「説明責任」という奇妙な「責任」が定着して久しいが、本当の責任とは口先の「説明」でごまかせるようなものではないはずである。なぜこんなことになったのか。責任という言葉の重さを考えてみよう。 . . . 本文を読む
南京問題で有名な本多勝一も陥落して、軽快に気持ちよくタイプするだけの作業のつもりでしたが、ついにどうしても判らない部分が出てきました。恐らく誤記でしょう。「惜い錯覚(おしい錯覚)」っていくらなんでもないでしょう。それはともかく、今回は心温まるお話です。この親切なお百姓さんは文化大革命とかの嵐を生き抜けたのでしょうか。心配です。それから、後から下線を引いたり括弧をつけたりしたのは萱原さん?なんでしょうか。何がしたかったのかも気になります。 . . . 本文を読む
朝日新聞がゆっくりと自爆していく様を見て何か安心してしまっていましたが、続けます。逃走劇もページ数的には中盤になろうとしておりますが、序盤で見逃された時計が役に立ったようです。まるで三枚のおふだのお話の様に、村人たちに物を投げてその間に逃げ続けます。走りながらズボンを脱いで村人に投げるというのは、よく追いつかれずに出来たものだと思います。記者が女性だったら全くの逆効果だったなと、いらんことを考えもします。それから、今まで「よい」という言葉を「宜い」としていたのを「宜しい(よろしい)」とことごとく私が変えてしまっていたので、訂正しておきます。 . . . 本文を読む