メディア側の情報操作の手口をただ知っているだけで、果たして我々は充分に正常な情報をろ過するように得られるだろうか。答えは否である。通常のメディア以外の情報源が無ければ、以前紹介した、情報量を減らすトリミングという技はなかなか悪辣で巧妙で見抜くのは難しい。では、こちらの武器はないのかと言うとそうでもない。科学リテラシーとでも言うものを身に着けていたら、少なくともいかにも科学的な裏づけがあるかのように偽装した情報に踊らされることは少なくなるはずだ。 . . . 本文を読む
1800人の心臓バイパス手術を受ける患者に、一人当たり約70人の修道士がお祈りした。3年がかりで240万ドルを注ぎ込実験の結果、第三者による祈りは、少なくとも心臓バイパス手術には悪影響は与えてもいい影響は与えられないことが示された。
悪影響が出たのは自分が祈ってもらっていると聞かされた患者群である。 . . . 本文を読む
錬金術が化学へ生まれ変わる事が出来たのは、単に定性的な知識が蓄えられたこともさることながら、定量的な測定結果を蓄え、それから現象の裏に隠れた本質を推理し、その推理を検証または反証するべき実験を計画し、その結果から推理の中身を修正し、再びその推理を検証または反証するべき実験を計画し、といった気の遠くなるような作業の積み重ねが起こったからであろう。化学に限らず、測定によって数量が得られる事が全ての科学を科学にしたと言っても過言ではない。 . . . 本文を読む
私はいわゆる雨男という奴で、最近体調を崩して、結構人によっては再起不能になる病気だったのが、奇跡的に回復して、よくジャンプの漫画であるように、新能力開眼と来るのがセオリーとお約束という奴なのですが、既に台風落雷豪雪男にレベルアップしていたところだったので、ええー、これですか、キムさん。突然、急に恩師に挨拶しに行こうと出かけただけだというのに。 . . . 本文を読む
可能性(possibility)というものは確率(probability)と同様0から1までであり、すべての可能性を足しても1にしかならないのではないだろうか。1を100%に置き換えても同じことだが、つまり人間一人がやることはやはり一人分の仕事であり一人分の人生である。「君たちには無限の可能性がある」式の脳内お花畑的な嘘を言わずに、数学の文脈に従って、君たち一人一人の可能性は1ずつしかないので実力とか能力とかを日々精進して鍛えて社会的成功を目指せと素直にいえばいいのだ。 . . . 本文を読む