遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

永井荷風#19『断腸亭日乗 昭和3年 大晦日』

2024年02月20日 | 日記


 荷風とお歌 毎日のように偏奇館と壺中庵を往き来している
 偏奇館は麻布市兵衛町 壺中庵は西ノ久保八幡町(何れも旧町名)
どの位の距離か気になっていたので 現地図上で場所をプロットしてみた
(地図は港区観光ガイドのものを拝借)

偏奇館はサントリーホールのほぼ南 すぐ近くである
偏奇館のことはこちらのPDF6頁を参照~ペンキ塗りの家だから偏奇館!?
家の外観や間取りのイラストも載っている

荷風がよく利用した山形ホテルもすぐそばにある こちらのPDF5頁左参照
(ここの息子が俳優の山形勲・・・とどこかのサイトに書いてあった)

壺中庵は偏奇館から南南東へ行って「神谷町」駅の近く
ここなら高台のホテル・オークラを挟んで 歩いて15分くらいだろう
思っていたより近かった

さて、断腸亭日乗に戻って1928/S03年も大晦日 荷風50歳   
<12/31  夜 壺中庵でお歌と除夜の鐘を聞き家に戻る
一昨年来の不景気で歳暮の町にも活気がない 自分も春から病みがち
葵山(※)は 顔を合わせるたび「眉が太く長く長命の相だ」と言うが
淫欲が湧かず ひと月経ってもその気が起きない
 ※生田葵山(きざん):荷風の友人 永井荷風といふ男」(青空文庫)

世の中の事にも関心が向かず 文壇の輩の言うことなど蚊が鳴くと同じ
人の噂にも耳を塞ぐ そんな自分を友人らは幸せ者だと言う
自分でもそう思う 決まった妻がいないのも幸せのひとつ
妻なければ子孫なし いつ死んでも気楽で心残りが無い
日頃文壇の者とは交遊なく 死後拙劣な銅像など建てられる心配も不要

文壇の者は人間の屑である 自分の事は棚に上げ ここでは言わない
文学者というもの 下宿屋とカフェ以外には世間を知らない
手紙を書くことを知らず 礼儀を知らず 風流を理解できない
薄志弱行 粗放驕慢 人間中の最も劣等のものである

私は慶應義塾の教師となったが 40歳で辞めて以来 文学に関係しない
文学者を友に持たないこと これは私の幸福中の第一番である 
本来 身体強健でないため 人と争い 人を傷つけた事はない
家に些少の財産があり 金銭で人に迷惑をかけた事もない
女好きではあるが 処女を犯した事なく 道ならぬ恋をした事もない
五十年の生涯を顧み 夢見の悪い事は一つもせず 幸いの身の上である
夜も明けて来た 除夜の繰り言もこの位にして51年の春を向かえよう>

今日は大晦日一日のことだけで随分と書いた
超要約しようと思いながら そう出来ないところが荷風の面白さか
安吾から痛罵された荷風だが 戯作の精神は両者にも共通する
荷風が自らを文学者視?しないこととも関係しているのか

次回は 1928/S03年以後の日乗の予定
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]