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何ということ、、

2007年03月28日 11時45分55秒 | Weblog
最近(おそらく確定申告の反動?)精神的に少し不安定気味で、約束事もいくつか果たすことができずそのことがまた自己嫌悪を招くというプロセス。
選挙のこととかいろいろ思うところはあるけど反応もできず。
今回知ったこのできごとについても、あまりのことに唖然としてしまい、どうしたらいいのか判らなくなる。

リンク先の「旗旗」さんのエントリーに詳しいが、中央大学生協に対して団体交渉を申し入れた労働組合員が八王子警察署に建造物侵入などの容疑でキャンパスで逮捕された。

せめてここで紹介してカンパでも送るくらいのことしかできない。

(以下転載)

3月25日、中央大学卒業式で情宣行動を行っていた三多摩合同労組の組合員など14名が、八王子警察署に建造物侵入などの
容疑で不当逮捕されました。この弾圧を強く糾弾し、仲間の即時釈放を求め皆さんに支援を訴えるものです。

 中央大学生活協同組合を05年4月、不当解雇(雇い止め解雇)されたYさんの解雇撤回を求め、三多摩合同労組では生協当局に対しては団体交渉を要求し続けてきました。Yさんは生協側にパートでも有給休暇を取れるはず、とごく正当な要求を出し続けたところ不当解雇されたのです。生協側は「労使関係が存在しない」として団交を拒否し、05年8月には東京地裁八王子支部に「営業妨害禁止等仮処分・間接強制」を申し立ててきましたが、抗議署名・生協前抗議集会などの取り組みにより、生協側は間接強制を取り下げ、情宣行動場所の禁止箇所を変えざるを得なくなっていました。

 06年夏以降、中央大学当局は生協側と一体となりキャンパス情宣などに対して「退去勧告書」を通告してくるなど不当な対応を続け、さらに雇用関係不存在確認訴訟も起こしてきました。また、情宣行動を妨害するために仮処分申請を通すなど組合活動を大学でさせないための様々な手段をとってきました。組合は強くこれに抗議して、情宣行動などを粘り強く継続し、07年3月25日、大学卒業式においても父母や卒業生にこうした問題を訴えかけるべく、ビラをまき、情宣活動を行っていました。ところが大学側は不当にもパトカー10台分にもなる警官を大量に学内に導入し、この情宣に参加した仲間を14名も逮捕していったのです。

 近年、集合住宅でビラをまいただけで住居侵入罪などに問われる不当な弾圧が横行していますが、この大学卒業式における情宣行動は、あくまで団体交渉による争議解決を求めた三多摩合同労組の正当な組合活動です。14名全員の即時釈放を求め、皆さんの多大なご支援をお願いします。また大学当局・生協・八王子警察署には強く抗議の声をたたきつけていきましょう!

●抗議先

中央大学生協 東京都八王子市東中野742-1 TEL:042-674-3011
中央大学 東京都八王子市東中野742-1 TEL:042-674-2111
八王子警察署 東京都八王子市元横山町2-4-13 TEL:042-645-0110

●支援激励先

3/25中大生協闘争弾圧統一救援対策会議
 連絡先:
  三多摩合同労働組合 東京都立川市曙町3丁目19-7-104 Tel:042-526-0061  
  三多摩労法センター 東京都国分寺市南町2-6-7丸山会館2F5号 Tel:042-325-1371
  三多摩労組争議団連絡会議 東京都国分寺市南町3-23-13-402ミニコミ高円寺気付 Tel:042-323-9255

カンパ振り込み先:
 郵便振替 00150-8-66752
 口座名 三多摩労働者法律センター
 (必ず3/25弾圧救援カンパであることを明記して振り込んでください)

「多文化時代と所有・居住福祉・補償問題/吉田邦彦」

2007年03月02日 17時51分35秒 | Weblog
多文化時代と所有・居住福祉・補償問題

有斐閣

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人権総論の再検討―私人間における人権保障と裁判所

日本評論社

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権利・市場・社会保障―生存権の危機から再構築へ

青木書店

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現代思想 vol.35-4 (35)

青土社

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「多文化時代と所有・居住福祉・補償問題/吉田邦彦」
「人権総論の再検討-私人間における人権保障と裁判所/木下智史」
「権利・市場・社会保障-生存権の危機から再構築へ/伊藤周平」
「現代思想3月号 特集・笙野頼子-ネオリベラリズムを越える想像力」

ジュンク堂で購入。
民法の視点から居住の問題を考えてきておられる吉田先生の本。1万円という値段にさすがに少しためらいを感じたが、思い切って買ってしまう。
木下先生の本もこれはこの辺の問題考えるときには必須かと思われ。

連日のたたかい

2007年03月01日 18時58分11秒 | Weblog
とくに旗旗で連日詳細に報告されているが、釜ヶ崎解放会館はじめ3ヶ所におかれている日雇労働者・野宿者の住民登録消除への動きに対して連日抗議行動が行われている。

そのようななか、当事者が職権消除差止め訴訟をたたかっていた件につき、執行停止の決定が下されたという、すばらしい知らせがとどいた。とりあえず第一報。

(追記)3月2日8時45分
リンク先新聞記事(のキャッシュ)追加しときます。

【集会案内】3.3レバノン侵攻後のイスラエル~イスラエルに生きるパレスチナ人の視点から

2007年02月22日 17時00分20秒 | Weblog
Nakba: Palestine, 1948, and the Claims of Memory (Cultures of History)

Columbia Univ Pr

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行けない集会の案内ばかりで恐縮だけど、これも日程近いので案内させていただきます。

【転載歓迎】
***************************************************
■アフマド・サアディーさん緊急講演会■

レバノン侵攻後のイスラエル
~イスラエルに生きるパレスチナ人の視点から

<<< Open Lecture By Ahmad Sa'adi >>>
Latest Updates of Israel after the Lebanon Invasion
--A Viewpoint of an Palestinian in Israel

***************************************************

日時 ● 3月3日(土)14:00~16:30(開場13:30)

会場 ● 大阪聖パウロ教会 2階礼拝堂
(北区茶屋町2-30)
http://www.nskk.org/osaka/church/paul/map/map1.gif

行き方:阪急茶屋町口から北へ約50m。千鳥屋の手前
の角を右折して約100m先の右手。

---------------------------------------------------
DATE: Sunday, March 3, 14:00-16:30(Open at 13:30)
VENUE: St. Paul's Church, Osaka
(2-30, Chayamachi, Kita-ku)
http://www.nskk.org/osaka/church/paul/map/mape.gif
---------------------------------------------------

講師 ● アフマド・サアディーさん
ベングリオン大学歴史学科準教授。政治学(イスラエ
ル政治)専攻。1958年生まれ。

著書:Ahmad H. Sa'di & Lila Abu-Lughod編 "Nakba:
Palestine, 1948, and the Claims of Memory",
Columbia University Press(4月刊行の予定)など。

http://www.amazon.co.jp/Nakba-Palestine-Claims-Cultures-History/dp/
0231135793/sr=1-1/qid=1171959929/ref=sr_1_1/503-2701167-0994321?ie=UTF8&s=english-books




会費 ● 1000円
※学生・低収入者・パレスチナの平和を考える会賛助
会員は700円(受付でお申し出下さい)
※事前予約は必要ありません

主催 ● パレスチナの平和を考える会
Sponsored by Palestine Forum JAPAN
http://palestine-forum.org

Email: palestine.forumあっとまあくgmail.com
Tel: 090-9273-4316(やくしげ)

■----------------------------------------------

「ユダヤ人国家イスラエル」は、その人口の2割をパ
レスチナ・アラブ人が占めています。被占領地のパレ
スチナ人や周辺諸国のパレスチナ難民と異なり、イス
ラエル国籍を持つ彼らは、独自のアイデンティティの
問題や差別に直面しつつ、イスラエルの排外的民族主
義イデオロギー(シオニズム)に抗い続けています。

今回、話をしていただくアフマド・サアディーさんは、
イスラエルに住むパレスチナ人として、また、政治学
研究者として、イスラエル建国に伴うパレスチナ人追
放(ナクバ)の歴史や、シオニズムの変遷について研
究されてきました。

この講演会では、イラク戦争やレバノン侵攻といった
激動のなかで、今イスラエルはどこに向かおうとして
いるのか、本当の和平を実現するために国際社会は何
をすべきなのか、とともに考えていきたいと思います。

(以上)

(追記)2月23日
会場情報を訂正いたしました。
「2階礼拝堂」で開催です。


いくつか

2007年02月22日 16時43分07秒 | Weblog
(1)ここでも発表していたから一定は書かないといけないと思い書くのだけど、大阪市職労と大阪市従業員労組にメールを出してたところ、会って話をしないかということになり18日少しの間お茶飲みながらお話した。内容については記さない。
実際にあの日現地に行っていたらやはりこちらから言うことは違ってただろうな、と、昨日いろんな映像やらを見ながら思った。
18日には、長居に行った知り合いの人ともしゃべったりしてたけど、行かなかった人間との距離だけを確認させるようなことになってしまったのではないかと感じなくもない。

(参考)
長居公園の芝居のことという優れたレビュー(?)。

(2)そして要望書への賛同を呼びかけさせていただいていた西成区の日雇労働者・野宿者の住民票問題に関する動きだが、2月26日朝10時(!)にエル大阪で緊急全国集会はじめ抗議行動が、28日夜6時半から西成市民館で集会(主催:釜ケ崎のまち再生フォーラム/ 講演「住民票と人間の尊厳---全面的な権利剥奪は許されるのか」笹沼弘志静岡大学教授・憲法学)があるという。地元から誰か参加すると思う(個人的にはどちらもいけない)。

(3)この1月下旬には厚労省の「ホームレスの実態に関する全国調査」というのが行われていた。地元ではかなりの減少という結果になる見込み。これは夜回りをしていても感じるところである。これが「特措法」や「自立支援事業」が機能した結果であるのかどうかについては検証が必要。少なくとも地元では自立支援事業は行われていない。「都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所とし、日常生活を営んでいる者」という特措法の定義にかかわる問題もある。「ネットカフェ難民」が描き出していたのは「寄せ場」を必要としない現実だった。







最高裁

2007年02月14日 15時31分48秒 | Weblog
昨日の最高裁判決というと一般には(?)こっちかも知れないけど、ともかく「業界」ではこんなのが出てしまいちょっと騒然としているところ。
昨年までの消費者保護の流れに冷や水をぶっかけるような判決。裁判所法10条の問題も出てくるような気がするが、、。

公園を眺めて

2007年02月10日 01時14分36秒 | Weblog
住処を失った人は行き場もなくあるいは教室や公民館に住み、あるいは公園に小屋やテントを立てて生活を営んだ。
人が集まることによるさまざまなトラブルを解決し外からの支援も受けながら相互扶助で生きかつ学び働いた。
しばらくすると行政は「家を用意しましたよ」と言ってきた。
だがその家はこれまで営んできた生活を維持するにはとても困難なところに用意されていた。
「行けと言われてもそんな遠くに行くことはできない」と住民が訴えると、普段から行政の仕事を請け負っている学者が「私だって『そんな遠く』から仕事に通ってますよ!」とテレビで逆上していた。
早朝から市場で働く。
交通費も出ないような零細な仕事場で働く。
そういう生活もあるのだという想像力は、およそそういう手合いの人には存在しなかったのである。
やがて「いつまでも公園にいるのは」という声の方が強くなっていった。
紐帯からひきはがされやむなく転宅を決意し、予想どおりそれに起因する犠牲が出始めた時、さも想定外のことが起こっているかのように「孤独死」なんてことが云々されるようになった。

某所で
「今は路上生活者のヒトはいないと思います
もし宜しければ、桜や薔薇の季節に中ノ島公園や靱公園に来てください
公園本来の役目を果たしていると思います」
「 桜や薔薇の季節の晴れた日曜の午後、靱公園や中之島公園へ
いらしてください。
そこでの光景を御覧になってから、本当の「支援」とは何を意味するのか
考える時を持って下さい。」
てな書き込みを読んで、こっちはこっちで近所の公園を眺めて、そういうことを思いだしたのだ。

「いな」くなった「路上生活者のヒト」がどこに行ったのかなんていうことは「支援」じゃなければ考えなくてもいいんだろうな(関淳一もそんなこと言ってたな)、なんて野暮なことはいうべきではないんだろうけど、まあ、よびかけにこたえて地元で公園眺めてみましたということで。

ちなみにさすがにあのときは(そして当地ではいまでも)力づくで公園からたたき出すということはしなかった(それだけスマート-「狡猾」だったということも含めて)。
あのときと大阪とは違う(でも、あのときでも上に書いたとおり徐々に「そういう」声は上がりはじめていた)?
ではどこが違うのだろうか?
降ってわいたような災難とは違う?では自業自得なのか?
そうなのかもしれない。
降ってわいたような災難に対応できない貧困は自己責任というしかなかったのだ。

適正に利用できるようになった道路にはヘンなオブジェがおかれている。
適正に利用できるようになった河川敷はフェンスで囲まれている。
適正に利用できる公園は安全安心のために日陰もなくなってしまった。

あのとき、あの名前も忘れた御用学者のテレビでの発言を思い出してどうにも気分が悪い。