http://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/sohiasenseinogyakutensaiban2_mokuji.html
ニュルンベルグ裁判がわかりやすくまとまってますw
欧州でも日本でも「捏造」された神話が崩れようとしているようだ。
戦勝国が民間人相手に虐殺しまくったことを正当化するためのものだったんだしね。
証人が生きているうちに真実を明るみに出す必要はあるだろう。
http://www.asyura2.com/07/war92/msg/319.html
私の記憶が正しければ、中国で反日教育に力を入れ始めたのは天安門事件以来だったはず。
反日教育の浸透した世代が20代になる前に中国を40日ほどバッグパック旅行したことがある。
もちろん一人である。
感想は南京で女性に嫌がらせを受けたこと以外は、どの人も親切だった。
日本語の「中国の歩き方」という本を持って観光してたのだが、バスに乗れば車掌さんがその本を見せてくれ、というので見せると、その周りにいる中国人全員が一緒に本を見て、その本に載ってない観光地を「中国語」で一生懸命教えてくれたりした。
理解できないでいると、本に観光地の住所を書いてくれるほどの親切ぶりであった。
車掌さんもバスから降りるときには笑顔で手を振ってくれ、当時中国人にものすごい好感をもっていたものだ。
他ではバスに本を手にして乗っていると、年配と思われるおじいさまが、私が降りるバス停にくると、軽く手を叩いて教えてくれたりした。
夜行列車(?)で乗車券はあるけど、座る席のない(全席指定だったらしい)乗車券を持っている私に、駅員さんが座って待っている人に、これから長時間座ることのできない私のために席を譲るように話し、その人も快く私に席を譲ってくれる、ということもあった。
私のおぼつかない中国語能力でも、駅員さんが私のことをちゃんと日本人で、と説明していた。
その後、列車に乗り、空いた席はないかと探していると、中国人の人たちが私の乗車券を見て、指定席でないことを知り、車掌さん専用の席を教えてくれた。
そこに座るように、と。
で、何も知らない私は運良く席があってよかったなぁ~、と思っていたw
車掌さんがやってきて、なんかそこは自分の席だと説明を始めて、私が立とうとしたら、周りの中国人たちが私に立つことはない、座っていろ、とジェスチャーで言い、車掌さんになんか話していた。
多分、私に座らせてあげるように、と言ってたのだと思う。
商店では、全く中国語のできない白人男性に若い女性店員は軽くあしらっていたが、たどたどしい中国語で買い物をする私には笑顔で応対してくれた。
一生懸命、中国語を使ってることを喜んでくれたのではないかと思う。
シーアンでは(西安)少し遅めに入った大衆食堂で、そこで働いているウェイトレスさんやウェイターさんたちが回りに集まってきて、私が注文したもの以外のものも持ってくるので、「それは頼んでない」と言ったのだが、それは彼らの昼食だったらしく、一緒に大勢で食事をして楽しかったものだ。
その間も私のとぼしい中国語に合わせて、簡単な単語でゆっくり話してくれていた。
このシーアンでは中国人の男の子たち二人の兄弟と知り合い、一緒に観光したのだが、私が自分用に箸を持ち歩いていることを非常に面白がっていた。
水餃子を食べるときに、
「ハオチー(美味しい)?」
と訊くので、素直に、
「プー、ハオチー(不味い)」
と答えると兄弟揃って大笑いしていた。
彼らも不味い、と言って食べてた。
上記以外でも中国人は女子学生一人旅の私に非常に親切だった。
少林寺へは中国人専用の観光ツアーに入ったらしく、日本語を勉強しているという観光旅行会社の女性スタッフの人が、わざわざ当日出発するバスのところまで来て、私が日本人だからよく見てあげていてほしい、と頼んでくれた。
そのガイドさんは休憩になるたびに、私に時計を見せ、この時間までに戻るように教えてくれ、バスの中でも必ず私を確かめてくれていた。
そのとき偶然昼食で一緒のテーブルで食事をすることになった3人の人たちとは、その後も一緒に観光させていただいた。
一人が年配の方だったこともあり、私は安心できた。
列車で仲良くなった中国の人も多く、その人たちとは帰ってきてからも写真を送ってくれたり、こちらからも送ったりした。
国をあげて反日教育をした結果が現在なのである。
最初から日本人を嫌っていたわけではないのだ。
今ではネットゲームでの中国人の行動に嫌悪し、当時の中国人とは分けて考えている。
ニュルンベルグ裁判がわかりやすくまとまってますw
欧州でも日本でも「捏造」された神話が崩れようとしているようだ。
戦勝国が民間人相手に虐殺しまくったことを正当化するためのものだったんだしね。
証人が生きているうちに真実を明るみに出す必要はあるだろう。
http://www.asyura2.com/07/war92/msg/319.html
私の記憶が正しければ、中国で反日教育に力を入れ始めたのは天安門事件以来だったはず。
反日教育の浸透した世代が20代になる前に中国を40日ほどバッグパック旅行したことがある。
もちろん一人である。
感想は南京で女性に嫌がらせを受けたこと以外は、どの人も親切だった。
日本語の「中国の歩き方」という本を持って観光してたのだが、バスに乗れば車掌さんがその本を見せてくれ、というので見せると、その周りにいる中国人全員が一緒に本を見て、その本に載ってない観光地を「中国語」で一生懸命教えてくれたりした。
理解できないでいると、本に観光地の住所を書いてくれるほどの親切ぶりであった。
車掌さんもバスから降りるときには笑顔で手を振ってくれ、当時中国人にものすごい好感をもっていたものだ。
他ではバスに本を手にして乗っていると、年配と思われるおじいさまが、私が降りるバス停にくると、軽く手を叩いて教えてくれたりした。
夜行列車(?)で乗車券はあるけど、座る席のない(全席指定だったらしい)乗車券を持っている私に、駅員さんが座って待っている人に、これから長時間座ることのできない私のために席を譲るように話し、その人も快く私に席を譲ってくれる、ということもあった。
私のおぼつかない中国語能力でも、駅員さんが私のことをちゃんと日本人で、と説明していた。
その後、列車に乗り、空いた席はないかと探していると、中国人の人たちが私の乗車券を見て、指定席でないことを知り、車掌さん専用の席を教えてくれた。
そこに座るように、と。
で、何も知らない私は運良く席があってよかったなぁ~、と思っていたw
車掌さんがやってきて、なんかそこは自分の席だと説明を始めて、私が立とうとしたら、周りの中国人たちが私に立つことはない、座っていろ、とジェスチャーで言い、車掌さんになんか話していた。
多分、私に座らせてあげるように、と言ってたのだと思う。
商店では、全く中国語のできない白人男性に若い女性店員は軽くあしらっていたが、たどたどしい中国語で買い物をする私には笑顔で応対してくれた。
一生懸命、中国語を使ってることを喜んでくれたのではないかと思う。
シーアンでは(西安)少し遅めに入った大衆食堂で、そこで働いているウェイトレスさんやウェイターさんたちが回りに集まってきて、私が注文したもの以外のものも持ってくるので、「それは頼んでない」と言ったのだが、それは彼らの昼食だったらしく、一緒に大勢で食事をして楽しかったものだ。
その間も私のとぼしい中国語に合わせて、簡単な単語でゆっくり話してくれていた。
このシーアンでは中国人の男の子たち二人の兄弟と知り合い、一緒に観光したのだが、私が自分用に箸を持ち歩いていることを非常に面白がっていた。
水餃子を食べるときに、
「ハオチー(美味しい)?」
と訊くので、素直に、
「プー、ハオチー(不味い)」
と答えると兄弟揃って大笑いしていた。
彼らも不味い、と言って食べてた。
上記以外でも中国人は女子学生一人旅の私に非常に親切だった。
少林寺へは中国人専用の観光ツアーに入ったらしく、日本語を勉強しているという観光旅行会社の女性スタッフの人が、わざわざ当日出発するバスのところまで来て、私が日本人だからよく見てあげていてほしい、と頼んでくれた。
そのガイドさんは休憩になるたびに、私に時計を見せ、この時間までに戻るように教えてくれ、バスの中でも必ず私を確かめてくれていた。
そのとき偶然昼食で一緒のテーブルで食事をすることになった3人の人たちとは、その後も一緒に観光させていただいた。
一人が年配の方だったこともあり、私は安心できた。
列車で仲良くなった中国の人も多く、その人たちとは帰ってきてからも写真を送ってくれたり、こちらからも送ったりした。
国をあげて反日教育をした結果が現在なのである。
最初から日本人を嫌っていたわけではないのだ。
今ではネットゲームでの中国人の行動に嫌悪し、当時の中国人とは分けて考えている。