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この世界のどこかに居る似た者達へ。

「クロードと一緒に」 相馬圭祐編 4。

2014-06-16 20:04:21 | お芝居・テレビ
イーブは口が重いと言う訳ではなく、話しているけれど取り調べる側の人々が欲しい言葉では話さないと言う感じでした。

なので、刑事も速記もイラついたり呆れたりするわけです。


しかしイーブが後半になって話すエピソードが、彼の意識の変化が見えて来るポイントとなる様な気がしました。


それは、イーブとアメリカ人の客の話。

ある夜、店から酔って出て来た数人のアメリカ人の男達の中の一人が、広場に居るイーブに目を留めました。

仲間が帰ってゆく中、イーブの言う「その中で一番の男前」は、一人イーブの方へやって来ます。

酔っていて「君の隣に上手く座れなくてごめん・・・。」とかなんとかその男はイーブに言い、イーブが金がかかる事を彼にを伝えると全部のお金をその場でイーブに渡します。

そして二人は連れ立ってその男の部屋へ行きますが、男前はイーブに地図を見せて地元の場所やなんかを聞いたりして話すうちに眠ってしまうのです。

イーブは男前の靴を脱がしてやり、ベッドに寝かしつけると貰ったお金を全部彼の傍らに返して部屋を出て来た、と言う話。

そしてこの一件があって、体を売るなんてことはもうやめようと思ったとイーブは言います。

話し終えたイーブはデスクに後ろ手をついて、どこか違う次元に行ってしまった様な、恍惚とも言える表情を浮かべていました。


刑事は黙ってこの話を聞いており、ぼんやりしているイーブをじっと見て

「もう、終わったか?」

と、彼に言葉をかけます。


すなわち、

「もう、気がすんだか?」

と。


相馬さん演じるイーブはこの刑事の言葉に対し、ぼんやりとした表情のまま少し首をかしげる様にして小さく頷きます。

言葉は発しません。アタシ的にはこの場面が一番セクシーでした。

なんだか、ポヤンとして熱にやられてしまった様な顔で女の子みたいにコクン、と、ぎこちなく頷く感じが。

これは稲葉さん演ずるイーブでも同じでした。

あんまりイーブの様子が色っぽく可愛いので、この「男前」がクロードだったんじゃないかとアタシは思いました。

実はこれがイーブとクロードの出会いだったんじゃないかと。

他人に名前を呼んで欲しくない程の運命の人との出会いの話であったのならば、話し終えた後のあの感じは納得出来るなぁと。



ちなみに、映画版の「Being at home with Claude」にも、このアメリカ人との場面がありまして・・・。

その場面はイーブの回想なのでモノクロで、幻想的でとても綺麗な場面でした。

イーブとアメリカ人は広場では一言も言葉を交わしません。

男はイーブのブーツか何かの”フリンジ”に触れ、イーブは初めて男と目を合わせます。

そしてタクシーをひろってやり、男を先に乗せてから自分も乗ります。


このイーブと男のお互いの意思の疎通までの過程が素晴らしい。

下品な会話もなければ、余計な邪魔も入らない。

夜の広場に二人きり。

ベンチに座って何度か視線を交差させるだけ。

なのに、手に取る様に二人の感情が伝わって来ます。

こことは違う世界へいざなう様なイーブに対し、少し戸惑いがちな視線を返す男の鼓動が聞こえてきそうなんです。

広場に吹く柔らかい夜風まで感じられる、とてもセンスのあるシーンです。

二人を乗せた車が広場を離れてゆくのを観ながら、思わず拍手したくなってしまう。




舞台のイーブは刑事に「終わったか?」と聞かれ、お前の無駄話に付き合ってる時間なんかないと言う様な事を言われてしまいます。


そんなデタラメみたいな話はどうでもいいんだ、と。

そしてイーブを挑発する様な態度に出ます。



刑事は「誰にも言った事のない話をお前にしてやる。」と言います。

自分の奥さんにもした事の無い話を。


刑事は、イーブの様に街角に立ち客をひく男娼を沢山見て来たと言います。

可愛い奴もいれば、何回殴られたんだと思う様な酷い顔の奴。様々な容姿と同じに様々な事情を抱えた男達。


「俺はそう言う奴らを前にして、目ん玉が落ちるんじゃないかと思う位泣きそうになる事がある。」

「速記係りが居なければ、そいつらを抱きしめてやりたくなる。」

「でも今まで見てきた奴らの中で、お前程酷い奴は居ない。」


刑事のこの告白がどう言った意味を持つのか、その場ではよく掴めませんでした。

しかし、お芝居も終わる頃になって・・・いや、お芝居が終わってから、アタシはこの刑事の言葉の意味を痛い位理解してしまいました。



この他にも、何かが加速したように刑事はイーブを罵倒する様な言葉を吐きます。

さぁ、もうそろそろ終わりにしようぜ、と言う事なんだと思います。


相馬さんの瞳はずっと刑事を捉え、ひとつひとつの言葉をしっかりと受け止めているようでした。


そしてイーブにとうとう自分と向き合う時間が訪れます。

自分の孤独と傷に。




つづく。























































「クロードと一緒に」 相馬圭祐編 3。

2014-06-04 01:39:09 | お芝居・テレビ
速記係ギィの持って来たファイルにより、イーブ周辺の景色が見えて来ます。

広場に立つ男娼仲間による証言、イーブの姉の存在。

クロードとの時間。


他の男娼達はイーブの事を「時々だらしないけどいい奴。」と。

広場に立ち、客待ちをする間言葉を交わす事が少なからずあった彼らの日常。

ちなみにこれはカナダが舞台のお話ですが、日本にも男娼と言う商売は江戸の昔に存在し、現代においては男性が街角に立つ事はありませんが、男性相手の男娼が待つ店があるんです。


知っていましたか?

アタシはついこの間まで知りませんでした。

ネットで色々見ていると知らず知らずのうちに危うい方へ迷い込み、とんでもない扉を開けてしまう事があります。

アタシはアホなので何も考えずその扉を開けてしまい、あわわわ・・・と。

驚愕でした・・・。



イーブは何故、男娼と言う仕事をしていたのか。

両親はもう他界しておらず、姉は旅行へ行って連絡が取れない。親戚達とはこの2年間一度も会っていないし音信不通。

仲のいい友達も居ない。

お芝居では彼の年齢が明らかにはされませんでしたが、イーブは若い男娼です。

しかし、昨日今日、この仕事を始めた感じでもありませんでした。

きっと。

彼は10代の頃から街角へ立っていたんじゃないかと思うんです。

イーブが男娼について

「誰にでも出来る事じゃない。才能なんだ。」

と言う台詞が劇中に出て来ます。

きっかけは大した事ではなかったのかも。お金がない、頼れる人が居ない、雇ってくれる人が無い。

手っ取り早く稼ぐため街角に立つイーブを、少なくても”客”は必要とする。

この仕事の中に、自分の居場所がある事をイーブは気付いてしまったのかもしれません。

感情の波が大揺れに揺れる独白の中で、彼は自分が人と関わって行くにはこれしかなかったんだ、自分にはこれしか出来ないんだ、と泣き叫ぶように話す場面がありました。

間違いなく、イーブは孤独な青年だったんだと思います。



相馬さんの演じるイーブの眼差しは少し歪んでいて、それは彼に世の中がそんな風に見えてたからに他ならない事を物語っていました。

それでもなお美しい姿に、とても胸が苦しかった。


イーブは、自分とクロードがゲイでなければ行かない場所で出会った事を刑事とのやり取りのなかで口走ります。

初耳だ、と刑事は新証言に目を輝かせますが、イーブにはさほど動揺がありません。

また、クロードと言う男性は日記をつけていて彼がこの世を去る1ヵ月前より、出会った男娼”イーブ”の事を毎日の様にその日記に書いていた事が判明します。

この舞台は1960年代の物語ですが、その頃のカナダに於いて同性愛者への世間の目がどんな物であったかは分かりません。

でも、絶対に今より厳しかったと思います。

外国では今でさえ、ゲイだと言うだけで暴行を受けたり嫌がらせを受けるんだそうです。


アタシはついこの間「チョコレートドーナツ」と言う映画を観ました。

この映画には1組のゲイカップルが出て来ます。

毎晩綺麗な衣装を着てショーをするドラァグクィーンのルディと、その店にやって来て彼(彼女?)に一目惚れして恋に落ちてしまう弁護士のポール。

彼はショーが終わってから楽屋を訪ね、ルデイと店の外で会います。そして、ポールはルディに連絡先を渡すんです。

その晩限りと思っていたルディはとても感動します。

決して若くはない二人。ですがポールはどこまでも誠実で、自分が悪いと思えばちゃんとルディに謝る事の出来る人です。

ショーダンサー仲間の居るところで「話がある。」とポールが言います。

「皆の居る前で言って。」とルディ。

「悪かった。」


このシーンを観た時、アタシは”クロード”もポールの様な人だったんじゃないかと思いました。

イーブに自分の連絡先を渡したのは初めて出会った時であろうし、自分が悪いと思えばきっと年下のイーブにきちんと謝っただろうと。


「チョコレートドーナツ」と言う映画は1970年代にアメリカであった本当の話なんだそうで、このゲイカップルは一人の障害を持つ男の子を預かって家族の様に暮らすんです。

男の子はルディの隣人の母親の子ですが、二人暮らしだった母親は薬物所持で刑務所へ入ってしまい、彼は一人部屋へ取り残されます。色んなプロセスを踏んで、この子をルディとポールが預かり仲良く暮らすのですがある日突然、二人と男の子は引き離されてしまいます。

裁判で戦う事に決めた二人ですが、同性愛者に対する強烈な偏見と差別で全てはねじ曲げられてしまい、真実は手の届かない場所へと追いやられます。

生きる権利。存在する権利。意見を言う権利。

そんな物は無いに等しい。


ポールは自分がゲイである事を隠して暮らしていましたが、クロードはそんな事気にしなかった人かもしれない。

そしてイーブに喜びと強さを与えてくれた人なのかもしれない。

だから二人は男娼だろうと客だろうと、男同士だろうと、世間に冷たい目で見られようと、お互いに心を通じ合わせる事が出来たんじゃないかと・・・。


では何故、クロードは殺されたのか。

取り調べの中で彼と関係が上手く行っていなかった訳でもなければ、殺害直前にもめた訳でもない、とイーブは言います。

愛し合ってた相手を何故イーブは殺したのか。


真相はまた闇の中に転がって行ってしまう。



ギィが机の上にあるスティックシュガーを何本か手に取りました。

一つ一つその口を切って行きます。

指先でちぎるたび、ギィの手元に白いもやが上がります。

あんまり多くちぎるもんだから客席がざわつき、ギィの手からコーヒーの中にザーッと4~5本の滝みたいに白い砂糖が落ちてゆきました。

「うそっ・・・。」と笑いの起きる客席でしたが、36時間以上も空気の動かない部屋に居て進展のない話を聞いてるわけです。

そしてそれを文字に起こして記録しているんです。むなしくないわけがない。

そりゃ疲れて頭も働かなくなって来てるし、甘い物を体が欲しているよね、ギィ。

と、彼に同情せずにはいられない場面でした。




つづく。






































































「クロードと一緒に」 相馬圭祐編 2。

2014-05-26 13:43:34 | お芝居・テレビ
この物語の主人公、男娼の男の子は殺人をおかした犯人だと自首しておきながら、自分の名前も殺した相手の名前も言いません。

取調べを始めてから36時間経つというのに。

その代わり犯行時の足取りやら何やらをうんざりする程何度も喋っている。

喋らされている。

刑事が彼の証言を何度聞いても、信じられる要素が少しも無いから。


相馬さん演ずる男娼は、自分のした事をどう捉えているのか全然分かりませんでした。

「殺しましたが、何か?」ぐらいの態度にすら見える。

おまけに速記係を部屋から追い出してくれないかなどと言い出します。


とても生意気です。

でも、普通の男の子が絶対に知らないであろう「何か」が、彼の佇まいを支配していました。

ただならぬ雰囲気だった。


刑事もそれを感じていたのか、速記係のギィに「コーヒーを買って来てくれ。」とお金を渡し、ギィは男娼を一瞥して部屋から出て行きました。



ちなみのに、この舞台はR-15指定です。

でも別に演技が15禁なのではありませんでした。

問題は台詞です。

男性同士のSEXに関するあからさまな表現や、15歳以下では知ろうはずもない言葉がわんさか出て来ます。

きっと意味が分からないんじゃないかと思います。


色んな言葉をその場で聞いて意味が分からなくて、後でネットで調べられても大人としては

「いやいやいや、ダメだから。まだ知らなくていいから。てか、全然知らなくていいから。」

って思いますしね・・・。

後半30分の男娼による独白がこのお芝居の一番の山場なわけで、台詞もそれまでとは比べ物にならない程の破壊力を持って観客を襲って来るんです。

ハッキリと言ってしまっているのでダイレクトに何をしたかが伝わって来ると言うのも確かですが、この舞台ではそこに主人公の恐怖や混乱やそこになお見え隠れする安らぎを表現しているとアタシは思うんです。

15歳以下にはここを理解する事は難しいんじゃないかなぁ・・・と。

舞台が上演する前のアメーバ特番で、演出の古川貴義さんが15歳と言う線引きを「ちゃんと恋愛を経験した事のある年齢から観て欲しいお芝居だから」と言う様な事を仰っていて、なるほどなぁと思いました。

あからさまな言葉による表現も理由のひとつではあるけれど、この物語が抱える肝は常識や日常と言った現実を超えた「愛情」であるし、そこへたどり着くのは大人でさえかなりのエネルギーを要します。

観る方も。

それ以上に演る方も。

この世に生まれてまだ15年も経っておらず、生活の上での常識やなんかがまだ充分に備わっていないままそれを超えた物を観たり聴いたりしてしまうと、間違った認識で生きて行ってしまうかもしれないなと、それは危険だなとアタシも思います。

そう言った事を考えると、15歳以下と言う年齢制限は妥当だったんじゃないかな、と。





彼と刑事があげあしの取り合いの様な会話を繰り返し、時折刑事は苛立ち、声を荒げます。

彼もうんざりした表情を見せますが、つかみどころの無い非現実的な美しさの中に「ほんとうのこと」をギュっと抱えて隠している様に見えました。


そんな停滞ムードの充満に観客も少しストレスを感じる頃、追い出されたギィがファイルを持ってやって来ます。


この部屋の何の進展もない36時間の間に、外では捜査が行われていてその結果が届いたのです。

刑事が彼の名前をファイルに見つけました。



「”イーブ”いい名前だな。」



男娼の名はイーブ。


「殺された男は”クロード”。」



イーブはクロードの事をずっと「あの人」と言います。

クロードの名を刑事に自供しなかったのは「クロードの名を言って欲しくないから。」


刑事の口から「クロード」の名が告げられると、イーブは瞳の中に炎が宿ったように反抗的な眼差しを向けます。

あの人の名をお前が呼ぶな、と。


更に捜査の中でクロードの恋人の存在が明らかになります。


身を強張らせるイーブ。

「そんなわけないっ・・・!」

と、震える程動揺します。



恋人が若い男娼に殺されたと聞き彼女は絶叫し続けたと刑事が話している最中も、イーブはクロードに女の恋人が居た事を飲み込めずに驚愕しています。

目を見開き、髪を掻きむしりながら「恋人」と認められる相手が自分以外に居た事に衝撃を受けるイーブ。



そんな彼を見て、イーブとクロードが男娼とその客以上の関係であったこと、イーブが並々ならぬ感情でクロードを想っていたことを知る観客達でありました。





つづく。











































































































「クロードと一緒に」 相馬圭祐編。

2014-05-22 14:02:31 | お芝居・テレビ
青山円形劇場にて5月14日から5月18日まで上演されていた「クロードと一緒に」と言う舞台を観ました。

昨年、上川隆也さんが真田幸村を演じた舞台「真田十勇士」を観て、御出演された役者さんの他の舞台も観たいとずっと思っていたんです。

でも、なかなか観に行けなくて今回やっと真田で豊臣秀頼役であった相馬圭祐さんの舞台を観に行く事が出来ました。


この「クロードと一緒に」と言うお芝居は30年前にカナダ人の作家が書いた物語で、カナダやイギリスで上演されただけではなく1992年には映画化もされています。

・・・・。

なんて全部ネットから拾った情報。


アタシはこの物語についてほぼ何も知らずに、劇場へと向かいました。

何せ、このお芝居の事を知ったのが公演も半ばを過ぎた頃。


殺人をおかしたと自首して来た男娼の話、R-15指定。


????????


R-15????????


何がなんだかまったくつかめないまま、でもなんかこれは観ておいた方がよさそうだと直感し慌ててチケットを取ったわけです。


劇場は青山「こどもの城」内にありました。

R-15指定のお芝居でありながら、劇場の扉から出るとお子達のはしゃぐ声の行き交う不思議な空間になっておりました。

なので劇場の扉の中に入ると何かずぅーん、と体が暗がりへ落ちてゆく様な、現実からゆっくりと引き剥がされ吸い込まれてゆく様なトリップ感がことさら強かった。

真ん中にある舞台は縦長で、両脇を囲むように客席が配置されていました。円形の劇場での観劇は初めてです。


舞台の上下と言うか、客席ではない両脇と言うか、長方形の短い辺にあたる部分と言うか、そこにはどちらにも木製の「扉」が設置してありました。片方の扉は天井まである大きな扉で沢山取っ手が着いていました。小さな扉が集まって大きな扉になってた。そして何故か斜めに設置されてた。開演までの時間、その小さな扉のひとつひとつがランダムにスポットで照らし出されていました。この扉と向かい合って役者さんがお芝居をするスペースを挟み、ごくごく普通の扉がもうひとつありました。


そこは裁判長の執務室。


人を殺したと言う男娼にその執務室へ呼び出され、刑事、速記、警備官がここへやって来ます。

舞台の中央には大きな木製のテーブルと、その向こうに判事が座って仕事をするであろう立派なデスク。どちらもどっしりとした調度品と言う趣でした。

大きな扉と向かい合ってる方の扉は開閉し、人物が登場する場面と去る場面ではここを使っていました。

警備官役の鈴木ハルニさんはお芝居中ずっとこの扉の向こうに立っています。警備官なので当然の行動なのですが、扉は勿論閉じている事の方が多く角度によっては客席から完全に見えません。


アタシは今回このお芝居を2回観ましたが、相馬さんチームの方の時は警備官と目が合いそうな位の所で観ていました。

警備官が執務室へ入って行って台詞を言う場面はありますが、9割がた彼は扉の外に立っている演技です。

腕時計を覗き込んだり、少し歩きまわって自分の立つ「廊下」の向こうの方を眺めてみたり、ギュっと目を閉じてぶつぶつ何かを呟いていたり。

彼のそう言う細かいお芝居を見ているのがとても楽しかった。


彼の名は「ラトレイユ」と言います。素敵な名前ですねぇ~。

台詞を言う場面でもハルニさんは客席の笑いを誘うお芝居で、思い切り吹いてしまいました。

扉の向こうではいつでもピリピリした空気が充満しているため、「ラトレイユ」の存在はアタシにとって、もはや「救済」でした。


大きなテーブルには書類のような物が雑然とし、コーヒーの入っていたであろう紙コップがいくつか乗っていました。

そのテーブルでは速記の男性がペンを走らせます。小柄でスタイルが良くて、少し神経質な感じがするけどカッコいい。名前は「ギィ」。
パンフレットの表記は「ガイ」となっていますが、お芝居ではギィと呼ばれていました。

ギィが一番「青山」って街には合いそうだな、などと思いました。演ずるのは井上裕朗さん。


犯人の男娼と刑事はダブルキャスト。でも、警備官と速記は同じ役者さんです。


刑事は伊藤陽佑さん。背中が広く長身で、男っぽい。このお芝居の冒頭場面は取調べが始まってから36時間が経過しているにも関わらず、犯人の自供から真実につながる証言が何も得られていないところから始まります。

当然、調べる方は苛立ちを隠せません。

伊藤さん演ずる刑事は、その苛立ちや焦り、怒り、疲労を素直に表面化させていて「あぁ、うんざりなんだろうなぁ・・・」と、こちらが同情することしきりでした。


そして相馬圭祐さん。

柔らかな金色の髪、事前にメディアで見てた時よりも随分痩せていました。

パンフレットの写真よりも痩せていたと思う。


判事のデスクに寄りかかり、後ろ手をついて立つ彼の姿に釘付けになりました。

女性的でも男性的でもない怪しげな美しさを身にまとっていました。

凄く綺麗だった。

でも怖かった。

彼の瞳は空虚であり、あざ笑っているかの様に反抗的で、それでいて恐ろしく扇情的だった。

あんな男の子は見た事がない。

足を踏み入れてはいけない美しさだった。



彼がアタシが初めて出会った「イーブ」でした。




つづく。
















































































今日も”クロードと一緒に”。

2014-05-19 02:58:48 | お芝居・テレビ
青山円形劇場で上演していた「クロードと一緒に」が千秋楽を迎えました。

契約の都合上この舞台はDVDに出来ないんだそうで、全ては観た人々の記憶の中にしか残せないお芝居。



この舞台はダブルキャストです。

昨日の相馬圭祐さん&伊藤陽佑さんコンビに変わって、今日は稲葉友さん&伊達暁さんコンビの最終舞台を観ました。


相馬さんは「ただならぬ雰囲気」でそこに立っている青年でしたが、稲葉さんは静かで落ちついていました。


登場してすぐ、なで肩で少し左脚の膝を内に向け、腰の右の方を落とした稲葉さんの立ち姿を観ました。

一瞬。

綺麗な顔の男の子の危うい魔性がそこにありました。


劇中に「プロの男娼」と言う言葉が出て来ます。

紛れもなく、彼の放つオーラはそうでした。

いや、アタシはプロの男娼と言われる人に会った事はないけど、なんか「こんな感じなのかもしれない。」と思ったんです。

普通の男の子にはとうてい感じる事の無いオーラだった。


きっと「なで肩」に見えるような姿勢をとっていたんだと思います。

あからさまな女言葉で話すわけでもなく、それ以降も女性っぽいしぐさは一切出て来ないし、キャラクターとしてもこの役に女性的なアプローチは皆無です。

しかし、その一瞬の立ち姿にとてつもない説得力がありました。


凄いな、と思わず声に出してしまいそうになりました。



稲葉さんは大人しく落ち着いた印象だったので、後半の爆発力がハンパなかった。

感情のメーターが振り切れると声がうわずったり、「音割れ」を起こしている様な、それまでとは別人みたいな声になって凄まじかった。


そしてまた泣けてしまった。

昨日同様、客席にはハンカチで目の辺りを押さえながら観ている人が多かった。

女の子のすすり上げる声があちこちで聞こえた。


カーテンコールではずっと稲葉さんが泣いていた。

アタシも泣き顔で拍手していた。

いつもなら

お芝居は終わったのだから、演技ではない涙を観客に見せるべきじゃないんじゃないかとかなんとか言いそうなアタシだけど、

そんなことどうでも良かった。



カーテンコールは3回。

出てくる度、今にも大声で泣いてしまいそうになる稲葉さんの姿にこちらも涙をこらえられなかった。

これでいいんだ、これでいいんだと繰り返し思いました。



帰宅してパンフレットをゆっくり読ませて頂いたら、20年前のイギリス公演に於いても、同じ現象が起きていたと知り驚きました。

お芝居が終わって泣いていなかったのは刑事役の役者さんぐらいで、主役の役者さんは号泣に近い状態であった、と。

観客もまた。

やっぱりこれがこの舞台の正体なんだと強く思います。



相馬さんと稲葉さんが演じた青年は「イーブ」と言う名前です。

演ずるお二人によって、各々の物語はまるで違う印象でした。

”二人のイーブ”についてはまた、ゆっくり書こうと思います。


御出演された皆様、関係者の皆様、無事千秋楽を終えられた事、おめでとうございます。

強く心に残る舞台でした。

「そこにしか救いがなかったのか」

「どうにかして救えなかったのか」

「これはSOSだったのか」

「そもそも救えるのか」

「救うなんて考える事自体、かど違いなのか」



色んな事を考えました。




観終わって感じたのは嫌悪感ではありませんでした。

泣いてしまう程の愛しさと切なさがこのお芝居にはありました。




お疲れ様でした。

そして、ありがとうございました。