goo blog サービス終了のお知らせ 

阿南神召キリスト教会 礼拝メッセージ

徳島県の阿南神召キリスト教会の礼拝メッセージです

イスラエルの証

2013-11-30 13:58:18 | Weblog

2013.11.10.イスラエルの証(掲載がおそくなりました。)

聖書 Ⅱペテロ3:3~3:10、ヨエル2:23、使徒1:8~12

題  イスラエルの証

 高橋朗兄(日本メノナイトブレザレン教団 石橋キリスト教会)

 

はじめに

 10月に、高橋ご夫妻は、イスラエルの友人の結婚式に招かれました。その結婚式に出席するために、日本からイスラエルに旅立ちました。その時の証です。

 

Ⅰ.イスラエルの結婚式

その結婚式はエルサレムから北へ約100Kmのキブツ・エイン・ハショフェットで行われました。 ハルマゲドンのメギドのすぐ近くのキブツ(農場)です。  農地をローラーで平らに整地して、結婚式を行いました。夜8時から、結婚式が始まる予定でしたが、実際に始まったのは9時半頃でした。待てども、待てども、結婚式が始まる気配がなく、新郎はただお客を迎えて挨拶だけをしていました。日本人の私たちには、考えられないことでした。

夜空は満月。結婚式の写真:フッパ(天蓋)の下で結婚式をします。このフッパは結婚する二人の新しい家を象徴しています

結婚する二人は、結婚式前の7日間は、 会ってはいけないことになっています

聖別のためと、説明されていますが、・・・。

聖書は、このことについて、何を示しているでしょうか?

 

黙示録 21:9 「また、最後の七つの災害の満ちているあの七つの鉢を持っていた七人の御使いのひとりが来た。彼は私に話して、こう言った。

『ここに来なさい。私はあなたに、 小羊の妻である花嫁を見せましょう。』

21:10 そして、御使いは御霊によって 私を大きな高い山に連れて行って、 聖なる都エルサレムが神のみもとを 出て、天から下って来るのを見せた」

 

ここに「小羊の妻である花嫁」と書いてあります。「小羊」はイエスさまのことです。「花嫁」は、この聖書箇所では「新しいエルサレム」です。

 

Ⅱペテロ3:3~4「まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、3:4 次のように言うでしょう。『キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。』」

Ⅱペテロ3:8「しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」

 

「キリストの来臨」についての、この文脈の中で、「千年は1日」と語られています。

天地創造からアブラハムまでが約2000年で、日曜日と月曜日。アブラハムからイエス・キリストの初臨までが約2000年で、火曜日と水曜日。十字架から主の再臨までが?年。その後、千年王国があります。千年王国が土曜日「安息日」と考えると、ユダヤ人の間で、彼らの待ち望んでいるメシアは、6000年を遅れることはないと言われていますので、その時が永遠の安息になります。

今年は西暦2013年です。ユダヤ暦では5774年です。度重なる捕囚の為に約250年の誤差が生じているそうです。ですから、5774年+250年は6024年となり、主の再臨の時はもうすでに熟していると言えるかもしれません。

千年王国の後に「新しいエルサレム」が下りてきます。ですから、結婚式まで、花婿と花嫁は7日間会えないわけです。

 

私たちの救いの完成は、民族としてのイスラエルの回復と無関係ではありません。ですから彼らの救いと、イスラエルの回復のために、私たちは懸命に祈る必要があります

主の再臨が近いと言われていますが、今回、ユダヤ人の結婚式に招かれたことで、主が「その日は本当に近いんだよ。」と語ってくださったように思いました。

 

Ⅱ.初めの雨 後の雨

ヨエル書 2:1~2「シオンで角笛を吹き鳴らし、わたしの聖なる山でときの声をあげよ。この地に住むすべての者は、わななけ。【主】の日が来るからだ。その日は近い。やみと、暗黒の日。雲と、暗やみの日。山々に広がる暁の光のように数多く強い民。このようなことは昔から起こったことがなく、これから後の代々の時代にも再び起こらない」

ヨエル書 2:23~25 「シオンの子らよ。あなたがたの神、【主】にあって、楽しみ喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜り、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油とであふれる。いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう。」

 

初めの雨 モ―レー(ヘブライ語)(詩篇84:6、ヨエル2:23)

先の雨  ヨ―レー(ヘブライ語)(申11:14、エレミヤ5:24)

秋の雨  プロイモス(ギリシャ語)

これらの雨は10月から11月にかけて降る雨のことです。

 

*初めの雨:モ―レー

詩84:5~6 「なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。」

 

*後の雨:マルコーシュ

3月から4月頃に降り,穀物の豊かな実りをもたらすので,祝福の雨とされる。

(申11:14,ヨブ29:23,箴16:15,エレ3:3,5:24,ホセ6:3,ヨエ2:23,ゼカ10:1)

 

*初めの雨の「モ―レー」と教師の「モ―レー」はへブル語では同じ単語。

ヨエル2:23「 シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜わり、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。」

 

「義とするための初めの雨 」は「義なる教師」と同じ。

 

過越の食事の準備(エッセネ派の集団)

マルコ14:13そこで、イエスは、弟子のうちふたりを送って、こう言われた。「都にはいりなさい。そうすれば、水がめを運んでいる男に会うから、 その人について行きなさい。

ルカ22:10~13イエスは言われた。「町に入ると、水がめを運んでいる男に会うから、その人が入る家にまでついて行きなさい。そして、その家の主人に、『弟子たちといっしょに過越の食事をする客間はどこか、と先生(ホ ディダスカロスがあなたに言っておられる』と言いなさい。すると主人は、席が整っている二階の大広間を見せてくれます。そこで準備をしなさい。彼らが出かけて見ると、イエスの言われたとおりであった。それで、彼らは過越の食事の用意をした。

 

ここで、「先生」には、定冠詞がついています。エッセネ派が待ち望んでいた、死海写本にでてくる光の子と闇の子の戦いを導くメシアのような「あの先生」です。義なる教師のことです。へブル語で「モ―レー」と言います。これは初めの雨と同じ単語です。雨には2つの種類があります。初めの雨と後の雨です。初めの雨であるイエスさまの初臨、その時の主イエスの存在は初めの雨のように激しい雨となりました。

 

「エッセネ派 」についての説明

ヨセフォス『ユダヤ古代誌』

「彼らは妻もめとらず,奴隷も手に入れない.……彼らは自分たちだけで生活し召使の仕事を互いにやり合っている」

彼らは,物を共有する生活共同体を構成し,儀式的なきよめを重視し,結婚,奴隷制,戦争に反対したと言われている.この宗教との関連性が論じられているのがクムラン教団である.死海沿岸を居住地としていたエッセネ派は,聖地巡礼の時にはエルサレムの南側にある建物を修道院にしていた.

 

Ⅲ.壁

 

使徒1:8~12 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。・・・

 

ゼカリヤ 14:4 その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。

 

私たちは、主が昇天されたオリーブ山を見ることができます。

私たちは、主がこのオリーブ山に再び戻って来られることを信じています。

西壁の前で熱心に祈っている彼らには、壁しか見えません。

この壁はだれが作ったのでしょうか。私たちが作ったのかもしれません。この約2000年間、キリスト教はユダヤ人を迫害してきました。その結果、彼らは主イエスを見ることができなくなってしまいました。この壁はわたしたちクリスチャンが作ってしまった、といっても過言ではないでしょう。悔い改めと同時に、ユダヤ人に謝罪をする必要があると、壁の前で祈る彼らを見る私に、主は語られました。

またこのことを、日本の私たちの生活に適応すると、どのようになるでしょうか。先に救われたクリスチャンたちの思いの中に高慢な思いがなかったでしょうか。その高慢な思いによって、まだ救われていない人々に対する接し方を間違ってしまったのではないでしょうか。上からの目線で見てしまい、大柄な態度を取ってしまったかもしれません。「主よ、お赦し下さい。私たちを、へりくだって人々に仕えさせてください」と、思わず祈りました。

 

〈祈祷〉

私たちは、主がこのオリーブ山に再び戻って来られることを信じています。

そのオリーブ山を見えなくした壁を作ったのは、私たちです。

ああ主よ、どれほど多くの先人たちが今のこの時代に生きることを望んだことでしょう。

主よ、あなたの再び来られる日が、日一日と、近づいています。

どうか、私たちの友人、知人、家族とともに、 喜んで、その日を迎えることができるように、 ここに集う、私たち一人一人を主が聖霊で満たしてくださり、家庭へと、職場へと、学校へと遣わしてください。 主の十字架の死と復活、再臨を宣べ伝えさせてください。


愛を与えるならいのちを得る。

2013-11-25 18:49:32 | Weblog

2013.11.24.愛を与えるなら命を得る

聖書 ヨハネ13:34~35

題  愛を与えるなら命を得る

 

暗唱聖句 ヨハネ13:34

「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」

 

はじめに

1.命を与えてくださった主イエス

2.私たちのゴール「互いに愛し合いなさい」

 

はじめに

先週、楠先生をお迎えしてすばらしい特別集会を開くことができました。

 皆さんに報告したい嬉しいことがあります。

実はわたしの叔母が洗礼を受けました。皆さんもご存じのように2年ぐらい前までは教会の礼拝に来ていましたが、だんだん弱ってきて、今では礼拝に集うことができなくなりました。そこで、特別集会の後、楠先生に訪問していただき、叔母の信仰が本物かどうかを確かめていただきました。本物だったので、病床洗礼を授けました。皆さん、元気な時、礼拝に出て、メッセージを聞き、み言葉を蓄えることは大切なことです。わたしの叔母はその時聞いていたみことばによって救われたのだと思います。聖書のみことばだけが皆さんを救いの牧場に導き、平安を与えることができるのです。私たちの神はわたしたちに人間の思いを超えて、すばらしい心を与えてくださいます。平安、喜び、寛容、忍耐、柔和、自制、誠実、善意、親切な心を与えてくださるのです。

わたしの叔母は1カ月ぐらい前に股関節がずきずき痛み、眠れなかったそうです。その時、イエスさまにお祈りしました。すると、いつの間にか眠ってしまいました。ですから、祈りが聞かれた、イエス・キリストさんは良い神様だと思ったそうです。しばらく痛かったので、毎日祈りました。少しでも足を動かすと、涙が出るくらい痛かったそうです。一週間ぐらい続きました。毎日、祈りました。すると、祈りが聞かれて、ある日、痛みがすっかりなくなりました。みことばが書いてある日めくり暦に「神にできないことは何もありません。」と書いてあったので、「神には何でもできる」と信じて祈ったそうです。今も痛みはありません。イエス・キリストさんは力のある良い神様だと言っています。そして、他の人の為にも祈っています。ハレルヤ!

「洗礼を受けますか」と聞いたら、「私の家は江戸時代から続いた家です。宗教を変えるのはどうかと思いますが。」と言いました。すると、楠先生が「洗礼は宗教を変えるのではなく信仰を現わすのです。」と言われました。「そうですか。じゃ受けます。」と言って、頭を垂れて、祈りの姿勢を取りました。それで、滴礼を授けました。受けたら「私はこれでキリスト教徒になったのですね。クリスチャンになったのですね。」と嬉しそうでした。

もう一つは天国へ行く準備をすることでした。「もっと長生きをすると思うけれども、年齢から言うと、いつお迎えが来るかわからないので、天国へ行く確信を持てるように、洗礼を受けた方が良いと思います。」と勧めました。叔母は「本当にいつ死ぬかはわからないので、天国に行く準備をしておいた方が良いですね。」と言いました。叔母は85歳です。叔母は3カ月前に、自分よりずいぶん若い50代の甥を失くし、一週間前に83歳のいとこを失くしたばかりでした。ですから、天国へ導いてくださる神さまを選んだのだと思います。洗礼の翌日に、リハビリに連れて行きました。すると、「私は100歳まで生きるわ。」と元気そうでした。叔母を見ていると、神さまの時が来たら、だれも何も言わなくても、イエスさまご自身が救いに導いてくださるのだと思いました。救いは神さまの一方的な恵みです。イエス様を信じるだけで救われるのです。何もしなくてよいのですから、ありがたいですね。(Ⅰコリント1:18)「十字架の言葉は、滅びに行く人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」

 

1.命を与えてくださった主イエス

 12月になるといっせいにクリスマス一色になります。お店はクリスマスセールをします。楽しいクリスマスの歌がどこででも聞こえてきます。クリスマスは楽しい、うれしいお祝いの時です。

いったいどういうお祝いでしょうか。それは天と地を創造された神のひとり子がこの世に来てお生まれになった、その誕生をお祝いする日です。神の国の王子の誕生日ですから、世界中の人々がお祝いをするのです。誕生日は生きている人の為にあり、生きている人々の誕生をお祝いします。死んだ人の誕生祝いをするのはあまり聞いたことはありません。イエス・キリストは2000年前の人です。今も生きておられるのでしょうか。イエス・キリストは十字架の上で私たちの罪をゆるすために死んでくださいました。しかし、3日目に復活し、今も生きておられます。生きておられるので、人々が救われ、永遠の命を与えられ、この世の救いとあの世の救いを受けるのです。ですから、イエス・キリストの誕生をお祝いしながら、自分の救いのすばらしさを確認する時でもあります。このクリスマスほど、人々をうきうきさせるものは他にありません。

(ヨハネ3:16)

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」

①    天地を創造された神は、御ひとり子のイエスさまを与えてくださるほど、人間を愛してくださいました。この世は罪の世界です。罪のない息子を罪で腐っている世界に遣わす、それは父なる神にとってどんなに心を痛める決断だったことでしょう。しかし、それ以上に自分が創造した人間を愛しておられたのです。

②    イエス・キリストを信じる人たちは一人も滅びない。それどころか、永遠の命をもらって、永遠に生きるのです。私たちの肉体は、一度死にますが、神の時が来れば、また復活して、それからあとは永遠に生きるのです。イエスさまの復活が模範です。

③    滅びの国には行きません。永遠の裁きの時、イエス・キリストを信じていた人は罪がゆるされているので、神のみ国に招かれ、永遠に主イエスと共に生活するのです。恐ろしい地獄に行くことはありません。生きている時、主イエスと一緒に生きることを選んだので、死んだあとも主イエスの保証があって、ご自分のそばで生きることを赦して下さるのです。

④    創造主は、私たちが救われるように、御子イエスをこの世に遣わされました。創造主である神はそれほど、わたしたちを愛してくださいました。あなたも愛されています。

 

2.私たちのゴール「互いに愛し合いなさい」

イエス・キリストを信じて生きる人たちのゴールはどこでしょうか。それはキリストの弟子になることです。イエスさまのように考え、イエスさまのように行動することです。ある教会の今年の目標は「イエスさまのようになる。」です。大胆ですね。

イエスさまは十字架にかかられる前に、新しい戒めを与えられました。「互いに愛し合いなさい」です。これは主イエスの遺言です。

最後の過ぎ越しの祭りの食事の時、イエスさまは弟子たちの足を洗い、「あなたがたも互いに足を洗い合いなさい。」と模範を示されました。そして、「互いに愛し合いなさい。」といわれたのです。互いに愛し合っているなら、他の人々がキリストの弟子であることを認めると言われました。

(ヨハネ13:34~35)「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

 13:35 もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」

 

「愛する」ということは他の人に心から善意を持って親切にすることです。行動を伴うことです。口先だけではありません。どんな人も、小さな親切ができます。そして、他の人の役に立つことができるのです。または、他の人を励ますことができます。子供も両親を喜ばせます。同じように私たちは他の人の為に何かができるのです。何かを考えるのは愛の心です。イエスさまの愛に満たされ、喜んで、親切な行いをさがし、それを主の為に捧げましょう。

ここでの注意は自分が「愛されなさい」と受身形では書いてないことです。「出て行って愛することです。そうすれば、神さまがあなたに喜びを与えてくださいます。他の人を愛する時、神のいのちが注がれ、あなたから流れでて行くのです。あなたはそれを感じます。すると喜びが湧いてくるのです。もし愛しなければ、あなたの霊的な命は枯れて死んでしまいます。そうすると、クリスチャン生活は退屈で面白くなく、喜びのないものになって行きます。出て行って愛しましょう。そうすれば、喜びのあふれたクリスチャン人生がやってきます。

 

「愛し合いなさい」ということは人間関係の薄い人には優しいことかもしれません。しかし、関係の深い近い人には難しいのです。たとえば、夫婦、親子、職場の人、近い親戚などには、わがままが出ます。子供の言うことを聞いてあげる時間がなかったりします。夫は妻の言うことに耳を傾けなかったりします。教会で礼拝している時は天使のようかもしれませんが、家に帰るとどうでしょうか。家族に喜んで仕えることができるでしょうか。私たちはもともと自己中心の人間です。自分の思うようにならなかったら、怒ったり、落ち込んだり、叫んだりするものです。しかし、主は「互いに愛し合いなさい」と言われました。愛するとは赦し合うことです。そして、時間、労力などを他者の為につかい、役に立つものとなることです。他の人たちを愛する時、喜びがやってきます。それは、その愛に主が報いて、喜びと神のいのちを注いでくださるからです。もし、私たちがいつまでも自己中心で自分のことだけを主張するならば、喜びは消えてなくなり、神の命も枯れてしまいます。

自己中心は罪です。イエスさまはこの自己中心の罪から私たちを解放する為に、十字架にかかってくださいました。自己中心を捨てて、前向きに生きて行きましょう。

イエスさまは言われました。(マルコ10:45)「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」

私たちも、しもべの心をもって人々を愛し、仕えて行きましょう。謙遜に愛し、仕えて行きましょう。私たちが外向きの心を持って、他者を愛する時、喜びや満足がやってきます。愛する時、イエスさまのいのちが一人一人の上に働いてくださるのです。


夢見る信仰

2013-11-18 23:09:53 | Weblog

2013.11.17.夢見る信仰

聖書 創世記12:1~5

題  夢見る信仰

説教者:楠章三師(新居浜福音キリスト教会) 

Ⅰ.からし種の信仰

 今年、からし種の花が咲いた。おしろい花のような感じの黄色い花が咲いた。7月に咲いた。8月に実を結んだ。このからし種は新居浜にできたもの、実と種です。実は本当に小さい。欲しい人には差し上げます。秋に種をまくとそのうちに芽が出てきて、大きな葉が出てきます。それから茎がのびてきたら大きな葉が枯れて小さな葉が出てきます。この小さな種から、芽を出して、なんと4メートルぐらいになりました。普通は2~3メートルぐらいの大きさだそうです。聖書では天の御国をからし種に例えています。鳥がやってきて巣を作るようになるというのです。

 (マタイ13:31,32)

「イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。『天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、13:32 どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。』」

 

 (マタイ17:20)

 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。

 

私たちもからし種のように小さい者、しかし、からし種のように大きな信仰を持っていく。イエス・キリストを信じる信仰とは神のみ言葉に対するゆるぎない信頼、信仰です。

 

(へブル11:1)

「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」

「四次元の霊性」チョーヨンギー師

一次元 :線

二次元 :面

三次元 :時間と空間と物質で構成された立体

四次元 :これらすべてを超える霊的世界、魂を持っている(聖霊によって、悪霊を追い出す、病をいやす。)

 

(ヤコブ5:15,16)

「信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。

ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」

 

Ⅱ.夢が与えられたアブラム(創世記12:2~3)

 神はアブラムに夢を与えた。75歳のアブラムに対して「あなたは大いなる国民となる。」と言われても、信じられなかった。「私に何をくださいますか。」75歳でまだ子供がいないアブラムでした。主は彼を外へ連れ出し、空の星を見せました。「あなたの子孫はこのようになります。」と言われた。

先月四国聖会があった。すばらしいメッセージや具体的な伝道方法も教えていただきました。夢の話が出ました。新居浜にリバイバルがやってきた、そして徳島、阿南、そして全世界へ広がっていく夢の話です。ところが同じような夢を他の先生が見たという話を後で聞きました。瀬戸内側地方にリバイバルがおこるというのです。神の夢を実現させていただこうではありませんか。T先生は夢に向かって走っています。ビジョンに向かっています。そして着実に進んでいます。阿南の土地は2002年に買いましたね。新居浜の土地は2003年に買いました。10年前です。なかなか広い土地がありませんでした。しかし、神は祈りに答えて、広い土地をくださいました。2003年11月に献堂式をしました。一昨年と昨年、ガジマ聖会を行いました。大人280名、こども50名、2階はいっぱい、そして下にも50人ぐらいいました。300人を超したのです。これを見た時、励ましを受けました。「新居浜は将来このようになるんだよ。」と言われているような気がしました。

 

アブラムには神からのビジョンが与えられました。

(創世記12:2~3)

「そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

 12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

 

1.あなたを大いなる国民とする。(2節)

2.あなたの名を大いなるものとする。(2節)

3.あなたの名は祝福となる。(2節)

4.あなたを祝福する者を祝福する。(3節)

5.地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。(3節)

 

Ⅲ.夢の実現に向かって

アブラムはカランに定着していた。そこは彼にとって住みやすい所だった。父親のテラが死んだあと、主はアブラムに言われた。

「あなたの父の家を出て、私が示す地へ行きなさい。(1節)」

主が夢を与えたのは20~30代の青春時代でもない。40~50代の油ののりきった時でもなかった。召されたのは75歳だった。後期高齢者の年齢になってからだった。

「あなたの父の家を出て、私が示す地へ行きなさい。(1節)」

信仰を持って神の言葉に従った。そこに神が与えてくださった夢の実現があった。アブラムはここでゆっくり老後を楽しみますとは言わなかった。神の約束を信じて、出発した。子供が与えられたのはアブラムが100歳、妻サラが90歳の時だった。

 

 昨日、阿南にやってきました。私は71歳になりました。来年2月で72歳になります。

TH姉妹のお墓参りに行きました。姉妹のことをいろいろ思い出しました。お墓で、天の父なる神にお祈りをしました。家の建築の為にもお祈りしました。H兄は今、家を建て替えています。H兄のところに泊めてもらおうかと思ったら、「今は家がありません」と言われたのです。びっくりして聞いたら、「今、家を建て替え中だ」と聞きました。

そこで家を見に行きました。広い家でした。お姉さんとH兄と大工さんと5人でお祈りをしました。大工さんの為にも祝福のお祈りをしました。H兄は68歳です。子供もいません。アブラムも75歳で子供はいませんでした。それなのに新しい家を建てるのです。そのほかに、H兄はろう者聖書学校で聴講生として学んでいます。献身です。すばらしい!もし献身でなければどうしてこのようなことができるでしょうか。

イエス様を信じる者は神の国を待ち、喜ぶ者です。イエスさまの喜びを伝えるものです。

 

(イザヤ40:31)

「しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」

わしは岩の上しっかりつかまって座ります。全部羽が落ちるまで、じっと耐え忍んでいます。雨が降っても風が吹いてもじっとして動きません。全部羽を落としてしまうまでそのままです。死んでしまうのではありません。そこに耐えていると、新しい羽根が生えてきます。そして、このわしはすっかり若々しくなって羽ばたくのです。わしのように主を待ち望む者となろうではありませんか。

 

(使徒16:31)

「ふたりは、『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます』と言った。」

10年あまり、一つの教会に一年に2~3回まねかれて行っておりました。30人位の人です。みんな親戚関係の人たちです。ある時、一人の人が救われました。イエス様を信じたのです。それから2人娘と一緒に教会に行きました。その人たちが救われました。家の周りの人たちにイエスさまの話をしました。79人の人がイエス様を信じました。一人の人から始まったのです。牧師が3人でました。牧師夫人が2人でました。そのほか多くの人たちが他の教会で活躍しています。これらの祝福はわたしはあなたを祝福すると言われたアブラムの祝福を受けとった時から始まっています。夢を持っていこうではありませんか。信仰の夢をもっていこうではありませんか。

人が見る夢は「儚い(はかない)」ものです。残るのはむなしさだけです。しかし、神が与えてくださる夢はまさゆめです。本当に実現します。リバイバルが来ます。期待しましょう。

 

人の夢 → 儚い(はかない)

信仰の夢 → 正夢(まさゆめ)

 

 


目標を目指して一心に走っているのです。

2013-11-07 22:49:49 | Weblog

2013.11.4.四国聖会の早天のメッセージ

聖書 ピリピ3:12~14

題 目標を目指して一心に走っているのです。

 

はじめに

1.最初の5年は慣れるために必要だった

2.次の5年、いろいろやってみた。

3.これからの10年:信徒が伝道牧会をできる教会を目指す

 

はじめに

 四国に来て(2004年の4月赴任)もう少しで10年になります。最初、徳島県に派遣になる時、「阿南はどんな所だろうか」と思いめぐらしていました。町だろうか、村だろうか。水は豊富だろうか。トイレは水洗だろうかなどといらぬ心配をしたものです。教会は田んぼの真ん中にありました。後で考えた時、私はこんな祈りをしていたことを思い出しました。「主よ。これからの時代は車社会です。田んぼの真ん中でも良いですから、広い土地をください。」と。主は私のつぶやきを聞いておられました。

北九州から徳島に入ったら、急に田舎になりました。北九州から比べたら田舎ですが、住んでみると必要なものはすべてあり、不便なことはありませんでした。それに阿南は田んぼの多い美しい町です。立派で大きな家が多い町です。気候も良かったので、すぐこの町を好きになりました。

主は私にみ言葉を与えてくださいました。(使徒23:11)「その夜、主がパウロのそばに立って、『勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない』と言われた。」主は私に「エルサレムでも証したように阿南でも証しなさい」と言われたのです。

 教会の人たちは花嫁を迎えるように私を受け入れてくださいました。最初はとても甘やかされて、大事にされました。しかし、難題がありました。私は手話ができなかったのです。全く手話を知らない私に、2ヶ月経ったら、手話でメッセージをすることと言われてしまい、約束通り、2ヶ月後から祈祷会のメッセージは自分で手話をすることになりました。当時、私は54歳になっていました。それまで、箸より重いものは持ったことがないと言うほど、手や指先、また、腕を使ったことのない私でした。手話のレッスンは思った以上に厳しく、一年間、両腕の腱鞘炎をおこして、夜も眠れないくらい痛む日が続きました。そして、痛むということを言えなかったので、心も病んだのです。一年後、機能性低血糖症を起こしてしまいました。しかし、良き専門家の医者(千葉のマリヤクリニックの柏崎良子先生)に出会い、2~3年治療して良くなりました。今はとても元気になりましたのでご安心ください。

1.最初の5年は慣れるために必要だった

 私たち阿南の教会は徳島教会からの株分け教会で、3分の2はろう者の人たちです。最初のころの礼拝は14~5人でした。そのうちに、礼拝を休んでいた人たちが復帰して20~22人ぐらいになりましたが、最近はまた、減ってきました。日曜日の礼拝は13~15人、月曜日に5~7人です。あんまり変わりません。10年間に洗礼を受けた人は3人です。その中の一人は徳島教会の50年前の写真に写っている人でした。その写真を見て、「これは私の主人、これは子供たち、これは私よ。」と話してくれました。この時悟ったことがあります。四国の伝道は一人の魂が救われるためには50年かかるのだと教えられたのです。人間関係を保っていたら、そのうちに救いに導かれる人が起こってくると気を長くして待つことにしました。すると、今度はなかなか、洗礼を受ける人が現われないのです。求道者は数人いますが洗礼まではいかないのです。ただ、ひたすら「50年待つ忍耐」を養っています。

 初めは慣れるために時間がかかりました。最初の一年はまさに手話を覚えるために時間を使いました。ろう者の人たちが熱心に教えてくれました。他のことは何もできませんでした。メッセージの原稿を書くこととそれを手話で表すことができるようになること、それだけでした。最初の9カ月は徳島教会から手話通訳を送っていただき、奉仕していただきました。そのうち、阿南ではH兄弟、H姉妹が育ち、また、K姉妹が礼拝の手話通訳を定期的に手伝ってくれるようになり、10ヶ月後には3人の手話通訳者がそろったのです。ハレルヤ!そして、今では四国聖会や徳島市民クリスマスで奉仕をさせてもらっています。

 2年目から、子供伝道を始めました。阿南市の市民会館を借りて1カ月に一回こども会をすることにしました。この為に教会全員が力を終結しました。チラシづくり、チラシ配布、当日の子供のゲーム、メッセージ、ビデオ、いろいろなことを分担して行いました。これはチームでの作業なので、みんなの協力と一致が必要とされました。8~9年経った現在、この子供たちが育って来て、中学生が2~3人います。中学生の時に、イエス様に出会ってはっきりした信仰をもってくれたらいいなと思っています。

それから幼児・小学生の英会話教室を3~4年前からやっています。週に一回なので、奉仕する姉妹たちは大変だと思いますが、忠実に教えてくださっています。それに子供の扱いも上手です。これらの子供たちの中から、国際人として活躍できる人物が生まれることを願っています。

 3年目には市役所の人たちに毎月チラシを配布することにしました。ハーベストタイム誌と四国放送の世の光新聞を毎月105枚配布しています。市役所の人たちは阿南の頭脳です。彼らが救われるならば、阿南の町に変革が起きます。町が祝福され、希望のある町になるのです。それを夢見て、暑い時も寒い時も配布しています。感謝なことに毎月105人の方々が福音に触れておられるのです。

まだ、この中から教会に来られた人はありませんが、時期が来たら、必ず救われる人が起こると信じて、元気なあいさつをして、市役所の人たちに手渡ししています。

 2.次の5年、いろいろやってみた。

 その次には徳島宣教協力会という徳島の福音派の牧師たちと協力して、徳島の宣教の為にどうしたらよいかを探ってきました。特効薬は見つかりませんでした。どこの牧師も悩んでいるのは同じです。

 それからの5年間は私たちのうちにある価値観を変えることでした。心の癒しや聖書の中の本質について学びました。

  心の癒しは「エリヤハウスジャパン」を通して学びました。この学びはとても良く、この学びを通して、私自身が変えられてきました。私たちの心はある部分には福音の光があたって、癒されているのですが、深い所にある傷にはまだ癒しの光が当たっていない所もあります。そういう所に聖霊が触れて癒してくださる働きです。私がびっくりしたのは十字架の力です。十字架の上にすべての原因を持って来て祈ると癒されるのです。その問題は戻ってきて再び私たちを悩ますことはしないのです。十字架の救いは素晴らしいと改めて実感しました。四国では須崎の教会が取り組んでおられます。

 もう一つは香港のベン・ウォン先生を通して教会の7つの本質を教えていただきました。これはまず神との関係、そして人間関係から始まる伝道の本質です。そして、これは実践神学なので、日常生活の中でこの本質に従って生活する時、神のいのちが注がれていくというものです。実際やらなかったら身につきません。まずは「教会とは何か、それはクリスチャンそのものが教会である、教会は建物ではなく人間である。」ということが前提です。

①       関係(神との関係、人との関係)

②参加(どこにおいても礼拝と同じ気持ちで家庭や学校や職場、地域で奉仕して行く)

③能力付与(信徒の賜物に応じて、奉仕を分け与え、ゆだねる。牧師が教会の仕事を全部するのではなく、みんなでやる。奉仕ができるように賜物を育てる。)

④イエス中心(牧師中心ではなくイエス様中心)

⑤伝道・増殖(伝道して、小さな家庭集会を増やす)

⑥ネットワーク(教会がお互いキリストの体として助けあう。あなたの教会は私の教会。私の教会はあなたの教会。)

⑦適応可能な構造(現代社会に適応できる組織を作っていく)

 それからもう一つの霊的なことは徳島で「アグローの集会(キャンドルライト)」を始めたことです。これはアメリカに本部があるペンテコステの世界的なネットワークを持っている女性の集会です。女性を建て上げるという目的があり、また世界的なとりなしの祈りをする祈りの軍隊でもあります。女性がひきあげられると男性もひきあげられます。そして女性と男性がチームで神の栄光を現わすという目標が掲げられています。集会の時は賛美と祈りと学びがありますが、特徴的なことは「これからアグローの集会をします。」と宣言するとそこが聖所になり、聖霊の豊かな流れが始まるのです。それは天が開けて天のみ国が下りてきたような感覚です。聖霊が私たちの心を解放し、また命ある霊の流れを注ぎ、他の人たちにも聖霊が流れて行くようにしてくださいます。不思議な集会です。

 ある時、夢を見ました。四国にリバイバルが来ている夢です。新居浜教会にたくさんの信徒たちが集まっている夢でした。どこに行っても教会には人があふれていました。夢とは思えないはっきりした光景でした。私の心はわくわくしました、喜びでいっぱいでした。

それから、だいぶんたってから、また別の夢を見ました。徳島教会が祝されて、リバイバルされている夢でした。この時は少しさびしくなって、私も主に聞きました。「阿南はいつですか。」すると主は答えられました。「徳島の後で」と。ですから、私は妬みません。徳島教会を祝福します。

 ただこれらは夢です。実現するかどうかはわかりません。でも、希望の光を与えてくれる夢でした。これらの夢のことを思いめぐらす時、胸がワクワクするのです。イエス・キリストの救いは幸せの源です。これほどすばらしい救いはほかにはありません。

 3.これからの10年:信徒が伝道牧会をできる教会を目指す

 今までのことをすべて含めてこれから何をしていくべきか、考えました。これからの10年は弟子づくりです。信徒が自分たちで伝道牧会をできる教会を目指します。

(マタイ29:19~20)

「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

この間、南紀キリスト教会で開かれたシンガポールセルのセミナーに参加しました。感動しました。その中で教えられたことは伝道にも訓練と戦略が必要です。訓練なしには成長しないこと、また一人で伝道するのではなくチームで協力して伝道して行くことの重要性を教えられました。セルという小さなグループを通しての伝道、あるいはセルという家庭集会を通しての伝道は地味ですが、確実に人々を救いに導くことができます。これは信仰です。

南紀キリスト教会の信徒の人が「命の書」というノートに導きたい人の名前を書いて祈ったそうです。すると、4年間で15人の人が洗礼を受けたそうです。聖霊の働きは素晴らしいですね。南紀では一年間に平均10人位の人が洗礼を受けるそうです。寺田先生は「1年で10人洗礼を受けたら、10年で100人だよ。その人たちが全部教会に残っていたら二倍三倍になるんだよ。だから、『若者に教会に帰ってきて、郷里伝道をしよう。』と言って育てました。」と言われました。

 皆さん、本当に四国を愛しているなら、四国に帰ってきて一緒に伝道する若者を育てましょう。四国での伝道は忍耐が必要です。しかし、主の再臨はまじかに迫ってきています。日本のリバイバルももうすぐそこまで迫っています。きっと四国から霊的な打ち破りが起こり、リバイバルがおこると信じています。祈って、頑張りましょう。

 (ピリピ3:12~14)

「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。

 3:13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、

 3:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」