一人人海戦術

世界の3%くらいの人に納得してもらえばいいかなと考える、オメガ・ブロガーを目指してみようか。

虐殺の巷通州を脱出して(同盟通信社特派員、安藤利男) page 32, 33

2014-10-16 18:50:22 | 歴史資料現代語化

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と目を睨み合わせて居ると、二尺ぐらい前〈約60センチメートル、近過ぎ!〉で向うは銃を構え始めた。之はいけないと思って無意識に向うの銃の筒を握ろうとした時、ズドンと一発、左の耳もとを掠め、続く二発右の耳を掠めた。三発喰ったけれども中らなかった。私はいきなり玉蜀黍畑〈トウモロコシ畑〉の中を三四十分間走った。雨は猛烈に降って居る。私の持って居った粟飯〈アワ飯〉は、手首に下げたまま不思議にまだ残って居った。併し〈しかし〉雨に濡れたり走ったりした為に、紐が中にくい込んで飯がポロポロこぼれるので、半分ほど食べて、僅かな残りを小さな握飯〈むすび、ふりがな〉の様にし破れ紙に包んで大切に持って歩きました。

 その夕方、石友三〈せき ゆうさん、国民党軍の軍人〉の保安隊にぶっつかりましたが、非常に親切で、道を教えてくれて、態々〈わざわざ〉北平の方向に暫くお爺さんに連れて行って貰いました。変わった保安隊もあるものだと非常に感謝しました。

 日がトップリ暮れたので、村外れの道端から五六十間〈91~109メートル〉離れた所で寝ました。其晩私は生れて初めて、あれが人魂〈ひとだま、ふりがな〉と云うのでしょう、二

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つも見た〈ほとんど取り消し線のような下線が引かれている、いったい何に注目しているのか〉頭の毛はゾクゾク立って来た。口笛で軍歌などを吹きましたが、どうしても精神の平衡状態を取り戻すことが出来ない。恐怖に駆られて居るうちに「朝日!朝日!」という日本軍の声を聞いた。私は大喜びで「日本軍隊ですか?」と大声で二度呼びましたが、反響がなかった。その後の静けさは前よりも一層淋しくなると云う訳で、その晩も遂に一睡も出来なかった。朝方、附近で銃声が少し聞えましたから、戦場の前線区域ではなかったかと考える。

       一〇.次は親切な漁夫の一家

 三日目に入ります。大した雨ではないが昨日の夜からの雨が降り続いて居る。村外れの大きな木の下で雨を避〈よ、ふりがな〉けながら、若し〈もし〉保安隊が出たらどっちにでも曲がれるような所に居りましたが、一時間半ばかり待って居ったが誰も通らない。仕方がないから、北平と思う方

 

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THE IDOLM@STER MASTER ARTIST 05 如月千早

今井麻美
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