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変形性股関節症deまなぶ。

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手術~術後4日目(6/13~17) を振り返る

2007-06-17 19:20:38 | 手術(2007.6.13)
6/13(WED)

13:00 手術室へ。

麻酔科の先生は噂どおり、面白い人。

麻酔を打つ前に、すでに安定剤でうつろな中、
Bob Marleyの話をしていた気がする。


BGMは、あやかさんの三日月。
この曲すごい好きだけど、ここでは全然あわないんでない?
いま、遠距離恋愛よりしなきゃいけないことあるよ?
ねなきゃいけないのよ?など考えながら。 

ウルフルズのガッツだぜとかより、いっか。

そんなことを考えていたせいか、
思ったより麻酔がかかりづらかったらしい。

だって自分しぶといな。って自分すら感じたもん。

まさにゴキジェットを使用した時のなかなか静止しない虫くんのよう。


そして、手術が始まった。(らしい。)

17:30 終了。(らしい。)

その後、観察室に運ばれたが、
解け始めた麻酔の覚醒効果で、
どうでもいい話を、ものすごいハイテンションに
一生懸命、看護士さんに話しかけていたらしい。

術後直後の完全に覚醒した娘は恐ろしい。

「わたしね、わたしね! 目がとっても悪いの!」
  (看護士さんからしてみりゃどうでもよいし!!
    看護士さん、かわいそうだ~だし!いそがし~し!!) 

「ねぇねぇ!みんなで写真とろうよ~!」  etc...
        (・・・おぼえ、ありません。)

20:00

麻酔が取れ始め、痛みを感じてくる。
意識も回復してき、無事手術が終わったのだという認識が
できてきたと同時に、ここからが凄まじき痛みとの戦いだった。

自分との戦い。痛みとの戦争。

切った大腿骨ごと、引っ張られ、もぎ取られそうな感覚。
ひざから股関節までの稲妻のような電流が通る痛み。
内股にはハンマーで打ちつけられるような痛み。
不意打ちでどこかにやってくるズキーんとした痛み。

これが舞踏会のように私の左足で繰り広げられているのだ。

少量の声で発する振動や
誰かがそっとかけ直した布団でもひどく痛む。



痛み止め麻酔は4種類。

1 背中に入ってるチューブから注入するもの。
    (数日間、常に少量ずつ流し込まれているのだが
     痛みがひどいときには、一気に流し込むのだ。)
2 飲み薬 (毎食後)
3 座薬
4 筋肉注射(肩に打つ)



1から3までは私には効果が薄かった。
効いても30分?

4は、すごい。
本当に体に悪いだろう、これは。
流し込んで5分もすると、全てが麻痺され楽になってくる。
痛みが取れるというよりは、意識が朦朧としてきて
楽になるのだ。その間15分くらい。そしてメールの返信などをした。

その15分が終わると、痛いけれど2時間くらいはなんとか持つ。
また来るリミットを恐れながら無心となる。


ただ6時間空けないと打てない。
術前に説明で、看護士さんから
「痛みは我慢せず、バンバン麻酔うっていきますから
どんどんいってくださいね。」

しかし、実際はあまり出してくれない。
本人の体の為なのだろうが、これは他の患者さんも言っていた。

1~3は胃を壊してひどくするだけ。
なのにそれは薦めてくる。
あまり覚えていないが、
「そんなのきかない、いらない。」と何度も
言葉を発していた気がする。

4だけが欲しいのだ。
半わめきながら、
「早く早く。。。」と中毒者のように
せがんでいただろう私もいけなかっただろうか。

悪夢の中で大好物(筋肉注射)のことばかり考えていた気がする。


1日の中で花畑のように感じる15分は私にとって極楽浄土だったーー。

やっぱり中毒者みたいだ(笑)

安定剤は勿論飲んだが、長くても寝れるのは2時間くらい。
何回ナースコールを押しただろう。
時間が経つことのみを祈った。





6/14(THU)

お尻、腰、足のしびれや、傷口の痛み、
麻酔の影響での胃の荒れなど
今考えれば、すごく気にかかることも
そのときは全く気になるわけもなかった。

引き続き、大好物(筋肉注射)のことだけを考え。。。



13:00
昼、主治医から手術の説明を受けた。

手術は13:00から16:30終了予定だったのだが、
1時間延びた。

原因は、最後の私の骨をボルトで留めるサイズらしい。
身長が150cm未満なのである。

子供用では小さすぎ、大人用では大きすぎ。
(いつも洋服のサイズがなく、困っている私。
   骨でもサイズに悩まされるのか!と呆れてしまった。)


大人用で留めたら、骨にひびが入ってしまったので
結局、ボルト挿入方法そもそもを変更したとのこと。

なので、骨がつくまでは2ヶ月かかるとのこと。

出血は210㍑ですんだそう。
レントゲンも異常なし。

よかったー。


21:00
安定剤でこの日は、3時間くらいは眠りにつけた。







6/15 (FRI)

9:00
ガーゼの初の付け替え。
術前に練習した横になる練習。
術足を数ミリでも動かされると痛い世界。
そんな中でどう横になる?!!

死ぬほど痛かった。
看護士3名と医師1名、いっせーのーせで、
横になる。

体も拭いてくれたが、
もうこれ以上私に触らないで欲しかった。

「みんなほっといて!」
って口から出そうだった。

しかし、この体調の状況で
高架下にでも捨てられ放置されるほうが最も辛い事だと
あとあと思いなおし、反省した。

それ以来、苦しいときは高架下を思いだすようにした。
この状況でそこにほっとかれたら
それこそ本当困るもの。

痛みもひどくなり、麻酔をしてもらい意識失ったように眠った。


13:00
目覚めたら少し気分がよくなっていた。
これならリクライニング車椅子に移動する挑戦できそう!?

主治医が電動ベッド操作、(頭の上げ下げ、ベッドの高低)
看護士3名が汗だくで私を支える。

そして両親が見守る中、挑戦。
ベッド→車椅子→お手洗い→車椅子→ベッド

お手洗いの時間を抜かしても
この往復に40分かかった。
術足が少しでも動いてしまうと、
汚い悲鳴をあげ、気が狂うほどいたいのだ。
緊張と恐怖を身にしみるほど痛感させられた。


お手洗いまで15m先しか離れていないので、
普段なら1分で帰ってこれるのになあ、
なんだろう、本当すごい違うこの環境。

でも本当にすごいのは私を全力で
支えてくださった看護士さんたち。

支える腕と健康な右足もプルプルふるえ、
意識が朦朧とする中、無事帰還した安堵感と共に
大感動&大感謝だった。

といっても、痛み出し、
また疲れ果てて気を失ったように眠った。


17:00
父親が神奈川に帰る。
ありがとう。
術後殆ど会話してないけど、ごめんね。


21:00
尿は管をつけているのだが、
便は車椅子でお手洗いにいかなければならない。
また、挑戦することになる。

でも、痛みがひどすぎて今回はベッドから
床に足が行く前でギブアップ。
看護士さんに申し訳がない。


それにもう1日に1回、今朝の1回分これ本当電池切れ。。。
明日になったら頑張ろう。





6/16(SAT)

朝食が食べれない。
痛いと45度でもしんどい。食べる振動も本当辛い。

それでも両親のおかげで
寝ながら口に入れてもらい、とにかく今食べなくては!
という一心で食べてこれた。

お手洗いに行きたいため、車椅子。しぶしぶ挑戦。。。。

ベッドから床に足がついたのだが、
そこから健康な足に力を入れてうまく立てない。

そこですでに10分は経過していた。
次の行動に行くまでの時間は
やめるかやめないか、というか、やめるにも
戻らなくてはならない。これが頭の中で葛藤する。
もう行き場がないのだ。
行くしかないのだ。わかっていてもスムーズにいかない
この状況。

ヨシ!と思って立ったがやはりアウト!

「ぐぁあーー!!アシイタイの!!」
凄まじい痛みで大声でわめいてしまった。
こんな姿は誰にも見せたくない。

看護士が4名に増えた。
といってもどうしようもない
緊迫が募る一方。大変申し訳なく。
申し訳ないのに、この状況が進めない。

その後なんとか、
誘導上手なベテラン看護士さんのおかげで
なんとかお手洗いまでいけた。

しかし、休んでいられるのは、押されて
お手洗いにつくまでの10秒程度。


そう。本当にすぐにお手洗いについてしまう。


「もうね、わたし疲れたんだよ。もう今日という日は終わったよ、
みんなも、もうオヤスミしようよ。」

なんて本気で半意識の中、考えてるうちに

「気にしないでいいので、ここ(お手洗いの前)で
10分寝てていいですか。」

て気づいたら声に発してるくらい既に消沈。

それでも続行することになったので
もう大好きなこの看護士さんたちの為にがんばろう!
と意味不明な恩着せがましい理由で頑張った。


帰ってきたらもう1時間近く経過。
うーん。泣き喚いたりと今日は私としたことが
かなり乱れてしまった。



10:00
さあ、今日は頑張った、安静にさせてくれ!
とベッドで横になった矢先、

・・・ガーゼ取替え。

でも今日はうまくいった。うれしい!
痛みもそれほど激しく無く体勢を変えれた。

ついでに傷口を写真撮影してもらう!
「久しぶりだわ、自分の傷口とってー!っていう患者さん。」
と先生から言われた。
だって見れない、見たい。自分の状況。

看護士たちと先生、母親で、写真撮りながら

「おー!きれいきれい!きれいにとれてるー!」

って、あなたたちすごい局部を撮影しているのに。
私の顔を写した際、そのお言葉、頂戴したいですね。


ただ、消毒のスプレーで極度に冷え、
そのあと3時間ほど冷えの痛みでうなされる。
(昨日のスプレー後もこの痛みだった)


14:00
ここに3年入院している18歳の女の子が
お見舞いに来てくれた。
マイカ姫。
私もあと4日したら大部屋に戻れるのだ。


消灯してもテレビ見て一人で
ものすごい変な声で爆笑している可愛い妹分。
早くあの豪快で不気味な笑い聞きたいな。

1時間近くおしゃべりし、
消沈していた私の心を晴らしてくれた。
回復してきた体調と共に彼女のおかげで
とても気分が軽くなった。

15:00
【CPM】
とうとうやってきた。
寝ながら行う装置。
足を乗すと、上下に動かしてくれる。
軟骨に似た液を促すのが目的。

ベッド生活の人には、血流の促す目的も勿論あり。

一番少ない動きで、30度曲げで
挑戦するという。
当然まっすぐでしかできなかった数日。
できるのか?!
また悲鳴をあげてしまう?!と
看護士さんと恐る恐る挑戦。。。

ところが!!!
なんと!!!!!
いたくない!!!!!
信じられないほどうれしかった。
確かに動きは本当にたいしたことない。
ほぼまっすぐだ。
それでも動いたのだ!!!!
上下はすこし融通が利いてきたことがわかった。
あとは、左右の動作だ。
これは数ミリでも本当死ぬほど痛い。


すること50分。
これは退院するまで毎日行う。
勿論もっと、角度は上げていく。

とってもHAPPYな気分になった。
マイカ姫のおかげなような気がした。
早速手紙を書いて、母親に渡しに行って貰った。

16:00

リハビリの先生がきてマッサージ。

16:30
とうとう洗髪。
やはり車椅子移動はもう今日1回したので
遠慮した。(いくじなし。。)

洗髪台があるので、ベッドで洗っていただけた。
なんてきもちいのおおお♪

幸せ幸せ。

気分がよくて術前ぶりにテレビをつけてみた。
やっと生きてる心地がしてきたようだ。

18:00

カレーライスに。
おくら!!!!!
もう大好物がでてきてテンションどUP!

ベッドを60度にあげても、激しい痛みがないし、
噛んでも痛みが響かないし、
自分で食べているものを上から見れると
おいしく食べれる。
薬も自分で出して飲んだ。
自分でできること少しできてきた。
水もコップに入れれた。
わたしって人間だったんだわ、思い出してきた!

言っておきますがカレー別に好きでありません。


術前ぶりに完食 祝☆


よし。なんか段々元気になってきているぞ。
私、いきているー♪


ところが夜が辛かった。
せっかく骨の痛みがなくなったのだが。

今度は数日間の同じ体勢ではさすがに。
それでも私は腰が強いほうだとわかる。
他の患者さんはもっと早く悲鳴をあげているとのこと。

私は、足の骨の痛みを麻酔で消すことに精一杯で
腰痛やしびれにかまえなかったのだ。

正座し続けて、しびれたあの感覚。
極度のしびれが足全体に響いて。

お尻の位置を移動することや
少しでも宙に浮かすことも出来ず、
左足も足首以外は動かすことができない為、
左下半身はしびれを通り越してカチコチに。

かかとも坐骨もベッドに食い込んだように。


逃げ出したい、体勢変えたい。
でもなにも変えれない体勢には、ひたすら耐えしかない。

夜中3時になっても寝付けず、看護士に安定剤をきいたが
やはり出してくれなかった。遅すぎた。

こんなことになるなら、
今夜も22時頃に飲んでおけばよかった。。。


自分で差し込めないのですが、
皆さん、タオルやクッションをうまく使い、
自分の位置を調整してもらったり、
この耐えの時間をしのいでいるそう。





6/17 (SUN)

朝、ぼんやり目覚める。
車椅子に乗るしかない。
この食い込んだ腰とかかとをベッドからひっこ抜くには!!

でも車椅子に乗るのも憂鬱。
しかし、選べる権利などもなく、今朝も挑戦。

なんと!
今日は20分程度で出来ました。
ベッド→車椅子→お手洗い→車椅子

感動ひとしお。
やっぱり体ってすごいなあ。
よくなっているよ、私。

出来なかったことが出来るって本当ウレシイ。
体さん、ありがとう。

看護士さんにも迷惑かけずに済んだし、
両親も安堵するだろう。

看護士さんへのプレッシャーや
痛みの恐怖の壁は明らかに低くなって万歳。

無駄な力も余分に浪費しなかった分、
自分でこげるくらい。なにしろ爽快、気分UP!

ということで、
術前までいた4人部屋に遊びに行った。
懐かしい雰囲気。

301号室最高だなー。
ここの部屋で本当よかった。
私は随分恵まれていると思う。
この部屋の人間たちが本当大好きだ。

しかし5分後、ひどい頭痛が。
頭痛の種類では、生まれて初めて痛くなった箇所だった。


昨日までは注射で抗生物質を注入していたのだが
今朝からは飲み薬に昇進した。

しかし、この薬が絶対犯人。
その薬を思い出し、恨みながら数時間休む。


昼も飲んだが、さらに痛みは増し看護士に相談した。
抗生物質は特に個人差で頭痛、吐き気、下痢になってしまうらしい。


今日は日曜日のため、医師に薬を変えてもらえないとのこと。
ただ、そのあと今日は飲まなくて良いとの許可が出た。
よかったーーーーー。


今は術後の経過を一気に回想中。
振り返る余裕があり、すっかり元気。
少しずつ、毎日できることが増えていけたらと思う。


長期戦だけど、昔は持久走が得意だった。がんばろう。


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