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変形性股関節症deまなぶ。

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発症 ~ 病院決定までの経路

2007-07-09 05:45:52 | 発症~病院決定までの経路
■ 2002年頃から(21歳)

  膝に痛みが出るようになる。
  のちのち知ったが、この病気の初期段階は膝が痛むらしい。
  
  しかし、10代に履いていた流行の厚底靴や
  スノーボードの影響かと解釈していた。


■ 2003/3 (22歳)
  親友とエジプト旅行中、
  初めて股関節から太もも辺りにかなりの痛みを感じる。
  (まだ覚えているが、ルクソールの商店街から。)
  
■ 2003/4 (22歳)
  個人病院で診てもらうが、ただの炎症と言われる。


■ 2003/5 ~ 2006/8 (22~26歳)
  それ以来病院へ行かず、
  買い物やスポーツの際、特に痛みが出たが、
  放っておけばいつか治ると信じていた。
  しかし3年間で痛みは少しずつ強くなる。


■ 2006/9/20
  股関節と膝に初めての激痛。
  耐えれば痛みは消えると思ったが、
  数日経っても全く治らず、悪化。


■ 2006/9/25
  【横須賀北部病院】
  診察
  横浜市大へ紹介状を頂く。


■ 2006/9/27
  【横浜市立大学病院】
  股関節専門 I先生

変形性股関節症と診断される。
  

  ショックというより、なにか病気だと感じていたので
  症状に当てはまる病気が有るのだと知り、すっきりした。
  
  10歳で盲腸の手術をして以来、病院に縁がなかったため、
  突然病気といわれても、今までの生活とは程遠すぎてピンと来ない。

  「世の中で同じ痛みの人がいて、しっかりとした病名があったのだなあ。」
  と感心し、他人事のような感覚。  

  手術が必要だという。

  ただ、私のレントゲンをみるやいなや、
  見たことのない症例なので手術はできるかわからないとの事。

  まずはCTとMRIの予約。
  今から予約しても1ヶ月以上待つ。

  病名が覚えられず、支払いを済まし病院を後にするまでに
  2回も先生に聞きに戻った。
  「先生、又なまえ忘れてしまいました。
   股関節・・・変形症?でしたっけ?」
   ・・・。
  最終的にメモ紙にまで書いてもらった。

  初めて病名を知った日が懐かしく、かわいく思う。
  しかしこの日を機に、この名前とお友達に。

  さて、少し人生が変わったよ。スタート!


■ 2006/9/29
   「こんなのすぐに手術してすぐに治るなるんでしょ。2週間くらい?」
  と知識が全くないのと、実感がないのと、楽観主義なのと。

  インターネットで、同病気の患者のブログを見つける。
  「病院探し・手術決定・入院期間・退院後の社会復帰」 
  ひとつひとつ全て時間が要することだと初めて認識する。
   
   このとき、自分もいつか絶対に誰かのためになるように
   ブログを作ろうと決める。


  今すぐに自分がすべきことは
  「まず色々な病院へまわり、自分にとってベストな道を探すこと」
  だと気づく。
  

  考えた結果、決まっていた転職を断念する。
  これは本当にとても悔しい決断。
  足の事がなければ自分の思うように歩めたのに。
  
  今月末までで終わるはずだった会社。
  ありがたくも病院探しを優先しながら働き続ける事となる。
  
  自分の決めた岐路とは大幅に変わったが、今ある環境の中での
  恵まれた状況に感謝した。

  
■ 2006/10/17
  【横浜市立大学病院】
  CT検査。
  5分程度。
  会社の隣なので、30分の外出で済んでしまった。便利だ。


■ 2006/10/24
  【横浜市立大学病院】
   MRI検査
  40分程度。
  音と空間の問題が辛い。
  まず音。
  ・放映していない番組が白黒に写っている時の音。「ジーっ」
  ・給食のフォークで銀食器をひっかいた音
  それらの音が爆音量で聞こえてくる。
  
  空間
  棺おけに入れられたような気分。
  目の前が壁で覆われていて、
  閉所恐怖症の人は中断してしまう人も。

■ 2006/10/25
  【横浜市立大学病院】
   診察  検査結果を聞く。
  
  手術方法不明。
  
  理由
  通常は9割が先天性。
  先天性ではない私の場合、同じ病気でも変形の仕方が違い、
  通常の手術方法に当てはまらないという。
  
  ・本当に幼少期に診断されことはなかったのか?
  (先天性ならば、小さい頃にすぐ転んだりする為すぐわかる。)
  ・今までに大きな怪我・骨折はなかったか?

  これを何度も聞かれた。
  しかし経験や覚えがないので、首を傾げられた。

  翌週行われる日本股関節学会でもレントゲンを提示してみるとのこと。
  東京医科歯科大のJ先生宛に紹介状を書いて頂く。 

  
■ 2006/10/26
   【東京医科歯科大学】
  股関節 J先生

  血液検査・再度レントゲン
  
  同様、手術方法不明とのこと。
  ここでも首を傾げられた。
 
  欧米では容易に人工関節置換手術がされているが
  日本では「60歳以下は人工はするべきでない。」
  という考え方が主流。
  
  今の技術では人工の寿命が3~20年。
  
  30歳で人工をいれ、80歳まで生きたとしたら
  うまくいっても2-3回入れ替えることとなる。、
  なので、人工股関節を入れるのは勿論最終手段との説明。
  
  人工はいつでもどんな状態になっても入れられるので、
  なるべく自分の骨を使って手術する。できないのなら温存する。
  
  よって、今の私には「温存療法しか道は無い。」とのこと。

   ★ 一般的な温存療法
   ・水中での筋力トレーニング
   ・体重減量
    (体重1kg増えると、足にはプラス3kgの荷重がかかる。)
   ・杖での歩行
    (負担が1/3に軽くなる。)
   ・寝ながらの筋力トレーニング
    (股関節に重力を感じさせず、股関節付近を筋肉で守る。)
  

  温存で一生なんとかなるであれば良いが
  今の私にとって温存し続けるのは
  自分のしたいことを制限して生きること。
  いつ来る激痛を恐れながら生きること。
  制限したのち、結局手術というのは避けたい。
  
  骨の形を変えない限り、絶対に進行するこの病気は、
  温存することにより進行を遅らせることはできる。
  
  初期段階であれば効果はあるだろうが、
  痛みが慢性してきた進行期~末期には手術までのつなぎにしかならない。
  私は既に末期手前と言われていた。
  
  ここでも同じ回答に正直ショックだった。
  めげずに他の病院にトライしてみなくてはわからないと思いつつ、
  他でも同じ事を言われ、放っておかれるのか?と思うと
  非常に孤独感を感じた。

  3年半前に(炎症と言われたときの)個人病院で
  撮ったレントゲンと見比べてみたいとのこと。
  その期間でどの程度の軟骨が減り、骨が変化しているのか
  確かに興味がある。


■ 2006/10/27  
  杖の購入
  インターネットで探す。
  
  本の購入
  専門医師による手術・温存療法について記された本
  患者の体験によって作られた本
  沢山有るので迷うが、私が購入した本はコチラ

  その他、図書館で沢山借りる。


■ 2007/11/1
   2003/4に初めて行った個人病院でのレントゲン写真。
  問い合わせしてみたが、保持期間の義務は
  カルテが5年、レントゲンが3年。
  私は3年半経っていたため、既に処分されていた。
  本当にがっくり。


■ 2007/11/12
   よく行く地元のスポーツジムで早速プール歩行。
  温水プールとはいえ、私には冷たく痛みが出る。

■ 2007/11/19
   今度は、よく行く地元の温泉に。
  ここに水中歩行用のエリアがあることを思い出す。
  自分には関係ないと今まで素通りしていたエリア。
  とても使えることに気づく。
  
  しかし温泉の温度で、胸まで漬かる歩行はすぐにのぼせる!
  寒いよりいっか。


■ 2006/11/25
   じんじんする痛みに不安。特に寝る前。
  激痛ではないが常に歩行中に感じる違和感。
  そして、生理痛の痛みが昔と全く変わった。
  下半身全てが痛くなり、1日中ベッドでうなされる。


■ 2007/11/27
  東京医科歯科大学からレントゲン12枚を拝借。
  本来なら取りにいかなくてはならないが、
  遠い&時間がない。と着払いで郵送していただく。


■ 2007/11/28
   【横浜市立大学病院】
  I先生
  
  前月行われた股関節学会で提示して頂いた時の話を聞きに。
 
  学長から「自分の娘ならこの手術をする。」
  との提案手術があったそう。
  
  ということで具体的に適合するか知る為に
  次回造影剤を使用したCTを撮ることとなる。
  

■ 2007/11/30
   【東京医科歯科大】
  J先生 診察2回目

  話だけ。特に進展なし。


■ 2006/12/11
  【横浜市立大学病院】
  I先生  
  造影剤を使って再度レントゲン撮影 
  点滴・麻酔・造影液の注射を打つ。
  15-20枚ほど撮り、CDデータ化。

  できたレントゲンを見て話を聞く。
  ここでは、適合性の高い方法はわからないとのことで
  横浜南共済病院に紹介状を書いていただく。


■ 2006/12/12
  【横浜南共済病院】
  H院長
  知り合いを通じて整形の院長先生の予約。
  院長であるH先生に親切にも1時間半ほど説明や励ましを頂く。
  RAO手術をなさっている昭和大学F病院のA先生。


■ 2006/12/15
  関東でみつけれなければ、いずれは訪れようと考えていた
  福岡の柳川リハビリテーション病院(以下、Y病院)の診察を予約。

  手術を諦めていた末期の患者さんたちなどが
  ここではキアリ手術という方法で救済している先生がおり
  全国から患者さんがいらしている。
 
  正月に九州に行くことに決めた。


■ 2006/12/25
  【昭和大学F病院】(以下S大学病院)
  A先生の診断。
  
  レントゲンをいろいろな体位で取り直した。
  
   ・手術が可能。
    RAO手術→大腿骨を切って回転させ、くっつける方法。
   ・手術予約は早くて7ヵ月後。
   ・次回、特殊なMRIを撮り、それで具体的な方針がわかる。
     
  手術可能だと言われたことでひとまず安堵した。
  

■ 2007/1/5
   【Y病院】
  I院長先生
  CT/レントゲン検査

  手術が可能。
  ・大腿骨と骨盤をいじる。
  
  大腿骨だけ切る昭和大にプラスして骨盤も切る
  キアリ手術方法。 


■ 2007/1/25
  【S大学病院】
  MRI検査


■ 2007/2/5 
  【S大学病院】   
   A先生 診察
  
  先週撮ったMRIでの結果
  ・臼蓋の表面がだいぶ白くなってきている。
  ・骨の骨密度が変わり、成分も変化している。
  ・手術方法は前回説明したとおり。

  手術方法が違う2つの病院で検討する。
  

■ 2007/2/15
  MailにてY病院I先生に
  迷っている状況を説明し相談する。
  先生の熱意を感じる。


■ 2007/2/19
   【S大学病院】   
   A先生 診察

  第三者に聞いた上での意見が欲しく、
  父親と一緒に再度説明を聞きに行く。
    
  
■ 2007/3/12
   同じ先生で手術経験をされている方の
  お話を聞きたく、mixiのコミュニティを使って呼びかける。
 
  ちょうど1ヵ月後にY病院にて手術をひかえた
  20代の東京在住Wさんと出会う。

  彼女のブログから伝わる苦悩や葛藤、
  乗り越えていく強さなどを見て励まされる。
  
  この時期、自分の治療法について、
  何を軸に決定すれば良いのかわからず焦っていた。
  
  私は自分の弱さにも直面してきたが、
  弱る時間があっても最後には強くありたい。
  と自分の中で改めて決意。

  不安で押しつぶされそうな時間が来たときは
  とにかく不安をぶつけて紙に書き、頭を整理した。

  色々な病気の人の気持ちを考えることにより
  病気のおかげで心の幅を少しは広げれたのではないかと
  考えるようになる。

  自分を励ますことによって力は沸いてくる。
  今は判断材料の情報集めに努めようと身を引き締める。

  で、思い立ってすぐ東京女子医大にセカンドオピニオンの電話予約。


■ 2007/3/19
  【東京女子医大】
  H先生 セカンドオピニオン
  (RAO手術専門)
  
  第三者の意見が聞いてみたく伺った。
  ・S大学病院などでRAO手術をしても持ちはよくない。
   だから「私はあなたを救えない」とはっきり断言された。
   
   
   ・RAOは初期段階ならば救済できる。
   ・それ以外は手術を行ってもいずれまた軟骨は削れ始めてしまう。
    そして、結局キアリ手術を再度する事となる可能性が高い。
   ・私はY病院でキアリをすることが断然適している。
  
  と強いアドバイスをいただいた。

■ 2007/3/20
   数ヶ月検討した結果、福岡のY病院に手術予約。

■ 2007/5/26
   手術用貯血(自己輸血400ml)・検査で1泊2日で福岡へ。

■ 2007/6/5
   入院 
  Y病院で手術
  左キアリ骨盤骨切り術+大腿骨内反骨切り術

■ 2007/11
   退院

■ 2007/11~2008/3
   自宅療養