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traditional climbing

クライミングスタイルにうるさいオヤジ系クライマーの日記
 クラック、スラブを愛するクライマー歓迎します。

大会終了

2013年07月25日 21時33分47秒 | へなちょこ登山隊

今年の3月に召集されてから約4か月。 特に5月後半に正式に選手として登録されてからの2か月は我々としては集中して練習を積んできた。

その国体予選関東ブロック大会7/21,22が終わった。 

 

結果は神奈川県は少年男子で7県中5位 (東京はオープン参加のため順位に含まず)

まあ実力通りの結果と言えばその通り。 茨城、千葉、埼玉の3強を崩すどころか、4位の栃木にも大差をつけられた。 

改めてレベルの差をまざまざと見せつけられた。 

この結果をしっかりと受け止めて、精進してもらいたい。 

もちろん来年もこのメンバーで臨むのかはわからない。 カイトもテッペイも今年は選ばれたが、来年どうなるかはわからない。 

とりあえず目指すべきレベルはオンサイトでリード13a ボルダーは初段でないと本選に残れないだろう。(最高グレードではなくほぼ初見完登できるという意味)

そのためにはコンディショニングを含めて競技モードでないと無理だな。

私は急造監督で大した役には立たなかった。 国体に携わるのも初めてで勝手がわからずお客さん状態だったことは反省。 競技要綱は直前に読み込んだものの、肝心のルールなどは渡されておらず、把握できていなかった。 

ためにリザルトの間違いを時間内に抗議できず、正式発表は1完登少ない記録となってしまった。 これは監督である自分の責任である。

仮発表から10分しか抗議を受け付けないというルールらしかった。 気が付いてから審判室に抗議にいったが受けつけられず。

しかし判定をめぐる抗議はともかく、今回の間違いはジャッジペーパーでは完登となっていたものの、運営側の転記ミスであり、訂正してくれてもいいのではないかとも思った。 結果的に順位に関係ないポイントだったが、これで本選進出を逃したら取り返しがつかないところだったことを思うと釈然としない。

まあ来年はこのような役目は回ってこないとは思うが、非常に気疲れした2日間であった。 とにかく選手のアテンプト中は胃がねじくれるほど緊張してしまった。 うまく指示も出せていなかった。 

やっぱり自分はコンペでは役立たずであることがよくわかった。 外岩を見る目はある程度自信があるものの、ハリボテだらけのルートセットはイメージもわかず、ムーブの解析には程遠い。

来年はビレイヤーでもやらせてもらいますだ。

ところで少年女子は健闘して4位。 昨年よりも順位を上げた。 惜しくも出場ならずだったが、力を出し切れたのではないか。 成年女子もトシには勝てず? 残念ながら神奈川県は今年も本大会の出場はなりませんでした。 

最後に役員のみなさんお疲れ様でした。

果をだせず申し訳ありません。 すべては私の力不足です。

 


春遠きみちのく

2013年04月23日 14時00分42秒 | へなちょこ登山隊

話が前後したが春休みに家族で東北に行ってきた。

3月30日、31日に平泉と南三陸町を訪ねた。

アニマル家の2012年~2013年はダブル受験で勝負の年だったし、喪中でもあったので特に正月気分もなく、レジャーもなしであった。 (遊んでいたのは杖ついた親父だけ)

R馬は大学受験

Tetsuは高校受験

年が明けて受験が始まると連戦連敗。 

Tetsuは塾の方針で受験した国立とソーケーに落ちたのは想定内。悪くても併願は行けるからいいとして

R馬は第2志望のW大理工も× 98%受かると豪語していた私立大も落ちて、すでに浪人覚悟。 珍しく自分の甘さに対して悔しさをにじませていた。 そんな愚息に私は「まだ戦は終わってない。 最後の国立を諦めるな」

二人とも本命の発表を残すのみとなった。 

結果は「桜咲く」

R馬は国立の理系総合大学 T工大第2類 合格。

Tetsuは兄貴と同じ県立トップ校 横浜S嵐 合格。

本人たちの頑張りを称えたい

そしてカミさんの心労もさぞや・・・ 

というわけで最近家族揃ってということもなかったので、小旅行に出かけることにしたのだ。

 

中尊寺から北上川を望む

どこに行こうかかなり考えたが、震災から2年を迎えて、いろいろあの時のことを思い出した。 家族の絆を考えるときあの出来事をもう一度考える旅にもしたかったし、いまあちらがどのようになっているのかをこの目で見たかった。

目指すは南三陸町、宿は津波の被災者が避難場所として使っていた「ホテル観洋」。 しかしせっかく遠くまで行くのだから観光もしたい。 

以前から行きたかった平泉に足を延ばした。

中尊寺金色堂 

よく晴れた日だったが、さすがにみちのく。 横浜とは気候がひと月違うようだ。 風が冷たい。

能楽堂

 

ところどころに雪が残る。

わずか3代100年の栄華と言えばそれまでかも知れないが、奥州藤原氏の豊かさ(物心両面で)を感じることができた。  義経も都に上らず、ここで暮していたらどんな人生を送ったことだろう。 また日本史はどのように変わっていただろう。 しかし源氏の血がこの平和な国にとどまることを許さなかったのだろう。

 

 午後は毛越寺に寄った。

 

500円で一回撞ける鐘。 

 

平泉から車で1時間半 南三陸町に夕方着いた。 海岸線のガレキは片付けられていたが、山になったままである。 建物は鉄筋のものを残して流されており、荒地のままだった。 1年前石巻の海岸線を見たときと同じ感情に襲われ言葉もなくホテルへ。

ホテルにはたくさんの観光客が訪れており、外国人の姿も目立って多かった。 ホテルから見る三陸の海はとてもきれいで、おだやかな景色であり、とても十数メートルにおよぶ津波が襲ったとは思えないところだった。

夕食の膳

 

明けて31日

朝日が見える露天風呂で朝湯の贅沢。

ウミネコが乱舞しており、にぎやかである。 

午前中「語り部バス」というのに乗って被災地の様子を説明してくれるガイドツアーに参加した。

あいにく天候が崩れて、雪交じりであったが、あの震災のときもこのように寒かったのかと思うと被災者の苦労が偲ばれた。

決死の避難勧告で有名になった。防災庁舎

津波の力で鉄骨が飴のように曲がっている。

ここを取り壊すのか保存するかで町を2分する議論がまだ続いているらしい。

テント村にも案内してもらった。 この日は物産展をやっていた。 まだまだみんな仮設暮らしなんだ。

ガイドさんが別れ際にこうおっしゃった。

「みなさん不謹慎だとか思わないで、ここに遊びに来てください。 人が来ることで町が元気を取り戻します。 美味しいものを食べて、お酒飲んで、温泉に浸かって、ああ東北に来てよかったと思って帰ってください。」

「そして廻りの人たちにも是非東北に旅行することを薦めてください。」「ボランティアだけが支援じゃないんです。」 「ぜひまた来てください」

来月からは東北ディスティネーションが始まる。 

次はどこを訪ねようか。

 


神奈川県ジュニア強化事業

2013年03月13日 23時01分28秒 | へなちょこ登山隊

我が家のテツだが、ようやく受験も終わり、わが世の春を満喫しているわけだが・・・

そんなヤツに一枚の赤紙(赤くないけど)が舞い込んだ。

国体強化選手の召集令状であった。

以前からY下先生から「つばつけとくよ」と言われていたのだが、高校入学前にその案内が来た。 

まあ国体の競技レベルうんぬんという議論も一時あったことは確かだが、現在もトップレベルの選手も出場している(野口、小田、是永)ことも事実。

神奈川県は実はあんまり強くないというか、全国的には弱小のほうである。

そして世代的にエアポケットのように候補選手が見つからず、テツに白羽の矢が立ったというわけだ。

強化選手のメンバー  みんな身体が硬いぞ! テツなんか手が床についてないし。

3/10日曜日 その選手を集めて神奈川工科大学で身体測定、体力テストなどが行われた。 いろいろな競技のアスリートのデーターを集めているようだ。

しかしこの日集まったクライミングチームのコドモたちはすべて「標準」。 競技レベルではない。

もうちょっと本気で強化しないと、本戦に進めないぞ。

テツの結果は上半身の筋肉量はまずまずだが、それに比べて下半身が弱いことがわかった。

瞬発力はあると思うが、立ちこむ力など筋持久力が足りない。

脚力測定。 

鍛えろ! 鍛えろ!!鍛えるのじゃ!!!

 

 


冬山へ

2013年03月04日 20時26分42秒 | へなちょこ登山隊

夜叉神峠から見る白峰三山 (しらねさんざん。読みます)

久しぶりに山岳会のメンバーが集まるというので、冬山に同行することになった。

と言っても計画自体は昨年から決まっていたのだが。 行き当りばったりのわが無法山岳会では予定通り決行されただけでも大したものだ。

とはいえ自営業者が多く、土日2日間を休むのにも多くの努力を要する。

私みたいな年中週末はお休みというお気楽サラリーマンとは違うのだ。

怪我以来ほとんど山に登っていない私は、若いメンバ-についていけないのではないか。

と不安がいっぱい。 結果はそのとおりになるのだが・・・ 

このコースは初めて入るので、夏道がどうなのかわからないが、とにかく行けども、行けども

こんな景色が延々と続く。 傾斜がなだらかで、ダラダラ登るだけなので、「山に登っている」という感じもあまりない。

 

このように凍結しまくっているので、途中からアイゼンを装着する。

杖立峠到着が13時半。

本日の予定地の御室小屋まであと2時間半も残しているが、早く酒が飲みたい連中は早くも幕営適地を求めて、あちこちに斥候をとばす。

実は前夜八王子にある当会のチーフリーダー宅に泊まったのだが、すぐに就寝するはずが、その陶芸家が大七の生酵純米酒など出してくるものだから午前様となってしまったのだ。

当然出発も遅れ、なんだかんだと支度のノロい無法山岳会。 登りだしは9時半を超過していた。 

結局付近に幕営できるところは見つからず、峠の支尾根にいい場所を見つけてテントを張る。

テントに入るやいなや靴を脱ぐのも忘れて”乾杯” それぞれが自分の限界値まで酒を持参しているのだから、無くなる心配はない。 

食糧は2日分しかないが、酒だけなら3日間持ちそうだ。

それでも19時には明日の支度を終えて就寝。 

風が猛烈に強く、山鳴りの音でなかなか寝付けなかったが、この場所は直接風があたらない地形であり、リーダーたちの選定眼は確かなものだ。

明けて3月3日(日) 

夜半の暴風も未明には落ち、寒気も抜けたようだ。

予定通り5時出発。 昨日はるか下にベースキャンプを張ってしまったので、今日は11時間行動を覚悟する。

昨日テン場を探してうろうろしていたところから30分ほどで、幕営適地を見つけたが、昨夜の風ではかなりキツかったと思う。

雪は閉まっていて、足首くらい。 苺平まではコースタイムどおり抜ける。 

雲海の上に顔出す富士山。

 

 

御室小屋着は8時前 いいペースだ。

小屋は大半が雪に埋もれている。 今日は静かで暖かな景色だ。

風もなく陽の光が気持ちがよい。

ここから山頂まで夏の時間だと1時間30分とあるが、ラッセルもあり、雪に足を取られてなかなか進まない。

結局2時間半近くかかって薬師岳へ。 

上の写真は砂払い岳からの北岳バットレスと左に間ノ岳、もっと左奥に農鳥岳が見える。

展望がいいのはコース全体の2%くらいで、大半は樹林帯の暗い道をひたすら歩く。

このコースはあんまりお買い得ではなかった。 

まあ白峰三山の絶好の展望台で、それを見るためにずっと頑張って歩いてきたと思えばこの景色もご褒美なのだが。

帰路は体内グリコーゲンが枯渇し、足を前にだすのがやっと。 4時間半の長い長い下降の末駐車場に戻った。

眼下の薬師岳小屋と薬師岳 奥には観音岳もみえる。

 

今回テント、大型コッフェルを担いだタカハシ。 ありがとう。

食当として生の重い鍋食材を運んで作ってくれたフルヤ。 ありがとう。

リーダーを務め、前夜泊めてもらったヒデヤ。ありがとう。

今回はみんなに世話になった。 というか私がいなければ、もう少しペースが上がったと思うと申し訳なし。 次回までにはもう少しトレーニングしてきます。

 

 


"逍遙" 越中~黒部の山旅その8 「補遺」

2010年10月24日 21時28分22秒 | へなちょこ登山隊

自分なりの備忘録ですので、興味の無い方は読み飛ばしてください。

 

【この山域の概要】
10月の状態です。

  1.紅葉・・・・ 

10月6日立山入山時、弥陀ヶ原が見頃。 概ね2,000m前後のラインが10月中旬の見頃でした。 登山道よりも山腹がきれい。 特にスゴ乗越し付近、黒部湖付近、

双六~三俣山荘の巻き道、黒部五郎の東面、鏡平小屋

  2. 指導標、マーキング・・・・ 

要所には鋼鉄製?の指導標があるが、いわゆるT字型の指導標はほぼ朽ちかけて倒れていた。 森林限界を歩いたので、テープよりも岩へのペイントを頼りにした。

視界が悪いと迷いやすい箇所はザラ峠、太郎平、日本庭園(雲の平)、三俣蓮華~黒部五郎への巻き道。

ガスだけでなく、降雪があればこれらのマーキングも隠れてしまう。 コンパスと地形図が使いこなせなければルートを失う恐れ有り。 持っているだけでなく正しい使用方法を身につけたい。

  3.登山道・・・・ 

よく踏まれているので、明瞭である。 整備もそれなりにされているが、薬師沢への下降路に一部危険箇所あり。 黒部川源流の渡渉点(雲の平~三俣山荘)は増水時は注意。 

  4.山小屋・・・ 

水晶小屋、スゴの小屋、黒部五郎の小屋は9月の連休後休業。 その他の小屋も10月の15日~20日くらいで閉まる。  混雑時以外はテント泊でも食事のみ頼める。 (要確認、断られることもあるのでその準備も必要。)

  5.水場・・・ 

立山~五色ヶ原~スゴ~薬師峠までは水場はない。 スゴの小屋が閉まっているため揚水ポンプが稼動していない。 五色ヶ原山荘で水は分けてくれた(事前に確認) 薬師峠、薬師沢、雲の平キャンプ場、三俣のキャンプ場、双六小屋には豊富な水場あり。 黒部五郎カールも水は豊富

  6.装備・・・・

アイゼンが必要との意見もあるが、持参せず。 根雪になるまえのこの時期の新雪はアイゼン、ピッケルなどが役に立たないと考える。

もちろん大雪が降らないとは限らないので、天候の見極めが前提になるが。

 


 

【装備などの反省】 

  1. 体調管理・・・ 

長い山行では体調管理、コンディション作りが最重要になる。
拙者の場合は酒を控えることが一番の体調維持であった。 入山前々日から断酒し、
酒を持参せず、薬師を超えるまでは1滴も呑まなかった。その後も缶ビール1本または湾カップ1杯に抑えた。 (9日の停滞日は少々呑み過ぎたが)

またサプリメントはマルチビタミン、コンドロイチン、BCAA、ブドウ糖、梅干などを摂取。
疲労回復に役立った気がする。

   2.雨対策・・・・ 

極力雨では行動しない主義だが、9日は3時間行動してみた。 結果は雨具が機能不全で、下着まで浸水。 普段雨の中を長時間行動しないため、自分の雨具の現在の性能を確認できていなかった。

またオーバー手袋を使用したが、雨具の袖を伝って浸水するため、効果を発揮できず。
降雨時の手の保温について再考の余地あり。

ヌバックレーザーのトレッキングブーツ(10年選手でリソールしたばかり)に専用防水スプレーを塗布したが、かかとの部分よりプチ浸水。 靴下が湿る程度。

ザックカバーの防水はほぼ満足できるもので、装備はほとんど濡れなかった。

  3.寝具・・・・

スリーシーズンシュラフ(800g)+シュラフカバー+サーマレスト130cm
今回は初日以外特に冷え込むことはなく、問題なかった。 レイヤードを工夫すれば
マイナス5度くらいまでは快適に寝られると思う(寒暖の感覚は個人差が一番大きいので
あくまで参考程度に)

  4.テント・・・・  

アライのゴアライズをシングルウオールテントとして使用。 今回は雨の日は山小屋に泊まるなどしたため、どの程度の雨に耐えるかはわからない。 初日の霜での浸水を考えれば、フライはあるにこしたことはない。 ゴアラミネートのため結露はなかった。 近場の山でフィールドテストの必要あり。

  5.バーナー・・・

 JET boilを使用。 食事は簡素にしたため、ほとんどお湯を沸かす程度しか使用していない。 そのせいもあり100gのカートリッジ1缶で7日間の山行をまかなってしまった。 (山小屋で5食調達)

全食自炊であっても2缶あれば充分であった。

  6. ファーストエイドキット・・・

 テーピングテープ(足首用)、ガムテープ3m、細引き、爪切り、ナイフ、消毒シート、キズパワーパッド、カットバン、目薬、胃腸薬、風邪薬

三角巾、弾性包帯、滅菌ガーゼ、ラテックスグローブ
 
  7.通信その他・・・・ 

携帯電話(Foma) 予備バッテリー2個 薬師岳山荘で一度充電したのみ。 予備バッテリーの容量は少なく、2個使用してもフルチャージできない。

本当の緊急時には心もとない。

電波状況はよくない。 薬師岳、黒部五郎岳頂上ではメール送信可能であったが、その他では圏外。 各山小屋は衛星電話を常備しているので、1分間100円で借りられる。

公衆電話もあるが、テレホンカードが必要。


  8. アクセス・・・  富山へはやはり夜行バスが便利で安い。 東京発で4700円




"逍遙" 越中~黒部の山旅その7「旅の終わりに」

2010年10月22日 22時29分46秒 | へなちょこ登山隊

7日目

これだけ連続して山の中にいたのは初めての経験である。

 

慣れてしまったのか、それほど長いようには感じられなかったし、下界が恋しいとは思わなかった。 予備日を使えばもう1日延ばせるが、仕事に戻る前に1日は休みたい。

ここからの行程(双六~新穂高温泉)は昨年裏銀座から下山した道なので、勝手がわかっている。

上、下ともに三俣蓮華~双六への巻き路の紅葉。

 

 

 

今朝の双六キャンプ場は冷たい風が吹きすさび、テントを撤収する指先が凍えた。

懐かしい鏡平で槍・穂高を眺めて別れを告げる。

 

 

小池新道では3連休のあとだというにの、結構な数の登山者とすれ違った。

冬へと向う山の最後の秋を楽しむ人たちなのだろう。 もうすぐ雪がやってくる。

わさび平からは観光客の姿も見られるようになると新穂高も近い。

BTには誰もおらず、静かなフィナーレとなった。 

 

山に行くなら断然秋がよい。 と痛感した一人旅であった。

 

さて次はどの山へ・・・

2010.10.12

双六小屋  06:40

鏡平     08:10

わさび平  09:45⇒10:00

新穂高温泉BT 11:25

 

 


"逍遙" 越中~黒部の山旅その6「完全なる五郎」

2010年10月19日 23時14分03秒 | へなちょこ登山隊

10月11日(月) 

 

1日半の停滞は長すぎた。

逸る気持ちを抑えながら、4時起床。

荷物を玄関に出し、朝食の用意。

黒部五郎に向う親子が出発するところだった。

今日中に折立に降りるらしい。

準備を整えて、外に出るとまたもや雨(泣)

雨具とザックカバーを装備して仕切りなおし。

 

今日こそは 必ず晴れる!!

 

 アプローチなんぞいくら降っていてもよい。

黒部五郎についたら、晴れておくれ。

 

祈りが通じたのか

 

白いベールを脱ぐように巨大な山塊が目の前に出現!

 

 

 

ガスの中から急激に黒部五郎がその巨大なスガタをあらわした。

なんとドラマティックな対面なのか。 感動である。 

 

 黒部五郎小屋は湿原と草原の中間のようなところに建っており、非常に気持ちのよいところである。 営業は終了しているが、幕営していたのが2組ほど。

 

 残念ながら青空と白い岩とナナカマドの赤、草紅葉の黄色からなる4段紅葉は写真が上手く撮れていなかった。

 黒五のカールより。

 

 カールを詰めて急登を15分で稜線の肩に出た。 ↑薬師岳

突然日本海側が目に飛び込んでくる。

 

 北の俣岳方面↑

 

 珍しく山頂にひとがいる。

 薬師をバックに撮って貰う。

 槍穂高もばっちり!

 

 

 

風が強く少々寒いので、15分ほどで下山

帰りは尾根路を行く 

 

 

 稜線に登ると突然雲海の向こうに日本海が。 そして北に遠く剣の早月尾根、すぐ近くに巨大な薬師岳、南に槍、穂高のシルエット。東には水晶岳の屏風が。 

今回の山旅のクライマックスでした。

 

 堂々たる黒部五郎岳↑

 ↑黒部五郎小屋

 雲の上に笠が岳

 

13時に予定どおり小屋に戻ると山荘では布団干し大会の真っ最中。笑顔のバイト君たちに別れを告げて双六へ

風が通り抜ける双六テント場は極寒地。トイレに行くだけで低体温症になりそう。
 ガマンできず量り売りの日本酒で身体を温める。
双六の夕食はやっぱりテンプラだった。

2010.10.11

三俣山荘 05:30  2550m

黒部五郎小屋  07:10 2300m

黒部五郎岳   09:25  2842m

黒部五郎小屋  10:55

三俣山荘     13:00⇒14:00

双六小屋    16:00  2700m


 


"逍遙" 越中~黒部の山旅その5「晴れまで待とう不如帰」

2010年10月18日 23時29分07秒 | へなちょこ登山隊

↑雲の平と鷲羽岳、ワリモ岳

 

5日目の朝

ガスと小雨が降っている。 皆出発を躊躇している様子。

しかしちょっと遅めではあるが、すこしづつ登山者が出発していく。

7時に3ガールズが槍に向けて出立。 

少し遅れてサイクリングボーイが遠く針の木方面へ向けて出発。

最後に8時過ぎP君が鷲羽と水晶へのピストンに出かけていった。

そして昨日悪天の中烏帽子から縦走してきたパーティーは今日は双六までということで、9時前に出発した。 この頃には雨は上がり、日の光まで差してきた。

 

さあこうなると独りで小屋で居場所がない。

 

小屋のアルバイトのネエチャンたちもニコニコしながら、

 

「早く出掛けなよ。 掃除ができないからさ」

 

といいたげに私の顔を見る。

 

追い立てられるように「黒部五郎岳」まで行ってきま-す。と9時過ぎに出かけることにした。

 

でも鷲羽岳の北の稜線と槍方面は晴れてきたけど、三俣蓮華と黒部方面は暗く、濃いガスに覆われたままであった。 三俣の頂上は何も見えず、コンパスで方位を確認して、尾根道を黒部五郎小屋に向けて降りていく。

小屋から2時間近く歩き、ほぼ小屋の手前まで行ったが、一向に天候回復の気配がなく、雨も降ってきた。 このまま登頂しても面白くないので引き返して明日の晴天にかけることにした。

昼過ぎに小屋に戻り、連泊の手続きをして、昼寝を決め込むが何故か眠れない。

天気はまた好転したり、雨がぱらついたりして安定しない。

そのうちにP君が戻ってきた。 鷲羽⇒水晶⇒雲の平を巡ってきたらしい。

昨日呑み過ぎたので、今日はアルコールなしで本を読んで過ごす。

夕方また天候が悪化してきた。 それと同時に登山者が続々到着し始める。

夕飯の支度はすでに始まっていて、予期せぬ客の受付と食事の追加でアルバイトはてんてこ舞いになっていた。

やはり5時近くになって、予約もなしで来られると小屋は困るのだなあ。と改めてわかった。 特に間際に10人分の追加は堪えたようだ。 もともとそれまでの予定数の倍に増えたわけだから。

そしてタダでさえ食事の支度で忙しいのに、しょっちゅう受付に呼び出されていた。

昨日あんなにいたバイト君たちはどこへいったのか。

夕方が忙しいのはわかっているのだから、ちゃんと受付に座っていればいいのに。

今日の夕食メニューはジャンボエビフライとハンバーグ。 連泊の私にはハンバーグの代わりにメンチカツが添えてあった。 お心遣いかたじけなし。

明日の準備をしてから7時過ぎに就寝。


"逍遙" 越中~黒部の山旅その4 「沈殿」

2010年10月17日 20時53分29秒 | へなちょこ登山隊

4日目 雲の平BC

朝から雨が降ったり止んだりで、すこし風が強くなってきている。

気象通報は部分的にしか聞き取れず、天気図はわからなかったが、低気圧と前線が停滞しているような感じだった。 南風がはいっているため、気温は高めで、この悪天候はちょっと長引く気がした。

とにかく今日の午後からは確実に悪くなる予報なので、基本的には停滞を決める。

しかし豪雨となった場合はこの場所での停滞は不適なので、とりあえず山小屋で荒天をやり過ごすことにしたのだが。

8時過ぎテントを撤収して出発。

 

当初は雲の平山荘へ避難する予定だったが、歩いているうちにいけそうな気がして分岐点で三俣山荘への転進を決めた。

少しでも前進しておきたいのと、黒部川源流の渡渉は水量の少ないうちに済ましておきたかったからである。

また晴れのおだやかな日よりばかりでなく、このような荒天でも少しは歩いて、自然を感じたかったというのもある。

 

しかし祖父岳の山腹に出ると風雨が強く、日本庭園を歩いているときは風圧で真っ直ぐ進めないほどであった。 しかし谷に降りれば風も弱まるだろうし、今日の行程は3時間ほどと見積もっているので、落ち着いて進む。

途中のハイマツ帯で雷鳥の親子に出会う。 

彼らはこの風雨の中でも平然としており、私が近づいてもまったく逃げる気配もない。

さすがに写真撮影をする余裕もなく通り過ぎたが、なんだか気持ちに余裕が出てきた。

祖父岳を回りこむと、雲の平の端っこに出て、眼下に黒部源流をはさんで、三俣山荘が見えた。 山腹の紅葉が見事だ。 

睨んだどおり、源流の渡渉は靴を濡らすこともなくすんだが、すでに雨具を通して全身が濡れていて、水の中を進んでいるのも同じことであった。

11時ごろ三俣山荘に到着。 

まだ登山者はほとんどいなかった。 

濡れた雨具を乾燥室に入れて、びしょ濡れのTシャツを着替え、ストーブに当たる、

下も濡れていたので、乾かす。 やはりこういうときに山小屋の暖はありがたい。

お尻が乾いたところで、昼食にカレーを注文し、真澄のワンカップをあおって暖をとる。

両方とも臓腑に染み渡るうまさであった。 

ちらほらと登山者がやってくる。

私とほぼ同時刻に来たひとと仲良くなる。

独りは同じようにテント泊の縦走者。 徳本峠越え、槍ヶ岳から来た若者。 すでに昨日から泊まっている。

独りは双六から上がってきたテント泊の単独行者。

そしてその後入ってきた女性の団体? と思ったら3人組みだったが、受付の賑わいを聞いていたら10人近いパーティーかと思った。 彼女らも双六から上がってきたようだ。

午後は時間を持て余し、ストーブのそばで本を読んだり、お酒を呑んだり、ダベッたりして過ごす。 なんともゆったりとしてよい気分だ。

独りでテントにいたら、とても長い時間に感じられただろう。 こんな日は小屋で過ごすのがよいのかも知れない。 

夕方近く、団体2パーティーが到着。 ひとパーティーは烏帽子小屋から縦走してきたらしい。 こんな天気の中で・・・・・・・・・

朝すれ違った老夫婦もあの悪天で鷲羽、水晶を往復したという。

私も中高年だが、なんだか中高年登山者のほうが、無茶をするひとが多い気がする。 この縦走路は風を避ける場所もなく、北アルプスのなかでも非常に強風地帯として知られている。 無事着いたからいいものの誰かが低体温症で動けなくなったらどうするのだろうか。 途中の小屋はすでに閉まっているのだ。 

トムラウシの再現にもなりかねない。

 こういう人たちを見るにつけ、結果オーライで行動しているように見えてならない。

最悪の結果を想定した場合でもちゃんとバックアップ策があって、それが機能するのならいいのだが。 一組はテントは持っていたようだが、風の荒れ狂う稜線で張ることができるのか。

大体こんな天候で頂上を踏んでも、何にも見えないし、楽しくもなんともないだろうにね。

夕食はハンバーグと白身の魚のフライ、タルタルソースがけ。 そしてポテトサラダなど豪華なメニューであった。 午後ずっと呑んで、つまみなど食べていたせいか、腹が減っておらず平らげるのに苦労してしまった。

山ガールたちの勧めにしたがって、ポテトサラダにソースを掛けて見たが・・・・・

 

結果は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

TVの気象情報は明日もかんばしくない天気を伝えていて、皆のモチベーションを下げるのに役立っていた。 

 窓の外は大雨だった。

 

2010.10.9

雲の平BC 08:15  2480m

黒部川源流地点 10:20  2200m

三俣山荘     10:50  2550m

 


"逍遙" 越中~黒部の山旅その3 「黒部の奥座敷」

2010年10月17日 14時19分44秒 | へなちょこ登山隊

 今回の山行ではいろいろな失敗があったのだが、テントの浸水のほかに哀しい出来事として初日からカメラが故障したことが挙げられる。

サンヨーのXactiを使っているのだが、室堂から出発してすぐに液晶がダウンしてしまい、 シャッター音はするものの撮れているのかどうかも確認できない。

その後はめくらアングルでとりあえず、撮るだけ撮ったが、バックアップで携帯でも撮っておいた。 幸いこの通り撮れていた。

カメラもコンデジを卒業して一眼を買おうかな?とチラとは考える。

老後の趣味としては妥当とは思うが、写真を撮るのを主体に山を歩くのはどうもピンと来ない。 もうちょっとくたびれてからでもいいかな。

 

 

明けて3日目

今日も快晴の朝だ。 山小屋のご飯をお代わりして、元気に出発。

まずは太郎平小屋へ向う。 

薬師峠のテント場↑  本来ならここまで頑張ってテント泊なのだが、気力、体力が持たなかった。 水場もトイレも完備されたよいキャンプ場ではある。

しかし小屋から20分も離れているので、ちょいと不便。

 

 太郎山のなだらかな稜線。 太郎平小屋の紅い屋根が見える。

こんな気持ちのよい日は昼寝でもしたくなるところだ。

 ここは折立、雲の平、薬師、黒部五郎4方面の十字路にあたるところで、街道で言えば宿場町。

いつもなら行き交う登山者であふれているのだろうが、今朝は昨日薬師岳山荘で同宿した若者と私だけ。 

静かな峠はとっても気持ちがよい。 

平日登山バンザイ!

 主稜線上の北ノ股岳

 

遠くには黒部五郎岳が見える(中央) この魅力的な主稜線を行きたい気持ちも強いが、迷ったあげく当初の計画どおり雲の平へ向うことにする。

薬師沢を下っていく。

水量は少なく、水は青く澄んでいる。 思わず水筒の水を汲みかえる。

薬師沢が大きく落ち込み、黒部川と合するところが、薬師沢出合いで、カペッケヶ原というらしい。 カッパがでることとイワナが群れているということが、伊藤正一さんの著書に出ている。 

15年前に髪の老化・・ 違う(どんな変換やねん)「上の廊下」を遡行したときのことをふと思い出した。 この上流(奥の廊下という)には赤木沢という宝石のような支流があり、イワナはそれこそ淵に群れて見えるのだが、ついぞ一匹もわれわれの手には落ちなかった。  おかげで最後のほうは食料欠乏気味でひもじかったことを覚えている。

 

ここからは雲の平の溶岩台地に向けて岩がゴロゴロした急坂を2時間登らなくてはならない。 標高差500m程度であるが、昨日のようなアップダウンよりもこのような急登のほうが私は好きだ。 高度を一気にかせげるからだ。

 

登り切ると木道が現われ、急に景色が一変する。

アラスカ庭園付近からの水晶岳↑

 

 

 

 祖母岳を望む。

ゆるやかなアップダウンだが、木道をのんびり雲の平の中心に向って歩く。

針葉樹、ハイマツの緑と草紅葉、そしてナナカマド、チングルマの赤と美しい自然の庭園がどこまでも続いていて、飽きない。 

残念ながら昼から雲が広がってきてしまって、彩りはイマイチだったが、念願の台地に足を踏み入れることが出来て感慨深かった。

 

 

 雲の平山荘近くはこのように巨岩が多い。 山荘はまだ工事中であったが、営業はしていた。 ラーメンとビールを注文し、ギリシャ庭園を眺めながらほっと一息。

 今夜の雨が少々心配ではあったが、今夜は天幕で寝ることにした。

キャンプ場は山荘から25分歩いた傾斜地。 

何故このようにキャンプ場と山小屋は離れているのだろうか。 買い物や食事または 緊急時に逃げ込むのに不便だ。

管理上も目が届かないのではないか。 

今夜もキャンプは私独りのようだ。 夜半に浸水した場合に備えて、トイレの脇に張る。 このトイレは珍しく臭気がほとんどないので、いざというときはこの中に避難できる。

夕方からやはりテントを雨音がたたく。 小雨ではあるが、少々心配だった。

しかし1時間経ってもテント内部は濡れず、快適である。

どうも雨には強いようだ。 昨日のように霜が溶け出したような場合は生地を染みとおってくるが、雨は撥水効果で表面を滑り落ちるため浸水しないではないかと思う。

ちょっと安心したので、眠ることにした。

明日の天気が気になるが、携帯は入らず。 だめもとでipodでFMを探ってみるとNHKが受信できた。 明日はやはり雨。 行動は明日決めよう。

てん

 


"逍遙" 越中~黒部の山旅その2 「薬師越え」

2010年10月16日 10時15分23秒 | へなちょこ登山隊

 下山して3日間がたつが、疲労が蓄積してなかなか抜けない。

山行中は気が張っていたせいか、さほど堪えなかったのだが、下界に下りてみると体が重く腰や関節にガタがきているのが分かる。 

1週間も家を空けたこともあり、用事も山積みなので今週末はクライミング中止とした。

 

2日目の朝。

放射冷却で冷え込んだ五色ヶ原。

テントにびっしりと霜がおりた。

バーナーを使っていると霜が融けてテント内部に雫が垂れた。

 

やばい!

 先週耐水テストをやったときは問題なかったのに・・・

このテントはゴアライズの2人用なので、今回軽量化のためフライを持参しなかったのだ。

霜程度で浸水するのなら、雨が降ったらどうなるのか?

早くも先行きに暗雲が立ち込める。

 

針の木峠に朝日が昇る。

予定よりすこし遅れて5時15分テント場を出て五色ヶ原山荘で水をわけてもらい、0538時出発。 山荘のオーナー?はいい人だった。

 

鳶山の頂上から今日の目的地「薬師岳」を望む。

それほど遠く見えないが、山がバカでかいので、近くみえるだけである。

水平距離で10kmはある。

 

↑越中沢岳から望む薬師岳 

まだ行程の1/4であるが、ここまではかなりいいペースだ。

しかしこの縦走路はここからが、核心部。

越中沢岳から500mの急降下。スゴ乗り越しまで岩場を

下る。 スゴの小屋までは3回ほどきついアップダウンを繰り返し、

かなり体力を削られる。 

 

 

↑スゴの頭を振り返る。

 

尾根の中間にスゴの小屋が見える。

 

スゴ乗り越し(最低鞍部)に到着。 

紅葉は2000m~2300mあたりが見ごろを迎えているようだ。

この彩に疲れを癒される。

ここまでで4時間ちょっと。

あと小1時間がんばって小屋(9月で営業終了)まで登り返す。

やっと行程の半分なので、小屋の前のテラスで大休止。

テントやシュラフなどを乾かしながら、食事を摂る。

11時40分 薬師岳に向って腰を上げる。

コースタイムでは薬師岳山荘まで4時間半程度だが、重荷とバテでプラス1時間はかかるだろう。

幸いここからはアップダウンはなく、登り一辺倒なはずだ。 一歩一歩がきつくてもそれが頂上へのカウントダウンになるのだから、精神的にはラクだ。

 

ガスのなか頂上だとおもったところは「北薬師岳」のピークだった。 道標は朽ちかけており、まったく字が読み取れないので、よくわからなかったが、祠がないので本峰でないことは確かだ。

ここから本峰までの1時間が一番きつかった。 ガスで前途が見えず、いったん降りてからの上り返しが想像以上にきつかった。 何度もニセピークに打ちのめされる。

 

↑頂上直下のガレ場 左下はカールとなって落ち込んでいる。 ようやく晴れ間がみえて、本物の頂上がスガタをあらわした。

 

 1605時ようやく登頂。 思わず左にある鐘を8回も鳴らしてしまった。

薬師岳頂上の祠。 中にはたくさんの観音様が安置されており、登山者の安全を見守っている。(かどうかは知らない。)

薬師如来は今で言う看護士?  ブドウ糖でも注射して欲しいほどバテバテだった。

 

眼下にみえる薬師岳山荘

腹ペコで到着したので、すぐに食事になって助かった。

結局この日は行動中誰にも逢わなかった。

小屋の女主人が「○○さんですね。 お待ちしてました。 」と迎えてくれた。

やはり立山から長駆縦走してくる登山者は心配らしい。 五色ヶ原山荘と連絡を取り合っていて、ちゃんと着くかどうかを確認しているらしい。

温か味を感じる。

 

8月にリニューアルオープンしたこの小屋はピカピカで、食事もおいしく

とてもよかった。  小屋の前には雷鳥の親子が散歩をしていた。

明日も晴れそうだ。

 2010.10.7

五色ヶ原BC 05:10  2480m

同 山荘   05:38

鳶山     06:15⇒06:30 2616m

越中沢岳  08:00⇒09:18 2591m

スゴの頭  09:18      2300m

スゴ乗越し  09:50  2100m

スゴ小屋   10:40⇒11:38  2300m

間山      12:32       2585m

北薬師岳   14:56⇒15:15 2900m

薬師岳    16:05      2926m

薬師岳山荘  16:35     2701m      

 

 


"逍遙" 越中~黒部の山旅その1 「ザラ峠の旅烏」

2010年10月13日 21時36分09秒 | へなちょこ登山隊

 

日本の四季でもっとも魅惑的な季節である。

花粉も飛ばないし、空気は澄んでさわやか。

物成りの季節であり、旬の食べ物が出回る。

木々の葉は色づき、山は極彩色に染まる。

こんないい季節にこそ長期の休みがあるべきではないか。

くそ暑い夏が好きなのはコドモだけだ。 (ホントカ?)


とにかく8日間の休みを分捕って、山に入ることにした。

こんなに長期間の山行に当然同行してくれるヒトはおらず、単独入山である。

10月5日夜 22時30分 品川から夜行バスに乗り込む。

 まだまだ妙に温かな夜である。 

↓ Willer Express (ピンクの車両でちと恥ずかしいが、とても清潔でゆったりと寝られるシートだ。)

 

朝方富山駅に着く。 長袖のシャツを着ていたが、ちょっと肌寒い。

通学の学生(ずいぶんと早起きだ。部活の朝連かな)と一緒にやたらと遅い富山電鉄に揺られ立山へ。

観光客とハイカーに混じり紅葉まっさかりの弥陀ヶ原を通過して室堂へ。
朝イチの室堂は晴れ渡っていたが・・・


0930時にBTを出発し、一の越に向うと立山に雲が湧き上がってきた。







残念ながら雄山はガスの中。 時間の余裕もないので、今回も立山登頂をあきらめて無人の縦走路をザラ峠へ向かう。

 

↓龍王岳から獅子岳に向う途中、眼下に黒部湖が見える。 雲間から差す光線が山裾の紅葉を燃え上がらせていた。



 

獅子岳からザラ峠へは300m近い落ち込み。谷からはガスが吹き上がって視界を奪う。

 


朽ち果てた道標が寂しさを誘う。 ここが有名なザラ峠とは思いもよらぬ荒涼とした景色である。 人気もない山道を往く孤独感がいっそう際立ち、往き足を速める。

まもなく五色ヶ原の木道が現われ、今日のねぐらが近いことを知る。

広大な溶岩台地にはチングルマが群生していた。 夏には高山植物が競って花を咲かせているだろうが、いまは寒々しい光景が広がっているだけだ。




今夜はこのだだ広い台地に自分独り在るのみ。

獣の気配もない。 恐ろしいほどの静寂が自分を包み込んでいた。

落日前、 俄かにガスが引いて四周に山塊が浮かび上がった。

 

東に針ノ木、スバリ岳、北には辿ってきた獅子岳、龍王岳が。

ずっと遠く南にはこれから向う黒部の山なみがシルエットとなっている。

薄暮のなか言葉も無くただ立ち尽くしていた。

 

まだ旅は始まったばかりだ。

2010.10.06 

09:35 室堂BT  2432m

10:25 一の越   2705m

11:35 鬼岳    2750m

12:30 獅子岳   2714m

13:30 ザラ峠   2348m

14:10 五色ヶ原 2480m



 


巨大山塊”雄大なる南アルプス”仙丈ケ岳篇

2010年08月21日 10時48分53秒 | へなちょこ登山隊

 甲斐駒から下山してきたのは1400時過ぎだったので、明るいうちに

食事をすませて19時前には就寝。 何故そんなに早く寝るかと言えば

明日の1300時発のバスに間に合わせるために逆算すると3時起床、4時出発が

必須となるためだ。 しかしこの日は気温が高めで、テントの中は少々蒸し暑く寝苦しかった。

 

明けて8月6日午前3時

何時もは起きてから2時間はかかる準備の遅いへなちょこだが、今朝は朝食も食べて、ジャスト1時間で出発!

 

ヘッドランプを点けて、尾根道をジグザグに登る。1時間もすると明るくなってきた。

この朝も息が切れないで、汗もあまりかかない程度のペースを守る。

今日は風が強く、少々肌寒いので休憩もあまりとらずに上り続ける。

 

 ↓昨日登った甲斐駒がスガタをあらわす。白い山頂が印象的だ。

3時間がんばると小千丈に到着。 曇ってはいるが、360度の展望が広がる。

↓甲斐駒から左に鋸岳の稜線が続く、遠くに槍ヶ岳も望める。

仙丈ケ岳は優美な稜線とカールを持ち、容姿端麗である。

天気が悪く、見栄えがイマイチなのが残念だ。

 

小仙丈の手前で7時なのにもう下山してきた山ガール二人とすれ違う。

身体にフィットしたウエアのシルエットと山スカのアクセント、全体にはグレーとブラックを基調にシャープにまとめているが、あちこちにカラフルな色をアクセントとして使っているところが楽しい。 (おだてて写真を撮ればよかったが、変な目で見られるだけだし・・・)

わがニョーボとはエライ違いである。 だぶついたガーネットのパンツとターコイズブルーのウインドブレーカー、腹のあたりにはウエストバッグがあるので脹らんでいるし、首にはタオル・・・

  タイツはけとは言わないが、もうちょっとスッキリした格好にして欲しい。

 

仙丈ケ岳周辺は高山植物も多く、雷鳥の親子も見かけることができ、なかなか楽しいところだが、いかんせん頂上は人が多く、寒くて長いはできない。

 

カール下に見える仙丈小屋で休むことにしたが、実はここも風の通り道で非常に寒かった。

10分くらい食事をして、トイレを借りたらさっさと退散。

 

帰路は馬の背ヒュッテを通る沢筋のルートを辿る。

こちらは太平小屋に降りるのだが、尾根道に較べると少々悪いし、降りてから北沢峠に登り返さなくてはならないのが、玉に瑕。 しかし炎天の日の下山路としては涼しくてよいかもしれない。

 

↓峠近くの原生林。 森の豊かさが満喫できる。

 

予定より1時間半も早く6時間30分で下山できた。 バス停に荷物を置き、ゆっくりテントを撤収に向う。 戻ってきても1時間以上あったので、長衛荘でお昼を食べた。

スープカレー1000円がおいしそうだったが、ラーメン700円を注文。魚介系のダシでまあまあおいしかったが、ニョーボが注文した山菜ソバ700円のほうが断然おいしかった。 ここはおすすめ。

 芦安村の金山温泉で汗を流して帰る。 500円で安いが、ちょっと狭い。 それになんだか虫が多くて露天風呂に長くいると血を吸われるのが難。

外にはチンケだがクライミングボードも備わっていた。


巨大山塊”雄大なる南アルプス”甲斐駒篇

2010年08月19日 06時16分09秒 | へなちょこ登山隊

 残暑お見舞い申し上げます。

毎週末山行に忙しく、平日はその準備などで忙殺されていて更新が延び延びとなってしまい、申し訳なし。

ようやく8月6日からの南アルプス行をアップできます。

 ↑仙水峠からの甲斐駒

昨年のお盆はETCの1000円割引きのおかげで、大混雑となりひどい目にあったため、今回は1週間早い計画とした。 テント泊で楽をしたいのは昨年同様なので、室堂バスターミナルから30分の雷鳥沢よりも近い、北沢峠から歩いて10分の駒仙小屋BPをBCとして、甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳のピストンとした。 
 

 

 ↑BCとなった駒仙小屋キャンプ場

 芦安の駐車場から広河原までは、まずまずの道であるが、バスよりもタクシーのほうが快適で早い。 しかし北沢峠までの道は落石が多く、しょっちゅう整備しているが、何時崩れるかわかったものではない。

 環境面を考えると広河原からは車両通行止めにして歩かせたほうが良いのかもしれない。

 

 ↑枝豆にビールでご満悦

  BCまでは10分のため荷物が多くてもOKだし、山頂往復は軽装備なので体力的には楽に思えるが、2日連続で1000mの標高差を往復するのは結構な体力がいる。
 
 へなちょこ登山隊も5年目を迎え、それなりに実力がついてきたので、今回は南アルプスに挑戦したのである。 結果は一般登山者並みには歩けたというか、コースタイムを凌駕するようになった。 
 
私の登り方はなるべくゆったりしたペースで登り、ほとんど休まないというもので、休憩は1時間半に1度で5分以内である。 まあ不定期であるが。 ペースは遅くとも全体的にはかなり速い時間で全行程を踏破できる。 もっとも初めからできるわけではなく、徐々にペースを作っていく必要がある。
 
  

 

 いつも朝が遅いへなちょこだが、今回は前日にBC入りしたこともあり、朝4時起床5時出発(したかったが、結局6時前出発)初日はまだ登ったことがない仙丈ケ岳に登るつもりが、気がついたら仙水峠に向かって歩いていた。 仕方が無い今日は甲斐駒に変更だ。  

 

 ↑仙丈ケ岳

甲斐駒は冬に黒戸尾根から黄蓮谷左俣を遡行したのと、夏にやはり北沢峠から頂上を越えて八合目から赤石沢Aフランケを登攀したのが過去の登山歴である。  夏のこのコースは日照りがキツくて暑かった思い出があるが、今回は適度に雲が出ていて快適な気候であった。  

 

六万石付近は奇岩が多く、登山道は岩通しとなり、渋滞する。

 

  ↑甲斐駒頂上は高い!

  甲斐駒はどこから登っても急登が続くが、樹林帯が少なく、展望を味わいながらの登高なので苦しくも爽快だ。 

岩場が続くので、初心者は魔利支天側から巻いたほうが良い。

 

 

 ↑甲斐駒頂上直下

 ↑今年も晴れて大展望

 ↑雲涌く山頂 夏山まっさかり

 

 

 


ウチから一番近い山

2010年07月29日 22時48分49秒 | へなちょこ登山隊

暑いけど、夏山の足慣らしに丹沢に行ってきた。

前夜とても疲れていたので、早起きが出来ず、家を出たのは 8時前であった。

 こんな時間に出ても登れるのが、丹沢のいいところ。

しかも一番近い大山に行くことにした。

 

登山道は暑くてイヤになるだろうと沢筋を選んだのだが・・・ これが大きな誤算。

  下社から分かれて大山川の本流を詰める。 最初の滝は巻いたが、巻き道のほうが悪かった。 

そして水が流れていたのはこの滝だけで、あとはジメジメした枯れ沢だ。 ちっとも涼しくないばかりか、やたらと虫が煩い。 

 

いくつか滝を越える。 へなちょこ登山隊としては初の滝登りである。

 まあ3級くらいだが、高さがあるので一応ロープで確保して登らせた。

 二股の分岐で迷うが、どうやら左股に入ってしまったらしい。

 でも早く登山道に出たかったので、これは正解。 

慣れないガレ場登りで皆疲労困憊となり、私はブユに足をさされまくり、ニョーボは3箇所もヒルに血を吸われた。

 

でも良く考えたら、ヒルは血を吸うだけで、腫れたりかゆかったりするわけじゃないので、ブユよりもましではないか? 肩こりにはヒルが効くという話もあり、そんなに悪いヤツぢゃないが、とことん人気がない。

こんなに暑い日に500mlしか水を持ってこなかったやつらは頂上の売店でお茶をがぶ飲み。 かき氷も食べて、ようやく落ち着く。

 

大山はハイカーが多く、家族連れやカップルが多い。 山ガールもたくさんいたよ。

といっても、そんなに派手なウエアぢゃなかったが、若いのは若い。

 

 スパッツにスカートはいてりゃいいってもんぢゃない。 やっぱり似合う年齢ってもんがあるよね。

田部井さんがスカート穿いてても・・・

下社にお参りして、冷たい宮水を呑んでのんびり下山。 もみじがたくさんあって、この参道(女坂)は晩秋に来たらさぞキレイであろう。

お風呂に入って帰りたかったが見当たらず、汗臭い身では外食もできずに家に帰った。