2012.12.30.
聖書 マタイ2:1~12
題 目に見えないものを探して
暗唱聖句 へブル11:1
「信仰とは望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(新改訳)
「信仰を、どう定義したらよいでしょう。それは、願い事が必ずかなえられるという、不動の確信です。また、何が起こるかわからない行く手にも、望みどおりのことが必ず待ち受けていると信じて、疑わないことです。」(リビングバイブル、へブル11:1)
はじめに
2012年の最後の礼拝がやってきました。この一年間、主に守られたことを感謝したいと思います。わが内側にあるものすべてを持って主をほめたたえましょう。教会の礼拝の場でも、生活の中でも主を賛美し、ほめたたえていきましょう。
(詩篇103篇1~5)
「わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。」
1.東方の博士たち
ローマ皇帝に従属していたヘロデ王はB.C.37年からB.C.4年までユダヤの国の王として、イスラエルを治めた人でした。この時代にイエスはユダヤのベツレヘムにお生まれになりました。主イエスの誕生はB.C.4~6年だろうと言われています。それは、ヘロデ王がベツレヘムの2歳以下の男の子たちを全部殺したという記事から考えられたものです。ヘロデは虐殺事件の後、すぐ亡くなっているからです(B.C.4年没)。ヘロデ王は建築の手腕にすぐれ、2000年後の今日にイスラエルに残っている多くの建築物はヘロデ王の時に造られたものです。 なかでも有名なものはエルサレムの神殿を広くし、美しく改築したことです。
この時代に、東の方の国から博士たちがやってきました。おそらく、今のイランの方から来た人たちでしょう。この人たちの職業は占星術の専門家か、または天文学者であったろうと言われています。3人の博士がやってきたと言われていますが、聖書には3人の博士たちが来たとは書いてありません。彼らは知的階級者であり、富豪の人たちです。砂漠の中を3人で旅をすることはありません。それはあまりに危険なことだからです。おそらく、200人ぐらいの人たちでやってきただろうと想像します。なぜか。2500キロメートルぐらいの距離だとしたら、最低3ヶ月間はかかるでしょう。その上、砂漠を越えてきます。まず、食料を確保しなければなりません。今のように、冷蔵庫の付いている車はないので、生きた羊やヤギを連れて旅をすることになります。穀物などの荷物はラクダに積んで、一緒に来ます。そうすると、それらをお世話する僕たちも一緒に来ます。宝物も携えてきました。途中、強盗に襲われたら、大変です。護衛の為の兵士も必要です。ペルシャ風の衣装をまとった人たちが200人ぐらいでエルサレムに入ってくるとかなり目立ちます。彼らは「ユダヤ人の王になる人が生まれた」と言うので、当然、宮殿にいると考えました。立派な衣装を身に付け、堂々とした風格の博士たちはヘロデの宮殿に行きました。
この博士たちは言ったのです。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、その方の星を見たので、拝みに来ました。」と。そうすると、ヘロデ王は新しい王の出現を恐れました。このユダヤの王は自分なのだ、自分がメシヤなのだという気持ちがあったからです。しかし、ヘロデ王は純粋なユダヤ人ではなく、イドマヤ人でした。エルサレム中の人々も、この博士たちの一行とその言葉を聞いて、不安になりました。
そこで王は、エルサレムの智者・賢者たちを全部呼び集め、キリストはどこで生まれるのかと質問しました。すると彼らは「ユダヤのベツレヘムです。」と答えました。これはミカ書にかかれています。(ミカ5:1)ミカはB.C.8世紀の預言者でした。その人が将来、メシヤはユダヤのベツレヘムから出ると予言していたのです。
「ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決していちばん小さくはない。わたしの民を治める支配者が、あなたから出るのだから。」(ミカ5:1、マタイ2;6)
ヘロデ王は博士たちから星の出現の時間を突き止めておきました。東の方に出現した星は2年前ぐらい前です。(マタイ2:16)
ヘロデは「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」と言って送り出しました。しかし、これはまっかなうそです。幼子に危害を加えようと計画をしていたからです。
2.主を受け入れる人、受け入れない人
ここには主イエスを受け入れる人とそうではない人々がいます。いつの時代にあっても、イエス様を受け入れる人と、受け入れない人がいたことを物語っています。主イエスは自分の民(ユダヤ人)の所に来たのに受け入れてもらえなかったのです。ヘロデは自分の繁栄のことだけを考えた人でした。自分に不都合な人がいると処刑しました。残虐な人でした。わたしたちにもヘロデのような罪深い心があります。現代のいじめの問題は、不都合な人をいじめ、排除している社会です。
しかし、信仰というのは見ないで信じることです。物は見えますが、大切なものは見えないのです。
「信仰とは望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(へブル11・1)
現代の社会は見えないものにたいする価値観を失ってしまいました。大変さびしい社会になってしまったのです。見えないもの?何がありますか。もっとも大切なものは愛です。愛し合っていますか。信頼はどうでしょうか。お互いに信頼して生活をしていく、信頼関係は日々努力しなければくずれていきます。お互いに時間を与えあって、信頼関係を築いているでしょうか。
3.導きの星
東方の博士たちは王からベツレヘムだと聞いて、再び旅を続けました。すると、東方で見た星が彼らを先導し、幼子の家まで導いたのです。博士たちは喜びました。
導き手が与えられました。
一つは聖書を通して、「ベツレヘム」と教えられ、道が備えられました。その次には星が導いています。この星は東方でみた特別な星でした。実際にその頃に現われた星があったそうです。ただ、その星に関心を持つ人は少数であり、その中に神の愛を見出す人もいませんでした。この東方の博士たちはその星に神の御計画を見出したのです。偉大な王が生まれるという神の啓示を受けたのです。これは聖霊の導きでした。現代も私たちを主イエスの所に導く方は聖書と聖霊です。そして、先に救われたクリスチャンをとおして導かれていきます。私たちクリスチャンはイエスさまのところに人々を導く星の役割をするのです。
「その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ」のです。星は彼らの闇に光を与えました。
「そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。」
長い旅をして、ついに、メシアである救い主に会うことができました。星の出現からかなりの時間がたっていました。2年ぐらい経過したでしょうか。ヨセフとマリヤとイエスはベツレヘムに家を借りて住んでおられたようです。
その幼子に出会った瞬間、博士たちの人生は変わりました。新しい命を得たのです。それは永遠の命でした。今まで味わったことのない平安と喜びでした。
4.放浪の地から平安の地へ
「東の方」には「放浪の地」という意味があるそうです。それはどこから来たかというと(創世記4:16)「それで、カインは、主の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。」この「ノデの地」が「放浪の地」という意味になるそうです。カインは弟アベルを殺しました。その後、平安のない生活をしました。これは罪を犯した者が心に平安がなく、絶えず、心が定まらず、放浪する、何かを求めていく、そのような状態だそうです。人間は罪人ですから、そのような心を持っており、神から去っている時は心が落ち着かないことを表しているようです。この博士たちは全財産をはたいて、このベツレヘムに旅をしてきました。東の国からです。心の中に神に対する飢え渇きがあり、実際に危険を冒し、砂漠を通りぬけてエルサレム、そしてベツレヘムにやってきたのです。その情熱、求める心を主は祝福してくださいました。
5.宝物を捧げる。
幼子であるイエス・キリストに出会った博士たちは彼を礼拝し、持ってきていた宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を捧げました。
イエスさまに出会った彼らは「あれが真理だ、いやこれが真理だ」と求め続けていた放浪の心の旅に終止符を打ったのです。まだ赤ん坊のイエスさまは何も言わなかったと思います。しかし、恵みとまことに富むお方であった神のみ子は彼らの心を癒し、聖霊で満たしたのでした。真理に出会った彼らは惜しみなく、喜んで、主に宝を捧げたのです。黄金は王の王なる方へ、乳香は大祭司となるお方へ、そして、没薬は十字架にかかって人類のあがないをされるお方に捧げました。これらは彼らにとって宝物だったのです。宝物のあるところに、私たちの心があります。あなたの心のあるところが宝物なのです。その心が主にあるものは幸いです。
証
ある韓国の一家がアメリカにいた時の話です。娘さんのジョイは高校3年で受験生でした。夏のことでした。とても忙しく学校生活をしていました。ところがある日、「南アメリカのニカラグアに宣教旅行をする。」と言ってきました。そこで、お母さんは「高校を卒業して、大学に行くまで3カ月休みがあるので、その時に行ったらよい。」と答えました。すると娘はこう言いました。
「お母さん、私の人生で、一番貴重な時間を、神様に捧げたいのです。有り余る時間を捧げるのはだれでもできるでしょう。」
お母さんはびっくりしたそうです。ジョイは2ヶ月間の宣教師訓練を受け、15日間、
ニカラグアに宣教に行きました。南米宣教です。娘の一生で一番大切な時期に宣教旅行に行きました。
神はそのような娘の信仰と献身を喜ばれました。主はジョイに3200人の中で、成績一番で高校を卒業する名誉をくださいました。その上、8000人の前で卒業演説をすることになりました。また、ハーバード大学とイェール大学に同時に合格しました。この二つの大学はアメリカの名門校です。またビル・ゲイツ財団の奨学金を100万ドルが与えられたのです。神を恐れ、礼拝するものには神が責任をとって祝福してくださいます。
私たちは本当に自分の宝物を神にささげているでしょうか。一年の終わりにあたって、主がなしてくださった恵みに十分感謝しているでしょうか。 宝物は人にとって、それぞれ違います。今日、神の前に1年の感謝とともに、主に捧げるべきものを考えてみましょう。
そして、新しい年、もう一度献身の気持ちを新たにして始めましょう。
6.新しい年は新しい道を主とともに歩もう
博士たちは夢の中で「ヘロデの所に帰るな」という戒めを受けたので別の道を通って帰りました。私たちも、今年の道と同じではなく、もう一段と信仰の高嶺を目指して、新しい道を主とともに歩んでいきましょう。
目に見えない気高きものに目を注ぐ人生であってほしいと思います。
「信仰とは望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(へブル11・1)」