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traditional climbing

クライミングスタイルにうるさいオヤジ系クライマーの日記
 クラック、スラブを愛するクライマー歓迎します。

へなちょこ登山隊番外編~世界遺産 白川郷~

2007年08月12日 14時14分35秒 | へなちょこ登山隊

結局最初に見つけたのは、世界遺産に登録された萩町の町並みではなく、

川を挟んだ対岸に造られた「白川郷 自然民家園」というテーマパークであった。

昭和48年に集団離村した「加須良」集落の民家を移築し、保存しているものである。 

↓は道の駅にあった「資料館」の建物。 合掌造りの模型が展示されていた。

↓民家園の佇まい。

 

この日の気温は34度。 冷涼な場所から来たわれわれには堪える暑さだ。

なんだか民家のモデルハウス展示場といった趣きである。

遠くにみえるのは白山の山並みだろうか。 山をこえればそこは富山、金沢などの北陸路である。 見渡す限り周囲は高い山に囲まれている。

合掌造り内部。 このように広い屋根裏部屋が3層構造となっていて、養蚕を営むのに最適な工場だったのだ。

 

しかし戦後海外の安い生糸に推されて、生糸の産出は衰退していく。

現金収入の道を立たれた村は次々と人が出て行った。

 

特に『加須良集落』は道のない村。 車は通れず、雪が降る半年は完全に孤立する。 櫛の歯を引くように村から人が去っていった。

 

空に向ってツンとそびえるこの屋根はどんな暮らしを眺めてきたのだろう。

 

 

 水車小屋

 

 

 

これが世界遺産に登録された「萩町の景観」だそうです。 一応人も住んでいて、普通の生活も営まれていますが、メインストリートは土産物屋や宿泊施設など、完全に観光地化してしまって、静かな古きよき農村の佇まいは吹き飛んでしまっています。

そうした暮らしや村は荘川ダム建設とともに湖水に沈んで消えてしまったのでしょう。いまあるのはその抜け殻に色を塗って、ジオラマにしているだけといったら言い過ぎでしょうか。 

いまは太平洋側からは高速が繋がっていませんが、今年中には白川郷まで開通するようで、そうなればさらに多くの観光客が押し寄せるのでしょう。 

まあ我々もその一人だったのですが・・・

 


へなちょこ登山隊番外編~奥飛騨を行く~

2007年08月11日 12時45分50秒 | へなちょこ登山隊

新穂高バスターミナルから15分ほど降りると、こじんまりとした温泉街がある。これが栃尾温泉だ。 蒲田川沿いの静かなところである。 

この民宿「栃尾荘」はその昔世話になったときの記憶が割安で居心地がよかったので今回も泊まることにした。

15年前の厳冬期。西穂~奥穂高縦走を試みた我々4人だった。天候もよく快調に西穂を越えたが、天狗の手前で幕営した夜、私が体調を崩したため、ナミダを呑んで下山して失意の中この温泉に癒されたというわけだ。

↑庭園と鯉池

↑囲炉裏小屋 中で宴会も可能。 毛皮の敷物もあった。 囲炉裏端で熊鍋をつつきながら、地酒を茶碗であおって、ウーンやってみたい。 

民宿とはいうが、ご覧のとおり立派なつくりで、食事もそれなりの内容。 なによりも古い民家のぶっとい柱と囲炉裏など、とても歴史を感じさせる建物と素晴らしい露天風呂が良い。 なんと貸切の露天風呂まである。

 

 せっかくの五右衛門風呂、寝湯まであったのだが、日焼けに火ぶくれた私の上腕と肩はとても浸かることができず、なんとも中途半端な半身浴であった。残念。

夕食の膳。 豪華ではないが、山菜や鮎、そばや飛騨牛など地元の恵みがいっぱいである。 

 太い柱と梁。 古民家の趣きがいっぱい。

朝食はホウバ味噌。 ご飯のお代わりが止まらず、ほかのお客に分けてもらう始末であった。 

栃尾荘は笠が岳山荘と経営がオナジである。 お客はこの日4組だけだったが、ほとんど登山客であった。 

また来たいな。

さてせっかく飛騨まで来たのだから、ただで帰るのはもったいない。 調べているうちに白川郷が2時間くらいで行けることがわかり、寄ることにする。 帰りがますます遠くなるが、日曜日は1日休みだし、めったに来られる場所ではないので、子供の教育にもよかろうと出発。

今日も雲ひとつない快晴。 飛騨路を西にドライブ。 途中「スーパーカミオカンデ」のある飛騨神岡を過ぎて、天正峠を越える。 この峠がまたすごい難所。 大型は通れないほど道幅が狭く、九十九折が山頂まで続く。 これに比べれば野麦峠なんてたいしたことない。 

峠を越えると、前方には白山の山並みが、はるか眼下に白川村が見えた。 途中チャリンコで登ってくる若者が何人もいた。 荷物をいっぱい下げて。苦しそうにあえぎあえぎ登ってくる。「がんば!がんば!」

途中の名曝↑

白川村の道の駅に着く。 ここで合掌造りの資料館を見学。 ところで白川郷はどこだ?

続く

 

 


へなちょこ登山隊~ついに槍ヶ岳に~第3日

2007年08月10日 11時19分11秒 | へなちょこ登山隊

明けて3日目(8月10日)。今朝も快晴で明ける。

昨日の寒さが身に沁みて、横着して自炊場の窓から日の出を眺める。

↑南岳方面。 遠くに前穂北尾根が見える。

残念ながら今朝は雲海はなし。 風が強くて消えてしまったのか? 4時半起床で5時過ぎに朝食。 残り少なくなった食料から今朝はラーメン3食のみ。 やっぱり寒い山頂ではラーメンが最高だ。 あとはパンが1袋と非常食だけである。 

 

槍ヶ岳山荘の印象・・・ とにかく収容がおおきい小屋である。 従業員も多くきびきびと働いている。 ジュース、ビールの自動販売機まであるのにはびっくりした。 しかし槍平山荘のようなアットホームな雰囲気がなく、ビジネスライク。 まあ多くの客をさばかなくちゃならないので仕方ないか。

しかし本館と別館(自炊者の宿泊棟)はあからさまに差があった。 造りも明るさ暖かさも特等と2等くらいの格差あり。 これはもう少しなんとかして欲しい。 自炊登山者はそれだけ、小屋の負担は少ないのじゃないのか? 利益的にみると食事してくれたほうが、売り上げも上がるし・・・ということなのか。 

たまには山小屋で食事してもいいかな?と思うが、あのベルトコンベアーみたいに時間を区切られて食べる忙しなさが好きではない。 2食で3000円は一人ならともかく、家族4人では12000円である。 2泊で2万4千円。 1泊旅行ができてしまう。

その浮いたお金で下山後奥飛騨温泉でゆったりと泊まった。

下山にかかると風が強く、日陰のため相当に寒い。2600m付近まではヤッケ着用。 標高差500mを1時間で下る。 槍平までは2時間15分であった。

結構足に来たので、ここで大休止。テラスで靴を脱いで昼寝する。

 

そうこうしていると、関西弁の『ハチドリ軍団』がやってきたので、早々に出発。 滝谷の出合まで降りる。

蒲田川上流地域。 

藤木レリーフがあるところで、小休止。 ここの湧き水はすこぶる美味である。 オオサンショウウオが棲んでいるところを見ると清流なのだろう。

滝谷の出合を望む。雄滝が見えている。

ここから白出沢までは1時間10分。 単調な歩きで長い。 かなりうんざりするころようやく旧避難小屋あとに着く。 ここは絶好の休憩地。冷たい水を補給し、残りの食料(非常食)などを片付ける。 あとは林道歩きなので遭難することはない。

夏空を背に

だいぶ暑くなってきた。 朝槍ヶ岳を出たときは8度くらいだったのが、今は28度である。コースタイムでは新穂高まで1時間40分だが、1時間15分くらいで到着。

標高差2100mを登り降りできた。 なかなかみんながんばった。 来年は3泊4日の縦走に挑戦したい。 

アイスを食べて、露天風呂に浸かって汗を流す。 湯も熱かったが、岩風呂の岩が焼けていて足を火傷しそうであった。 実はこの風呂駐車場や車道から丸見えである。 でも河原に面していてキモチがいい。

このあとは奥飛騨温泉のひとつ栃尾温泉に泊まる。

番外編に続く

 


へなちょこ登山隊~ついに槍ヶ岳に登る~第2日

2007年08月09日 22時02分06秒 | へなちょこ登山隊

朝4時30分に起床し、6時出発。 飛騨側は西向きなので、朝はまだ日が当たらず涼しい。なんとか10時くらいには稜線まで登りたい。

 槍平のキャンプ場↑ 広々した河原で気持ちが良い。

2250m付近の最後の水場。 1.5L/人の補給。

 

笠が岳方面を望む。↑ 2400m付近。

槍平をすぎても登山者は数えるほどしかいない。 静寂な山はいいなあとしみじみ鳥のさえずりに耳を傾けていると・・・・

わっはっはっはっ」 「あらぁ! きれいなハナねぇ」

「なんて名前かしら」 「ぼうやいくつ? えらいわねぇ」

 

・・・・・ 突然マシンガンのようなおしゃべりが聞こえてきた。

 前日小屋に泊まっていた中高年の軍団が追いついてきたのだ。 このヒトたちと一緒に登るのは避けたいので、早めに出たのだが。

とにかくブンブンとずーとうるさい。 しゃべるのを止めると死んでしまうのではないかと思うほどの忙しなさである。 私はこの軍団を『ハチドリ軍団』と名づけた。かわいいハチドリとは似ても似つかないが、常にブンブンと忙しなく動いているところとが似ている。  

とにかくピッチを上げて引き離すしかない。 子供を叱咤してペースを上げる。

ぐんぐん高度を上げて、ハチドリたちを150mくらい引き離した。

2000m以上は 100mごとにこの看板がある。あと頂上まで480m

飛騨沢上部はこんなカンジ。 この上はガレが多くなる。

雪渓で一休み 2850m付近。 あともう一息である。

少しパンを食べて一気に槍ヶ岳山荘まで登る。 

やっと飛騨乗越しに到着。 槍がお出迎え。

天上のキャンプ地。 とても整備されているけど区画が狭苦しいかな。

槍ヶ岳山荘につく。 予定通り10時到着。

ここで私は頂上往復のあと南岳まで行きたいと主張したが、家族全員

『なにをぶっこいてるんだろうね。このオヤジ』というカンジで全否定。

今夜はここに泊まることとなった。

荷物を置いて頂上へ。 一応愚息二人を紐でつないで登る。

やっと頂上についた。 最高の天気と360度の眺めに感激。

頂上は狭く、次々と人がやってくるので、写真をとってすぐに下降する。

下りも気をつけないとね。 下りもアンザイレンしてコンテで確保したので、少し渋滞を生んでしまったが、登り下りの動作自体は遅くなかったので、皆さん大目に見てくださいね。ハチドリ軍団よりは早かったと思います。  

しかしすごい日差しであった。 高山では紫外線がすごく強いことを忘れていた。ノースリーブを着ていた私は肩と上腕をジリジリと焼かれてすごいことになってしまった。

午後はあんまりヒマなので談話室でVIDEOをみたり、昼寝をしてすごす。

↑夕暮れの雲海。 この日もこのように雲は出たが、ついに夕立もなく終日良い天気であった。 

 


へなちょこ登山隊~ついに槍ヶ岳へ~第一日

2007年08月08日 15時31分45秒 | へなちょこ登山隊

昨年の燕岳につづき、今年の夏山はなんとなく『槍ヶ岳』というカンジでながされてきたが、どのルートから登るのかは直前まで決まらなかった。 日程が2泊3日となればおのずとコースは限られる。 まだ3泊4日の長丁場を縦走できる体力は???だからだ。

普通の人なら上高地~槍沢コースなのだろうが、ウチは人ごみがなにより嫌いなので、裏街道の飛騨沢コースを選んだ。 これなら新穂高温泉に車を止めておけるし、帰りに奥飛騨温泉で1泊できる。 

なにしろ夜行などは身体にこたえるので、早朝に横浜を出発。 12時前に新穂高温泉を出発。 

11時過ぎの駐車場は満杯。しかし昼前になると下山者がちらほら帰ってくるので、ちょうど空いたスペースに駐車。 

駐車場はカンカン照りだったが、林道は半分以上このように木陰があり助かる。

しかし長い・・・・

白出沢出会い手前の谷が土石流のため崩壊して、現在復旧工事中。

 

 

 

滝谷出会い↓ ちゃんと木橋が架けられていた。 これがなければ渡れないかも。

流されるたびに整備してくれるのだろうか。ありがたいことです。

滝谷出合の避難小屋↓ 20年位前、積雪期の滝谷を出合から詰めて、4尾根を登ったときに使わせてもらった。そのときから変わっていないことに感動。

 

夏の雲だね。

 

 

のどかで静けさの中にある『槍平』とてもいいところです。

夕方4時45分にようやく到着。 まあまあのペースではないだろうか。

この日の小屋は空いていたので、個室が与えられた。狭いけど清潔で明るい。

自炊場もこのように入り口すぐの明るい場所。 たいてい裏手などの別棟や地下など劣悪な環境に追いやられることの多い自炊派としては嬉しい配慮。

この日のわれらのメニューは餃子、酢豚、うなぎ蒲焼とトマト、キューリのサラダであった。

食後に星の観察をして8時に就寝。

 


へなちょこ登山隊~大室山→加入道~

2007年07月23日 10時59分19秒 | へなちょこ登山隊

まだまだ梅雨が明けない 7月22日 日曜日に丹沢に行ってきた。

夏山を前にしたトレーニング登山である。 まだ行ったことのない山ということで、大室山から加入道山を選んだ。 西丹沢は東と違って静けさが好きである。 

西丹沢自然教室から用木沢を目指す。 広大な高グレードキャンプ場のウエルキャンプが開けている。 

↑30分ほどで用木沢出合いへ。 ここまで車も入れるようだが、私有地なので止めといた方が無難。  

ここからは沢を右岸、左岸と渡るが、台風の影響か橋が流されていて、渡渉を強いられた。

倒木の苔

1時間半ほど登ると犬越路に着く。 天気は変わりやすく、小雨と強風だったので避難小屋にて休憩。 建て替えられてとてもきれい。 

ここから尾根路を1時間半大室山に向う。 深いガスに時折日が差し込み幻想的な風景。

湿度85%でとっても暑い。もう汗びっしょりである。

大室山から破風口を経て加入道山へ。 なだらかな稜線だ。

加入道の避難小屋。 犬越路よりも古いが掃除は行き届いている。

登山道といい、誰かがすごく手を入れて整備している気がする。あんまり登山者も多くないのにたいしたものだ。 

木立のなかの加入道山頂。 本当に登山者がいない。この日出あったのは全行程で5人だけである。 禿山の表尾根よりもよっぽどいい山だと思うのだが。

白石峠から白石沢に下る。ここも整備されていて降り易い。 「白石の滝」 高度差が結構ある。 登られているのかな?

ウエルキャンプ場で露天温泉(525円)に浸かって帰宅。 

こいつは何者? 葉っぱを食べているところを見るとうさぎ?? 顔は犬みたいだが・・ でも歩き方はどうみてもうさぎ。 


みちのくの名峰 安達太良山 ~乳首山へ行こう~

2007年06月29日 12時40分37秒 | へなちょこ登山隊

>>続き

明けて快晴の朝、早起きして・・・と思ったが、ほかの登山客はほとんど出払った後。

06時30分チェックアウト寸前に小屋を出発。 朝日がまぶしい。 やった「ほんとうの空」だ。 鉄山の岩壁↓ 結構ルートが拓けるのではないか?

と・・・思ったが、横から見るとスケールがいまいちで傾斜もない。

矢筈の杜にて

奥岳方面~二本松市内を望む。↓

安達太良山頂上。(別名乳首山)

沼の平を望む。 火山性ガスが噴出すため、立ち入り禁止。

鉄山直下の大群落

いやぁ 疲れたべ

くろがね小屋~勢至平方面を望む。 くろがね小屋までの斜面も有毒ガスのため、登山道は閉鎖。

下山は薬師岳方面へ。 ものすごい人並みとすれ違いながらの下山で疲れた。

ほとんどのヒトはロープウエーで上がってきて、1時間半くらいで頂上を落とすのである。我々はロープウエーには目もくれず、岩だらけの登山道を下山。

やっとスキー場に出た。 もう少しでゴールだ。 みんなバテ気味?


みちのくの名峰 安達太良山再訪

2007年06月25日 23時31分18秒 | へなちょこ登山隊

今度こそ「ほんとうの空」は見られたのか?

2年前厳冬期に訪れたとき、忘れられない山となった「安達太良山」。

再び訪れたいとの想いをついにかなえる。 ホントはひと気のない11月などがいいのだが、今回は家族連れということもあり、暖かな季節を選んだ。 思いがけず可憐な花たちに数多く出会えた山旅となった。

トチの仲間かな?↓

 

勢至平への路↓ ジープも通る。

くろがね小屋近くの金命泗水 冷たくて、とっても美味であった。

 

奥岳登山口から1時間半。 もうくろがね小屋が見えた。

さっそくひとっ風呂浴びます。 ちょっとボカシ入れてます。

あ”~ 極楽ぢゃ  山の上で正真正銘 源泉掛け流し! なにしろ小屋の後の斜面は硫化水素が強くて立ち入り禁止なのである。

平成2年に有毒ガスで死亡者も出た、沼の平↓ まるで月の世界。

風呂から上がってビールをグビリとやり、畳の部屋でゴロゴロする。 いやあ最高でやんす。 この小屋は素泊まりで3700円で温泉つき。ほぼ個室扱いである。 実に良心的ではないか。 ただ食事はいつもカレーライスなので、自炊が無難である。 本日の自炊メニューは中華。チンジャオロースとなすの味噌炒め。揚げぎょうざに、太巻き寿司とさくらんぼ。飲み物はチリワインであった。

食後、小屋番のひとたちと、ネイルアートを楽しむ?

ではなく小屋のおみやげバッジにマニキアで色付けをしているところ。

子守もサービスのうちである。ますますいい小屋である。

>>>続く


錦秋の山旅~はるかなり秋山郷~2

2006年11月07日 22時43分34秒 | へなちょこ登山隊

昨日までで連続7日勤務だ。 11月にはいってから1日しか休んでいない。もちろんクライミングどころではない。 眠い目をこすって更新したと思ったら全文が消えていた。

今日は雨。どこへも出かけられない。 めげてもしょうがないので、仕事で磨り減ったカラダをやすめるとしよう。

さて気を取り直して苗場山のことを書き直し。

朝まだ暗い4時30分起床し、テントをすばやく撤収して5時半にキャンプ場を出発。3合目の駐車場につくころうっすら夜が明ける。 この駐車場は30台駐車可能とあったが、優に100台以上は留まれる広さがあった。紅葉の季節だというのに昨日も今日も車は少ない。

6時20分登山開始。 朝起きたときはそれほど寒さを感じなかったのだが、高度を上げるにつれ気温が氷点下に近く感じられる。

↓4合目の水場 清冽で柔らかな味わい。

 朝日があがってもこちら側の小赤沢コースは北側のため陽がさすことは無く、ジメジメとして薄寒い。

3時間ほどで稜線のプラトーに出ると暖かな朝日に包まれた湿原が広がっていた。登山道からは想像もできない景色である。

↓2036mの坪場から竜の峰を望む。

ここから高層湿原を40分ほどの散策で頂上につく。 途中歩きにくい樹林帯をはさむがほとんど歩きやすく、展望の利く木道を行く。 この日は残念ながら山麓を囲むように雲が涌き、周囲の秀峰は見えずじまいだったが、見事な草もみじと秋空を映す池塘が広がっていてなんとも言えずいい気持ちだった。

苗場山の由来はこの草が苗のように見えることから名づけられたという話だが本当か。遠景でみるとゴルフ場に見えなくも無い。そういえばスコットランドの離島アイラ島を訪れたときの風景に似ている。 この景色に逢うために合計12時間もかけてはるばる来たのだと思うと感慨深い。

↑傍らにあった道祖神 「天照大神命」の文字が読み取れる。

頂上は何の趣も無い場所でがっかり。 展望も利かずただの最高点というだけの場所。すでに山小屋は休業していて、冬支度に板を打ち付けていた。おかげで人が少なくて静かな山旅が堪能できた。 ちょっとうるさい中高年グループがいたが、100mも離れれば声も聞こえない。

すでに11時前。広々とした休憩場でランチを取って下山にかかる。帰路も同じコースだが霧がかかりだし、幻想的な景色に変わる。冬山のホワイトアウトと同様に美しいが危険な魔力を感じさせる魔性を感じる。 登山者をやさしく呑みこむような妖しい魔力。 霧は距離感や方向のカンを狂わせるなにかがある。 幸い今は木道があり迷うようなことはないが・・・ 

名残惜しい景色に別れを告げ下山を急ぐ。 13時には降りたい。 結局13時30分駐車場出発。明るいうちにこの秋山郷から志賀高原を抜けて、中野まで行かなくてはならない。 眠眠打破をグイと飲み、ステアリングを握る。 昨日にも増して美しい黄葉のトンネルをドライブして秋山郷のどんずまり切明温泉に出る。

ここからさらに路肩の崩れた山道を50km走破しなくてはならない。 給油を怠ってやってきたので、給油所のない秋山郷から志賀高原まで不安である。 奥志賀公園栄線(もみじわかばライン)というこの峠道は昨日通ってきた国道405号よりも道幅はマシだが、路肩はいたるところで崩れ、ガードレールもないので、ステアリング操作を誤れば谷底行きである。 見事すぎる紅葉に見とれていると地獄行きなので、運転に集中する。

さて無事に志賀高原に出て、道はとてもよくなりホットする。 ここ志賀高原は青春時代を過ごした地であり思いで深い。 特に安南平スキー場(いまは廃墟)はオープン当初兄と住み込みのアルバイトで2冬を過ごした。 「だまされた!」「たこ部屋だ!」とぶつぶつ言いながらも同じ世代の学生たちと楽しく過ごした。

その後木島平のスキー場でも2年間冬の間居候をしていた。 でも雪国は遊びに行くのはいいけど生活するのは大変だなと感じたことを覚えている。

渋滞にもつかまりながら、なんとか22時前に帰宅できほっとする。 

 


錦秋の山旅~はるかなり秋山郷~その1

2006年10月30日 20時56分33秒 | へなちょこ登山隊

前回栗駒山を断念したが、紅葉狩りの誘惑を断ち切れず、YKRさんお勧めの秋山郷に行ってきた。いったい何処にあるのか?地図を見ると… ん?道がないぞ。関越を降りてぐるりとU字型に迂回しなくっちゃならない。反対はどうだ?あれ!国道が途中でなくなっている。なんて不便なところだ。まさに秘境。なんでも今冬の豪雪で孤立して有名になったくらいだ。

 さてへなちょこ登山隊としてはターゲットの山を決めなくてはならない。秋山郷は四方山に囲まれているが、東に苗場山、西に鳥甲山を望む絶好の登山基地である。 険しい山容の鳥甲山よりも、今回山旅というテーマにあった池塘と草紅葉が見事な苗場山を選んだ。100名山ではあるが、静かであることを願って‥

さて横浜を0620時に出発し越後湯沢に1030時に着く。ここで食料と酒を仕入れて秋山郷に向かった。津南町を過ぎて長野県の栄村に入ると道幅は急に狭く曲がりくねり、すれ違い待ちの渋滞が発生しだす。山々の紅葉は心奪われる迫力であるが、あまり見とれていると崖から落ちそうである。

 

瓦屋根のように折り重なる段丘↓

大赤沢を過ぎると若干道が広くなり、観光客も減ってスムースに目的地「のよさの里」に着いた。

ここは宿泊施設があり民家風の建物がそれぞれ離れとなっていて渡り廊下でつながっている。 それぞれ囲炉裏もあり隠れ家的な宿なので、人数が集まれば泊まってもよいかも・・・

 

すでに1時過ぎでお腹が空きすぎ。名物のそばをいただく。 ちょっとダシが薄いかも。 白樺林の静かなキャンプ場にテントを張る。 

長時間の移動でへばった息子どもをテントに残し、ヨメと明日の登山口の偵察に出かけた。この上の林道がまた黄葉がみごとでこれぞ里山の秋!日本の秋である。

途中猿やらカモシカに出会う。人馴れしているのか近づいても逃げない。カモシカなぞはポーズまで取って「早く撮れよ。」といわんばかりであったが、突然のことにアタフタした夫婦はせっかくのシャッターチャンスを逃した。

 さて20分ほどで苗場山3合目の駐車場に着く。 地図には30台と書いてあったが、優に100台以上は駐められる広大なスペースである。もう登山客は帰ったのか5台程度しか駐車していなかった。

  さあ秋の日は短い。 はやく風呂に入ってメシの支度をしないと。 ここの露天風呂は鳥甲山を正面に望む大変眺望のゼイタクな風呂だが、午後はモロ逆光にあたり山肌は暮れ色のシルエットでしかない。 それでも深い山里の空気にゆったりと浸ることができる秘湯である。 雪なぞ降ればさらに趣き深いものであろう。 とにかく静かだ。それが何よりのゼイタクだと思う。 日常の雑踏から逃れてココロもカラダも癒すのには何も無い静かな場所が一番癒される。

 冷える冷えると聞かされていた当地の夜だが、小川山の寒さに慣れている私たちにとっては別段のことはなく、早起きと長距離移動で疲れていたので、メシ食ってすぐに寝た。子供は18時半、私も20時過ぎには 明日は4時30分起床である。


へなちょこ登山隊北アルプスに登る~その2~

2006年08月11日 00時22分28秒 | へなちょこ登山隊

朝焼けの槍・穂高連峰↑

今日も快晴で明けた。 夕べ早く就寝しすぎて夜中の1時に目が覚めてしまって往生した。 仕方なく月を鑑賞したり、ZCCの掲示板にカキコしたりして長い夜を過ごす。それでも2時半くらいには再度寝床へ。 4時過ぎに縦走に出かける登山者が出発準備を始めた。 外もうっすらと明るくなってくる。 みんな震えながら外でご来光を待っている。 われわれの部屋は布団に入りながら朝日を眺めることができる特等席。↓ 朝4時54分日の出。

昨日の頭痛もおさまり、気分は良い。 朝食はフランスパンとあらびきポークウインナー、カマンベールチーズ、と山小屋の落としたてのコーヒーである。フライパンを持ってくれば、スクランブルエッグもつけたのだが・・・朝日の輝くテラスでゼイタクなひととき。↓

さて本日の予定だが、私の心積もりでは燕岳、北燕岳に登って、東沢乗越に下り、沢沿いに中房温泉に下るコースを行くはずだったが、山小屋のスタッフいわく「道程が長くて、子供づれでは大変なコースですよ。」とのこと。 私の読図ではかかっても5時間と見積もったのだが、7~8時間かかるといわれ、嫁が反対。

結局頂上ピストンして、合戦尾根を下ることになった。 荷物がないと1,2号とも元気一杯で快調に山頂まで登る。

青空に白い花崗岩とハイマツの緑が見事なコントラストの燕岳山頂。

0750時へなちょこ登山隊ついに2762.9mの登頂に成功。 バックは北燕岳。 このあと元気がありあまっている二人は北燕岳も往復してきた。 頂上付近にはライチョウの親子がいた。 あわせて8羽くらいいたのではないか。 生後2ヶ月くらいのヒナがかわいい。

たっぷりと360度のパノラマを楽しみ、朝の清冽な大気に心を満たされて、日ごろのストレスなどはきれいに洗い流された。 キテヨカッタ。

さてそろそろ雲上の楽園とおさらばするか。 身支度を整えて0909時山荘を後にする。

合戦小屋 0940時 第3ベンチ 1045時 第一ベンチ 1135時 登山口1205時であった。 標高1500m近い中房温泉だが、やっぱり山頂と比べると暑い! 汗臭い身を立ち寄り湯の露天風呂で、さっぱりと流して着替えると人心地つく。 なぜか子供たちは風呂には入りたくないといって木陰で休んでいた。

好天に恵まれ非常に良い山行であった。 また家族でどこかの山へ出かけよう。

【今回のタイム】  登り 5時間50分 休憩を含む(コースタイム4時間) 下り 2時間55分 休憩を含む(コースタイム 2時間) 思ったよりも順調であった。 合戦尾根は30分ごとに休憩地がありとてもペース作りしやすかった。

【消費飲料水】: 1日目4.5L (行動中) 2日目1.5L 一応パーティー全体で8L/1日を用意。(炊事用を除く) 真水ではなく、アミノバイタルハイポトニックウオーターと麦茶を用意。 やはりバテを防ぐにはBCAAが効果的。

【行動食】:今回はあえてギリギリの量を試した。(足りなければ、小屋で補給可能なため) 結果は非常食と若干のクッキーと飴を残すのみでピッタリかちょっと少なめであった。初日の登りはエネルギー消費が大きいので、果物や大福などがもう少しあるとよかったかもしれない。

【日焼け対策】:高所は紫外線が強烈。 できれば暑いが、長袖が理想的。 肌の弱い人は気をつけるべし。 今回私はノースリーブで無防備な肩まわりをやられた。


へなちょこ登山隊北アルプスに行く~その1~

2006年08月10日 22時50分17秒 | へなちょこ登山隊

ついに本番がやって来た。 この日のためにいろいろと準備をしてきたが(といっても2回しかトレーニング山行してないけど。 筋力トレにいたってはわずか2日で挫折。)

当初は8日の午後から出かける予定だったのだが、台風のお出ましで1日様子を見ることにした。 8日は買い物と荷造りにあて、9日の午前中に燕山荘に電話すると「晴れてますよ。 雨は降ってないですね。」しまった。一日損した。 まあ日程はまだ余裕なので、とりあえずのんびりと出かける。本日は中房温泉にビバークなのであせらずクルマを走らせる。 諏訪を越えたあたりで晴れ間となる。 豊科に18時到着。ここで再度霧峰山岳会の元会員アキバちゃんにTEL。 やっとつかまった。 三郷村で農家を営む彼女の家にずうずうしくも泊めてもらうことになった。多謝!

翌朝05時に家人を起こさないように出発。 中房温泉到着 06時10分。よかった駐車場はまだ空席あり。 あわただしく朝食を摂り、支度をして0709時登山開始。↓

似たような家族連れがたくさんいた。 やはり子連れには最適な山らしい。

第一ベンチ 0753時着-0805時発↓ 1号は早くもへなちょこぶりを発揮。

第二ベンチ 1820m 0830時着-0840時発

第三ベンチ 0915時着-0925時発 ↓ 腹に食い物が入り少し復活。

富士見ベンチ2200m? 1005時着-1015発 かなり暑さが堪えてきたが、「合戦小屋まであと7分」の看板を見つけ、おまけにスイカが食べられると聞いて、急速充電!現金な1号↓ 2号はずっと元気である。

合戦小屋 2362m 1052時着-1140時発  やっと着いた。名物のスイカ 1/8が800円もするが、みんな食べずにはいられない。ここで大休止していろいろと食べる。2号は相変わらず元気で涼しい顔である。↓

この上からは森林限界となり、真夏の日差しが容赦なく照りつける。十分に水分を補給しながら進むことだ。特に子供は体温調節機能が未熟なので、日射病、熱射病には注意が必要。

槍が顔を覗かせる。↑

合戦尾根の頭でようやく燕山荘が見えた。「えっあんなに遠いの?」またも戦意喪失の1号だが、「見えてるだけいいか」ということで、なんとか進む。

ここまでくればあと一息。最後の階段をがんばる。 2号はとっくに上にいて待っているぞ。

1300時ようやく燕山荘到着。

アニマル↓ 水4Lと食料、コンロなどを背負いあげたので「自分へのごほうび」

アニマル嫁↓ 念願のケーキセットにご満悦。

 雲上の楽園に、清潔で明るい山小屋。 従業員の接客も気持ちよく、私の山小屋アレルギーを払拭してくれる山荘であった。こんな小屋ならまた泊まりたいものだ。

相部屋覚悟で申し込みするが、この日は空きもかなりあり、一部屋を家族だけで占有できて「ホッとする。」 別館の明るいベッドルーム。 広さは4畳くらいかな。寝袋にもなる発熱する素材の布団で快適だったが、広げて使うことを知らずに幅のせまい掛け布団だなあと思っていた。朝やっと気づいたぞ。 ←遅いって

小屋から見える燕岳山頂。30分くらいだけどビール飲んだら眠くなり、みんなで昼寝。

夕方サンセットを鑑賞して夕食のうなぎ丼を食べて、はやばやと寝る。今夜は満月が煌々とかがやきヘッドランプなど必要ないくらい明るい。そのせいか★はイマイチよく見えなかった。

夕照の燕山荘。 山の上のお城みたいだな。 

 裏銀座に沈む夕日。 今日も一日お疲れさんでした。


家族登山日記その2~檜洞丸の巻~

2006年07月27日 21時04分41秒 | へなちょこ登山隊

山頂付近の木道 ↓

ギリギリまで調整をしていたが、どうしても「春うらら」に行くパートナーと都合が合わず、26日の代休は息子どものトレーニングで日曜日に続いて丹沢へ出かけた。

朝6時に出たにもかかわらず、大井松田ICを降りてから渋滞にはまる。何故こんな田舎の国道。しかも下りで渋滞なのか理解に苦しむ。さらに連日の睡眠不足であまりの眠気に道の駅で仮眠。 西丹沢自然教室についたのは9時をまわっていた。

まあ日が長いから大丈夫だろう。というわけで、檜洞丸に向かって出発。余談だが、公園のスタッフ(パートのおばちゃん?)に登山届けを出してくれと言われた。20年近く山をやっているが、この事務所にスタッフがいるのを初めて見た。いつもは朝早くでかけてしまうので、ずっと無人だと思っていた。ようするに平日の9時から5時までしか勤務していないのだろう。 それで5時過ぎに下山してきたら、やっぱり無人だった。下山届けを出すところもなく、まったく無意味な登山届けであった。察するに単に施設の利用者名簿稼ぎなのだろう。

道路わきの目立たない登山口↓ まだ元気一杯の表情。

週末に登った杉林の暗い表丹沢と違って、西丹沢は森が自然で残っており、林間の路も明るい緑のトンネルである。↓

歩き出しはことさらにゆっくりとした歩調で行くことにする。ゴーラ沢出会いまで1時間弱 あれ?すでに10時過ぎ。 尾根の取り付きがわかりにくく少し迷った。ここから標高差900mの急登である。 合戦尾根のトレーニング山行としては最適だ。 この日照り付けていた強い日差しも林間の登路のため、かなり助かる。1時間15分かかって展望台に着く。この間1回の休憩をはさんだが、まずまずのペースだろう。 まだ余裕の表情。↓

ここからが本当の勝負。標高差600mの登りを残す。最初からゆったりしたペースなので、息切れはしていないはずだが、だんだん足がよれてきた様だ。ヘナちょこ登山隊員にしては、珍しく弱音を吐かずについてきた。 この登山道は「ツツジ新道」と呼ばれ、5,6月には見事な姿を見せてくれるのだが、いまはただの緑だけ。

石棚からの登山道に合流する手前で思ったより頂上が遠いことが分かって、少し長い休憩を入れることにする。ここまで来たらあせっても仕方ない。 相当バテ気味↓

見事なぶなの木↓ 立ち枯れしないでがんばってほしいものだ。

稜線に出てからはさわやかな高地の軽い空気に替わり、なだらかな木道の登りで気分的にもラクになったのか、足取りまで軽くなった。なんとかかんとかMYペースを保って無事登頂! 13時20分であった。 それぞれ握手を交わす。よくがんばった。

頂上で残り少ない餌をあさり、ちょっとの間靴を脱いで、昼寝する。ちょうど日も差してきて寒くもなく、暑くもなく快適なひとときだった。

さあ下るぞ。 本当の闘いは下りにある。 筋肉ができていない子供には下りのきつさが堪えるはずである。 展望台まで1時間、河原までさらに1時間。怪我がこわかったが、なんとかひどい転倒もなく無事に降りた。河原に降りた時は二人ともヘロヘロだったが、最後のジャムパンを頬張り、BCAAを飲ませると覚醒したかのように林道を歩いていった。

17時05分下山完了。ウエルキャンプ場の露天風呂で汗を流す。

頂上にいた猫↑小屋の飼い猫?

 

 

 


小僧、山に登る

2006年07月25日 00時21分30秒 | へなちょこ登山隊

唐突にこの夏家族を山に連れて行くことにした。 5月ごろ思いついたのだが、初めは富士山に登ろうかと思ったが、あれは見て楽しむ山で激混みの夏に行く山ではないと思い直し、やっぱり最初に一流をみせるべきだ!というわけでさんざん迷った挙句、「燕岳」というとっても一般的な山を選んだ。アニマル家族だから、最初から前穂北尾根とか、北穂東稜とかバリエーション上等だと思っているでしょうが・・・普段から息子どものへなちょこぶりを見ている私は無難な選択をしてしまうのであった。しかしいくらなんでも、ヤマヤ出身のヨメはともかく息子はド素人。いきなり北アルプスの名にし負う急登である合戦尾根に登らせるわけには行かない。 まずは歩けるかどうか丹沢で試すことになった。まずはお手軽に烏尾山から表尾根で塔が岳というコースを選ぶが、林道が通行止めであったためと、天候がとても悪く、三の塔まで行って大倉に下りてくる最短コースに変更した。 雨の中山岳スポーツセンターに車を置いて、0750出発。 烏尾尾根の取りつきまで約1時間20分。ずいぶんゆっくりであるが、子供の足ではこんなものだろう。 ↑の画像。

烏尾尾根は予想に反して非常に荒れた状態。いつも下山にしか使っていなかったので気がつかなかった。倒木が多く、岩が露出して滑りやすい。

樹林帯の単調だが、急な登りを延々と歩くと途中少しなだらかな森にでた。 ちょっと幻想的な風景。 雨の中の登山もなかなか良い風情だ。 でもひとりで歩いていたらちょっと不気味かもね。

2時間の登りをがんばると急に樹林帯から明るい稜線に飛び出す。といってもガスでなにも見えないが。烏尾山荘で休もうと思っていたが、閉鎖していて入れなかった。食事もロクに取れないので、三の塔の避難小屋まで歩くことにする。

三の塔で知り合いのガイドK君に出会う。こんな日に沢登りとはご苦労様である。ほかにも10パーティーくらいに出合い、天気が悪くても登るのは何もZCCだけではないのだとほっとする。

 


みちのくの名峰「安達太良山」

2005年06月08日 06時15分47秒 | へなちょこ登山隊
記録 2005年2月12~13日

久しく雪山から遠ざかっていた私はなんとなく東北のエリアマップを眺めていた。そこでふと目に留まったのは山容ではなく、ふもとに山をとりまくように点在する温泉の存在であった。さらに山の中腹にある「くろがね小屋」には天然温泉がひかれている。 福島は二本松にある独立峰「安達太良山」である。 二本松には銘酒「奥の松」があるではないか。 雪山の中で温泉と酒。作戦としては勝ったも同然である。

那須火山帯に属する安達太良(あだたら)連峰は、磐梯朝日国立公園の南端に位置し、南から 和尚山、安達太良山、船明神山、鉄山、箕輪山、鬼面山と南北に9kmにわたって連なっている。
 この主峰である安達太良山は、別名「乳首山」とも呼ばれる標高1700mの休火山。詩人・彫刻家として有名な高村光太郎は、詩集【智恵子抄】の中で「あれが阿多多羅山、あのひかるのが阿武隈川」(樹下の二人)、「阿多多羅山の山の上の毎日出ている青い空が、智惠子のほんとうの空だといふ」(あどけない話)等を詠み、智惠子のふるさととしても知られている。
出発の3日前にメンバーを募ったのだが、当日集まったのは2人だけだった。早暁の4時45分横浜を出発。 埼玉県の加須を過ぎるころ夜が明ける。 ここで経費節約のため下道の日光街道をひた走ることにした。 明け方はすばらしい快晴であったが、那須に入るころには小雪がちらつく天気となる。奥岳のスキー場には10時30分着。晴れときどき曇りだが気温は低い。 協議の結果ゴンドラで薬師岳まであがることとする。

わずかな荷を背に潅木の生えた雪原を歩き出す。 思ったよりも雪が深いがワカンを着用するほどではない。 森林限界を超えると強風に叩かれる。 厳しい寒気に顔の感覚がなくなってくる。 ウインドクラストした雪面に出くわし、アイゼンを着用。H也はワカンを着けた。だんだんと視界が悪くなり、雪が少なくなってくるとあっけなく頂上についてしまった。 晴れていれば頂上からの眺めはすばらしいはずだが、今は寒いだけ。 写真を撮ってすぐに下山にかかる。 稜線はだだっぴろく視界が悪いのでルートファインディングが困難である。 地図をいったん出すと、畳めなくなるのでカンを頼りに降りていくと道標があった。 

谷に入り込むと「くろがね小屋」が見えた。 時間はまだ2時すぎだが、早々と行動停止。
冷え切った体を小屋のダルマストーブで温める。 人ごごち着いたところで、さっそく天然温泉につかった。 浴槽は4人も入るといっぱいだが、硫黄の匂いと湯の花に包まれ「極楽」である。 源泉が山中にあるため、湯量は豊富でもちろん「源泉かけ流し」である。

この小屋は公営らしく、管理人が一人で切り盛りしている。百人は泊まれる広さだが、今日は30人ほどの宿泊客である。ほとんどが中高年60代中心のようだ。
自炊はわれわれともう1組だけだ。H也が腕を奮い、日本酒とワインに酔う。

翌朝も天候はいまいちで上部はガスっていた。あきらめて下山にかかる。 小屋から下は穏やかに晴れていた。スキーがあれば快適に滑れるところだ。 振り返ると安達太良山は雲に包まれている。 今日も寒風が吹き募っていることだろう。 智恵子のみた青いほんとうの空は見られなかったが、しみじみとした雪山であった。 また晩秋の人がいないころに再訪したいものである。