またまた読みました。
「 中国書道では、作品の中の漢字は形を持つ物象であり、一定の筆法、字法、章法に従い、
秩序、順序があり、一気に書き上げるものである。それにより作品が時間芸術としての
過程の美や動態の美を帯びる。・・・誰もがなじんでいる規則に従って読める字を
書きあげることで、鑑賞者は親しみを感じ、そこから啓示や挑発を受けることができる。
書道家のねらいは形に情を託し、理性で筆を運ぶことにある。唐の書道評論家、
孫過庭がその『書譜』の中で「情が動き、形がものを言う。陽ののびやかさから陰の惨めさまで、
すべてが天地、自然の心のままに」と述べている。
書道の表現した感情は古代の『詩経』『楚辞』などの詩文に表れた感情と共通している。
即ち文学的才能や文学的教養に根差した穏やかで、誠実、そして高雅で自然な感情であり、
それは偽らざる内面世界の反映であって、
無意識や潜在意識、非理性的な感情ではなく、人を驚かそうとする奇矯感情でもない。
中国書道の目的は人の心弦を動かし魂を慰めることであり、官能を挑発し刺激することではない。」
―――
と、筆者の見識が述べられていました。
日本では、墨象作家は非文字性も求めたりするし、筆ではないものを使って作品製作を
することもあります。
ただ、他の部門、漢字・仮名、調和体で、読めないような方向性で作品制作を
した場合は、良いのだろうか?
それで新しい書体を発見したとしても、評価するのは審査員の先生次第です。
一般人が、展覧会に来て感動し、筆を持ってくれるわけでもないですし。
パフォーマンス宣伝を一生懸命にしたところで、一般人が日常で筆を持とうとしない、
馴染めない親しめない限り、すでに衰退ジャンルなのだと思います。
展覧会作品製作もしばらくしたら終わりますし、小筆の日常書から、勉強しなおそうかなぁ。
書家ではありませんけど、衰退ジャンルオタクとして頑張ります。
乱筆失礼しました。
「 中国書道では、作品の中の漢字は形を持つ物象であり、一定の筆法、字法、章法に従い、
秩序、順序があり、一気に書き上げるものである。それにより作品が時間芸術としての
過程の美や動態の美を帯びる。・・・誰もがなじんでいる規則に従って読める字を
書きあげることで、鑑賞者は親しみを感じ、そこから啓示や挑発を受けることができる。
書道家のねらいは形に情を託し、理性で筆を運ぶことにある。唐の書道評論家、
孫過庭がその『書譜』の中で「情が動き、形がものを言う。陽ののびやかさから陰の惨めさまで、
すべてが天地、自然の心のままに」と述べている。
書道の表現した感情は古代の『詩経』『楚辞』などの詩文に表れた感情と共通している。
即ち文学的才能や文学的教養に根差した穏やかで、誠実、そして高雅で自然な感情であり、
それは偽らざる内面世界の反映であって、
無意識や潜在意識、非理性的な感情ではなく、人を驚かそうとする奇矯感情でもない。
中国書道の目的は人の心弦を動かし魂を慰めることであり、官能を挑発し刺激することではない。」
―――
と、筆者の見識が述べられていました。
日本では、墨象作家は非文字性も求めたりするし、筆ではないものを使って作品製作を
することもあります。
ただ、他の部門、漢字・仮名、調和体で、読めないような方向性で作品制作を
した場合は、良いのだろうか?
それで新しい書体を発見したとしても、評価するのは審査員の先生次第です。
一般人が、展覧会に来て感動し、筆を持ってくれるわけでもないですし。
パフォーマンス宣伝を一生懸命にしたところで、一般人が日常で筆を持とうとしない、
馴染めない親しめない限り、すでに衰退ジャンルなのだと思います。
展覧会作品製作もしばらくしたら終わりますし、小筆の日常書から、勉強しなおそうかなぁ。
書家ではありませんけど、衰退ジャンルオタクとして頑張ります。
乱筆失礼しました。