1900: Broadway bei der 73rd Street
昨日はイデスと荷風の熱愛と懊悩を書いた その後を駆け足で
07/09 イデスを見送りながら 彼女無しでは生きられないと荷風は思う
08/01 友人より銀行解雇の噂を聞く イデスのいる米国からは離れ難い
08/15 イデス紐育へ移り ホテル住まいの後 貸間を借りて住む
平日は方々の舞踏場に行って稼ぎ 日曜日は荷風と過ごす日にする
荷風は銀行勤めの傍ら毎夜のようにオペラ劇場通いの日々を送る
1907/M40 28歳
07/02 銀行支配人室に呼ばれる いよいよクビか・・・
意外なことに 仏蘭西の里昴(リヨン)への転勤辞令だった
この後に手紙が来て 父の計らいだったと知る
07/09 イデスと別れの酒杯 旅費を工面し仏蘭西へ行くというイデス
心は既にパリ 涙ながらのイデスの繰り言も 荷風には上の空
07/18 ハドソン川河口の波止場から出航
07/28 仏蘭西ル・アーブル港着 列車でパリを経由し0 7/30 里昴到着
1908/M41 29歳
01/31 本年になって2度イデスに手紙を書いたが返事無し
02/01 銀行辞職を決意し 父に手紙書く
02/28 散策中 微笑み過ぎる年若い娘と言葉を交わす
03/05 銀行より解雇の命を受ける
03/20 父からの手紙届く 帰国の運命が決まった
03/21 日本へ帰っても父とは会いたくない どこかに身を隠すか
再び紐育に戻りイデスと悪徳不良の生活を再演するか・・・決断できない
03/28 里昴を出て夜 パリに着く
ここで「西遊日誌抄」は終わっている
その後に「西遊日誌稿 1908年」が続いて掲載されている なぜ?
書いてあることは日誌抄の内容とほぼ同じ ただし稿のほうが簡潔
また 抄では 03/05 銀行より解雇の命を受ける とあるが
稿では この日 公然と辞表を銀行に出して関係を断った と勇ましい
それはいいとして 抄には書かれていない記述が稿にはある
イデスの書を受取る 彼の女はなほ余を忘れざりき
抄と稿の違いを調べたら 稿は抄の下書きだということだった
ということは刊行されたのは抄・・・イデスの名はなぜ消されたのか?
疑問はこれだけでは無い 西遊日誌抄より先に読んだ「あめりか物語」
そこにも「イデス」は登場しないのである!
私の記憶違いかも・・・そう思って電子版の「あめりか物語」を再読してみた
たしかにイデスの名は無いが マリアンという女芸人が出て来る
「旧恨」の章で 博士Bが語り手 彼女に出会った場所は華盛頓ではなく紐育
・・・(博士によれば) マリアンの年は21,2
全体が小作りで 頸の長い頤の高慢らしく尖った眼の大きい円顔で
小さくて堅く締った口元には 何か冷笑する様な諷刺が含まれている
決して美人というのではない
人は時として「 完全」よりもこの「 不完全」と「未成」の風致に どれ ほど強く 魅せられるのであろう!・・・
・・・初めてマリアンと出会った夜 彼女を宿まで送り届けて帰る
翌朝 彼女からの手紙
「あなたを待つために宿を移った わたしは一目見てあなたに恋した
今宵の逢瀬までさようなら~恋するMより」
博士は夢見心地でマリアンの宿に行き 1年半一緒に暮らした・・・
このマリアンってイデスのことじゃない? 博士Bはもちろん荷風!
「あめりか物語」は出版社と約束した刊行物 名前をそのまま使えない
もっとも書簡形式や日誌形式の作品もある
とすると「西遊日誌抄」も創作の部分があるのではないか・・・
創作でも構わないのだが イデスはその後どうしたのか気になる
下手な考え休むに似たり・・・今日はここまで
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]