goo blog サービス終了のお知らせ 

還暦ホノルルマラソンを夢見て

メタボを改善し、還暦から新しい人生目指して、あくなきチャレンジをブログります。

走中止世(その1)

2020年05月29日 | 10kmぐらい
 走中止観との言葉を何回か使いましたが、走っていて、それは最後の境地なので、あやパパみたいに、油ギトギト親父はもっと修行レベルに相応しいSubjectが必要と言われました。人に言われたんではないですよ。このボログで「〜と言われた。」と使っているのは、あやパパの一人芝居ですからねー。本当に、後ろから声を掛けられるような時もありますが、普通は、穏やかに”おー、今日もきたね。”てな感じ。

 それでは、ちょっとランク落として止世(とせ)とします。これは、琴歌譜「片降」で
 
「阿良多之支 止之乃波之女尓 可久之己曾 知止世乎可祢弖 多乃之支乎倍女」

として、”千歳”として使われているぐらいで、あやパパ造語で問題なしと思います。メデタイ譜です。量子的な感じが良いでしょ。言われたままなんですがねー。そして、さらに造語「止世止観」を作っておきます。これを使うのは、フルマラソン後ですね。”千歳”が必要です。

 さあ、言葉は止まっても、ヘロヘロナ(ハワイぽくなってきた。)走りは止まらないあやパパは、今日は早朝RUNに挑戦なのです。朝のチャレンジ爽快、でも、怠惰なあやパパは、朝はとことん苦手です。小原庄助さん?です。で、ですね、本日は起きられずに不発。ダメダメです。正直です。気持ち良い朝を、そのうちにやりたいものですねー。朝、走ったらまた新しい出会いに巡り合うのだろうなー。何があるかなー。お預けー。

 と、言うことで、夕方にハーフではなく10kmで、できるだけ早く走るように、趣向を変えました。やってみたら、こどもの国4.2kmで死にそうになってたのが、25分に。5kmなら、なんとか30分切れそうです。今回は4.2kmでやめました。次回の楽しみ。お預けー。

 桂川に降りずに西京区を走ったのは、すごく久しぶりで4月28日以来の一月ぶりです。10kmですが、自己ベスト更新ラップ(1km5分台)で走ったら、いつも、いろいろ考えたりする余裕全くなし。ひたすら、走る事だけの世界でした。なんか久しぶり。でも、ハーフを毎回課しているので、全然楽、苦しさの中にも楽ありけり。で、このようにギアを変えて走るのも良いですね。いつもの道も新鮮です。六月の修行はハーフ+タイムチャレンジの組み合わせでしばらくやってみたいと思います。

 写真も今日は撮る余裕なかったので、コロナ自粛前の洛西タカシマヤさんです。もう、営業は再開。それなりに人がいます。すごいでしょ。こんなのが竹藪の中にあるんですよ。

 五月もあと1回ハーフを走れば、総距離は200kmを超えることができそうです。天気も良さそ。五月は、思いがけなくハーフを走り切れたので良い日々でした。六月は別のチャレンジをします。え、何するかって?、、それはまだ秘密です。はい。では、五月のレポートはこれでおしまい。明日はこのボログのあやパパ的には、50回目記念なので、こどもの国の本番中継を思い出しながら書いてみます。どうなることやらです。
では皆様、良い週末を。

  朝焼けの 気分で走る 夕暮れは 何も感じず 何も思わず  あやパパ




はじめての10km

2020年05月22日 | 10kmぐらい
  ハーフマラソン完走したので、はて、10km時はどうだったかな?と、思いました。ところが、完走した時の感動が思い出せません。そんな日があったはずなのに。なので、歩きながらも、初めて10km動いた(通しで走っていないです。ヘロヘロです。)が強烈に印象にあるので、その日のことを思い出して10kmの感動?にしたいと思います。では、行ってみよ。

 その日は、2019年12月1日です。ほぼ半年前。相棒のGAMIN ForAthlete45の記録によるとです。10km(10.35km)移動を、1時間27分でやっています。8分27秒/kmで、今とそんなに変わりません?。なんで?。この日、激しく疲れたはずですが、、もう、遥かな昔になってしまいました。Logを見ると、真面目に、こどもの国4.2km大会練習として、4.2kmは続けて走っています。その後、歩き、走り、歩き、走り、歩き、最後の8.5kmから10kmまで1.5kmを走っていました。心拍数は158。私は心拍数162で死んでしまう設計なので、ギリギリです。ここ3ヶ月は高くても152ぐらいです。12月のあやパパは結構、追い込んでいたんですね。自分で驚きです。まあ、空気も冷たかったし、暑さ対策もいらなかったし、靴もすり減っていなかったですからねー。

 この日の事は最後の辺だけ、強烈に疲れたので良く覚えています。家までの1km(やっぱり全工程の1割)で、ヘロヘロになりました。今までの6kmをそれなりに走って歩いて、最後の500mはダッシュなんかしたりして、やれそうな自信が出てきた頃でした。
 
 まだ、桂川は遥か遠くそんなとこまで行く気もなかった頃です。それでも、初めての10km経験として踏ん張ってやり遂げた時に、もうくたくたになりました。走るのが終わり、家までの残り、300mが遠い。自分は歩いているのか?全然前に進んでいる気がしなかったのを覚えています。
 
 この前の桂川ハーフでは途中から見えない力の応援が盛大にありました。10kmはそんなの、全然なし。家に帰り、お風呂に入ろうと(外はもう暗い)風呂に入ってお湯出して、そこから動けなかったりしました。なんて、しんどいんだとの印象だけ残りました。写真は、GAMINさんが、関門、関門で出してくれる、”よくやった、偉いぞバッジ”の10km版です。こんなのをもらうと、子供騙しと知りながら、嬉しくなる自分がいます。この時の喜びは、このバッジだけ?だったか?
 
 今は、10kmなら1時間5分、体重はあれから5kg減、1ヶ月の走行距離は三倍以上(60km→200km)、いで立ちはそこそこランナー風?。GAMINバッジは45個。でも一番変化したのは、走る、走れる喜びと感謝が共にある事です。このボログを書く事も、時々出会う家来たちも、みんながみんな感謝です。これは、大変な事と思います。この歳になって、次に感動するのは、何かな?もう、無いかな?と、モノクロで続く日々の風景が当たり前になっていたのを、新しい目標とその先に続く素晴らしい出会いを楽しめる日々に変わりました。明日も、二日間、休んだのでハーフを渡月橋まで行きます。この前のハーフを自分のものにして、感謝に感謝する日となるために。

 10kの 境を超えて 行く日々は 次の喜び 我に与えん あやパパ


相棒と仲間達(その4)

2020年05月16日 | 10kmぐらい
 走っている時に、ご機嫌な音楽に出会うと、得した気分になります。以前に少しだけ、音楽の話をしました(幸運に恵まれて:4月22日)。あの時の、”Van Halen ー JUMP”はその後、一度も流れません、聞いていません。あれから、200km以上を走りました。やはり、そう言う事なのかと思っています。

 音楽を楽しむためには、BLTタイプの走っても邪魔にならないイヤホンが必要です。あやパパは、そこら辺にあった有線タイプのイヤホンを年末頃まで使っていたのですが、コードがブラブラして、ダラダラ走るあやパパの集中力を削ります。袖にコードを通して見たり、いまいち。です。

 そこで、昨年末、御用納めの日、自由が丘のヤマダ電機で自己プレゼントとして、購入したのがソニーさんのWIーXB400(写真)です。私は昔からソニーさんのファンですから。迷わず選びました。7500円ほど。だいぶ予算はオーバしましたが長い付き合いになると思い、重低音の、この子にしました。

 遥か昔、イギリSFテレビ番組に”謎の円盤UFO”と言うのがありました。かの、サンダーバードを手掛けたジェリー・アンダーソンが指揮して作ったお色気ムンムン番組です。1970年、小学2年だった私は、夢の世界に心が踊りました。その頃は純粋にSFの方に。いくつかの場面は、今でも時々思い出します。時間が止まるトコとか。
 
 今、You Tubeで見たら、なんてすごい番組だったのかが再認識できます。子供向けのサンダーバードからの脱皮を企図したジェリーの気合が、女性のセクシーコスチュームから伝わって来ます。もう、すごいです。今だと放送禁止。
 
 さらに、矢島正明さん(スタートレックのカーク船長の声優さん)芸術レベルのナレーションでシャドー組織紹介に痺れ、未来女性のミニスカートで失神しそうです。もう感激です。

 子供の頃は、沢山の”不思議”に”未知なるもの”に”美しいもの”にどれだけ出会えるかが、その後の、豊かな人生作りに影響するものと思います。UFOの飛ぶ”クウゥウィー、クウゥウィー”の音といい、よくわからない、クルクル回る、コマのような貧弱な感じといい、逆に想像の羽を伸ばしてくれました。今のCGを駆使した、完璧世界よりもこっちの方が想像補完する意味では優秀なのかも知れません。半分、あらすじで、〆の言葉は「次の犠牲者はあなたかも知れない?」、「果たして、我々地球人の未来は、人類の運命はどのようになるのであろうか?」。静かに、不安を掻き立てて終わります。もう、次を早く見たくてたまりません。
 
 ソニーさんは、このスポンサーで、トリニトロンのコマーシャルを流しました。山奥の我が家では、電機製品はナショナルさんが一流で、あとは二流が無くてあとは、全部三流と親世代は勝手に認識していましたが、私はUFOでソニーさんが一番と思いました。水戸黄門よりこっち。CMは、お姉さん三人が3元色で踊っていたような感じで、トリニトロンのコマーシャルを流しました。
 
 ♪ソニー、ソニー、トリニトロンカぁ〜ラ〜アぁ〜ワンガンスリービィーム ワ〜ンガァ〜ンスリィービィーム ソニー セカイの〜ぉ〜そぅ〜に〜ぃ♫ 

 耳タコと言う言葉を、この頃覚えました。それから、SFとソニーさんは大好きです。お色気はその後に、大好きになりました。日本が世界で輝く時代の到来でした。そんなソニーさんの相棒として、音楽ガンガンでヘロヘロなあやパパの走りを支えてくれました。支えてくれました。と、過去形です。実は、4月13日(西京区ジョギング)の時に、竹の子を見つけた後に、いきなり、”ピィーーー”と1分ぐらいすごい音がして、お亡くなりになってしまいました。マニュアルやら、netやら情報をかき集めて蘇生を図りましたが、もう、あやパパには何も言ってくれません。雨に濡れたわけでもなく、充電も問題ないのですが。

 名前を付ける前に、旅立ちました。3ヶ月ちょっとの時間でしたが、一緒にいてくれてありがと。君と走った時間は忘れないよ。哀悼に”ちあきなおみさんの、黄昏のビギン”を送ります。向こうで、重低音利かせて下さいね。

 ”♫〜 雨に濡れてたー 黄昏の街 あなたと逢った 初めての夜 二人の肩に
  銀色の雨 〜♬”
                                                                       中村八大 作曲  / 永 六輔 作詞




10kmマラソン大会へ

2020年04月25日 | 10kmぐらい
 なんとかこどもの国4.2kmを走り終えたあやパパは早速、次のチャレンジに年内(2019年師走)にエントリーしました。マラソン大会10km。その頃は、COVID-19も文字通り対岸の火事であり、誰が今のような状況を想定できたでしょうか。
 あやパパは無邪気に、4.2kmでこれだけ良い事があったのだから10kmに向けてはもっと、いろいろな楽しみがあるな。と思い早速、大会を物色。横浜あたりでも、鶴見川とか、多摩川での大会があり人気のようです。川縁を走るのは良いですよね。京都では、小畑川、桂川を横浜では恩田川を走っていますので横に川が無いと寂しく感じます。
 12月のギリギリ4.2kmをクリアしたものの、これの2倍の10kmを走るとなると、中、2ヶ月以上は練習して脚力向上しないとダメかなと思いました。そこで、3月中旬ぐらいの大会を探したら、ありました。良いやつ。「第57回 京都スポーツ祭典 第42回 京都嵐山ハーフマラソン 2020年3月15日(日)開催」ちょうど新しく10kmを新コース設定したとの事。これは、あやパパの為に用意してくれたような大会。と、勝手に思いご機嫌に。こどもの国4.2kmの時もそうでしたが、大会にエントリーすると体のどこかのスイッチが入り、大会に向けての準備を始めます。真面目な性格です。
 しかし、どんどん広がるCOVID-19。マラソン大会なんかは、外に出て走るのでスタート時間と空間を少し工夫すれば支障は無いと思いますが、、、ダメでしたね。いくら工夫しても、世間の目に工夫は映りません。ありません。他が自粛してたらお前もやれ理論です。悲しい事です。この道はいつか来た道。大変悲しいです。
 今、思えばこの時少し無理してでも2月の大会を選んでおけば良かったと。3月のこの頃から、世の中が騒がしくなって大会は軒並み中止ですから。2月に完走できなくても、10kmを経験した経験値は必ず残り、今後に繋がったはずです。今のご時世では、7月ぐらいの大会でも?がつくかと思います。早く走りたいものの、どうしたものか?
 写真は、不発の桂川マラソン記念Tシャツです。気分だけでも、これ着て桂川沿いを走りたいと思います。マラソン大会の関係者の皆さんもお疲れでしょうが、頑張ってください。COVID-19が、世間的に治るまではまだ時間がかかりそうだけど、ランナーは一人一人がそれぞれ努力して、一緒に走れる日に向けて力を蓄え、そしていつも以上に楽しみにしていると思います。イベントが復活してゆくならば、まず最初に解禁される部類にもあろうかと思います。

 明日あると 思う心の 徒桜 夕べに嵐 吹かんともかな  詠人不知



沓掛、老ノ坂(令和2年4月16日)

2020年04月17日 | 10kmぐらい
 昨日に続いて、走りました14km。3日で、フルマラソン相当。これを一回で走るのは大変ですね。フルマラソンされる方は本当すごいと思います。私は、夕暮れ前に走るのがほとんどですが、終わる頃に暗くなります。この時間は、1回走ると同じような”ランナー”に10人以上、20人以下の数にてすれ違います。とぼとぼ走っていますが、追い抜かれた事はあまり記憶にありません。人が少ない所を選んで走っている事もあります。
 写真は、西京区を北向きに見た田圃の様子です。誰もいませんです。ここから2km先が沓掛と言う所です。京都縦貫道の北向ハーフインターチェンジです(一方にしか行けない)。少し行った所が老ノ坂峠で、明智光秀が万感の思いを胸に本能寺に向かったルートです。GoogleMAPで丹波亀岡城址から、今の本能寺までは22kmでした。歩くと4時間36分と表示されますが、昔の人は途中峠があっても余裕でサブ4以下で歩いたでしょうね。
 これから話が進んでゆく、NHK大河ドラマ”麒麟が来る”でも、亀岡から本能寺までがハーフマラソンほどの距離だなー。と見てもらえたら、いろいろ発見があるかもしれませんね。私も、今度はハーフマラソン練習をそのうちできたらなー。と思います。

 いにしえの いわれかさねる 老ノ坂 如何に伝えん 変わりゆく今 あやパパ