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阿南神召キリスト教会 礼拝メッセージ

徳島県の阿南神召キリスト教会の礼拝メッセージです

ダニエルに現れた御使い

2019-09-06 20:56:39 | Weblog

2019.9.1.ダニエルに現れた御使い

聖書 ダニエル10:2~14

題  ダニエルに現れた御使い

 

暗唱聖句 エペソ6:12

「 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」

 

はじめに

先週は、ヤコブが御使いと祈りの格闘をして、ついに祝福をいただいたというメッセージでした。格闘の結果、自分の古い性質が砕かれ、ついに、御使いの祝福をいただくことができました。ヤコブがずっと願っていた祝福でした。彼はこの時、古い自分を脱ぎ去り、新しい自分に変えられたのでした。名前もヤコブから、イスラエルに変えられました。

私たちもイエス・キリストの十字架の血によって罪が赦され、新しく生まれ変わることができました。主にあるなら古いものは過ぎ去るのです。

(Ⅱコリント5:17)「 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

 

今日は旧約聖書のダニエルに現れた御使いの話です。ダニエルはたくさんの夢や幻を見たり、解き明かしたりしましたが、今日は幻や解き明かしには触れません。

 

1.ダニエルについて

ダニエルはバビロン捕囚の時(B.C.586 )、エルサレムからバビロンに連れて行かれました。その時、彼はまだ少年でした。彼はユダ部族出身でした。捕虜の中から、彼のほかにも3人の少年たちが選ばれました。彼らは容姿も美しく、知恵と知識に富み、思慮深い者たちでした。バビロンの宮廷で仕える者にふさわしい者として選ばれました。カルデラ人の文学と言葉を教えられ、名前も別の名前が付けられました。

神はこの4人の少年に、知識とあらゆる文学を悟る力と知恵を与えられました。ダニエルは、すべての幻と夢を解くことができました。

ダニエルはバビロンの国で、ネブカデネザル王に仕え、ペルシャの国が興った時には、メディヤ人のダリヨス王に仕え、ペルシャ人のクロス王に仕えました。クロス王の時に70年間の捕囚の時が満ち、ユダヤ人たちがエルサレムに帰還することができ、神殿を立て直したのでした。

 

2.御使いガブリエルの出現

ダニエルは複数の御使いと出会っていました。御使いは、ダニエルが主に熱心に祈り、主を求めている時に現れました。この御使いたちはダニエルに終わりの時代についての啓示を与えました。しかし、ここでは啓示の内容や幻の解き明かしについては触れません。

8章においてダニエルは雄羊と雄やぎの幻を見て、この意味を知りたいと願っていました。すると、人間のように見える者がダニエルの前に立ちました。御使いガブリエルがあってきたのでした。ダニエルの立っているところに来たそうです。ガブリエルは「その幻は終わりの時のことです。」と言いました。ダニエルは御使いを見てしまったので、気を失って地に倒れてしまいました。すると、御使いはダニエルに触れ、ダニエルを立ち上がらせ、幻の解き明かしをしてくれました。

このように、ダニエルの所に来た御使いガブリエルは重要な終わりの日の啓示を持ってきてくれたのです。ダニエルが祈り、願っていたことの答えでした。

 

 9章ではもっと重要な啓示を持ってきてくれました。

ダニエルはエルサレムの荒廃が終わるのが70年であることを文書によって悟っていました。それで、エルサレムのために自分と自分の民、イスラエルの罪を告白し、悔い改めの祈りをしていました。その時、前に幻の中で見た御使いガブリエルが再びやってきました。

(ダニエル9:22~23)「9:22 私に告げて言った。『ダニエルよ。私は今、あなたに悟りを授けるために出て来た。

 9:23 あなたが願いの祈りを始めたとき、一つのみことばが述べられたので、私はそれを伝えに来た。あなたは、神に愛されている人だからだ。そのみことばを聞き分け、幻を悟れ。』」

 

ガブリエルの使命はダニエルに「神の言葉」授けることでした。そのために来たのです。

ガブリエルは「ダニエルが祈り始めた時に、神が言葉を与えられたので、それを伝えにきた。」と言っています。その言葉は神からの啓示と真理でした。「メシヤ預言で、キリストはいつ来られ、何が起こるのか。」ということを示したものでした。これは非常に重要なことでした。イエス・キリストの初臨の500年前のことです。

 

ここで、現代に生きる私たちに警告があります。もし、現代、御使いがやってきて、新しい真理だと言って、福音からそれるような預言的な言葉を伝えに来たとしたら、どのように対処したらよいでしょうか。例えば、「キリストの再臨は・・・いついつ・・・」などと言い出したら、どうでしょうか。再臨の明確な時は誰にもわからないのです。

これはとても危険なことです。黙示録には「この聖書に付け加えたり、また聖書の言葉を取り除いたりしてはいけない(黙示22:18.19)」と書いてあります。

 

パウロはこう言っています。(ガラテヤ1:8)

「しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。」

終わりの時代には偽預言者が現れると言われています。私たちはまさにその終わりの時代に生きているので、霊の目を覚ましていましょう。偽物と本物を見分ける霊の力が必要です。御霊の賜物の中に「霊を見分ける力」(Ⅰコリント12:10)の賜物があります。神学校時代、「牧師は異言や預言の賜物は要らないけれども、この霊を見分ける力の賜物は必要だ。」と教えられました。確かにそうだと思います。サタンはけっして恐ろしい姿では来ません。天使のような光の御使いに変装してやってくるのです。(Ⅱコリント11:14)

 

3.ペルシャ国の君と戦った御使い

(ダニエル10:2~14)

「10:2 そのころ、私、ダニエルは、三週間の喪に服していた。

 10:3 満三週間、私は、ごちそうも食べず、肉もぶどう酒も口にせず、また身に油も塗らなかった。

 10:4 第一の月の二十四日に、私はティグリスという大きな川の岸にいた。

 10:5 私が目を上げて、見ると、そこに、ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、腰にはウファズの金の帯を締めていた。

 10:6 そのからだは緑柱石のようであり、その顔はいなずまのようであり、その目は燃えるたいまつのようであった。また、その腕と足は、みがき上げた青銅のようで、そのことばの声は群集の声のようであった。

 10:7 この幻は、私、ダニエルひとりだけが見て、私といっしょにいた人々は、その幻を見なかったが、彼らは震え上がって逃げ隠れた。

 10:8 私は、ひとり残って、この大きな幻を見たが、私は、うちから力が抜け、顔の輝きもうせ、力を失った。

10:9 私はそのことばの声を聞いた。そのことばの声を聞いたとき、私は意識を失って、うつぶせに地に倒れた。

 10:10 ちょうどそのとき、一つの手が私に触れ、私のひざと手をゆさぶった。

 10:11 それから彼は私に言った。「神に愛されている人ダニエルよ。私が今から語ることばをよくわきまえよ。そこに立ち上がれ。私は今、あなたに遣わされたのだ。」彼が、このことばを私に語ったとき、私は震えながら立ち上がった。

 10:12 彼は私に言った。「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。私が来たのは、あなたのことばのためだ。

 10:13 ペルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、私は彼をペルシヤの王たちのところに残しておき、

 10:14 終わりの日にあなたの民に起こることを悟らせるために来たのだ。なお、その日についての幻があるのだが。」

①   最後に現れた御使いはダニエルがやはり断食をして祈っている時に来ました。この御使いはガブリエルだったのか、主ご自身だったのかはわかりません。

この御使いはダニエルには見えましたが、一緒にいた人々には見えませんでした。ただ、大きな声がしていましたので、周りの人々にも分かったのだと思います。ダニエルはまた気を失って倒れてしまいました。御使いの手がダニエルに触れ、起き上がるように言われました。御使いはダニエルに遣わされたのです。人間の姿をしていました。

(へブル1:14)「1:14 御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。」

ダニエルが御使いの訪問を受けたということは、幻を理解したいという願いの祈りの答えでした。神は祈りを聞いてすぐ御使いを遣わされるかもしれません。しかし、御使いたちも暗闇の邪悪な存在と戦っているのです。

 

②   ペルシャの君(反キリストの霊)と戦った御使い、仮にガブリエルと名前をつけましょう。ペルシャの国の君は非常に強かったようです。このガブリエルはこのペルシャの君と21日間もたたかったというのです。そしてちょうどミカエルという天使長が来てくれたので、戦いをミカエルに任して、やってきたというのです。そして、祈りの答えをダニエルに届けに来てくれたのです。そのようにして、神から与えられた使命を御使いは全うすることができました。

③   天における霊の闘い

地上の出来事や人物に関わる、天での戦いについては、人間はほとんど何もわかりません。これがおそらくは、パウロがエペソ書で触れている戦いなのでしょう。

(エペソ6:12)「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」

 

④   へりくだること

「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。私が来たのは、あなたのことばのためだ。」(ダニエル10:12)

この間、アグローのメッセージを聞いていたら、霊の闘いの中で最も大きな闘いは「へりくだることと、従うことだ。」と話されていました。「霊の闘いは祈ることだと多くの人は思っているかもしれない。でもそれは違う。へりくだることです。存在そのものをもって、へりくだらなければなりません。理屈抜きで従うことです。」と話しておられました。ここでも、「へりくだろうと決めたその初めの日から、あなたの言葉は聞かれている。」と言われています。「聞かれたので、私は来た」と御使いは言っています。神の前にへりくだること、これが、神に祈りを聞いてもらう秘訣です。へりくだる人の所に、御使いも遣わされるかもしれません。


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