還暦ホノルルマラソンを夢見て

メタボを改善し、還暦から新しい人生目指して、あくなきチャレンジをブログります。

かえると狸

2020年06月02日 | 5kmまで
 田舎に帰ると、生き物が沢山います。京都でも、春先にセキレイが来て家の横に生えている金木犀に巣を作ろうとしたのか、一週間ほど彼らの生演奏を聴くことができました。あれはあれでいいもんですね。京都で聞くから余計にいいのでしょう。但馬では、いつも鳴いているのでありがたみがありません。TV会議で、あやパパの家からは鳥の泣き声がしますねー。なんて言われたりします。雑音と言うことですね。

 さて今日は、動物の話。写真はアマガエルさん。元気いっぱいなのですが、この子たちは、このように、掌にひっくり返すと悟りの境地にハマり、目をつむり、動かなくなります。この子だけでなく、昔からアマガエルはみんなこのような反応を持っています。これは、多分考えてやっていないと推測。さて何故、観念した境地になるんでしょうか?このまま、お腹なんかをナデナデしてあげても同じです。何かのスイッチが入るのでしょう。この状態から、葉っぱの上に戻すと、しばらくぼーっとしています。さあ、蛇に食べられないように、元気でね。”あんたに、言われんでも、そうするがな”とのお答え。まあ、そうでしょうが。

 昨年の11月ぐらいに、田舎で夕方から走り始めたら完璧に日が暮れました。皆さんの想像以上の山の中です。横浜や京都では本当の闇はまずありません。でも、ここは真っ暗です。スマホのライトだけが頼りの道を7kmほど走りました。その時の事。所々にLED外灯があり、寂しそうに辺を照らしています。その下に、側溝があって、何かモゾモゾ動いています。なんだろうと思って、そーっと近づくと。でっかい狸が溝の中で餌を探しながらゴソゴソ動いいるではありませんか。人なんて居ないこの時間。この時間でなくてもいないけど。なので、全く無警戒の、文字通り狸オヤジはあやパパが横にいることも気づきません。

 なんと言う、間抜けな狸かと、少し驚かせてやろうと、静かに背中まで足を持ってゆき、ギュッと踏んでやりました。どうなったと思います?驚かしたこっちも驚く驚きようです。人でも、なんでも本当にびっくりしたら飛び上がると言いますが。本当に飛び上がりました。そうでしょうね。驚かない訳がありません。そしてやにむに、噛みつこうと攻撃開始。あのなあ、この”ぽんすけ(名前が付きました)”いくらあやパパが走って疲れていると言っても、お前にやられる訳ないやん。地の利を見て、少しは考えてやりやー。ぽんすけは側溝にいます。簡単には抜け出せません。行動範囲は前に進むか、後ろに進むかです。絶体絶命とは、この為にある言葉です。

 今度は、走り出しました。おっ、あやパパと走りで勝負?。それは負けれませんねぇ。15mほど狸にしては全力疾走。でも遅いので、お尻をツンツンしてやります。狸は、もう激怒状態フウフウグルグルー。でも、走っても全然ダメと、気づいたのかな?と思ったら、今度は逆向きに疾走(というより、もこもこ動く)しました。今度は20mぐらい。あやパパも面白いの付いてゆきます。グルグル言っていたのが息切れしたのかゼイゼイに聞こえます。息切れの気持ちは良くわかります。そして、動かなくなってしまいました。ツンツンしても反応なし。ははーん、これが狸寝入りというやつか。ぽんすけもやること全部やってるなと思ったりして。動いてなくても、かえると違い息遣い荒く、目はちゃんとこっちを見ています。かえるのように悟りは全く無いようです。

(あやパパ) 
 ぽんすけ、縁あってここで出会った。このまま殺してたぬき汁にもできる、あやパパの立場は理解しているかね?
(ぽんすけ)
 旦那の言う通り、もはや観念しました。
(あやパパ)
 よし、よし、ここでお前を食べても、その体、油ばかりでなんともならんと見た。無罪放免にしてやろう。
(ぽんすけ)
 ありがとうございます。恩にきます。
(あやパパ)
 ワシも、少々油が多すぎて、困っている所。これから、お前もあやパパの走りを応援してくれるか?
(ぽんすけ)
 そりゃーもう。一生懸命応援するですよぅ。
(あやパパ)
 それは、ありがたい、では頼んだぞよ。
(ぽんすけ)
 へへーぃ。

と、言うことで、桃太郎のノリでぽんすけの応援もある訳です。走れる感謝は、全ての出会いと共にありです。空を見ると、暗い分だけ銀河が美しいまでに流れています。早く帰って熱燗でいっぱいやります。やりました。

 いのちなら いきとしいきる そのままに 明日をかけ越え 夢をかけなん  
                              あやパパ


こどもの国 4.2kmマラソン大会(その5:本番中継の後編)

2020年05月31日 | 5kmまで
 さあ、生まれて初のお金を払って(3500円)のマラソン大会が始まりました。いきなり、若い兄ちゃん達がすごい勢いで飛び出します。この4.2kmの距離の優勝者タイムは15分ほどです。早い筈ですね。まあ、あやパパは、俺だって若かったら負けないけどなー。なんて思い、負けている自分をごまかそうとしています。なんかなー。そんな事はどうでもいいのです。前編にも書きましたが、自分との戦いですからねー。

 どうしても、スタート直後はオーバーペースになりがち、なので、要注意とT課長(取引先のサブ3ランナー)からアドバイスを受けていたので、控えめ、控えめに進みますがそれでも早い感じ引っ張られています。スタート時点では、私の前に二十人ぐらい、後ろに五十人ぐらい参加者が居たと思いますが、どんどん抜かされます。最初の150mぐらいのところに、25mぐらいのUP,DOWNがあります。皆、それなりに苦しそうです。京都の坂で走っていたので、ここで何人かを抜き返しました。気分良いです。1kmぐらい走ったら、抜かされることも、抜くこともあまりなくなりました。相棒GAMIN ForeAthlete 45は、心拍数152を指しています。どんなことがあっても155以上は出さないように気を付けて走らないとなー。ここで、倒れては、どうにもなりません。再確認っす。

 そろそろ、みんなのペースが決まって来たかなー。と思っていたら、小学3年生ぐらいのお子様が2人、あやパパを追い抜いて行きます。こっちは、蒸気機関車みたいに走っているのに、電気自動車みたいな感じ。なんか、ムカつきました。「このチビどもめー。」25mぐらいペースを上げて追いかけたら、すぐに心拍数が155にUP。まあ、こどもの国なので、大目に見てやろう。そうそう、自分との戦いだった。筈との平常心を取り戻してたりしていると、早くも2kmです。何事も半分終われば気が楽になります。さっきの二人組は先に行きましたが、別のお子様を追い越したりして。後からGAMINの高度計記録を見ると、走っていた時に感じたほど高低差は実はありません。しかし、数字以上にUP、DOWNがあるように感じました。

 寒い気温でしたが、もう、汗だくになって来ました。他の気合の入ったランナーは、短パン、ランニングシャツ一枚の人も。あやパパはほぼ普段着です。子供に”普通のおっちゃんが走っとるで”と関西なら言われそうです。4.2km参加者には、実はもう一人すごい方がおられました。どう見ても80歳以上の爺様です。やる気満々スタイルで、確か帽子がサンタさん?のような方。この人が、後ろにいる筈ですが、抜かされたらどうしよー。なんてことを思ったり。さすがに凹みそうですよね。

 幸い、サンタさんに抜かされる事なく、終盤に。これまで登り坂基調だったのが3.2kmあたりから下り坂に。もうここまで来たら、やれるだけやろう。と、下り坂を思いっきりピッチを上げて走りました。今まで、6分40秒/kmだったのを勢いに任せて、最高3分44秒。下り坂。すごいスピードです。この勢いで、前編の写真にあった歩道橋を走り、最後のグラウンドに入って来たのは良いものの、グランドに入ったぐらいから息が切れてしまい、どうにもなりません。まだ、1kmのラストスパートは無理でした。

 それでもなんとか、息をしているのか、していないのかわからない感じでゴールをしましたが、ゴールしてもゼイゼイしているのに呼吸している気がしません。これは、大変でした。GAMINの記録を見るとその時の心拍数は、169でした。レッドカード超えてパープルカードです。息ができない筈です。今、これを書いてても息苦しくなります。やりすぎですね。いい歳して。走り切れた、感動や他の良いことも、このパープルペース息切れて、全部吹っ飛びました。歩いても、止まっても、どんな格好をしても苦しいのですが、グランドを腰に手を当てて三周してやっと回復しました。あーしんど。

 この4.2kmマラソン大会の結果は、参加者71名中、半分よりちと悪いぐらいの成績でした。大多数が20分代で走っています。その中に入れました。最初の大会でこれぐらいできたら上々です。でも、疲れました。高度差は72m、平均心拍数148、平均ピッチ166spmでした。

 まあ、令和元年のうちに一つですが、”走り”で爪痕を残せたと思います。この日は、ご褒美として家族でスターウォーズを観にグランベリーパークに行きました、大人の国的テーマパークです。子供から大人になりました。良き1日となりました。グランベリーパークは COVID−19で今日まで休業のようですが、明日からまた再開ですね。素敵な場所なので、人も多いです。十分対策をしてお願いします。

 二回にわたり、初のマラソン大会参加体験談でした。本当は、今頃なら10kmの大会を2つぐらいはこなしている筈ですが、これ以降、中止となり誠に残念です。来月(6月)は、新しい体験にチャレンジすべく、今日も雨っぽいですが、走りたいと思います。では、明日から新しい気持ちでまた、お会いしましょう。

 小山さえ 乗り越え行けば 遥かなる 海の向こうに 道も続かん あやパパ


こどもの国 4.2kmマラソン大会(その4:本番中継の前編)

2020年05月30日 | 5kmまで
 第1回 UP RUNこどもの国マラソン大会がやってきました。九月から走り始めて4ヶ月目、GAMINの記録に残っているアクティビティで十月終わりから20回練習RUN、GMIN以前も多分20回ぐらで、合計40回?、走った距離はだいたい230kmほど練習したと思います。距離だけなら、現在の一月分ぐらいですが、経験といい、体重といい、筋力といい、ダンプカーに軽トラエンジンしか積んでいない仕様で、まあ怪我もせずによくやれたと思います。ロケットも最初の1分ぐらいが大変でしょ。同じかと。

 大会前日は仕事から帰って、PM11時ぐらい。風呂に入り、早く寝ようと思いますが、もう体が戦鬪モードになってしまっています。これも不思議なものです。あやパパ以上にやる気になっている体って、別の魂があるのかもしれません。

 インターネットで地図見たりして、予備情報を確認します。近くなので、何回か行っていますが、マラソンコースを一周なんてしたことはありません。入り口の辺から、牧場のあたりまで行ってソフトクリームを食べて帰るぐらいです。走るコースはアップダウンが尾根道だから厳しそうです。山の子でも、心配。しても仕方なし。グローバル社ミランダ・カーのコマーシャルを見て(完璧ぃです。TVはこれだけしか見ませんです。)
エネルギーも貰ったので、無理やり寝ることにしました。

 朝、これまた早く目が覚めます。動物園にゆく幼稚園児レベルの興奮に包まれて。57歳ですが。そこんとこ同じ。さあ、これまで準備して来たことは正解だったのか、どうか?問われる日が来た訳です。なんか、もうちょっと、やりたいと言うことで、会場まで歩いて行くことにしました。5kmぐらいあります。もっと近いと思っていましたが、結構距離があり、早く走りたい体を馴染ませながら、会場に。

 生まれて初のマラソン大会です。エントリーのやり方もわかりません。係の人に丁寧に教えてもらい、ゼッケンとか、記録用のBLEタグとかをもらい、入園します。入園料は、参加費とは別とのことで、これも払い会場へ。窓口のお姉さんに「頑張ってくださいねー。」なんて励ましが、体に染み入ります。”ああー。新しい世界に来たなぁー。”です。
 
 一枚目の写真は、入ったとこ、の広いコンクリートの坂道にある、クリスマス飾りです。シンプルで迫力あります。作るの大変でしょうね。この坂道で、子供達がチョークで絵を書きます。誰が書いたのか、中には芸術作品みたいなすごいのもあったりするので、驚きです。上の橋みたいなのが歩道になっていますが、実は、ここを最後のラストスパートで駆け抜けるとこになります。

 二枚目の写真は、4.2kmを走る皆さんの集合写真。割と大勢います。半分は女性、1/3はお子様です。あやパパもお子様クラスです。正午のスタートです。コースに近づくと先発のマラソン、ハーフマラソン、12.6km、8.4kmのランナーの皆さんが駆けていきます。まあ、その走りっぷりのカッコいいこと。お姉さんランナーは、カモシカのごとく走ります。健康美が溢れて玉となって光っている感じ。昔、マンガによくありましたな。な感じ。気分が盛り上がります。準備体操も、念入りに、皆真剣、子供達も。あやパパも。

 さあ、いよいよスタートです。スタートラインに並び切れないので、結構後ろの方で遠慮がちにスタンバります。4.2kmですが、若い兄ちゃん達が結構います。お前らは、マラソンコースで人生の修行した方がいいんではと思う連中。です。まあ、どうでもいいです。これは、自分自身との勝負ですからねー。このために4ヶ月近く、やって来たんですからねー。

 正午へのカウントダウン。、、、あの時、何か思った筈ですが、思い出せないのが残念。スタートのサインが出ました。鉄砲だったか電子音だったか。やるしかない時間の始まりです。では、あやパパ行って来ます。(後編に続く、、)

 とき師走 マラソン駆ける 姿には わらべとともに 我もうつらん あやパパ 

 巨大クリスマスデコ

 4.2kmの皆さん(大会WEBより)

こどもの国 4.2kmマラソン大会(その3:練習1)

2020年05月19日 | 5kmまで
 11月に入り、成長が著しく無いあやパパは、相棒GAMIN ForAthlete 45を得て記録を取り出しました。それによると11月1日は5.7kmを57分で2/3は歩きながらこなしていました。これが、12月1日になると、10kmを1時間27分ぐらいまで回せるようになりました。距離、時間ともに成果あり?。こうして見ると、こどもの国以来、速さは全然早くなっていないなあ。改めて、良くわかります。やはり、大会に出ないとダメなんだなー。でも、11月の1ヶ月間で、5kmを約20分短縮です。もともとが、遅いので効果抜群との勘違いが楽しいです。体重も、10kgぐらいは減った時期です。

 その頃は、とりあえず多く走る、を大切に、3日に1回はRUNです。”ヘタクソは 数をこなして もの覚え”です。11月は数えて見ると11回、RUN記録がありました。5kmから8kmぐらいです。この頃は、”目標として少しづつ一度に走れる距離を伸ばすこと。”を目標にしていました。
 
 西京区の周回7km弱のコースで練習です。このコースが沓掛インター(写真は国道9号線から沓掛を遠望)まで坂を登ような配置となっていまして、結構疲れます。特に坂を登り始める3〜4kmの区間は制覇するのに大変でした。そんなコースで洛西中央通りから、右手に給水塔が見えて来ます。この塔が見えると坂道が半分終わりです。この塔が見えるまでは走るぞ!との気合で臨みます。
 
 11月の夕方。あっと言う間に暗くなります。あっ。真っ暗。幸い都会ですので、獣とかは出て来ません。闇に浮かぶ給水塔は大魔神。あやパパを「こっちまでおいで〜。まあ、無理やろっけどなー」。なんて言っているようにも思います。うーん。その内に、こんなとこ余裕のよっちゃんですっ飛ばしてやるからなー。今に見てろ!と心中、叫びながらギブアップを繰り返しました。ゼイゼイ&ぎゃぶん。11月はこの給水塔の壁は越えられませんでした。

 今でも、12kmのとこと14kmのとこに地球の重力がキツいとこ(グラビティポイント:グラPと命名!)。があります。京都消防本部の高い塔があったりしたりします。デカくなった大魔神。強敵です。これを越えたら、また、軽快に走れたりします。頭がそのようにパターン化してしまっているからでしょうか。

 今でも、その内見てろ!の気合は変わりません。10kmの時にも6kmの辺で、それはありました。調子の悪い時は、やはりそこ、グラPで引っかかります。桂川コースのローソンさん手前。ここは、家来が増えたり、小魔神でピンチになったりいろんな事が起こる場所でもあります。

 対抗措置も開発。グラP地域を少し過ぎたとこに、良い印(グッドポイント:グッPと命名)を見つけてそこまでやるです。あやパパの6km対抗のグッPは、いつも登場する羽束師橋です。いつ通っても、爽やかな透き通る桂川の南風に勇気をもらいます。本当に良きグッPです。ここは、橋全体がパワースポットかも。
 
 いずれのグラPも、昔は(つい最近ですが、、)ここで大変だったなー。と思って走る事ができます(ぐらP→ぐっP変換の法則!)。そんな時に、成長?を感じる事がさらなる成長に繋がると思います。フルマラソンまでに、あと幾つ、ぐらP地帯を越えてゆくのかも楽しみです。できたら、10個以下でお願いします。

 越えてゆく 一つ一つの いとなみは 思い出作り 夢につながり あやパパ



初めての桂川

2020年05月07日 | 5kmまで
 今は、いろいろな楽しい方々との出会いを楽しむ桂川ですが、最初にここにたどり着くのは大変でした。現在は、小畑川沿いで4km下り、新川端病院で右に曲がり4kmで羽束師橋に着きます。道も広いし、走りやすい。しかし、最初はそんな事わからないので、大変な思いをしました。今回はそのお話。

 その日は令和元年十二月十六日です。もうすぐ、こどもの国マラソンデビューをするので気合付けに、どこまで走れるか桂川までいってみよ。と、軽い気持ちでチャレンジしました。チャレンジは良いことです。いつもと違うチャレンジをする事で、”いつもの事”の値打ちが再確認できます。十二月中旬位になると、流石に5kmぐらいは連続で走れる様になっています。こどもの国向けに。だんだんと力が伸びていたので、桂川の距離感や、そこまで行ったら帰り道がある事を考えずに走り出しました。

 小畑川を2kmほど降ると、善峰道に交差します。結構立派な道なので、まっすぐ行けば桂川まで行けるかな?と思い左折。しばらくゆくと、あらら、細い道になってしまった。分岐。太い方へ、しばらくすると阪急西向日駅。東向いて走っているのに西向こうとは、何とも面白くありません。オマケに阪急さんが道を分断してしまっているので、蟻の行列にいたずらで石を置いたりした時の様に南に行こうか、北にゆこうか迷ったりします。この時、南に解決を求めていたなら、今日のボログはありません。北に行きました。近道になります。と、その時は思いました、とんでもない遠回りなのですが、、。

 北に行き、阪急線路を超えれると、番田道、と言う東向きの道を見つけました。次はJRの線路です。これもそのまま越えれそう。細いけど。さらに次、新幹線もOK。なかなか、行けます。次、東名高速もOK。このまま桂川か?と思っていたら、東名高速の下を潜って道は途切れてしまいました。ずっと向こうまで一面田んぼ。京都市にこれだけ田んぼがあるのかと言うぐらい田んぼ。桂川はどこに行ったのだ?ロプノールを探したヘディンの心境です。実は、この辺が桂川が西に蛇行しているため、一番遠いのです。それでも、東向きにゆく道を探して、畦道みたいなとこを走りました。500mほど先に川。”おっ、ついに着いた?”その向こうに住宅街。ちょっと桂川にしては細いですが、その時にはまだ走って桂川に出ていませんので多少の期待。
 
 案の定、桂川な訳がありません。ガックリです。この時、だいぶ苦しく(8kmぐらい?)で迷路の様な住宅街を右に左に進みます。先の見えない、この様な走りほど疲れるものはありません。昨今の事情と同じですね。GAMINのGPSで当時の経路を辿ると、桂川を渡るまでに10km使っています。迷路を4kmは探しつつ、進んだ感じです。下町の工場を沢山見つけました。皆さん、師走の忙しい時で一生懸命頑張っておられます。呑気にこんなとこ走っているのは私ぐらいです。今は、さらに厳しい環境かと。新型コロナ禍をなんとか凌いでくださる様、願っています。
 
 写真は、その時の帰りの桂橋です。12月、あっと言う間に日が落ちました。さらに9号線まで行き、クタクタになりながら帰ったら、初めて20km以上を経験した日にもなりました。一昨日のダム湖一周の3倍は疲れた感じです。それでも、初めての桂川、初めての20kmは記念に残る日となりました。これで、自信付けて?子供の国4.2kmにチャレンジします。

 河わたる ものの例えは かずあれど 我が営みに 迷いなきかな あやパパ