アンを探して Looking for Anne

「赤毛のアン」の島、プリンスエドワード島でオールロケ!第5回AFFF(シンガポール)で最優秀監督賞、グランプリを受賞!

「私のおばあちゃん」優秀賞2 堀永伶子さんの作品

2010年09月02日 | お知らせ
「お早うございます」おばあちゃんは週に一回、田万川から汽車に乗ってやって来る。萩のお弟子さんに、お茶とお花を教えるために、一泊してから帰っていく。大好きなおばあちゃんなのでずっと我家に居れば良いと子供心に思っていた。
明治・大正・昭和を生き、二人の子供を育てながら教職に従事したおじいちゃんもそうであった。退職後は自然に恵まれた田万川の地で悠々自適な日々を送っていた。この二人の長女が私の母である。
おばあちゃん達の生活と、我が家の時間の速さが違っていた。
引き上げてきた父は旅館であった家を購入したためしばらく使用人を使って母が慣れない経営をする。父は二つの診療所に昼・夜と通う歯医者。
そんな忙しい両親であったので四人姉妹の末娘の私にかまっている暇はなく、週に一度来るおばあちゃんを心待ちにしていた。それを知ってか、おばちゃんはお茶とお花を教えてくる傍、一週間分の話を聞いてくれた。その頃の私は泣く時は「お母ちゃんー」とは泣かなかった。「おばあちゃんーー」と泣いていた。
いつも和服で薄化粧、にこやかで、物知りで、小柄であったが、私には大きな存在であった。怒ったり、泣いたりしない人だと思っていた。
そのおばあちゃんが泣いた!
私が高校生の時、三年間ガンで闘病生活を送っていたおじいちゃんが亡くなった。
葬儀を終えて田万川に一人で帰っていたおばあちゃん。夜、電話がなる。受話器の向こうですすり泣き。しばらくして「一人は淋しいね・・・淋しいね・・・」今でもはっきりとその声を覚えている。
その時、おばあちゃんに対して今まで感じたことのない気持ちが湧いてきた。
限りないいとおしさ、そして今度は私が守ってあげる!
そんな私も今年還暦のおばあちゃんであります。
<コメント>
後半の部分も感涙でしたが
「お母さん」じゃなくて「おばあちゃん」と泣いていた、
という箇所に、特に著者とおばあちゃんの
無意識だけど強いつながりを感じました。


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