2012.1.21.信仰がなくならないように。
聖書 ルカ22:31~34、54~62
題 「信仰がなくならないように。」
暗唱聖句 ルカ22:32
「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
はじめに
私たちには誰にでも弱さがあり、その弱さと戦って、信仰の勝利をして行かなければなりません。その時、励ましになるのが、イエス様が祈られた祈りです。イエス様はペテロのために祈られました。「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」この祈りは、あらゆるクリスチャンの人を励まし続けている御言葉だと思います。私たちが自分の欲や誘惑の力に引っ張られる時、サタンの力に負けそうになります。しかし、主イエスはわたしたちを勝利の道に導こうと願って、脱出の道を備えてくださいます。脱出の道があることを信じて、祈り、探してください。
(Ⅰコリント10:13)
「 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」
1.ペテロのための祈り
先週はヤコブとヨハネとペテロがイエス様と一緒に山に登りました。そして、恐らく夜中になったのでしょう。彼らは眠くて仕方がなく、うとうとしていましたが、目をさますと、イエス様の姿が変わっていて、真っ白に輝いていました。そして、モーセとエリヤの二人と話しておられたのを目撃したのです。彼らはイエス様の中にある神の栄光の目撃者でした。生涯、このことを忘れることがありませんでした。しかし、彼らは主イエスの最後の十字架の栄光が、どんなに悲惨なものであるかはわかっていませんでした。それは屈辱と敗北を受け入れたイエス様の強さとは比較にもならないほどの弱さでした。自分に弱さがあるという自覚が無いことほど、恐ろしいものはありません。ペテロはまさにそういう状態でした。
(ルカ22:31~34)
「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
22:32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
22:33 シモンはイエスに言った。『主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。』
22:34 しかし、イエスは言われた。『ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。』
イエス様はこれから弟子たちの上に起こってくるあらゆる悪をよくご存知でした。ペテロは自分のことをよく知りませんでした。ですから、「主よ。牢であろうと、死であろうと、覚悟はできています。」と言ったのです。それに対して、イエス様は「あなたの信仰がなくならないように祈った。」と言われたのです。事実、ペテロの信仰はこの時のイエス様の祈りによって、保たれたのです。この後、イエス様は弟子たちに言われました。「財布を持ち、袋を持ち、着物を売って、剣を買いなさい。」と言われました。イエス様は弟子たちを取り巻く状況が今までと全く違うようになることを見通しておられました。そして、その試練を乗り越える準備をするように言われたのです。私たちも周りがいつも同じ状況であるとは限りません。その環境の変化に応じて、準備したり、立ち向かって行くことが大切です。
2.誘惑
(ルカ22:54~62)
「22:54 彼らはイエスを捕らえ、引いて行って、大祭司の家に連れて来た。ペテロは、遠く離れてついて行った。
22:55 彼らは中庭の真ん中に火をたいて、みなすわり込んだので、ペテロも中に混じって腰をおろした。
22:56 すると、女中が、火あかりの中にペテロのすわっているのを見つけ、まじまじと見て言った。「この人も、イエスといっしょにいました。」
22:57 ところが、ペテロはそれを打ち消して、「いいえ、私はあの人を知りません」と言った。
22:58 しばらくして、ほかの男が彼を見て、「あなたも、彼らの仲間だ」と言った。しかしペテロは、「いや、違います」と言った。
22:59 それから一時間ほどたつと、また別の男が、「確かにこの人も彼といっしょだった。この人もガリラヤ人だから」と言い張った。
22:60 しかしペテロは、「あなたの言うことは私にはわかりません」と言った。それといっしょに、彼がまだ言い終えないうちに、鶏が鳴いた。
22:61 主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う」と言われた主のおことばを思い出した。
22:62 彼は、外に出て、激しく泣いた。」
ペテロは「自分がイエスの仲間」と言われると大きな声で「そうではない」と否定しました。
ただ、捕まりたくないという、本能から出た自分を守るための言葉でした。このことによってイエス様を裏切ってしまったのです。しかし、イエス様はペテロを見放すことはありませんでした。
「あなたの信仰がなくならないように祈りました。」という祈りによって、彼の信仰がなくなることを防いでくださいました。
このペテロの失敗から、私たちは多くのことを教えられます。「私は、絶対に大丈夫、失敗はしない。」と言える人は一人もいないということです。サタンはあらゆる知恵を使って、クリスチャンの信仰を滅ぼそうとします。特に良く活躍している伝道者や牧師達が狙われます。過ち、不信仰、高ぶり、虚栄、身勝手、自己中心、俗っぽさ、忍耐力の無さ、不純など、霊におけるあらゆる罪、悪を行ってしまう性質などは、クリスチャンになっても、残っているのです。ですから油断してはいけません。
(箴言4:23)
「 力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」
(Ⅰペテロ5:8~9)
「5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。」
3.イエス様の祈り・・・失敗と向き合う
イエス様は喜んでペテロのために祈られました。それだけでなく、イエス様は今に至るまで生きていてクリスチャンのためにとりなしをしておられます。イエス様は大祭司です。大祭司はとりなしの祈りをします。
(ヘブル7:25)「 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」
しかし、イエス様は「クリスチャンになった人が失敗しないように、誘惑に遭わないように、」とは祈っておられません。
なぜなら、失敗を通して、人は成長し、神をもっと深く知ることができるようになるからです。神が力の源であることを悟るようになるからです。
(詩篇46:1)「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。」
ですから、人間がなすべき責任は自分で果たさなければなりません。何もしないで成功するようなことはありません。神が代わって働かれることはないのです。私たちはわたしたちの責任範囲においては努力する義務があります。あらゆる努力をして、後は神様にゆだねるのです。道徳的なことについても、良いことと悪いことを識別して、選択する知恵をいただいています。
大切なことは失敗した後に、どのようにその失敗を乗り越えるかです。ペテロは自分がイエス様を裏切るなどとは夢にも思っていませんでした。ですから、恥ずかしさと、自分の弱さへの腹立たしさもあっただろうと思います。長い間、彼の心の中には戦いがあったと思います。しかし、イエス様の「信仰が無くならないように」という祈りがありました。これによって、彼の信仰は守られました。また、ガリラヤ湖で「あなたはわたしを愛しますか。」とイエス様に言われて、和解しました。ペテロは「わたしがあなたを愛することは、あなたが良くご存知です。」と答えました。この和解ゆえに、さらにイエス様とペテロの絆は強くなりました。完全に立ち直ったのです。そして立ち直ったペテロはイエス様の祈りのように、リーダーとして仲間たちを励まし、使徒としての働きを全うしました。
「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
私たちが失敗しないようにするにはどうしたら良いでしょうか。
(マタイ26:41)「 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」
(ガラテヤ5:16)
「 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」
聖書はわたしたちの生きる道を示してくれています。聖書を通して、神のみこころを知ることができるように祈ることです。イエス様は父なる神のみこころだとわかっていることに従って祈られました。
「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
この言葉はペテロに取って信仰の言葉でした。彼の魂に再び希望の光をともすものとなりました。
私たちにとっても、このみ言葉が希望の光になりますように。お互いに信仰が無くならないように祈りましょう。他人の信仰を裁かないように。互いに励まし合いましょう。