青葉学習塾・書道教室へようこそ!

宮城県白石市で学習塾、習字教室を開いております。思いついた事をメモ書き程度につぶやいて、後に反省し、修正したりしてます。

「書道芸術 見て読む中国」を読んで その4

2019年05月14日 | 書道
またまた読みました。



「 中国書道では、作品の中の漢字は形を持つ物象であり、一定の筆法、字法、章法に従い、

 秩序、順序があり、一気に書き上げるものである。それにより作品が時間芸術としての

 過程の美や動態の美を帯びる。・・・誰もがなじんでいる規則に従って読める字を

 書きあげることで、鑑賞者は親しみを感じ、そこから啓示や挑発を受けることができる。

  書道家のねらいは形に情を託し、理性で筆を運ぶことにある。唐の書道評論家、

 孫過庭がその『書譜』の中で「情が動き、形がものを言う。陽ののびやかさから陰の惨めさまで、

 すべてが天地、自然の心のままに」と述べている。

  書道の表現した感情は古代の『詩経』『楚辞』などの詩文に表れた感情と共通している。

 即ち文学的才能や文学的教養に根差した穏やかで、誠実、そして高雅で自然な感情であり、

 それは偽らざる内面世界の反映であって、

 無意識や潜在意識、非理性的な感情ではなく、人を驚かそうとする奇矯感情でもない。

 中国書道の目的は人の心弦を動かし魂を慰めることであり、官能を挑発し刺激することではない。」

―――

と、筆者の見識が述べられていました。



 日本では、墨象作家は非文字性も求めたりするし、筆ではないものを使って作品製作を

することもあります。

ただ、他の部門、漢字・仮名、調和体で、読めないような方向性で作品制作を

した場合は、良いのだろうか?

それで新しい書体を発見したとしても、評価するのは審査員の先生次第です。

一般人が、展覧会に来て感動し、筆を持ってくれるわけでもないですし。

パフォーマンス宣伝を一生懸命にしたところで、一般人が日常で筆を持とうとしない、

馴染めない親しめない限り、すでに衰退ジャンルなのだと思います。



展覧会作品製作もしばらくしたら終わりますし、小筆の日常書から、勉強しなおそうかなぁ。

書家ではありませんけど、衰退ジャンルオタクとして頑張ります。

乱筆失礼しました。