矢沢永吉「原発関係者全員誰もケツ拭かない国に明日があると思いますか」ローリングストーン日本版

2012年10月04日 | 日記

矢沢永吉「原発関係者全員誰もケツ拭かない国に明日があると思いますか」ローリングストーン日本版
http://www.asyura2.com/12/genpatu27/msg/675.html
 

歌手の矢沢永吉氏が7月10日発売のローリングストーン日本版8月号のインタヴューで,今の日本について語られたそうです。

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「僕は中小企業の経営者が、いちばんまじめに生きてるんじゃないかと思う。大企業や国家が今いちばんヤバいのは、自分でケツを拭いていないってところ。

誰かがどうにかしてくれるだろうとか、みんなで渡ったら怖くないとかってことの成れの果てなんじゃないですか?生き方も含めて全部そう。

何かがあったら、中小企業のウチなら、僕がケツ拭かなきゃいけない。ここのところをもう一回、ひとりひとりのレベルまで持っていけたら日本に助かる道はあると思います。でもこれ、なかなか難しいですよね。」

「今回の原発関係者全員、誰もケツ拭かない。みんなで渡ってるからケツ拭かない。犯人がいないから。

これ、官僚がそういう仕組みを作ったのかもしれないけど、ケツを拭かない国家に明日があると思いますか?

中小企業は本気です。なぜか?法律違反したら本気で潰されます。行政処分で潰される。金がなかったら、金をかき集めてこなければいけない。それができないなら首を吊らなければいけない。

中小企業は最後に自分でケツを拭かなければやっていけないんです。それなのに国家、大企業、官僚、銀行はどうなってるんですか?」

矢沢永吉(ローリングストーン日本版8月号P35より)

http://www.rollingstonejapan.com/magazines/archive/2012-08/

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矢沢氏は,今の日本の問題は,責任を取らないと生きてゆけないグループと,責任を取らなくても生きてゆけるグループが存在するという差別問題だと指摘しています。

東電役員,原子力安全保安院,経産省の役人が責任を追及される日が来ないと日本に未来はないということですね。

いいこと言うなぁ。

彼らには,これらの嘘の責任も取ってもらいましょう

とある原発の溶融貫通(メルトスルー)より

http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/archives/6399069.html


『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』 (PRESIDENT)

2012年10月02日 | 日記

『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』 (PRESIDENT) 
http://www.asyura2.com/12/hihyo13/msg/406.html
 

『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』
http://president.jp/articles/-/7237
2012年9月29日 PRESIDENT 2012年9月17日号 ジャーナリスト 莫 邦富=文


今、金曜日恒例のイベントとなっているのが、首都圏反原発連合主催によるデモや抗議活動だ。主催者側の発表によれば、当初わずか300人程度だった参加者は回を追うごとに増加し、ついに20万人ほどの規模となった。抗議の舞台も首相官邸前から霞が関に群がる中央官庁周辺にまで広がった。

安保闘争以来ともいわれる規模になったにもかかわらず、この抗議活動は当初日本の主要メディアからほぼ無視されていた。なかには、原発反対側の声や動きを一切報道しないと言わんばかりの態度を貫こうとする全国紙まである。

私が普段から日本のメディアに対して抱いていた疑問はここまできて一気に膨らんでいた。『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』――。ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏の新著の書名はまさにこの疑問に対する明白な回答をくれた一冊といってよいだろう。

3.11震災発生後、ファクラー氏は被災地現場に赴いて、精力的に取材、米軍の「トモダチ作戦」の最前線である空母ロナルド・レーガンに乗り込んでいた。日本人記者が姿を現していない被災地現場を見た彼は、日本メディアで報道されなかったさまざまな事実を挙げ、原発事故報道については「日本の大手メディアは、当局の隠ぺい工作に加担することになってしまった」と痛烈に批判している。

震災後、日本のメディアも世界のメディアの多くも大規模な災害に対し、日本人が見せた落ち着きと秩序のよさを取り上げ、褒めたたえていた。ファクラー氏もこうした日本社会のよい面は取り上げた。しかし同時に、日本メディアが隠した被災地の生々しい様子も忠実に報じた。

取材で南相馬市役所に駆け付けたファクラー氏は職員たちから大歓迎されたという。日本人記者たちが全員避難して、2万5000人もの市民がいる被災地現場にひとりもいなかったのだ。「日本のジャーナリズムは全然駄目ですよ!」と憤った桜井勝延市長は、結局ユーチューブを使って世界に助けを求めようと決意した。記者が逃げたことには蓋をして、ユーチューブ情報を引用する形で南相馬市の困窮ぶりを報道した日本の新聞の醜態には、ファクラー氏も閉口したという。

のちに、ファクラー氏をはじめ、ニューヨーク・タイムズ東京支局の一連の3.11事故の報道は、ピュリツァー賞のファイナリストに選ばれた。日本発の情報がこれほど世界に注目されたのは「極めて珍しい」。この受賞はある意味では、日本の新聞に対するもっとも皮肉な批判と受け止めてよいだろう。今回の震災は東京電力の問題だけではなく、日本のメディアの恥部をもさらけ出したことが本書でよくわかる。タイトルで強調された「本当のこと」とは、イコール「都合の悪い真実」を指すのだと私は解釈している。