本屋さんの本棚でつらつらと文庫を手に取り、また棚に戻すことを繰り返しているうちに、本の薄さが気になってしまった1冊。最近の文庫は結構厚いから。
裏表紙の説明文には、こんな一文が
小説に内在する無限の可能性を示した傑作。
…それは、すごい…。
世紀の発見
著者:磯崎 憲一郎
発行:河出書房新社
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言葉にはしがたいものを表わすために絵を描くことを選んだのが画家、形作ること、刻み、彫り込むことを選んだのは彫刻家。小説家はそのために言葉を連ねることを選んだ人たちなのだなと、この作品に託されたものを探る気持ちになりながら思っていました。
言葉では表しがたい何かを表すための文章。
選ばれた言葉も、文章自体も難解ではなく、水面を跳ねていく飛び石のように置かれるエピソードのそれぞれも、ものによっては共感さえできる気がするのに、作品全体となるととたんにわからなくなってしまう気がします。
この作品がおもしろい、おもしろくないということではなしに。
おもしろいかどうかで言えば、不思議なエピソードが、えっ?!という唐突さで並ぶこの作品は単純におもしろいと思うのです。
鯉とか、ラフレシアとか。それらをひとつの本の中で見た覚えはありませんし、最初の一行からして印象的です。
それでも、わからないと思うのは、肝心なところに実感がわかないから。
主人公の中に常にある母の存在の恐ろしいほどの確かさと、それと同じくらいの得体の知れなさ。
そういった気持ちを起こさせる母と息子の関係は、母と娘の関係とは違うものだと、改めて思わされてしまいます。
では父と娘、父と息子はどうなのか。やはり、それも違う感覚。
ひとくくりにしようと思っても、親子の関係はそれこそ千差万別ではありましょうけれど。
小説に内在する無限の可能性を示した傑作…か。
そういえば、私は芥川賞より直木賞、もっというなら、山本周五郎賞だと思うタイプだったと、改めて思いだしました。
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