2020.9.27.ヨハネからの七つの教会へのあいさつ
聖書 ヨハネの黙示録1:4~8
題 ヨハネから七つの教会への挨拶
暗唱聖句 (黙示録1:7)
「 見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。」
はじめに
イスラエルは今新年の季節です。新年が9月19日でしたので、ヨム・キプールという大贖罪の日は9月28日になります。新年から10日目がヨム・キプールです。その間、互いに赦しあう、そして、最後に神様の前に悔い改めます。おととい、ラビの説教を聞いていましたが、すばらしかったです。自分を赦す、人を赦す、そうしなかったら、ますます自分が傷つく、そして最後に神と和解する。「和解は愛することだ。早く家に帰ろう、子供や妻が待っているから。家族に愛を表そう。」と言っていました。
Ⅰ.ヨハネからアジア州にある7つの教会へ
「1:4 ヨハネから、アジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、後に来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から、 1:5 また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。」(黙示1:4~5)
(1)ヨハネから7つの教会へ
ヨハネは使徒ヨハネでイエス様に愛された弟子でした。そのヨハネから、現在のトルコの国の中にある7つの教会へあてたお手紙です。当時、ヨハネは囚人で,パトモス島に島流しになっていました。7つの教会があるところは、ヨハネが生きている時代には、ローマの行政区で、アジア州と呼ばれていました。7つの教会は、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤです。これらの教会は迫害に遭っており、また教会の中に問題も抱えていました。ですから、黙示録が書かれた目的は、苦しんでいる信徒たちを励まし、過ちを矯正するためでした。また7つの教会は、教会全体を表している、すなわち普遍的教会と理解してもよいかと思います。そのために、彼らに読まれた手紙が、現代の私たちの持っている内的な問題解決につながってくるのです。
(2)恵みと平安がありますように。
恵みとは、信者に与えられる神様の変わることのない愛です。平安とは神様との関係が正しく、しっかりしている時に与えられる平安です。恵みと平安はイエス様の十字架上の御業を土台にしています。ですから、これは誰にも取り去られることはありません。
(3)三位一体の神
①「今いまし、昔いまし、後に来られる方」とは父なる神で永遠に存在されているお方です。
②「その御座の前におられる七つの御霊」とは、聖霊なる神です。イザヤ11:2には聖霊の7つの特別な性質を記しています。「主の霊、知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊」の7つです。
➂「忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者」という方は子なる神であるイエス・キリストのことです。このお方から恵みと平安があるようにと言われています。これはとても大きな励ましでした。キリストは最初に復活されました。また、キリストは再臨して、地上に千年王国を設立されます。
Ⅱ.イエス・キリストはどういうお方?
黙示1:5b~6
「イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、 1:6 また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。」
(1)キリストは十字架の上で血を流してくださることによって、私たちを罪から解放してくださった。
①罪からの解放により、罪人の私を義人にしてくださった。そしてきよめ続けてくださる。これは喜びです。
②「私たちを王国とし」と書いてありますが、これは「私たちが神の御国の一員になった」ことです。そして王であるキリストの支配と守りの下に置かれています。
➂私たちは、祭司として、天の御座に近づけるようになりました。今、私たちのみ国における身分は祭司です。とりなしの祈りの御業についています。
(2)「キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。」
キリストをたたえる言葉が出てきます。頌栄のことばです。この頌栄は、キリストを信じたすべてのクリスチャンが唱えるべきものです。
Ⅲ.再臨の主
(黙示1:7)「見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。」
ここでは再臨されるイエス・キリストのことを記しています。これが黙示録のテーマです。黙示録は再臨の前後に何が起こるかを預言しています。
(1)黙示録のテーマ:再臨
①キリストは栄光の雲に乗って、地上に戻ってこられます。
②時制は現在形です。すでに起こったことと同じことです。
➂キリストは栄光の雲に包まれてオリーブ山から昇天されました。(使徒1:9)「同じありさまでまたおいでになる」と御使いが言っています。
④再臨と携挙は違います。携挙は真のクリスチャンたちが天にひきあげられることです。再臨はイエス様が地上に降りてきて立たれることです。
(黙示録3:10)「あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。」
全世界に来ようとしている試練というのは大患難時代をさしていると解釈しています。ですから、この解釈によれば、大患難時代にはクリスチャンは天に引き上げられてこの地上にはいないことになります。教会は地上にはありません。
⑤黙示録は、再臨の前後に何が起こるかを預言しています。
(2)再臨の目撃者(ユダヤ人と異邦人)
①「彼を突き刺した者たち」とは、地上に残されたユダヤ人たちです。ユダ人たちはある時、民族的救いを受けます。ですから、救いを受けた人たちは天に引きあげられているはずです。
(ゼカリヤ12:10)「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。」(ゼカリヤ書の預言の成就です。)※ゼカリヤはB.C.520年頃(紀元前6世紀後半)のユダヤ人預言者
②「地上の諸族」とは、全人類のことです。雲の乗ってこられる方を見ます。激しく泣く理由は、キリストの裁きを恐れるからです。
➂再臨は全世界の人がみます。テレビ、インターネットなど、メディアが全世界に発信するでしょうし、直接みる人もいるでしょう。ユダヤ人も異邦人も見ます。
Ⅳ.神であられる主
(黙示1:8)「 神である主、今いまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである。』」
(1)1:8はキリストが「わたしは神である。」と宣言されたものです。
①「今いまし、昔いまし、後に来られる方」は、キリストの永遠性を示します。
②「万物の支配者」とはキリストが歴史をすべて支配しておられることを示す。
➂「わたしはアルファであり、オメガである。」は、キリストが自分は神であると宣言された事を示す。旧約聖書では「神を指す呼び名」以下のように使われている。
イザヤ44:6「 イスラエルの王である【主】、これを贖う方、万軍の【主】はこう仰せられる。『わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。』」
イザヤ48:12~13「48:12 わたしに聞け。ヤコブよ。わたしが呼び出したイスラエルよ。わたしがそれだ。わたしは初めであり、また、終わりである。48:13a まことに、わたしの手が地の基を定め、わたしの右の手が天を引き延ばした。」
まとめ
(1)黙示録は4つの時代を啓示している。
①1~3章 教会時代(使徒の働き2章ペンテコステ~携挙まで)
②4~19章 大患難時代7年間
③20章御国の時代(千年王国)、千年
④21~22章 永遠の時代 無限
(2)黙示録がクリスチャンに与えてくれる信頼と希望
①わたしはアルファであり、オメガである。
- キリストは歴史の支配者である。
- 私たちは聖書の歴史の中に生きている。
- 聖書の中に、本物の歴史哲学がある。
②見よ。彼が、雲に乗ってこられる。(1:7)
再臨の希望を抱く者は、日々、敬虔な生活を送るようになる。
➂(黙示1:2)「 ヨハネは、神のことばとイエス・キリストのあかし、すなわち、彼の見たすべての事をあかしした。」
イエス・キリストの証とヨハネの証言によって、黙示録は2重に信頼できる書です。
(※アウトラインはハーベストタイムステーションから引用)