青葉学習塾・書道教室へようこそ!

宮城県白石市で学習塾、習字教室を開いております。思いついた事をメモ書き程度につぶやいて、後に反省し、修正したりしてます。

仮名 いろは その2

2016年04月26日 | 書道
潤渇と、太い細いの変化に気をつけて書きました。あとは、意連にも気をつけました。

練習なので、ロール紙の裏のざらざらな面を使って書きました。


次からは、変体かなを覚えていく勉強です。

変体かなを覚えるのは、あまり好きではないです。まあ、嫌いでもないですが。

今回は作品を書いている訳ではないから、地味な基本を身につける作業をしております。

仮名 いろは その1

2016年04月25日 | 書道
仮名の勉強は、社会人になってからあまりしていませんでした。

好きな元永本は鑑賞ばかりしていました。

偶然、近所に上手い仮名の先生がいるという事で、挨拶をしに行きました。

今の所、月1回程度、作品鑑賞や雑談をしたりし、3か月ほど続いています。


仮名で一番の基本は、まず、「いろは」を綺麗に書く事です。

私たちは、いつも読み慣れていますが、実際の所、小筆を使って書くと、

基本を身につけないと、書けないという事がわかります。

ペンや鉛筆にはないコツがあります。


基本なのに、手本通りに書けない自分が情けないです。

このいろはを自己流で書いたとしたら、それは下手という事でしょう。

ある程度書けるまで辛抱し、何度でも反復しようと思います。


小筆、頑張ります。

関戸本 その1

2016年04月24日 | 書道
仮名「関戸本古今集」の見開き2ページを臨書しました。

金染という半紙の緑色を使いました。けど、画像にしたら色が無くなってしまったようです。

今回は、字形、移動法、潤渇に意識して書きました。

展覧会作品も書かなくてはいけないが、それと両立して、

小筆で、ハガキや手紙がスラスラと書けるようになりたいです。


展覧会に、日常書のジャンルがあって欲しいなぁ。

短歌 その1

2016年04月23日 | 書道
雑誌を参考にして、歌を書きました。

変体かなは、慣れるまで大変です。だけど、流れが綺麗になります。

右と左では、どっちがいいかなぁ。

「はるさめに にほえるいろも あかなくに かさへなつかし やまふきのはな」

書を語る(1)を読んで その5

2016年04月22日 | 書道
「芸術と書(文芸評論家 寺田透)」を読みました。

この評論によると、

「書はこれ(書作品)を読むことが可能なのである。反対に、絵画や彫刻は、ひとの知覚を求め、それを分析させ、

自身の内容を想像させるという風に機能する。」

「書はこれを視覚芸術とみなそうとしても他のそれとはずいぶん性格の異なったものである。のみならず、それは

記号の定着として、既知のものをひとに伝える役割を持たねばならず、新しい世界の造営とは本来別のことをする。

それが新しい世界を成り立たせるとすれば、文字に託された意味がそれを可能にするのであり、書はそれへの通路、

それの手段でなければならない。」

と、述べてありました。



前衛書家を目指すのならば、非文字性を追求していく事も必要です。

自身の姿形を見せる書は、個性と呼ばれるのかもしれないが、

基本を踏まえた上で、相手に伝える事をしていきたいです。

書を語る(1)を読んで その4

2016年04月21日 | 書道
「デザインと書(グラフィックデザイナー 亀倉雄策)」を読んで。



筆者の論評によると、

「私は素直で、しかも一生懸命で、そしていい書が好きだ。いい書というのは、その素直さのなかに、

味わいや、哲学的な深さ、明快な雰囲気が、作らず構えずに自然とにじみ出たものである。

だから人間性の高さとか深さが、書では露骨に現れてしまう。

こんなに露骨にごまかせない芸術というのは、他にないのではなかろうか。

人間の浅はかな、いっさいの粉飾をよせつけないのが書の芸術だと思う。」

「書のきびしさにくらべればデザインなんか、どんなにもゴマかせるという気がする。

デザインは計算で効果は成り立つ所業だが、書は計算では成り立たない。

そこがデザイナーのわたしからみると書は面白いと思うのだ。」

「デザイナーがよほどしっかりと『書』というものを見つめ、そしてそれを新鋭な感覚で処理してみせないと、

書とデザインの結合は次第に消滅してしまうだろう」

と述べてあった。


最近は、岡本太郎さんの書をよく見かけます。その書き方の特徴は、デザイン書を取り入れたものです。

岡本さん以外にも、大胆な書き方をしているのを見かけます。

書は古典重視だとよく話を持ちかけられるが、今は、デザインと書の融合があたり前になっています。


私は、デザイン書の良しあし判断は置いといて、良い所は参考にしたいと思っています。

一回書いて終わる書と違って、デザインは細かい修正など、やり直しがききます。

様々な色を使ったり、紙面にもこだわりが無く、何でもありでスケールも大小様々です。


私から見ると、理詰めで何度も多様な方法で、書き直していくデザイン書の方が、細かい作業で

ごまかせないものだと思っています。書はもっと気楽なものではないでしょうか。

まとめると、デザイン書に負けないよう細かい作業を、一回の動作で自然に書いて表現するというのが、

今の書作品には必要不可欠ではないかと思います。

そのために、筆を持って日々練習しているのだと思います。


ただ、コンピュータのように細かくミリ単位に注意して書くというわけではなく、

自身の人間性を、大胆かつ繊細に、自分らしく表現できればそれで良いと思います。


まあ、どちらにしても、楽して作品製作はできないですね。

風信帖(空海) その4

2016年04月20日 | 書道
最澄の久隔帖も好きです。

どちらかというと、こちらの方が風信帖よりも落ち着きがあり、上品に書かれている気がします。

ただ最澄よりも空海のすごい点を挙げるなら、空海の書は太い細いの変化が大きい点かと思います。

最澄のはおとなしいです。

空海のその変化の激しさから、力強さがこれでもかというくらい伝わります。



今のペン字の時代、太い細いの変化は気にしないで文字が書けます。

太細の変化といえば、活字や賞状などで、縦画が太く横画が細くなっているのをみて、

綺麗に見えるというのを、知っている程度です。



今回書いた半紙では、筆を使うからには、いろいろな太い細いの自然な変化を

身につけていきたいです。

臨書!甲骨文 その2

2016年04月19日 | 書道
一本の線をひくのでも、筆の角度によって、変化が生まれます。

筆に同じ量の墨液を含んでいる時、同じ速度で線を引いても、

筆の軸を進行方向側に傾けて書くと、潤筆(墨が出る状態)になり易く、

軸を進行方向の逆側に傾けて書くと、渇筆(墨が出ない状態)になり易いです。

ペン字の時代だから、私も最近まで、その仕組みを知りませんでした。

てへっ(*´・∀・)ふっ…


甲骨文は、字形の面白さを、線の強さで表現しなくちゃなりません。

筆の傾きによって、潤渇の変化が出せるので、色々試しております。


ただ、書道の流派によっては、筆を傾けてはいけないという団体も

あるそうなので、筆を傾けるのが絶対に正しいとは、いいません。

風信帖(空海) その3

2016年04月18日 | 書道
風信帖の特徴の一つは、角に強い圧をかけている事です。

たとえば「恵」の3画目、横から縦に変わる角、そこで強い圧をかけてから縦線をひいています。


一般的に行書・草書体といえば、(楷書より)曲線が多く丸みを帯びて書きます。

だが、風信帖では角をしっかりと書く事があり、それにより空海の「力強さ」が伝わってきます。


何かしら特徴を見つけ、学ぶ事で、私自身の書き方が、

「今までの自分の書き方」だけでなく「力強い書き方」も使って、表現ができるようになります。


創作作品を作る上で大切なのは、今まで身についている自分の書き方が悪いという考えはしません。

自分が悪いと思ってしまえば、面白くありません。自分は自分で良いと思います。


そして「自分の書き方」だけでなく、古典臨書での「力強い書き方」などを参考にして加えていきます。

今回の力強い要素だけでなく、その他の特徴なども学び製作作品(詩文)により見合った書き方が

できるようになる事、これが大切かと思っています。


まずは基本的な古典の臨書からですが、新たな世界を開拓したい。

風信帖(空海) その2

2016年04月17日 | 書道
大筆で書いても、日常のペン字に活かせないって、思ったりしてます。


ただ、大筆で書くメリットとは、

「細かい所まで見て、のびやかに書く事ができる」という事ではないかと思います。


私自身、今回の臨書をペン字に活かすなら、

てへん、あめかんむり、などを参考に、日常のペン字の際に、思い出して書いてみます。

こうやって少しずつ応用練習していくと、楷書でしか書けなかったペン字が

少しずつ行書でも書けるようになっていきます。


むきになって、最初に草書など難しい古典(特に狂草)を学んでも、いきなりペン字に活かすことは難しです。

訳が分らないのを、ためになるからと勘違いして学んでも、自分の肥やしにはなりません。


まずは基本的すぎるかもしれないですが、空海風信帖で

ほんの少しの変化を見つけて、日常でも実践していこうと思います。

これが自然に書く「自分の書」の一歩ではないかと思います。