2016.11.27.ソドムの滅亡から救われたロト
聖書 創世記 19:15~29(1~29)
題 ソドムの滅亡から救われたロト
暗唱聖句 ローマ6:23
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」
はじめに
今まで、アブラム中心にストーリーが展開してきました。今日はアブラムとずっと一緒に旅をしてきた甥のロトに焦点を当ててお話したいと思います。
アブラムはカナンに飢饉があった時、エジプトにのがれましたが、またカナンへ帰ってきました。そしてカナンで最初に天幕を張ったベテルとアイの間の所まで来ました。そこに祭壇を築き、主の御名によって祈り、住むことにしました。しかし、そこはアブラムとロトの家族が共同生活をするには狭かったのです。彼らは両方とも羊や牛の群をたくさん持っていました。すなわち、家畜に与える青草が十分ではなかったのです。そのために、ロトの羊飼いたちとアブラムの羊飼いたちの間に争いが起こりました。そこで、アブラムはロトと別れることにしました。そして、ロトに最初の選択権を与えました。あなたが好きな所を取りなさい。私はあなたの残りの土地を選ぼうと言いました。「あなたが右だったら、私は左を選びます。」と言ったのです。
ロトはまだ若く、人生経験も少なかったので、目に見えるところで判断しました。目に見える所に青草がたくさんあったのでしょう。ヨルダンの低地を選びました。そして、ソドムの近くに天幕を張り、だんだん、ソドムの人々の習慣に染まって行きました。そのうちにソドムの町の中に天幕を移し、町の門に座るようになりました。町の門に座るというのは、町の人たちの相談にのるような立場になっていたということです。ソドムの人々は罪深く、神を恐れない悪い人々でした。
アブラハムはヘブロンに天幕を移して、マムレの樫の木のそばに住みました。そこに、主のために祭壇を築き、礼拝をしました。アブラハムは主を中心に礼拝のある生活を続けました。
1.ソドムの町
アブラハムの甥のロトはソドムに住んでいました。彼は最初、町の外に住んでいましたが、だんだん町の中に入って行ったのです。きっと、町の中の方が商売繁盛したのでしょう。その経済的な安定のために、町の中はロトにとって魅力的に見えました。しかし、道徳的には耐えられないほど腐敗していました。アブラハムと生活していたロトは神中心の生活をしていました。神との交わりで、清い喜びのある生活をしていたはずです。ところが、ソドムの人々は神に敵対して生活していたからです。ですから、ロトは苦しんだと思います。しかし、娘たちはソドムの男性に結婚させていました。町の中に婿がいたという言葉でわかります。そのほかに、まだ結婚していない2人の娘がいたのです。
ある夕方のこと、2人の主の使いがソドムの町へやってきました。ロトは彼らの持っている雰囲気から、すぐ、特別な主のみ使いだとわかりました。そして、「今晩はこの家にとどまって、一緒に過ごしてください」と引きとめたのです。そして、ご馳走をつくって、もてなしました。どんなに素晴らしい夕食と交わりの時間だったことでしょう。
ところが夕食が終わった頃、すべての町の者たちが若いものから、年寄りまで集まって来て、ロトの家を取り囲んでしまいました。そして、この外から来た2人を捕まえて、乱暴をしようとやってきたのです。町の人々は「この男の人たちを知りたいのだ。」と言っていますから、性的な乱暴を働くために集まったのです。ロトはお客を守ろうとして、自分の娘を犠牲にして差し出そうとしました。父親が、娘を犠牲にするなど、良くない行動です。町の人々も、この二人が神の使いだとは気が付きませんでした。このソドムの町は霊的にも、精神的にも荒れ果てていました。
ロトはどうしてよいかわかりませんでした。ロトはこの町の習慣にはなじめませんでしたが、かなり悪影響を受けてしまいました。私たち人間は一緒に過ごす人たちに大きな影響を受けます。ですから、一緒に遊んだり、過ごしたりする人たちを選ばなければなりません。この所、元依存症の人たちとの交わりがありましたが、彼らが言いました。「最初は自分の考えや行いが悪いという考えがなかった、神を信じるようになって、だんだん悪いと気がつくようになってきた」と話していました。
ですから、ロトはみ使いがこの町を滅ぼすと言っても、嘘のように思えて、信じることはできなかったと思います。ましてや、婿などはもともとソドムの人たちです。滅ぼされる理由さえ、わからなかったと思います。
2.み使いの憐れみとロトの救い
ロトはお客を守ろうとして、自分が乱暴されそうな状態になってしまいました。その時、み使いが目つぶしをまいて、町の人々を混乱させ、ロトを家の中に連れ込み、戸を閉めました。人々は中に入ることはできませんでした。
二人はロトに向かって言いました。「あなたの身うちの者がいますか。あなたの婿や娘、息子などを皆ここから連れ出しなさい。私たちはこの町を滅ぼそうとしているのですから。主が私たちを滅ぼすために遣わされたのです。」と言いました。ロトは滅亡の予告を伝えに行ったのですが、誰も信じませんでした。ノアの洪水の時のようです。ロトもためらっていました。夜明けになってきました。み使いはロトとその妻の手、そして、2人の娘の手を取って、町の外に連れ出し、町の外に置きました。そして言いました。「命がけで、逃げなさい。後ろを振り返ってはならない。この低地のどこにも立ち止まってはいけない。あの山に逃げなさい。さもないとほろびてしまう。」するとロトは言いました。「山に逃げることはできません。あの小さな町に逃れさせてください。命を助けてください。」と懇願しました。み使いは言いました。「よろしい。あの町、ツォアルに逃げなさい。」と言いました。ロトとその妻、2人の娘は必至で走って逃げました。ロトがツォアルについた時、主は硫黄の火をソドムとゴモラの町の上に天から降り注がれました。町と住民と植物も動物も皆滅ぼされました。
ロトの後ろにいたロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になってしまいました。今でも死海の南の方にロトの妻が塩の柱になって立っているのが見えます。この付近一帯は山全部が塩の山です。
翌朝、早く、アブラハムは、かって主の前に立ったその場所に行きました。(創世記19:27)
そこは(創18:16、22、)アブラハムがみ使いにソドムとゴモラを滅ぼすと聞かされて、「どうか、悪人と一緒に善人を滅ぼさないでください。」ととりなしをしたところでした。彼は甥のロトを助け出したかったのです。
その時、アブラハムが見た光景はすさまじいものでした。ソドムとゴモラ、そして低地の方は、まるでかまどの煙のように、その地方全体に煙が立ち上っていました。
神はアブラハムを覚えておられました。そしてアブラハムがとりなした祈りを覚え、その約束を守られたのです。
アブラハムのとりなしの祈り(創18:22~33)
もし、その町に50人の正しい人がいたら、滅ぼさないでください。もし、45人いたらどうでしょうか。また40人だったらどうでしょうか。30人だったら・・・。20人だったら。・・・32節「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに10人見つかるかもしれません。すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その10人のために。」
主はアブラハムと語り終えられると去って行きました。アブラハムも去って行きました。そこに立って、アブラハムはソドムの町を見下ろしながら、ロトのことを案じていました。アブラハムのとりなしの祈りゆえにロトは助けられたのです。神の憐れみのゆえでした。とりなしの祈りは重要であり、力があります。誰かの事を思い出したら、とりなしの祈りを捧げましょう。
ソドムとゴモラの滅亡は町の人々にとって突然でした。その間には幾度となく警告が発せられていたと思います。しかし、人々は滅びるという認識がありませんでした。
(Ⅰテサロニケ5:2~3)
「主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。
5:3 人々が『平和だ。安全だ』と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。」
終りの日はだんだん近づいています。陣痛は出産まじかになると間隔が狭くなってきます。この頃の地震の多いこと、何と表現して良いのかわかりません。突然、地震や津波に襲われることがあるかもしれないのです。神は何を用いて裁きをなさるかはわかりません。
「目を覚ましていなさい。」と聖書は言っています。
私たちは裁きにあって終わりではないのです。イエスさまが復活されたように、時が来れば、復活をして、再創造された地球のどこかで、イエスさまと共に生活をするのです。千年王国という時代がやってきます。それはキリスト王国の時代です。永遠の世界に続く世界があるのです。子羊の命の書に名前が書いてある人たちだけが、入れる永遠の命の世界があります。そのような素晴らしい世界をもたらすために来てくださった方がイエスさまです。クリスマスはその始まりなのです。
3.神に従う人は救われます。
ロトたちがみ使いと約束したツォアルの町に着くと同時に、神の裁きが始まりました。「罪の支払う報酬は死です。」(ローマ6:23)とあるように、それは死の裁きでした。神の罪に対する徹底的な裁きが描かれています。神に従ったロトたち以外に、ソドムで助かった人々はいませんでした。しかし、油断してはなりません。罪の誘惑は絶えず私たちの心の中に、誘惑をしかけてきます。ロトの妻はその誘惑にかかり、神との約束を守れませんでした。そして、塩の柱になってしまいました。ロトと娘2人は救われました。
4.罪の支払う報酬は死です。」(ローマ6:23)
神は徹底的に罪を嫌われるお方です。私たちも徹底的に罪から離れる決心をする必要があります。しかし、ロトの妻のようになるのではないかと恐れが来るかもしれません。だからこそ、自分の力で離れる決心をしないで、ロトのように神に助けをいただいて、罪から離していただくことが大切なのです。神は助けを求める者を必ず助けてくださいます。罪に支配されてはなりません。
(Ⅰペテロ5:8~9)「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。」
暗唱聖句 ローマ6:23
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」