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路上の宝石

日々の道すがら拾い集めた「宝石たち」の採集記録。
青山さんのダンスを原動力に歩き続けています。

◆土曜の夜に

2014-07-13 03:55:12 | はじめに
先日の観劇の記念として、劇場からの夜景をアップ。
素敵な作品をありがとうございました。


星空と光の海のあいだ。
Scenephonic Dances on the Edge of Two Hemispheres.
2014年6月17日 幕間のひととき。
And the fever continues.

◆『ALL SHOOK UP』観劇レポ

2007-12-11 15:24:57 | ALL SHOOK UP
さて、12月8日に開幕した『ALL SHOOK UP』ですが、つい先日、早速私も観劇してまいりました。とにかく、前評判どおり、いや、それ以上に楽しいミュージカルで、音楽と笑いに溢れたすごくハッピーな作品、というのが第一印象です。とにかくコメディー路線を突っ走ってくれるので、笑っちゃうわけです。調子に乗って大笑いしすぎている自分の笑い声でふと我に返って、あっ、あんまり大きな声で笑っちゃいけない、と気がつく、そんな感じでしょうか。坂本さんをはじめキャストの皆様、さすがですね。何が楽しいって、台詞は勿論、しぐさ、話している相手との絶妙の間・・・。坂本さんチャド、湖月さんミス・サンドラ、岡田さんデニスの「身のこなし」を見ているだけで、引き込まれ、笑わされ、飽きない。それぞれの身振りにキャラクターがにじみ出ていて、「こういう感じの人っているいる~」となんだか納得させられてしまう。特にデニスは50年代を舞台にした映画とかに、なんだかスゴクいそうな、どこかで見たことのあるキャラで楽しませていただきました。そして、エルヴィスの音楽とともに次から次へと飛び出してくる、お客さんを楽しませてくれる演出の数々!途中15分ほどの休憩を挟んで約3時間の上演時間だったと思いますが、とにかく開演から終演まであっという間でした。溢れるダンスと歌、そしてキャストの皆さんが突っ走るコメディー路線に、何も考えず心の底から思いっきり楽しむことができ、最後は一緒に手拍子して歌って踊りたくなる、そんな作品でした。熱いチャドがさわると感電する大掛かりな舞台セットや、誰かが恋に落ちた瞬間にキャストがストップモーションになったりする演出、キャストの皆さんが次々とブルースエードシューズを履いて、歌とダンスを心から楽しんでゆく様子を観ていると、こちらにもハッピーな気分が伝染してくる、そんな感じです。ものすごくわかりやすい!ドタバタすぎる絶対にありえないような展開!でもそれがすごく気持ちがよくて、笑っちゃう、そんな感じでしょうか。キャストの皆さんが思いっきりパワフルなので、こちらも思いっきり笑ってこないと損!そういう舞台なので、これから行かれる方は、風邪なんてひいてしまうともったいないので、気をつけたほうがいいですね。

それで、青山航士さんファンとしたら、やはり弾けるダンス!!冒頭から大満足です。坂本さんの歌声とともに、青山さんが歌って踊る!!皆さんそうだと思いますが、青山さんの歌声を聞きながら、踊っているのを観られるなんて、ものすごく贅沢なことですよね。まだ始まったばかりなので、ネタバレできませんが、ファンとしてはもっと歌っている青山さんも観たい(聴きたい)と思ってしまうぐらいかもしれません。それで青山さん、やっぱりリーゼントっぽいヘアースタイルが似合っていますよね。『TOMMY』のときより少しルーズな感じですが、それがまたすごく素敵でした。今回の衣裳は、全体的に50年代の田舎町のレトロな感じですが、途中であっと驚くシーンも数々あって、楽しめます。ステージ上をあちらこちら動き回るというダンスシーンでないときも、制限されたスペース内での動きがとにかく激しい!けれども、そこは青山さんです。ファンの期待を裏切りません。考えられない角度で瞬時に高く蹴り上げられる脚、その一方でしなやかにのびやかに反る上体、そして表情豊かに語る腕・・・。やっぱりダンスの多い作品はいいな、そんなふうに思うシーンも数多くありました。また、青山さんのダンスを観ていて思ったのは、シーンによって微妙にテンションのようなものを演じ分けているのではないか、ということでした。戸惑いのあった町の住人が、チャドの音楽と愛によって心を開いていく、そんな流れが、青山さんのダンスを観ていても感じられました。まだ公演も前半なので、今日はあれこれネタバレしないでおきますね。

私にとっては久しぶりの青山劇場だったので、そのこともなんだかうれしく感じる観劇でした。そういえば、青山劇場って、私が青山さんのダンスに出逢って、こうしてミュージカルを頻繁に観るようになって一番通っている劇場なんだわ~、としみじみ感じ入ったりもして。まだご覧になっていない方も多いと思いますので、これぐらいにしておきますが、素敵な歌の数々にも酔いしれました。フィナーレで、大きなステンドグラスを背景にキャストの皆さんが歌って踊るシーンは、一番盛り上がるシーンかもしれないですね。OZのときもそうでしたが、千穐楽に向けてステージと客席の呼吸がさらにピッタリと合って、舞台のテンションももっとあがっていく、そんな予感のする作品でした。



パンフレット情報
2000円で販売されていました。キャストの皆さんのお写真やインタビューが掲載されていて、盛りだくさんの内容。パンフレット内でエルヴィスの解説をされている前田絢子さんが訳されたエルヴィス関連の本、ちょうど読んでいたところだったので、今度ご紹介する予定です。青山さんのお写真もとても素敵でした。

◆Bmgジャパンより発売の『ALL SHOOK UP』CD

2007-11-28 12:40:39 | ALL SHOOK UP
11月21日にBmgジャパンより、『ALL SHOOK UP』のCDが発売となったようです。私のように、Original Broadway Cast Recoedingの輸入盤を聞き込んでいる方も多いかもしれませんが、曲目リストを見てみると、邦題がつけられている場合もあって、参考になります。エルヴィスの曲は、オリジナルが発売となった時に、魅力的な邦題がついていたようですが、今回の『ALL SHOOK UP』では、それぞれの曲にどんなタイトルがつけられるのか、気になりますよね。

OZのときにも、忠の仁さんの素晴らしい訳詞が、日本版のストーリーにピッタリとはめ込まれ、まさにジュークボックス・ミュージカルの王道を行くような世界が展開していました。OZの日本版サントラを望む声が多いことにもうなずけるのですが、今回の『ALL SHOOK UP』も、坂本さんをはじめとするキャストの皆様の迫力ある歌声によって、エルヴィスのオリジナルがどんなふうに進化するのか、また、青山さんたちのダンスによって曲のイメージがどんなふうに立体的に視覚化されるのかがとても楽しみです。心に響く訳詞やアレンジにも期待してしまいます。

これまでも、記事のなかでいくつかの曲を取り上げてきました。CDを聴いていると、まだまだ魅力的な曲がたくさんあって、あの曲もこの曲も予習しておきたい。でも、初見までにそれらをどの程度記事にできるかわかりません。そこで今日は、11月21日に発売の『ALL SHOOK UP』日本版レーベルCDの曲目をたよりに、曲目一覧を載せてみます。パンフレットに記載される日本版のタイトルとこのCDのタイトルが一致するのかわかりませんし、曲順は日本版ステージでは変わる可能性がありますので、参考までにご覧になってみてください。

英語タイトル、日本語タイトル(CD)の順番です。エルヴィスオリジナル発売時の邦題が別にある場合には、右横に〔〕で表記しました。なお、リリースされた年は、アメリカでのものを記載しました。

♪Overture 序曲
♪Love Me Tender ラヴ・ミー・テンダー 〔ラヴ・ミー・テンダー(やさしく愛して)〕1956
♪Heartbreak Hotel ハートブレイク・ホテル 1956 
♪Roustabout 青春カーニバル 1964 
♪One Night With You ワン・ナイト 1958 
♪C’mon Everybody 好きだよ、ベイビー 〔好きだよ、ベイビー(カモン・エブリバディー)〕1964
♪Follow That Dream 夢の渚 1962 
♪Teddy Bear/Hound Dog テディー・ベア/ハウンド・ドッグ 1957/1956
♪Teddy Bear Dance テディ・ベア・ダンス
♪That’s All Right ザッツ・オール・ライト 1954
♪(You’re the )Devil in Disguise 悲しき悪魔 1963 
♪It’s Now or Never  イッツ・ナウ・オア・ネヴァー 〔イッツ・ナウ・オア・ネヴァー(オー・ソレ・ミーオ)〕1960
♪Blue Suede Shoes ブルー・スエード・シューズ 1956
♪Don’t Be Cruel 冷たくしないで 1956 
♪Let Yourself Go レット・ユアセルフ・ゴー 〔その気でいこう〕1968
♪Can’t Help Falling in Love 好きにならずにいられない 1961 
♪All Shook Up 恋にしびれて 1957
♪It Hurts Me イット・ハーツ・ミー 〔胸に来ちゃった〕1964
♪A Little Less Conversation ア・リトル・レス・カンバセーション 〔おしゃべりはやめて〕1968
♪The Power of My Love わが愛の力 1969
♪I Don’t Want To 好きになりたくないんだが 1962
♪Jailhouse Rock 監獄ロック 1957
♪There’s Always Me ゼアズ・アールウェイズ・ミー 〔ゼアズ・オールウェイズ・ミー(この愛をいつまでも)〕1967
♪If I Can Dream 明日への願い 1968
♪Fools Fall in Love フールズ・ファール・イン・ラヴ 〔恋のあわてん坊〕 1967
♪Burning Love バーニング・ラヴ 1972
♪C’mon Everybody Encore 好きだよ、ベイビー(アンコール)

エルヴィスのオリジナルが発売されたときの邦題がそのままつけられている場合もあるようですが、タイトルを含めた日本語歌詞、素敵なものになるとよいなあ、と思います。一覧をこうして眺めてみると、無邪気な邦題が、古きよき時代のノスタルジーと50年代のハッピーなラブコメの雰囲気を感じさせてくれる場合もありますが、オリジナル発表時に比べると観客の英語耳は格段に発達していると思われる現在においては、英語をカタカナ表記で表したほうが、ピッタリくる場合もあるかもしれませんね。また、エルヴィスの800曲にも及ぶレコーディングソングから、シーンにピッタリくる曲を選んだという選曲も、実際のステージでどんなふうに効果を発揮するのか、楽しみです。こうして少し調べただけでも、「エルヴィスと言えば」のメジャーなヒット曲から、シングルのB面、または映画のサントラからの曲など、さまざまな背景を持つ曲が選ばれていることに気がつきます。またそれらの曲もエルヴィスのために作詞・作曲されたものもあれば、他のアーティストによって歌われていた曲をエルヴィスがカヴァーしたものもあります。メジャーな曲でもマイナーな曲でも、この作品を通してそれらに出逢うことによって、たくさんの発見と感動がありそうですね。

お稽古場では、初通しがあったということですが、キャストの方々のブログを拝見すると、お稽古場の楽しく熱い空気が伝わってきて、とても楽しみです。

◆縞模様とダンス/”Jailhouse Rock”

2007-11-23 22:37:38 | ALL SHOOK UP
さてさて、ここのところ「歌」メインで記事を書いてきましたが、やはりミュージカルのもう一つの楽しみは、「ダンス」ですよね。皆様は『ALL SHOOK UP』の音楽をCDで聴きながら、ステージでのお姿を想像して、青山さんのダンスが楽しみ~♪になってしまう1曲って、どれでしょう?私の場合は、いくつかありますが・・・、やはり!”Jailhouse Rock”は、ダンスシーンとして楽しみにしている曲のひとつです。この曲は、ここのところ取り上げているLeiber and Stollerがエルヴィスのために書いた1957年のヒットソングであり、同年公開のエルヴィス主演映画『監獄ロック』に合わせて、リリースされたものだそうです。ベースとドラムの音が印象的なイントロ部分の音楽を聴いただけで、青山さんファンならそのダンスを想像して心がくすぐられてしまう、そんな1曲だと思います。

CDのsynopsisを読んでいると、この曲は『ALL~』では第2幕中盤で、町の人々の奔放な行いを嘆くMayor Matildaが、彼らに悪影響を及ぼすChadを投獄することを想像するシーンで取り上げられるようです。ただ、以前に見た米国ツアー版のHPのsynopsis(だったと思います)には、この曲は1幕冒頭でChadが出所するシーンで使われる曲である、ということが書いてあったような気がしました。(←今はこのHP見られないので、わかりません。)あと、私がネット上で見た韓国版のステージ映像でも、やはりこの曲が冒頭で使われている印象でした。お稽古場での振付はこの曲から始まったようですが、実際のステージではどのシーンでこの曲が使われるのでしょうか。青山さんの魅力が爆発するインパクトの強いダンスが期待できそうなシーンなので、楽しみです。そういえば、Overtureの音楽の冒頭部分にも、この”Jailhouse Rock”の印象的なイントロが組み込まれていました。ステージ自体のオープニングもどんなものになるのかが、気になりますね。お稽古場には、韓国版で使用されたセットなども持ち込まれているようですが、エルヴィスのオリジナルや韓国版のような、高さのあるセットを生かした躍動感と動きのあるダンスシーンを期待してしまいますよね。エルヴィスのオリジナルでも、韓国版でも、曲の始まりとともに、縦横に走る鉄格子の向こう側に浮かび上がるダンサーさんたちのシルエットが、とても素敵です。Chadを演じる坂本さんの歌声とともに、青山さんたちが歌い踊る・・・、想像しただけでも心躍る素敵なシーンになりそうで、本当に楽しみです。

ところで、BW版、韓国版の写真や映像を見た限りでは、『ALL SHOOK UP』での”Jailhouse Rock”のシーンは、イメージ的にエルヴィスのオリジナル・ヴァージョンの影響をかなり色濃く受けている感じがします。モノクロ・カラー両ヴァージョンともに、You tubeで見られますよね。『ALL~』は、全編エルヴィスの音楽を使ったジュークボックスミュージカルですが、エルヴィス自身の生涯を描いた作品ではありません。そんな『ALL SHOOK UP』という作品で、エルヴィスの出演作のなかでも最も有名なダンスシーンといわれている”Jailhouse Rock”をイメージしたダンスシーンが、ストーリーのなかに織り込まれる・・・。やはりこの曲は、特別なダンスシーンとして位置づけられているのでしょうか。

ミュージック・ビデオの草分けであり、映画史にポップスとロックが刻んだ記念碑的な瞬間といわれるこの作品の振付は、Alex Romeroという振付家によるものだそうです。彼は、映画『踊る大紐育』(1949)や『パリのアメリカ人』(1951年)でジーン・ケリーとも共演している優れたダンサーだったそうですが、やがてMGMの映画の振付家として活躍し始め、エルヴィスの映画の振付も”Jailhouse Rock”のほかに3本担当しているそうです。それで、Romeroがエルヴィスのために”Jailhouse Rock”の振付として最初に考えたものは、フレッド・アステアが踏むようなタイプのステップだったらしいのですが、エルヴィスにこれを試してもらったところ、やはり合わない。(合うはずがない・・・、かもしれませんね~)・・・ということで、Romeroはエルヴィスに、試しに、いつもステージで”Hound Dog”,”Don’t Be Cruel”,”All Shook Up”などの曲をパフォーマンスしているような感じで踊ってみるように提案したのだそうです。そのエルヴィスの様子を見たRomeroは、直ちに家に帰り、いつものエルヴィスらしい動きを使ったルーティーンを編み出したそうなんです。その結果生み出されたのが、今日我々が楽しんでいる”Jailhouse Rock”のあのダンス!リハーサルの段階で、エルヴィスは、Romeroを通して、映画『ウエスト・サイド物語』のリフ役でも有名なRuss Tamblynを紹介してもらい、ダンスが上達するように一緒にレッスンをしたのだとか。

今から約50年前に生み出された”Jailhouse Rock”、勿論50年前のクラシックな感じは受けますが、その一方で瑞々しいエルヴィスの魅力が画面いっぱいに溢れていて、たくさんの男性ダンサーが歌って踊るあのシーンからは、50年前とは思えない新鮮な感じを受けるのも事実です。1957年映画公開時の邦題は、ご存知のとおり、『監獄ロック』。日本版『ALL~』では、”Jailhouse Rock”は「監獄ロック」と訳されるのでしょうか。「監獄」って、ちょっと堅くて古臭いイメージがあるから、50年代テイストと言っても現代的にアレンジしてあるだろう『ALL SHOOK UP』の世界には、ちょっとピッタリ来ない気がしますね。ちょっと古臭くて恐ろしいイメージのある「監獄」という言葉からイメージするのは、一般的には、一方的に見られる(監視される)抑圧された場ということになりましょうか。ミュージカルにおいても、「監獄」が設定として入ることがありますね。例えば、極限状態に追い込み、精神状態を破壊させるような監獄の世界を舞台上に展開したのは、昨年の『ビューティフル・ゲーム』にあった「監獄」のシーンなどではないでしょうか。あの作品は、憎しみの連鎖やテロリズムといった、非常に重いテーマを扱った作品だったので、抑圧された極限状態を表現するために、ああいった動きを抑えた演出になっていたのかもしれませんね。しかし、エンターテインメントとしての性格が強いミュージカルに組み込まれる「監獄」は、そのような「見られる」立場を逆手にとって、「見せる」というショーの要素を、普通のステージシーンよりも一段と強く観客に印象づけ、観客の視線を巧妙に絡め取る非常に魅力的な装置となりえるのかもしれません。今回の『ALL~』は、『ビューティフル・ゲーム』とは全く毛色の異なる作品。「監獄」といっても、全く違った方向性を持った、躍動感溢れるダンスを思いっきり楽しめそうなシーンになるんじゃないか、とかなり期待しているんです。

また青山さんとは関連性はありませんが、『CHICAGO』にも、妄想と現実の狭間を彷徨うワケあり女囚たちが、監獄という舞台で蠢く”Cell Block Tango”なんていう素晴らしいダンスシーンがあります。刑務所の牢獄に閉じ込められているはずの女囚たちが、鋼鉄製の鉄格子を捻じ曲げるかのような勢いで歌って踊るあのシーンは圧巻。囚人なのに看守に変貌してしまったかのようなあの女囚たちによって、逆に私達観客が囚人にされて、そのまなざしを拘束されてしまったかのように錯覚してしまう迫力あるシーンです。でも同時に、硬質で冷たい鉄格子に絡みつくような、哀しく激しい運命を背負った女囚たちの体温が感じられるシーンで、非常に妖艶さの際立つシーンでもあります。Fosse作品のあんなシーンで踊る青山さんもきっと素敵でしょうが、あのシーンでの主役は、やはり女性ダンサーたち。青山さんだったら、そんな女性ダンサーたちの引き立て役としてのダンスもセクシーに難なくこなして、女性ダンサーの魅力を引き出してくれることは間違いなしでしょう。

・・・でも、私は勿論のこと、ファンの皆さんがやはりずっと見たいと思っていたのは、”Jailhouse Rock”のようなシーンだったのではないでしょうか。私の場合、エルヴィスのオリジナルを意識的に見たのは、今回の『ALL SHOOK UP』がきっかけだったのですが、そのエルヴィスのオリジナルを見るたびに、「監獄」という特殊な場をショーに組み込むという発想自体が、なんて面白いのだろうと改めて思います。しかも、もともとが抑圧・拘束・監視の象徴であるような場である「監獄」を、「ロック」という音楽と組み合わせることにより、看守まで巻き込んでエネルギーが炸裂するようなパーティーの場に変えてしまうなんて!その発想自体がRock’n’Roll!50年前にこんなミュージック・ビデオが作られていたなんて本当に驚きです。鉄格子の柵それ自体が、あの囚人たちの着る、白と黒の縞模様の衣裳のように、終わりの来ない監獄での単調な毎日をイメージさせるようなものです。しかし、そんな鉄格子の「向こう側」から白黒のストライプの衣裳を着た囚人であるダンサーたちが、あの音楽とともに「こちら側」へとやってくるときに生まれるスリリングな感覚!そこには、もうそんなネガティヴなイメージにつきまとわれた「監獄」を突き抜けた何かがあるわけです。ダンサーたちがたたきだす音楽とリズム、そして弾けるようなエネルギーによって、めまぐるしいRock'n'Rollの世界に巻き込まれてゆく・・・。そこではまさに、あの白黒のストライプ模様が、心躍る音楽とリズムをうみだす世界に逆転してゆくといった感覚でしょうか。それは、客席に座っている私たちが、あのドキドキするような音楽とダンスの始まりに感じる、何とも言えない胸の高鳴りとともに、ステージという”jailhouse”に投げ込まれる、そんな素敵な瞬間かもしれません。

ところで、「縞模様」の衣裳が魅力的な”Jailhouse Rock”。「縞模様」の衣裳といえば、青山さんの数々の素敵なお姿が思い出されます。何だか私がこんなこと喋っていると、相変わらず「ピー○のファッションチェック」みたいになっちゃって、なんだかなあ~、という感じなのですが・・・。あんな素敵なシーンもあったな、と思い出す手がかりということで、ご了承くださいね。

まずは昔からずっと言い続けている、私的ベスト5に入る2002年『おどろんぱ!』での「からだはドラム」での鮮やかなマリンのTシャツ姿。海辺の快活さと開放感、敏捷性、リズム、音楽・・・。そんなストライプの気分がぎっしり詰まった青山さんの魅力全開なダンスに心奪われたのは、おそらく私だけではないはず。
同じく「おどろんぱ!」や『テネシーワルツ』でのピエロ役のカラフルなストライプ。道化役の多色の縞模様は、見ているだけで視覚的に撹乱されるような感覚に包まれますが、あの縞模様を着てパントマイムをする青山さんのピエロには、日常を非日常へ、非日常を日常へと、観る者のまなざしをいざなう不思議な力がありました。いつか話題になった「カラフルなキャンディーの包み紙のような衣裳」、私も大好きです。
そして、「おどろんぱ!」の「クリームソーダ」での緑を基調にしたストライプのTシャツの着こなし。鏡に向かっている「ひとみちゃん」の周りで踊っているときの甘さの感じられる雰囲気と、シャープでいながら洒落たムードに溢れたシュワシュワッなダンスシーンとのギャップが、まさに「クリーム+ソーダ」のストライプ状態!おにいさんず三人三様のストライプTシャツが素敵な1曲でしたね。
それから、忘れちゃいけない!「おどろんぱ!」の「こーじくん」のあのユニフォームには、スポーツウェアらしい部分的なストライプ(ライン)が、縦横無尽の跳ねてしなる、青山さんの身体能力の高さを物語るかのように、エネルギッシュに身体のラインをなぞりながら走っていましたね!
そして、眼に見える衣裳はストライプではなかったけれど、『ウエスト・サイド・ストーリー』のタイガー。タイガーという青年のあのダンスには、大都会の片隅で他人の眼を挑発して視線を惹きつけると同時に、これ以上は俺たちのシマ(turf)には入れないと敵を威嚇するような、精悍なあの美しい生き物の持つ縞模様が刻印されているかのようでした。青山さんのダンスが劇場に生み出す空気の肌触りには、そんなギリギリのエネルギーのせめぎあいのような緊張感が、始めから終わりまで満ち溢れていましたね。
最後は、いよいよ『ALL SHOOK UP』。”Jailhouse Rock”といえば、さきほども少しふれた黒と白の縞模様の衣裳が、トレードマーク。日本版のステージでは、どんな衣裳になるのでしょうか。きっと青山さんのストライプな衣裳の歴史に新たな1ページが加えられることでしょう。とても楽しみです。(BW版と韓国版はストライプのTシャツだったみたいですが、もし日本版が違ったら、ゴメンナサイ。)

青山さんがどれほど変幻自在なダンサーか、そのことをちょっと思い出してみたくて、わかりやすくするために、ストライプの衣裳をテーマにおしゃべりしてみたわけなんですが、一口に「縞模様(ストライプ)」と言っても、ものすごく多義的な意味を持っていて、観る者にさまざまなイメージと気分を喚起する衣裳みたいです。青山さんは素晴らしいダンスによって、そんな難しい衣裳も見事に着こなし、ダンスのムードを踊りわけ、観客をいつも楽しませて納得させてくださるエンターテイナーであり、ダンサーだと思っています。縞模様だけでなく、どんな色にも、どんな柄にも自由自在に染まって、劇場を訪れる観客に、素敵な魔法をかけてくださる青山さんのダンスに出会えたことって、とてもシアワセなことなのだなあ、と思います。


ところで、昨日は青山さんがブログを開設されて1周年という記念すべき日でしたね。1日遅れてしまいましたが、おめでとうございます。この場でお祝いさせていただきます。
青山さんには何色のバラが似合うか?ということは、ファンのあいだでは昔から話題になってきましたが、やっぱり「青山さんと言えば・・・」の「赤いバラ」を!


・・・。ちょっと伝説の名曲「こーじのバラード」風なポーズをとっているコーヒーカップとバラの花(←私的には、かなり「よそゆき&気合はいりすぎ」モード)になっていますが・・・、お祝いということなので、ご了承くださいね。
いつも楽しいCafeでのひとときをプレゼントしてくださる青山さんへの感謝の気持ちと、いつもお世話になっている青山さんファンの皆様方とともにお祝いしたいなあ、という気持ちを込めまして・・・。
2年目も素敵な1年となりますように、お祈りしております。
コーヒーで乾杯!

◆Black Denim Trousers and Motorcycle Boots

2007-11-16 12:18:01 | ALL SHOOK UP
Leiber and Stoller関連の記事が続きますが、今日は” Black Denim Trousers and Motorcycle Boots”という彼らの曲をもうひとつ、ご紹介です。この曲は、エルヴィスが歌った曲でもないし、ましてや今回の『ALL SHOOK UP』で歌われる曲でもない。・・・のですが、この曲の歌詞を読んでいると、ChadやNatalieのキャラクターと全く無関係というわけではなさそうに思えてきます。そんなわけで、お次はコレだ!と一応1週間前から予定していたもので、今日はコレです(笑)。何だかこんなこと書くのも、アレなんですが、ヒジョーにオタク的な記事であることを最初にお断りしておきます。あれれ~、スミマセン、何だか文のつながり方が意味不明ですが、あまり気になさらないでください(笑)。

前回の記事を書くときに、Jerry Leiber and Mike Stollerについて知りたいと思って、ネットをあちらこちらさまよっていたら、彼らが作った1955年のThe Cheersのヒット曲に、”Black Denim Trousers and Motorcycle Boots”という曲があるということがわかりました。多分、Leiber and Stoller関連でご存知の方も既にいらっしゃるかと思いますが、この曲は、1956年にはエディット・ピアフによって、”L’Homme à la Moto(邦題「オートバイの男」)”というシャンソン・ヴァージョンでもカヴァーされているのだそうです。(←You tubeで見られますが、ピアフ・ヴァージョンはかなり迫力ありますね~。原曲がかわいらしく聞こえてしまうくらいです。)

それで、この曲のタイトルを初めて見たとき思ったのが、これって『ALL SHOOK UP』のChadのようなキャラクターを歌った曲!?ということでした。歌詞を調べてみたら、”He wore black denim trousers and motorcycle boots, and a black leather jacket with an eagle on the back.”なんていうフレーズで始まっていて、この曲の「オートバイの男」の風貌、まさにChadそのまんまではないですか。特にCDジャケットのChadには外見上はそっくり。勿論、Chadのあのroustaboutなヴィジュアル・イメージとキャラクター設定は、1964年のエルヴィス主演映画『青春カーニバル(”Roustabout”)』をイメージして作られたものなのだと思います。(映画に関してはコチラ。)しかし、1964年に公開されたこの映画でのエルヴィスのイメージのルーツも、きっと1955年リリースのLeiber and Stollerによるこの曲で歌われているような世界なのではないか、と思うわけです。

そして、”He had a hopped-up 'cicle that took off like a gun. That fool was the terror of Highway.”というフレーズ。「あっ、この人もハイウェイ暴走してる!」ということで、こちらもエンジン音を轟かせてバイクで突っ走っているイメージが伝わってきますよね。以前にもご紹介した『Denim』という本にも、この「オートバイの男」やChadのような風貌の当時の若者の写真が掲載されています。Leiber and Stollerが作ったこの曲は、55年当時、トップ10ヒットになったぐらいですから、やっぱりChadにも通ずるこの「オートバイの男」のようなキャラクターは、当時の若者像の一つの典型的な姿として定着していたのだなあ、ということを再認識してしまいます。

また、この曲には、Mary Louというガールフレンドが登場します。歌詞のストーリーを追っていくと、この曲に登場する「オートバイの男」は、どうやらこのMary Louよりも、自分の愛車を大切にしていたようで、このMaryちゃんは、長いこと悲しんでいて、周囲からもかわいそうな娘だと同情されていたということを察することもできます。この曲に登場する「オートバイの男」は、Maryが行かないようにお願いしても、バイクを飛ばして行ってしまうような男だったということだったのでしょうか。”he took off like the Devil and there was fire in his eyes!!”なんていうフレーズもあったりして、オートバイで突っ走ることに燃えてる熱い男だったんだな~、なんて思ったり。それでまた、このオートバイの男は、「顔も洗ったことがなく」、「髪の毛も梳かしたことがない」うえに、「爪には機械油がしみ込ん」でいるぐらいに、バイク一筋の男だったらしいというのも、スゴイですね~。

それで、この曲から思い出してしまうのは、やはり『ALL~』のChadなわけですが、衣裳などの外見だけでなく、態度や考え方みたいなものが、「オートバイの男」と似ている気がします。『ALL~』でも歌われる”Roustabout”を聴いていると、特にそのことを感じるかもしれません。バイクの轟音とともに、地平線の彼方から姿を現し、町へとやってくるというChadがまずこの歌で宣言しているのが、「俺は流れ者(roustabout)。町から町へと転々とする。どんな仕事も俺を縛り付けることはできない。」ということだったりします。さらにこの後、「この空の下には、たくさんの場所がある。俺の居場所を見つけるまでは、俺は彷徨う流れ者さ。カワイイ娘に出会ったとしても、軽くあいさつして、さっさとサヨナラ。俺は俺の行きたい道を行く。砂のように漂いながら・・・」と続きます。女の子そっちのけでバイクでわが道を行くことに何よりもこだわっていますよね。そんまんまで申し訳ないですが、ん~、流れ者ですね。でも、この種の男性にひかれてしまう女の子、きっと50年代にはたくさんいたのかもしれないし、そういうひとつの理想像みたいなものがあったのは確かなのかもしれませんね。”Blue Suede Shoes”のときにも、ダンスを踊っている女の子よりも、自分の靴のことを大事にする男の子というエピソードがありました。私はそのへんの事情について詳しくないので大雑把な捉え方で申し訳ないですが、当時のいくつかの曲をこうして聴いていると、なんだかそういう空気みたいなものを感じますね。50年代の「ロックンロール魂」には、何かそういうところがあるのでしょうか。Natalieが男装してChadの気を惹こうとするのにも、きっとChadのそういうroustaboutな好みを察して、普通の女の子では相手にしてもらえないことを承知しているからでしょう。それで、実際にChadはroustaboutな人物として現れるEdを、自分と同類とみなし、お気に入りの相棒としてしまうわけですから。

そして、この” Black Denim Trousers and Motorcycle Boots”を聴いていて、思い出してしまうもうひとりは、Natalieです。正直、『ALL SHOOK UP』のストーリーを知ったとき、Natalieがヒロインなのにオイルが染み付いたようなつなぎを着たガソリンスタンドの自動車修理工である、という設定に結構驚いたんです。そして、それに関連して、冒頭の”Love Me Tender”の途中、Dennisとのやりとりのなかで彼女が語る”Dennis, do you ever think about leavin’ town? Well,someday,someday real soon,I am gonna hop on my motorbike and hit the open road! Besides, it’s not like there’s a guy in this town for me.”という彼女の夢に関しても、かなり唐突な感じを受けました。Natalieが女の子なのに、いつの日にか「バイクに乗って」大好きな人と町を出て行くことを夢見ているということが、ちょっと気になったんです。まあ、女の子なので、自分の人生を変えてくれるような王子様的存在に憧れてしまう、というのはわかるんですが、「バイクに乗って」ということがどうして入ってくるのだろう?と、すごく不思議な感じがしました。まだ、Chadという存在が現れていないというのに。でも、Leiber and Stollerの存在を知り、”Black Denim Trousers and Motorcycle Boots”なんていう彼らのヒット曲のストーリーを知ると、Chadのキャラクターは勿論のこと、Natalieというキャラクターのルーツも、意外とこの曲で歌われているあたりにあったのかな?という気がしてきます。

”Black Denim Trousers and Motorcycle Boots”で、Mary Louがたどるストーリーは、Natalieのそれとは正反対なものとして描かれています。Natalieのキャラクターって、やはり男装のEdというキャラクターが存在するからでしょうか、” Black Denim Trousers and Motorcycle Boots”の「オートバイの男」とMary Louを足して2で割ったようなキャラクターのように思えたりもします。また別の考え方をすると、『ALL~』でのNatalieの物語は、ハッピーエンド路線のなかで、Mary Louが「オートバイの男」に成長するような物語と読めないこともない。ちなみに、ChadとNatalieのデュエット、"Follow That Dream"にある二人の会話の中に、Natalieの"Me,in a white leather jacket, riding towards the horizon,and…"という台詞もあったりします。こんな台詞を聴くと、やっぱり関連性を感じてしまいますが、現代の観客には、” Black Denim Trousers and Motorcycle Boots”のような、シャンソンにも翻訳可能な哀愁漂うハードな雰囲気よりも、『ALL SHOOK UP』のChadとNatalieのようなキャラクター設定の方が、ある意味「50年代らしさ」としてとっつきやすいものがあるかもしれないですね。

Leiber and Stollerは、エルヴィスとの縁も深い人たちですし、今回の『ALL~』でも彼らによる3曲が取り上げられています。当然、脚本を書いたJoe DiPietroのなかに、Leiber and Stollerによる”Black Denim Trousers and Motorcycle Boots”の世界はなんとなくあったのだろう、と想像できます。もしかしてこの曲のストーリーが、ChadやNatalieのキャラクターづくりにも、一役買っていたのかも、なんて勝手に想像するのも楽しいですよね。CDの解説書によると、Joe DiPietroは、エルヴィスの音楽をたくさん聞き込むだけでなく、彼の伝記もかなり読み込んだらしいのですが、そうしていくうちに、エルヴィスの第一の目的が、エンターテイナーとして人々によろこびをもたらすことであったということに気づいたのだそうです。それで『ALL SHOOK UP』という作品のコンセプトを打ち出すときに、何が有効な手段として使えるかと考えたそうなのですが、そのときに思いついたのが、恋やら愛やらの弾けるパッションを歌ったエルヴィスの音楽にも通ずるところがある、シェイクスピアの喜劇だったそうなんです。「Natalieの男装」なんて、その最も典型的な装置だと思うのですが、日本版では、50年代のアメリカにあった空気感みたいなものを、シェイクスピアのラブコメのスパイスを効かせて、どんなふうにハッピーな歌とダンスに乗せて見せてもらえるのか、とても楽しみです。ネットで韓国版のステージ映像を見たのですが、見るからに楽しそうな動きのある弾けたステージングでしたから、日本版もとても楽しみですよね。

ところで、さきほどもふれたエルヴィスの映画のタイトル、『青春カーニバル』というのを知ったとき、どうして”Roustabout”が、「青春カーニバル」なのか!?と驚いたところもありました。(この映画でのエルヴィスの役どころが、「旅回りのカーニバルの一座に加わる空手とオートバイの得意な歌手」ということですし、ストーリーがそこでの恋のドタバタ劇という内容なので、そういう邦題がついたのだと思われます。)今度、この映画も見てみようと思っていますが、意外と『ALL SHOOK UP』を観ることによって、「Roustabout→青春カーニバル」という発想について理解できてしまうかもしれませんね。CDを聴きながらsynopsisを読んだりしているだけですが、このストーリーの登場人物は、なんだか皆さん「青春カーニバル」な感じがします。『DDD』12月号の『ALL SHOOK UP』特集で、坂本さんがアメリカでこの作品を観たときの感想として、「心から気持ちが明るくなるハッピーな物語で、これは良い意味で考えなくて良い、そのままを楽しめばいいな、と思いました」とコメントされていました。「最後は知らず知らずのうちにリズムとっちゃうはず。」ということなので、劇場で青山さんたちのダンスを観ながら、みんなで「青春カーニバル」な感じで、リズムとっちゃうのが今からとても楽しみです

「このストーリーははじめての感覚 チャドは変わらなくて良い。楽しめば良い。」という見出しがついた、『DDD』12月号の『ALL SHOOK UP』特集、坂本さんのお写真とインタビューがとても素敵ですので、ご覧になっていない方は、本屋さんへGO!!


参考資料として、歌詞を載せておきます。
♪Black Denim Trousers and Motorcycle Boots♪
 Words and Lyrics by Jerry Leiber and Mike Stoller

He wore black denim trousers and motorcycle boots
And a black leather jacket with an eagle on the back
He had a hopped-up 'cicle that took off like a gun
That fool was the terror of Highway 101

Well, he never washed his face and he never combed his hair
He had axle grease imbedded underneath his fingernails
On the muscle his arms was a red tattoo
A picture of a heart saying,”Mother, I love you.”

He had a pretty girlfriend by the name of Mary Lou
But he treated her just like he treated all the rest
And everybody pitied her and everybody knew
He loved that doggone motorcycle best

He wore black denim trousers and motorcycle boots
And a black denim trousers with an eagle on the back
He had a hopped-up 'cicle that took off like a gun
That fool was a terror of Highway 101

Mary Lou, poor girl, she pleaded and she begged him not to leave
She said, “I’ve got a feeling if you ride tonight I’ll grieve”
But her tears were shed in vain and her every word was lost
In the rumble of an engine and the smoke from his exhaust

He took off like the Devil; there was fire on his eyes
He said “I’ll go thousand miles before the sun can rise”
But he hit a screamin’ diesel that was a California-bound
And when they cleared the wreckage, all they found

Was his black denim trousers and motorcycle boots
And a black leather jacket with an eagle on the back
But they couldn’t find the cycle that took off like a gun
And they never found the terror of Highway 101


オタク的なトリビアをひとつ。『青春カーニバル』で、エルヴィスが乗っている赤いバイクは、「HondaドリームCP77」という日本製のものなのだそうです。


◆Jerry Leiber and Mike Stoller

2007-11-08 22:34:45 | ALL SHOOK UP
まず最初に、フジテレビ「プレミアの巣窟」の『ALL SHOOK UP』特集についてですが、関東在住にもかかわらず、見逃してしまいました~。
番組を見逃していなければ、レポできたと思うのですが、な、なんと、私がこの番組について知ったのが、7日の朝・・・。「今日(7日)の深夜!」と大喜びしたのもつかの間、次の瞬間「昨日(6日)の深夜」の放送であることに気づき、落ち込みました~。
ご覧になった方のブログなど拝見すると、尾藤さんのお話など、とても楽しい番組だったことがわかりました。お稽古場の映像も流れていたようですね。
OZも感動のなかに笑いの要素がたくさん盛り込まれていたので、今回も坂本さん主演の『ALL SHOOK UP』とても楽しみです。


それで、今日は、前回の記事でも少しふれた、Jerry Leiber and Mike Stollerについてです。『ALL SHOOK UP』でも、彼らが作詞・作曲した3曲が、Stephen Oremusの巧みなアレンジで、新しい命を吹き込まれた魅力的な音楽に生まれ変わっています。("Hound Dog","Jailhouse Rock","Fools Fall in Love"の3曲です。)やはり原曲のメロディーラインと人を惹き付ける歌詞が素晴らしいからこそ、Oremusのアレンジも生きてくる気がします。本当は、前の記事でもっと彼らのことについて織り込むことができたらよかったのですが、冗長な文章がさらに長いものになりそうだったので、分けることにしました。彼らの周辺のことを読んでいると、興味深いことが出てきたりしたので、今日はちょっとそんなことも書いておきます。

彼らが1957年にThe Driftersのために書いた”Fools Fall in Love”を、エルヴィスが67年にシングルリリース、そして、エルヴィスが歌ったその曲が、ミュージカル『ALL SHOOK UP』のフィナーレ近くで、Natalieによって歌われる・・・、ということは前回の記事でも書きました。(勿論、”Fools Fall in Love”は、他の多くのアーティストによってもカヴァーされています。)今回の『ALL SHOOK UP』では、”Fools Fall in Love”の他にも、彼らが作詞・作曲した”Jailhouse Rock”,”Hound Dog”が、取り上げられていますが、これらの曲のコーラスアレンジやダンス、とても楽しみです。エルヴィスが歌ったLeiber and Stollerの曲では、この他にも”Love Me”,”Loving You”,”Don’t”などがあるとのこと。彼らが作詞・作曲し、エルヴィスがレコーディングした曲は、かなりの数に及ぶそうです。そのなかには、エルヴィスのために彼らが作ったものも多かったそうです。反対に、元々他のアーティスト、特にアフリカ系アメリカ人のアーティストが歌ったブルースやR&Bの曲が、エルヴィスによって歌われることによって、大ヒット曲となり、ジャンルを超えた音楽として定着していったという状況もあったようです。

戦後アメリカン・ポップスにおいて最も影響力の大きい作詞・作曲家兼プロデューサーコンビである彼らは、「ロックンロール界のRodgers and Hammerstein」と呼ばれているそうです。白人である彼らは若い頃からブルースやR&Bに傾倒していたようですが、アフリカ系アメリカ人による音楽を、狭いジャンルやマーケットのみに限定せずに、ジャンルを超えたヒット曲として、より広いマーケットへと売り出すことに長けていたようです。Ben E. Kingの名曲、”Stand by Me”も彼らが携わっている曲だったとは!高校時代に楽譜を持っていたけれど、彼らの名前には全く気がつきませんでした。それから、Donald Fagenの”Ruby Baby”も、元々彼らがThe Driftersのために書いたものをカヴァーしたものだったんですね~。私にとってエルヴィスの曲って、結構遠いものだったのですが、こんなふうに彼の音楽に携わった人たちが、自分の聞いていたあの曲この曲とつながっていたなんて、思いもよりませんでした。

同時に、彼ら二人の作った音楽というのが、50年も経過した今の時代にも、スタンダードとして様々な形で生きながらえているということに驚かされます。それは、エルヴィスをはじめとして、数多くの優れたパフォーマーの力があったというのは、紛れもない事実だったのでしょうが、Leiber and Stollerのことを読んでいると、ジャンル、さらには時代を超えたヒット曲をつくりあげる彼らの技のようなものを感じてしまいます。彼らは、アフリカ系アメリカ人の歌うR&Bの音楽に、ポップな歌詞をつけることで、白人のマーケットでも受け入れられやすい曲をつくったり、R&Bオリジナルのテイストは失われたとしても、白人アーティストが歌って受け入れられやすい曲を作ることが得意だったようです。”crossover”なヒットソングをつくる名手と呼ばれたのも、そんなところに所以があるのでしょうか。エルヴィスが白人でありながら、黒人をルーツとする音楽を携えて様々な音楽ジャンル・マーケットのあいだを行ったり来たりできたのは、彼らのようなクリエーターたちの存在があったからこそなのでしょうね。その際に、オリジナルにあったハードな感じというのは、どうしても失われていくことが多かったそうなんですが、そんなわけで、彼らはポップスとロックンロールの世界に革命を起こしたクリエーターとされているようです。

今回の『ALL SHOOK UP』でも取り上げられる”Hound Dog”。この曲の進化の仕方を見ると、Leiber and Stollerという作詞・作曲家とエルヴィスというパフォーマーの間接的な共同作業によって、狭いマーケットでヒットしていた1曲が、どのようにしてジャンルを超えたヒット曲となり、さらには50年代をゆるがす社会現象のうねりをつくりだすに至ったのかがよくわかるような気がしてきます。実際に、Leiber and Stollerが知られるようになっていったのも、エルヴィスによる”Hound Dog”のヒットが大きなきっかけだったのかもしれません。”Hound Dog”は、元々Leiber and Stollerが1952年に作詞作曲、53年にブルース歌手Big Mama Thorntonが歌ったものだったそうです。(Big Mama Thorntonヴァージョンは、You tubeで見られますが、スゴイ迫力ですね!Big Mama Thorntonのヴァージョンは、ビルボードR&Bチャートでのヒット曲だったそうです。)Big Mama Thorntonが歌った後には、カントリー・アーティストたちによってもカヴァーされたそうで、この曲は、ブルース、カントリー、ロックンロールというそれぞれのマーケットを制覇した、まさに50年代半ばのミュージックシーンを象徴する1曲だったようです。やがて55年、この曲がもっと広い層のオーディエンスにアピールできると考えたTenn RecordのBernie Loweは、Freddie Bell and the BellboysにBig Mama Thorntonヴァージョンの歌詞を、ラジオのリスナーに合うように書き換えて歌うように指示。この曲は、より多くの人たちにアピールするような新ヴァージョンへと変化します。そして、この新ヴァージョン”Hound Dog”とエルヴィスとの出会いが、彼とこの曲、さらにはこの曲を作ったLeiber and Stollerの知名度を上げたきっかけだったのかもしれません。ラス・ベガスのSands Hotelのショーで演奏している彼らのヴァージョンに触発されたエルヴィスは、彼らのライブを観てすぐに許可を得て、自分のショーのナンバーとして付け加えたそうです。

そのエルヴィスがこの曲を携えて初めて全国規模のテレビ放送に姿を現したのは、1956年6月のThe Milton Berle Show。このエルヴィスのパフォーマンスによって、スタジオに詰め掛けた女性ファンも、テレビの視聴者も熱狂の渦へ・・・。しかしその一方で、大人たちの間では議論が巻き起こり、苦情が殺到。”Elvis the Pelvis”という呼び方もこのときに生まれたのだそうで、Big Mama Thorntonのヴァージョンよりもマイルドなものとなったはずだった歌詞も、ナンセンスなものとされ、エルヴィスの存在は、若者層に熱狂的に受け入れられる一方で、青少年を非行へと導くものとしてみなされるようになり、50年代の反抗と反逆の文化を牽引してゆくような社会現象にまでなってゆくことになるのですね。前にふれた”Blue Suede Shoes”も、ロカビリー歌手Carl Perkinsによって作られ、ひとつのマーケットのなかで歌われていたものが、エルヴィスヴァージョンの登場により、ジャンルを超えた名曲となりました。さらに、そのタイトルにもなっている靴が、50年代のロックンロール精神を象徴するようなアイテムとなっていきました。こうしてエルヴィス登場当時、1曲1曲がヒットするたびに、様々な旋風が起こっていったようですが、その旋風は、パフォーマンスを繰り広げたエルヴィスだけではなく、その1曲が育つ過程で存在した多くのレコード会社関係者や敏腕プロデューサーたちの力によるところも大きかったのですね。

こうして、エルヴィスの曲のいくつかをざっと見てみるだけでも、様々な意味において、ジャンル間の垣根を取り払っていったエルヴィスの存在というものに改めて気づかされます。しかし、そこには眼に見える形でたくさんの観客の前でパフォーマンスを繰り広げたエルヴィスだけでなく、ジャンルとマーケットを越える曲作りを目指したLeiber and Stollerのような影の立役者たちの存在があったのですね。『ALL SHOOK UP』をきっかけとして、こうしたLeiber and Stollerたちの仕事について改めて気づかされると感慨深いものがあります。そして、エルヴィスの登場から50年経過した今の時代に、Leiber and Stollerとエルヴィスの残した足跡が、『ALL SHOOK UP』というミュージカル作品で新たな展開を見せてくれるのかと思うと、当時を知らない私のようなファンは、新たな音楽の魅力との出会いを予感し、うれしくなります。

今回少しふれた”Hound Dog”という曲は、『ALL SHOOK UP』のなかでは、1幕中盤で、Chad,Sandra,Natalie,Dennisの4人によって歌われます。”Teddy Bear”という甘さを感じさせてくれるナンバーと巧みに組み合わされたアレンジのせいでしょうか、「甘さ」と「ワルっぽさ」の相乗効果で、とても魅力的な1曲となっているこの曲に、聴いている方は想像力を刺激されますよね。この”Hound Dog”は、紹介したようなエルヴィスたちによる50年代の原曲とはかなり異なるイメージでしょうか。遊び心の感じられる楽しいナンバーになっているところが、私は結構好きだったりします。Miss Sandraが主に”Hound Dog”のパートを、彼女を口説こうとするChadが”Teddy Bear”を歌うという形で、四角関係にある4人がこの2曲の歌で会話をしているかのようです。当時若者たちを悪しき道に導くと苦情の殺到した記念すべき1曲を、「不良」とは無関係なはずの美術館館長であるMiss Sandraが、不良であるChadに向かってワルっぽく歌う。そしてroustaboutなChadが非常に甘いテイストの"Teddy Bear"を、Miss Sandraに向かって歌う。CDを聴いているだけでも、この2曲の巧みな組み合わせ方がとても楽しいのですが、楽譜にある”Swinging Blues”という注意書きのとおり、聴いているこちらも思わずswingしたくなるような感じです。楽譜の歌詞を見てみると、実はMiss Sandraの歌っている歌詞は、エルヴィスのものではなく、Big Mama Thorntonヴァージョンに近いもののようなんですが、逆に少しアクの強い印象の歌詞をMiss Sandraのようなキャラクターが歌うことにより、Chadとの駆け引きが魅力的になっている感じでしょうか。楽譜を読んで、歌詞の言葉だけを追っていると、確かにMiss SandraとChadは正反対のことを主張していたりするのですが、その言葉の追いかけっこのようなものが、逆に笑いを誘いますね。さらに、眼で読む楽譜から、再び耳で聴くCDの音に戻ると、歌詞の内容は、ドタバタ・ラブコメディーでかみ合っていない感じなのに、音においては4人が見事なハーモニーを奏でていて、それもまた微笑ましく、心地よい。Chadの吠えるような声も途中で聞こえてきたり、かわいい動物たちもたくさん登場する歌詞も楽しく、”Teddy Bear/Hound Dog”、ラブ・コメディー路線にぴったりのにぎやかなナンバーになりそうで、日本版のステージが楽しみです。OZにもユーモアの感じられる台詞の入れ方やハーモニーの印象的な、ピーター、ジュディー、クリス、マークの4人による"Only an Older Woman/年上の女"のような、素敵な曲がありましたが、"Teddy Bear/Hound Dog"の日本語ヴァージョン、登場人物のハーモニーや素敵な訳詞によって、楽しいシーンになるといいですね。Leiber and Stollerの世界が、例えばこの『ALL SHOOK UP』の”Hound Dog”という曲では、Oremusのアレンジによってどんなふうにふくらむのか、実際にライブなサウンドで聴くのがとても楽しみです。



◆”Fools Fall in Love/恋のあわてん坊”

2007-11-01 23:13:34 | ALL SHOOK UP
”Fools Fall in Love”は、『ALL SHOOK UP』第2幕終盤で、Natalieによって歌われる曲です。楽譜集にも”Sweet Ballad”とあるとおり、のびやかな女声ヴォーカルが印象的な曲で、BW版CDのJenn Gambateseの歌声からは、少女のありのままの透き通ったこころと成長したNatalieの力強さが同時に伝わってくるかのようです。そして後半のアンサンブルによる力強いコーラスとのハーモニーが感動的な1曲でもあります。特に、”Can't Help Falling in Love”のサビの部分を巧みに織り込んだアレンジが、後半の盛り上がりを支えている感じがしますよね。エルヴィスたちによる原曲には、どうやらNatalieとアンサンブルが掛け合うように歌い上げる”I can't help falling in love”の部分はないようなのですが、『ALL SHOOK UP』で歌われるヴァージョンには、”Can't Help Falling in Love”の有名なあのフレーズ”I can't help falling in love”が差し挟まれているようです。エルヴィスの歌ったヴァージョンは、1965年5月28日にナッシュビルのRCAスタジオで録音され、1967年1月にシングルリリースされたもののようで、その際の邦題は、「恋のあわてん坊」だったそうです。この曲は元々The Driftersのために、Jerry Leiber and Mike Stollerが1957年に作ったものです。Leiber and Stollerの楽曲をフィーチャーしたブロードウェイ・レビュー”Smokey Joe’s Cafe”でも、The Driftersの”Fools Fall in Love”が取り上げられているそうです。(青山さんファンにはお馴染みのジョーイ・マクニーリーさんが、この”Smokey Joe’s Cafe”で、95年トニー賞振付賞を受賞していますよね。BW版”Smokey Joe's Cafe”公式HPで聴くこの曲は、まったく違ったアレンジのものです。エルヴィスの曲、”Hound Dog”,”Jailhouse Rock”もこの作品では取り上げられています。)

『ALL SHOOK UP』第2幕終盤で、もつれた恋の糸がほぐれ始め、登場人物たちのあいだにある糸がそれぞれたぐりよせられるかのように、恋人たちが結ばれていくなか、Natalieが歌うのがこの曲、”Fools Fall in Love”ということです。synopsisによると、めでたくカップルになった街の人々が結婚式をあげるために教会へと向かった後、ひとり残ったNatalieがこの歌を歌うという設定のようです。BW版Natalieの歌声からは、「キイタコトナイ街」で繰り広げられたfoolな人々のハチャメチャなラブストーリーと、愛おしい彼らひとりひとりを、大切に包み込み慈しんでいるかのような印象を受けます。それと同時に自分のなかの大切な何かを発見するという気づきの歌のような印象も受けます。もしかしたら、このシーンの設定からすると、ひとりで残ったNatalieが、涙をこらえながら歌うシーンなのかもしれませんが、BW版のJenn Gambateseの歌声だけを聴いている限り、寂しさや哀しみといったニュアンスはあまり感じられないような気がします。日本版の演出はどんな感じになるのでしょうか。CDを繰り返し聴いていると、第1幕最後で歌われる”Can’t Help Falling in Love”で投げかけられたものを、第2幕最後、ストーリー終盤で歌われるこの曲“Fools Fall in Love”でキャッチする、そんなイメージが湧いてきます。内容的には、名曲”Can’t Help Falling in Love”と重なる部分も多いのに、エルヴィスの曲としては、どちらかと言うとマイナーなもののような気がするこの曲を、フィナーレ近くでNatalieが歌うということにも、新鮮味が感じられるような気がします。その一方で、ストーリー冒頭で幕開けとして歌われるNatalieのソロ、”Love Me Tender”とも呼応しているように思われる曲でもあります。Natalie自らが自身の姿を振り返り、まるでストーリー冒頭で自分自身が発した問いに答えを出すかのように、フィナーレに向けての橋渡しをするような曲、として私などには聞こえてくるように思います。

ところで歌詞についてですが、”Can’t Help Falling in Love” と”Fools Fall in Love”のあいだに共通点が多いですね。それと同時に、共通点が多いからこそ逆に意識される違いのようなものもあると思います。”Fools Fall in Love”では、”Can’t Help Falling in Love”冒頭のフレーズで登場した”fools”が具体的にどんなことをしてしまうのか、ということが、ロマンティックな言葉で綴られている印象です。”Like a river flows, surely to the sea”などの歌詞のように、大きなスケールで愛を歌い上げている感じのする”Can’t Help Falling in Love”と比べると、この”Fools Fall in Love”は、それよりも肩の力が抜けて、歌詞にもある”school girls”のような等身大の女の子の心情を歌っているような感じがします。でも、それだからこそ、後半の歌詞”I used to laugh, but now I understand”が、成長したNatalieの感情が込められた言葉として、説得力を持つような気がします。

Natalieのソロで始まるこの曲が、やがて”I can’t help falling in love”と歌うアンサンブルの力強いコーラスによって包まれてゆくなか、Natalieが自分の目覚めを宣言するかのように歌う部分には、1幕最後の”Can’t Help Falling in Love”の迫力あるハーモニーとは異なるドラマティックさがあって、感動的です。多くのオーディエンスにとって、この曲の盛り上がりの部分、”I can’t help falling in love(/Fools fall in love like I do)”というフレーズには、エルヴィスの代表曲である”Can’t Help Falling in Love”でお馴染みのあのメロディーが染み付いていると思います。しかし、この曲”Fools Fall in Love”では、あの名曲のヒットによって多くの人の心に刻み込まれている”I can’t help falling in love”という言葉に、お馴染みのあのメロディーではなく、新たなメロディーが寄り添うようにアレンジされているわけです。そのことによって、Natalieやこの街の住人たちとともに、観客も新しい何かを発見できるような感覚に陥るのではないでしょうか。エルヴィスの曲としてさほど馴染んでいないこの曲のメロディーが、Natalieの内側にある”I can’t help falling in love”という言葉に寄り添うことによって、観客のなかにこの曲が、もう一つの”Can’t Help Falling in Love”として新鮮に意識されるような気がします。それは、夜明けとともにabondoned fairgroundの外へと出て、open roadを自分の力で歩き始めた人々へと、Natalieが贈った賛歌であると同時に、他ならぬNatalieが自分自身へ贈った目覚めと発見の歌なのかもしれません。そして、”a brand new fool/新たな愚か者”と手を携える方向に向かって、Natalieが自分自身を鼓舞している曲のようにも聞こえてくる気がします。

日本版『ALL SHOOK UP』のステージがどんな演出になるのかわかりませんが、曲をいくつか聴いていると、このストーリーにおいては、Natalieの心の成長が歌によって描かれる側面はやはり見逃せない、という気がしてきます。勿論、主人公Chadを演じる坂本さんの歌もものすごく楽しみなのですが、ストーリー冒頭からいつの日にかopen roadを行くことを夢見ているNatalieの内面の動きのようなものを歌に乗せてどんなふうに聞かせてもらえるのかが楽しみです。バイクに乗ってopen roadを走ることを絵空事で夢見るような冒頭の”Love Me Tender”。Natalieを含め、街中の人すべてが恋に落ちながらも、それが間違った人に対するもので、届かぬ想いと恋の甘さ・ほろ苦さが歌い上げられる”Can’t Help Falling in Love”。そして、この”Fools Fall in Love”。これらたった3曲を取り出してみるだけでも、そんなことが感じられる気がしてきます。『ALL SHOOK UP』は、ラブ・コメディーということですが、日本版のステージで、外面の衣裳の慌しい変化だけでなく、Natalieの内面の変化のようなものが、コメディー路線とはまた違った方向で、花影アリスさんの歌声によってどんなふうに表現されるのかが、とても楽しみです。

”Can't Help Falling in Love”と ”Fools Fall in Love”。ひとつはエルヴィスと言えば!の代表曲、もうひとつはどちらかと言えば彼の曲としてはそれほど定着していないマイナーな曲。そうでありながら、”fool”というキーワードをはじめとして、歌詞などの点においては共通点の多いこれら二つの曲は、ストーリをドラマティックに展開してゆくために、絶妙に配置されたものなのかな、という気がしてきます。CDの解説によると、実際に脚本のJoe DiPietroは、第1幕最後の”Can’t Help Falling in Love”にはこだわりを持っていたようです。またエルヴィスの音楽を取り上げるミュージカルとして観客が期待する有名な曲と、そうではない曲(あまり有名ではない、観客が新たな発見をできるような曲)とのバランスについても考えていたそうで、”Can’t Help Falling in Love”と”Fools Fall in Love”の取り上げ方ひとつを見ても、そのあたりの演出の意図というのが感じられる気がします。

ところで、これら二つの曲を聴いていて決定的に感じさせられる雰囲気の違いを生んでいるものは、やはり”fools”の置かれた立場なのかな、という気がします。”Can’t Help Falling in Love”が歌われるのは、1幕最後、まだ「恋に落ちること」が、街外れにある夜の遊園地という特別な場でしか許されないという状況においてのこと。また、”only fools rush in”という歌詞にもあるように、「恋に落ちること」が「愚か者のみ」がしてしまう行為とされている印象があります。そんな抑圧された状況下であるからこそ、1幕最後で、恋に落ちてしまった街の人々のエネルギーが、街外れの夜の遊園地という限定された場で高まってゆくのが、ドラマティックに感じられるのかもしれません。一方、この”Fools Fall in Love”が歌われる状況は、”Can’t Help Falling in Love”のそれとは明らかに違っています。夜明けの訪れとともに、Natalieを含めたこの街の人々は、特別な場である街外れの夜の遊園地から出つつある、あるいは既に出た状況下にあります。これら二つの歌は両方とも、恋に直面したときの様々な”fool”を歌っているのだけれど、その”fool”という言葉の響きがこれら二つの歌では、それぞれ全く違って聞こえてくる気がします。それは、もしかしたら、Natalieの内面の変化とともに、街の人々の変化というのがあるのかな、と思えたりもします。

それで”fools/「愚か者たち」”をめぐる状況が変わるのは、具体的にどこなのだろう・・・?とミュージカルを実際に観る前から勝手に想像したりしているわけなのですが、もしかして、それは夜明けの少し前の”If I Can Dream”が歌われるあたりからなのではないか、と思ったりするわけです。CDのライナーノーツなどには、BW版のこのシーンの写真が掲載されています。中央で歌うChadの脇をDeanとLorraineが固めて、”If I Can Dream”を歌い上げている写真です。私がこの写真を初めて見たとき、この人たちは一体誰だ!?と思ってしまったのは、革ジャンを着てバイクにまたがったroustaboutなangelsたち!!しかも、宙に浮いている!!どうして、天使がこんな姿で・・・?という素朴な疑問を持ちました。(アメリカのALL SHOOK UPの公式ページにも、あの天使が登場する仕掛けがあったと思います。)

”Can’t Help Falling in Love”にある”Wise men say,only fools rush in”というフレーズは、”Fools rush in where angels fear to tread/愚か者は天使が歩くのを恐れるところへ飛び込んでいく”というAlexander Popeの”An Essay on Criticism”のなかの表現に由来しているそうです。(←この格言の意味をめぐっては、様々な解釈があるようです。)もしかして、BW版のあのroustaboutな天使たちは、この表現と関連しているのでしょうか?”If I Can Dream”は、愛し合っていながらも、異なる人種間の恋愛ということで、逃亡を計画するDeanとLorraineに対して、Chadが街にとどまり、愛を貫くことを説得し、二人が愛を貫くことを決意するようなシーンで歌われるということです。この街のもつれた恋愛関係のなかで、唯一このDeanとLorraineだけは最初から相思相愛状態で、お互いにBabyと呼び合っている間柄でした(←下に掲載した”Can’t Help Falling in Love”の歌詞参照)。愛し合っているにも関わらず、異人種間の恋愛ということでopen roadを堂々と歩けないカップルだったのですよね。でも、この二人が”If I Can Dream”を歌うあたりから、他の人たちもそれぞれの”baby”を見つけていくような展開となっているような印象を受けます。もしかしたら、BW版の演出にあったroustaboutなangelsという演出は、DeanとLorraineという人種の壁に阻まれた許されざる恋を祝福しているシンボルということなのかもしれません。そんな二人がChadとともに決意を表明するこのシーンで背後に現れる、バイクに乗った翼のある革ジャン姿の人は、天使さえも踏み込まないところに踏み込んでしまった二人、そしてこの街の人々を、天使までもがrousataboutな衣裳を着て、祝福しているということを示す演出なのかもしれませんね。『ALL SHOOK UP』には、1幕中盤で、”You’re the Devil in Disguise”という曲があります。この曲では、「変装した悪魔」が歌われているのですが、もしかしたら、この『ALL SHOOK UP』というミュージカルは、「変装した悪魔」ではなく、「革ジャンを着た天使たち」が歌って踊るお話・・・?CDを聴きながら勝手に想像していると、そんな予感に包まれます。日本版のステージで、BW版のような実際に目に見える形での舞台装置や演出があるのかについてはわかりませんが、ダンスや歌からからそんな雰囲気が感じられるかもしれませんね。お稽古場が移動して歌稽古が終了、いよいよ振付が始まるということですが、「革ジャンを着た天使たち」に祝福される「恋のあわてん坊たち」のダンス、どんなふうに表現されるのか、とても楽しみです。


”Can't Help Falling in Love”後半部分で、アンサンブルの迫力あるコーラスをバックに、登場人物が片思いをしている相手の名前を叫ぶシーンがあります。人物相関図を頭に叩き込んでCDを聴いていればすぐわかることかもしれませんが、楽譜を見ると、簡単に誰が誰に向かって叫んでいるのかわかるので、参考までに載せておきます。
Sandra!(←CHADが)
Chad!(←NATALIEが)
Sandra!(←JIMが)
Ed!(←SANDRAが)
Natalie!(←DENNISが)
Jim!(←SYLVIAが)
Baby!(←DEANとLORRAINEが)といった具合です。
第1幕最後で、それぞれの人が間違った人に恋をしている、まさに「?角関係」が成立してしまう場面なのですが、保守的だった街の人々が、Chadの登場によって、たとえそれが間違った相手だとしても、誰かを愛さずにはいられないという、テンション最高潮の状態が、キャスト総出で歌い上げられる迫力のシーンというイメージでしょうか。アンサンブルのコーラスも加わって、鳥肌もののシーンとなりそうですね。『グランドホテル』の冒頭のシーンの豪華なコーラスや『ウエスト・サイド・ストーリー』のクインテットのシーンのような迫力あるシーンを期待してしまいます。楽譜1ページ目の注意書きは、”Tenderly,con moto”となっています。さきほどもふれたとおり、DeanとLorraineだけは、お互いにBaby!と呼び合っていますね。

エルヴィスの歌1曲1曲が元来持つパワーというものが、ミュージカルのストーリーの中に組み込まれて、別の輝きを放ち始める瞬間に立ち会えるというのが、とても楽しみです。このことはOZのときに感じたことでもあったのですが、そんなジュークボックス・ミュージカルの醍醐味を、『ALL SHOOK UP』でも思う存分味わうことができそうですね。

◆”Shall I Compare Thee to a Summer’s Day?”

2007-10-24 23:14:00 | ALL SHOOK UP
「君を夏の日にたとえようか?」ご存知の方も多いとは思いますが、これはシェイクスピアのソネット18番の1行目の言葉だそうです。『ALL SHOOK UP』で、美術館の館長(日本版ではキュレーターらしい)であるMiss Sandraの元に届けられたソネットが、154編あるシェイクスピアのソネットのうち、この「18番」であるのかどうかについてはわかりませんが、「シェイクスピアのソネット」と言えば、この作品が、取り上げられる頻度の高い代表作のように受け取られているようです。それもそのはず。154編あるソネットは、内容によって、1~17、18~126、127~152に分けることができるそうで、この18番は、そのソネットの中核部分、つまり詩人(あちらこちら読んでみると、必ずしも「詩人=シェイクスピア」ということではないそうです)が謎の美青年に対して愛の賛歌を高らかに歌い始める部分の最初の詩ということです。確かにソネット1番から順番に読み進めていくと、18番から雰囲気が変わるのが、素人の私でもわかるような気がします。(この154編のソネットの並べ方ひとつ取り上げてみても、諸説あって、謎の多い作品だそうです。)

『ALL SHOOK UP』では、Miss Sandraに恋をしたChadに、Dennisが、シェイクスピアのソネットを贈ることを提案するそうです。そして、そのソネットを、変装したEd(Natalie)が、Miss Sandraに届けることに。ところが、実際には、Chadにではなく、このソネットを自分の元に届けに来たEdに、Miss Sandraが一目惚れ・・・。Edの本当の姿はNatalie、つまり女なのに・・・。さらに、そのMiss Sandraに恋焦がれているのは、Natalieのお父さんのJimだったりする・・・。というわけで、ただでさえ複雑な恋愛関係が、このソネットのおかげでさらにもつれていくということになるそうです。そして彼らの他にも、この街には様々な困難を抱えた恋人たちが住んでいるわけですから、もう「恋の?角関係」といった感じで大変です。まさに秩序だった世界が、混沌とした世界へ、ということで、『ALL SHOOK UP』というタイトルにも確かに納得。「おどろんぱ!」の「すくらんぶるえっぐ」の歌詞じゃないけれど、Chadの登場によって、街中がShake it up!Shake it up!という感じなのでしょうか(笑)。また、こうした恋の騒ぎが、”a square town in a square state during a square time”(←後でご紹介するサイトで『ALL SHOOK UP』について書かれた記事にあった言葉)で起こっているということも、また微笑ましいですよね。”square”という言葉の持つニュアンスと、そのなかで起こっている”shook up”な感じのギャップがここまでくると、そこで生きている人たちが、とても愛おしく思えてくるような気がします。まさに「街がひっくり返ってしまう」ようなことが、あちらこちらで起きているというのに、人々はそんなことには構わず、突き進んでしまう・・・。”Can't Help Falling in Love”には、” Only fools rush in”という歌詞があるけれど、この街の人たちは、次から次へと皆さん”fool”になっていってしまう。でも、曲を聴いていたりすると、どうやらこの”fool”というキーワード、この作品では意味がありそうですよね。それだけに、foolな人たちが適応しなくてはいけない新しい姿勢を身につけながら、それぞれが迎える「望ましいフィナーレ」というのは、悲劇がもたらすカタルシスと同じぐらいに、とは言えないかもしれませんが、痛快な感覚と幸福感というものを観客にもたらしてくれるのではないか、そんなことを期待してしまうのは、私だけでしょうか。

ところで、『ALL SHOOK UP』は、主にシェイクスピアの喜劇『十二夜』をベースにしているということですが、作品中の設定や台詞に、ソネットをはじめとして、シェイクスピア作品からの影響、引用が数多く見られるそうです。ネット上で、シェイクスピア作品とこの『ALL SHOOK UP』との関連性について書かれたものを読んだのですが、それによると、例えば、LorraineとDeanのやりとりに、『ロミオとジュリエット』に関する言及があったり、Miss Sandraの台詞に、ロミオの台詞からの引用で、”O! I am fortune’s fool!”というのが、あったりするそうです。また、シェイクスピア作品で「forest/(とりわけ夜の)森」に与えられている役割が、『ALL SHOOK UP』では、「fairground/移動遊園地」に与えられているということです。シェイクスピアは、「forest/森」という場で、人々を文明化した社会から隔絶し、より原始的で自然な状態におくことによって、秩序とは何かということをテストしているのだとか。『ALL SHOOK UP』でも、第1幕最後、街の人々の奔放な行いに業を煮やしたMayor Matildaが、rousatboutを投獄することを宣言したことをきっかけとして、街の人々は皆、街外れのabandoned fairgroundsへと向かうそうです。そしてそこで登場人物ひとりひとりが届かぬ想いを込めて歌うのが、”Can’t Help Falling in Love”ですね。(既にご覧になった方も多い記事だとは思いますが、All Shook Up/ Broadway Buzzで検索していただくと、一番目にヒットする[Broadway BuzzのALL SHOOK UPの特集ページ]をご覧ください。左のall articlesの上から6番目、All Shook Up and the Shakespearean Connectionをクリックすると見られます。一つの解釈として、こんな考え方もあるんだなあ、と思いながら読みました。)

それで、第1幕後半で、主要登場人物が次々と恋の病に感染していくときのひとつのきっかけとなるのが、Miss Sandraに贈られたシェイクスピアのソネットであるように思われます。勿論、さきほどから言っているように、このソネットが、「君を夏の日にたとえようか?」の18番だったかどうか、というのはわからないし、実際に劇場に行ってみたとしても、そのソネットが何番であるのか、ということがわかる演出になっているのかどうかもよくわからない。でも、そんなことよりも、シェイクスピアのソネット、18番に限らず、どれも素敵なものだと思いますので、今日はソネットにまつわる個人的な思い出と、このソネットとのうれしい再会を勝手におしゃべり、ということでおゆるしください。シェイクスピアのソネットに関しては、私なんぞが喋るより、ネット上のあちらこちらに興味深い文章がたくさん載っていますので、ご興味のある方はどうぞそちらをご覧ください。

シェイクスピアと言えば、確かに戯曲なのですが、私が個人的に親近感を持っていたのは、こちらのソネットだったりしました。・・・というのも、高校3年生のときに取った選択授業の一つに、「英文鑑賞」というのがありまして、1年間の後半で扱ったのがPoetry、そこでこのシェイクスピアのソネットが取り上げられていたのです。勿論、劇やその他で、シェイクスピアのドラマのことは知ってはいたのですが、初めてシェイクスピアの原文に親しんだのが、このクラスでだったのです。(←「親しんだ」なんて偉そうなこと言っても、なんとか授業について行っていたという感じです。)一語一語辞書を引きながら、また詩独特の文法や言葉遣いに苦労しながら読んだことや、わからないところをお互いに教えたり、教えてもらったりして読み進めていったことを今でも覚えています。当時は、たまたま読んだ二つのソネット(60番と73番)が、かなり重厚なテーマを扱っているように感じられて、正直、他の作家の詩の方に親近感を持っていたような気がします。でも、不思議なもので、20人以上の詩人の作品を読んだ授業だったのですが、なぜかこのシェイクスピアのソネットに関しては、十分消化しきれていなことがずっと気になっていたのです。

それで、この授業、高校時代に受けた授業のなかで、最も印象に残ったもので、最も大変なもので、なお且つ楽しい授業でもあったのですが、数々の詩の魅力とともに、その先生がとても素敵な方でした。その先生曰く、詩というのは、人生の宝物であり、自分の好きな詩は、いつも心の中に置いておくといい、そして誰かに何かをプレゼントしたいとき、カードにその一節を書いたりして、ことばのプレゼントにもできる、のだとか。授業を受けていた当時は、「ホントにそんなことするの!?」と、皆で半信半疑にちょっと顔を見合わせて、笑っていたりしていたのですが、『ALL SHOOK UP』のMiss Sandraのエピソードを聞くと、あの先生のおっしゃっていたことが、シェイクスピアのソネットとともに、何だかとてもリアルに蘇ってくる気がして、Miss SandraやDennisというキャラクターに対して親近感が湧いてしまったりしました。もしかして、「詩を贈る(言葉のプレゼントを贈る)」ことをChadに提案したDennisって、すごく素敵な人!?Dennisって、大好きなNatalieにもふられちゃうのに、大好きなNatalieの気持ちを考えて、Chadのsidekickの座をEd(Natalie)に譲ってあげたりして、すごく繊細な人なんだなあ、なんて思ったり・・・。

一方、Miss Sandraは、Chadを見たとき、roustaboutな彼を自分にはふさわしくない相手だと決め付け、相手にもしないわけです。ところが、そんなChadを目指して彼と同じような外見に変装しているEdには、簡単に恋をしてしまう・・・。それは、他ならぬこのシェイクスピアの素敵な言葉のプレゼントのおかげだったのかもしれません。いや、roustaboutなEdの外見と、シェイクスピアのソネットのロマンティックな雰囲気とのギャップに、彼女は恋のショックを受けてしまったのでしょうか。ちょっと単純すぎ、Miss Sandra!と思うけれど、街の文化度の低さを嘆いていながら、あっという間に恋に落ちてしまう彼女こそ、実は『ALL SHOOK UP』度数が一番高い人なのではないか!?なんて思ったり。NatalieがChadに一目惚れしてしまうのも、あっという間なのだけれど、Miss Sandraも相当速い。ことばの持つ力の不思議とともに、恋の魔力を感じさせるエピソードで、街中の人々があっという間に恋に落ちてゆく『ALL SHOOK UP』のテーマにピッタリという気がします。ちなみにこのソネットのおかげで、Edに一目惚れをしてしまったMiss Sandraですが、最後になって、実はあの素敵なソネットのプレゼントは、Edによるものでも、Chadによるものでもなく、Dennisのアイデアであったことを知り、Dennisと結ばれてめでたしめでたし、というエンディングなのは、皆さんもご存知のとおり。一見すると、Miss SandraもDennisも、最後に残り物同士がくっついたというような印象を受けますが、二人のキャラクターをこんなふうに勝手に想像してみると、意外とこの二人いいコンビなんじゃないか、と思ったりもします。『ALL SHOOK UP』に登場するシェイクスピアのソネット。ストーリーのなかの何気ないエピソードのひとつだけれど、こんな他愛のない想像をして楽しむのが、結構私は好きだったりします。


『ALL SHOOK UP』のエピソードの世界で遊ぶにもよし、またはシェイクスピアの紡いだ奥深い愛のことばの世界に浸るにもよしということで、観劇の日を待ちながら、秋の夜長を楽しむための1冊に、「シェイクスピアのソネット」おススメです。



「シェイクスピアのソネット」(文春文庫)のご紹介です。
小田島雄志さんの訳がとても親しみやすく、一編一編に山本容子さんの繊細な版画が添えられています。
巻末の村松友視さんの解説では、銀座の飲み屋さんでのこの翻訳本の誕生秘話が書かれていて、面白いです。
下に写っているのは、さきほど本文でもふれた高校時代の詩のテキストです。
大変だったけれど、たくさんのことを学ぶことができた楽しい授業でした。



◆”Blue Suede Shoes”って・・・、どんな靴!?

2007-10-17 13:47:22 | ALL SHOOK UP
さてさて、『ALL SHOOK UP』開幕まであと2ヶ月ほどになりました。CDに掲載されているsynopsisをちょっと読んだだけなので、登場人物の人間関係が錯綜しながらスピーディーに展開していくストーリーに追いついていくのがやっと、というのが正直な感想なのですが、やはりエルヴィスの名曲ぞろいのCDを聴いていると、1曲1曲がステージ上で、どんな演出で披露されるのか、本当に楽しみになります。今日は、そんななから、この1曲をセレクト。”Blue Suede Shoes”です。

たたみかけるようなギターの音が印象的なイントロに続き、“Well, it’s one for the money, two for the show, three to get ready, now go , cat, go.”と、冒頭からChadを挑発するかのような、威勢のよいEd(Natalie)の歌声が響くこの曲ですが、この冒頭のワンフレーズの歌い方を聴いただけで、Natalieのroustaboutへの変貌ぶりが伝わってくるかのようです。「何をしたっていいけれど、俺のブルー・スエード・シューズだけは踏んでくれるなよ!」そんなことを歌っていくこの曲ですが、『ALL SHOOK UP』1曲目の”Love Me Tender”を歌っているNatalieの声を彼女のスタンダードだと思ってこの曲を聴くと、そのギャップに驚かされます。Natalie役というのは、かなり歌い方に幅が求められる役どころなのかもしれない、そんなことを思います。東京のステージで、花影アリスさんがどんな歌声を聞かせてくださるのか、CDを聴いていると、すごく楽しみになってきます。曲の途中、Chadとのデュエットになるところがあるのですが、そこからどんどん盛り上がり、最後、Ed、ChadにGuysが加わってコーラスになり、”blue suede shoes”を連発するところなんて、最高ですよね。かなりノリのいい曲なので、ファンとしては、このシーン、青山さんが歌って踊るシーンだったらいいな、なんて思ったり。

・・・で、この曲を初めて聴いたとき、ふと疑問に思ったのが、「blue suede shoesって、どんな靴!?」ということでした。「ブルーのスエードの靴」が、どうして曲のタイトルにまでなっちゃうのか?そして、「何をしたっていいけれど、俺のブルー・スエード・シューズだけは踏んでくれるなよ!」とまで言わせているblue suede shoesには、どんな意味が込められているのか?ということが気になってしまったのです。

まず、BW版『ALL SHOOK UP』の黄色いCDジャケットにも描かれている、バイクに二人乗りしてthe open roadを行くNatalie(Ed)とChadのイメージ、あちらを思い浮かべていただきたいと思います。
Chadの後ろにNatalieが乗っている、のではなく、Natalieがバイクを運転して、その後ろにChadというのが、カワイイですね。ドレスのようにも見える白いブラウスを風にはためかせて、ブルージーンズをはき、バイクにまたがるNatalieですが、その足元に眼を移すと・・・。彼女が履いているのは、どうやらblue suede shoes?もしかしたら、単にブルーのスニーカーということなのかもしれませんが、第1幕でこの曲”Blue Suede Shoes”が歌われるシチュエーションを考え合わせると、やっぱり彼女が履いているのは、「ブルーのスエードシューズなのかな?」という気がしてきます。

ジャケットに描かれたこのイメージは、おそらくフィナーレをイメージして描かれたものだと思います。そこへと至る前に、変身するNatalieを中心に、紆余曲折いろいろとある、というのが、この『ALL SHOOK UP』の面白いところ、という気がします。Chadへの密かな恋心を抱くNatalieは、最初、彼の気をひくために、自動車修理工のオーバーオールを脱ぎ捨て、ドレスを着るということですが、Chadは、そんなNatalieには眼もくれず、なんと代わりにMiss Sandraに恋をしてしまう・・・。そこで、Chadのことを諦められない彼女は、彼に近づくために大胆な秘策を考案。それは、Chadのようなroustaboutな扮装で変装し、彼のsidekickとして、彼のそばに常に寄り添うというもの。このとき、バイクにまたがって登場するNatalie(Ed)が、歌うのが、この曲”Blue Suede Shoes”だということです。

ネットをあちらこちらサーフィンしてみたところ、エルヴィスの曲として定着しているこの曲には、なるほどおもしろい背景があるようではないですか。(もう皆さん”Blue Suede Shoes”で、検索済みでご存知かもしれないですね。)エルヴィスが歌ったこの曲は、1956年9月にリリースされたようですが、実はこの曲、元々は1955年末にCarl Perkinsが録音し、翌年1月21日にリリースされたものだったそうです。そもそもこの曲が誕生したきっかけは、1955年の秋、Johnny CashがPerkinsに、兵役時代に出会った軍隊仲間の話をしたことだったそうです。Cashのその友人は、軍隊で定められたスエードのブーツ(←ブルーだったかどうかについては、諸説あるようです)をいつも念入りに手入れしていたのだそうで、「この靴」の話をベースに1曲作れないか?と、Perkinsに持ちかけたそうです。(このときのエピソードに関しては、また諸説あるようで、私が他に見つけたものでは、「Cashが食堂の列に並んでいるときに聞いた”Don’t step on my blue suede shoes.”という言い回しをベースにして」という情報がありました。)

その靴について、何も知識がなかったPerkinsは、どうやって曲を作ろうか、と考えあぐねていたようですが、その数日後の12月4日に、テネシー州で演奏していた彼は、たまたまステージ近くで踊っていた一組のカップルのやりとりから、この曲の着想を得ます。パートナーの女の子は、とてもカワイイ娘であったのに、一緒に踊っている男の子はなんと!自分の履いているおろしたてのblue suede shoesがダンスの途中に踏まれて傷まないように、この女の子に注意をしていた、というのです。あんなカワイイ女の子よりも、自分の新品の靴のことを気にかける男がいるなんて!そのことに触発されたPerkinsは、一気にこの曲を書き上げたのだそうです。「たかが靴一足」が、眼の前でダンスを一緒に踊っている女の子よりも大事だなんて!Perkinsの受けた衝撃は、かなりのものだったに違いない、と想像してみるわけです。この男の子が取った挑戦的な態度は、当時の若者のあこがれだった「反抗・反逆」の精神につながるクールさとセクシーさをイメージさせたのかもしれないし、曲づくりに悩んでいたPerkinsに大きなインスピレーションを与えたのではないでしょうか。ちなみに、Perkinsは曲を書き上げた当初、”suede”を間違えて”swade”と綴っていたぐらいで、この靴については、具体的に何も知らなかったのだそうです。

・・・で、そんな背景のあるこの曲を、当時のPerkinsやエルヴィスが歌ったとしたら・・・。当時の女子は、エルヴィスとのダンスシーンを妄想して、つれないエルヴィスに熱狂して、「私にその青い靴を踏ませてよ~」と黄色い声を発したでことでしょう。実際に、1957年には、Larry Williamsの”Short Fat Fannie”「チビの太ったファニー」という曲に、”Whenever I’m around her I’m on my p’s and q’s「彼女のそばにいるときは俺はいつもおとなしくなっちまう」/She might step on my blue suede shoes「彼女は俺のブルー・スエード・シューズを踏むかもしれないな」”というフレーズがあるそうです。(←何とも刺激的な歌詞ですね~)他の曲でこの言葉”blue suede shoes”がどんなふうに使われているのかを見てると、確かに当時の人々がこの言葉に抱いていた感情というのが読み取りやすいかもしれません。また、Williamsのこの曲には、他にも”Heartbreak Hotel”,”Tutti Frutti”,”Hound Dog”などのエルヴィスの曲に関連した言葉が使用されています。

また、普通の人が大切にするはずのものなんかは、当然のように捨て去り、自分の靴のことを一番にして、歌ってしまうエルヴィスに、当時のオーディエンスは、ロックの反逆魂を読み取ったはずで、女子だけでなく、男子にとっても憧れの存在となりえて、ヒット間違いなし!だったのではないでしょうか。実際にこの曲の歌詞においては、曲の誕生エピソードにもあった「女の子」が、他のスゴイことに置き換えられているわけです。例えば、”Well,you can knock me down,step on my face,slander my name all over the place.”「俺を打ちのめしたっていい、顔を踏みつけたっていい、悪名を世間に流したっていい(でも、俺のこの靴だけは踏んでくれるな)」とか、”Well,you can burn my house,steal my car, drink my liquar from an old fruit jar.”「俺の家を燃やしたっていい、車を盗んだっていい、酒を盗み飲みしたっていい(でも、俺のこの靴だけは踏んでくれるなよ)」という具合です。「たかが靴一足」の話なのにねぇ~、スンゴイ熱いよ!Perkins(エルヴィス)!とちょっと呆れる部分がありますが、どうでもいいはずの「たかが靴一足」と比べられているものがスゴイから、そんなスゴイものよりも「たかが靴一足」にこだわりを持って大切にしているように歌うエルヴィスに、オーディエンスは、ノック・ダウンだったのかもしれません。漠然と、ROCK魂って、こういうことなのかもしれないな、そんなことも思ったり。普通の人からしたら(第三者からしたら)一見どうでもいいような、うすっぺら~いもののために、がむしゃらに突っ走ってしまう・・・、確かにカッコいいかもしれません。(当時のオーディエンスに感情移入してみるわけです。)

そんなROCKの古典的名作であったこの曲、実際にも、ブルース、カントリー、ポップスという、すべてのマーケットを制覇した初のロカビリーレコードのひとつということで記念碑的な作品だったそうです。1956年1月にリリースされたPerkinsによるこの曲は、ローカルな成功を収め、カントリーチャートで受け入れられた後は、ポップスやR&Bのマーケットも狙えそうだと、プロデューサーのSam Phillipsは考えたそうです。そしてビルボードが、この曲をポップス市場での有望株であるとみなすと、カヴァー曲が出始め、エルヴィスのヴァージョンも56年2月にレコーディングされ、彼のファースト・アルバム『エルヴィス・プレスリー登場』の第1曲目に収録されたそうです。Perkinsのオリジナルは、ミリオン・セラーの大ヒット、エルヴィスの”Heartbreak Hotel”と同時期に、ビルボードにチャートインしたそうです。しかし、Perkinsにちょうど運が向いてきた1956年3月21日、ペリー・コモのショーの収録のために、ニューヨークへと向かう途中で、Perkinsは交通事故に合い、重傷を負います。幸い命は助かったということですが、皮肉なことに、入院中のPerkinsは、病室のテレビで、自分のヒット曲”Blue Suede Shoes”が、Elvisによって歌われていたことを知ったということです。ちなみにElvisは、56年に3回(2/11,3/17,4/3)、この曲をテレビの全国放送で演奏しているということです。(←You Tubeでいくつか映像が見られますよね。)また後にエルヴィスは、この俺でもPerkinsのオリジナルには勝てない、と語っていたとか。

それで、このPerkinsやエルヴィスによる”Blue Suede Shoes”についてあちらこちらで読んでいると、当時の文化に詳しくはない私のような者でも、当時のオーディエンスが、この曲にどんな想いを抱いていたのかが、なんとなくわかるような気がしてきます。この曲の誕生秘話にあった「女の子よりも自分の靴を大切にする男の子」というイメージからさらに発展して、どうやら”blue suede shoes”という言葉とこの曲には、「これだけは絶対に譲れない!」という自分のプライド(自尊心)とかアイデンティティーに関わってくるようなものを、当時のオーディエンスは読み取っていたようです。なかには、この曲”Blue Suede Shoes”こそROCK魂の象徴だ、というような記事もあり、それらを読んでいると、当時のオーディエンスの気分を追体験できるような気がしてきます。Cashが軍隊で出会ったスエード・ブーツを手入れしていた友人のエピソードから、”blue suede shoes”のイメージは、この曲のヒットとともに、段階を経て飛躍し、この靴の旅もスタートから随分と遠くへ来たものだなあ~、と当時の文化を知らない私などが見ていても思ってしまう部分があります。「衣裳」にまつわるイメージや言葉って、往々にしてそういうところがあると思いますし、そういうところが興味深いと思っています。まさに、「靴に歴史あり、ですな」という感じで。この曲のヒットから約50年経った今日でも、Elvisと言えば、”Blue Suede Shoes(blue suede shoes)”という認識が定着しているようです。そのことのひとつの例として、全編エルヴィスの曲を使った、その名も”Blue Suede Shoes”というバレエを見つけました。コチラ。男性ダンサーが皆、”blue suede shoes”を履いて踊ってます。振り付けは、Dennis Nahatという方のようです。「エルヴィス→ロックンロール→blue suede shoes」という認識は、かなり一般的になっていることのひとつの例かもしれません。そして、この『ALL SHOOK UP』というミュージカルが上演されて、この曲が歌われることにより、この青い靴の歴史に新たな1ページが加えられることは、間違いなさそうです。

話を『ALL SHOOK UP』に戻します。さきほどもちょっとふれたとおり、ロック魂を象徴するような、ある意味「男くさい」ともいえるこの曲を、『ALL SHOOK UP』では、第1幕後半で、Natalieが歌います。自分のことには興味のないChadの気をひくために、roustaboutである彼と同じような扮装をして、Edとして彼の前に現れるときに歌われるということです。このときのEdやChadが具体的にどんな衣裳に身を包んでいるのか、まだネットその他のところで画像を見つけられていませんが、CD解説書一番最後のページの写真で、2幕冒頭”All Shook Up”を中央でギターを持って歌うChadも、足元をblue suede shoesできめています。Chadのroustaboutなイメージというのが、やはり”Blue Suede Shoes(blue suede shoes)”に凝縮されているからこそ、NatalieがEdに変わるその場面で、この歌が歌われるのかな、という気がします。実際の劇場においてNatalie(Ed)の足元がこの靴なのかはわからないし、仮にそうだとしても、きっと視覚的にとらえられるかどうか、というほどの小さい面積のものでしょう。でも、現代の観客にもきっとblue suede shoesのこうしたイメージが定着しているからこそ、このシーンでこの曲が歌われることによって、広い劇場を埋め尽くすたくさんの観客に、効果的にNatalieの変身をアピールできるのではないでしょうか。


Blue suede shoes/青いスエードの靴。少なくともこの場面でのNatalie(Ed)にとって、この靴は、本当の自分を隠して、大好きなChadのそばにずっといようと、彼のsidekickとなるために履いたもののはず・・・。でも、さきほどもご紹介したCDジャケットの図では、Chadの後ろにNatalieではなく、Natalieの後ろにChadが乗っています。”Blue Suede Shoes”のシーンからは一転して、まるで、ChadがNatalieのsidekickとして寄り添っているかのようですね。Blue suede shoes/青いスエードの靴は、もしかしたら、「本当の自分」を隠すための靴、であると同時に、「本当の自分/自分の中の譲れないもの」と向き合うための靴なのかもしれません。『ALL SHOOK UP』のsynopsisを読んでいる限り、この曲の歌われるあたりから、登場人物ひとりひとりのストーリーが動き出していく印象があります。それはきっと、ChadとNatalieを中心に、青いスエードの靴の不思議なチカラによって、彼らひとりひとりが、自分の中の「譲れない何か」と向き合っていくからかもしれないですね。

日本ではまだまだ、ダンスと言えば、「赤い靴」ですが、こんなおしゃれな「青い靴」を履いて、ダンスを踊る。そんな手も・・・、ありかもしれませんね。だって、『ALL SHOOK UP』は、”A NEW MUSICAL COMEDY”ということですから。

左の画像は、Las VegasにあるElvis-A-Rama Museumのサイトで見つけた、エルヴィスのblue suede shoesの写真です。
CDジャケットでNatalieの履いている靴のデザインは、これに似ているかも。
右の画像は、物好きな私が買ってしまった『ALL SHOOK UP』のピアノ・ボーカル用の楽譜集(笑)から、”Blue Suede Shoes”のページです。
高校時代、軽音楽部に所属していて、ギター持って歌っていたことがあるんです。「楽譜が来ると、気合の入り方変わって、歌い方変わるね~」と、当時はよく噂されていました。
この楽譜集、どんな感じで演奏するべきか、各曲1ページ目に注意書きが書いてあります。
例えば、”Blue Suede Shoes”は、rockabilly。
1曲目の”Love Me Tender”は、tenderly。
”All Shook Up”は、driving soul groove。
”A Little Less Conversation”は、sexy funk、といった具合。
更新が滞っていたら、昼間からCDかけながら、歌でも歌ってんだなあ~、と思ってください。自分で言うのもなんですが、要するに、ヒマです。(笑)
ネットで調べると、歌詞を掲載しているページもたくさんあり、とても参考になりますが、CDかけて楽譜持って歌うのも、なかなかよいです。皆様にもおススメです。

"Blue Suede Shoes"の曲の歴史については、コチラが詳しいページで、参考にしました。



◆“私・写・録”Personal Photo Archives

2007-10-07 02:12:41 | ちょっと寄り道
1週間ほど前に、ずっと気になっていた「”私・写・録(パーソナル・フォト・アーカイブス)”1970-2006」展を観に、国立新美術館へ行ってきました。展覧会の詳細に関しては、コチラです。7月に別の展覧会を観るために、同美術館へ行った際、この写真展の開催予告を見かけ、そのタイトルと展覧会の趣旨に非常に興味をひかれていました。「1970年から今日まで、東京を中心に現代美術の現場を撮影してきた」という安齋重男さんの、30数年間にわたる3000点にも及ぶ作品。どうしてこんな「夥しい数」の写真作品と「私(パーソナル)」という視点が結びつくのか?またひたすら「現場」というものを、「私」の視点にこだわって追い続けていて、それが時間の積み重ねのなかで「録(アーカイブス)」となりえているところも、スゴイ!とにかく、写真家ではなく「アート・ドキュメンタリスト」である安齋さんの写真のある空間を実際に体験してみたかったというわけです。


左は写真展カタログ。右はチラシです。
カタログ内、1枚1枚の写真に添えられた安斎さんによるメモが、好きです。

会場に入ると、まずは1970年代初頭(安齋さんが撮影を始めた頃)の写真作品(モノクロ)が、横の列を意識させる構成で整然と並んでいます。一つ一つの写真の大きさはそれほど大きくなくて、1枚1枚が白い壁に虫ピンでシンプルに留められているだけ。現像時に周辺部を露光させて創り出すという、写真の額縁のように見える独特な黒い枠も、ひとつひとつの写真が特別なものであるというイメージを与えてくれる感じがします。知っているアーティストや作品が写っていなくても、そこに写っている「人」と「空間」に、何故か心がざわめく・・・、冒頭からそんな感じがします。なんかスゴイことがあちらこちらで起き始めていた時代だったのかな、そんなことも頭の中をよぎる・・・。やがて視界が大きく開ける大展示場へと進むと、会場を取り囲む壁面に、1年毎に写真をタワーのように縦に配置して展示してある大空間に。その縦の写真の列がたくさん集まって、圧倒的な量感をもって迫ってくる写真作品群が、周囲の壁一面を覆いつくしています。一方、会場中央のスペースを取り囲むように配置してある、天井まで届くかのような高さのあるボードには、アーティスト個人を写した、大画面のポートレート写真の数々が、ダイナミックに展示されています。あの大会場の入り口から見渡す、そんな会場の光景には、軽く眩暈の感覚すら覚えます。正直なところ、入り口では、これ全部見られるのかなあ?とちょっと不安になったりもしました。しかし、1枚1枚の写真に封じ込められた「現場」や「人」の空気感に吸い込まれるように、いつの間にか壁に貼られた写真の数々を追っている自分がいました。

安齋さんの作品は、大きく二つに分けられるそうです。これは先ほど述べた会場の構成の仕方からもすぐわかることなのですが、ひとつは、「アーティストの個性を的確に捉えたポートレイト」作品群。もうひとつは、「今では存在しない作品や画廊、歴史的な展覧会の様子などを収めた史料的価値の高いドキュメント」としての作品群。これら二つの作品群を見比べると、安齋さんの被写体との関わり方の違いがよくわかり、非常に興味深いです。今回私は、最初に後者の作品群を、そして締めくくりとして前者の作品群を、という順路で観覧してみました。

まず周囲の壁に虫ピンで留められた、夥しい数の「現場」を撮った作品群、つまり、「ドキュメント」的な性格が強い作品群について。とにかくスゴイ数の写真で、写真をひとつひとつ追いかけながら、一瞬一瞬様々なことを感じていました。個人的には、水玉模様のモチーフで有名な草間弥生さんの写真、縞模様で空間の質感を変えるダニエル・ビュランさんの写真などが身近に感じられました。草間さんの作品は、学生時代のアルバイト先に入っていたギャラリーでよく個展が開催されていたので、そのときに観た感じと、写真から感じ取られるものがシンクロして、不思議な感覚に包まれました。ダニエル・ビュレンさんの作品は、以前縞模様に興味を持ったときに、本などでよく見ていたのですが、70年代に地下鉄銀座駅で行っていたという「ストライプ・ゲリラ」の写真を会場で発見して、こんなことをしていたアーティストだったのか、と新鮮な眼で見られたりしました。

安齋さんの追ってきた対象は、現代美術。インスタレーション、アクションペインティング、パフォーマンス・アート・・・。多様化する現代美術の状況を反映して、撮影場所も、美術館、画廊、ギャラリー、劇場に収まるはずはなく、公園、田園地帯、そして企画に関わる人たちのいる大学研究室にまで及びます。そして、そこに写っているのは、いわゆる「作品」だけでなく、それを作るアーティスト、作品を観に来たお客さん、アーティストを支える人たち、はたまたその作品のそばをたまたま通りかかった人だったりするわけです。その「人たち」や「もの」の撮り方も実に様々で、制作過程を撮ったもの、完成した作品だけを撮ったもの、その前でポーズをとるアーティスト、といった具合です。ただ安齋さんの写真を観ていて不思議なのは、30数年前の写真に写った人たちの服装や髪型は、いかにも70年代なのに、いつの間にか、そういうこと(「過去はこうだった」ということ)よりも、その現場に流れていた空気感に引き込まれてしまっていて、「過去の時代性」よりも、その現場に居合わせているような「リアルさ」の方が上回ってしまっているということでした。そして、もうひとつ安齋さんの写真を観ていて不思議だったのは、これだけ現場の空気感を写し取っているのに、被写体にべたぁ~っとくっついた撮り方をしていない感じがすることなんです。写真から現場の熱気、空気感はリアルに伝わってくる、でも、安齋さんの撮り方は熱くない(?)、というか、きっと安齋さんは熱いのでしょうが、敢えて、撮り方においては、その熱さを封じ込めている感じがする、と言ったらよいのでしょうか。また、これらのドキュメント作品に写されているアーティストたちは、固有名詞を持った、有名な(世間に名の知れている)誰々というアーティストというよりはむしろ、ものをつくるひとりの人間という性格を強く帯びている気がして、非常に愛おしく思えるような気がしたのです。「現代美術」というと、中には前衛的すぎて理解不能と考えてしまうことが多いような気がしますが、安齋さんの写真を観ていると、そういうことよりも、何かをつくることによって、誰かに何かを伝えようとしている人たちが確実にいたことが感じられて、温かい気持ちに包まれてくる気がしました。普段、ダンスを観ていて感じていることでもありますが、やはり、そこの場でしか成り立ち得ない空気というのがあると思います。ひとが関わって作品(もの)をつくるときに出来る場、そのものづくりの場における「一回性」、つまり同じものをつくろうと思っても二度と同じものはできない、そういうものに対する安齋さんのこだわりが強く感じられました。そして、そのものづくりをカメラ越しに追うことで、アーティストや作品と対話し、理解することによって、ものづくりに参加しようとしている、そんなことが感じられてくるような気がしたのです。

天井付近まであるボードにダイナミックに配置されてあるアーティストたちのポートレート写真の数々もまた印象的なものでした。これらの作品では、アーティストの上半身、顔のアップ、あるいはその一部が写し撮られています。オノ・ヨーコさん、ミヤケ・イッセイさん、バスキアに、デビッド・リンチなどがあったでしょうか。「ドキュメント」作品群を観てから、これらの個性豊かなアーティストたちの「ポートレート」作品を観ると、やはり、安齋さんの被写体との距離感の取りかたの違いが感じられますし、安齋さんのアーティストたちの個性を写し撮ろうとする気迫が、画面いっぱいに漲っている気がして、圧倒されます。

こうして、会場の写真を一通り観終わり、中央のスペースに置いてあるベンチに座って、今回の写真展の閲覧用カタログ、そして安齋さんの作品を特集した記事のファイルを読んでいました。安齋さんは、写真を撮るだけでなく、現代美術に関する文章も多く書かれているだけあり、記事のなかには私にとって印象深い言葉もあったので、ちょっとメモったりしていたのです。そんなことをしていたら、安齋さんが、「何か質問みたいなことはありますか?」と気さくに話しかけてくださいました。今回の展覧会では、安齋さんによるレクチャーやワークショップも数回行われているようですが、会期中はなるべく会場に来て、会場にいる人との交流を心がけておられるのだそうです。私も写真を観させていただいての感想などをお話させていただいたのですが、こちらの感じていることを瞬時に読み取られて、漠然と感じていたことが明確になるように、ピントを合わせてさっと光を当てるかのように答えてくださるお話に、すっかり時が経つのも忘れてしまうほどでした。

「現場」にある「視覚+α」のものを写し撮ることへのこだわり。最初に設定され決められた完成形を実現するためではなく、制作過程での試行錯誤と微調整によって、作品が変化してゆくことの楽しさと、その現場に立会い、作品制作に関わることのよろこび。安齋さんとのお話から、そのようなことがひしひしと伝わってきました。初めて観たときの「これ何だ!?」という感覚。ひとりのアーティストに関しても、前のを見ているからこそ見えてくる次の何か、それがあるから、どんどん追いかけていってしまう。愛情、愛着、好奇心。ひとりのアーティストのことを伝えるにも、そのアーティストのことをどれだけわかっているのか、責任を持たなくてはならない・・・。広い会場を埋め尽くすように配置された写真を観た後にうかがった安齋さんのお話。そのなかの重みのある言葉の数々と、私が感じたこと。安齋さんのお話をうかがっていると、会場で安齋さんの写真をひとつひとつ追いながら、少しずつ蓄積されていった私のなかの形にはならないものが、まとまりを持って束ねられていくような気がしました。

「私」という「パーソナル」な視点にこだわって、30数年にわたって「現場」と「人」を撮り続けた安齋さんのエネルギー、それがどんなものなのかを感じ取りたい。今回、私がこの展覧会へと足を運んだことの一番の動機は、これだったかもしれません。演奏者も、自分も、観客も毎回調子が違って、空気が変わる、それを1日1日追うことができる、そんな幸せなことはない。マイルス・デイビスのツアーに1週間ほどついて行かれた時のことをお話してくださる安齋さんの笑顔がとても印象的でした。そして、長い活動のなかで、やはり感じることは、ひとりではものはつくれない、こうやっていろんな人がいて、ものはつくれる・・・。そんな安齋さんのお話をうかがいながら、広い会場の中央にあるベンチから今一度眺めてみる安齋さんの撮った写真は、また特別なもののように思えたのです。

ところで、安齋さんが声をかけてくださったとき、私がちょうど読んでいたのが、草月会館の情報誌に掲載された安齋さんの記事、「草月という『確かな美術の現場』」でした。イサム・ノグチ、サム・フランシス、ジョン・ケージ・・・。国内外の多くのアーティストたちが活躍してきた草月という場に、カメラとともに居合わせることのできる安齋さんの喜びが綴られている文章で、1984年のナム・ジョン・バイクとヨーゼフ・ボイス(←会場にあった帽子を被ったボイスのポートレート写真はとても印象に残りました)のパフォーマンスを撮った写真とともに、興味深く読ませていただきました。記事の中に、「さまざまなアーティストたちとのすさまじいまでの純粋で熱気に満ちた現場」という言葉がありました。そんな言葉と写真を頼りにして、安齋さんが居合わせた、私の知らない草月という現場に思いを馳せていたのです。2002年10月2日の草月ホール。今からちょうど5年前の秋、青山航士さんが『森羅』を踊っていた、私の知っている「草月の現場」。私のなかのフィルムにくっきりと焼き付けてある「すさまじいまでの純粋で熱気に満ちた」現場を、私はまだ現像できずにいます。あの日の帰り道、急行電車から降りて、混雑した二子玉川の駅で各駅停車の電車待ちをしていたときの暑いような涼しいような感覚が、今でも残っているのですが、『森羅』に関しては、もしかしたら、あのときからずっと私は止まったままなのかもしれません。