家族の広場

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クニコが自転車に乗れるようになった日 567号

2009-08-04 06:27:56 | Weblog
◆リード:3月8日(日)、次女クニコ(6歳)が、小学校入学直前にして、一人で自転車に乗れるようになった。実母、私、妻、アキコの励ましや支えを受けて、ようやく乗れるようになった。 ※写真はのちほどアップします。

2009.3.14 クニコが自転車に乗れるようになった日 567号(写真付きはここをクリック)
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 3月8日(日)の夕方、次女クニコ(6歳)が、小学校入学直前にして、一人で自転車に乗れるようになった。

【クニコが自転車に乗れるようになった日】

 この日の夕方、3時過ぎから4時30分頃までアキコ、クニコとすぐ向かいの小学校のグランドで遊んだ私は、妻とバトンタッチして、家でゆっくりとしていた。すると、

アキコ「お父さん、来て!」
私「どうした?」
アキコ「クニコが自転車に乗れるようになったよ!」
私「そうか。じゃあ、記念に写真とビデオを撮ろう!」

 アキコと私は、小学校の駐車場(休み中なので、がら空き。ここで練習していた。)に向かった。

クニコ「じゃあ、見ててね。」

 こう言って、たどたどしいながらも、5メートルほど一人で自転車に乗った。



私「ほう、やったね! 一人で乗れるようになったね!」

 こう言いながら、カメラを回し、映像と写真を撮った。

 クニコはもちろん、妻もアキコも笑顔であった。
 アキコは励まし、妻は自転車の後ろを支えて、クニコは何回も練習したらしい。
 私が帰った後も、練習を続け、10メートル以上も乗れるようになったということだ。
 
 この日が、「クニコが自転車に一人で乗れるようになった日」となった。
 

【自転車に乗れるようになるまでの道のり】

 クニコが自転車に乗れるようになるまでをふり返ってみる。

1.お姉ちゃんのアキコが自転車に乗っている姿を眺めていた時期

 アキコが幼稚園から帰って来て、よくアパートの駐車場で楽しそうに自転車に乗っていた。(この時は、転勤でアパート暮らしだった。)
 クニコは、それを眺めながら、次のように思っていただろう。
 ・「自転車に乗るのは、おもしろそうだな。」
 ・「ああやって、ペダルを漕げば、進むんだな。三輪車と同じだ。」
 ・「車の余り来ない、安全なところで乗るんだな。」……。

 つまり、自分で乗っていなくても、お姉ちゃんが乗っている姿を見て、自分もいつか乗ってみたいという意欲をもったり、乗り方を知ったり、それとなくルールを学んだりしていたはずである。それこそ、「自分もいつか乗れるようになるんだ!」という意志を、自然ともったに違いない。

2.アキコの自転車をもらい受け、自分で乗り始めた時期

 アキコが小学校に入学し、新しい自転車を買ってもらったと同時に、アキコの使い古した自転車がクニコのものになった。
 使い古しでも、クニコは喜んだ。乗ってみたいと思っていた自転車に乗れることになったからである。補助輪付きにして、クニコは乗り始めた。補助輪があるうちは、ある意味、三輪車と同じだ。クニコは、慣れると安心して乗っていた。

3.補助輪付きで、すいすい乗れるようになった時期

 補助輪付きで、十分慣れてくると、むしろ補助輪が邪魔になってくる。ない方が、スムーズに走るのである。実際、補助輪は形としてあっても、実際は使っていない時(むしろ邪魔になっている)の方が多くなってくる。

 実は、去年の秋も終わりの頃、そんな状態に近かったので、一端補助輪を外した。
 ところが、少し早かったみたいで、補助輪の代わりに私や妻が自転車の後ろを支えても、クニコは一人で乗れるようにならなかった。
 妻と、「少し補助輪を外すのが早過ぎたな。」と話していた。
 実母も、近くの空き地で、何回も転ぶクニコをだいぶ特訓したらしい。

 そうこうするうちに、冬となり、自転車には乗れなくなった。(ここは、雪国である。)

 年が明け、小学校入学を直前に控えたこの3月、ようやくクニコは自転車に乗れるようになった。母、アキコの励ましや支えによって。



 こうして、一つ一つできるようになることが増えていく。

 実は、クニコが妻に支えてもらいながら練習を重ね、乗れるようになったとき、私はかつて小学校のグラウンドで母に自転車の後ろを支えてもらいながら練習を重ね、乗れるようになったときの自分を思い出していた。「あーそう言えば、ボクもそうだったな。」と。

 補助輪を外してもなかなか一人で乗れず、夕方母に支えてもらいながら練習した私。何度も練習を繰り返し、ふっとある瞬間一人でできるようになった。
 私が自転車に乗れるようになったのは、母の支えがあったのだ!

 この、ずっと忘れていた記憶が蘇った。

 クニコも、母やアキコなどの支えで自転車に乗れるようになったことは、ほどなく忘れてしまうだろう。

 がしかし、自分が子供を産み、育てる過程できっと思い出すに違いない。

 「あーそう言えば、私もお母さん(お姉ちゃん、あーちゃん、お父さん)に支えてもらってできるようになったんだ。」と。


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「家族の日」の1日  523ーヤマハ音楽教室でのアキコの発表・自転車安全点検・缶蹴り・ウノー

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◆キーワード:1 自転車乗り  2 自転車の練習  3 親の役割

夕食の団らんシステム「グッド&ニュー」566号

2009-08-04 06:25:44 | Weblog
◆リード:夕食を囲んでの「グッド&ニュー」(その日1日でよかったこと・心に残ったこと及び何かニュースとなるようなことを発表し合うこと)で、1日をふり返って、体験を共有している。これは、現在小4のアキコが幼稚園に通っている時から既に始めていたわが家の伝統(システム)である。

2009.3.8 夕食の団らんシステム「グッド&ニュー」566号(ここをクリック)

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 3月8日(日)の夕食時のこと。

私「それじゃ、今日の『グッド&ニュー』は何かな?」

【クニコのグッド&ニュー】

クニコ「クニコはね、一番目が<ひな祭り会>。」
私「ひな祭り会か。で、ひな祭り会の何が楽しかったの? 心に残ったの?」

クニコ「ケーキを食べたこと。 二番目は<自転車に乗れるようになったこと>。」
妻「そうよね。ずいぶん長く乗れるようになったわよね。」
クニコ「お父さんが家に戻ってから、また長く乗れるようになったんだよ。」
私「じゃあ、10メートルぐらいも乗れるようになったかな。」
アキコ「それぐらい。」…(略:去年から練習していたことなど、これまでの自転車の練習のことをふり返っていた。)

クニコ「三番目はね、<お父さんと遊んだこと>。」
私「野球。キックベース…といろいろやったけど、何が一番楽しかった。」
クニコ「アキコは、(最初にやった)けり中当て。」
私「あっ、あれか。クニコはあれが一番楽しかったのか、ふーん。」(中当てドッジボールは普通ボールを手で投げるが、その代わりに蹴るという、その場で思いついた遊び。)


【アキコのグッド&ニュー】

アキコ「アキコはね、一番目が<ひな祭り会>で、ケーキとお寿司を食べたこと。」
私「やっぱり。久しぶりのお寿司でおいしかったよね。 それで。」

アキコ「それから、お父さんと遊んだこと。」
私「何が一番楽しかった? 心に残った?」
アキコ「キックベース!」
私「やっぱり! お父さんと同じだ。 アウトかセーフかで、必死で追いかけたり、追いかけられたりがおもしろかったよね。」(アキコ、うなずく。)

アキコ「それから、<クニコが自転車に乗れるようになったこと>。」
私「ふーん、どっちが二番目?」
アキコ「自転車とお父さんとの遊びの両方。」


【妻と私のグッド&ニュー】

私「タカちゃんのグッド&ニューは何だった?」
妻「うーん、一番は<ひな祭り会>ね。」
私「やっぱり、二番目は?」
妻「<クニコが自転車に乗れるようになったこと>ね、やっぱり。あとは無し。」

私「ふーん。お父さんは、一番が<ひな祭り会>で、二番目が<アキコ、クニコと外で思い切り遊んだこと>、三番目が<父と子塾>と<クニコが自転車に乗れるようになったこと>かな。 久しぶりに外で思い切り遊んで、とっても楽しかったし、すっきりした。」


【「家族の日」の1日の動き】

 8日(日)の「家族の日」の1日(1週間のうちで、家族のことを優先する日。原則として日曜日)は、義母・義兄を招待してのひな祭り会をはじめ、いろいろな出来事があった。

■朝食、私は仕事(子供は学習とテレビ「バトルスピリッツとプリキュア」)、父と子塾1時間、図書館で本の返却と借り一人5冊、ケーキを買う

■昼食会を兼ねた<ひな祭り会>、ふれあい遊び「けり中当て・野球・キックベース」をグランドで1時間余り、クニコの自転車練習とアキコ・妻の一輪車遊び

■夕食、絵本の読み聞かせ&読書、イチゴをみんなで食べる、入浴・就寝。


【夕食時のグッド&ニューという伝統<システム>】

 これらの中で、子供たちの心に残ったこと、楽しかったこと、ニュースとなるようなこと等が、先に紹介した「グッド&ニュー」の中で発表されるわけである。

 今日は「家族の日」だったので、私も妻も子供たちの動きは基本的に知っている。それでも、何が一番楽しかったかということや、そのどこがどのように楽しかったのか(キックベースか、野球か、それともけり中当てか…)、まではわからない。
 こうして、お互いの話を聴き合う中で、初めてわかるのである。

 聞かれる本人も、どこがどう楽しかったのか、明確ではなかったに違いない。この「グッド&ニュー」という形で、その日1日の出来事をふり返る中で、初めて気づいたり、明確になったりしていく。つまり、感動を、「グッド&ニュー」という形のふり返りのシステムで、もう一度再現・深化しているとも言えると思う。

 さらに、その再現の過程で「楽しかったね。」「おいしかったね。」「おもしろかったね。」…等々、お互いの体験を言い合い、共有・共感すること。このことが、お互いのまさに家族のあたたかさに触れるということであり、癒やされるひとときでもある。

 こうして、「グッド&ニュー」という形のふり返りのシステム(を継続していくこと)で、家族の絆も深まっていく。

 僅か10分ほどのことであるが、原則として毎日ずっと続けている。

 この夕食時の団らんにおけるふり返りは、アキコが3歳で入園する前からあった。
 この「グッド&ニュー」という形でのふり返りになったのは、小4のアキコが幼稚園のころからである。正確には2004年からであるから、かれこれもう5年続いている。

 わが家の「あったかい家族」の実現には、欠かせない伝統であり、システムである。



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親に対する言葉遣いー馬鹿にするような言い様は決して容認しないー

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◆キーワード:1 夕食時の団らん  2 グッド&ニュー  3 家族の日

・わが家は、このブログ名「あったかい家族日記」にあるように、あったかい家族の実現をめざしている。※ 続きはあとで、加筆予定。

父親の誕生日祝い 565号

2009-08-04 06:21:48 | Weblog
◆リード:わが家では、家族全員の誕生日を祝うことが伝統である。3月□日は、父である私の□歳の誕生日だった。妻、アキコ、クニコは、どう祝ってくれたか。

2009.3.4 父親の誕生日祝い 565号(写真付きはここをクリック)

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 わが家では、家族全員の誕生日を祝うことが伝統である。父である私、妻、アキコ、クニコ、同居している実母、そして近くに住む義母の誕生日を祝っている。
 
 今回は、父である私の誕生日であった。妻やわが子、そして実母・義母の誕生日を祝う際には、リードをとる私であったが、さすがに自分の誕生日の場合はできない。妻や子供たちがどういうふうに祝おうと考えているか?! 期待と不安(?)が交差していた。

 
【妻、アキコ、クニコによるプレゼント】

 夕食後、後片付けが終わって、書斎でくつろいでいると、

アキコ「お父さん、来て!」
私「うん、何だ。」

 こう言って、隣の居間に行くと、妻とアキコ、クニコが座って待っていた。私も座った。

妻&アキコ、クニコ「せーの、誕生日おめでとう!」(パチパチパチと拍手)

クニコ「誰から(プレゼントを)やる?!」
アキコ「一番年下のクニコからだ。」

クニコ「はい、お父さんこれ。」(メッセージを渡す)
私「ありがとう。」(読んでみる。)


私「うれしいよ、ありがとう。」

アキコ「誕生日おめでとう!はい、これ。」(メッセージカードを渡す)
私「ありがとう。 わあ、これはすごい!」




私「いつ作った? 土日と出かけたから、作る暇はなかっただろ。」
アキコ「今日、帰ってきてから。」
妻「本当に、よくできてるわね。」

 あと、「抱っこ券4回分」と「お手伝い券8回分」もついていた。
 抱っこすると喜ぶのは、アキコよりもお父さんの方だと思っているのかな?

 最後に妻の番。

妻「はい、これ!」
私(手渡された包みを開ける)「図書券、5千円分だ。ありがとう。」




アキコ「アキコ、最初500円だと思った。」
私「そんなわけないだろ。」
妻「さすがに、1万円分まではねー。」


【実母もいっしょにケーキを食べる】

妻「お父さん、ケーキも(実母の分も入れて)5つ買ってきているけど、どこで食べる?(実母といっしょに下で食べるの?それとも、4人でここで食べてケーキだけ実母に持っていくの?)」

私「お父さんとしては、あーちゃん(実母)といっしょにみんなで下(1階)で食べるのがうれしいね!」(わが家の場合、実母と同居だが、1階はあーちゃん、2階は他の家族4人というように、基本的に住み分けている。)

 こういうわけで、下であーちゃんも入れて家族5人全員でケーキを食べた。
 ケーキを食べながら、話もはずみ、あーちゃんもうれしそうだった。

私「お父さんは、家族みんなが健康で仲良く暮らせていれば、他になんにも要らない。」
 
 思わず、こう言った。
 とても満足した誕生日祝いとなった。

 わが家では、家族全員の誕生日を祝うことが伝統である。子供だけということはない。子供に「私祝ってもらう人、あなた祝う人」という意識をもたせることなく、家族一人一人がお互いに相手の誕生日を祝うのだ。
 わが子に、祝ってもらうこともうれしいことだが、祝う喜びー相手が喜ぶ姿を見て喜ぶーも知って欲しいからだ。

 これからも、ずっと家族みんなの誕生日を祝うことを続けていくつもりだ。

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◆キーワード:1 父の誕生日  2 誕生日祝い  3 家族の伝統

・アキコ、クニコは、それぞれ担任の先生に誕生日のお祝いの手紙を送ったようだ。アキコの担任の連絡帳に、次にように書いてあった。

10/29
 ~私への(誕生日の)手紙も思わず涙するやさしい手紙でした。アキコさんのよさがたくさんかがやいてくれるように私も頑張りたいと思います。

 これも家庭でのこうした伝統の影響だと思う。