今年の秋山は紅葉景勝地の横綱『涸沢』に行こうと計画を進めていたが、日程が2日間しかないのと、直前の仕事のトラブルで寝不足が続いていたためアクセス含めて12時間もかかる涸沢は諦めた。
密かに温めていたセカンドプラン『木曽の御嶽山』を目的地に定めたのは出発の2日前だったが、当然こちらもいろいろと調べていたので問題ない。
クルマでのアクセス時間は上高地と似たようなものだが、こちらは山の6合目(1800m)まで自車で入れることが大きい。
木曽福島から黒沢口登山道を上がっていく。 無数の霊碑が立ち並ぶ異様な風景が広がり、御嶽山の山岳信仰がいまなお盛んなことを思い知らされる。
6合目入山口の中の湯↓ (9月で閉鎖)

樹林帯に囲まれた静かな登山道を50分歩くと7合目の行者山荘に着く。
ぜんざいときなこの「力餅ち」が名物。
ここからはロープウエーに乗った観光客が大勢登ってくる。
尾張の先達 覚明が開いた『覚明社』↓

ところどころぬかるんではいるが、きちんと整備された登山道は登山客、観光客で埋め尽くされていた。
8合目近くの紅葉↓

ナナカマドも紅いのは実だけ?

12時に6合目を出発し、14時すぎには8合目の女人堂に到着。
本日はここまでである。 ラクチンすぎる。 天候も快復傾向である。しかし今年の紅葉はイマイチ期待はずれか?
小屋番のひとの話ではこれ以上色づかずにあとは枯れてしまうだろうとのことだった。 そういえば葉っぱが茶色く枯れたものが数多く見られた。

女人堂の西覚とかいうおっさん。↓

この日の泊まりは『女人堂』 本来は行者の宿坊だが、今は登山者しか見当たらない。 自炊施設はないということで、初めて2食付で泊まる。 メシは「まあこんなものかな」という程度。 やっぱり自炊がいいなあ。 でもストーブがあるのはありがたい。
登山客もみなストーブの周りに集まってくるので、自然と見知らぬ同士の会話も生まれる。 相模原から来たという単独行のオジサンにいろいろと情報をもらい、大いに助かる。 その人によると紅葉の時期の涸沢ヒュッテは
すし詰め
であるらしい。 ひとつの布団に5人!!寝かされる?? 冗談ではない。
そんなに混んだ小屋に寝るくらいなら、外でダイレクトビバークしたほうがマシだ。
来年行くのなら絶対テント上げよう。
さて寝床は快適なはずが・・・・ いびきの4重奏で夜半まで眠れなかったが、
明け方5時には目が覚めた。
5時半 日の出直前の様子↓ 木曽谷に雲海が広がり、彼方には中央アルプスの山脈み。 甲斐駒の雄姿も望まれる。

ご来光。 横着にも部屋からの眺めである。

朝日に輝く山腹の紅葉↓

モルゲンロートに染まる御嶽山↓

朝食を食べて、7時いざ出発↓ 快晴だあ

女人堂からは右に1kmくらいトラバース。 三の池を目指す。
こちらは登山者がほとんどいない。 普通は三の池のご神水を汲んで、
下山に使用するようだ。
稜線から三の池を振り返る。 カルデラ湖だね。
この辺は風が強く寒い。

開田山頂上。 白竜教会の社↓ 朽ちかけていますが・・・

急に視界が開けて頂上稜線が広がっている。 なにしろこの山の頂稜は南北に4km 東西にも1kmの広がりを持っているのである。
賽の河原に無数に立つ仏像↓ 風車が哀しい。
なんか知らんがピカチュウまで奉ってあったぞ。

ちょっと日本離れした風景が広がっている。 標高2900mの大地に
こんなに石積みの碑があるとは驚きである。

ここから二の池に戻るようにトラバースしていく。
コバルトブルーに染まる二の池 日本最高所の池?
ここでゆっくり休むにはちょっと風が強い。 チャリンコを担いだ若者が登って来ていた。 いつの時代も自転車バカは同じである。

さあそれでは頂上が待っている。 あと150mがんばるぞ。
いたるところにこのような行者の像がある。 こんなでっかい石像をどうやって運ぶのだ。
はるか雲海の上から下界を見下ろして何を思う↓

11時30分ようやく剣が峰の頂上到着。はるか北には槍・穂高連峰が望まれる。
今気がついたが信号機一家である。↓

さすがは日本を代表する霊山(富士山、白山、立山と並ぶ)である。
この頂上の鳥居を見よ。そしてそれに続く参道は立派な石段なのである。
でもくどいようだが、白装束の信者は一人も見かけなかったぞ。

頂上の社を後に、秋晴れの中下山↓

下山後は温泉に浸かったあと本日のメインイベント。
そばの名産地『開田高原』の新そばを食べるのだ。 しかし行けども行けども開いてるそばやがない。 みんな無情にも
『本日終了』の札ばかり。
これって本日のそばは売り切れってこと?
しかしなんとか1軒だけ開いていた。 まつこと15分。
うっ うまい!!!!!!!!!!
解説は何もいらない。新そばの香り高い、そして喉越しのよさが比類がない。
幸せである。


帰りは相模原のオジサンに教えてもらった地蔵峠越え、そして権兵衛トンネルを取って伊那に出た。 渋滞は35kmなのでまたも秋川街道で帰った。