またまた読みました。
「書は人を以て貴しとす」という言葉について書かれていました。
――
宋時代の名将岳飛の書は、真筆ではないとも指摘が生じたが、
彼の高尚な人柄とともに、今でも評価されている。
一方、明末の張瑞図の書は、魅力はあるが、
後世の書論家は、彼の人柄を嫌ったため、言及されたり
研究されたりすることも少なかった。
人柄からその書を軽んじてしまい、書の持つ本来の価値をおとしめて
しまうならば、これは芸術的な角度からすると、大変残念な事である。
しかし、一方で書は君子(人格者)の芸であり、鑑賞者は書を見る時に
どうしてもその作者を連想してしまう。
人柄と作品を、完全に分けることは難しい
――
まとめるとこんな感じの内容でした。正直な感想を述べるなら、
(書道を真面目にやっている御方はスルー願います。)
現在の書の評価は、権力ある審査員のいる団体に所属し、
そこで出費をかえりみず立ち回れる御方が、良い書を書く(賞を貰う)
ってことじゃないのかなぁ。
あ、これも愚痴になるのかな。まあいいや。
今年も、とある大手展覧会に出品しました~。
個人で出すと落選確定なので、他地域の団体から出しました・・・爆
私は、人格者でもなんでもないから、賞とは程遠いことがわかります(笑)
雑なので、後ほど文面を修正するかもしれません。
「書は人を以て貴しとす」という言葉について書かれていました。
――
宋時代の名将岳飛の書は、真筆ではないとも指摘が生じたが、
彼の高尚な人柄とともに、今でも評価されている。
一方、明末の張瑞図の書は、魅力はあるが、
後世の書論家は、彼の人柄を嫌ったため、言及されたり
研究されたりすることも少なかった。
人柄からその書を軽んじてしまい、書の持つ本来の価値をおとしめて
しまうならば、これは芸術的な角度からすると、大変残念な事である。
しかし、一方で書は君子(人格者)の芸であり、鑑賞者は書を見る時に
どうしてもその作者を連想してしまう。
人柄と作品を、完全に分けることは難しい
――
まとめるとこんな感じの内容でした。正直な感想を述べるなら、
(書道を真面目にやっている御方はスルー願います。)
現在の書の評価は、権力ある審査員のいる団体に所属し、
そこで出費をかえりみず立ち回れる御方が、良い書を書く(賞を貰う)
ってことじゃないのかなぁ。
あ、これも愚痴になるのかな。まあいいや。
今年も、とある大手展覧会に出品しました~。
個人で出すと落選確定なので、他地域の団体から出しました・・・爆
私は、人格者でもなんでもないから、賞とは程遠いことがわかります(笑)
雑なので、後ほど文面を修正するかもしれません。