還暦ホノルルマラソンを夢見て

メタボを改善し、還暦から新しい人生目指して、あくなきチャレンジをブログります。

動機

2020年05月01日 | 走るまで
 行きつけの沼田先生(仮称)に、”死にますよ”と言われて走り始めたと初回で書きました。が、まだいくつか主要因がありますのでご紹介。情けない部分ですが、御同輩の参考になれば。ならないか?

 昨年の5月ぐらいに、高校の友人と一緒に梅田で飲みました。その折に、写真などを撮り参加できなかった他の友人にLineで共有しました(友人が投稿)。その説明に、このデブが”あやパパ”でー。との解説がありました。ムカつくなー。なんと言う説明の仕方でしょうか。当時は、おそらく95kgぐらいでしょうか。仕方なし、でも、そこで走ろうとも思いません。少し、ダイエットした感があったけど、誤差レベルです。

 夏になりました。去年の夏。お腹周りが悲惨な事に。買っていたズボンが入らなくなりました。騙し騙し来ていたのですが、ボタンが留まらない。いよいよかー。いよいよです。(今は、逆にズボンみんな超ダブダブ。ウエストにして10cm以上縮みました。どちらにせよ、買い替えです。)

 極め付けは、田舎で川遊びをしていた時の事。子供の頃は、ヒョイと乗り越えられていた岩場を上がろうとしましたが、体が重くて上がれません。涙が出てきました。こんな事もできなくなってしまったのかと。遠くで日暮が鳴いています。あやパパも情けなくて泣きたい気分です。自然は変わらない。自分は歳をとりメタになってもう死んでしまうのかと。その頃は、歩くときに手を後ろに回すと歩きやすい事を発見。これって爺様のスタイルじゃん。自分でも驚く情けなさです。それでも夜は沢山食べて酒を飲む。ですね。ダメでメタな筈です。

 こんなことがあり、最後の一撃で”死にますよ”のご指摘。死にました。もう、これまでの私は。御同輩の皆さんは、ここまで、行かなくても運動をされているものと思います。少しづつ溜まる脂肪と生活習慣の悪いところ、これまでを捨て、いままでと違う自分に向かわなくては立ち行かないとも思いました。

 で、走り出した訳です。で、しばらくした頃の高校の友人とのLineのやりとりが以下です。

 40分程かけて約3.5kmを30年ぶりに走って(半分はへばって歩いたけど)きました。おっさん特有の濃い汗がたくさんでました。シャワー浴びて爽快です。なかなか、いいもんです。同じ距離を20分で走れるようにできたら距離を倍にします。(9月3日、あやパパ)良い感じぃ。

 飲み会で撮影した写真(M君、J君とあやパパで写った写真を解説しているところ)
N「MとJは学生時代より痩せてるんと違う!? それに比べ手前のヒトは、、、(++)」
J 「最近始めたジョギングマンですか? 全く成果のかけらもありませんでした。10kmマラソンはきっと夢の中の願望から出た妄想でしょう。」(10月25日)

 言ってくれます。まあ、その時でも90kgはあったでしょうから。こんな強烈な”応援”を頂いたのでこれまで続けているとも言えます。前向きです。10kmマラソンはコロ禁で中止になりましたが、夢の中からは出てきましたよ。他の夢の中にあるものも、数珠繋ぎで出てくる順番待ちです。今日(平成二年五月一日)も快晴で16kmほど桂川を走れました。時間が早かったので暑くてへばりましたが。

 写真は、令和元年夏の終わりの蜻蛉です。こっちを見ている様に見えるでしょう。「俺たちは、この夏だけの命、その先も寿命があるお前は真剣に生きているのか?」と、問いかけられている様に思います。トンボさんに負けない様に頑張って生きて見ます。もう少し。

 足重き 最初のあゆみ できてこそ 違う世界の 扉開かん  あやパパ