テレ朝『世界の車窓から』を見ながらこの日記を書いています。
こんな風にのんびり車窓の風景を楽しみたいものです。
木曜日で刑事裁判の修習が終わりました。
基本的に傍聴と判決起案の繰り返しであり,だいたいが争いのない自白事件で,どちらかといえば単調な日々でした。
しかしながら,刑事裁判は,被告人のそれまでの人生を振り返り,今後の人生を考える面があり,いろいろ考えるところがあります。
前科数犯という人を見ると,その生い立ちに不幸な側面があったり,将来刑期を終えたときに社会でやっていけるか不安に思う点もあります。
世間では,企業が最高益をあげているようですが,その効果がすみずみまで行き届いているとは言えず,貧困又はそれを間接的な原因として発生する犯罪は今後さらに増えていくでしょう。
人はそれぞれ違うので,すべて同じというわけにはいきませんが,努力した人がそれなりの生活をおくれるようにしないと,刑務所で暮らしたほうがマシ,なんて社会になりかねません。
基本的にお金の問題である民事と異なり,刑裁修習では人間・社会の問題をいろいろと考えさせられる時間でした。
こんな風にのんびり車窓の風景を楽しみたいものです。
木曜日で刑事裁判の修習が終わりました。
基本的に傍聴と判決起案の繰り返しであり,だいたいが争いのない自白事件で,どちらかといえば単調な日々でした。
しかしながら,刑事裁判は,被告人のそれまでの人生を振り返り,今後の人生を考える面があり,いろいろ考えるところがあります。
前科数犯という人を見ると,その生い立ちに不幸な側面があったり,将来刑期を終えたときに社会でやっていけるか不安に思う点もあります。
世間では,企業が最高益をあげているようですが,その効果がすみずみまで行き届いているとは言えず,貧困又はそれを間接的な原因として発生する犯罪は今後さらに増えていくでしょう。
人はそれぞれ違うので,すべて同じというわけにはいきませんが,努力した人がそれなりの生活をおくれるようにしないと,刑務所で暮らしたほうがマシ,なんて社会になりかねません。
基本的にお金の問題である民事と異なり,刑裁修習では人間・社会の問題をいろいろと考えさせられる時間でした。