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向に見当をつけて歩き出して、約二時間も歩くと、向うに一条の白いものが見える。何だろうと思って行くと、それは湖で、傍らに小屋があって、誰かちょこちょこと小屋を出て水際まで行って又戻ったりする。占めたと思って小屋の前に行くと、親切な漁夫で、私を見るなり、「ひどい雨じゃないか。さあ入〈はい、ふりがな〉れ」と中に坐らして、「お前着物を脱げ」と言って、自分の黒い物を掛けてくれて、「どうした訳か」と云うことから、私が色々説明した。私は最初の百姓に対してもそうでしたが、通州から来たと云うことを絶対に言わない。汽車がないので天津から北平に向けて自動車でやって来たら、冀東に入る頃保安隊にやられて、此の通り着のみ着のままで通州の外廓を走って来たと云う説明をすると、彼は大いに同情して、それから飯を食わせてくれた。飯と云っても、小さい小屋のことですから、丼鉢のを共同で食う。私が食べると次の者が食べると云うようにして四人が食う。六十歳ぐらいのお爺さんと、四十歳ぐらいの親爺さんと
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十六七歳の伜〈せがれ〉の三人で、非常に人の好い漁夫でした。一時は歯の根も合わぬほど震えていたのが、何時の間にかぐっすり寝込んでしまいました。それから更にいろいろご馳走になり、日が照って来てシャツも乾いたので、厚くお礼を言って、その漁夫の居る村までついて行って道を教えて貰うと云うことになった。漁夫の名は孫珠というのです。そのうち訪ねてみたいと思って居ります。
村に保安隊がいないと云うことは、その前に漁夫の伜が村に魚を売りに行った時に確かめて居る。孫珠について村に入り、愈々〈いよいよ〉別れる時に、私としては心から感謝して「色々どうも有難う」と丁寧に挨拶をすると、面白いことには孫珠が横を向いた格好をして居る。それは、日本人に親切にしてやることを憚らなければならないと云う空気があるのではないかと思った。現に村に入るとそれが益々ハッキリする。村に入ると道が沢山あって、どっちにいって宜いか分らないので、村人に聞いて居ると、最初はいろいろ言って聞かせるけ
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