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虐殺の巷通州を脱出して
同盟通信社特派員 安藤利男氏述
一. その前夜
私は、七月二十九日の通州大虐殺当時、同地に入って居った唯一人の通信員として、あの虐殺の状況を、単に私の見た一角に過ぎないかも知れませぬが、此の目で実際に見、此の耳で実際に聞き、自ら体験して、三晩四日の死闘の後、幸い北平に生還することを得ましたので、その当時の状況を各位に詳しくお話申し上げたいと思います。
先ず事件の原因や其の頃の環境等についてお話しいたしたいと思い
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ます。私が通州に入ったのが七月二十七日、即ち事件発生の二日前であります。通州の南門外に頑張って居る約一千の第二十九軍を掃蕩しなければならぬと云うので、天津から来た○○部隊が二十七日の未明より掃蕩を開始して、掃蕩が終るや其の部隊は直ちに又其方面に伺ったので二十八日二十九日に通州には僅か六十名位の兵隊さんしかいなかったように聞いて居ります。とにかく兵力が手薄であったのに乗せられたのではなかったかと思うのであります。
それでは、前日あたりにそう云う気配はなかったかと云うことをよく聞かれるのでありますが、我々は、誠にお恥ずかしい話でありますけれども、事件が始まってからも、まさか保安隊の兵変であろうなどとは気が付かなかったほど、全く突然寝返りを打たれたのでありまして、特務機関の御方なんかも、まさかそんな事はなかろうと云うような話を前の日にされて居りました。尤も萬一の懸念は持って充分に注意されて来たが、先ずなかろうと云う空気が強かったようで
F機関‐アジア解放を夢みた特務機関長の手記‐ | |
藤原岩市 | |
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