歌う”I Feel Pretty”は、私にとっては、まさに「コレ!」という1曲でした。今回のライブでは残念ながら、”I Feel Pretty”は歌ってくれなかったのですが、眼の前のステージで歌うソフィーを見ながら、あんなふうに歌えたら素敵だろうなあ~、そんなことを感じたりして。勿論、私は歌など歌えませんけれども。ちなみにソフィーは、さきほどふれたOscar Petersonのライブで初めてジャズに開眼したのだとか。”I Feel Pretty”をファースト・アルバムで歌っているのには、もしかしてそんなことも関係しているのでしょうか。

ソフィーも数多くのジャズ・スタンダードを得意としていて、それ以外にもボサ・ノヴァ、シャンソン系の曲、故郷ロシアの曲、そしてさきほどもふれたセサミストリートの曲(It’s Not Easy Bein’ Green)まで何でも見事に歌いこなしてしまうシンガーで、本当に驚くのですが、「ジャズ・スタンダード」といわれている曲は、元はミュージカル作品で歌われていたものが多いです。そうした曲の数々が、ジャズのアーティストたちによって演奏されていくなか、元の作品から離れて、スタンダードとして定着し、いまだに進化をし続け、新たなストーリーを紡ぎながら歌い継がれ、演奏されてゆく・・・。現代のミュージカル界とジャズの世界の間の関係性には、かつてのような活発な行き来というのはないのかもしれませんが、ミュージカル作品の音楽をROCKなアレンジで見せることにより、ミュージカル界の素晴らしい名曲の数々が、新たな魅力で観客を魅了する、そんな機会が増えていったらよいな、と思います。すべてを一概に語ることはできないかもしれませんが、『TOMMY』を考えてもROCKと舞台芸術の世界の融合があったり、『ボーイ・フロム・オズ』、『ムーヴィン・アウト』、『マンマ・ミーア』などは、既存のポップスやRockの曲をミュージカル作品のなかで再構成したものです。今回のROCKIN’ Broadwayは、そうしたミュージカル界に見られる動きとは反対の方向性を持つ、つまり、ミュージカルの楽曲をROCKなアレンジで解体してみせるような、そんな試みなのかもしれませんが、ポップスやROCKの世界と接近していっているミュージカルの世界を考えてみれば、観客は潜在的に、今回のROCKIN’ Broadwayのような企画、待っていたのではないか、そんな気がするのは私だけでしょうか?

「ブロードウェイ・ミュージカル」と言えば、どうしても3年前の夏、クラシックな大作『ウエスト・サイド・ストーリー』を、「今・ここ」でしか見られない作品として魅せてくれた青山さんのタイガーを思い出します。これまでの宝塚の世界とは違うものを追求する和央さんと、ストーリーのあるミュージカルの世界で活躍してきた青山さんたちが、ROCKIN’ Broadwayという新たなステージで、何を見せてくれるのか。「コレ!」という嬉しい驚きに満ちたダンスや音楽とのたくさんの出逢いを予感させてくれるROCKIN’ Broadway、とても楽しみです。もうすぐ開幕。劇場に向かう日を指折り数えて心待ちにする毎日です。


ところで、気がついたらブログを開設してから1年が経過していました。カメのような歩き方で、マイペースに綴っている拙いブログですが、読んでくださる方がいるのだなあと思うと、励みになります。途中でお休みすることもありましたが、こうして寄り道しながら書き続けていられるのも、読んでくださる皆さんのおかげです。いつもありがとうございます。心から感謝しております。あちらこちらに寄り道しながらのブログですが、2年目も初心を忘れずに、「宝石採集」の記録をしてゆきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。


◆『ボーイ・フロム・オズ』詳細レポ Ⅵ

2007-08-12 21:30:40 | ボーイ・フロム・オズ
♪When I Get My Name in Lights 「俺の名前にライトを」(第1幕第1場) 
♪I Still Call Australia Home 「故郷と呼べるのはオーストラリアだけ」(第2幕第8場)

何もかもを失い、自分自身もエイズに侵されていることを知って、悲しみと絶望の淵にあるピーターですが、別れたはずのライザによって励まされ、救われます。そして、コンサートの開催予定地、故郷オーストラリアへとピーターは向かいます。母マリオンの前で、病について告白しようとするピーターですが、結局告げることはできません。母の前で、「I Still Call Australia Home / 故郷と呼べるのはオーストラリアだけ」を歌い始めるピーター。やがて曲の盛り上がりとともに、母マリオンは消え、舞台はシドニーでのコンサート会場へと場面転換してゆきます。背景も含め、舞台全体は暗く、マイクを持って歌うピーターの周辺だけが、照明で照らされている状態。そこへ曲の中盤から、舞台後方セリの部分に、真白い照明に照らされながら、この曲をコーラスする青山さんたちアンサンブルの姿が浮かび上がります。家族や友人から離れ、どんなに世界中のあちらこちらを駆け回ろうとも、故郷と呼べるのはオーストラリアだけ、と歌うこの曲。ピーターの歌声にアンサンブルのコーラスが、静かに、そして包み込むように重なってゆくのを耳にし、また暗い背景に、「白さ」を強調する照明のなかで、故郷の大地を踏みしめるように立ち尽くすアンサンブルを見るとき、観客は言いようのない「懐かしさ」と、すべてが洗われてそこへ戻っていくような「澄みきった感覚」に包まれてしまいます。はじめはアンサンブルのひとりひとりがそれぞれ違った方向を向き、この歌を歌っていますが、途中からは皆が正面の一方向を向いて、コーラスします。このときの青山さんは、まっすぐに遥か遠くをじっと見つめていますが、そのまなざしの彼方には、ピーターがこれまでに辿ってきた人生の一場面一場面が連綿と連なって、そこにあるような感覚さえ覚えます。また青山さんの表情を見ていると、ピーターの波乱に満ちた人生の旅路にも終わりが近づいていることが感じられ、込み上げてくる感情を抑えることができなくなりました。やがて「故郷(ふるさと)はオーストラリアだけ」というラストのフレーズを歌い終わる頃、アンサンブルのシルエットは、暗闇の中に消えてゆき、舞台には再びピーターひとりが残ります。

このシーンの設定は、ピーターが故郷であるオーストラリアに戻り、シドニーでのコンサートで聴衆に向けて歌うというものです。実際、曲を歌い終えたピーターは、「ありがとう、シドニー!」と言って、コンサートの聴衆に対し感謝の言葉を述べ、それに対し観客も拍手で応えます。青山さんたちアンサンブルも、あるいはシドニーのコンサート会場の聴衆という役割を負っていたのかもしれません。しかし他方でまた「コンサート会場の聴衆」とは異なる印象を、観客に与えていたことも事実です。この場面での、青山さんたちアンサンブルの衣装ですが、男性は淡い色調のシンプルなシャツに、トラウザース、女性は腰にベルトの付いたワンピースというものです。それぞれの方が、形も色も多少の違いのある衣装を身に着けているようなのですが、「白さ」を強調するような照明に照らされたアンサンブルの皆さんの、観る者をスーッと引き込むような淡く白い色調と、遥か遠くを見通すようなまなざしと表情が、「原点」に戻っていくピーターの心象風景を象徴しているようで印象的でした。私自身も初見のときは、眼の前のステージに広がるこの透き通るような「白さ」にただただ引き込まれて、この衣装に対して漠然とした印象を持っていただけでした。しかし2回目の観劇のときに、この場面でアンサンブルの皆さんが着ている衣装は、第一幕の冒頭のシーン(「When I Get My Name in Lights / 俺の名前にライトを」)で、8,9歳であったリトル・ピーターが踊り歌い、お金を稼ぎ始めたあの酒場で、ピーターの歌を聞いていた客たちの衣装として、アンサンブルの皆さんが着ていたものと同じもののようだ、ということに気がついたのです。

青山さんに限って言えば、服装も髪型も、あの冒頭の場面で酒場の客として着ていたものと酷似しています。確証はないのですが、何度見ても同じものに見えました。第1幕のあの酒場でのシーンは、まさにピーターの「夢の始まり」とも言える場面です。酒場で歌い踊る小さなピーターを、酒に酔いながらも、盛り上げ、その才能に引き込まれていた、当時の客たち。第2幕終盤、ピーターの人生が終わりに近づき、その長い旅路を振り返るこの場面で、彼らは、ピーターの「夢の始まり」に立ち会った「目撃者」という色彩を帯びてくるようにも思われます。その彼らの幻影とも解釈できる人たちが、「夢」を追い求め続け、その末に再び故郷に戻ってきたピーターを迎える、深読みのしすぎかもしれませんが、私個人としては、とても感慨深いものがあり、胸に迫るものがありました。90年代のシドニーでのコンサート会場での聴衆のようでもあり、50年代のリトル・ピーターが歌い踊った酒場の客たちの幻影のようでもある。青山さんたちアンサンブルは、この場面で、不思議なぐらい深みのある存在感を醸し出し、あの場面を観客の心に刻み付けていました。そして、これに引き続く次の場面、「Don’t Cry Out / 泣かないで」での回想シーンを通して、ピーターが自分自身の「内に秘めた感情」と向き合い、原点へと戻っていくきっかけを創り出していたようにも思われてきます。

実際に、「故郷と呼べるのはオーストラリアだけ」を歌った、このオーストラリアのコンサート会場でのシーンの後、舞台の場面は、先ほど述べた第1幕冒頭のシーンと重なるようなかたちで、あのときのリトル・ピーターと母マリオン、そして父ディック・ウールノーが登場する、回想場面へと続いてゆきます。第1幕冒頭、酒場でピアノを弾き、歌い踊ることでお金を稼ぐリトル・ピーターから、飲んだくれの父親ディックは、マリオンの制止を振り切って、その稼いだお金を、自分の飲み代にと、ふんだくろうとします。第1幕では、そこに大人のピーターが分け入って、「こんなものは見せたくないんです」とその場面を中断してしまいます。しかし、第2幕では、この続きが最後まで中断されることなく、回想シーンとして繰り広げられ、ピーターの幼少時に暗い影を落とした出来事が示されます。リトル・ピーターは、母親マリオンに暴力を振るう父に耐えられず、稼いだお金を父に渡してしまいます。お金を手にした父は、ふらつく足取りで、寂しそうに舞台袖に消えてゆきますが、しばらくして舞台後方に拳銃を頭にあてた父の後姿が浮かび上がり、「パパやめて!」の声とともに銃声が響きます。この過程で、観客はピーターの「夢」の裏側にあった、父の自殺という衝撃的な事実を知ることになります。

そして、この父の自殺ということが、幼いピーターにとって、どのような悲しみとして受け止められたのか、ということをより深く観客が知ることになるのが、「どうしてあんな「ピエロ」と結婚しちゃったのさあ?」と尋ねるリトル・ピーターに対し、母マリオンが答えるときに語られる、次のような話です。父親ディックはもともと戦争に行く前は、立派なバンジョー弾きだった、だからピーターの音楽の才能は他でもない父親譲りのものである、という話です。父親ディックは、戦争から帰った後、アルコール依存症となり、自暴自棄の生活を送るようになってしまったのです。父親の背景にあるもの、その父親と自分自身のつながりがどのようなものであるのかを知ったピーターに、父親の自殺という出来事は、どのように映ったのでしょうか。Don’t Cry Out Loudの歌詞には、「悲しいことは心の奥底に秘めて」という言葉がありますが、その「心の奥底」にしまいこんだ感情がどんなものであったのかが明らかになるにつれて、観客はこれまで辿ってきた波乱に満ちたピーターの人生に秘められたもうひとつの側面に気づくことになるのです。そして第1幕冒頭、酒場の外の片隅で、大人のピーターが、一人取り残された父親を見守るあの場面ともつながってきます。

第1幕、リトル・ピーターが歌う「When I Get My Name in Lights / 俺の名にライトを」の間奏部分で、盛り上がって、喧騒のうちにある酒場の傍らで、リトル・ピーターと母マリオンと父ディックの三人が、そこの場面から抜け出たかのように、やりとりをする場面があります。最初、楽しく盛り上がる酒場を、ひとり外から覗き込む父ディックは、立派に活躍する息子と、自分の姿を見比べて、「こんなナリじゃなあ・・・」と、後ろめたさを感じて、中に入るのを躊躇します。そして、外に出てきたピーターと母マリオンと出くわすのですが、そのときも息子を労うのではなく、「お前は(客に)笑われてるの」としか声をかけることができません。逆にマリオンからは、「あんたが笑い者じゃないか」と言い放たれてしまいます。再び、外にひとり取り残された父ディックですが、息子ピーターの立派な様子を見ながら、「なかなかだな・・・」とその音楽の才能を認めるような言葉を独り言のようにつぶやくのです。そのようなディックの傍らに、声をかけたいにもかけられず、もどかしい様子で父を見守る、大人のピーター(坂本さん)がいるのです。第2幕での「ピーターの音楽の血は、父親譲りである」というエピソードを知ると、第1幕のこの場面でのピーターの態度の解釈にも、深みが増します。

ピーター親子が酒場の外の片隅でやりとりをするこの場面では、ピーターたち親子以外の酒場の客たち、つまり彼らに扮する青山さんたちアンサンブルは、背景となり、それぞれの持ち場で酒を飲んだり、談笑したり、騒いでいたりという動作をスローモーションで表現します。それまでは、リトル・ピーターの歌に合わせて楽しく盛り上がる様子を客として、普通の動作で演技しているのですが、その変化の仕方が鮮やかです。特に青山さんは、スローモーションの動き自体も素晴らしかったのですが、スローモーションから普通の動きに戻るときの、動きの「微妙な変速」の仕方が傑出していました。例えば「おどろんぱ」の「マネトリックス」などで、一瞬の動きのうちに、思わず自分の眼を疑ってしまうような、「変速」が見られることがありますよね。「今ビデオ早く回した?!」って、聞きたくなっちゃうような・・・。また、「マイム劇場」の泥棒さんの「エスカレーター」のシーンで、「エスカレーター」から降りるときに身体が感じる変速を青山さんはとても巧みに表現していました。あれとも似た感覚です。

心の奥底では息子の才能を認め、褒めてやりたい気持ちを持っていながら、面と向かっては息子を褒めてやることすらできなかった父。そういう父に、大人になったピーターが声をかけようとしても、もうどうにもなりません。ただそのような父の傍らで、何かしようにも何もできないもどかしさを抱えながら、立ち尽くすしかないピーターを、決定的に引き離すかのように、場面は、スローモーションから現実の速度に戻るのです。その場面が元に戻るときの青山さんの動きにある巧みな「変速」の仕方は、とても鮮やかで印象に残っています。この場面でのアンサンブルの皆さんはダンスをするわけではないのですが、彼らの動きが創出するあの場面の、「現実からスローモーション、再びスローモーションから現実」という質感の変化は、父ディックの疎外感を際立たせ、引き離される父と息子の距離感を強調していたし、そこに大人のピーターが介在することによって、決して塗り替えることのできない過去であることを観客に伝えていたと思うのです。現実には到底ありえないであろう時間の流れ方を、あの場面で創出することは、わずかな時間ながら登場する父ディックがピーターのなかで占めていた特別な重みを、観客に切り取って見せる効果を持っているように思われるのです。スローモーションの背景の傍らで繰り広げられたピーターたち親子のやりとりの場面は、第1幕第1場という時空間のなかでは、酒場の雰囲気に溶け込めない父の疎外感と孤独感と悲哀を際立たせていました。また母によって語られるエピソードと父の自殺という事実が示される回想場面である第2幕第8場においては、第1幕のあの場面は、ピーターが心の奥底にしまいこんだ特別な父の像を提示する意味合いを帯び、父の自殺という悲劇が観客に与える衝撃をより大きなものとして印象づける役割を負っているのではないでしょうか。このようにOZでは、物語の「はじめ」と「おわり」が効果的に重ねられていましたが、青山さんたちアンサンブルは、「ダンス」ではない、その身体の動きと表情で、そこに奥行きを与えていました。

プロローグで、団時朗さん演ずるマネージャーのディー・アンソニーが、ピーターを紹介するときに、「時代をつかみ、追いかけ、そして流された」と、その人生を観客に説明します。そのような波乱に満ちた人生を送ったピーターが、「夢」を追い求め続けて、行き着いた末、最後に見たもの、これに関しては、観た方それぞれが、様々な解釈をお持ちのことと思います。キャスト全員が白一色の衣装でサンバのリズムを踊る、フィナーレの「I Go to Rio / 世界はリオ」、観劇する前から、とても楽しみであった半面、「どうしてそこでサンバなの?」という気持ちが心の隅にあったのは確かなことです。しかし、ピーター・アレンの約40年間の人生を盛り込んだ2時間40分という時空間を体験した後となっては、あの眩しいほどの華やかな世界と、舞台と観客が一体となるあの何ともいえない空気に、当然のように引き込まれてしまうのです。「フィナーレ」のあの素晴らしい雰囲気、お伝えしたい気持ちでいっぱいなのですが、やはりこればかりは「何ともいえない」のです。こればかりは、今回残念ながら観ることが叶わなかった方にも、いつの日か再び実際にピーターの人生に寄り添った上で、体感していただくのが一番なのではないかと思います。そして私のなかでは、キャスト全員による最後の「リオ!」の掛け声がいつまでも響き続けています。

◆『ボーイ・フロム・オズ』詳細レポ Ⅴ

2007-08-09 22:52:29 | ボーイ・フロム・オズ
♪Everything Old is New Again 歴史は繰り返される

「Everything Old is New Again/ 歴史は繰り返される」の歌詞にもあるような、「タップシューズ、白燕尾」(Get out your white suit, your tap shoes and tails)に身を包み、頭にはシルクハットを被り、手にはステッキを持った華麗なピーター。プライベートにおいても、キャリアにおいても、まさに頂点をむかえつつあるピーターが、ニューヨークのラジオ・シティー・ミュージック・ホールで、ロケッツとのラインダンスをショーとして見せる、第二幕での「見せ場」とも言える非常に華やかな場面です。BW版では、女性のみのダンサーによって、しかも鏡を使用して、大人数に見せたというこの場面ですが、今回の日本版では、女性に混ざって、「女装をした男性」がこの場面に登場し、華を添えています。青山さんが、以前にファンサイト様の掲示板で書かれていた「女装」とは、このロケッツのダンスシーンにおいてのことでした!

この曲の冒頭でピーターは、夢をこの手につかみ、頂点にある自分の人生を謳歌するように、スポットライトを浴びながら、ひとりでこの歌を歌い、優雅に踊ります。「雨の夜更けは思い出に浸ろう 夢よもう一度 歴史は繰り返される」(Don’t throw the past away / You might need it some rainy day / Dreams can come true again / when everything old is new again)、とサビの部分を歌い終わる頃、ロケッツの踏むステップの足音と彼らのコーラスの声が、ピーターの歌に重なってゆきます。それと同時に舞台に向かって右手から、一列に並んだロケッツの姿が現れるのです。全身真っ白な衣装のピーターとは対照的に、ロケッツの衣装は、赤くキラキラ光るスパンコール(?)を基調としたもので、胸元・腰周りにはシルバーのきらびやかなラインが入っています。頭は同じく赤いスパンコール地のつなぎで覆われていて、その中心には、大きな羽飾りがついています。足元はシルバーに光るダンスシューズに、肌色の網タイツ、勿論目には「つけまつげ」、メイクもショー仕様の派手なものです。女性アンサンブルの方も、そして青山さんを含めた男性アンサンブルの方も、皆さんこの衣装でご登場です。青山さんは列の最後から2番目でご登場。男性アンサンブルの方、お顔のメイクも、脚のラインも素晴らしくお綺麗で、一見女性と区別がつきません。私も初見のときは、横一列に長く並んだロケッツの中から、青山さんを見つけるのに、一瞬戸惑いました。しかし発達した大腿筋とその安定した脚捌き、ピンと伸びたしなやかな上半身、「女性」ではなくて、「女装した男性」の雰囲気を見事に作り出す表情としぐさを見れば、青山さんは一目瞭然。もう最高なのです!

ロケッツ登場のシーンに引き続いて、一度音楽が鳴り止み、ピーターは向かって左端の、ロケッツの列に入り、「ロケッツと一緒に踊ることが夢だった」ということを、ストーリーテリングします。その間勿論ダンスも一度ストップし、皆さんじっと立ったままなのですが、この間も青山さんは、その立ち方、まばたきの仕方、口元の表情の作り方のひとつひとつが、「女装をした男性」の空気を作り出していて、全身からそのようなオーラを放っているかのようです。そして再び曲が始まり、一気に盛り上がっていくのですが、このときに一列だったロケッツが、ステップを踏みながら、数人のかたまりごとに分解していきます。そのときの青山さんの、客席に向かって「斜め」のお顔の角度と、それに伴う眼の見開き方、そして首から下の身体の表情が、キュートで愛らしく、またまたこの上なく「それらしさ」を醸し出しています。そして再びサビの部分、一列に並び直したロケッツは、セリで上がっていきます。このとき左右の脚を斜め前に交互に出す振りがあるのですが、流麗さと華やかさとともに、優しさに溢れていました。遂に夢をつかんだピーターの幸福感とよろこびがこちらにも伝わってきて、心の底から拍手を送り、祝福したくなってしまうのです。そして全員が一列に並んで勢いよく足を上げる、これぞ「ラインダンス」という部分は、ピーターにとっても、そしてきっと観客にとっても「夢の世界」、圧巻でした。また曲が一度終わって、歌詞のついていないインストゥルメンタルなヴァージョンに合わせて、列の左端からウェービングのように、ひとりひとりが順番に、上半身をしならせるときも、青山さんの場合は、首の使い方やあごの向け方、背中のしならせ方などにも、すごく「女装した男性」の雰囲気がありながら、優雅さもあって、観ているこちらも微笑んでしまいます。最後は中心で左右二手に分かれたロケッツが(確かそうだったと思います。ここでは青山さんの笑顔に釘付けで、いつもそのお姿だけを眼で追っていたので、ちょっと記憶が飛んでいます。)、身体を「く」の字にして前の人の腰に手をあてて、列としてつながりながら、小刻みなステップで舞台両袖に引いていきます。

このシーンの華やかなロケッツのラインダンス、本当に楽しくて最高だったのですが、そのなかでの青山さんの「女装をした男性」の演技、これはやはり一番皆さんにお伝えしたいところです。青山さんの「女装」がどんなものなのか、と楽しみにしていた一ファンとしての気持ちを満足させるということだけでなく、この作品の中でこのシーンを際立たせるという点においてもです。やはりこの場面は、ピーターの人生、夢の頂点を描き出す、華やかな場面。ピーター自身の台詞にもあるように、「胸に勲章をつけて、整列した軍隊に並ぶよりも、ラメやスパンコールのきらびやかな衣装に身を包んだロケッツの列に、「男の勲章」をつけて入ることを、いつも夢見ていた(台詞を忠実には再現していません、要約しています)」という、ピーターの夢が実現する場面です。ピーターのゲイというセクシュアリティーと彼のキャリアが密接に連関して、ピーターの人生が開花し、すべてを手に入れたかのように思える幸福の絶頂ともいえるこの場面。実際のラジオ・シティ・ミュージック・ホールでのショーをはじめとして、この頃のピーターの客層は、ゲイの人たちや「女装した男性」が多かったというのは、ピーターによって語られるとおりです。「女装した男性」の空気をいきいきと、見事に作り出していた青山さんを見ていると、「ありのままの自分」を曝け出して、それをキャリアの中に取り込み、様々な過去を経て、成功をつかんだピーターの幸福感と喜びが、こちらにも伝わってきて、彼の人生の「そのとき」を、共に祝福したくなってくるのです。そしてそんなピーターに熱狂する、ホットな男性たちの熱気が再現されて、青山劇場の客席にいながらにして、当時のピーターのショーの客席に座る、そんな観客たちの笑顔にまで想いを馳せることができるのです。オーストラリア版では日本版と同様に「女装した男性」が加わり、BW版では女性のみのヴァージョンだったというこのシーンですが、青山さんが踊った日本版ロケッツ最高でした!!

この華やかなショーの後は、ラジオ・シティー・ミュージック・ホールの楽屋へと、シーンが移ります。そこで、ショーを終えたピーターを、年老いた母マリオンが迎え、息子の偉業を嬉しそうに、心から称賛し、ねぎらうのです。そして、息子に、自分自身にも新しい恋人ができたことを告げ、「古ぼけたものでさえも、新しくなってしまう」ように、「人生何がおこるかわからない」という気持ちを込めて、再びここで、「Everything Old is New Again / 歴史は繰り返される」を歌います。喜びを分かち合うピーターと母マリオン、とても幸せそうです。この曲の歌詞にもあるように、「だれもが大スターに」なってしまうことがある、という意味で、「人生何が起こるかわからない」のですが、このシーンの後、ピーターの台詞にもあるように、「人生何が起こるかわからない」、というこの言葉の意味は反転してしまうことになります。恋人グレッグ、そしてピーター自身もエイズに侵されていることがわかるのです。「まだ起きてもいないことが、懐かしく思えてしまう」という死期を悟ったグレッグの言葉が心に重く響いてきました。


※このシーンの設定は、ニューヨークのRadio City Music Hallとなっていますが、この劇場とRockettesについての記事はコチラです。
青山さんが出演された『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』では、日劇と日劇ダンシングチームが登場しますが、Rockettesと日劇ダンシングチームには関連性があったようです。そのことについて書いた記事です。



☆ここのところ、「この記事どこかでもうすでに1回読んだよ~」な記事ばかりを更新しまして、申し訳ございません。OZの詳細レポ終了後には、普通の記事も投稿する予定ですので、もう少々お待ちくださいませ。

◆『ボーイ・フロム・オズ』詳細レポ Ⅳ

2007-08-07 23:10:30 | ボーイ・フロム・オズ
♪Sure Thing,Baby 「確かだぜ、ベイビー」

第二幕冒頭のBi-coastalの歌詞のように、「東海岸でも西海岸でも」売れたい、と考えるピーターに対し、「衣装や照明がキモイ」、と恋人グレッグ(IZAMさん)は冗談を交えつつも、厳しい指摘をします。しかしながら、事実上、東海岸でも西海岸でも人気がイマイチなピーター。公私共に、ピーターのパートナーとなったグレッグは、ピーターのクローゼットに入っているたくさんのアロハシャツを、いっそのこと、ショーの衣装にしたらどうか、と提案します。凄腕マネージャーのディー・アンソニー(団時朗さん)も加わり、ピーターはここから、キャリアの頂点へと上り詰めていくことになります。アロハシャツをショーの衣装に決めたピーターですが、その着方をめぐって、グレッグとディー・アンソニーが対立。そんな二人が、ピーターを盛り立てていこうとする気持ちを、勢いのあるミュージカルナンバーで歌い上げるのが、「Sure Thing, Baby/確かだぜ、ベイビー」です。

「男らしさを女性客にもアピールしたい(ゲイらしさを演出したくない)」マネージャーのディー・アンソニーは、アロハシャツの胸元を大きく開けさせて、胸毛を見せるようピーターに提案。しかしピーターに胸毛がなくて、ガックリ。さらに「男っぽく」見えるよう、手を入れるためのポケットのついたパンツをはくように提案、噛みタバコをペッなんてやったらいい、またはライザ(女)と結婚していたと言うのもいいかも、と提案します。一方、セクシュアリティーのアピールにおいて中途半端なピーターは、ゲイには「裏切り者」、ゲイでない人には「ヒステリーなオカマちゃん」と批判されている、と指摘するグレッグ。ゲイの人たちに受けがいいように、シャツの裾をインにして、お尻を強調するスタイリングを提案。そんななか、舞台右手で、背を向けていたピーターは、その後のピーターのトレードマークになったというアロハシャツの裾をおへその前で結んで、両手を挙げてくるりとこちらに向きを変えます。ゲイというセクシャリティーを、ありのままに自分のキャリアのなかに取り込んで、キャリアを開花させてゆくピーターがそこにいるのです。「それらしい」しぐさで舞台袖へと消えてゆくピーターですが、この後、今度はピーターによる「Peter’s “ Sure Thing ,Baby”/ピーターの確かだぜ、ベイビー」のナンバーとともに、舞台はニューヨークの有名クラブ、クラブ・コパカバーナへとあっという間に場面転換してゆきます。

OZでは、舞台両サイドの雛壇に、バックバンドが控えていて、それがあるときはニューヨークの摩天楼のような「背景」のように見えたり、あるときは実際のショーのシーンのバックバンドとして振舞ったりと、音楽を奏でるだけではない、なかなか面白い役割を果たしています。このPeter’s “ Sure Thing ,Baby”では、バンドの方々も、アンサンブルの方々と同じ、「パナマ帽(?ウエスタンな感じもちょっとした気がします)」を被り、「クラブ・コパ」な雰囲気を盛り立てています。

この曲は始めからすごく盛り上がった感じでスタートしますが、まず男性アンサンブル3人が回転させる赤いグランドピアノの上で、腰を振りながら踊るピーター(先ほどの赤系のアロハシャツに赤パンツを着ています)が舞台中央奥に現れます。パイナップルなどを積んだ籠を頭上に飾り、黄色系の南国風ヒラヒラドレスに身を包んだ女性コーラスのトリオが、「ショ~シ~ング、ベイ~ベ~」とこの歌を歌いながら現れます。ここまでで既に客席の気分はトロピカル、すごく盛り上がっているのですが、そこへ一気に登場してくるアンサンブルのダンスによって、このシーンに華やかさと勢いが加えられるのです。

アンサンブルの衣装は、さきほどの帽子に、白地にオレンジのハイビスカス模様のアロハシャツ、薄い黄色系のパンツというもの、帽子にもアロハと共布の生地が巻きつけてありましたが、アンサンブルの方々は、この帽子を目深に被って、目元が見えない状態。しかも髪の毛もバンダナで覆っていて見えない状態です。これは次のシーン、Radio City Music Hallでの、ラインダンスに備えて、既に目元には男性も「つけまつげ」をつけ、髪の毛もセットしてあるためでしょう。しかし、この便宜上、次のシーンの衣装の下準備段階を隠すためであった帽子が、ダンサーの目元を隠し、その視線を遮断したことは、この場面のダンスの魅力を、結果として倍増させていました。また次のロケッツとのダンスシーンという、「ピーターの夢の頂点」を予感させる演出ともなっていた気がします。

青山さんが踊っているときの「眼光」の魅力、これについては前にも書きました。しかし、この場面でのダンスは、これを敢えて隠した上でのダンス、つまりある種人格を消したような、もしかしたら、ちょっと抑えたような、匿名性があるようなダンスなのです。しかしそこには、文字通り「身体だけ」の表現が息づいており、精確さを極めながらも、語りかけてくるような、いきいきとした、非常に豊かな表情が加わっていて、青山さんのダンサーとしての力量に感じ入ってしまったのです。目元を隠し、その視線を遮断して踊る、しかも髪をバンダナで覆っているので、パッと見て個性が消えているような印象を受けます。一気に登場してくるアンサンブルのおひとりおひとりを見分けるのは、確かにちょっと大変だったかもしれません。しかしその類まれなる動きを見れば、やはり青山さんは青山さんなのです。このシーンでのダンスは、変化に富んだ振りをハードに踊るというものではなくて、シンプルな振りを着実に踊るというもの。青山さんの、非常に輪郭のはっきりとした動きの1コマ1コマを改めて感じることができるシーンと言えます。特筆すべきが、上腕部から肘、そして肘から手首、掌にかけての腕の動きです。腕を下に向けてフィンガースナッピングをしながら、ステップを踏むところがあるのですが、このときの肘を中心にした腕の動き、上腕部と下腕部が肘を中心にしなうあの動き、絶妙でした。そしてその腕の動きに伴う、帽子を手で押さえながら行う、前かがみ姿勢の身体のしなやかなラインとその中心に通った力強い動きの軸、やっぱり青山さんなのです。またそれとは逆に、腕を上向きに、空をつかむような感じで伸ばすところがあったのですが、こういうときの青山さんの腕の素晴らしさ、宙を切り裂くようで、もう完璧です。まさに、「夢をつかんでやる!」、「これからは俺の時代だ!」というこの曲に託されたピーターの気持ちを表現しているかのようです。またこのPeter’s “Sure Thing ,Baby”では、Bi-coastalのサビの部分が挿入されます。確かその部分で、目深に被った帽子を片手で押さえながら、脚を高く蹴り上げる振りなども、鮮明な画像として焼きついています。このシーンでの青山さん、ストップモーションの画像のごとく鮮やかな、一瞬一瞬の動きが素晴らしく、しかもその一瞬の動きには、ピーターの開花しつつあるキャリアの潜在的なパワーを感じさせる力強さがあって、とても印象的なのです。

「確かだぜ、ベイビー」という曲のタイトルが示すとおり、このシーンでは、「これからは俺の天下だ」というピーターが、自分のサクセスストーリーを語るために、曲の途中で彼によるストーリーテリングが挿入されます。そのときには、ダンスもシンプルな振りの繰り返しとなるのですが、そのなかのひとつが、舞台中央付近で、片膝をついてしゃがみ、うつむき加減になって、頭をカクカクと上下に振る部分です。すごくシンプルな振りを、帽子を被ったままの状態で踊るわけですが、そういうときも青山さんは、一定のリズムを刻む動きの線が鋭くて本当に見事です。青山さんは、このシーン以外のダンスシーンでは、センターで踊ることが多いのですが、このシーンではアンサンブルの前方左端というポジションで、アンサンブル全体を引っ張るかのように踊っておられます。そこで青山さんの精確なリズム感に裏打ちされた輪郭鮮やかなダンスが、アンサンブル全体の波のような動きを引き締めているのです。この曲の最後は、ピーターの上り調子のキャリアがすごい勢いで階段を上ってゆくような感じを表現しています。このシーンに引き続くロケッツとのダンスシーンはまさにピーターのキャリア、そして人生の頂点ともいえる場面。そこへたどり着く一歩前の、期待と興奮が盛り上がっていく様子が、うつむき加減にうなずいて、駆け足をするときのように腕を前後に振る動きをする、力強いダンスによってこちらにもよく伝わってきました。待ち望まれた、ピーターのキャリアの開花としての、このシーン自体のショーとしての華々しさも素晴らしく、観客を盛り上げて引き込むパワーに満ちているのですが、さらなる夢の頂点を観客に予感させつつ、次のシーンへといざなうような、青山さんの抑制の利いた力強さの表現が、とても印象的でした。

ショーが終わって舞台後方が暗転するなか、舞台前方中央に、ピーターと彼を取り囲む男性アンサンブルのみが残り、スポットライトがあたります。次のシーン、Radio City Music Hallでのロケッツとのダンスシーンのために、ピーターは舞台中央で着替えをするのです。男性アンサンブルに囲まれて、2階席からもほとんど坂本さん@ピーターの生お着替えは見えない状態です。青山さんは客席から見て右側で、坂本さん@ピーターを固くガードします。このときのピーターと男性アンサンブル、舞台と客席のやりとりがまた楽しいものです。そしてRadio City Music Hallの「世界最大のパイプオルガン」にからんだ話を差し挟んだりしながら、「ありのままの自分」全開のピーターが、男性アンサンブルの方に囲まれての嬉しい着替えを、客席に中継しているような感じです。そして「これ以上何を望むっていうの!」というピーターの一声とともに舞台は暗転、アンサンブルが疾風のように舞台袖に引き上げたかと思うと、舞台中央には、スポットライトに照らされた、白燕尾服にステッキを持った、輝くばかりに華麗なピーターが・・・。素晴らしい変わり身!アロハシャツから白燕尾服への、ピーターの見事な変わり身を演出したのは、他でもない、青山さんたち男性アンサンブルの方々でした。素晴らしいダンスを披露した後では、「黒子(黒衣)」の役割も果たしていたのです。アンサンブルがお揃いで着た同一の派手なアロハシャツと、帽子によって視線を遮断したことによる匿名性がここでも効果的でした。

◆『ボーイ・フロム・オズ』詳細レポ Ⅲ

2007-08-03 02:20:29 | ボーイ・フロム・オズ
♪She Loves to Hear the Music 「音楽を聴くのが大好き」

ライザに男性との戯れを目撃されたピーターは、自分の中には「ライザ」という名前しかない、と釈明をするものの、彼女との距離は決定的なものとなってしまいます。そして、ピーターのキャリアは「どん詰まり」に入り込むなか、ライザの人気は上がる一方。「たったひとりで片隅から、成功への階段を駆け上るライザを見ているしかなかった」というピーターが、舞台左手の端から中央をじっと見つめると、舞台中央奥にライザのシルエットが、浮かび上がります。頭上には、ライザを描いたイラストとともに、”LIZA”と大きな赤い文字で書かれたショーのセット。ライザ・ミネリといえば、あの衣装という、赤いスパンコールのマイクロミニに身を包んだ紫吹さん@ライザが、「ライザ・ミネリ」っぽいしぐさで、「She Loves to Hear the Music/音楽を聴くのが大好き」を歌い上げます。今や「ライザ」という名は、多くの人のなかに浸透したものとなったこと、そして誰よりもライザこそが、「自分が一番」と言われることを望んでいるということが理解されるのです。しかし、いかに皆の注目を一身に集め、スポットライトを浴びたとしても、たったひとりでこの歌を歌い始めるライザには、歌詞にもあるように、「起きるときは、いつもひとり」という、スターの孤独感が漂います。それでもなお、「音楽さえあれば生きていける」というライザの決意、あるいは「他の何はなくとも音楽がなければ生きていけない」という彼女の運命を感じさせるのが、この曲であり、このシーンなのです。そして曲の中盤からは、バックダンサーたちとともに「見せ場」ともいえる迫力ある圧巻のダンスが、「ショーのリハーサル風景」として繰り広げられるのです。

曲の中盤、盛り上がりとともに、舞台の両袖から、バックダンサーたちが3人で1列のかたまりになって、鉄砲から飛び出す弾丸のごとくライザを取り巻くように登場してきます。そして左右反対方向から各々飛び出してくるダンサーたちは、あっという間に混ざり合い、ライザを囲むようなフォーメーションとなり、瞬きしている暇もないようなスピーディーな展開のダンスが繰り広げられるのです。青山さんは、向かってライザの左側。ダンサー全員が紫吹さんの周りに集中するとき、また青山さんともう一人の男性ダンサーの方(佐々木誠さん)のみが紫吹さんを囲んで踊るときの二つに大別できます。”The inner rhythms that I hear are all that keep me high”という歌詞のごとく、ライザの身体中をかけめぐる「内なるリズム」と、「音楽を聴かずには生きてはいけない」という彼女を突き動かすような欲求と衝動とが、青山さんに化身して、それを目の当たりにする観客は、これでもかという底知れないエネルギーに打ちのめされそうになるのです。演出のマッキンリー氏が、パンフレットに寄せた言葉のなかで、この作品自体を、roller coaster/ジェットコースターに喩えておられましたが、このシーンでの青山さんは、まさに猛スピードで駆け抜けるジェットコースターそのもの、ヒートアップするエンジンの温度をこちらも体感できるかのような勢いなのです。

ダンサーたちが踊る時間は決して長いとは言えないのですが、このシーンでは、印象的な振り付けが多く、そのハイライトともいえる部分を青山さんが踊ります。ライザの後ろで、背を向けて肩を小刻みに震わせる振り(BW版HP参照。「演技者。」でも稽古中映像で映っていました。)などは、生身の身体が到底作り出せる動きではない、とさえ感じてしまうようなエネルギッシュなものでありながら、BW版のダンサーにはない「しなやかさ」がありました。また赤いラメの手袋をした手のひらに関しても、指の先の先までに神経が行き届いた感じがよくわかります。ダイナミズムを感じさせつつも、これ以上細やかにできるのかとも言いたくなるような一瞬の動きのひとつひとつが、瞼に焼き付いて離れません。ライザを含めた3人が、間奏の部分(Let me hear the musicの前の部分)で、身体の左側右側とで交互に、手首で手のひらを折り返して上下させる振りなどでは、一瞬のうちにエネルギーがパッと発散されるような手の動きとともに、しなるような身体全体のラインが、「ライザのなかで波打つ衝動」をこちらに伝えているかのようです。そして管楽器が刻むリズムごとに、背を向けて肩を上下させる振りや、上半身のみをこちらの方向にねじり、振り返りざまに、肩を動かすシーンなど、挙げだしたらキリがないのですが、一時一時で刻々と変化する肩から腕、背中、腰、大腿部の動きには、青山さん独特の際立つキレを感じてしまいます。躍動する身体のすごさをそれが当然とばかりに魅せつけてくれるという、つまり、それは青山さんのダンスの醍醐味を、短い時間のなかに凝縮して味わうことができるのが、このシーンの特徴でしょう。

そのようなダンスの魅力を引き出すのが、このシーンでの衣装です。この場面での、青山さんをはじめとした、バックダンサーさんたちの衣装は、男女ともに同じもの。黒の不規則な光沢のある薄いベロア(?)のような生地で、身体にピッタリとフィットしたボディースーツのような衣装です。胸に深くV字に入った切り込み(スラッシュ)と、裾が広がっているベルボトムシルエットが、とても60年代末~70年代っぽさを醸し出しています。肌の露出がほとんどないこの黒のボディースーツに、手には赤いラメの手袋(紫吹さんの衣装と同じ質感)。見たところ、掌までが露になっていない、全身を覆いつくす衣装なのですが、そのことが逆に、独特のセクシーさを演出しています。膝から上の身体のライン(輪郭)を強調するフィット感と、動くたびに変化するダンサーの筋肉を鈍い不規則な光沢で表現する生地の質感が、躍動する青山さんの身体の動きの凄さを見事に引き出しています。ライザを突き動かす「音楽を聴かずにはいられない」という抑えられない欲求・衝動と、歌詞にあるような”the inner rhythms “すなわち「身体のなかで脈打つようなリズム」を、青山さんの身体が代弁しているかのようなのです。

一方、紫吹さん@ライザは、真っ赤なスパンコールのホルターネックのマイクロミニというとても露出度の高いお衣装。スポットライトがあたって、キラキラ光る真っ赤なスパンコールの衣装と真っ白に輝く肌のコントラストが眩しく、長くのびやかな手と脚が、紫吹さんらしい「ライザ」のオーラを放ちます。BW版ライザも、本物のライザも、もう少しボリュームのある感じですが、紫吹さんのライザの魅力は、やはり何と言っても、素晴らしいくらいに美しい肩、細長い手と脚の繊細かつダイナミックな動きです。その点においても、バックダンサーたちの全身を覆いつくした衣装は、ライザとは対照的で効果的です。対照的な衣装で、舞台上にそのエネルギーをぶつけあい、融合させてゆくライザとバックダンサーたちを観ていると、ダンスの盛り上がりとともに、どんどんテンションが高くなっていく様子が伝わってきて、こちらは圧倒されてしまいます。また、ライザのこの衣裳の「露出度の高さ」が、この曲のストーリーを伝えるときに非常に効果的です。この曲の前半では、ライザのスターダムを駆け上がるなかでの「孤独感」が漂いますが、そのとき、この真っ赤なマイクロミニから覗く、白く細長いライザの手や足の動きが、広いスタジオの空気に晒され、たったひとりで歌うライザの心細さを表しているかのようなのです。しかし後半は一転して、この「露出度の高さ」こそが、ライザの自信を見事に表現するのです。あれほどの衣裳を着こなし、歌い踊れるのは、この私しかいない!というようなライザをうみだす、紫吹さんの迫力は素晴らしかったですよね。

BW版の公式HPのvideo galleryとphoto galleryで見た限りですが、BW版ダンサーの衣装に比べて、日本版ダンサーの衣装は、また異なる視点から、ダンサーの動きを堪能できるものになっています。BW版に比して、膝から上の身体の動きの表現という点では、今回の衣装の方が、身体の放つエネルギッシュなパワーをよりダイレクトに感じることができるものではないでしょうか。しかし、その分、それを着て踊るダンサーにとっては、厳しさを要求してくる衣装だったかもしれません。単に身体のラインということだけでなく、振りに伴う筋肉の動きが立体的に三次元で伝わってくるような衣装なのです。しかし身体のパーツごとのキレが手に取るようにわかるこの衣装、青山さんの躍動する身体を堪能するには、最適な衣装であったことは明らかです。(ベルボトムシルエットが、膝から下の動きの鋭さを堪能することを妨げることはありますが・・・。)そして男女ともに同じ衣装を着ることによって醸し出される男女の性差の曖昧さとボーダーレスな感じ、さらにはそのことによる独特な艶っぽさは、このショーの魅力を増大させていましたが、その程度はBW版の白フリルシャツによるそれを遥かに超えていた気がします。

この曲のフィニッシュは、今や栄光をこの手にしつつあり、自分の運命のあり方に気づいた輝くばかりのライザを、青山さんともう一人の男性ダンサーの方が、力強くリフトするというものです。それまでもスポットライトは十分すぎるぐらいにあたっていたはずですが、この瞬間の宙高くリフトされるライザには、降り注ぐスポットライトのすべてをその両手につかむ自信が満ちています。

ダンスシーンのリハーサルが終わり、リフトされたライザを青山さんたちがフロアーにそっと下ろすと、それまでの空気がガラリと変わります。素晴らしいダンスを共に作り上げた一体感が、ライザとバックダンサーたちに生まれているのです。青山さん@ダンサーも紫吹さん@ライザと言葉を交わし、心の底からその喜びを分かち合っている様子が伝わってきます。そして、他でもない青山劇場の観客が、「リハーサル」として目の前で繰り広げられた素晴らしいダンスに、割れんばかりの、惜しみない拍手を送っていて、「観客」を想定していないはずの、その「リハーサル」としてのダンスシーンに、「観客」として完全に引き込まれてしまっているのです。ライザの高揚感をバックダンサーのみならず、観客も明らかに共有していたのです。OZのダンスシーンに特有なのは、この感覚です。台詞のやり取りやピーターのストーリーテリングが多いなかで、適所に差し挟まれるダンスシーンは、眼の前で繰り広げられる「ショー」として観ている者を引き込み、その時代と場所に、いつの間にか立ち合わせる、という感じなのです。今回のOZは、WSSなどと比して、決してダンスは多いとは言えないかもしれません。しかし、2時間40分という上演時間にピーターの約40年間の波乱に満ちた人生を盛り込むというこのミュージカルに、奥行きとリアリティーを与えているのは、紛れもなく随所に散りばめられたダンスシーンであり、アンサンブルが作り出した「場」でありました。

話は戻りますが、確か台詞にもあったと思うのですが、そんなライザにとっては、バックダンサーたちは、「夢」を分かち合うことのできる「家族」のようなもの。彼らと楽しそうにリハーサル後の談笑を楽しむライザには幸せそうな表情が読み取れます。そこへ、ライザの母ジュディーの死を知らせに来たピーターが現れます。今のライザにとっては、明らかにピーターよりバックダンサーたちのほうが近い存在、仲間と感じていることが伝わってきます。ここでも、Continental Americanに引き続き、ピーターが一人取り残されていくという、孤独感がより一層際立ちます。そして、素晴らしかったダンスシーンの後の高揚した空気が、ピーターによってもたらされたジュディーの死の知らせによって、ここで再び、悲しみと衝撃に満ちた重苦しいものへと一変するのです。「ジュディーの死」という、これ以後のピーターとライザの関係に深い影を落とすことになる出来事の衝撃が、あのダンスシーンによって高揚感を得ていたライザやバックダンサーたちにも、そして、あのダンスシーンによってそんな舞台の空気と一体化していた観客にも、より大きなものとして伝わるのです。リハーサルから引き上げていくバックダンサーたちの後姿にはライザの悲しみへの共感と受けた衝撃の深さがにじみ出ています。

このシーンの後、ライザはピーターに別れを告げることになります。咲き誇る「真紅の薔薇」のように、スポットライトに照らされた輝くばかりの栄光のすべてを、手に入れたかのような華やかなステージの陰には、I’d Rather Leave While I’m in Loveの歌詞のごとく、「枯れてゆく薔薇」のような傷ついた心があります。Continental American、そしてこのShe Loves to Hear the Musicでの青山さんを観ていると、そのようなピーターとライザの心の風景というものが、こちらにグッと迫ってきます。そして、これらのシーンを通して強調されたピーターの孤独感があるからこそ、ライザも、ジュディーも、おまけにアレンブラザースの相方のクリスもいなくなって、本当に一人ぼっちになったピーターが今度は、第一幕最後のNot the Boy Next Door以降、「ありのままの自分」を見つけ、人生のパートナーとも出会い、キャリアの頂点へと上り詰めていくドラマティックなプロセスに、ピーターに寄り添いつつ、観客も入り込んで行けるのではないでしょうか。

やがてこのように第2幕前半で「すべてを手にいれた」はずのピーターは、第2幕後半で、パートナーの喪失、自身の病、マネージャーとの決別と、全てを失ない、悲しみに打ちひしがれます。しかしそこからピーターを引き上げ、覚醒へと向かわせるのは、他でもないライザなのです。「セックスとエゴと野心さえなければ、私たちはうまくいっていたのにね」という台詞で、ピーターとライザによって振り返られる過去に、Continental AmericanとShe Loves to Hear the Musicのシーンが重なります。第2幕後半そのシーンのYou and Me の歌詞にあるように、「すべての夢がかない、すべてを手に入れたはずの」ふたりが唯ひとつ失くしたものが「愛」だった、というピーターとライザの「取り戻すことのできない過去」に奥行きを与えるのも、この第1幕の二つのシーンContinental AmericanとShe Loves to Hear the Musicがあるからこそです。そして「咲き誇る真紅の薔薇」も「枯れてゆく薔薇」も、すべてを受け入れて、傷ついたピーターを救いだすライザの存在感に深みを与え、出会い、結婚、別離を経ての二人の友情をきわだたせるのです。第1幕の「見せ場」でもあり、第2幕の展開にも重層的に作用するこの2シーンで、青山さんは、その空気を見事にその身体によって創り出し、その画像を鮮烈に観客の目に焼き付けていました。

ところで、She Loves to Hear the Music/音楽を聴くのが好き、この曲の歌詞、確かに他の何はなくとも音楽がなくては生きてはいけない、というライザのためにあるようなものです。しかし、音楽が流れて踊りだすと、「水を得た魚」のように俄然輝きだす青山さんを観ていると、この曲の歌詞、そのまま青山さんのためにあるような気さえしてきます。ライザの「内なるリズム」と彼女を突き動かす「衝動」が青山さんに化身して、と先ほど書きましたが、このシーンで踊る青山さんを、客席に座って眼の前に観ていると、「このひとは踊るために生まれてきたひとだな」と、観るたびごとにどうしても感じてしまうのです。単に、踊るために生まれてきたと言えるような完璧な「身体」を持っているということだけではないのです。あの身体全体から溢れる豊かな表情、とりわけあの「眼の輝き」を見ていると、新たな驚きにも似た感動に包まれてしまいます。

OZのなかで、青山さんの「一番のお気に入り」だというこのシーン、観劇前からBW版HPやTVの特番の稽古場映像などで、いろいろ私なりに想像していたのですけれど、やっぱりこの眼で実際に観て、あの空気を体感したら、想像以上に、限度を超えた「かっこよさ」でした。とにかく、ファンの方には絶対観ていただきたい青山さんがそこにいる、そんなシーンでした!


※このダンスシーンは、ボブ・フォッシーが監督し、ライザ・ミネリが出演した1972年のLiza with a ‘Z’をイメージしたシーンのようです。DVD『FOSSE』に収録されている”Bye Bye Blackbird”( Liza with a ‘Z’からの曲)は、OZのこのダンスシーンを彷彿とさせるもので、興味深いです。ボブ・フォッシーの振り付けの特徴とされる「猫背・内股」のうち、特に「猫背」な感じが、振り付けに取り入れられているようです。青山さんのフォッシー調なダンスを堪能できるシーンです。

◆『ボーイ・フロム・オズ』詳細レポ Ⅱ

2007-08-03 01:23:14 | ボーイ・フロム・オズ
♪Continental American 「コンチネンタル・アメリカン」

Continental Americanでの青山さんは、男性とも女性とも、誰とでも欲望の赴くままに関係を持つというイージーな世界を、まとわりつくように、とってもウェットな感じで、一度踏み込んだら泥沼のように抜け出せないような陶酔感を漂わせながら、表現しています。しかし、そこにはパートナーへの感情のようなものは差し挟まないというドライさがつきまとうのです。”Nights would end at six am. / You’d sleep all day / and then start dancin’ again / The first to see the end.”という歌詞のように、昼も夜も区別がつかなくなるぐらいに抜け出せなくなるような頽廃と快楽の坩堝に嵌っていく様子が描きだされるのです。

この場面での青山さんは、ラメがたくさん入ったグレー系のトップスに、黒のベルボトムのパンツ、首には、ラメ入り(?)のショールをかけています。ピーターのマンションで、一人取り残されたピーターを、数人のそれらしき男女が「ピーター、ピーター」とけだるい声でプレイへと誘い込んでいるところへ、曲の始まりとともに、舞台右手から、様々な仕方で快楽に溺れていく男女が、横一列に並んで入ってくるのです。その最前列の女性は、ヒールを履いて、小刻みに脚をひきずるような振りで出て来るのですが、青山さんはその最後尾、眼鏡をかけた男性との絡みで倒錯的な陶酔を感じさせつつも(初演版では安倍康律さん?、再演版では後藤宏行さんとペアでした)、振り付けは飽くまでスタイリッシュ。このシーンでの振り付けは、全体的にとても官能的で、エロティシズムを感じさせるもの。そして単にカッコイイという意味の「スタイリッシュ」さを通り越して、青山さんには、様式styleとも言える完成された「かたち」を感じてしまいました。冒頭のこの部分の振りは、このあともダンサーがあちらこちらへと分散したかたちで、繰り返されます。

曲の盛り上がりとともに、ピーターと一人の女性(紀元由有さん)をアンサンブルがリフト、二人を囲むようにアンサンブルが絡みながら取り巻くのですが、このとき後方に回って踊る青山さんの波打つような腕の動きが必見なのです!ここでは、酒やドラッグに溺れて、落ちていく感じがよく出ていました。ちなみに、この青山さんの腕の動きを見られたのは、後方席のときでした(特に右側の後方席です)。

そして中盤のダンスは、とっても頽廃的でセクシーな感じ、流れるようでいて、まとわりつくようなウェットな感じです。これから70年代に入っていくという60年代末の、時代の空気の粒が、観ている側にも発散されるのが感じられるような錯覚に陥ります。手や腕全体を使って身体をなぞるような振りや、フロアーをなでるような感じのステップが、ラメ入りの衣装の質感と首にかけたショールの揺れと相まって、底なし沼のような官能と頽廃の空気を充満させていました。それでいて、そこには孤独感が漂うのです。

そしてこのシーン最後で、ピーターがソファーで男性と絡んでいる傍らの、グランドピアノの上で、青山さんは女性の方との情事を踊るわけですが、お互いに反対方向からピアノに寄っていき、ピアノの上に乗るまでの、青山さんと女性ダンサーの方のタイミングと脚捌きが絶妙のかっこよさ。このグランドピアノの場面については、完璧すぎますので、ここまでに。初演時より、「アルマーニのファッション写真」から抜け出たようだ!と私達ファンのあいだでは、話題になりました。快楽に溺れていく、まさにそのところで、予想外に早く帰宅したライザの叫びにも似た声で、彼らの世界に終止符が打たれるのですが、その現実への「引き戻される」感じを、青山さんはとても巧みに表現していたのです。その場限りの、情も何もない関係を、もてあそぶかのような終わり方、そしてピーターとライザを蔑むようなせせら笑いで部屋から引き上げていくその仕方は、ライザの受けた衝撃とピーターの孤独感を強調し、同時に短かったピーターとライザの蜜月時代の終焉を浮き彫りにしていました。このシーンの背景には、「ライザの亭主」としてしか扱われないというピーターの孤独感とさびしさ、ライザの上り調子のキャリアとは裏腹の、自分のキャリアの行き詰まり感から、自分自身の居場所を確かめるために、つかの間の快楽を求めてしまうピーターの存在があります。このつかの間の結びつきが、「偽りのもの」だとわかりすぎるぐらいわかっているがために、そのつかの間の一体感が崩れて、実際にピーターに牙をむいたときに、ピーターがより一層隅に追いやられ、感じた孤独感というものが、観る者によく伝わってくるのです。Continental Americanでの青山さんのダンスと演技は、まさにその流れを観客に伝えているのです。

また一方でこの場面は、ピーターのゲイというセクシャリティーを、最もわかりやすい形で観客に指し示す場面ですが、このようなイージーさと孤独感を伴った表現が、第2幕でのピーターとグレッグとの出会いと関係を、より運命的でピュアなものと位置づけるための、大きな要因になっているように思われます。ピーターや、ゲイ・アイコンであったジュディーの台詞においては、ピーターのセクシュアリティーについて、かなり多くの言及があるのですが、まだピーターが「ありのままの自分」を曝け出していない第1幕では、ピーターの「演技」にゲイとしてのセクシュアリティーを感じさせる部分があまり織り込まれていない気がします。第2幕でも、「ありのままの自分」を曝け出した後のピーターは、そのしぐさや台詞の言い方、そしてパフォーマンスに「それらしさ」が出て来るのですが、やはりストーリーテラーとしての役割を負っていることもあり、100%全開ということではありません。確かに、このContinental Americanで、青山さんはピーターのパートナーを直接に演じていたわけではないですし、以前にレポしたLove Crazyでも、ほんの一瞬「男の子大好き」なピーターのお目に留まっただけだったかもしれません。しかし、先ほど述べたような、第1幕におけるピーターのセクシュアリティーの示され方と合わせて考えると、青山さんの存在は、第1幕においては、そんなピーターのセクシュアリティーを映し出す「鏡」のようなものであったように思われてくるのです。

この後に続くライザとのダンスナンバー、She Loves to Hear the Musicで、ライザが、ピーターではなく、音楽こそが私の生きる道と、目覚めていく展開に説得力を持たせるのも、このContinental Amrericanの衝撃が大きく関わっているは言うまでもありません。