筆を持つ時間が無いので、仕事の合間にペン字を少々書きました。
文字の歴史は、刻む彫る→筆で書く→ペンで書く→PC等で打つ・・・
今や、ペンで書くとかPCで文字を打つのは日常行為ですが、
筆のほうが芸術的で、心がこもっている・・・などと言われます。
ただ私自身、正岡子規の絶句三句などは拝見して感動しましたけど、
その三句にそえられている活字文章のほうに、一層目頭が熱くなりましたし。
普通に活字の小説を読んでも泣きますし。感動を伝えるには
筆が必ずしも良いとはなりません。すいません。
そういえば最近、書道の作品を拝見して泣いたことなんてないなぁ・・・と。
なんか、筆文字に対して否定的ですね・・・汗
PC文字ではその人らしさを表現できません。ペンと筆を比べると、
筆のほうがより変化を出せるため、より芸術的だとされてます。
ただ、そこで書かれる文字ですが、伝えるための文字が、読みづらくなる
のは仕方ない事でしょうか。私自身は読みづらい作品は、敬遠しちゃいます。
内容が伝わらなくてもよい、視覚的に面白い書き方だけを目指すのは、
文字の大切さが無くなりますし、読めなくても良いというのは嫌いです。
あ、同じことを二回述べちゃいました。すいません。
えと、例えば、上手い技術を見せつけるため、「疎密」とか「潤渇」と言って
墨量多くしすぎて読めなくなってもいい、かすれすぎて読めないとか。
縦画、横画等をうねらせ過ぎ、傾けすぎたりして読めなくして、全体的に
バランスがとれて上手いだろー的な、テクニック重視なのは、好きではないです。
テクニック重視では、中身が薄くなり、より一層、日常から疎遠になります。
大切なのは、どんな感情表現をしているのか、鑑賞者にどんな思いが伝わるかだと
思っています。
まずは、どうみても読みやすくていいと思うんです。相田みつを作品みたいに。
読める作品のほうが、結果的に庶民に愛され、長く時代に残ります。
今日も、とりとめの無い事を。乱筆失礼しました。
文字の歴史は、刻む彫る→筆で書く→ペンで書く→PC等で打つ・・・
今や、ペンで書くとかPCで文字を打つのは日常行為ですが、
筆のほうが芸術的で、心がこもっている・・・などと言われます。
ただ私自身、正岡子規の絶句三句などは拝見して感動しましたけど、
その三句にそえられている活字文章のほうに、一層目頭が熱くなりましたし。
普通に活字の小説を読んでも泣きますし。感動を伝えるには
筆が必ずしも良いとはなりません。すいません。
そういえば最近、書道の作品を拝見して泣いたことなんてないなぁ・・・と。
なんか、筆文字に対して否定的ですね・・・汗
PC文字ではその人らしさを表現できません。ペンと筆を比べると、
筆のほうがより変化を出せるため、より芸術的だとされてます。
ただ、そこで書かれる文字ですが、伝えるための文字が、読みづらくなる
のは仕方ない事でしょうか。私自身は読みづらい作品は、敬遠しちゃいます。
内容が伝わらなくてもよい、視覚的に面白い書き方だけを目指すのは、
文字の大切さが無くなりますし、読めなくても良いというのは嫌いです。
あ、同じことを二回述べちゃいました。すいません。
えと、例えば、上手い技術を見せつけるため、「疎密」とか「潤渇」と言って
墨量多くしすぎて読めなくなってもいい、かすれすぎて読めないとか。
縦画、横画等をうねらせ過ぎ、傾けすぎたりして読めなくして、全体的に
バランスがとれて上手いだろー的な、テクニック重視なのは、好きではないです。
テクニック重視では、中身が薄くなり、より一層、日常から疎遠になります。
大切なのは、どんな感情表現をしているのか、鑑賞者にどんな思いが伝わるかだと
思っています。
まずは、どうみても読みやすくていいと思うんです。相田みつを作品みたいに。
読める作品のほうが、結果的に庶民に愛され、長く時代に残ります。
今日も、とりとめの無い事を。乱筆失礼しました。