綺麗なだけが「書」ではない。「書」を追及している人は、綺麗に書けて当たり前。
綺麗な「書」は、個性があるとはいえない。それでは展覧会には通用しない。
「書」の現代性を追求しよう。・・・等とアドバイスをいただいています。
まだ数枚しか書きなぐってませんが、
自分の書を確立するために、綺麗さから離れて下手に書くことがあります。
こういう「書」は、下手というのか、味があるというのか、面白いというのか、個性的というのか・・・。
(今の展覧会の大先生の作品を観ると、読めない書を五感で感じ取れっていう時代なのかな。)
ある書籍の言葉を載せておきます。
「文字とは、奇瑞を記し、吉兆を知り、天を動かすためのものである。
個人のためにつくられたものではなく集団に与えられた恩寵だった。」
古典を大切に書の勉強をしていると、こういう言葉で、書に対しての疑問が起こります。
書とは、集団としての産物なのか、個としての産物なのか。
集団とするならば、単に書の派閥をさすのだろうか。
集団といえども、一般人・大衆・初心者などは含まれないのだろうか。
・・・では、ふと思った、どうでもよさげな事を書きなぐりました。乱筆失礼しました。